第四十八話 『許されざる計画』
城砦都市『嶺斬泊』の中でも屈指の大きさを誇る一大繁華街『サードテンプル』。
中でも特に人気スポットとなっているのが、東西を貫くようにして走る『セントラルタウン』という名の巨大商店街である。
様々な種類の店舗が大きな道の両側にびっしりと立ち並び、地元の『人』でも全ての店を見て回るのは到底一日では不可能という。食料品から衣料品。銀行に病院。中央庁の簡易出張所や都市防衛警察の派出所も存在している。他にも本屋、念動機器販売店、旅行会社。傭兵ギルドやハンターギルドの受付まで存在しているかと思えば、子供向けのヒーローショーを行っている野外会場や、芸能人向けのコンサート会場まで存在している。
ともかく、そこにある様々な店舗をただただ見て歩くだけでも十分に面白い。
しかもこの商店街、客への配慮も万全に近いものがある。
どんな天候でも買物ができるようにと商店街の上には巨大なアーケード。
道の途中で休憩できるようにと、小さな公園やトイレなどの施設が一定間隔で設置されている。
また、都市防衛警察の特別警備班が商店街の中を常時巡回しており、犯罪への対策もバッチリとなっている。
これほどの観光スポットであるから商店街の中はいつも多くの人々でにぎわっている。それも平日、休日関係なしの賑わい方で、酷いときなど大型車両六台が並んで通れるほどの道が圧倒的な人の数で埋め尽くされ身動きがほとんどとれないときもあるという。
そして、今は夏休みの真っ最中。当たり前であるが、商店街の中は普段の休日の時以上の賑わいを見せている。
東西を走る商店街のメインストリートの上には数え切れないほどの凄まじい数の『人』。長い長い入り口から出口まで途切れることなく『人』の姿。勿論、道の左端から右端までもぎっちりと『人』で埋まっている。上から見ればまさに『人』でできた大河のようだ。
その中は、かろうじて停滞することなく流れてはいるものの、道の中央を歩いている人達は巨人族でもない限り両側の店を満足に見ることはできない状態。せめて道の両端にたどり着こうと思ってもなかなか進むのは容易ではない。力のない種族の場合、あっという間に流されて目当ての店にたどり着くことなく通り過ぎてしまうことであろう。
常人ではまず間違いなく自由に動き回ることはできない。
が、しかし。
この人ごみが作り出した大河のど真ん中、流れに流されることなく器用に歩き回る二つの人影が存在している。
巨人族やトロール族といった大型種族に押しつぶされることなく、かといってゴブリン族やドワーフ族といった小型種族に足元を邪魔されることもない。まるで周囲に誰もいないかのようにすいすいと『人』の波を泳ぎきっていく。
彼らはぴったりと寄り添ったまま移動し、右に左にと実に楽しそうに商店街の散策を楽しんでいる。
「ねぇねぇ。連夜くん、アレ見てよ。アレって今CMでやってるdokokaの新作だよね」
「ああ、相手の顔を見て話ができるっていう新型携帯念話ですね。確か携帯に埋め込まれた特殊水晶を使って空中に相手側の映像を投影するとか言ってましたね」
「そうそう。なんかそんなこと言ってたね」
「でもまあ、画像がそれほど鮮明じゃないらしいですよ。あれを買った知人の話ですと、被写体と携帯の位置取りが非常に微妙で調整しにくいうえに、ベストな状態でもおぼろげながら相手が誰かわかる程度の映像しか投影できないみたいですよ」
「そっかぁ。連夜くんの顔見ながら話ができるなら買おうかなって思ったんだけど、ぼやけるんじゃちょっとなぁ」
「まぁ、発表されたばかりの新技術ですしね。まだまだこれからでしょう。それよりも玉藻さん、あそこに展示されている婦人服の秋物一式、なかなかデザインよくないですか?」
「あ、ほんとだ。でもちょっと渋すぎるような気がするかなぁ。隣の店のマネキンが着ているやつのほうが明るい感じがする。デザインはちょっと古臭いけどね」
「まあ、衣服の流行廃りって、ほんとに読めないですから自分好みを選ぶのが一番いいのかもしれませんけどね」
「ねぇねぇ。服もいいけどさ、あっちで売られてる豚マン見てよ。超おいしそう」
「ああ、あそこの店の豚マンは確かに美味しいですよ。ただし、ご覧の通り物凄い行列ですけど」
「げぇっ。よく見たら路地の裏手にまで列が続いているじゃない。流石にあれに並ぶのはちょっとなぁ」
「あはは。まぁ、他にも美味しいものはいろいろありますし、とりえず見て回りましょう」
「それもそうね」
実に嬉しそうにウインドウショッピングを楽しむ二人。周囲の者達のほとんどが移動するだけで手一杯の状況の中、二人は全く苦労する様子を見せぬままに人が作り出す大河の中を自由自在に泳いでいく。
時に念機専門店を。時に服飾店を。そして、時には美味しそうな匂いを放っている屋台を覗き込みながら。
二人は仲良く商店街の中を歩いていっていた。
誰にも邪魔されず、二人だけで楽しむデート。ここのところいろいろとイベント目白押しでなかなか二人きりになれずいただけに、今日は一日思い切り楽しもう。そう思っていたのであるが。
「ねぇ、連夜くん」
途中で買ったクレープを食べながら歩いていた玉藻が、急に立ち止まって連夜の顔を覗き込む。
「どうしました、玉藻さん。僕一押しのミックスフルーツクレープはおいしいくなかったですか?」
自信を持ってオススメした一品が恋人のお気に召さなかったのではないかと、不安な表情で見返す連夜。だが、それに対し玉藻は首を振って否定を示したあと、予想だにしない問いかけを発する。
「さっき強引に突っぱねちゃったまま飛び出して来たけど。ほんとは助けてあげるんでしょ?」
いろいろと足りない言葉が多々ある問いかけ。だが、連夜はその意味を正確に理解する。理解するが故に即答はせず、しばし考える素振りを見せた後、玉藻の期待する答えとは違う言葉を口にする。
「玉藻さんを身代わりにっていうアレは絶対ダメですから」
「いや、うん、それはわかってるんだけどね」
物凄い真剣な表情を浮かべ、いつになく力強い口調でそう断言する恋人の姿に、玉藻の顔にはなんともいえない笑顔が広がる。普段自分自身を押し殺し、玉藻に対して嫉妬らしい嫉妬をあまり面に出さない彼女の恋人。その恋人が珍しくその感情を隠すことなく全身で放出している。自分のことを愛してくれていることはよく知っているし、大事に想っていてくれることもよくわかっている。しかし、こういう負の感情はあまり見せてくれない。
そのことが少々寂しいというか物足りないというか。それだけにこうしてたまに表に出してくれると、ああ、やっぱり自分のことをちゃんと気にしてくれているのだなとわかってなんとも言えない嬉しさが溢れ出てしまう。
いや、本当はわざわざ表に出てくるそれらの感情をいちいち確認しなくてもそれら全てをわかっているのだ。
何故なら自らが掛けた恐るべき『呪い』の力をフル活用し彼の心については隅々まで既に把握している。彼の正の感情は勿論のこと、心の奥底に深き沈み未だになお根強く存在する恐るべき底なしの『闇』そのものといった強烈な負の感情すらも、玉藻は既に熟知しているのだ。
彼の中に眠る様々な感情。中でも彼が心の奥底に封印している『闇』は、半端なものではない。『怨念』という言葉すら軽く感じてしまうほど、その『闇』はとても深く、そして、昏い。だが、それらも含めて玉藻は連夜が愛おしくて仕方がない。
恐らく普通の感性を持つ常人が彼の中に眠る真の『闇』を見つめることがあったとするならば、ものの数秒それを感じただけで間違いなく発狂するであろう。しかし、幸か不幸か玉藻は常人ではない。世間一般の大部分のそれらとは完全に一線を画していることを自らが自覚している。それ故に玉藻はそれらを平然と直視することができるし、また、己の心を寄り添わせることもできるのだ。
彼の心の中で見たもの、それはあまりにもおぞましく、醜く、身の毛のよだつものだった。だが、それがどうしたというのだ。それらは全て玉藻が彼を嫌う要因には当てはまらない。何故なら、そこに玉藻の存在を排除しようという意思が微塵も存在しなかったからだ。
連夜の心の中に、玉藻以外の存在に対しての完全なる『信』はない。だが、玉藻にはある。玉藻に対してだけはある。最早それは『盲信』と言っていいレベルだ。明らかに常軌を逸している。だからこそ、玉藻は連夜の本性がどれだけ残虐で残酷で冷酷で冷徹であったとしても全然平気でいられる。
玉藻に対してはそうではないと。玉藻に対してだけは決してそういう面はないと知っているからだ。
そして、同時に玉藻のことをどれだけ必要としているかも。『執着』という言葉では片付けられないほどの想いを抱えていることも。しかし、その想いが狂っていることもわかっていて、それ故に玉藻を自由にしたがっていることも。自分さえいなければ玉藻は自由になれるのではないかと悩んでいることも。
何もかもを玉藻は知っているし、わかっている。
だからこそ『わかっている』という言葉を口にすることができる。
そして、それだからこそ愛おしくて愛おしくて堪らないのである。連夜の『闇』を知れば知るほど、彼女の心は締め付けられるように切なくなるのだ。
そこまで考えなくてもいいのに。でも、そこまで考えてくれる彼の心が嬉しくて堪らない。
手にしたクレープを急いで口の中に押し込んで、連夜の小さな体を空いた両手で力いっぱい抱きしめる。人目があろうと全然気にならない。肝心の恋人は、玉藻に抱きしめられてしまったせいで、まだ食べ終わっていないクレープが食べられなくなってしまってかなり困惑しているようだが、全然それも気にならない。
「玉藻さん、僕、まだクレープ食べ終わってないんですけど」
「大丈夫、私は気にしないから」
「いや、僕が気になるというか、片付かないというか。もう、いつものことですから別にいいですけど」
一応抗議らしき言葉を口にしてはいるものの、恋人の返事の内容を既に予想していた連夜は諦めたようにため息を吐き出す。そんな彼の困った様子をいたずらっぽい笑顔を見つめて見つめ続ける玉藻。そのまま彼女は話を進めていく。
「で? 具体的にはどういう方法を取るつもり? まさか、私とは別に影武者を用意するとか?」
「それこそまさかですよ。腹の立つことではありますが、あれでも一応一流アイドルですからね。悔しいですがあれの真似を完璧にこなすことができるのは、世界中探しても玉藻さんお一人だけでしょう。まあ、多少質が落ちてもいいのであれば何人か候補がいないわけではないんですけどね。まったくポンコツギンコのくせに生意気です」
「『ポンコツ』って。そこのところ結構こだわるわね。連夜くんがギンコさんのことどう思っているのか、今ひとつ掴みきれてないけれど『キッチン』としての彼女は間違いなく一流のシンガーでダンサーだと思うんだけど」
「まあ、玉藻さんがそういうのならそういうことにしておきましょう。僕としてはあまり認めたくない現実ではありますが」
「いや、何もそこまで嫌がらなくても」
自分の腕の中で苦虫を噛み潰したような嫌そうな表情を崩そうとしない恋人に、もう苦笑するしかない玉藻。
「まあ、ともかく影武者を使う作戦はありませんし、させません。あいつには当日きっちりコンサートを行ってもらいますよ」
「え、ってことは、ギンコさんの命日に会わせてあげるっていう作戦は」
「当然ながら無視です」
迷う素振りを全く見せることがなくバッサリ切り捨てる連夜の返事に流石の玉藻も表情を引きつらせる。
「い、いいの? なんか、ギンコさんそのシチュエーションに結構拘っていたように見えたけど」
「何言ってるんですか。ほんとに死んでるならともかく、本人ピンピンしてるんですから、そんな腐ったシチュエーション無視です無視。大体ギンコのくせにそういうとこだけ妙に凝っているところがムカつくというか、生意気です。だからその案は却下です。っていうか、ファンの皆様あってのアイドルなんですから、コンサートのときくらい真面目に働けというか、むしろ馬車馬以上に働かせないと来てくださるファンの皆様に失礼でしょう。ボランティアでやってるんじゃないんですよ。商業目的でやってて、入場チケットだけでも結構な値段しているんですから。しかも、会場近くに住んでいる方々はともかく、中には近隣諸都市から来てくださる方もいらっしゃるんですよ。交通費だけでもいったいどれだけかかると思います? それもこれもあの『バカ』を観る為なんですよ。奇特というかなんというか。あいつの本性を知ってる僕としては、そういうお客様の皆さまに対してありがたくて涙が出ます。思わず両手を合わせて拝んでしまうときだってあるくらいなんですから」
「あの、連夜くん。流石にちょっと、言いすぎっていうか、言いたい放題っていうか、容赦なさすぎっていうか。そもそも連夜くんの中でギンコさんの評価低すぎない?」
「ゴミよりはマシと思っていますが、何か?」
「普通にひどいよ! ってか、どんだけ低いのよギンコさんの評価。ゴミよりマシって、ほとんど底辺じゃないの、それ!?」
「・・・ぺっ」
「つ、唾吐いた!? しかも、見たこともないようなひどい表情で!?」
普段の穏やかな表情からは想像もできないようなやさぐれきった表情で、何のためらいもなくチンピラのように地面に唾を吐く恋人の姿に顔を青ざめさせる玉藻。そんな玉藻の慄く様子に気づいた連夜は、咳払いを一つして再びいつもの穏やかな笑顔へと表情を変化させる。
「玉藻さんの前だというのについ下品な真似を。失礼いたしました」
「いや、私の前とかどうとかの前にギンコさんに対する評価をもう少しどうにか上がらないものかしら。一ファンとして、少なからず胸にくるものがあるというか」
「なりません。あのアホの性格がどうにもならない以上、僕の中での評価の上昇はありませんしありえません。というか、下がる可能性ならありますけど」
「まだ下がるの!? 底辺ギリギリの今の状態からまだ更に引き下げられちゃうの?」
「アイドルとしては一流かもしれませんが、『人』として、いや、『女』として最低ですから。この際ですからはっきり言っておきますけど、あのアホは、女子力ゼロに近いですから」
「そこまでダメなの!? ダメ子ちゃんなの!?」
「ダメ子ちゃんです」
即答だった。バッサリ袈裟斬り、慈悲の欠片も感じられぬ非情の一撃だった。デビュー以来の大ファンである玉藻としては、非常に複雑な心境。彼女の腕の中にいる連夜は、当然のことながらその心情をしっかり把握していたがあえて完全に無視。手に残ったクレープを悪戦苦闘してなんとか処理しながら話を進めていく。
「まあ、そんなダメダメ狐でも、一応僕の身内にはかわりないのでフォローはします。さっきも言いましたがコンサートは中止させませんし、玉藻さんにも影武者をさせない方向でですけどね」
「連夜くんの中のギンコさんの評価について一回徹底的に話し合う必要があると思うけど、とりあえずそれは置いておくわ。で、コンサートも中止しないし私も協力しないとなると、具体的にはいつフォローをしてあげるの?」
「コンサートの後です」
「ああ、やっぱりそうなるのね。でも、コンサートの後ってことになるとギンコさん、この城砦都市にいないんじゃないの? 『Pochet』として次の城砦都市に向かわないといけないでしょ。ツアーの真っ最中だったはずだし」
連夜を腕に抱いたまま小首を傾げる玉藻。自他ともに認める『Pochet』の大ファンである玉藻は、彼女たちのスケジュールを時間単位で把握している。脳内にインプットされた情報が確かなら、月末のコンサートの後、すぐに彼女達は次の城砦都市に向かうことになっていたはず。ただ、向かう先の城砦都市についてはっきりと情報公開はされてはいない。というのも、城砦都市から城砦都市への移動は多かれ少なかれ危険が伴う。なので、場合によっては行き先を変更せざるを得ない場合がままあるからである。
だが、コンサート会場の確保をはじめ、行き先で様々な準備活動を行わなくてはならないので、所属会社は彼女たちの移動先をはっきりとは明言しないまでも、候補地としていくつかしぼって公表してはいた。
「確か、彼女達の次の候補地は『通転核』か、『ゴールデンハーベスト』か、あと『未定』っていうわけのわからないのの三つだったと思うけど」
「流石というかなんというか。ちょっと言葉にしづらい複雑な心境ではありますけど、よくご存知ですね」
「そりゃ、いろいろなコネを使って定期的に欠かさず『Pochet』の情報は収集しているからね。でもさ、『未定』っていうのがどこなのかは結局わからないままなのよ。どんなコネを使ってもわからなくてさ。ひょっとして連夜くん知ってるの?」
心を読んだわけではない。しかし、なんとなくそんな感じがして自分の腕の中にいる恋人の顔を覗き込む。すると、ようやくクレープを食べ終えた連夜が妙に表情を消して口を開く。
「玉藻さんには隠す必要はないからさっくりバラしますけど、彼女達の次の移動先は『アルカディア』です」
「ああ、そうなんだ。って、ちょっと待って。『アルカディア』?」
恋人の口からさらっと溢れ落ちた単語を危うくそのまま流すところだった玉藻だったが、流石にその意味に気がついて血相を変える。
「いやいやいや、それはないでしょ。この前の一件でとりあえずの安全は確認されたことになっているけど、世間一般にはまだ通行許可は出てないわよね? と、いうかまだ完全に安全が確認されたわけじゃないでしょ? あくまでも原因とされていた大部分の原因が取り除かれたことが確認されただけであって、他に問題はないかどうかについてはまだ判明してないんでしょ?」
「仰る通りですね」
「『仰る通りですね』って、ダメじゃん! そんな危険なところを通らなきゃいけないような場所を次の移動地にするなんておかしいっしょ」
「大丈夫ですよ。最悪アホの一人が『害獣』か原生生物に襲われたり食われたりするだけでしょうし」
「いや、それが一番あかんやん!」
清々しいほどに眩しい笑顔を浮かべながら鬼畜な答えをさらっと口にする恋人に、流石の玉藻も表情を真っ青にさせる。彼女の中で一番は勿論恋人の連夜ではあるが、それとは全くの別枠で『Pochet』というアイドルグループは大事なのである。
彼女達に何かあっては玉藻の大事な趣味の一つが永遠に失われることになってしまう。玉藻はいつになく真剣な表情で恋人の体を全力で揺すりながら、なんとかその暴挙をやめさせようと説得を試みる。
しかし、彼女の恋人は揺らされながらも決してその首を縦にふろうとはせず、それどころか苦笑を浮かべてそっとその手を外させる。
「まあまあ、とりあえず、落ち着いてください。そもそも今回のことは彼女達にとって公務でもあるんです」
「なにそれ? 『公務』ってことは公的機関から仕事を依頼されたってこと? ということは、依頼主は中央庁?」
「ええ、それも北方諸都市の中央庁全てからの連盟での依頼ですから断るわけにはいきません」
「はぁ? い、いやそりゃまあ、『Pochet』って言ったら北方諸都市どころかこの大陸全土にその名を轟かすトップアイドルグループだから、そういう大きな依頼もあるっちゃあるだろうけど。でもよりによってこんな危険な仕事を受けなきゃならないなんて、なんでそうなるのよ?」
「まあ、一種のパフォーマンスですね」
全然納得できないという表情を前面に押し出し無言で説明を要求してくる玉藻に、『ここだけの話ですよ』と念を押して連夜は説明を始める。
先程玉藻が言った通り、南の城砦都市『アルカディア』と北の城砦都市『嶺斬泊』を繋ぐ交易路の封鎖は正式には解除されていない。一応、封鎖の最大の原因であった害獣の『王』の一匹である大虚獣『グァ・パ』が、元々の縄張りである南洋へと帰還したことを中央庁のエージェント達が確認していることから、今すぐ封鎖を解除してもほとんど問題はないものと思われてはいる。
しかし、封鎖していた期間があまりにも長すぎた。一ヶ月や二ヶ月ならともかく、実に一年近くの長きにわたって交易路は封鎖されてきたわけである。その間、『人』の手が入っていないわけであるから当然『道』は荒れている。『人』や『馬車』が通らなかったせいで『道』にはたくさんの雑草が生い茂り、そればかりかいくつかの箇所は街道脇にある『死の森』に侵食され『道』そのものがなくなっているところもあったという。
「いや、『道』そのものがなくなっちゃっているんじゃ行くことすらできないじゃない!」
「まあ、確かにあの状態のまま放置していたらそうだったんですけどね」
「違うの?」
玉藻の問いかけに対し連夜は勿論違いますと即答する。ミネルヴァ達が起こしたあの事件の後、中央庁はすぐに交易路整備のための工作部隊を派遣。かなりの人数をかけて荒れた『道』を急ピッチで整備させたおかげで、封鎖前までとはいかないまでも通行可能な程度には修復を完了しているという。
「え、そうなの? でも、それならなんで封鎖解除の発表をしないの?」
「『道』だけはなんとかなったんですけどね」
なんともいえない表情で苦い溜息を吐き出した連夜は説明を続ける。確かに『道』そのものは元に戻りつつある。しかし、それは『道』だけであり安全面でも問題ないかと言えばそうではない。確かに『害獣』の『王』はこの地を去った。だが、去った脅威はその一匹だけ。
はっきり言ってしまえば交易路周辺地域に住む原生生物達の生態系はこの一年の間に大きく変わってしまっていたのだ。
『死の森』を活動拠点としそこを縄張りとしている『害獣』については変わってはいない。そもそも彼らは現在この世界で最強の生き物である。五百年前この世界に姿を現してから今まで、どんな天変地異が起こってもその生態系、及び分布図が変わったことはない。
中央庁の上層部が一番懸念していたことは、『害獣』達の頂点たる『王』の中の一匹大虚獣の襲来によって、この『害獣』達の生態分布状態が大きく変わってしまうのではないかということであった。交易路のすぐ脇にある『死の森』には未だ『人』類が勝つことが難しい『騎士』クラスの『害獣』達が多数棲息し、『人』類が森へ侵攻する事を阻んでいる。幸い彼らが森から出てくることはないため、こちらから手を出さない限り大きな被害が出ることはなかった。だが、今回のことで更なる凶悪な『害獣』の種が誕生、あるいは移動してきていたら、そして、それらの種が森より先に活動範囲を広げ出したら。
最悪アルカディアとの交易路の使用は諦めるしかない。
『害獣』の縄張りの中を突破していなくてはいけない道などはっきり言って使えるわけがない。だが、不幸中の幸いというべきか、調査の結果『害獣』達の生態そのものに変化はほぼ見られないという結論が出た。一番の懸念事項は杞憂で終わったわけだ。だが、それで全て解決というわけでは勿論なかった。
『人』類最大最強の天敵の動向に変化がなかっただけで、最大最強ではない天敵達の動向には大きな変化があったことが判明したからだ。
城砦都市『嶺斬泊』から城砦都市『アルカディア』を繋ぐ交易路周辺ばかりではなく、『死の森』に棲息している原生生物達の種類が大きく変化してしまっていたのだ。原因はいろいろ考えられるが、最大の原因はこの一年間もの間、これらの地域にハンターや傭兵達が出撃しなかったことであろう。
「城砦都市『嶺斬泊』に北方諸都市でも名前が轟いている名うての傭兵旅団やハンターが多く在籍しています。元々、『剣聖』坪井 主水先生や、白虎族の『超戦士』ベルンハルトさん、『狼王』ロボさんとその奥さんである『白狼妃』ブランカさんなどなど多くの有名人が在住していることもあって、その勇名に惹かれて多くの戦士達が集い、そして、今現在も続々と集結しつつあります。そんな彼らの手で、城砦都市『嶺斬泊』周辺の危険生物達は毎日のように駆逐され尽くしてきたわけですが、一年前の封鎖より今日まで『アルカディア』方面についてはほぼ完全に放置状態」
「その間に生態系が変わっちゃったわけか。でも、なんで? いくら放置していた期間が長かったといっても生態系って一年やそこらで急変するもんじゃないでしょ」
「普通ならそうですね。でも、今回はちょっと普通じゃないんですよ」
玉藻の問いかけに対し、連夜は苦い表情を隠そうともせず説明を続ける。
何故、原生生物の生態系があまりにも急変してしまったのか。
城砦都市『嶺斬泊』に所属する戦士達が、他の諸都市に比べて強すぎたことと多すぎたことがそもそもの原因なのである。本来であればどれだけハンターや傭兵達が頑張っても、都市周辺の危険生物全てを排除することなど不可能である。
都市周辺と一口に言っても広大な敷地面積になる。それも全てを見通せるような荒野が広がっているわけではない。大部分は巨大な樹木が乱立する森林地域。しかも、森の中は常に危険な『害獣』が闊歩しているときている。
平均的な城砦都市の戦力で言えば、せいぜい都市を囲む城壁近くと、都市と都市とを繋ぐ街道周辺を守るだけで精一杯だ。
ところが『嶺斬泊』所属の戦士達は並ではない。というか、はっきり言って平均をはるかに上回る戦力を保持した集団がひしめき合って在籍しているのだ。あまりいい例ではないが、先日壊滅させられたミネルヴァ達の傭兵旅団『A』の保持していた戦力を見てもそれがわかる。
あれだけの戦力を保持している彼らですら『嶺斬泊』内では中の下。しかも、内情はともかく公表されていた輝かしい戦歴をもってしてもルーキー扱いだったのである。
如何に『嶺斬泊』に在籍している戦士達の質が高いかということだ。
そんな戦士達によって南方方面の平和は長きにわたり守られて来た。原生生物の立場からしてみれば悪夢のような日々である。なんせ産めよ増やせよとどれだけ頑張ろうと、地に満ちるどころか産まれた端から狩られてしまうのだから。
原生生物達にとってまさに『嶺斬泊』の戦士達は、『人』類にとっての『害獣』。つまり天敵だったわけだ。ところがある日を境にその天敵が姿を消した。森に存在するのは原生生物には全く興味を持たず、むしろ守護者的存在である『害獣』だけ。
森の中はいわば原生生物達にとって、事実上の空白地帯になったわけだ。
「ここから先は僕の勝手な推測ですが、恐らくこの一年の間に原生生物達の間で凄まじい生存競争が繰り広げられたのだと思います」
「はぁ? なんでそうなるの? とりあえず天敵であるハンター達がいなくなったんだから、元々いた生物達が単純に数を増やしたわけじゃないの?」
「普通ならそうなっていたのかもしれませんね。ですが、そうではなかった。ここの戦士達という存在は北に存在していた危険生物達を淘汰していただけじゃなく、本当であれば南方や、西へと広がる『死の森』の向こうから流れてくるはずだった危険生物達をも牽制する役割も果たしていたんだと思います。なんせ封鎖前までは北にしか棲息しないと言われていたいくつかの危険生物が『アルカディア』周辺で目撃されたり討伐されたりしているんです。つまり、この『嶺斬泊』の戦士達に棲家を追われて南方に逃げ出したんでしょうね」
「そんな彼らにとって『虐殺者』とも言うべき存在がある日突然いなくなった」
「『人』と同程度の知能があるわけではありませんから、いくら彼らでもすぐに『死の森』の中が安全になったとは思わなかったでしょう。しかし、繁殖力の高いネズミなどの小動物の姿が増え、それを餌とする中型生物の姿が徐々に増えていく。そうなればそれを狩る大型生物が森の中へとやってくる。それも北からばかりではありません。南からも、そして、西の果てからも」
何とも言えない表情で嘆息する連夜。彼の話によると、以前は見かけなかった原生生物が最低でも十種類以上既に目撃されているとのこと。
しかもその中のいくつかは『人』類にとって看過できない危険生物らしく、『嶺斬泊』を統制している中央庁の上層部達は頭を抱えているらしい。
「元々存在していた危険生物ならまだいいんですよ。対処方法はきっちり確立されているわけで、手順を間違えさえしなければそれらを駆除するのはそれほど難しいわけではないんですから」
「でも新たにやってきて森に住み着いた生物となると厄介だわね」
各都市の中央庁の情報機関やハンターギルドはお互いの地域存在している『害獣』や原生生物の情報を、様々な伝達方式を使ってできるだけリアルタイムに近い形で共有できるように努力している。その為、この世界に現在存在している大概の生物の情報についてわかっているはずではあるのだが。
「実際戦うなり捕獲するなりしてみないとはっきりしたことはわからないこともあるだろうし、中には似て非なる生物や新種だっているかもしれないだろうし」
連夜の頬に自分の頬を擦り付けながらも、結構真剣な表情で唸り声をあげる玉藻。
『人』類が世界の覇権を握っていた五百年以上前ならばともかく、『害獣』が新たな支配者となってからこっち、毎日とはいわないまでも、結構な頻度でこれまで確認されていなかった生物の情報が中央庁やハンターギルドに寄せられ続けているのだ。
「話を元に戻しますけど、ハンターや傭兵と言った彼らを狩り尽くす存在がいなくなったことで、『死の森』は原生生物達にとってまたとない居住地域となったわけです。大型生物にとって餌となる小中動物が多いこともそうですけど、果実やキノコ、薬草や自然野菜と言った食べられるものが元々豊富にあった場所だったわけですからね。天敵がいないことを察知したものから順に今までの居住地を捨てて豊富な食料のある『死の森』に越してきたんだと思います」
「特に北方はそうなっても仕方ないわよねぇ。だった他の北方地域は別に封鎖されているわけじゃないからハンター達がわんさかいるわけだし。天敵もいない、食べるものも豊富となったらそりゃそっちに移動するわ」
「そうなんです。でもねぇ。それが一種類や二種類ならともかく、何種類も一斉に居住してきたらどうなると思います? 確かに『死の森』は決して狭い場所じゃありませんよ。世界でも有数の巨大森林地帯ですからね。でも、だからといって、無限に居住スペースがあるわけじゃないし、勿論食べ物だったそうです」
「つまり、今度は『人』相手じゃなくて、原生生物同士の縄張り争いが森の中で勃発したってこと?」
「ええ、それも半端じゃなく盛大に」
恋人の答えに対し、これまでとは比較にならないくらい大きなため息をゆっくりと吐き出す連夜。
「肉食動物同士のぶつかり合いは勿論のこと、草食動物同士の中でも相当な争いがあったみたいです。大きな群れがいくつも『死の森』にやって来てはそこを居住に定めようとして先住の動物達と争いになり、時にその生存闘争に勝ち残り、時に敗れて森を去ったり滅ぼされたり。いったいどんな巨大な生き物が争ったのか、巨大な大木がいくつもなぎ倒れていた場所もありましたし、今まで見たこともない生物の死骸や骨が散乱している場所。それどころか、新種と思われる生物そのものもいくつか実際に見て確認しました。大人しそうな草食動物もいましたが、明らかに肉食と思われる種も」
「ひええ、とんでもない魔境が広がっていそう。って、ちょっとまって。それじゃ、南方に行くなんて絶対無理じゃん。そんな未確認危険生物が何匹もうろうろしている場所を突っ切ってギンコさん達は『アルカディア』に行かなきゃいけないっていうの?」
「ええ。行かなきゃいけません。と、言ってもあいつだけが行くわけじゃありませんよ。芸能界から他にも何組か行くことになってますし、財界や政財界、ハンターギルドや傭兵ギルドのお偉いさん達、中央庁の外交部門のお歴々も同行することになっています」
「ああ、そうなんだ。それなら、安心って、はぁっ? なんでそうなるの? 芸能界から何組かはまだわかるとして、なんで財界とか中央庁とかなんでそんな偉い方々と一緒する必要が」
「言ったでしょ。一種のパフォーマンスだって」
益々混乱していく玉藻に、かすかに笑みを浮かべて見せたあと連夜は説明を続けていく。
「玉藻さんよく思い出してください。城砦都市『アルカディア』に続く交易路の封鎖によって北方諸都市が今、最も不足しているものってなんですか?」
「えっと、それは。・・・あっ! 『神秘薬』と『特効薬』か」
『神秘薬』と『特効薬』
どちらも現在存在している回復薬の中で最高の効果を誇るもの。『神秘薬』はあらゆる傷を即座に癒し、『特効薬』は猛毒、麻痺といったあらゆる状態異常を治す効果を発揮する。
常に命を危険に晒しているハンターや傭兵達にとっては必須とも言える最後の命綱とも言えるアイテム。
そこそこの値段はするものの、自分の命を考えれば全然高いとは言えない値段で販売されているため、単独で行動しているハンターは勿論のこと、どんな傭兵旅団でも常備している。と、いうか常備することが当たり前すぎるほど当たり前であり、大きな組織になればなるほど多量にストックを有し、都市内にある民間人専門の病院や個人経営の医者でも常備しているほど大切な超重要薬品。
材料さえあれば中級レベルの薬剤師でも作成可能であるため、大手の薬品メーカーは皆、都市内に一つ以上の生産工場を設置し、常時供給を怠らないようにしている。
だが、しかし、それも材料があればの話だ。
この最上級クラスの薬を作成するためには南方でしか生産できないいくつかの材料が必要であり、それらは全て輸入に頼っていたため、交易路封鎖と同時にそれらの材料の供給は完全にストップ。
勿論、中央庁も各生産メーカーもある程度の量の材料をストックしていた。そのストックの続く限り生産を続行し、供給が途切れないように頑張ってはいたのであるが。
「ですが、ここだけの話ですが、もうどこの都市にもほとんどストックが存在していません」
「え?」
「本格的な『害獣』襲来に備えて中央庁は、『黄帝江』脇の巨大倉庫を二つも借り切って二種類の薬品を予備として確保もしていました。また、ハンターや傭兵ギルド本部、各地の病院などにも常日頃から通達、及び教育をできるだけ予備を用意させておいてもいたんです。ですが、流石に一年という時間は長すぎました。どれだけ節約してもこればかりはどうしようもありません。都市内はともかく常に危険と隣り合わせの『外区』で毎日のように何千人という戦士達が命懸けの戦いを繰り広げているんです。できるだけ等級の低い回復薬で間に合わせようとしても、即死に近い一撃をもらって虫の息になっている仲間が目の前に倒れていれば誰だってできるだけ早く治療できる薬を選んで使ってしまうでしょう。ベテランの戦士達ともなれば敵の攻撃をできるだけ食らわないように戦い節約することも可能でしょうが、そんなベテランでも完全に使わないで戦い続けることは不可能です。城砦都市『嶺斬泊』は他の都市に比べれば圧倒的に中堅以上の実力を持つ戦士達の数が多いです。でも、多いとは言っても全体のせいぜい3割といったところでしょうか。残り7割は初心者か、初心者よりは多少マシというレベルの者達。そんな彼らに自重しろといっても無理でしょう」
そう言って静かに言葉を紡ぎだしたあと、連夜はしばし口を閉ざし視線を途切れることなく流れていく『人』の流れへと向ける。その視線を追いかけるようにして玉藻もまた彼の見つめる先に視線を向ける。そこには様々な『人』の姿。二足歩行の標準的な『人』型の種族もいれ、四足、六足歩行の『獣』や『虫』といった姿の種族の者もいる。子供いれば老人もいる。男と女、あるいは両性具有のものに、どちらでもないもの。連夜の手のひらに乗るほど小さなものもいれば明らかに5メトルを越える巨体のものもいる。実に様々。明らかにカップルといった様子の男女が楽しそうに笑い合いながら通り過ぎて行く姿。子供と楽しそうに会話を楽しんでいる主婦の姿。携帯念話に向かってぺこぺこと頭を下げ必死に何かを呟いているサラリーマンの姿。自分よりもはるかに大きな魔犬を散歩させているノーム族と思われる小さな老人の姿。
しばらくの間、種々雑多な『人』々悲喜交々な様子を見守り続ける連夜と玉藻。やがて、どこか諦めたような表情で下を向き連夜はポツリと呟く。
「今、実際にこうして目の前にある『平和』を考えると、必死になってこの『平和』を守っている彼らに薬を使うなとは言えないですよねぇ」
「そして、予備在庫として置いていた薬も使ってしまい、今、手元にはもうないのよね」
「ありません」
玉藻の問いかけに淡々とした表情で即答を返す連夜。だが、すぐに頭を二つほど振って自分が今言った言葉に訂正を入れる。
「まあ、正確にはもう少しだけですがあります。しかし、この調子でいけば一ヶ月はもちません。下手をすれば二週間以内に全てのストックが尽きるでしょう」
「そんな」
「こんなこというのもなんですが、まだうちはマシなほうなんです。これは母から聞いた情報ですが、『通転核』や『ゴールデンハーベスト』では既に在庫が全くないそうです」
「えええっ!? じゃ、じゃあ、どうしてるのよ?」
「どうもこうもありません。等級の低い回復薬でなんとかしているか、なんとかできないときは」
流石の玉藻も恋人が飲み込んだ言葉の先がわからないほど馬鹿ではない。みるみる表情を青ざめさせる。
「まあ、そういうわけでどれだけ危険だろうと交易路の封鎖を解いてすぐにでも『アルカディア』に行かないといけないわけです」
「そ、そっか。『神秘薬』と『特効薬』を作るためには南方から輸入するしかない『神酒』と『イドウィンのりんご』がいるものね。そういう事情なら強行突破してでも『アルカディア』に行くしかないのか」
相当に状況が切羽詰まっていることを理解し眉間にしわを寄せて考え込む玉藻だったが、すぐにあることに気がついて疑問を口にする。
「でもさ、それだったら中央庁の直轄部隊を派遣するなり実力のある傭兵旅団に依頼するなりすればいいだけの話じゃないの? なんで『Pochet』のメンバーや中央庁のお偉いさん連中まで駆り出されなきゃいけないの?」
「勿論、派遣するメンバーは特に実力も実績もある強者が選ばれることになっています。ですが、彼らだけではダメなんです」
「どうして?」
「彼らだけが城砦都市『アルカディア』にたどり着いたとして、『アルカディア』の『人』々の目にはどう映るでしょうか? まず選抜されるメンバーは間違いなく北方諸都市にそれなりに名前を知られている者達となるでしょう。当然それだけの実力者ということは南方にもその武勇は伝わっているはず」
「え? だからそれの何がいけないの?」
「中央庁としては交易路をの封鎖を解くからには、ある程度の安全は確保されているとアピールしたいのですよ。いや、それは中央庁だけなく、財界や政界の意思でもあります」
「はぁ? でも、実際は違うんでしょ? なんかよくわからないような危険生物がうろうろしているのよね?」
「そうです。運が悪ければ選ばれた実力者達の力をもってしても相当辛い旅になるかもしれません。下手をすればたどり着けないかもしれません。また、無事たどり着いたとしてもボロボロの姿を晒しているかもしれません」
「いや、だから、そんな危険極まりない旅にギンコさん達を送り出すわけにはいかないでしょ」
「行ってもらわないと困るんです。そして、護衛として派遣するこちらの戦力にはほぼ無傷でたどり着いてもらわなければなりません。そして、たどり着いた先で、彼らには『嶺斬泊』と『アルカディア』間の『交易路』が安全であることを市民の皆さんにアピールしてもらいます」
「なにそれ。ごめん、連夜くんの言ってる意味が全然理解できないわ」
苛立ちを隠そうともしない玉藻は、恋人の真意を探ろうと腕の中にいる恋人の顔を覗き込む。だが、しかし、そこに真意をする示す手がかりは全くない。そこには能面のような無表情があるだけ。
だが、そのことが逆に玉藻の中にある一つの目的を連想させる。
「ちょっ、連夜くん。まさかとは思うけど、上のお偉い人達は犠牲が出ることを前提で交易路の行き来を無理矢理活性化させようとしているんじゃ」
「・・・ご名答です」
「それって、許されることなの!?」
「許されないでしょうね。ですが、やるしかないんですよ。いくらまとまった正規の軍隊、あるいは大型傭兵旅団のみを利用して安全第一で交易を復活させたとしても、一度に運搬できる量は限られてしまいます。ましてや、一回往復するのに時間単位でカタがつくわけはありません。間違いなく数日、下手をすれば一週間近くかかってしまうでしょう」
「わかるわよ。その理由はよくわかる。別に『神秘薬』と『特効薬』の材料だけが重要なんじゃない。優先順位が若干低いだけで輸入しなくてはいけないものはいくつもある。こっちが輸入したいだけじゃない。北方が南方特産の『神酒』と『イドウィンのりんご』が必要なように、向こうは向こうでこちらの特産品がないと『神秘薬』と『特効薬』を作ることができない。だから輸出しないといけない必要もある。どちらも一都市だけの問題じゃない。『嶺斬泊』は北方の、『アルカディア』は南方の交易品集約地だから、もろに周辺諸都市へ影響が出る。というか、既に出ていて周辺諸都市は本当に一刻の猶予もない」
「ええ、だから正規軍や大型傭兵旅団だけじゃなく、中規模以下の傭兵旅団や武装交易旅団にも交易品の運搬を手伝ってもらわなくてはいけないんです。それもできるだけ早く。公営、民間を問わず多くの人達の力が必要なんです」
「なりふり構っていられないってことなのね」
確認するような言葉に対し連夜は無言でそれを肯定する。二人の間の会話が途切れる。二人が言葉を発さなくなくなっただけで決して静寂がその場を支配しているわけではない。相変わらず目の前では多くの人達が行き来を繰り返し、そこから生まれる喧騒はうるさいくらいで無音とは無縁である。
そんな人々が生み出す様々な言葉や音をしばらく二人は黙って聴いていたが、やがて連夜のほうが疲れたように口を開いた。
「勿論、交易路の安全ができるだけ確保できるように、僕達は全力を尽くす所存です。と、いうか既に公人、私人。傭兵、ハンター、正規兵を問わず人員が大量に『アルカディア』方面に投入されて、安全確保のために今日も奔走を続けています。昨日の中央庁での定例会での報告を聞く限り、この調子で続けていけば八月末の出発の日までにはかなりの危険が排除されているはずです。また排除できなかったものについても最低限情報収集を行い、対処できるよう準備がなされることとなっています」
「でも、完全ではないんでしょ?」
「完全も完璧も世の中にはありません。そもそも、完全に安全な交易路なんて世界のどこにもありません。僕達は僕達に出来ることを出来る範囲で粛々と行うだけです」
肩をすくめておどけたように言葉を紡ぐ連夜だったが、その顔には隠しきれない複雑な感情が見え隠れしている。玉藻は心の中で消化しきれない何かを口にしようとしたが、口にしたところで腕の中の恋人を困らせるだけだと確信しその考えを捨てる。
必要以上に色っぽい吐息とともにそれら全てを心から排除したあと、玉藻は別のことを口にした。
「それで、その中央庁の一大作戦とギンコさんのお願いはどう結びつくのかしら」
「ああ、今回『アルカディア』に向かうVIPの皆さんにはそれぞれ腕利きの護衛がつくことになっているんです」
「そりゃまぁ、普通はつくわよね。それで?」
「だから、その護衛は守るべきVIPと同じ馬車に乗車することになっています」
「いや、説明してくれなくてもいいんだけど。護衛って普通そういうもんでしょ」
「ですから、そういうことです」
「いやいや、だから、私が聞きたいのは護衛の話ではなく、ギンコさんが、あの気に入らない龍族の木偶の坊と話す機会をどうやって作ってあげるのかと、いうこと・・・」
そこまで言ってようやく玉藻は、恋人の企みに気がついた。惚けたようにあんぐりと口を開けて絶句する玉藻に対し、困ったような笑顔を浮かべた連夜は、再び肩をすくめてみせる。
「道中かなりの時間がありますからね。話す時間はたっぷりあると思うんですよ。ただまぁ、あいつがきっちりこれまでのことを説明してぐちゃぐちゃに絡まった誤解を解けるかどうかはしりませんがね」
パクパクとしばらく金魚のように口を開け閉めしていた玉藻であったが、やがて聞いてはいけないことを聞いてしまったというような表情で顔をしかめると、片手でこめかみをもみほぐす。
「そのことギンコさんは知ってるの?」
「勿論、知りません」
「じゃ、じゃあ、護衛役のほうはどうなの?」
「あいつにも何も言ってません。ただ、護衛の仕事はちゃんと引き受けさせていますよ。護衛対象もちゃんと芸能人であることを伝えていますし」
「で、でも、ギンコさんがギンコさんであることについての説明についてはしておかないといけないんじゃ」
「言ってませんよ。そこまで面倒見きれません。だいたいいい大人が僕みたいな子供に甘えること自体間違ってるでしょ。ここまでお膳立てしたんですからあとは自分でなんとかしてもらわないと」
涼しい顔でさらっとひどいことを言う恋人に、開いた口が塞がらないといった風の玉藻。そんな玉藻を面白そうに見つめていた連夜であったが、やがて彼女の腕の中からするりと抜け出す。そしてその手をそっと引いて立ち上がらせる。
「当日は僕も参加する予定になっているんですよ」
「え? 連夜くんも『アルカディア』に行くの?」
「ええ、両親に泣きつかれてしまいましたからね。姉さんの一件から続いている案件なので、途中退場というわけにもいきませんし。クリスやロム達にも協力を依頼して既に別口で動いてもらっています。ですが、急なことだったので護衛役がまだ決まってなくて。できれば信頼できる誰かにお願いしたいところなんですが」
申し訳なさそうな表情を装ってはいるが口元は笑っている。そんな恋人の頬を両手でつねって引っ張る玉藻。
「もう! 最初から私を巻き込むつもりだったくせにどの口がそういうこというのかしら」
「ふ。ふいまふぇん」
「ん」
明らかに表面だけの謝罪の言葉を口にする恋人の口を、玉藻は自分の唇で塞いでしゃべれなくする。しばらくの間そうしたあと、何とも言えない笑顔を浮かべた玉藻は、目の前の連夜をじっと見つめた。
「でもまぁ、私を置き去りにして自分だけ行こうとしなかったことだけは褒めてあげる」
「ありがとうございます。さて、では、参加決行日は守っていただいてもよろしいでしょうか?」
「当然でしょ。あなたを守るのは私の一生の仕事なんだから」
「それを聴いて安心しました。ところでもう一つお願いがあるんですけど」
「あら、何かしら」
「今日もデートが終わるまで引き続き護衛をお願いしたいんですけど」
「仕方ないわね。うちの布団の中に入るまではちゃんと護衛してあげる。でもそれ以降明日の朝までは確約できないわ」
「それについてはもう諦めていますよ」
わざとらしくため息を吐き出す連夜を面白そうに見つめたあと、玉藻は連夜の腕に自分の腕を絡ませて再び人の流れの中へと連れ出して行く。
「さて、今度はどこに行く? 夕方までまだまだ時間はあるけど、連夜くんの大好きな『ジャンク堂書店』でも行ってみる」
「いいですね。最近はまってるミステリー小説のシリーズ新刊がちょうど出てるはずなんで覗いてみようかと思っていたんですよ」
「じゃあ、いきますか」
二つの影は瞬く間に人の波の中へと飲み込まれ見えなくなる。
西へ東へと移動を続けるたくさんの『人』々は彼と彼女の姿を追うこともなく、ただひたすらに自分が目指すべき場所へと移動を続けていく。
その波は時に大きく、時に静かになりながらも動きを止めることはなく、やがて夜を迎えそれぞれが帰るべき場所へと帰るまで続いていった。
彼らはまた明日も同じ波が生まれることを信じて疑わず、そして、それは果たされることとなる。だが、いつその波がなくなってもおかしくない状況であることを知る者は、その波の中にほとんど存在してはいなかった。
ほとんどの者達はすぐ側に『害獣』という名の破滅が存在することを知っている。それがゆえに、自分が今を生きることにみな必死であった。全体を見渡すだけの余裕が或者はほとんど存在しない。
それが幸運なことなのか、あるいは不幸なことなのか。
知る者は誰ひとりとして存在していない。
「ところで連夜くん」
「なんですか?」
「さっき最近の『死の森』の情報について説明してくれたじゃない」
「ええ、それが何か?」
「まるで『ついさっき見てきました』みたいな感じでやたら事細かに教えてくれたんだけど。まさか、こっそり一人で偵察に行ったとか。そういうんじゃないよね? 違うよね?」
「・・・ち・・・ちがいますよ?」
「・・・」
「・・・」
「とりあえず、そこのラブホで詳しく説明してもらおっか。大丈夫、痛くしないから」
「い、いやああああああっ! 絶対痛いことする気ですね! する気満々ですね!?」
「・・・し・・・しないよ?」
「・・・」
「・・・」
「玉藻さんのうそつきぃぃぃっ!」
「連夜くんほどじゃないから大丈夫。はい、さくさく歩く」
「ぎ、ギンコぉぉぉ、今だったらちゃんと話を聞いてやるからかむば~~っくっ!」