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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
185/199

第五十五話 『老師範』

 『バベルの裏庭』という犯罪組織はあまりにも巨大かつ強大になりすぎた。

 構成員の数だけでも並みの犯罪組織とは比べ物にならないほど大きいということもあるが、なによりも厄介なのは、その幹部達の半数が表側で権力を握っていることにある。

 龍族の王家の者や纏翅(てんし)族の軍団長に、特権階級聖魔族の上級官僚と、それはもう錚々たる面々だ。本来民草をよりよき方向へと導かなくてはならない上の者達が率先して悪事に走っているのだから、それはもうどうしようもない。

 しかも、性質が悪いことに財力まで保持しているのだから、これはもう見過ごすことはできない。

 組織が或る程度の大きさであったならば、犯罪者をまとめて監視しやすくなるのでわざと放置することも選択肢の一つとしてありえたであろう。

 だが、もう一度言うが『バベルの裏庭』という犯罪組織はあまりにも巨大かつ強大になりすぎたのだ。

 表と裏、共にその勢力を持ち、ガン細胞のように無限に拡散し拡大し続けるその姿は絶対に看過できる物ではない。『嶺斬泊』を事実上支配している者達は、『バベルの裏庭』の徹底的な駆除殲滅を決意する。

 そして、驚異的な諜報能力と圧倒的な武力を一斉投入して一気に殲滅にかかったわけである。

 それが七月の半ばから八月の半ばにかけての一か月のこと。

 おかげで組織の八割近くを壊滅に追い込むことに成功した。だが、まだ二割も残っている。

 内容的には、組織には籍をおいてはいるものの半ばフリーで活動している者達や、何かの指令を受けて各地に散っている者達。そして、いずこかに潜伏した状態で尻尾を出さずに賢く嵐が過ぎるのを待ち続けている者達。

 一番厄介なのは三つめである。

 中でも『嶺斬泊』のトップ達が危惧しているのは、権力の中枢である中央庁に潜り込んで姿を現さない白アリ達の存在だ。この際、徹底的にあぶり出して駆除しておきたい。

 そこで選ばれたのが経済産業省管理官イーアル・カミオである。

 彼については早い段階で既に足がついていた。だが、すぐに手を出さなかったのは、あまりにも彼が監視しやすかったからである。十人いる『バベルの裏庭』の幹部達の中で、一番動向を見張りやすいのが彼だったのだ。

 なのでわざと追及を甘くし、今まで泳がせていた。

 しかし、組織の解体も大方終わり作戦も終盤を迎えた今、彼にも動いてもらうこととなったのだ。

 こちらの思うように動いてもらいたいため、わざと捜査員の姿を彼の周囲に見せつけ危機感を抱かせる。彼は必ず逃亡しようとするだろう。そして、そのとき多くの手下達を連れていくに違いない。

 彼はフリーの犯罪者ではない。組織のトップだった男だ。体一つで逃げ出すというのはまず考えられない。

 完全に退路がなく、時間もないとわかった状態まで追い詰められればそうするかもしればいが、捜査の手はわざと緩めてそこまで追いつめてはいない。

 監視の目だけ強化し、彼の動向をじっと窺った。

 そして、彼は『嶺斬泊』のトップ達が思い描いたシナリオ通りにことを進め始めた。

 『嶺斬泊』の捜査員達が行方を掴めずにいた組織の構成員達を次々と手元に呼び寄せて一つにまとめてくれたのである。それは残った二割全てではなかったが、確実に一割五分以上はいる。

 そして、それらを中央庁の正規兵として偽登録。もう、後はどうするつもりなのか考えるまでもない。

 彼が最後の演技をする前に、彼の上司に先回りして指示を出し台本通りに演技するように連絡する。

 結果は言うまでもない。予測通りにアルカディアへの交易再開先行部隊の同行を懇願しに来た。

 多少、予測と違っていたのは、『アルカディア』についた後の、向こうの官僚達との交渉役も任せてほしいとのことであったが、彼の上司に影から指示してそれも飲むように伝える。

 こうして、まんまとカミオ達『バベルの裏庭』の残党は、一固まりとなって『嶺斬泊』から追い出されることとなったのであった。


「まぁ、だいたい筋書き通りですな」


 と、皮肉気な笑みを浮かべながら両肩をすくめて見せる連夜に対し、周囲にいる者達の反応はあまりよくない。と、いうか物凄く悪い。

 中でも特に機嫌を悪そうにしているのは玉藻の妹である晴美である。


「ちょっと待ってください、連夜さん。確かに『嶺斬泊』からそういう悪党がいなくなったのは喜ばしいことかもしれませんけど、それをそのまま『アルカディア』に押しつけることになるのはちょっとどうかと」


「ん~。まあ、そうなんだけど、少し確認しなくてはいけないことがあってね。どうしても彼には『アルカディア』まで到達してほしかったんだ」


「確認しなくてはいけないこと?」


 連夜が口に出した単語の意味がわからず、きょとんとした顔で小首を傾げる晴美。そんな晴美の姿を、先程までと全く違う笑顔で見つめる連夜。この作戦の説明している最中常にその顔に浮かんでいた悪魔そのものといった邪悪な笑顔ではない。慈愛に満ちたとても優しい笑顔であった。

 両者の間に流れる何とも言えない優しい空気。しかし、その空気はすぐに第三者によって破られる。


「いたたたたっ! 痛いっ! 痛いです、玉藻さん、なんで脇腹をつねるんですか! しかもそんなに豪快に!」


「別にっ! 特に理由はないけどっ! ただ、無性に腹が立つだけだしっ! なによ、この甘い空気、散れっ散れっ!」


 自分の脇腹をかなり強めにつねってくれたのは彼の最愛の『人』。自分の体を後ろから抱きついてロック。説明している最中も決して離れなかった彼女を恨めしげな表情で振り返ると、何故か涙目になった彼女は、必死になって自分達の周りの空気を追い散らかしている。


「あ、あの、玉藻さん? ちょ、ちょっと落ち着いていただけませんか?」


「何よぉっ。私はこれ以上ないくらい落ち着いているわよぉっ。妹に嫉妬して半狂乱になってなんかいないわよぉっ」


「あ、あのぉ」


「姐さん、嫉妬してるって言っちゃってるし」


「まぁ、そこが玉藻姐さんのいいところでもあるけど」


「お姉ちゃん。ほんと、連夜さんのことになると大人気ない」


「うっさい、うっさい! 外野は黙ってなさいっ!」


 生温かい目で見守り続けるクリス達や、呆れ果てたといわんばかりの視線を向ける晴美達を、『ウキーーッ!』と猿のように威嚇する霊狐族の美女。

 折角、『人』類有数の素晴らしい肢体に美しい顔という美女っぷりなのに、残念感が半端なかった。

 と、いうか。


「キッパリ残念美女です。ありがとうございました」


「おいこら、そこの雷獣。また、私に蹴られたいのか。ケンカ売ってるなら買うわよ。あそこに浮かんでる満月までブッ飛ばしてやるわよ」


 クリスの横で晴美以上に冷たい視線を送り続けている雷獣の麗人に対し、玉藻は歯を剥き出しにして威嚇。睨みあう両者。

 一触即発の危機に、まぁまぁと連夜とクリスが割って入り、とりあえず事態を収拾する。


「玉藻さん、どうどう。落ち着いてくださいよ、ね」


「連夜くぅん。あのくそ雷獣がくそ生意気なこといってくそ挑発してくるよぉ」


「って、お姉ちゃん。どうでもいいけど連夜さんにくっつきすぎ! あと『くそ』って言葉連発しすぎ」


「F、はいはい。とりあえず落ち着け、な」


「くりすぅ。あの残念狐が誰かれ構わず噛みついてくるよぉ」


「って、F、貴様! どさくさ紛れにクリスに抱きつくな! あとクリスの体を撫ぜ回すんじゃない気色悪い」


 新たな乱入者が増えてまたもや大騒ぎになるところ。しかし、これ以上話が進まないのはたまらないと、他の面々が割って入りなんとか事態を収拾。


「ごほん。話をもどします。えっと、どこまで話したかな。そうそう、なんで『アルカディア』まで来させたかってことだったね。つまりこういうことです。『バベルの裏庭』は本当に北方にだけ勢力を持つ犯罪組織だったのか? ってことなんですよ」


「つまり、南方にもその構成員がいるかもしれない」


「そそ。もしいるなら、絶対に接触を謀るでしょ。御母さんからの指令でね。この際だから、徹底的に潰しておきたいんだそうです。その為に、わざとこちらまでカミオを逃がしたんですよ。もし、こちらにも組織の手が伸びているならなんとかしないと」


「え、でももうほとんど壊滅状態なんですよね? このまま放置しておいても勝手に自壊してしまうんじゃないんですか?」


「う~ん。『バベルの裏庭』ってね。思った以上に大きな組織だったんですよ。本部そのものは『嶺斬泊』にあったんですけど、北方諸都市全部に支部がありましてね。いや、もう、御父さんも御母さんもこの一カ月大変だったみたいです。北方のあっちこっちに出張出張で」


「そういえば、御二人ともほとんど家に帰っていらっしゃいませんでしたものね」


「そうなんですよ。おかげで玉藻さんを紹介する時間を調整するのがどれほど大変だったか」


「そ、そんな話は聞きたくな・・・いや、別にいいです。ともかく早く本題にもどってください!」


 またもや横道に話がそれそうになるが、何故か突然怒りだす晴美に連夜は困惑の表情。慌てて謝りながら話を元へと修正する。そんな連夜の姿を見た晴美は一瞬、『しまった、変なことで怒っちゃった』という顔をするが、すぐにそれを打ち消して今度はわざと怒った表情を作って拗ねてみせる。


「あ、いや、すいません、横道にそれましたね」


「ほんとに連夜さんはすぐに御姉ちゃんの話ばっかりするんですから」


「申し訳ない。なんか途中から玉藻さんの話をするのが癖になってますね」


「するならもっと別の話をしてください。私の話とか、私の話とか、あと、私の話とか、ついでに今回の事件の詳細とか」


「あ、あの晴美ちゃん? なんか話の優先順位が変わってませんか?」


「うっ! と、とにかく、早く続きを話してください!」


「はいはい。じゃあ、続きですね。先程も御話した通り、『バベルの裏庭』という組織は北方全域にわたるほどその組織は巨大だったわけです。まぁ、以前から内偵を進めていたんですけど、これがなかなか全容が掴めなくて。御母さん達は苦労していたわけですよ。ところが、運よくというかなるべくしてなったというか、『バベルの裏庭』の幹部の一人がこれ以上ない物的証拠と共に検挙されたわけです。しかも、ご丁寧に組織の全容がわかるような情報まで御土産にして。おかげで一気に事を進めることができました」


「その幹部ってやつが、俺達の高校のあのハゲ教頭だな」


「そうです。クリスの言うとおり。それでこの際一気に片をつけてしまおうと『嶺斬泊』の中央庁は一斉攻勢に出ました。うちの御父さんや御母さんも各都市に直接出向いて連携を図り、北方全域を覆い隠していた闇のほとんどを始末することができたと思います。・・・と、そう思っていたわけです」


「でも、違うんじゃないか? 実は他にもまだ組織の『根』がどこかに残っているんじゃないか? ドナおば様はそう思ったわけね」


「そうなんだ、アルテミス。御母さんは、あまりにも呆気なさすぎたことに疑問を感じちゃったみたいなんだよね。そこで、兼ねてから泳がしておいたカミオ氏に踊ってもらおうと考え付いたというわけ」


 苦笑交じりにそう肩をすくめて見せる連夜であったが、皆の表情は曇ったまま。全事情を知っている玉藻のみが連夜に抱きついてにこにこというか、ニヤニヤしているのみ。その姿を見てイラっとした晴美は、思わず眉をしかめるがそれについては口に出さず、代わりに責めるように更なる質問を連夜にぶつける。


「確認したかったことはわかりましたけど、でも、やっぱり納得できません。『バベルの裏庭』って、私達を洗脳奴隷として扱っていた滅茶苦茶危険な犯罪組織ですよね。その危険な犯罪者の一団を別の都市に何の連絡もなく誘導してしまうっていうのは、どうかと思うんですけど」


 途中から『質問』というよりも『詰問』という言葉のほうがふさわしい口調になっていった晴美であるが、その言葉を聞いていた誰もがそれをいさめる言葉を口にすることはなかった。皆、晴美と同じ疑問を胸に抱いていたからだ。

 『不信』とまではいかないが、『困惑』といった表情を一様に浮かべるクリスや晴美達。だが、そんな彼らに対し、連夜はあっけらかんととんでもない答えを返す。


「いや、連絡してますよ」


『・・・え?』


「いや、だから、事前に連絡してあるってことです。この作戦の詳細について伝えることになったのは到着時、つまり今朝のことですが、或る程度の予測についてはここに到着する以前に連絡済みです。そうですね、それがだいたい二週間くらい前でしょうか。こういう事態になるかもって伝えてあります」


「ちょ、ちょっと待て。それはいったい誰にだ?」


「わしじゃよ」


『・・・はっ?』


 クリスの問いかけに対し答えを返したのは連夜ではなかった。

 声が発せられたのは連夜達がいる場所のちょうど横合い。『アルカディア』の北方ゲートがある方向。その声は枯れた男性の声で、その場にいたものは一斉に声のしたほうへと視線を向けた。そこには濃緑色の軍服を着た西域竜人(ドラコニアン)族の男性。二本の角にトカゲともワニともとれる前に延びた長い顔。見えている手や顔の肌はびっしりとこげ茶色の鱗で覆われ、よく見ると小さなひびがいくつも走っているのが見て取れる。少々やせ気味ではあるが、背筋はぴんと延びていて背は高い。

 着用している軍服にはいくつもの勲章が着けられているのが見え、相当地位の高い人物であることが窺えるが一体何者かわからず、みな、立ち尽くすばかり。しかし、彼が何者なのか、この中でたった一人知る者がいた。


「御久し振りです、マイレッド・オイギンス師範。いや、『アルカディア』都市防衛省代表殿とお呼びすべきでしょうか。この度はご協力ありがとうございます」


 心底嬉しそうな表情を浮かべた連夜は、右腕を胸にあてる『アルカディア』正規兵の礼をしながら声をかける。すると、『オイギンス師範』と呼ばれた初老の男性はなんとも言えない優しげな表情で破顔。大きく両腕を広げて見せる


「がっはっは。連夜よ、そんなかしこまった言い方をせんでもいい。いつも通りの呼び方でかまわんわい。それよりもよく顔を見せておくれ」


「わかりました。では、いつも通りで。・・・ツノジイ、久しぶり!」


 そう言って連夜は両手を広げた老人の腕の中に飛び込んでいく。がっしりと抱き合った二人。老人は細い腕でバンバンと連夜の背中を荒ぽく叩き、逆に連夜は老人の背中をぽんぽん労わるように叩いて久しぶりの再会を喜びあう。


 マイレッド・オイギンス


 城砦都市『アルカディア』の都市防衛省代表。

 その肩書は、『アルカディア』における『軍事』と『警察』の両方の組織を統括する最高責任者を意味する。

 中央庁を収める者達の中でも間違いなくトップ5に入る最高権力者の一人。

 しかし、彼は元々中央庁に勤めていたわけではない。

 この地位に就く前は、ある商隊にくっついて世界中を旅して回るただの旅人であったのだ。ところが数年前、突然の転機が訪れる。

 現在『アルカディア』中央庁の頂点に君臨しているオノリーノ・テオ都市長が、直接彼のところにやってきて今の都市防衛省代表に就任してくれるように頼みこんだのである。

 異例のことであった。

 確かに、都市長はその他の役職に就く者を自由に選ぶ権利がある。

 都市長は都市内に籍を置く市民達の投票による選挙で選ばれるが、一旦それに選ばれれば自分の手足となる周囲の閣僚については自由に選ぶ権利が与えられるのだ。

 しかし、慣例から言って普通は中央庁に勤めている役人達の中から選ばれる。当たり前であるが、一番上に就任したからといって部下が素直についてくるとは限らない。むしろ、突然外から連れてこられた人物をトップとして受け入れられる組織のほうが異常である。

 ところが、その異常が受け入れられる土壌がアルカディアにはあったのである。

 オイギンスはその名を世間一般には知られていないが、ある強力な武戦術の開祖であり、今までたくさんの弟子を育ててきたという実績がある。

 その実績がここに来て実を結んだのだ。実は、オノリーノ・テオ都市長に彼を推薦したのは、誰もが都市防衛省代表になると予想していた人物であった。その人物は中央庁に勤めて二十年近くを過ごし、正規軍を現場で指揮する司令官の職も、都市内の秩序と平和を守る警察の纏め役である総監の職も就任したことがあるという叩き上げの中央庁役人である。勿論、実績も申し分なく、内部での人望も厚い。性格も頑固一徹で融通が利かないところはあるが、『アルカディア』に存在する表社会の光も裏社会の闇も知った上で惑わされない強い意志を持ち、また受け入れるだけの度量も持っている。

 そんな人物であるから、当然オノリーノ・テオ都市長は最初彼を都市防衛省代表にと声をかけたのである。

 だが、彼はそれを固辞。自分よりも相応しい人物がいると言って紹介したのがオイギンスであった。

 最初、オノリーノ・テオ都市長は、自分が聞いたこともない名前を出されて困惑したという。しかし、結局、彼女は彼の提言を受け入れることにした。そして、実際にオイギンスに会った彼女は彼の提言が正しかったことを直感的に悟る。

 オーラが違う。

 彼自身の周囲に流れる空気の流れが明らかに他の者とは違っていたのだ。それはオイギンスを紹介してくれた都市防衛省代表候補の彼とよく似通っていたが、それよりもはるかに濃密で大きかったのだ。

 一目惚れであった。と、いっても残念ながら男女の仲としてではない。『人』として、オノリーノ・テオ都市長はオイギンスという人物に惚れ込んでしまったのだ。そして、彼女は必死に頼み込んだ。是非、『アルカディア』の都市防衛省代表になってほしいと。

 勿論、すんなりとオイギンスは『アルカディア』の都市防衛省代表に就任したわけではない。いろいろとすったもんだがあったわけだが、結局彼は『アルカディア』の都市防衛省代表に就任することとなった。オイギンスがどうしても断れない人物から、『受理』するようにとの懇願があったからだ。

 つまりしぶしぶ就任したのである。

 普通なら逆だ。異例の大出世に誰もが舞いあがるであろう。しかし、オイギンスは全く嬉しくなかった。

 そして、その渋面は就任当日に最もひどいものとなる。

 新しい都市防衛省代表を迎えるべく勢ぞろいした『アルカディア』の軍事、及び警察の幹部達の姿を見てオイギンスは自分がまんまと嵌められたことに気がついたからだ。


「おまえら、揃いも揃って師匠を嵌めよって。どういうつもりじゃ」


『御久し振りです、オイギンス師範! これからよろしくお願いいたします』


「よろしくじゃないわい! 楽隠居しようと思っていた矢先にこんなめんどくさいこと押しつけよって。おぼえてろよ!」


 就任当日、中央庁官舎にオイギンスの老人らしからぬ怒声が轟いたという。

 そう、勢ぞろいした幹部達のほとんどが彼の直弟子、あるいはそうでないものは孫弟子で全て彼の関係者だったわけである。自分の教え子達が皆、立派に出世したことについては素直に嬉しいオイギンスであったが、別に自分が出世したいわけではなかった。

 正直今からでも辞退したい。そう思ったオイギンスであったが、この職に就くようにと『懇願』してきた人物の顔がどうしても脳裏から振り払えず、ため息を盛大に吐き出しながら都市防衛省代表という大役を受理したのである。


 しかし、だからと言ってオイギンスは仕事の手を抜いたりはしなかった。


 部下となった直弟子、孫弟子達を手足のように使い、『アルカディア』の秩序と平和を見事に守り続けたのである。たった、数年で『アルカディア』周辺の危険地帯は一気に激減。また、都市内の犯罪発生率も大幅に下がった。それに比例して中央庁の中だけでなく、市民からの信頼もどんどんと上昇。

 『アルカディア』の『守護者』とすら呼ばれるほどとなっていた。


 さて、そんな『アルカディア』の上位者と、連夜の関係であるが、答えは実にシンプルである。


 連夜もまた、オイギンスの弟子の一人なのだ。

 しかも、彼が教えを与える最後と決めた愛弟子である。


 オイギンスが開祖となった武戦術、その名を『虚実陣(きょじつじん)』という。

 それは『異界の力』や特殊能力を一切使わぬ武術であり戦術。

 武器、道具、罠、詐術、そして、自然の力。

 あらゆるものを使って敵を翻弄し、時に倒し時に退ける。そしてまた時に逃げ時に生き残る為の武術であり戦術。

 それが『虚実陣(きょじつじん)

 そう、全種族のなかで最も身体能力に劣る連夜に、自分の身を守る為の『牙』を与えた人物。その人物こそオイギンスなのだった。


「がっはっは。ほんに久しぶりよな、タコ助。元気じゃったか」


「元気元気。でも、ツノジイも元気そうだけど、あれ? ちょっと痩せたんじゃない?」


「ああ、そうかもしれんなぁ。わしももう歳じゃからのう。っていうか、弟子どものわしに対する扱いがひどい。師匠であるはずの、わしをこき使うのよ。見ての通り、わしってばそろそろ引退間近のジジイじゃよ? 旅を続けることをやめたのも最後の直弟子であるおまえの傍でのんびり暮らそうと思っていたからで、こんな仕事する為じゃなかったのに。おまえの兄弟子達の所業、あんまりじゃとおもわんか?」


「やめてよ、そういうこと言うの。全種族の中でも特に平均寿命が長い『(ドラゴン)』系『人』種でしょ。僕らの十年とツノジイの十年は全然違うじゃない」


「そんなことはないさ。わしらとて歳をとる。それにのう、御屋形様と一緒に世界中を旅して回っておったあの頃とはもう違うわい」


「なんだよそれ。まいったなここまでツノジイが弱ってるとは思わなかったよ。ひょっとして今回の作戦に巻き込んで悪かったかな?」


「がっはっは。馬鹿を言うな。いくらなんでもそこまで弱ってはおらんよ。久しぶりに楽しそうな遊びに誘ってもらって心躍っておるところよ。むしろ仲間外れにされておったら、おまえと御屋形様を恨んでいただろうよ」


「そっか。よかった。ともかく伝令はちゃんと伝わっていたわけだ。一先ずは安心といったところだね」


 自分の予想以上に老けこんでしまっていた知己の姿に連夜は大きなショックを受ける。だが、その枯れた体に纏う気配が昔と変わらぬ強さを持っていることを感じ、ほっとしたように息を吐き出す。そんな連夜の心情に気がついた西域竜人(ドラコニアン)族の老師範は、抱擁をといて自分の孫を見るような目で連夜を見る。そして、連夜もまた自分の祖父を見るような親愛の視線を彼へと向けていたが、すぐに表情を引き締めて口を開く。

 もっと昔を懐かしんでいたいが、今はそのときではない。

 それを後回しにして、今は何よりも先に聞かなくてはいけないことがある。

 彼は聞かなくてはならないことを聞くために口を開こうとした。

 まさにそのとき。

 二人の横合いから別の声が投げかけられる。


「あ、う、ううん、ごほん。ちょっといいかな、連夜。感動の再会に水を差して悪いとは思うけれど、その再会を演出するのに一番苦労した伝令役にお礼の一つくらいあっても罰はあたらないんじゃないかしら?」


「・・・えっ?」


 声のしたほうへと連夜が視線を向け直すと、そこには黒髪黒眼の美しい少女の姿。それは連夜がよく知る少女。


「おお、姫子ちゃん、伝令役御苦労様」


「どういたしまして。って、ちょっと、あまりにもオイギンス様に対する対応と違ってあっさりしすぎていない!?」


「え~、そんなこと言われてもねぇ」


 物凄いあっさり感で二週間ぶりの再会を終わらせようとする連夜に対し、姫子は涙目で抗議の声をあげる。

 そう、連夜が事前に『アルカディア』へ伝令として送っていたのは他ならぬ姫子だったのである。

 勿論、これにはいろいろと理由がある。

 本来姫子は、『外区』での活動に向いていない。以前の無害なモモンガ姿の姫子ならともかく、今の姫子は『異界の力』を尋常ではないほど蓄えた元の体に元の姿。はっきり言って、『異界能力遮断マント』を身に着けても、下手をすれば『害獣』に気がつかれるほど『異界の力』を体中から放っている。とてもではないが『馬車』のトレーラーに搭載されている『大型異界能力遮断装置』クラスのものの中にでもいなくては、『外区』の安全地帯である交易路上を歩くことすらできないであろう。

 なので、当初連夜は別の人材にこの任務を託そうと思っていたのである。と、いうか、既に託していたといってもいい。

 ところが、それに待ったをかける者がいた。他ならぬ姫子自身である。彼女は作戦会議の最中突然挙手し、自分に任せてほしいと連夜に直訴してきたのだった。当然、連夜はそれに渋い顔をしていたのであるが、姫子は自分の強い決意をその場で示して見せた。

 あっという間のことであった。流石の連夜もあまりの早業に咄嗟に止めることができなかった。

 彼女は己の角を二本とも根元から捻じり折ったのだ。元々、体を取り返す際に切り取っていた為、短くはなっていた角。しかし、体を取り戻してから驚異的なスピードで回復し、或る程度元の形に戻りかけていた角を再び折って取ってしまったのである。

 しかも、前回のように根元の部分を或る程度残して切り取ったわけではない。力任せに根元から完全にぽっきりと折ってしまったのだ。

 下手をすれば大事な頭蓋骨に影響があるような豪快な折りっぷりであった。本人は涙目になりながらも『大丈夫』と気丈に言ってのけたが、周囲から見たら全然大丈夫そうに見えない。その場に居合わせた連夜の父、仁や、彼女の三つ子の姉ミッキーなど療術に長けた者達が急いで彼女に駆け寄って容体を確認。奇跡というべきか、あるいはそれだけ姫子の武術の腕が卓越していたというべきか。彼女の頭蓋骨に損傷はみられず、角だけが綺麗に頭から抜き取られた形となっていた。あまりといえばあまりの出来事に仁や連夜達は何とも言えない複雑な心境。

 だが、しかし、事実として姫子は自らの角を折って見せた。そう、龍族にとって『異界の力』の発生源である角を根元から折ることで『異界の力』そのものを自ら捨て去ったのだ。

 確かにこれなら『外区』を歩くことができる。『害獣』にも気付かれないだろう。しかし、あまりにも乱暴なやり方だったため、連夜は激怒。自分の命をなんだと思っている、そんな奴に大事な任務を任せられるかと、いつにない激昂ぶり。

 だが、それは愛情の裏返し。なんのかんのいいながらも姫子のことを『女』としてはともかく、『友』としては大事に思っているが故の怒りだった。

 勿論、それを姫子もわかっている。他ならぬ自分の身を案じて怒ってくれていることに、内心は嬉しくて爆発しそうな姫子であったが、それを表に出すことはできない。流石の姫子も今の自分の内心を外に出してしまったら、本当に絶交されかねないことをわかっていたからだ。


「あのときは本当に驚いたし怒ったよ。まさか自分から角を、しかも根元から折っちゃうなんて」


「ごめんなさい。本当にあのときはご迷惑とご心配をおかけしました。って、それについてはあのときちゃんと謝ったじゃない。もう許してよ」


「まったくもう。ほんとに姫子ちゃんの無鉄砲ぶりは変わらないんだから」


「反省してますぅ。もう、ほんとに許してよ。なんならこの場であのときと同じように土下座して謝るから」


「わかったわかった。もう土下座しなくてもいいって」


 そう姫子は素直に平謝りに謝った。しかも土下座してだ。そして、自分の所業が如何に軽率であったかを訥々と語り、神妙な様子で謝り続けたのだ。必殺、女の涙目も使って必死に許しをこう。

 そこまでされたらいくら連夜であっても許さないわけにはいかない。渋々ながらも角を折った件についてはとりあえず黙る。しかし、本当はもっと言ってやりたいところなのである。なんせ角を折って『異界の力』を捨てたということは、彼女自身、王族としての資格を失ったということ。

 龍族は『異界の力』を持たぬ者を、『屑龍』と呼んで平然と差別する。勿論、全ての人がではないが、龍族の王族や貴族達にそういった考え方の者が少なからず存在しているのは間違いない事実なのだ。その差別に耐えかねて、『嶺斬泊』に居住していた『屑龍』と呼ばれる者達は都市から出奔してし、現在、龍族の居住地域にそういった『異界の力』を持たない者はほぼ存在していない。

 このままの状態では絶対に家には帰れないということだ。それも含めての覚悟でやったのかと、一晩中かけて説教してやりたいところである。


「このまましばらくOHANASI(おせっきょう)しようか、姫子ちゃん」


「すいません、それだけは勘弁してくださいませ。できれば楽しいおしゃべりのほうがいいですわ」


 再び涙目で懇願する姫子の姿に、連夜の吊り上がった目も瞬く間に下がってしまう。

 連夜最大の弱点である『身内には極甘』という性格がここでも如何なく発揮されてしまっていた。悪意や害意には敏感に察知し、身内であっても容赦はしない連夜であるが、そうでない場合には極端に甘くなってしまうのである。

 良くも悪くもその最もたる例が実姉ミネルヴァに対するものであろう。あれだけひどいことをされていながら、結局許してしまったばかりか、責任をとらせて死刑を言い渡そうとする両親(主に母親)に対し、命乞いまでしてしまう始末である。

 周囲の者達からすれば、どこまで甘いんだと頭を抱えたくなる弱点であるが、それがつまり連夜の長所でもあるわけで、いつも彼らを複雑な心境にさせる。恐らく自分達が同じような失敗をしても連夜は笑って許してくれるだろう。場合によっては命をかけて庇ってくれようとすらするだろう。

 わかっているから彼らは連夜に対し絶大な信頼を寄せることができるのである。だが、逆に言えばそのことが彼の命をいつも危うくするので、気が気ではない。幸い、彼の心に元からついている『良心回路』に対し、それを抑制するいい意味での外付け『悪心回路』が今の彼にはついている。以前に比べれば、かなり安心感が増したのは間違いない。


「その外付け『悪心回路』が問題なんじゃないですか。全然安心じゃないわ。むしろ不安ですわ。ああ、私の純真無垢な連夜が、あのエロ狐によってどんどん汚されていく」


「姫子ちゃん? 何をブツブツ言ってるの?」


「い、いえ、なんでもないですわ。そ、それよりも私、きちんと使命を果たしましたのですわよ!」


「あ、う、うん。ツノジイがここに来ているってことで、それはわかるよ。ありがとう、姫子ちゃん」


 得意そうに豊満な胸を張る姫子に対し、連夜は素直に感謝の言葉を口にした。

 それもそのはず。はっきり言って今回の伝令役は、優しくも簡単でもない任務だったからだ。

 一応、ルートとしては、一番危険の少ない交易用街道を通って『アルカディア』へと向かうわけだが、二週間前の状態ではどんな危険生物が棲息しているかまだ調査中の段階。今でこそ、クリス達の活躍で、どんな危険生物が、交易路周辺のどのあたりにいるかまで正確に把握できているが、姫子が出発した時にはその調査すら始まっていない状態であった。

 そんな危険な場所に病み上がりともいうべき姫子を向かわせることに対しかなりの葛藤が連夜にはあった。あったがしかし、結局、連夜はこの大役を姫子に任せることにしたのだ。

 と、いうのも姫子が、この大役を務めるにあたって一番重要な要素を備えていたから。つまり彼女が、『アルカディア』を守る衛兵に気がつかれることなく中に潜入することが可能な人材であったということである。

 『アルカディア』の中に入るためには当たり前だがゲートを通らなくてはならず、その際、どうしても門番の前で身分証明書を提示しなくてはならない。

 当然、姫子には『嶺斬泊』の身分証明書があるから通るのは簡単だ。しかし、その『嶺斬泊』からやってきたという事実を知られるのが不味いのである。恐らくその時点で大騒ぎになるであろう。なんせ、『アルカディア』のほうは交易路の封鎖が解ける状態にあるなど、知っているはずがないからだ。

 騒ぎになるのはどうしてもまずい。

 できればこの時点で、外部に知られたくはないのだ。

 例外として、今後の作戦で協力してもらうこととなる『アルカディア』の首脳陣には、交易路の封鎖が解除されていることは知っておいてほしい。

 だが、それ以外の者達に不用意にこれらの情報が漏れることはどうしてもさけたかった。

 そこで、第三者の協力を仰ぐこととなる。


「それが『葛柳会(くずりゅうかい)』だったわけですわね」


「うん。本当はKかミッキーあたりが行くのがベストだったんだけどね。二人は『隠れ里』の『里長』と『相談役』だから、協力も仰ぎやすかったんだけど」


「そういえば、どうしてお兄様やミッキーが選ばれなかったか理由をお聞きしていませんでしたわ」


「Kは交易再開時にVIP達の護衛についてもらうってことが既に決定していたからね。実力的には申し分なかったんだけど諦めた」


「まあ、お兄様は仕方ないですわね。なんだかんだで、表の世界にも名前が売れだして来ていますし。ではミッキーはどうして?」


「で、次に考えたのがミッキーだったんだけど、彼女の場合単独での行動には向いていないんだよね。どうしても彼女自身を護衛する『人』が必要になってくる。そうなると人数が増えちゃうことになる。隠れ里から『アルカディア』まではスムーズに行けるだろうけど、人数が増えるとどうしても『人』の目が心配になってくるんだよね」


「ああ、いくら隠形の術でかくれていても見破る人が出てくるかもってことですわね」


「そそ。で、結局姫子ちゃんに頼ることになったってわけさ。本当はミナホちゃんやはるかちゃん達、姫子ちゃんの護衛衆に御願したかったんだけど」


「確かにあの子達は頼りになりますが、ここ一番はやっぱり私しかいないでしょう! あの子達も私が適任だって言っていましたわ」


「そんなこと一言も言ってないよ。むしろ滅茶苦茶反対していたじゃない。『そんな危ない任務に大事な姫様を絶対に行かせることはできない』って頑張るあの子達の説得を完全無視して振り切ったのはどこの誰だよ」


「えっと、どこの誰でしょう? 無鉄砲な人もいたものですわね。おほほほほ」


「いや、無鉄砲なのは姫子ちゃんだからね。今気がついたけど、まさか『葛柳会(くずりゅうかい)』の隠れ里でもあんな無茶な頼み方してないよね? よく考えたらあそこにいる幹部達って、みんな姫子ちゃんのことを完全に『御姫様』扱いしていたよね。それはまぁ幹部の人達は一人残らず護衛衆の親達なんだから当然といえば当然の反応なんだけど。あれ? そうすると、はるかちゃん達と同じような反応だったんじゃないの? 止められなかったの?」


「連夜」


「何?」


「お、終わりよければ全てよしですわ」


「姫子ちゃん。君にこんな任務を頼んだ僕が一番悪いんだけどさぁ。ちょっとは周囲の人達の気持ちってものをだねぇ・・・」


「あ~~、ああ~、あ~あ、聞こえませんわぁ。な~んにも聞こえませんわぁ」


 呆れたといわんばかりの表情を浮かべ冷たい視線を送ってくる連夜からすっと視線を外した上に耳まで両手で塞いだ姫子は、必死に自分の所業を誤魔化そうとする。そんな姫子の態度を見た連夜は、『葛柳会(くずりゅうかい)』の面々はきっと毎日のようにこのお姫様に振り回されて苦労しているんだろうなぁと、思わず目頭を熱くするのだった。


 『葛柳会(くずりゅうかい)


 それは同族から『屑龍』と呼ばれて蔑まれ、彼らに反抗して『嶺斬泊』から出奔した者達が作った組織。

 『嶺斬泊』を出奔した後、彼らは『外区』に秘密の居住区を作って生活するようになった。本来『外区』は全『人』類の天敵である『害獣』達が闊歩する危険な土地である。しかし、『異界の力』を全く使えない彼らは、『害獣』から襲われる心配がない。

 危ないのは原生生物だけ。幸か不幸か、彼らの中には、王族や貴族の盾代わりにと前線の一番危険なところで戦わされていた猛者達が数多く存在していた。その為、余程の強敵でもない限り、彼らだけでそれらに対処して生活していくことが可能だったのである。

 こうして、『葛柳会(くずりゅうかい)』の者達の大半は、誰に知られることもなく『外区』のある場所で今現在平和に暮らしている。

 だが、一部の者達は、別の場所で生活を送っていた。

 当たり前だが、文明から完全に隔絶した場所で生活し続けられるほど、彼らは原始人ではない。

 一応、できるだけ里の中にあるもので或る程度自給自足できるように努力はしている。しかし、それにも限界はある。日々生活を送る上で、どうしても文明の力である技術や物品に頼らなくてはならない場合だってあるのだ。そこでそれらを補充する為に一部の者達は、里から少しばかり離れたところに存在する、ある城砦都市に生活拠点を構えている。

 彼らは里では手に入れることができない様々なモノを補充し、隠れ里へと運ぶ使命を担っている者達。

 ある都市とは勿論『嶺斬泊』ではない。

 それがつまり『アルカディア』である。

 『アルカディア』には彼らを差別する同族が存在していない。『アルカディア』は基本的に『竜』の一族のテリトリーであるからだ。だから、普通は『竜』の一族と『龍』の一族が同じ都市に一緒に住むということはない。


 ・・・ないのではあるが、しかし。


 どこにでも例外というものは存在する。


 この城砦都市『アルカディア』に住むある『(ドラゴン)』系種族の大物が、『葛柳会(くずりゅうかい)』の後ろ盾になり、この都市で生活することを許可したのである。

 その居住を許可した『(ドラゴン)』系種族の大物こそ、オイギンス都市防衛省代表その人。


 ともかく、姫子は紆余曲折の果てに無事『アルカディア』に辿り着き、密かに内部に潜入することに成功。

 『アルカディア』在住の『葛柳会(くずりゅうかい)』メンバーの助力の甲斐もあって、大事な密書をオイギンスに渡すことができたのである。

 誰よりも大事で大切な『人』である連夜の力になることができて、姫子は感無量であった。

 本当はこの場で泣きだしたいくらい、様々な思いが今姫子の心の中に渦巻いている。先程、任務達成するまでの出来事を『紆余曲折』の一言で纏めてしまったが、本当にいろいろなアクシデントが道中あったのである。

 決して平坦な道のりではなかった。しかし、それもこれも大恩人たる連夜の為。

 その苦労についてこの場で語るつもりは姫子には毛頭ない。

 ないが、しかし。

 ちょっとくらい彼に甘えるくらい許されるのではないだろうか。

 ほんのちょっとくらいご褒美をもらっても罰はあたらないはず。

 そう思った姫子はある決意を固めると、こちらを見つめている連夜に視線を向け直し口を開いた。


「あのね、連夜」


「ん? 何、姫子ちゃん。他に報告がまだあるの?」


「そうじゃなくて。ほら、私にもあるでしょ。その、感動の再会というか、二週間も会えなかったわけだからその」


 そう言って先程の老師範同様に両腕を大きく広げて見せる姫子。うっすらと顔を赤らめながらも上目づかいに潤んだ瞳を連夜へと向けてくる。


 しかし、連夜はじ~っと、彼女を見つめるばかりで動こうとはしない。


 それでも構わず両腕を広げたままひたすら待ち続ける姫子。


 姫子のところへ動こうとしない連夜。


 やっぱり構わず両腕を広げたままひたすら待ち続ける姫子。


 姫子の腕の中に飛び込まない連夜。


 諦めず不屈の闘志で両腕を広げたままひたすら待ち続ける姫子。


 姫子が諦めるのをひたすら待ち続ける連夜。


 『だが、断る』と顔面に強い決意をみなぎらせながら・・・


「って、いい加減に諦めなさいよ、この馬鹿娘!」


「ぎゃんっ!」


 両腕を広げたままの姿勢でじっと待ち続けている姫子を、強烈なドロップキックで吹き飛ばすのは、勿論、連夜の婚約者玉藻。三本の尻尾を大きく膨らませて盛大に威嚇しながら、連夜と彼女の間に割って入る。


「私が見ている前でよくもまあ、堂々とそういうことできるわね。この泥棒爬虫類!」


「だ、誰が、泥棒よ! 泥棒はあなたでしょう、エロ狐! 純情な連夜を弄び誑かしたにっくき怨敵!」


「はいはい。怨敵で結構です。誰がどう言おうと連夜くんは私のものなんです。ってか、二週間程度会えなかったくらいで感動の抱擁って、どういう神経してるのあなた? 自分で言ってて恥ずかしくないの!」


「恥ずかしくない! 全然恥ずかしくない! だいたい、あなただったら連夜に会えずに二週間耐えられるの?」


「耐えられるわけないじゃない。馬鹿じゃないの」


「ぐっ。自慢できないことを堂々と。だ、だけど、自分で自分の無能を曝け出すとは大まぬけさんね。あなたができないといったことを、私は我慢して見事果たしてみせましたわよ。他でもない連夜の御願をですわ。どうです、エロ狐。あなたよりも私のほうがよっぽど連夜の役に立ってるとおもうのですけど」


「ぷぷぅ、ただの雑用係として使われているだけなのがわからないのかしら。この『人』、ちょ~、ウケルんですけどぉ」


「あ、あなたねぇっ!」


「さっきから気になっていたんだけど、口調がすっかり元の『瑞姫』ちゃんになってるわよ。いいの? 『姫子』ちゃんの口調にしなくても」


「どうせ、王宮の連中はここにはいませんわ。学校内と王宮内でだけ、あの口調でしゃべればいいんですから。だいたい、あの語尾に『じゃ』ってつけるの嫌なんですよ。じじくさいというか、わざとらしいというか」


「あら、あなたにぴったりだと思うけど」


「な、なんですってぇ!? 始終エロ言語を連夜に聞かせているあなたに比べればよっぽどマシですわ」


「あら、やるっていうの!? ケンカ売ってきちゃう? ケンカ売ってきちゃうのかしら?」


「売らいでかぁっ!」


「あらあら。相変わらず身の程を知らぬようね。いいわ、買ってあげる。『(わたし)』に蹴られて地獄に落ちなさい」


「あなたがおちなさいっ!」


 場所が変わってもいつも通りに私闘が始まってしまう二人。案外、実は仲がいいのではないだろうか。と、内心考えてしまう連夜。ともかく、一旦止めようかなとも思ったが、どうやら、玉藻はいつも通り手加減しているみたいだし、大丈夫かなと思い直してやらしておくことにする。

 それよりも今は、老師範に聞かなくてはならないことがあった。再び老師範へと視線をもどした連夜は、その老師範が、妙に生温かい視線でこちらを見ていることに気づく。ほとんどニヤニヤ笑いに近い笑みだ。

 連夜はそれについて何か言い訳をしようとしたが、それどころではないと思い直し、赤面しながらも先程口にしようとした問いかけを今度こそ声にして外へと出す。


「で、会議はどんな感じだった?」


 懸命に平静を装うとする可愛い弟子の姿にからかいの言葉が喉まで出かかっていた老師範であったが、やはり連夜同様、今はやるべきことがあると思い直す。そして、再び表情を引き締めて弟子が待ちわびているであろう答えを口にした。


「おまえの予想した通りじゃったよ。いや、御主が予想した一番最悪のシナリオ通りというべきか」


 苦笑を浮かべながら答えを返す老師範に対し、連夜もまた同じような苦笑を作ってため息を吐き出す。


「ああ、やっぱりね。あいつの性格からして素直に命令に従って、無料(ただ)で渡すわけないと思った。物資の代金要求してきたんだ」


「おう、しかも、これまでの十倍もの取引価格よ。しかも、強硬に奪い取るつもりなら物資を破壊するとまでいってきおった。ほんに面の皮の厚い奴よ。結局、御屋形様や奥方殿が考えていた楽な展開にはならなんだな」


「あれでしょ。交渉役を他の役人に押しつけて、話し合いをしているうちに仲間を連れてそのままトンズラって展開でしょ。確かに普通に考えたらそっちのほうが逃亡できる確率が高いと思うんだけど、僕はその案はないと思ったんだよねぇ。あいつの息子を知ってるから」


「ほう、あいつの息子とな。まぁ、奴の歳からして息子がおってもおかしくはないが。一応聞いておくが、どのような奴だ」


「欲深さも差別意識もプライドも今まで見たことないくらい馬鹿高い馬鹿。なまじ頭がいいせいか、自分が計画した策は絶対だって思ってるところが始末に負えないというか。僕だったら失敗した場合に備えていくつか別の策を用意しておかないと不安でしょうがないんだけど、あいつの場合、最終的に選んだ策は最上で失敗はないって突き進むんだよね。或る意味僕なんかよりよっぽど勇気があるよ」


「馬鹿を言うな。それは『勇気』とは言わん、ただの『傲慢』じゃよ。なるほど、息子がそうならそれを教育した父親もまたそうというわけか。確かに、『自分の策が失敗するはずがない』といわんばかりの涼しい顔をしておったよ。自分の策が見抜かれておるとも知らずにな」


 爬虫類の顔が凶悪な笑みを形作る。それを見て何とも言えない渋い顔になる連夜。


「ちょっとツノジイ。まさかとは思うけど、その顔や態度を交渉時に出していないよね」


「がっはっは。心配せんでも抜かりはないわい。わしの一世一代の演技にだまされたあのときの奴の顔を、お前にも見せてやりたかったわい。あのときばかりは無表情が崩れていてのう。騙し返されているとも知らずに、嬉しそうに口を歪めておった。馬鹿めが。隣に座るテオ殿達もな、あやつの道化ぶりが相当おかしかったのか、必死で顔を下に向けて耐えておられたわい。肩が多少震えておったが、まあ、バレてはおらんじゃろ」


 心底面白可笑しそうに高笑いを続ける老師範の姿にますます連夜の顔は渋くなっていき、最後には片手で額を押さえてがっくりと肩を落とす。


「ツノジイ。一応、その言葉信じるけどお願いだから、くれぐれもあいつの前でその態度はやめてよね。都市長にもちゃんと伝えておいてよ。折角ここまで追い詰めたのに気がつかれて逃げられたら元も子もないんだから」


「わかっとるわかっとる。しばらくの間はいい気持ちにさせておいてやるわい。できるだけ高く持ち上げてやってな。ふふふ、高く高くあげてやるわい。高くあげた後、どうなるかはしらんがな。くっくっく」


「うわぁ、久しぶりにツノジイの『いい笑顔』みたわ。ほんとツノジイって『悪党』だよね」


「がっはっは。おまえには言われたくないのう」


「あっはっは。それもそうか」


「「はっはっはっは」」


「って、『はっはっはっは』じゃないっつ~ねんっ!」


 高笑いを続けるオイギンスと連夜の師弟コンビに対し、怒りのツッコミが入る。

 まさに絶妙なタイミングでのツッコミに半ば感心しつつ声のしたほうへと視線を巡らした二人は、そこに小さな人影を見つける。

 そこにいたのは東方の民族衣装である着物を着た鉄鼠族の青年商人。


「あれ? 酒井の兄さん。会議室にいたんじゃなかったの?」


「『あれ?』じゃないねんっ! なんやねんこれは? 黙ってきいてりゃカミオの企み全部知ってたってどういうことやねん! この状況がどういうことなんか今すぐちゃっちゃと説明せんかいこの極悪人!」


 小さな顔面を赤一色に染め、怒り心頭といった風に連夜に詰め寄っていく酒井に対し、連夜は何とも言えない苦笑を浮かべながら頭をかくのだった。


「いやぁ、バレちゃいました?」


「バレちゃいましたちゃうわぁ、このドアホ!」


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