第五十四話 『企む悪党は一人に非ず』
南方最大の交易都市『アルカディア』。
南方に点在しているいくつもの都市と都市とを繋ぐ中継都市としての役割を担っているだけでなく、南方の都市群の中で唯一北方へと繋がる交易路を持つ都市でもある。
それだけにいつも活気に満ち溢れ、都市が創設されて以来今までその活気が失われたことは一度としてなかった。だが、一年前、ある事件を発端にその活気に陰りがさす。
全『人』類の天敵であり、現在この『世界』を統治している事実上の支配者『害獣』の王の出現である。
『人』類がどうやっても勝つことができない最悪の相手。この五百年前、彼らが『世界』に現れたときに、『国』という存在は世界のあらゆる場所から消えてなくなった。
限りある土地と土地を線引きし、各民族がそれぞれの所有領土を主張して時に協力し、時に争っていた時代は、唐突に終わりを告げたのだ。『人』が多く集まる場所を目指し、『害獣』達が攻めてきた。『人』類は必死に抗い、なんとか彼らの侵略を押しのけようとしたが、結局は無駄な努力に終わった。
ただ『人』類は滅亡することだけは免れることができた。世界中にある重箱の隅っこのような小さな場所に、『害獣』が侵攻してこない安住の地を見つけたからだ。
そこに『人』は身を寄せ合うようにして集まり都市を作った。そして、大きな外壁で周囲を覆い『外』の世界と隔絶した生活を送ることとなったのである。
しかし、いつまでもそこに閉じこもり続けることはできない。『人』の中に外へと飛び出して行く勇気ある者達が現れ始めた。多くに者が志半ばで命を落とし、あるいは命を拾っても二度と外へは出られない体となって都市に戻ってきた。だが、それでも外に出て行く勇敢な戦士達の姿が途切れることはなかった。
やがて開拓者達は、『害獣』が通らない比較的安全な道を見つけ出す。
それは細い細い道ではあったが、それでもその道は途切れることなくどこまでも、そしていくつもわかれて続いていた。まるで人の体を流れる血管のように。
『人』はその道の果てに、時に自分達が住む場所と同じ安住の地を見つけて新たな都市を作り、時に自分達とは別の城砦都市を見つけて交易を開く。そして、時に住む場所を失って途方に暮れている難民を救出して自都市に招き入れる。そうやって自分達の居住地域を徐々にではあるが広げて行った。
勿論、『アルカディア』もそうやってできた都市の一つである。
『害獣』から逃れることができた人々が、やっとの思いで隠れるようにして作った都市である。名前が示す通り『アルカディア』に住む人々のほとんどは交易を職として生計を立てている。
そう文字通りここは交易都市なのだ。『害獣』と戦う為の前線基地では決してない。確かに『害獣』や原生生物を狩ることを生業とする『傭兵』や『ハンター』がいないわけではない。万が一の場合に備えて、都市を守るための正規兵だって存在している。しかし、『害獣』が支配する地域に侵攻していく為の武力ではない。
そもそも、『害獣』に勝てる軍隊などこの世界のどこにも存在してはいないのだ。
いや、正確にいうならば、『害獣』達を統治している十匹の絶対超越者、『王』クラスの『害獣』に勝つことができるものは存在しないというべきか。
確かについ最近、『王』クラスの下に位置する『貴族』クラスの『害獣』が討伐されたという驚くべきニュースが伝えられた。『貴族』クラスでもまず勝つことはできないであろうといわれていただけに、本当に驚嘆すべき出来事ではあるが、それは本当にあくまでも特殊な一例なのだ。
事実、この五百年の間に討伐することができた『貴族』クラスの『害獣』は、そのたった一匹だけである。
世界中のどこの都市にもそういった記録は残っていない。ともかく、普通はありえないということだ。
そして、そんな絶対に勝つことができない相手が北方に続く交易路の途中に現れたという。一人か二人程の目撃者の、『見たような気がする』というような曖昧な情報ではない。名のある商人グループのいくつかが、すぐ傍にある大河『黄帝江』から顔を覗かせる巨大な鳥のような生物の姿を見たというのだ。
『アルカディア』中央庁は腕利きの間者を何人も派遣し、事実確認を急がせた。間者の全員が確認できたわけではない。だが、一番の腕利きがその姿を確認していた。
南洋に領土を構えている『王』クラスの『害獣』の一匹。『大虚獣』だったいう。
幸か不幸か、その相手は北を向いて何を探しているようであり、南に来たり河から出てきたりといった様子はなかったようであるが、由々しき事態であることは間違いない。
『アルカディア』の中央庁は、北の中継都市である『嶺斬泊』の中央庁と密かに会合を行い、断腸の思いで交易路の封鎖に踏み切った。
積極的に襲ってくるつもりなのであればとうにこの都市は灰塵と化しているであろう。しかし、集まった情報から南北の両都市首脳陣が出した結論は、『『王』は都市襲撃の為にやってきたわけではない』だった。
では、何が目的かと問われればわからないとしかいいようがない。なんせ、『人』類とは全く異なる思考の生物なのである。いや、生物と呼べるかどうかも怪しい。学者の中には『世界』が『異界の力』を駆除する為に作り出したゴーレムのような存在というものもいる。
なんせ、彼らは食事らしき行為はするが排泄することはなく、また、交尾によって種を増やしているわけでもないのだ。五百年前、『害獣』が出現した当時の研究者が残した記述によると、彼らは地面からモグラのように突然姿を現したという。まるで地面に植えられた植物の種が発芽するかのように、唐突に成体の姿で地表に出てきて活動を開始するのを何度も目撃していると、複数の研究者の記述が残っている。
ともかく、そういう異質な存在であるから、行動を予測することは不可能。
できることと言えば、定期的に偵察隊を送り、『王』が姿を消してくれるのをじっと待つことくらいである。
何が目的かはわからないが、そもそも『大虚獣』の住処はここよりはるか南の大海原の真っ只中。他の『王』達に比べれば、確かに一番近い位置ではあるものの、自分のテリトリーから長期で離れる『王』はいない。
それほど長い間居座り続けたりはしないだろう。封鎖を指示した首脳陣はこの事態をそういう風に楽観的に見ていた。長くても半年。それくらいの間であれば、北方との間で交易を停止させたとしても、それほど問題にはならない。一応、『害獣』や凶暴な原生生物が都市に攻め入ってきた時を想定して、ある程度の必要物資を貯蓄してもある。だがしかし、そんな中央庁の思惑と裏腹に、事態は一向に好転する気配を見せなかった。いつまでたっても『大虚獣』の気配が消えないのだ。いや、それどころか、このあたりでは見かけられない恐ろしい原生生物の姿まで見受けられるようにまでなってしまっていた。『人』の気配がなくなってしまったことで、街道のすぐそばに存在する『死の森』に、あちこちから様々な生物達が流れ込んできていたのだ。
日に日に情勢はまずくなっていく。
手遅れにならないうちに、腕利きの傭兵やハンターを出撃させ、危険生物を除去し、街道を元の安全な状態へと整備したい。だが、『大虚獣』の気配が消えないうちに戦士達を出撃させることはできない。下手に『人』を派遣して『大虚獣』を刺激することになってしまったらどうなるか。出撃した戦士だけが犠牲なるくらいならまだいい。刺激した場所がもし、『アルカディア』か『嶺斬泊』側のどちらかのすぐ近くであったらどうなるか。
何も起こらないかもしれない。
だが・・・
起こってしまった場合、中央庁が出来ることはほとんど何もないと言って等しい。
終わりだ。全てが終わってしまう。何もかも全部終わる。
その結果については五百年前に、自分達のご先祖様達が文字通り身を以て検証してくれている。疑う余地は全くない。もし、そのことをわずかでも疑うものがいたとして、それが当時の指導者クラスであったとすれば、恐らくこの都市はなかっただろう。
中央庁として、この都市に住む全市民の安全を守る立場にある存在として、交易路の封鎖を解くことはできなかった。
幸い、南方諸都市への通行に問題は全くない。食糧を始めとする生活必需品の入手に困ることは全くといっていいほど支障がない。
ただ、『外区』で戦う者達にとって絶対必須ともいうべき命綱だけはどうやっても手に入らない。
それだけが問題なのだった。
いくら『害獣』が都市周辺に現れないといっても、それ以外の生物は都市周辺に平気で近寄ってくる。
それが無害な草食動物ならいい。しかし、場合によっては『害獣』と同じくらいに厄介で凶暴な存在がやってくることだってあるのだ。
その場合、当然都市の安全を確保するため、危険生物の駆除に戦士達が出撃していく。勿論、無傷で駆除できれば問題はない。だが、そんなに敵は甘くはない。『人』の気配が濃厚であるとわかっていて近づいてくる相手である。当然、やってくる来訪者はみな、力に自信があるものばかり。
単に腕力が強い、あるいは打たれ強いというものばかりでもない。場合によっては、一噛みで『人』を絶命させる猛毒をもつものや、精神を狂わせる幻惑の能力を持つ者。ある生物に至ってはベテランの戦士達ですら一睨みで生きた石像へと変えてしまう特殊能力を持っている。
そんな危険な相手から身を守る最後の命綱である二つの最高の万能薬『神秘薬』と『特効薬』。
どんな傷もたちどころに塞ぎ、どんな状態異常もまたたく間に治すまさに最高の名にふさわしい万能薬であるが、二つとも南方にある材料だけでは作ることはできない。どうしても北方から一部の材料を輸入しなくてはならない。
一応封鎖前に、或る程度まとめて材料を買い置きしておいた為、この一年、それほど不自由することなくこの難局を乗り切ることができた。
しかし、もうそろそろ限界が近い。都市内全人口の約半分以上が都市外で、なんらかの仕事に従事している。勿論、全てが戦うことが専門の戦士職というわけではない。他都市に交易に出かけるもの、近くの森や草地に薬草を採りにいくもの、川や海に出て水産物を捕るもの、山に登って鉱石をとるもの。実に様々な理由で『人』は『外』へと出かけていく。城砦都市は巨大にして広大ではあるが、都市内だけで何もかもを得ることはできない。
どうしても危険な『外』に出て行かなくてはいかない。
そして、『外』に出れば必然的に危険と向き合うこととなる。
誰だって命が惜しい。自殺志願者でもない限り、『死』に直面すれば誰だって『生』を掴もうとするものだ。それがたとえ貴重な薬品を消費することになったとしても、自分の命には代えられない。勿論、中央庁だって、『貴重な薬なので、死にかけても使わないでください』なんて口が裂けても言うことはできない。薬は命を守る為に製造されているのであって、鑑賞や保存用に作られているわけではないのだ。
一年。
たった一年で、都市内に備蓄されていた万能薬『神秘薬』と『特効薬』は、ほとんど無くなってしまった。
見通しが甘かったといえばそれまでであるが、今まで潤沢に用意することができていたため、実際一日平均でどれくらい消費されていたのか調査していなかったのだ。その上で大雑把にこれくらいあれば大丈夫だろうと備蓄を用意した。
まさにお役所仕事であった。
今さらではあるが大失態である。城砦都市『アルカディア』の首脳陣は、今後都市内で勃発するであろう未曾有の大混乱を予想し頭を抱えていた。
そんなときである。
彼らの元に奇跡とも言える朗報が舞い降りてきた。
封鎖されている危険地帯の交易路を通って、北方の交易都市『嶺斬泊』から大軍団がやってきたという。
その大軍団にはいくつもの大型貨物トレーラーが存在し、中身はなんと彼らが喉から手が出るほどほしいと思っていた万能薬の材料だというのだ。
『アルカディア』首脳陣は狂喜乱舞した。まさに天の助け。
大軍団と共にやってきた北方諸都市の代表団を、『アルカディア』首脳陣は心から歓迎した。
このニュースはすぐに都市内に伝えられる。
テレビの臨時特番として放映され、これを見た人々は歓喜の声をあげた。
そして、都市全体が異様なお祭り騒ぎの喧騒に包まれることとなる。
中央庁はニュースが事実であることを更に市民に喧伝するために、北方の代表団にあることに対する協力を要請する。
そして、代表団はその要請を快く承諾したのだった。何せ、それは彼らの目的の一つでもあったからだ。
すぐに予定が組まれ、それは実行へと移された。
都市の総力をあげての一大パレードである。
円形となった都市を真っ二つにするかのごとく、ほぼ直線で南北に走る『アルカディア大通り』を、一つの行列が北から南へと行進していく。
行列の中心にはいくつもの高級オープンカーが走っており、そこに乗っているのは様々な分野の有名人ばかり。
北方諸都市の中央庁から派遣されてきた幹部クラスの役人達。大企業の幹部や、中には社長自らが乗り込んでいる姿も見受けられる。北方系財閥の関係者の姿もある。しかし、最も注目されているのはやはり超人気アイドルグループ『Pochet』をはじめとする有名な芸能人達の姿であろう。
屈強な『アルカディア』中央庁正規兵が厳重に周囲を固め護衛している中、みな、集まって来ている群衆に対しにこやかに手を振っている。
都市内を歓呼の声がいつまでも続いて行く。
一年もの長きにわたって続いた苦難の日が、ようやく終わりを迎えようとしていた。
・・・かに見えた。
「な、な、な、なんですか、この価格は!? 以前の取引価格の十倍ではありませんか!?」
『アルカディア』中央庁の特別会議室に一人の壮年男性の声が響きわたる。声の主は背が低いが恰幅がよく顔の半分以上を覆う灰色の髭がなかなか似合う大地妖精族の男性。『アルカディア』首脳陣の一人で経済産業省の代表であるアーガトン・エプシュタインである。
彼は北方諸都市の代表と名乗る男が提示した数枚の書類に目を通したあと、その内容に驚き思わず声をあげてしまったのだった。
書類の内容は彼らが持ち込んだ今回この都市に持ち込んだ商品の目録。積んである商品については別に確認しなくともほとんどわかっていた。こちらが困っているように、北方だって困っているはずなのだ。いちいち確認しなくとも、馬鹿でもわかる。というか、これがわからないようであれば経済産業省のトップなぞつとまらない。本当であればすぐにでも積み荷を降ろして薬品工場に直行させてしまいたいところ。
しかし、急いては事をし損じる。最後の詰めを誤って失敗した例は、過去にいくらでも存在している。エプシュタインとしてもそれくらいわかっていた。
だからこそ、積み荷を降ろす前にまずは話し合いをという北方の代表団の提案に首肯したのである。
そして、パレードに参加しなかった本当の意味での代表と会議を開始したのであるが、始まって早々にエプシュタインは自分の考えがあまりにも甘かったことを痛感させられることとなってしまっていた。
書かれている商品一覧は全て予想通り。これについてはなんの問題もない。だが、問題なのはその商品名の横に記載されている数字である。
一瞬、持ち込まれた商品の積載数かと思った。
だが、その欄は別にあり、彼が見間違いだと思ったその数字の欄の一番上には『取引価格』の文字。しかも、ご丁寧に全部太字で書いてある。
ただで譲ってもらえるなどと甘えた考えを持っていたわけではない。この都市に到着するに至った詳しい内容はまだ聞いてはいないが、危険極まりない道中を潜り抜けてきたことはわかる。
それを考えれば多少の色がついたとしても仕方がない。いや、それが当然だと思っていた。
しかし、これはあまりにも色がつきすぎている。
あまりといえばあまりの内容に、二の句が継げずに絶句しているエプシュタインを、対面に座る男は静かに見つめ続けている。
そこには何の感情も見受けられない。一言で言って無表情。
エプシュタインと同じくらいの年齢であろうか。肌は青白く頭から二本の牛の角が突き出ているが、『人』型の種族としては間違いなく『美形』と呼ばれるカテゴリーに分類される人物であった。三大種族のうちの一つ『聖魔族』の中でも上級中の上級に位置する特権階級種族。五百年前『公爵』と呼ばれた種族。その男の名はイーアル・カミオ。『嶺斬泊』中央庁経済産業省の管理官を務めており、同時にこの代表団の指揮者でもある。
これまで中央庁にて数々の優れた政策を実施しその悉くを成功へと導いてきたことで、現経済産業省代表の信任は厚く、彼の後継者と噂されているエリート中のエリート。で、あるが故に、今回この大役を仰せつかったわけであるが。
「何か問題でもありますかエプシュタイン経済産業省代表」
「も、問題だらけだ! これはいくらなんでも話になりませんぞカミオ管理官!」
「ほう。では、何が問題だと仰られるので?」
「こんな取引価格は認められん! 暴利もいいところだ。あんたはほんとに『嶺斬泊』の大使なのか? これではまるで『マフィア』か『ヤクザ』だ」
「ふむ。私は適正価格だと思うのですが。いえ、むしろ良心的ともいえる価格ではないかと」
「な、なんだとぉ!?」
今にも掴みかからんという勢いで激昂するエプシュタインを周囲の官僚達が必死に引き留め椅子へと引き戻す。しかし、そんなエプシュタインの態度に対し、微塵も表情を動かすことなくカミオはどこまでも淡々と聞き返す。交渉役は面の皮の厚いものが適任であるとよく言われるが、カミオの顔の皮膚はミスリル鋼板でできているのかもしれない。あまりにもふてぶてしすぎる態度であった。
会議は最初、どこまでも和やかで友好的な雰囲気で始まったのだ。しかし、開始して二分もたたないうちにそんな雰囲気は崩壊して霧散した。
誰もがこの雰囲気に戸惑いを隠せないでいる。
激昂するエプシュタインをなんとか押さえつけることに成功したアルカディア側の官僚達は、彼を怒り心頭に追いやった元凶である書類に自分達も眼を通す。そして、一様に顔を引きつらせる。
「こ、これは」
「いくらなんでも」
書類と正面に座るカミオの顔を交互に何度も見直す官僚達。エプシュタインと同じく怒りで顔を赤くするものもいれば、逆に青くするもの。困惑するもの、何かを考える者様々であるが、好意的な表情は一つもない。
そんなアルカディア側の様子を見て困惑する者達が他にもいる。カミオ以外の北方代表団の者達だ。彼らは『嶺斬泊』以外の北方諸都市からやってきた特使であるが、交渉は『嶺斬泊』の代表が行うから黙っていてほしいといわれ、交渉の流れなど詳しいことは特に聞いてはいなかったのである。『嶺斬泊』は北方諸都市の中でもリーダー的存在であり、『アルカディア』とも最も親密に関係を続けている都市であるから、無茶な要求をすることなく交渉はあくまでも儀礼的なもので終わるだろうと楽観視していたのだ。
それがここにきてまさかの展開である。
さっき目の前のドワーフの官僚は、取引価格の十倍と叫んだ。とんでもない話である。自分達はそんなこと望んではいない。今回持ち込んだ物資は全てが『嶺斬泊』のものではない。彼ら他の北方諸都市からも物資を持ち込んで来ているのだ。それはそんな馬鹿げた価格で取引するためにではない。むしろ価格などどうでもいいのだ。一番大事なのは南方の材料を一刻も早く自都市に持ち帰ること。
万能薬がなくて困っているのは南方だけではない。と、いうか、ほとんどの都市が作ることができずに困っている。その為になら、物々交換になっても一向に構わないとさえ皆思っていた。
それなのにこれである。『嶺斬泊』だって例外ではないはずだ。なのに、この男は一体何を考えているのだろうか。
何かの悪い冗談ではないか。誰もがそう思った。しかし、目の前で右往左往しているアルカディアの官僚達の様子を見ていると、明らかに冗談ではすまされない状況であるとわかる。
事態が一向に前に進まないことに業を煮やしたのか、北方代表団の中から一人の男が恐る恐るアルカディアの官僚達に声をかける。
「御忙しいところすんません。私、『通転核』の商業協力組合からやってきました酒井 法宗いいますねんけど、ちょっとその書類見せてもろてもよろしいですか?」
小さな小男だった。極東の島国を発祥の地とするネズミ型獣人の一種『鉄鼠』族の男性であった。声からするとまだ若い。恐らく三十前後。小さな体に東方の民族衣装である『キモノ』を身に着け、ネズミの顔には丸型の鼻掛け眼鏡。なかなか可愛らしい姿をしている。そんな彼の姿をしばし無言で見つめていたアルカディアの官僚達であったが、やがてため息混じりに書類をすっと彼の前へと差し出す。
小さな手でそれを受け取った彼は書類の中身を確認。先程のエプシュタイン同様に驚愕の表情を浮かべた後、他の諸都市の代表達にも書類を見るように促す。
「ちょっとこれはありませんわ。エプシュタイン代表がお怒りになるのも仕方ありまへんで。なんですのん、これ、カミオ管理官。わたしらこんなこと一言も頼んでませんで?」
小さな体に大きな怒気を纏いながら酒井がカミオへと詰め寄っていく。彼が怒っている姿は実にコミカルではあるが、その怒りは本物。彼ばかりではない。書類を見た他の諸都市の代表達も次々とカミオに食ってかかる。
それを見たアルカディアの官僚達は再び驚愕の表情を浮かべる。彼らはこの書類の内容が北方諸都市の合議で決められたものと思い込んでいたからだ。ところが、この様子だとカミオの独断という風に見える。
交渉を有利に進めるための演技か? アルカディアの首脳陣はそう勘繰って、すぐには声を発せず事態を静観する。
だが、彼らとカミオ管理官の間で繰り広げられる舌戦は、どう見ても演技とは思えない。終始一貫して無表情で落ち着いているカミオとは逆に、他の面々は焦りの表情を全く隠そうとしていない。演技なら大したものだが、どう見ても切羽詰まった様子。
冷静になった頭でしばらくその様子を見ていた彼らは、不意に自分達も同じ立場であることを思い出す。そう、向こうだって物資に余裕がないはずなのだ。余裕があるほうがおかしい。余裕があるのなら、これほどの大兵力でここまで焦って辿り着く必要などないはずだ。
街道の危険をきっちり排除して安全を確保した後、最低限の護衛と物資とだけで来ればよかったのだから。
それなのにこれだけの護衛を用意しなくてはならなかった。
そこから考えれば自ずと結論も出てくる。彼らもまた自分達と同じ状況に陥っているのだ。いや、普通に考えればそうだ。大きく西に回って迂回するルートをとれば南方に辿り着くのは不可能ではない。しかし、その為には西の果てにまでたどり着かなくてはならない。彼らが住む大陸は広大ではあるが、南北を繋ぐルートはたった二つしかない。西の果てと、東の果て。
つまりここだ。大陸の真ん中には南北を分断するように険しい山脈や湖があり、とてもではないが通行することは不可能となっている。
彼らとて万能薬を生成するための物資が不足しているのだ。いや、恐らく既にストックそのものがなくなっているのかもしれない。
と、なると、考えられるのはただ一つ。
「カミオ管理官。この書類の内容を決めたのはあなたの独断ということですか?」
冷たい声音でカミオに尋ねるのは一人の女性。年のころは四十前後といったところだろうか。匂い立つような大人の女性の色気がある美しい女性。耳の部分が魚の鰭のようになっており、首にはエラと思われる呼吸器官が見える。また、手や顔の一部に鱗のようなものも見える。だが、『人』型の種族としては間違いなく美人。西方人魚族。
彼女の名はオノリーノ・テオ。城砦都市『アルカディア』中央庁の最高責任者である都市長だ。
温厚篤実な性格でいつも笑顔を絶やさない『微笑み都市長』として市民から愛されている彼女。だが、今現在彼女の顔には見たこともないほど冷たくも怒りに満ちた表情が浮かんでいる。
普段滅多に怒らない彼女だけに、その怒りのオーラは凄まじいものがある。エプシュタインを始めとする官僚達は勿論、酒井達もまたそんな都市長の姿に少なからず驚いていた。
だが、そんな怒りのオーラを受けてもカミオの無表情は崩れない。
平然とした態度そのままに悪びれることなく口を開く。
「そうですが、何か」
「何かではありません。南北が協力し合わなくてはならない緊急事態だというのに、なぜにこのような波風が立つような真似をなさる?」
「何度も申し上げますが、その書類に記載されているのは紛れもない適正価格」
「他の諸都市の代表方は全く納得されていらっしゃらないようですが」
「切羽詰まっていらっしゃることはわかっていますよ。それはこちらも同じこと。しかし、今回は今までとは違います。我々がここにたどり着くまでにどれだけの出費を重ねたと思います?」
カミオははじめて感情らしきものをあらわにして周囲を見渡した。テオ達アルカディアの官僚に対してだけではない。酒井達北方の代表団をも睨みつけ言葉を紡ぎ出した。
「みなさん御承知の通り、私達が通ってきたのは、つい最近まで『王』クラスの『害獣』がうろついていた場所。彼奴が既にここを去り本来の棲家である南洋に戻ったことはうちの優秀な諜報員達が確認し、それについての問題はないことはわかっています。しかし、彼奴がうろついていた間に、様々な危険が街道のあちこちに出現していました。そのことを調査するためにどれだけの人員をかけなくてはならなかったか。勿論、調査するだけで終わるわけにはいきません。危険を確認した後、それを確実にかつ安全に除去するために更なる人員もかけることとなりました。そして、今回の大行軍です。貴重な物資を確実にこの都市に届けるためにかつてないほどの兵力を動員することとなりました。もうこれ以上言わなくてもわかるでしょう? 物資そのものの価格よりも、ここに『届ける』というその行為の為だけにかかった費用は決して安いものではない。いや、はっきり言って莫大な金額となっています。そのことを考慮した上での適正価格です」
「いや、確かにそれはわかるけど、それとこれとは別問題やん。交易品の取引価格そのものを変更してもええっていうもんちゃうやろ」
「酒井殿。失礼を承知で言わせていただきますが、あなた方は『大虚獣』がいなくなった後すぐの交易路回復事業に参加していらっしゃいませんよね。あなた方が出費したのは自分のところの物資の費用と自分達を守る護衛の費用だけ。それ以外何も出費してはいらっしゃらない。我が『嶺斬泊』が市民の血税で街道を整備した後、通過できるようになってからノコノコやって来られて、甘い汁だけ吸おうというのはいささか強欲がすぎませんか」
「はぁっ!? 何言うとんねん? 別に交易路の整備にかかった費用を全く払わへんとはいうてへんやんけ! それについてはこの前の都市長会議で、後日また相談するってことで決着がついているはずやで? 今は一刻も早く万能薬の材料を各都市に配布するかが重要ちゃうんか!?」
「別に後日でなくても構わないではありませんか。ここで『アルカディア』のみなさんが払ってくだされば、何も問題ないわけです。もし、問題あるようであれば、それこそ後日皆さまの都市から『アルカディア』のほうにもらいすぎた分をお返しすればいいだけのこと」
「こいつ、なにいうとんねん!? 誰やこいつを責任者にした奴わ!?」
カミオのあまりにもあまりな暴論に酒井を始めとする北方の代表団が唸り声をあげる。酒井だけではない。テオやエプシュタインら『アルカディア』の面々も呆れ果てたといわんばかりの表情に態度となってしまっている。
何とも言えない空気が会議室の中を支配する。
だが、相変わらずカミオだけはどこまでも無表情。まったくそれらの空気を読む気配なし。
そんなカミオを睨み続けていたテオ都市長であったが、このままでは埒が明かないと判断。一番話がわかりそうな酒井に直接語りかける。
「酒井様、このまま無駄に時間を過ごしていても仕方ありません。こちらとしては一刻一秒でも時間が惜しいのです」
「それはこちらとしても同じですわ。『ゴールデンハーベスト』さんところも『ストーンタワー』さんところも別に万能薬の物資の値段を釣り上げるつもりはもうとうありませんねや。それよりもできるだけ早くこっちの材料もらってとんぼ帰りしたいくらいでして。なんやったら物々交換でもかまいません。みなさんもそうおもてはるやろ?」
そう言ってカミオ以外の代表達に確認をとると皆、一も二もなく賛成の意を表明した。その様子を見て『アルカディア』の官僚達は安堵の表情を浮かべる。
「では、『嶺斬泊』以外の方が持ち込んだ物資についてだけ先に取引してしまいましょう。今回だけですが現状よりも二割増しでいかがでしょうか」
「それで結構ですわ。困ってるんわお互い様ですし、こんなしょうもないところでわけわからん取引に振り回されるのは真っ平御免ですよって。早速荷物の搬入に・・・」
「それはできませんな」
「「・・・え?」」
カミオを無視して商談を纏めにかかる両陣営であったが、それに彼自身が待ったをかける。会議室にいる全員がいぶかしげな様子で彼のことを見返す。
「私の許可なく荷物を搬入することはできないと申し上げている」
無表情のまま淡々ととんでもないことを口にするカミオのことを、皆、ポカンと口をあけてしばらく見つめ続ける。だが、やがて一番先に我に返った酒井が小さい体を震わせながら怒りの声をあげた。
「なにいうてますのん? 別にあんたの許可なんか必要としてませんで。うちらはうちらの荷物を『アルカディア』のほうに入れるいうてるだけで・・・」
「だから、それができないと申し上げている」
「なんでやねん! あんた、大概にしぃや。別にあんたのところがどういう交渉しようがかまへんわな。けどな、うちらはうちらで勝手にやらせてもらういうてるねん。自分のところの荷物降ろすのになんであんたの許可がいるねん。おかしいやろ」
「もう一度言いますが、荷物を搬入するには私の許可が必要ですな。何故なら、みなさんの荷物が入ったトレーラーを管理し掌握しているのは、我々『嶺斬泊』中央庁の正規兵なのです。つまり私の直属の部下達ですな」
「・・・え?」
「覚えていらっしゃいませんか? 皆さんが連れてこられた戦士達は皆さんの命を守るためのもの。彼らは皆、皆さんがご乗車していらっしゃった高級官僚用トレーラーについています。物資を運ぶための運搬用トレーラ-についていたのはうちの兵士達」
「ちょ、ちょっと待て。そういえば、『アルカディア』に入った時、うちらはトレーラーから降りて一纏まりになって都市内に徒歩で入っていった。自分達がのってきたトレーラーが入場したのはみてへんけど、まさか」
「はい、入場しておりませんよ。みなさんが乗って来られた高級用トレーラーや、食糧や騎獣用の餌が積み込まれた雑貨運搬用トレーラーは全て外に置いたままです。トレーラーについていた護衛のみなさんも当然外で御待ちになっておられるはず。入場したのは万能薬用の物資が積載された運搬トレーラーとうちの正規兵、それにうちの指揮下にある武装交通旅団『白光のカーテン』だけ。ですよね、テオ都市長」
わずかに口のはしを歪めて紡ぎだすカミオの言葉に対し、テオ都市長は真っ青な顔で周囲に視線を走らせる。そして、辿り着いたのはこの都市の防衛を預かる都市防衛省の代表。
「都市防衛省代表。カミオ管理官の言ってることは事実ですか?」
「じ、事実です」
「なぜ、そのようなことを」
「最近、盗賊どもの跳梁が激しいのです。一応、眼を光らせてはいるのですが、何分今回は物凄い大軍勢。旧知である『嶺斬泊』からの客人ではありましたが、見知らぬ恰好をした傭兵達の姿も多く、彼らに紛れて都市内に盗賊に入りこまれては厄介と考えました。そこで、素性がわかっている『嶺斬泊』
正規兵と、この都市の常連でもある武装交通旅団の『白光のカーテン』だけをとりあえず入れることにしたのです。まさか、このようなことになろうとは」
年老いた西域竜人族の都市防衛省代表が痛恨の極みという表情で項垂れる。
項垂れたのは彼だけではない。彼とカミオ以外の面々は、物凄いショックを受けたという表情で肩を落としていた。
「やってくれたな。あんた、北方諸都市にケンカ売るつもりか!?」
「そうです。あなた自分が何をしているのかわかっていらっしゃるのですか!?」
「勿論、自覚しております。私は私の仕事を果たすのみ。そうそう、言っておきますが、もし実力行使で奪おうとされる場合、部下達は貴重な物資を爆破処分しますので、短慮は慎まれることを切に願います」
「「き、きさまあぁぁぁぁっ!!」」
怒りをあらわにする酒井やテオ都市長の怒声を軽く受け流し、無表情のままそう告げるカミオ。どこまでも泰然自若とした態度を崩さないカミオに対し、会議室の面々は苛立ちを隠せない。酒井達北方諸都市組は激しい怒りの視線をカミオに浴びせ続け、テオ達アルカディア組は余程悔しかったのか下を向いて肩を震わせ必死に何かを堪えている様子。
まさに鉄面皮。四面楚歌の状態にあるにも関わらず、カミオはどこまでも余裕の態度を取り続けていた。
だがしかし。
彼の内面は表面ほど平静ではなかった。
追い詰められているのは会議室の面々ではない。実はイーアル・カミオその『人』自身であった。
(なんとしてもこの交渉を成功させ、現金を手に入れなければ)
心の中でそう呟きながら、盛大に冷や汗を流し続けるカミオ。
カミオはこの交渉において、万能薬の取引価格を下げるつもりは微塵もなかった。しかし、それは城砦都市『嶺斬泊』中央庁の為にではない。そもそも、カミオはそんな取引価格で交渉しろとなど命令されていないのだ。彼の役目は二つ。運んだ物資を『アルカディア』中央庁に無条件で渡す。そして、予め渡されている現金で北方に足りない万能薬の物資を買えるだけ買って補充し、速やかに帰還する。
それだけである。このような暴利で取引しろなどと一言も言われていない。
では何故彼はこのような無茶な要求をしているのか。
理由は一つ。はるか遠くの都市に高飛びする為の資金が必要だからだ。
『嶺斬泊』中央庁経済産業省管理官イーアル・カミオ。しかし、彼にはもう一つの顔がある。
犯罪組織『バベルの裏庭』を統べる十人の頭領の一人。そう、先日連夜達の手によって壊滅へと追いやられたあの犯罪組織『バベルの裏庭』を統治していた幹部達の一人だったのだ。
元々が上流階級の産まれであった彼だったが、その家系自体が代々にわたり偏った選民思想を持ち続けている一族。当然彼もその思想に傾倒しており、下級種族を奴隷として扱うことを最上とする犯罪組織『バベルの裏庭』へと入団するのはごく自然な流れであった。
表側は中央庁のエリート官僚として活躍しつつ、裏では自分が所属する犯罪組織に中央庁の情報をリークする。時にライバル犯罪組織を中央庁に売って中央庁での点数を稼ぎ、時に自分達の組織が狙われているときはさりげなく邪魔を入れて捜査を混乱させる。
こうして表の地位も、裏の地位も順調に築き上げてきた彼であったが、ついにその悪行にも落日の時が訪れる。
彼と協力して中央庁の情報をリークしていた中央庁の同僚が、尻尾を掴まれ逮捕されてしまったのだ。このときはなんとか誤魔化すことに成功したが、それでも疑惑の種は残ったまま。ほとぼりが冷めるまでなんとか静かにしていようと思っていた彼だったが、思わぬところで足がついてしまう。
息子が大失敗を起こしてしまったのだ。息子が通っている高校には、彼の義兄弟で組織の幹部の一人でもあるヴィネ・ヴィネアがいる。彼は高校の校舎の地下で『魔薬』の製造を行っており、息子にもそれを手伝わせていたのであるが、親の心子知らずというべきか。大騒ぎを起こして構内に中央庁を介入させてしまったばかりか、地下工場まで暴かれてしまったという。
息子は勿論のこと、幹部であるヴィネまで逮捕されることとなってしまった。
こうなると無関係を装い続けることは難しい。中央庁の調査員が当然のごとく自分のところにもやってきた。だが、そのときは息子がしでかしたことで自分は知らなかったと白をきって誤魔化した。激しい追及にも一貫して自分は関与していないことを告げ、また同時に息子の仕出かしたことについては大変遺憾に思い責任を感じているといって、涙まで流して見せた。我ながら迫真の演技だったと思う。
今のところ息子やヴィネが、イーアルのことを白状していないのか逮捕の手は延びては来ていない。直接悪事に手を染めることがほとんどなかったことが幸いしているのだろう。彼が悪事を行うときは必ず切り捨てられる第三者を用意して行わせていたため、彼に辿り着くことができずにいるに違いない。だが、しかし、それも時間の問題だ。流石の彼も今回ばかりは誤魔化しきれるとは思っていない。いずれどこからか証拠があがる。あるいは、捕まった誰かが口を割るだろう。
そうなる前になんとかしなくてはならない。
彼は最後の賭けに出た。自分を可愛がってくれている上司に、今回の任務に就かせてもらうように懇願したのだ。汚名返上のチャンスをくださいと、屈辱に耐えて土下座までして見せた。生き残る為に必死であった。プライドがどうのこうの言ってはいられない。
疑いの目を向けてくる上司に何度も何度も食らいついた。やがて根負けしたのか、上司はいやいやながらも今回の『アルカディア』への交易再開行軍の指揮を執ることを了承。
それからの彼の行動は素早かった。
まず彼がしたのは、『バベルの裏庭』と協力関係にあった勢力への助力要請。それもその勢力は裏社会の勢力ではない。紛れもない表社会で堂々と活動している勢力である。
中央庁の中にある一つの派閥が存在している。
『奴隷制度容認派』
文字通り、城砦都市『嶺斬泊』では禁止されている奴隷制度法を復活させることを望む一派だ。と、いっても勿論主流派ではない。都市成立当時はかなりの力を持つ一大派閥であったそうだが、現在は衰退の一途を辿っている。それでも完全に力を失ってしまったかというとそうでもない。
彼らのグループはみな上級種族と呼ばれる者達で構成されているからだ。
皆、『異界の力』が生み出す奇跡の力を諦めきれずにいる種族の代表達である。現状絶対支配者たる『害獣』達が支配しているこの世界ではあるが、過去の時代、確かに覇権を握っていたのは自分達であると自負し続けているのだ。
そして、程度の差は多少あるが、皆、当時の階級制度を未だに当たり前と認識している。つまり自分達こそが『人』という種の支配者であり、自分達よりも『異界の力』が劣る下級種族は自分達に隷属すべきであるという考えの持ち主ばかり。
そんな者達によって構成された派閥が『奴隷制度容認派』である。
中央庁のトップ達の中にこの派閥に属している者は一人としていない。皆、奴隷制度反対派、あるいは撲滅派に所属している者達であるから、当然彼らのことをよく思っているはずはなく、逆になんとか排除できないかと頭を痛めているわけである。しかし、残念ながら彼らを支えている上級種族の有権者の数は思ったよりも多く、『武力』によって制圧されないことをいいことに、彼らは表立って堂々と活動を続けているのである。
そんな彼らと思想がよく似た、というよりもほとんど同じである『バベルの裏庭』とは長年協力関係にあった。
勿論、それについては表沙汰にはされていない。あくまでも裏での話。
カミオはそのつなぎ役として長年活躍してきたわけである。当然、表に漏れてはいけない話を山ほど彼は抱えている。
彼はその秘密の話をネタに、『奴隷制度容認派』の者達に協力を強要。正直、『奴隷制度容認派』からすれば崩壊寸前の『バベルの裏庭』とはこれ以上関わり合いになりたくはない。潰れるなら自分達だけで潰れてほしい。こちらを巻き込まないでほしい。それが本音だ。
しかし、カミオが握っている秘密はあまりにも大きすぎる。万が一漏れてしまっては彼らまで御仕舞になってしまうだろう。
密かにカミオを消すことも考えたが、余程うまくやらないと嫌疑が彼ら自身に向いてしまう。なんといってもカミオは、『バベルの裏庭』の関係者ではないかと主流派から疑われてマークされている。
そんなところで暗殺してしまえば、主流派は本気になって犯人を捜しにかかるであろう。うまく逃れる方法がいくつか思いつくが、しかし、どれも絶対ではない。結局彼らがカミオに返した答えは『『バベルの裏庭』とは無関係を装って逃亡をサポートする』というものだった。
元々、彼らと主流派とは水面下では結構派手にやりあっているのだ。今回のアルカディア交易再開事案も、最初から邪魔する手はずだったので、その内容がカミオの逃亡の手助けになれば文句ないだろうということである。
正直、もう少し直接的な助力を期待していたのだが、これ以上の譲歩は望めまいとその条件を飲むこととした。
次にカミオがしたことは、まだ捕まっていない組織の構成員達を自分の手元にかき集めること。そして、中央庁の正規兵として偽の手続きで登録させた。そして最後に、組織に残っていたありったけの資金を全てかき集めてトレーラーに積載。
そう、彼が企てた策とは、この都市からの逃亡である。
しかもそれは彼一人が生き延びるためだけに立案され、連れていくのは自分に忠実なわずかな側近と、犯罪組織の生き残り達のみ。
足手まといになりそうな者は全て見捨てての逃亡策。由緒あるカミオ家を構成している親類縁者は勿論、美しい妻達や子供達も置き去りにする。当然中央庁に逮捕されてしまった息子を助けるつもりなど毛頭ない。カミオ家の長イーアル・カミオは、ただひたすらに自分の保身だけを考えていたのだ。
(私さえ。私さえ無事ならば、カミオ家を再興することは不可能ではない)
他の幹部達が辿った悲惨な末路を、彼は中央庁の情報統括室にいる知り合いから聞いて知っていた。或る者は中央庁の手の者に捕まり、聞くに堪えない凄まじい拷問にかけられる毎日を送り、或る者はその場で射殺されたり斬殺さtれたり。そして、また或る者は罠にはめられ生きながらにして『害獣』に食い殺されたとも聞く。
(嫌だ。そんな死に方だけは絶対に嫌だ。それに捕まって拷問される毎日を過ごすのも絶対に嫌だ。逃げてやる。絶対に私だけでも逃げてやるのだ)
追い詰められ狂気にも似た生への執念をもって、彼は逃亡作戦を実行に移す。
出発当日、彼は連れて行く正規兵を全て組織の生き残りである偽正規兵達と交換。追手がかかる前にまんまと『嶺斬泊』から逃げ出すことに成功したのだった。
しかし、このままではダメである。どうしても資金がいる。いずれどこかで組織を立て直すために金がいるのだ。逃げるだけなら今の手持ちの資金だけでも逃げ続けることは可能だ。だが、このまま終わるわけにはいかない。こんなところで終わってたまるかである。
そこで思いついたのが今回の大博打である。
運んで来た物資は自分が用意したものではないのだから当然元手はタダ。しかも、他の諸都市からも足してくれて量は当初の予定よりも倍増している。その物資を更に十倍の価格で売りつける。
相手は現在喉から手が出るほどこの物資を必要としている。それもできる限り早急にだ。勝算は十分にある。
だが、不安要素はいろいろとある。何よりも邪魔だったのが物資と人員共に守る命令を独自に受けて参加してきた武装交通旅団『白光のカーテン』の存在。人員の命が第一ともっともらしいことを言って物資が積載されているトレーラーからまずは引き離す。
とりあえず、物資だけは確保できたが兵力の数も質も圧倒的に向こうが上。事を起こした時に数に物をいわせて取り返されてしまう恐れがある。
それをさせないために、いくつかの策を事前に施しておく。
あと、もう少し『白光のカーテン』の兵力を減らせれば。そう思っていたところに、『奴隷制度容認派』の連絡要員がある報告を持ってきた。
『奴隷制度容認派』が抱えている中央庁の裏工作部隊を派遣し、『白光のカーテン』の兵力を徐々にそぎ落とすとのこと。手始めに危険原生生物の群れを先行偵察部隊にけしかけることによって部隊そのものの殲滅に乗り出すという。
カミオはその報告に喜色の笑みを浮かべる。中央庁の裏工作部隊と言えば、手練の暗殺集団として各方面にその名を知られるプロ中のプロ。
まさに絶妙なタイミングである。
だが、彼の喜びは長くは続かなかった。その後、『奴隷制度容認派』の連絡要員が待てど暮らせど帰って来ないのだ。成功でも失敗でも、とりあえず報告だけでも聞きたいと思っていた矢先に、先行偵察部隊の人員が交代したという話が彼の耳に飛び込んでくる。一体何が起こったのか。『白光のカーテン』の団長ベルンハルトは何か知ってるようだったが、いくら聞き出そうとしても『大したことはありません』の一点張りで何も話そうとはしない。
さりげなく『白光のカーテン』本隊の様子を探ると、確かに出発の段階で先行偵察を任されていたはずの戦士達の姿が見える。皆、埃まみれに傷だらけで何かしらの戦闘があったのだろうとは予測できる。しかし、死体らしきものは一つも運ばれてきていない。武装を解かれて肩を落とした姿で雑用をしている彼らの姿に焦燥はみられるが、仲間を失ったという悲壮感は全く感じられない。
失敗したのだ。恐らく、裏工作部隊は作戦を失敗したのだろう。彼らの様子を見るに、途中まではうまくいっていたのかもしれない。しかし、事態をひっくり返す何かがあったのだ。
ひょっとするとベルンハルト自身に始末されたのかもしれない。彼は城砦都市でも有数の実力者だ。潜り抜けた修羅場も半端ではなく、自分を襲ってきた暗殺者を返り討ちにしたという話もいくつか聞いている。だが、真相を確認する術はない。内心かなり焦っていたが、ベルンハルト自身、こちらを追及してくる素振りもないことからその話はそれでおしまいとした。
焦ってはいけない。焦りは禁物だ。必死に自分に言い聞かせて冷静になる。そして、これ以上墓穴を掘らないよう、『アルカディア』に着くまでの間、静かにしていることにする。
出発から三日後。一行は『アルカディア』に無事到着。
カミオは、自分の配下と物資運搬用のトレーラーを一緒に『アルカディア』内に潜入させることに成功する。残念ながら『白光のカーテン』を締め出すことはできなかったが、対応してきたアルカディアの都市防衛省代表に巧みに盗賊の話をして警戒心をあおり、その他の有象無象を『アルカディア』に入れさせないようにすることはできた。
うるさいおまけが他にも一緒に入ってきたが、なんとかできるであろう。
うまい具合に『白光のカーテン』の一団と、カミオの配下が化けている正規兵集団は別の駐車場に配置されることとなったことも幸いした。
後は慎重に事を進めるだけである。
別に急ぐ必要はない。恐らく『嶺斬泊』がすぐに第二陣を送り込んでくることはないはず。まずは、第一陣である自分達が帰還することで安全を確認し、その上で第二陣を出してくるであろう。
もしもの場合を想定し、一週間は余裕で待つはずだ。
その間に『アルカディア』側に金を出させればいいだけの話。
ここは焦らずじっくりと攻めよう。カミオは、そんな内心の葛藤をおくびにも出さず、無表情のまま怒り冷めやらぬ会議室内の面々を見つめ返した。
カミオが考えごとに没頭している間に何人かの官僚が部屋から飛び出して行ったのが見えた。
恐らく『嶺斬泊』から持ってきた物資が積載されているトレーラーのある駐車場の様子を確認しに行ったのであろう。
(無駄だ。既に兵士の配置は完了している。強引に事を進めてきた場合の対処方法についても予め指示しておいた。この調子なら、なんとか奴らだけでも対処できるだろう)
考え始めるとどうにも負の方向に思考が傾き始める。
カミオは意識して楽観的方向に思考を向けながら、必死に平静を保ち続けるのであった。
「・・・な~んてことを考えながら、カミオ氏は必死に交渉を成功させようとしているんじゃないですかね」
と、まるで『アルカディア』内の現在の状況を進行形で見ているかのように正確に説明して見せる一人の悪党の姿がある。
彼がいるのは城砦都市『アルカディア』の城壁北門のすぐ近く。当たり前だが、『アルカディア』中央庁の会議室の中を見通す力など彼は持ってはいない。いや、それどころか種族としての特殊な能力は一つとして持ってはいない。肉体的な能力は他種族に比べて明らかに低いし、奇跡を具現化する異界の力はゼロ。獣にも変身できなければ空も飛べず、嗅覚も視覚も聴覚もいたって普通。
ただし悪知恵だけは恐ろしく働く。
「もし、僕の予想が違っていてすんなり物資が『アルカディア』の中央庁に引き渡されていたとしたら、とっくの昔に僕らも都市内に入場できているはずなんですよ。ところが日が沈んでも何の音沙汰もない。僕らがここに到達したのは日が昇ってすぐの早朝です。都市内に入ることができる人員について多少揉めた時間はありましたが、それを差し引いても時間がかかりすぎています。って、ことは僕の予想通りに事が進んでいるということでしょう」
清々しいまでに悪い笑顔だった。
普段の邪気のない可愛らしい笑顔とは大違い。『お腹の中は真っ黒です』といわんばかりに凶悪に黒い笑顔であった。
その笑顔を更に深めながら彼は周囲の協力者達に言葉を紡ぐ。
「そうです。予想通りということです。予想通りということは予定通りということでもあります。そのつもりで計画を練っていたということです。まぁ、ぶっちゃけカミオ氏は中央庁によってわざと逮捕されることなく泳がされていたわけです。ご本人がそれに気づいていて今行動しているのか、あるいは、まだ疑われていないと信じて行動しているのかは定かではありませんが、とりあえず彼の心境についてはどうでもいいです。彼には彼の思惑というやつがあるんでしょうが、こっちにはこっちの思惑というやつがあるんですよ。ってことで、無理矢理にでも彼にはこちらの思惑通りに踊っていただくことにしましょう」
どこまでも悪人面。しかし、その声はどこまでも軽やかに、そして、はっきりと連夜は呟いた。