第五十二話 『狐は彼を許さず、されど彼は彼を許す』
全滅であった。
生き残った命は一つとしてない。
大河『黄帝江』の河川敷に広がる死屍累々の地獄絵図。
それが意識を取り戻したヨーゼフが最初に見た光景。
「な、なんだこれは」
未だ節々に痛みが残る身体を無理矢理起こし、眼前に広がる光景を茫然と見つめ続ける。
河川敷のあちこちに転がる死体はどれもこれも五体満足なものは一つとしてない。首を切り落とされたもの。胴体を両断にされたもの、足が折れまがっているものと実に様々だ。
彼が気を失っている間に何が起こったというのか。
しかし、その答えを知る者はすぐに彼の前に現れた。
「隊長、気がつかれたのですね。よかった」
「ステファン!」
明るい声をかけてきたのは、ヨーゼフが気を失う寸前まで彼を治療していたあの若い『メディック』の青年。ステファンと呼ばれた彼は、地面の上に胡坐を組んで座っているヨーゼフの元に駆け寄ると、早速その身体を診断し始める。
「まだ、どこか痺れているとか、動かない個所はありませんか?」
「いや、手も足も問題なく動かせる。特に動かすことができない個所というのはないようだ。少々、身体の節々が痛むがな」
「そうですか。とりあえず『解毒』が完全に効果を発揮してから回復をしてほしいとの指示だったので、まだ傷の回復は行っていなかったんです。でも、痺れや硬直している部分はないようですから、コブララプターの毒は抜けているみたいですね。よかった。早速回復の術式をかけますね」
一通りヨーゼフの身体を見渡して問題ないことを確認したステファンは、嬉しそうに回復術式をかけて細かい傷を修復していく。
ヨーゼフはしばらくの間黙って部下のやりたいようにさせ、自身は再び周囲へと視線を向け直した。
「ヨーゼフ、俺が気を失っている間に何があった」
「隊長が今御覧になっている通りです。一つとして討ち漏らすことなく全滅です。いや、ほんと見事なものです」
「一つとして討ち漏らすことなくか」
「ええ、一つとして討ち漏らすことなくです」
淡々と進められていく会話のキャッチボール。だが、表情の変わらないままの若い『メディック』と違い、ヨーゼフのそれは次第に険しいものへと変化していく。
「念のために聞いておきたいんだが」
「なんですか?」
「俺が意識を失う前、全滅が目に見える状況だったのは、俺たち第七番隊だった」
「そうですね。あのままの状態が続いていたら、全滅していたのは我々のほうだったでしょうね」
「・・・ということは、やはり全滅したのは我が隊ではなく」
「はい、『コブララプター』の群れです」
若い『メディック』はそう呟いて自分自身も河川敷のほうに視線を向ける。そこには無数の『コブララプター』達の屍。激しい戦闘があったことを示すように、河川敷一帯はラプター達が流した緑の血の色に染まっている。
「俺が気を失った後、何があったのだ? 隊の連中はみな無事なのか?」
「ご安心ください。全員無事です。一人としてかけてはいません」
「そうか。しかし、俺以外に他の隊員達の姿が見えないようだが」
「みな、本隊のほうに撤退しています。我が隊で残っているのは私と隊長だけです」
「俺とおまえだけ? なんでそんなことに」
「多かれ少なかれみなラプターの毒に犯されていましたが、なかでも隊長が一番きつかったんです。今、動かせば死ぬといわれましたので、私が一緒に残ることにしたんです」
「おい。俺が回りくどい説明は嫌いだってことはよく知ってるだろ。ハッキリ言え。俺のことを『動かせば死ぬ』とおまえに言ったのは誰だ? そして、コブララプターを全滅させたのはどこの奴らなんだ?」
ようやく動くようになってきた腕を使って華奢な白虎族の青年の胸倉を掴み上げると、彼はなんとも言えない表情で一つため息を吐き出した後、ある方向に向けて指を向ける。
「私が説明するよりも、直接聞いていただいたほうが早いと思います」
「だから、誰にって聞いている・・・」
「あらまぁ、しぶとく生きていたのね。残念」
「あぁ?」
苛立ちを隠そうともせず、若い部下を怒鳴り散らそうとしたヨーゼフであったが、それよりも早く彼の耳に別の人物の声が聞こえてくる。
ヨーゼフは、不機嫌そうな顔そのままに、声のした方向へと視線を向け直したが、すぐにその表情は硬直する。
彼が今までの人生で一度として見たことがないような絶世の美女がそこに立っていた。
艶やかで美しい金色に輝く長い髪。髪の色と同じでありながら、満月のような色を放っている金色の瞳。シャープに尖った顎に小さな顔。新雪のような白い肌。そして、ふるいつきたくなるようなメリハリの利いた肢体に長い脚。
頭部からは狐の耳が突き出ており、また形の良いお尻からは大きく揺れる三本の尻尾。
美しい。とにかく美しい。壮絶に美しい。
あまりの美しさに目を離すことができない。いや、超絶な美しさだけがヨーゼフの目を捉えているわけではない。
似ているのだ。
彼の憧れの人に。彼が恋焦がれてやまない意中の人。スーパーアイドルグループ『Pochet』のリーダー『キッチン』にとてもよく似ている。
髪の色と眼の色が違う。スタイルも全く違う。なので別人であることがわかる。
しかし、それでも似ている。そして、それだけ違っていても彼のストライクゾーンに十分に入る美しさ。
あまりの美しさに彼は幻覚でも見ているのではないかと思い、しばしの間馬鹿のように口をあけて放心。
そんなヨーゼフの姿を、仁王立ちして見下ろし続ける美女。
彼女はしばらくの間、ヨーゼフの身体を上から下まで鋭い目つきで観察していたが、やがて表情を緩めると白衣のポケットに両手をつっこんで背を向ける。
「どうやら身体に異常はないみたいだし、動けるようならさっさとこの場から立ち去ってちょうだい。邪魔だし、目障りだわ」
一方的にそう告げてその場から立ち去って行く。茫然とその背中を見送る男二人。だが、あまりのいいように流石のヨーゼフも我に返る。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ」
「いやよ。忙しいのよ」
振りかえりもせずにバッサリ即答。
またもやフリーズしてしまうヨーゼフであったが、『白光のカーテン』七番隊隊長として事情を知らないままで本隊に合流するわけにはいかない。未だぎこちない動きしかできない身体を気合いで動かし、美女の背後に走っていく。
「あ、あんたが助けてくれたのだろう? とりあえず、礼を言わせて・・・」
「いらないわ。それよりもついてこないでくれる」
抜き打ち気味にバッサリ両断。別にハーレムを作ることができるほどに経験が豊富なわけではないヨーゼフではあるが、一応それなりに女性経験は積んできているし、現在進行形でモテているという自覚がある。
だが、ここまで冷たくされたことは一度としてない。
それだけにショックは大きく、本気でヘコンで動けなくなりそうだったが、それでもヨーゼフはへこたれなかった。
動きにくい身体に鞭打ってなんとか美女を追い越し前へと出る。そして、その肩を掴んで止めようとしたのであるが。
「ともかく話だけでも」
「触るな、雑魚」
どこをどうされたものか、ヨーゼフの身体は宙へと舞い上がる。自分に起こった想定外の出来ごとにパニックを起こし空中で手足をばたつかせるヨーゼフであったが、すぐにそれは解放されることとなる。
強制的に地面に着地させられることによってだが。
「ぎゃふっ」
草地の上に背中から落ちたヨーゼフは、なんともいえない悲鳴とともに肺の中の空気をめいいっぱい吐き出すこととなった。
幸い落ちたのは柔らかい草が生い茂る天然のクッションの上。未だ自由に動かぬ手足をばたつかせながら、なんとか起き上がったヨーゼフの目に、遠ざかっていく美女の背中が映る。
「お、おい。ちょっと待ってくれ。いや、待って下さい」
「だが断る」
「ちょっ!?」
取りつく島もないとはまさにこのこと。懸命な引き止めの声に対し、全く速度を落とすことなく美女は足早にこの場を立ち去ろうとする。
どうやらこの美女が自分達の窮地を救ってくれた恩人で間違いないらしい。だが、彼女は何故か自分達のことを非常に嫌っているようだ。
それがどういう理由によるものかさっぱりわからないが、命を救ってもらっておいて礼の一つも言わずに終わるわけにはいかないし、また、詳しい事情も聞いておかなくては本隊にも帰れない。
盛大にため息を吐き出したい気分であったが、なんとかそれを押し殺すとヨーゼフは再び美女の前へと先回りする。
今度こそ足を止めてもらうために。だが、力づくで止めようとはしない。代わりに彼はその場所に正座すると、深々と頭を下げた。
「頼む。頼むからきちんとお礼を言わせてくれ。命の恩人に礼の一つも言わずに済ませるなんてことは、『白光のカーテン』の一員として、また誇りある白虎族の戦士として絶対にできない」
「必要ないって言ってるでしょ。ハッキリ言って、あんた達を助けたのは善意じゃないわ。絶対に断れない人からどうしても『助けてやってほしい』って頼まれたからいやいや引き受けただけのこと。あんたたちに解毒を施したのも、そこにいる蛇モドキの馬の化け物を倒したのも、全てその人の為であって、あんた達のためじゃない。私自身はあんた達が『解毒の術が効かずにぽっくり死んでくれればいいのに』って思っていたわ」
「い、いったい俺たちはあんたに何をしたんだ。そこまで憎まれる理由が全くわからないのだが」
「そうでしょうね。目が曇りまくってるあんた達にはわからないでしょうよ」
「う、なんか、わからないがすまない。だが、できれば理由を教えてほしい。その上で改めて謝罪させてもらうし、償う必要があるなら償いもする」
「本当に人の話を聞かない人ね。別にあんたにわかってもらう必要はないし、謝罪もいらない。それにお礼も必要ないわ。それよりも邪魔だからさっさと後方の本隊のほうに戻ってくれる? こっちはまだ後始末が残ってるのよ。それになにより、あんた達に目の前をうろうろされたら目障りでしょうがない」
土下座するヨーゼフを面白くもなさそうに一瞥した後、狐型獣人の美女は彼の横を通り過ぎスタスタと歩みを進めていく。土下座でも引きとめることができなかったことに気がついたヨーゼフは、急いで立ち上がり彼女の元へと走り寄る。そして、ならばと今度はぴったり横について歩き始めた。
これ以上何をどう言っても話は平行線から外れることはないだろう。しかし、彼女がいう後始末とやらで少しでも手を貸すことができるのならばと、一緒に着いていくことにしたのだ。
金髪美女はそんなヨーゼフを物凄い迷惑そうに横目で見つめていたが、それ以上何かを言おうとはしなかった。
そうして二人はしばらくの間黙って歩き続けていった。
大河『黄帝江』の横にある大きな河原のど真ん中。あちこちに『コブララプター』の死骸が散乱しているそんな中を、二人の獣人達は通り抜けていく。
当初、ヨーゼフはてっきり横を歩く金髪美女がアルカディア方面に向かっているのだとばかり思っていた。と、いうのも彼女がアルカディアからやってきた傭兵かハンターだとばかり思っていたからだ。
だが、彼女は街道をまっすぐ南へ進むのではなく、何故か西へと向かっていく。彼らが向かうその先にあるのは死の森。危険な原生背物ばかりではなく、多くの『害獣』達が跋扈するとんでもなく恐ろしくも危険な場所。
いったい、そこに何があるというのか。彼女の言う後始末とはコブララプターの死体の後始末ではなかったのか。
困惑しつつもヨーゼフはしかし、隣の美女に問いかけようとはしなかった。恐らく答えてはくれないだろうと思ったからだ。
さて、どんどんと薄暗い死の森が近づいていく二人であったが、やがて同時に立ち止まる。
ある存在がその目に映ったからだ。
一人は歓喜の色を浮かべ、もう一人は当惑の色にその目を染める。
そのうち先に行動に出ようとしたのは全身で歓喜を表現し続けている者。彼女は嬉しそうな表情を浮かべると、森から出てきたその存在目掛けて走りだそうとした。
だが、その彼女を追い越してもう一人が突進していく。
「き、きさまぁぁぁぁっ!」
当惑から怒りへと表情を変化させ、白虎族の戦士ヨーゼフは森の中から出てきた存在に向かって猛然と走りよっていく。
彼の視線の先にはガスマスクをつけたあの少年の姿。どうやら、少年自体もヨーゼフに気がついたようだが、困惑したようにぼうっと立ちつくすのみ。
しかし、だからといってヨーゼフはその戦意を喪失したりはしなかった。少年自体には脅威がなくとも、その周囲にあるそれらは間違いなく脅威そのものであったからだ。
森の中から出てきた少年の周囲には、無数の獣の気配。
人の大きさほどもありそうな犬のような生き物。黒い毛並みに険呑極まりない光を宿した瞳、そして、鋭い牙。
ブラックジャッカル。
森の掃除屋とも死肉食らいとも言われる危険な肉食動物。そんな存在をこの少年は森の中から引きつれて出てきた。
それらを見たヨーゼフの脳裏に、一瞬である仮説が思い浮かんだのだ。そして、それを真実を思いこんだが故に、彼にとって少年は許されざる『敵』となった。
「おまえかぁ。今回のことは全ておまえが仕組んだことかぁ!」
「ええっ? はぁっ? い、いったいなんの・・・」
「とぼけるんじゃねぇ!!」
わけがわからず困惑の声をあげる少年。そんな少年の様子を見て馬鹿にされていると思ったヨーゼフは、一気に間合いを詰めると容赦ない拳の一撃を叩きこむ。
毒が抜けたばかりで満足な一撃とはならなかった。スピードもほとんど出ていない。だが、鍛えに鍛え抜いた身体から放たれたその一撃をかわすことは少年には出来なかった。下から上へと突き上げるように叩きつけられたアッパーは、少年の身体を軽々と宙へと吹っ飛ばす。
木の葉のようにくるくると宙を舞い続ける少年。しかし、それで終わりではない。強引にその身体を空中で掴んだヨーゼフは、そのままその華奢な身体を地面へと叩きつける。
「ご、ごふっ」
マスクの間からこぼれ落ちる大量の血。
それを見てもヨーゼフは止まらない。
「よくもやってくれたな。まさか『獣使い』だったとは思わなかったぜ。おかしいと思っていたんだ。お前みたいなガキが中央庁からのつかいだなんて。本物の中央庁の役人とはいつ入れ替わった? いやそれよりも、いったい誰に頼まれてコブララプターを俺たちにけしかけた? ええっ? 答えろよ、このクソヤ・・・」
「ふざけんのもいい加減にしろ、この『ピーッ(不適切な言葉が使用されていますので、しばらくお待ちください)ヤロウ』がぁっ!!」
「ぐっはぁっ!?」
馬乗りになってマスクの上から容赦ないパンチを浴びせ続けていたヨーゼフだったが、すぐにその蛮行を阻止されることとなる。
後ろからやってきた金髪美女、如月 玉藻が、ヨーゼフの頭に必殺のカカト落としを極めたのだ。凄まじい威力の一撃に気が遠くなるヨーゼフ。しかし、気絶することはは許されなかった。少し遅れてやってきた激痛が、彼を強引に正気へと引き戻す。
「ぐ、ぐああ。い、いったい何を」
「それはこっちのセリフよ。あんたいったい何のつもりなのよ」
「ど、どういうつもりもなにも、こいつが」
「黙れ、この恩知らず」
「ぎゃん」
頭を押さえながら地面を転がりまわるヨーゼフに、トドメとばかりに喉を目掛けてのトゥキック(爪先蹴り)。
ただでさえ先程のカカト落としで頭頂部が完全に陥没したような形になっているフルフェイスのヘルメットが、更にとんでもない形に変形。今度は喉を抑えてのたうちまわるヨーゼフを見て、これでしばらくは動けまいと確認した後、玉藻は地面に横たわる恋人の元へ急行。
恋人の顔からマスクを外した玉藻は、その下がとんでもない状態になっていることを確認し息をのむ。
「れ、連夜くん、血まみれじゃない。なんてことなの。あああ、しっかりして」
「らいりょうぶれす。な、なれてましゅから」
「しゃべっちゃだめよ。すぐに手当てするからね。じっとしててね」
背中にくくりつけていた杖を取り出して、玉藻は横たわる連夜に回復の術をかける。青ざめていた連夜の表情はみるみるうちに血色よく回復。それを見てホッと安堵の息を吐き出す玉藻は、連夜の頭を持って膝枕しようとするが、彼はやんわりとそれを断る。
「玉藻さんの膝枕は非常に魅力的ではありますが、とりあえず作業指示だけは出しておかないとどんどん遅れてしまいますので」
そう言ってふらつく身体をなんとか立ちあがらせた連夜は、森と街道の境目でおとなしく待機したままのブラックジャッカル達へと視線を向け直す。
そして、寄り添って肩をかしてくれる玉藻に身体を預けながら、彼はジャッカル達に向かって笛のような物を吹き鳴らした。すると、その笛を号令として、ジャッカル達が一斉に動きだす。
河原へと猛然と突進し、散らばるコブララプターの死肉を食らい始めたのだった。
大きなものも小さなものも関係ない。メスも、オスも、成体も幼児も関係なくラプターの肉を食べ始める。その様子をしばらくの間連夜は見つめ続けていたが、やがて、ジャッカル達が食事に没頭していることを確認すると安心したようにその場に座り込んだ。
「大丈夫連夜くん」
「ええ。これでなんとか本隊が来るまでに片づけられそうです。いや、ほんと、うまい具合に彼らの群れを見つけられてよかったですよ。普通にあれ全部片付けるとなると随分な手間暇がかかりますから」
「御苦労さま。ほんと、連夜くん、大活躍だったわね」
「いえいえ、それはこちらのセリフですよ。玉藻さんにはほんと無茶ばかり言ってしまって、すいませんでした」
「私のしたことなんて大したことじゃないわよ。全部連夜くんがお膳立てしてくれたものじゃない。それよりも一休みしたら? 後は私が見てるわ」
「でも、もうじき晴美ちゃんやクリス達が来る時刻ですし、それにあの人達に事情を説明しておかないと」
玉藻の手をそっと押しのけて連夜は身体を起こそうとする。だが、玉藻はそれをよしとせず。逆に手に力を込めて押し戻し恋人の身体を再び地面に横たわらせた。
「あの子達がやってきたら起こすし、馬鹿虎達のことはまあ、私がなんとかするわ。それよりほら、いいから、横になって。連夜くん、ここのところずっと今回の準備で追われていたでしょ? 隠しているつもりなんだろうけど、寝不足なのがばればれよ」
「でも・・・」
「さっさと、目を閉じる。いいわね」
「わかりました」
仲睦まじく寄り添う二人。玉藻は再び起き上がろうとする連夜の身体をもう一度押して横に倒し、その頭を自分の膝の上へと乗せた。そして、口にするのは『睡魔』の術式。連夜はそのことにすぐに気がついたが、逆らおうとはしなかった。玉藻に促されるままに身体の力を抜き、静かに目を閉じていく。やがて、恋人がすっかり眠りの世界へと旅立ったことを確認し、玉藻はほっと安堵の表情を浮かべた。
ゆっくりと流れていく二人の時間。
だが、それもつかの間のこと。静寂はすぐに破られる。
「何故だ!? なぜそいつをかばう!?」
カカト落としとトゥキックでボコボコになってしまったフルフェイスのヘルメットをなんとか脱ぎ捨てることに成功したヨーゼフが、よろよろと立ちあがりながら横たわる連夜に人差し指を突きつけ絶叫する。
その大声に反応し、連夜の瞼がかすかに動いた。だが、玉藻は優しい表情を浮かべてそっとその上に片手をかざし、再び『睡魔』の術式を唱える。紡ぎだされる声はあくまでも優しく、連夜の身体からすぐに力は抜けていった。
安らいだ表情で連夜は今度こそ深い眠りに落ちて行った。そのことを確認して優しい表情を浮かべる玉藻であったが、すぐに表情を激変。
恋人の眠りを妨げる許されざる不埒者に怒りの視線を向けた。
「あんた、それ以上騒ぐようなら、本気で黙らせるわよ。具体的に言うなら、二度と目覚めない眠りをプレゼントする方法でね」
「意味がわからない。いったい、あんたは誰の味方なんだ」
「連夜くんの味方に決まってるでしょ」
何の迷いもなく即答する玉藻の姿に絶句してしまうヨーゼフ。思わずぐらりと倒れそうになるが、慌てて駆けつけてきたステファンが間一髪のところで彼の腕を掴んで支え、二の句が継げなくなっているヨーゼフに代わって口を開く。
「あなたが『連夜』と呼ぶそいつはいったいなんなのですか? あなたが我々に解毒の術をかけてくれたことはこの目で見ました。あなたが『コブララプター』達を蹴散らしたところも見ています。ですが、それはあなただけで、そいつは何もしていなかったではありませんか。しかもこれだけ倒したコブララプターをジャッカルに食わせようとするなんて。ラプターの皮も骨も、肉だって綺麗に矧ぎ取れば高値で売れる代物ですよ。それを全て台無しにするようなこいつをなんで庇っているですか? 助けていただいたことについては感謝していますが、どうにも納得できません」
決して大声を出しての主張ではない。だが、それでもヨーゼフの意識をこちらに引き戻すには十分な内容であった。
「やはり、この狐のご令嬢が俺たちを助けてくれたのか」
「ええ。私達が戦っている最中に突然現れて、コブララプター達をあっという間に殲滅してのけたんです。その後、奴らの毒に犯された我々の治療も行ってくれましたし」
「それはこのご令嬢だけか?」
「そうです。彼女だけです。そこにいる人間族は何もしてはいませんでした」
ヨーゼフの問い掛けに対し、ステファンは興奮気味に答を返す。
「なんで最初に説明してくれなかった」
「私の主観が多分に入ってしまいますし、私達を助けてくれた動機や目的はわからないままでしたから。それなら、隊長に直接聞いていただいたほうが早いかなと思ったのです」
申し訳なさそうに顔を伏せるステファンを見て、大きなため息を一度吐き出した後、ヨーゼフは再び玉藻のほうに視線を向け直した。
「部下の話を聞いて余計にわからなくなった。いったい、そいつは何者なのだ? いや、そもそもあなた自身もわからない。人には絶対に懐かないはずの野生のジャッカルを操ってみせせたことといい、やはり、そいつが今回の件を仕組んだとしか思えない。ひょっとしてあなたもグルなのか? わざとコブララプターに襲いかからせて窮地に陥らせ、その上で助けてみせたのか?」
疑惑の色を隠そうともしないままに玉藻を見つめるヨーゼフ。
そんなヨーゼフを玉藻はしばらくの間黙って見詰め続ける。玉藻はこのとき、目の前の白虎族にわかりやすく説明するために今回の顛末を頭の中でまとめ続けていた。だが、途中でそれを放棄する。
彼らが自分の最愛の人に対して行ってきた無礼な態度の数々を思い出したからだ。玉藻は、苦労して脳裏にまとめていた内容を全て破棄する。
そして、首をゆくりと横に振って見せながらヨーゼフ達に見せつけるように、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「なんかめんどくさくなってきたわ。あたし達が嵌めたって思っているなら、もうそれでいい。ハイハイ、スマソスマソ」
「なにっ!?」
「どんな説明したって難癖つけるつもりなんだろうし、いいからさっさとかかってきなさいよ。あんた達の相手するのもいい加減疲れたわ。ここで騒がれるといつまでたっても連夜くんは休めないし、どのみち最後は『腕づくで真実を語ってもらうぞ』とか言ってかかってくるつもりなんでしょ? いいわよ。相手してあげる。どっちかというと私としてはそういう展開のほうが都合がいいしね」
どこからともなく取り出したタオルケットを丸めて枕にし、連夜の頭を膝からおろしてそっとそこへと移しかえる。そして、激昂し身構えるヨーゼフの方を向いて狐の美女はゆっくりと立ち上がった。
「ほら、かかってきなさいよ。もうそろそろ体力は回復してるでしょ? どうせ誰も見てはしないわ。二人がかりでかかってきていいのよ」
不気味に光る金色の瞳が射抜くようにヨーゼフ達を見つめる。しばしの間、ヨーゼフとステファンはそんな玉藻をじっと見つめていたが、やがて怒気を発しながら背中に手を回し、それぞれの武器を構えて玉藻の方へと向けた。
「お望み通り力づくで真実を聞かせてもらうことにしよう。言っておくが、盾職が攻撃できないと思ったら大間違いだ」
「隊長、援護します」
「ああ、頼むぞ」
やる気満々になっている二人に対し、玉藻はニヤリと笑みを浮かべてみせる。そして、片手を彼らのほうへと向けると、手招きして彼らを挑発。
「ご託はいいから、さっさとおいで」
「き、きさまぁっ!」
玉藻の顔に浮かぶ明らかに嘲笑に、怒りの声をあげたヨーゼフが突進していく。大型のカイトシールドを前に突き出し、その影に左手の片手剣を隠すようにして玉藻との距離を詰める。
「腕の一本か二本は覚悟してもらうぞ。はぁぁぁっ!」
猛進する鉄壁。当たればタダでは済まないことは一目瞭然。だが、玉藻はそれを見ても毛ほども脅威と思わなかった。それどころか、彼女の眼には目の前の虎が、炎の中に飛び込んでくる蛾に見えていたのだった。
玉藻の口が裂けるほどつりあがり三日月の形に変化する。
「存分に足もとの土を味わうがいい」
「・・・あんたがね」
二匹の猛獣がお互いを見てあざ笑う。お互いに訪れるであろう悲劇的な未来を予想し嗤い合う。
そして、激突の時。
強大な二つの武力はぶつかり合い、そして、片方を容赦なく押しつぶす。
だが、それは獣たちが事前に予想していた未来ではない。
敗者の呻き声をあげたのは間違いなく二匹のうちの一匹であったが、勝者の咆哮を挙げたのは別の獣。
勝者にも敗者にもならなかったもう一匹の獣は、突然乱入してきたもう一匹の獣を茫然と見つめる。
「え、ちょ、あの、あなたは」
あまりにも急展開な出来事に困惑しきりとなっているのは本来の対戦相手であった玉藻。
彼女は、敗者となって這いつくばる若い虎と、その側に仁王立ちし傲然と見下ろしているもう一匹の壮年の虎とを交互に見つめる。
再び訪れる沈黙の時。だが、それは乱入者であるもう一匹の虎によってすぐに破られた。
「何をやっとるか、この馬鹿者がぁ!!」
咆哮一喝。
うつぶせで地面に倒れ伏したままの若虎に向かって怒りの声をあげるのは、一匹の虎。
ヨーゼフと同じオーロラの紋章を刻んだ全身鎧に身を包み、凄まじい武のオーラを放つ。玉藻はその人物を知っていた。
「ベルンハルトさん」
ベルンハルト・アルトティーゲル。
武装交通旅団『白光のカーテン』の団長にして、白虎族最強の族長。
そう、彼こそが玉藻とヨーゼフとの激突の間に割って入った乱入者の正体。そして、ヨーゼフを一撃の元に沈めた張本人。
玉藻の呼び掛けにちらりとだけ振りかえってみせたベルンハルトであったが、すぐに別の方へと視線を向け直す。
そこには彼の側近と思われる同年代の戦士達の姿。
ベルンハルトが彼らに目配せをすると、戦士達は一斉にヨーゼフとステファンを取り囲んで拘束。怒れる族長の目の前へと連れて行く。
「いつまでたっても報告に戻ってこないと思って来てみれば、これはいったいどういうことだ、ヨーゼフ。貴様ら、命を助けてもらった恩人に対し何をしようとしていた!?」
再びあがる怒りの声。だが、先程の一撃で未だに目を回したままのヨーゼフは答を返すことができず、かわりにステファンが口を開いた。
「だ、団長。そ、そいつは恩人ではありません。我々のことを嵌めようとした大悪人で」
「黙れっ! 貴様、何を証拠にそのようなことを言っている!?」
「今回のコブララプターの襲撃事件、あまりにも出来過ぎています。完全に我々の虚をついた奴らの襲撃。絶妙すぎるタイミングでの助太刀。『特効薬』でしか治せないはずの毒を治療したこと。そして、何よりも不審なのがあのジャッカルの群れです。人に懐かないはずのジャッカルの群れをあやつっているだけでも怪しいのに、これだけのラプターの死体を全部食わせているんですよ。矧ぎ取って売り払えばかなりの金額になるというのに、これが怪しくなくてなんなのですか。どうみても証拠隠滅しているようにしか見えません」
側にいるだけで圧倒される凄まじい闘志に晒されながらもステファンは族長に必死に弁明する。
だが、ベルンハルトが発する強烈なプレッシャーは全く緩む気配がない。むしろ、どんどんと冷たく、そして、更に強くなって二人へと放たれる。
「今、貴様は『虚をついた』といったな? つまりおまえ達はコブララプターの襲撃に対し何の備えもしていなかったということか?」
「え? は、はい。まさか、こんなところにコブララプターの群れが現れるなんて誰も予想だにしていなかったですし」
「何故、予想できなかった? まさかとは思うが、おまえ達はコブララプターの群れがこのあたりをうろついているということを知らなかったというのではなかろうな?」
「あの、その、知らなかった・・・ですが」
問いかけてくるその内容の意味が全くわからないままに、ステファンは正直にそれに対する答を返した。すると、しばしの間ステファンを睨みつけたベルンハルトは、これまで以上に物騒な気配を全身から立ち上らせて、横で目を回し続けているヨーゼフへと視線を移し直した。
そして、凄まじい勢いで張り手を一閃。
頬を叩かれた衝撃で我に返ったヨーゼフに対し、ベルンハルトは唸るような声で再び問いを発する。
「ヨーゼフ、貴様、これはいったいどういうことだ?」
「なななんのことでしょうか」
「とぼけるな。何故、七番隊の隊員はコブララプターの群れのことを知らなかったのだ?」
「何故と、言われましても、団長もご存知の通り南方の交易路は今日まで封鎖されておりましたし、団の斥候部隊もまだこの近辺の詳細な情報は掴んでいなかったはずで」
「確かに我々『白光のカーテン』の斥候部隊は、まだこの近辺を調査しておらん。だがそれは我々が調べていないというだけで情報そのものは既にあったはずだ。それを何故貴様が知らないのかと聞いている」
「何故といわれましても。あの、団内の定例会議でも連絡網でもそれらしい情報はお聞きしていないと思うのですが」
「貴様、俺の命令を無視したのか?」
「い、いえ、無視はしておりません。結果を見れば十分とはいえませんが、それでも先行部隊としての務めを果たそうと」
「先行部隊の任務を言い渡すその前に、貴様に申し渡しておいたことがあったはずだぞ」
「その前にですか?」
ベルンハルトの問いかけに対し困惑の表情を隠そうともしないヨーゼフ。そんなヨーゼフの姿に、ベルンハルトは益々眦を吊り上げ、周囲で彼らの問答を聞いている同僚達は呆れかえったといわんばかりの視線をヨーゼフへと向ける。流石のヨーゼフも自分がとんでもない大失敗をやらかしたのだと察しはしたが、どうしても理由が思い浮かばない。
自分はいったい何をどう間違ったというのか。横で一緒に叱責されているステファンへと視線を向けてみるが、彼もまた怒られている理由がわからないとばかりに首をかしげている。
なんとも言えない痛い空気が流れる中、このまま黙っていても仕方ないと諦めたヨーゼフは、恐る恐る団長に問いかける。
「だ、団長。自分はいったいどういうミスを犯したのでしょうか」
「わからんか?」
「わかりません」
本当に全く理解していないとわかるその表情に、ベルンハルトをはじめとする周囲の者達は一斉にため息を吐きだした。
「俺はおまえ達に言ったはずだぞ。中央庁から派遣されてきた者と必ずに事前に打ち合わせを行った上で協力して任務にあたれと」
「あ! い、いえ、それは確かにそうですが、しかし、このような怪しげで見るからに力がないとわかる者の手を借りずとも自分達だけで任務を成功させることができると判断し・・・」
「コブララプターの群れがこの近辺をうろついているという情報を俺は事前に知っていた」
「・・・え?」
「いや、俺だけじゃない、一番隊から六番隊までの全員がその情報を知っている。今現在各地に散って情報の確認を行っている斥候部隊も、各馬車を護衛している防衛部隊も、それをサポートしている支援部隊も勿論その情報を知っている。知らなかったのはおまえ達七番隊の者だけだ。それが何故だかわかるか、ヨーゼフ?」
「は? 知っておられた? いや、まさか、そんな、この近辺は奴らの生息地域ではないはず。一年前はこのあたりに奴らの姿はなかった。我々の旅団もこの一年、ここには一度たりとも来てはいない。なのになぜ」
「中央庁から派遣されてきた協力者達によってそれらの情報がもたらされたからだ。コブララプターの情報だけではない。他にもこちら側に流れ込んできている危険な原生生物の情報や、盗賊、夜盗の類の情報もある。また、様々なアクシデントに対応できるようにと用意された補給物資のこともあった。皆、中央庁から派遣されてきている協力者の皆さんときちんと事前に打ち合わせを行い、万全の態勢でこの旅に出発したのだぞ? なのに、おまえ達は全くそれらを行わないままに先行偵察に出たという。おまえ達は俺の命令をいったいなんだと思っているのだ?」
改めて突き付けらる事実に愕然とするヨーゼフとステファン。両名ともしばらく口をあけてポカンと放心していたが、ヨーゼフは慌てたように自分達の団長に問いかける。
「そんな。だ、だけど、あいつはそんなこと一言も言ってはこなかった」
「おまえは打ち合わせすることをきちんと相手に打診したのだろうな?」
「そ、それは・・・」
今までのような大声での一喝ではない。むしろどこまでも静かな問い掛けに対し、ヨーゼフは口を開いて答を返すことができなかった。
しかし、代わりに答を発したものがいる。
「完全に侮って、散々馬鹿にして、挙句の果てには邪魔者扱いだったもんね。打ち合わせする気なんかはなっからなかったって正直にいえばいいじゃない」
「お、おまえっ!」
知られたくないことを口にされ、ヨーゼフは顔を真っ赤にして逆上する。弾劾の言葉を発した者を探してみれば、そこにいるのはあの金髪の美女。ヨーゼフは悪あがきとばかりに言い逃れを開始する。
「と、途中からやってきたくせに口を挟むな。まるで見ていたかのように言うのはやめてくれ!」
「見ていたかのようにじゃないわよ。最初から最後まで見ていたのよ」
「何を馬鹿なことを。あんたは最初いなかっただろうが」
「いいえ、いたわよ。あんた達のすぐ側にね」
そう言ってニヤリと嗤って見せた玉藻は、己の姿を変化させる。空間が歪むようにして美女の周囲が見えづらくなったと思った次の瞬間、ヨーゼフの視界が再びハッキリする。
そして、そこに立っていたのは。
「お、おまえ、あの大狐!? き、騎獣じゃなかったのか!?」
玉藻の正体を知って茫然とするヨーゼフとステファン。そして、そんな二人を今度こそ呆れ果てたと言わんばかりに見つめるベルンハルトは、明らかに失望とわかるため息を吐きだした。
「一番年若く柔軟な考えができるおまえなら最適だと思って連夜と組ませたというのに、俺もヤキがまわったな。スクナー長官に何と言ってお詫びをすればいいのやら」
今までに見たことがないほど落胆した姿を見せる団長を見て、周囲の側近達は無言で非難の視線をヨーゼフ達に浴びせかかる。
勿論そんな空気を存分に感じていた二人は肩身の狭い思いを感じていたが、それでも尚納得できないとばかりに口を開いた。
「しかし、団長。おかしいではありませんか。各種族の中でも特にエリート中のエリートが集うことで有名な名にし負う中央庁の精鋭に最底辺の人間族がいるなんてどう考えても納得できません」
「そうだ。しかもまだ二十歳になってないようなガキじゃありませんか。こんな奴が中央庁から派遣されてきた協力者だと言われても信じられませんよ」
「黙れ! だったら最初にそう言えばいいだろうが。ならば何故、出立前、顔を合わせた時点で俺にそれを言わなかった。ヨーゼフ、少なくとも貴様はその機会があったはずだぞ」
「・・・それは・・・その」
「情けない。本当に情けない。我が種族の者達には人を種族や年齢で差別したりするものはいないと思っていたのに、自分達のミスを認めないばかりか出てきた言い訳がそれか。そんなくだらんプライドを捨てきちんと連夜と打ち合わせをしていれば今回のような無様な結果にはなっていなかったはずだ」
「くっ! お言葉ですが、やはり納得ができません。事前に情報を知っていたなら、何故、我々は不意をうたれたのですか? 確かに我々自身はコブララプターのことは知りませんでした。しかし、そこの小僧は違ったわけでしょう。こいつは知ってて黙っていたんだ。我々が襲撃されることを黙っていたわけじゃないですか。コブララプターの群れが襲撃してきたとき、こいつだけは気がついていたはずだ。なのに、実際に先に見つけたのは我々のほうだった。ここまで言えば団長にだってわかっていただけるでしょう。こいつは俺達をわざと死地においやったんですよ!」
逆切れ気味に叫び声をあげるヨーゼフに、隣に立つステファンも同調するように大きく頷きを返す。だが、周囲の者達の視線はあくまでも白い。そしてそれは彼らの目の前に立つ団長もまた同じ。聞きわけのない子供をどうやって諭そうかというような困惑の表情を浮かべて彼らを見る。
だが、ベルンハルトよりも先に口を開いた者がいる。
「端っから聞く気がなかったくせに、よくもまあそれだけペラペラと好き勝手言えるものね」
「な、なんだとぉっ!?」
激昂したヨーゼフが声の主の方へと視線を向けると、そこには再び人の姿にもどった玉藻の姿。彼女はヨーゼフの視線を真っ向から受け止めると、逆に凍てつくような絶対零度の視線で彼を睨み返す。
「私達は神様じゃないのよ。奴らがこの近辺にいるっていう情報は確かに知っていたわ。でもだからって、奴らの動向をリアルタイムで把握しているわけないでしょ。あなただったらどうなのよ。仮にあなたがコブララプターの群れが近くにいたと知っていたとしてリアルタイムで奴らの動きを追うことができたのかしら?」
「そ、それは、しかし、リアルタイムでは無理かもしれないが・・・そ、そうだ。偵察要員を森の中に派遣して、どのあたりにいるかくらいは確認することができたはずだ」
「そうね。偵察要員を派遣すれば、ある程度の位置はわかったかもしれないわね。でもね、そもそも、どうして私達はたった二人しかあなた達に同行していなかったと思う? 中央庁からの派遣要員がたった二人だなんてことあると思う?」
「いや、その理由はわからんが」
「ちょっとは考えなさいよ。ほんとあんた自分のことしか考えないのね。それでよく隊をまとめるリーダーになれたわね」
「ぐっ! な、なら、何か理由があるというのか!?」
「あるに決まってるでしょ。あんた達が全く連夜くんと協力しようとしないから、連夜くんは独自で動くしかなかったのよ。中央庁が今回のミッションで『白光のカーテン』に協力すべく派遣した協力要員は全部で八十七人。そのほとんどはみんな本隊のほうに配置されている。当然よね、本隊に一番民間人が多いんだから。それについては当然の配慮だと思う。だから、本来ここには連夜くんと私しか配置されない予定だった。けどね、たった二人じゃ偵察任務を行えない。だから連夜くんは自分の人脈からわざわざ人を呼び出してここに配置させたの。十二人もね。なのに、どうして私と連夜くんしかここにいないと思う?」
「いや、だから理由はわからん」
「無能な先行偵察部隊が大怪我をしないように、更に先行して偵察を行うために決まってるでしょ!」
「な、なにぃっ!?」
「あんたね、この街道は一年もの間封鎖されて『人』の手が入っていない状態だったのよ。普通に考えてもまともであるわけないでしょうが。この一週間、連夜くん達が事前に調査してみただけでも、南方から十種類以上もの原生生物が流れ込んできていることが確認されているわ。しかもその大半が南方地域でもB級以上に指定されている危険な性質のもの。ハッキリ言うけど、コブララプターよりもさらに凶暴な生き物がうろうろしているのよ。そいつらにいきなり鉢合わせしないように、連夜くんは自分の身の安全を後回しにして隊員のほとんどをそれらを発見し監視させるために出動させたわ」
「こ、コブララプターよりも更に凶暴で危険な生物がまだいるだと・・・」
あまりにもショッキングな告白に思わずよろめくヨーゼフとステファン。そんな二人を玉藻は怒りを隠そうともせずに更に追いこんで行く。
「わかる? 本来ならこれはあんた達の仕事だったのよ。私達の仕事はその情報をあんた達に伝えた時点で大半が終わっているはずだった。あくまでも私達はあなたたちのサポートであって、強行偵察の任務そのものをこなすことじゃない。だけど、ここで何もしなかったらキャラバン全体が危うくなる。あなた達が全滅するのはあなた達の勝手で自業自得だけど、このキャラバンには他にも民間人の人達が多数乗り込んでいるのよ。無責任に放り出すことはできないわ。だから、連夜くんはできるだけの手を打ったの。自分の身が危うくなることも厭わずに。あなた達が襲撃されたときだって、真っ先にあなた達を助けようとしたし、実際に助けた。なのに、あんた達は、自分の失態の原因をその恩人にかぶせようというわけ? どこまで恥知らずな生き物なの」
「「・・・」」
流石の二人も玉藻に対し言葉を返すことができずに黙りこむ。
しばし、そんな二人を睨みつけていた玉藻であったが、やがて、目の前で見せつけるように唾を吐き捨て彼らに背を向ける。謝罪の一つ、あるいは後悔の表情の一つも浮かべるかと思ったが、そこにそれらを見出すことができなかったからだ。失望の表情を浮かべたのは玉藻ばかりではない。
周囲を取り囲む壮年の戦士達や、彼らの上司でこのキャラバンの総責任者でもあるベルンハルトもまた苦々しい表情で浮かべて彼らを睨みつける。
「今更おまえ達に言っても仕方のないことだがな、連夜はこの日のためにこの封鎖されていた交易路の様々な場所を詳細に調査してくれていたのだ。そして、そのための事前準備も万端に整えてくれていた。なのにおまえたちときたら、自分達の力を過信して大失敗。下手をすれば全滅していたのだぞ。それを救ってもらっておいて、今度はその恩人を犯人扱いとは恐れ入る」
自分で言っているうちに完全に頭を抱え込んでしまったベルンハルト。しかし、情けなく歪めていた顔を厳しい表情に変化させると、側近達へと視線を向け直す。
「本隊に連れて行け。そして、七番隊の者は全員しばらくの間降格。とりあえずこの旅の間は武器も防具も取り上げて、雑用をさせておけ。本来なら反省部屋に押し込めておきたいが、一人でも人手がほしい状態で遊ばせておくわけにもいかん。今回の本格的な処分については旅が終わってから改めて申し渡す。以上だ」
『はっ!』
「「ま、待って下さい、隊長!」」
尚も見苦しく言い訳を続けようとする二人を、側近の者達は有無を言わせず引き摺って連れて行こうとする。
だが、そのとき、持てる力の全てを使ってヨーゼフが側近達の腕を振り払った。そして、もう一度ベルンハルトの前に踊り出る。乱心して襲いかかろうとしているわけではない。重大なあることについて唐突に気がついた為、どうしてもそのことを確認したかたったのだ。
「団長。お願いです。刑に服す前に一つだけお教えください」
「なんだ?」
「今まで気がつかないままに聞き流していましたが、あの小僧のことを団長は『連夜』と呼んでいましたね。恐らくそれは奴のファーストネームだと思うのですが。いったい奴は何者なんですか?」
「くどいぞ、だから中央庁から派遣されてきた・・・」
「それは表向きの話でしょう。団長、正直に教えてください。あいつと団長はいったいどういう関係なんですか? そして、あいつの本当の正体はなんなのですか?」
「・・・」
痛いほどの沈黙がその場を支配する。
すぐにはその答を口にしないベルンハルト。ベルンハルトの側近達はその答えを知っていたが、敢えて口にはしない。完全に部外者の立場になって静観している玉藻もまた勿論、口を挟みはしない。
いつまでも流れ続ける嫌な空気。
そのことでヨーゼフとステファンは、自分達だけがそのことを知らなかったのだと悟って唖然とした表情となる。そんな二人を黙って見つめ続けていたベルンハルトであったが、やがて諦めたように口を開いた。
「彼の本名は『宿難 連夜』。城砦都市『嶺斬泊』の中央庁特殊省庁『機関』の総責任者であるドナ・スクナー長官のご子息であると同時に、俺がかつてお仕えしていた方のご子息でもある。これ以上詳しくは語れないが、つまり世が世なら俺達が直にお話しすることなど許されないような、やんごとなき身分のお方なのだ」
「「は、はいぃぃっ?」」
今までで一番信じられないような内容の告白に、素っ頓狂な声で大絶叫するヨーゼフとステファン。
少しの間茫然としていた彼らであったが、きっとタチの悪い冗談に違いないと周囲を見渡してみる。だが、彼らを取り囲む誰一人として笑っている者はいない。むしろ沈痛な面持ちでヨーゼフ達を見つめている者がほとんど。中には玉藻を始め、明らかに『ざまあみろ』といわんばかりに嘲笑を浮かべている者もいたが、いずれの表情にも『実はこれ冗談なんだよ』と語っているものは一つとしてない。
「ほ、本当なんですか?」
「本当のことだ」
「そいつ、に、人間族ですよね。確か、ドナ・スクナー長官は特級クラスの聖魔族の方だったと」
「それでも間違いなくあのお方が御産みになられたご子息だ」
「ば、馬鹿な。最下級最底辺の人間族が王族クラスの立場にあるなんて、そんな馬鹿なことが」
「う、嘘だ。これはきっと夢だ。夢なんだ」
あまりのショックでうわごとのように否定の言葉を繰り返す二人。そんな二人をしばらくの間ベルンハルトは見つめていたが、やがて片手を振って側近達に二人を連れていくように指示。
毒気が抜かれたようにおとなしくなって連れて行かれる二人を、しばらくの間苦虫をかみつぶしたような表情で見送っていたベルンハルトであったが、その背中が見えなくなると玉藻のほうへと身体ごと向きなおり深々と頭をさげた。
「うちの若い者達がずいぶんと迷惑をかけてしまったようだ。本当にすまない」
「『気にしないでください』とは絶対に言いませんよ。正直、私本人は全く許していませんから」
「だろうな」
誠意のこもったベルンハルトの謝罪の言葉を耳にしても、玉藻はしばらくの間怒りの表情と態度を崩そうとはしなかった。
だが、そんな玉藻の目にすぐ近くで眠っている恋人の姿が映る。誰よりも愛おしく大事で大切な彼女の宝物をじっと見つめていた玉藻であったが、やがて大きなため息をひとつ吐き出して肩の力を抜く。
そして、ゆっくりと彼の元へと歩み寄り再び彼の頭を自分の膝の上へと乗せた。
「でも、私の彼氏は超お人好しなんで『気にしないでください』って平気で言うと思います」
「そうだな」
「本音を言えば許したくありませんが、仕方ありません。なので今回のことはこれで終わりということで結構です」
「かさねがさね申し訳ない。そして、うちの若い者たちを助けてくれてありがとう」
「礼なら連夜くんに言ってあげて下さい。彼らにも言いましたけど、本当に私はほとんど何もしていません」
「だが、コブララプター達を全滅に追い込んだのも、麻痺毒に犯された隊員達を救ったのも君だと聞いているが」
腕を組んで小首を傾げる壮年の虎に、玉藻は少しだけ面倒くさそうな表情を浮かべたが、ヨーゼフに対するように邪険に扱ったりはしなかった。
「コブララプターを私一人で全滅することができたのは、連夜くんが奴らにだけ効く猛毒をこの近辺一帯に散布して回ってくれたおかげです。あれなら子供でも倒せたでしょう。なんせ軽く押すだけで身体が勝手にバラバラになるんですから」
「むう。しかし、隊員達は随分苦戦していたようだが」
「人体には全く影響がないらしいんですが、毒がまわるのに結構時間がかかるそうなんです。私は奴らに毒が十分回ってから戦いに介入しましたが、そのときには皆さん満身創痍で満足に戦える方は一人もいらっしゃいませんでした。一人でも戦える方が残っていらしたなら、私が特別強かったわけではないということが理解していただけたのでしょうけど」
「なるほどそういうことか。では解毒の件はどう説明する。あれは何か特別な術式を使ったのではないのか?」
「いいえ、私が使ったのは一番基本的な『解毒』の術式。小学校で習うような類の術ですわ」
「と、いうことはやはり連夜が用意していた『解毒』の薬とやらのおかげなのか?」
「そうです。これもコブララプターの麻痺毒にのみ効果がある解毒薬です。逆に言えば他の毒には全く効果がないので、それこそコブララプターの群生地近くに住んでいる人でもなければ購入することはほとんどない代物。当然、こちらでは販売しておりません」
「販売していないモノをどうやって手に入れたんんだ? いや、待てよ。そうか。連夜の奴自作したのか」
「はい。アルカディア行きの交易路にラプターの群れが現れているという情報を得てすぐに作成に取り掛かり、うちの妹と一緒になってそれこそ不眠不休で結構な数を作成していました。ハッキリ言ってこれらの薬がなかったら、私がいくら術式を行使したってなんの意味もなかったでしょう」
「なるほど」
「あ、そうだ。ついでにあの『わんこちゃん』のことについて弁明しておきます」
そう言って玉藻が視線を向かわせたのは大河『黄帝江』のすぐ横に存在する河原。そこでは『人』よりも大きなイヌとも狼ともつかぬ生き物達が爬虫類の死肉を貪っている姿。いや、貪っているのは死肉だけではない。河原中に飛び散ってできたたくさんの血溜まりも綺麗に舐めて食している。その食事のスピードは凄まじいモノがあり、河原一面に展開していたはずのコブララプター達の死骸は、既に半分以上が無くなってしまっていた。また、その死骸から吹き出していた不快な死臭もほとんどわからないほどに薄らいでいる。
そんな様子を玉藻と一緒になって観察していたベルンハルトであったが、やがてなんとも言えない苦笑を浮かべて玉藻のほうに再び振り向く。
「ああ、わかってる。一定時間放置しておくとコブララプターの死骸は体内の麻痺毒を放出するからってことと、血の匂いに誘われて他の危険な原生生物が寄ってきてしまうかもしれないから・・・だろ?」
「ええ。隊員も仰っておられましたが、本来ラプターは高額な獲物です。皮や骨をはぎ取って戦利品にすべきなんでしょうけど、それをするためにはある程度の人数が必要ですし専用の機材もいります。そして、それを行うならばできるだけ手早く済ませなければ、付近一帯が死骸から放出される麻痺毒に汚染されて大変なことになってしまう。また、コブララプター以外にも危険な原生生物が他にも多数この近辺をうろついていることを連夜くんは確認しいます。中にはコブララプター以上に危ない奴もいるみたいですし」
「それも聞いているよ。だからこそ『森の掃除屋』であるジャッカルの登場なわけだな」
「仰る通り様々な動物の死体を食して自然に処理する『森の掃除屋』。それがブラックジャッカルです。彼らは様々な種類の猛毒に対して抗体を持っています。それ故に人にとっては害にしかならないような腐肉や死肉も平気で食べることができるのです。そして、それらを体内で無害なものへと変換し、糞にして外に放出する」
「『ハンター』にとっては当り前の知識だな。しかし、『傭兵』にとっては当り前じゃない」
「みたいですね。私達『ハンター』志望の学生なら、高校に入る前に習うような話ですが。七番隊の方々はご存知なかったようで。しかし、よくベルンハルトさんはご存知でしたね」
「舐めるな。これでも一応『ハンター』免許も持ってる」
「え? そうなんですか? てっきり『傭兵』免許オンリーのガチガチの武闘派の方とばかり思っていました」
「一応幹部クラスには両方持つように言ってあるんだがな。ヨーゼフにはまだ取らせてなかったんだ。こんなことになるなら休職させてでも『ハンター』教習所に行かせるべきだったよ」
「戦闘に特化した職業である『傭兵』と『外区』でのサバイバル全体の技術を扱う『ハンター』では大分その内容が違ってきますからね」
「そうだな。ところで話は変わるが連夜の奴、『獣使い』としての技術も持っていたのか? これだけのブラックジャッカルの群れをこんな短時間で集めることができるなんて。まぁ、こいつは技術や技能のびっくり箱だから今更驚きはしないがな」
玉藻の膝の上ですやすやと眠る連夜の顔をベルンハルトは称賛のこもった瞳で見つめる。だが、そんなベルンハルトの言葉を聞いていた玉藻は、苦笑いをしながら首を横へと振る。
「む、違うのか?」
「ええ。流石の連夜くんも野生の動物をそう簡単に飼いならすことはできないそうです」
「じゃあ、どうやって集めた?」
「それに関しては私の口からは言えません。彼が起きた時に直接御聞きになってください」
「いや、そういうことなら深くは聞かないでおこう。それよりも、ジャッカルどもはどれくらいの時間でこのあたりの掃除を完了するだろう」
「連夜くんの話ではだいたい二十分ほどということでしたから、もうそろそろ終わるのではないでしょうか。食事が終了すれば森の奥にある棲家に勝手に引き返すということでしたし、本隊をそのままこちらまで誘導していただいても大丈夫だと思います」
「承知した。では、本隊に戻って行軍を再開することにする。世話をかけたな。ありがとう、如月 玉藻」
「いえ。何度もいいますが、私はほとんど何もしていません」
「それでも礼がいいたいのだ。『白光のカーテン』を率いる総帥としてはな」
もう一度振り返って頭を下げようとするベルンハルト。だがそれに対し、玉藻はひらひらと片手と首を横に振ってそれを遮り辞めさせる。
ベルンハルトはそれでも尚、何かを言いたそうではあったが、玉藻とのにらみ合いの果てに苦笑を浮かべて諦める。
「わかった。取り合えず今回のことはいずれ何らかの形で謝罪として返すことにする。さて、今度こそ本隊に戻ることにする。連夜が起きたらよろしく伝えておいてくれ」
「わかりました。本隊までの道中に危険はないとは思いますが、くれぐれもお気をつけて」
「忠告に感謝する。そうだ、ヨーゼフの後任だが、俺の副官を務めている男をよこすことにする。カルツと言ってな、連夜とも知己の間柄だ。少々歳はとっているが、今回のようなことにはなるまい」
「『重磁剣』のカルツさんですね。連夜くんからその方の御話については聞いています。わかりました。いらっしゃるまでにこちらの片づけをすませておきます」
「頼む。ではまたな」
そう玉藻に告げた後、ベルンハルトは護衛として残っていた数名の戦士達と共に本隊へと戻っていった。
玉藻は最後までその後ろ姿を見送りはせず、ある程度ベルンハルトの背中が小さくなったところで、自分の膝の上に眠る恋人へと視線を移し直す。
「ほんと、連夜くん、御苦労さま」
側にいても聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟き、優しくも悲しげな表情で恋人の頬をそっと撫ぜる。
「こんなに一生懸命に頑張ってるのに、どうして連夜くんの好意は報われないことが多いのかしら。連夜くん。そんなに頑張らなくていいと思うよ。あなたが思っている以上に、あなたの周囲にはあなたの優しさを受ける資格がない奴が多すぎる。同じ『人』と呼ぶにふさわしくない奴らばかり」
優しい口調に優しい手つき。だが、その瞳には激しい怒りと憎しみが溢れている。しかし、それは決して眼下の恋人に向けられているわけではない。
玉藻は恋人の頬を撫ぜることをやめると、自分自身も恋人の横に身を横たえ、自分よりも小さなその身体をそっと抱きしめる。
いつの間にか、ジャッカル達の群れはいなくなってしまっていた。コブララプターの死骸や血溜まりはすっかり姿を消し、ここで激闘があったなどと思えないほど平和な風景のみが広がっている。
そんな風景の中にたった二人取り残された恋人たちは、身じろぎもせず抱き合い身を寄せ合い続ける。
そうして、どれくらい時間が過ぎたであろうか。
妙にそわそわした風に起き上がった玉藻は、顔を赤らめながらきょろきょろと周りを見渡し始める。
「ま、まだ、誰も来てないわね」
誰もいないことを神経質に念いりに確認した後、自分のすぐ下で眠る恋人の寝顔を凝視。妙にギラギラした視線でしばらく見つめていたかと思うと、おもむろに彼の身体を御姫様だっこする。
「あ、あのあたりの茂みで、ちょっとだけ。誰か来る前に一回くらいイケるわよね。うん」
などと物凄く不穏な言葉を吐き出しながら、森の茂みの奥深くにそそくさと消えていく。
そして、しばらくの後、妙に規則正しい一定間隔でガサガサという草木の擦れる音と、女性のつやっぽい声が森の中を響き渡り始める。
わかる人にはすぐにわかってしまう、そんな音、あるいは声がどれくらい続いたであろうか。
数人の足音がその音源に近づいてきて、そして・・・
「連夜さ~ん、偵察完了しましたので報告に・・・って、きゃ、きゃああああっ、お、お姉ちゃん!? す、すすす、素っ裸!? なんで!? しかも連夜さんの上にまたがって何やってるのぉぉっ!?」
「・・・あっ」