第四十七話 『狐の相談』
憧れの人に突然両手を握られて舞い上がっていた玉藻。ギンコから提示されたお願いをあやうく承諾するところであったが、間一髪その内容の異常さに気がついて悲鳴をあげる。しかし、驚く玉藻とは対照的に目の前に座るアイドルは全く動じる様子はない。むしろ笑みを深くして握る手に力を込める。
「そんなに驚くことかな? 玉藻ちゃん、新曲が出るたびに歌も踊りも完璧にコピーして、その映像をあちし達に送ってくれているじゃない。ここがいい、ここがイマイチだって映像に批評までつけてくれて」
「ああああ、あれはあくまでもファン目線の勝手な批評で、ほんとに申し訳ありません」
「謝ることないわよ。むしろありがたいって、いつもみんなで見せてもらってるわ。玉藻ちゃん、ほんとによく見てくれているから、納得できるところも多いもの。気がついてくれているとは思うけど、玉藻ちゃんの指摘を受けて修正したところだってあるのよ」
「や、やっぱりあれって私の意見を取り入れてくださった結果なんですか? う、うわぁ、私ったら、なんてことを」
アマチュアの自分がプロに対し大きな顔して指摘するだけでも大概傲慢だというのに、更にその意見を押し通してしまうとは。『Pochet』の新曲が出るたびに玉藻は物凄いハイテンションになる。そのハイテンションの状態のまま批評映像を作成し、勢いに乗って彼女達が所属する会社にそれを送ってしまうのだ。そして、送った後で我に返り猛烈に自己嫌悪する。
いったい、そんな作業を何度繰り返したであろうか。通っている大学では『氷壁の女王』と呼ばれるほど感情の起伏に乏しい玉藻であるが、連夜と『Pochet』のことだけは感情を抑えることができないのだ。
自分の黒歴史に玉藻は頭を抱えて悶え続ける。きっと自分の印象は相当悪くなっているに違いない。そう思いどんどんテンションが急降下していく玉藻であったが、しかし、目の前に座る彼女の憧れの人の評価は実は正反対。
「玉藻ちゃん、よく聞いて。あちしだけじゃなくて、かっぺもまぁちゃんもいつも『玉藻ちゃんは凄い』って褒めてる。滅多に人を褒めないマネージャーの田端さんだってそうなの。『この子、本当に凄いわね。うちにスカウトしたいくらい』って、いつも言ってるもの。あちし達にはね、専属のバックダンサーがついている。その娘達はいつもあちし達の歌と踊りを間近で見ているわけだから、当然それをコピーすることもできるわけだけど、誰ひとりとして玉藻ちゃんくらい完璧には歌えないし踊れない」
「いや、皆さんの真似しているだけですから、きっと私じゃなくてもできる人には出来ると思います」
「そうかもね。確かにコピーだけなら、他にもできる人はいるかもしれない。でもね、玉藻ちゃんはそれができる上に、歌と踊りについていい部分と悪い分を客観的に見ることもできる。冷静に内容を分析して、具体的にこういう風にしたらどうだろうという例まで挙げて説明してくれる。だからこそ、あちし達はアマチュアの玉藻ちゃんの批評に対し、納得できるし修正する気にもなる」
「偉そうで勝手なことばかりの批評ですよ。ほんとすいません」
「だから、そんなことないってば。ねぇ、玉藻ちゃん。それで最初の話にもどるんだけどさ、一回でいいからあちし達のステージに上がってみない? あちしはね、玉藻ちゃんならあちしの代役がやれると思うんだよね」
もう一度玉藻の両手を取ったギンコは、真正面から彼女の目を見つめる。最初、恥ずかしさと自己嫌悪からその目を見ないようにしていた玉藻であったが、横目でちらりと見た瞬間、目が離せなくなってしまった。その瞳の中に玉藻を非難する色や蔑む色、からかう色の一切がなかったからだ。きらきらと光るその目は、何かを期待して自分を見つめている。
期待されている何かが、いったい何なのか、流石の玉藻も理解して赤面する。そして、再び顔を背けた。
「む、無理ですよぉ。私にギンコさんの代役なんてできるわけないじゃないですか」
「いけるってば。『Pochet』のメインボーカルであるあちしが太鼓判を押しているんだよ。絶対に大丈夫。そもそも玉藻ちゃんとあちしがそっくりだっていうのは、さっき見てもらって納得してもらえたと思う。ってことは、玉藻ちゃんがあちしの変装をすれば、やっぱりそっくりってことでしょ」
「いや、いくら顔がそっくりで、歌や踊りがうまくいったとしても、所詮はニセモノなわけですから、どこかでボロがでますってば」
「その辺はかっぺやまぁちゃんがフォローするわよ。ね、お願い。一回だけでいいから、ステージに立ってくれないかな。歌って踊ってもたう内容は、全部玉藻ちゃんが一度以上批評映像を送ってくれたものばかり。多少コンサート用にアレンジはされるだろうけど、そんなに大幅な変更はないわ。曲の合間は笑顔で客席に向かって手を振ってもらうだけでいい。トークはまぁちゃんやかっぺが二人でなんとかしてくれるだろうし。そうそう。勿論、そこでうまくいって芸能界に興味を持ってくれたなら、そのまま別の形で継続することだって可能よ。だって、うちの会社の人達はみんな玉藻ちゃんの実力を認めているからね。四人目の『Pochet』メンバーとしてあらためてデビューしてもらうっていうのもいいかも」
マシンガンのように矢継ぎ早に言葉を紡いでくるギンコに対し、玉藻は終始目を白黒させながら圧倒されっぱなし。しかし、このまま流され続けるわけにもいかないと、なんとか彼女の言葉の切れ目を狙って口を挟み込む。
「ちょ、ちょっと待って下さいギンコさん。代役を受ける受けないの前に、まず事情を説明していただけませんか? なんで代役が必要なんですか? 病気とかじゃないですよね。どうみても健康そのものですし」
掴まれた両手をなんとか振り払って一番疑問に思っていたことを口にすると、ギンコはなんともバツが悪そうな顔で視線を背ける。やはり、まともな理由ではないようだった。いくら憧れの人のお願いといえど、こればかりはきっちり聞いておかないとあと後必ず面倒なことになる。そう直感した玉藻は、視線を緩めることなくじっと目の前に座る銀髪の美女を見つめ続けた。
すると、やがて観念したのか、ギンコは大きなため息を一つ吐き出してのろのろと事の次第を話始めた。
代役を必要とする理由。それは、コンサートのあるその日、ギンコにはどうしても別件で抜けられない用事があるからである。
八月末にこの都市で行われる『Pochet』の一大コンサート。それは前々から計画されていたものではなく、つい先日いきなり決定したもの。元々その場所は、他のアーティストのコンサートの予定があったのであるが、ある事情により急遽中止になった。そのことを知った『Pochet』の敏腕マネージャーは、これ幸いとホールの管理者である中央庁に打診。『Pochet』のコンサート会場として抑えることに成功したのだった。
『Pochet』のファンは北方諸都市中に存在し、潜在的なファンを含めても相当数にのぼる。急に決定してもチケットはすぐに完売できる。
企画したマネージャーの予想通り、八月初頭にコンサートの日にちを発表すると同時に、チケットはすぐに完売となった。後は、コンサート当日に向けて急ピッチで準備を進めていくだけである。幸い、『Pochet』が所属する芸能事務所には有能なスタッフが大勢在籍している。一カ月も時間がないとはいえ、当日までにはきっちり仕上げられるだけの腕をみんな持っているのだ。
だが、しかし、この企画に納得できない者が約一名存在していた。
勿論、それがギンコだ。
実はその日、彼女達はオフの予定だったのだ。久しぶりの休日ということもあって、三人ともそれぞれ予定をいれていたのであるが、一瞬でぱ~となってしまった。しかし、それでも彼女達はプロである。いろいろと心の中で不満は残しつつも、自分達を待ってくれているファンのためならばと休日を諦めた。
ただし。
すっぱり諦めることができたのは、かっぺとまぁちゃんの二人だけ。
リーダーであるギンコはどうしても諦めきれなかったのだ。
その日、彼女はどうしても抜けられない用事があったから。別に突然そのことを言ったわけではない。一カ月以上も前からちゃんとマネージャーに相談していたのだ。にも関わらず裏切られた形となってしまった。
彼女は必死にマネージャーや事務所の社長に泣きついた。その日だけは勘弁してほしい。別の日にしてもらうか或いは、自分抜きでどうにかならないものかと。
しかし、今回コンサート会場として抑えた場所は、城砦都市『嶺斬泊』屈指の大会場。巨大なドームがすっぽりと会場全体を覆う全天候型の仕様となっているうえ、様々なイベントのために必要な大掛かりなギミックも多数設置されている超人気スポット。他のアーティストやお笑い関係、スポーツイベントに政治家の公演まで、様々な方面から常に予約が入っており、二年先までスケジュールは満杯の状態。たまたま運良くキャンセルがでたおかげで、そのスケジュールに滑り込むことができたわけであるから、他の日にちに変更などできるはずがない。また、ギンコ一人抜けて二人でコンサートを行うのもあり得ない。
言うまでもないが『Pochet』は三人で一つのグループだ。急病や大怪我で本当に出られないなどの理由でもない限り、一人だけ抜けるなんて言語道断である。それは彼女達を支持してくれるファンを裏切ること。当然、マネージャーも社長もギンコのその無茶なお願いを承諾するわけはなかった。
そもそもギンコは、毎回、なんやかんやいい加減な言い訳を考えていろいろとサボりまくり脱走しまくる常習犯である。今回だけはどうしても本当に用事があって出られない見逃してくれと言われても、全然その言葉に信憑性を感じられない。マネージャーも社長もどうせいつもの通り、どこかに遊びに行きたいがために言ってるだけだろうと全く取り合わなかった。
しかし、今回ばかりは本当にギンコは必死であったのだ。
本当にどうしてもその日だけはやらなくてはいけないことがあるのだ。
「はぁ。それで、そのどうしてもしなくてはいけないことというのは?」
身を乗り出して自分の正当性を力説していたギンコであったが、玉藻にズバリ突っ込まれるとふいに視線を横に逸らして黙りこんでしまう。余程いいたくない事情なのだろう。純粋に恥ずかしい内容だからか、あるいは何か特別な事情があって人には言えないことなのかは定かではない。しかし、一番肝心なところでもある。それを話してもらわなくては事情を説明してもらったとは言えない。
痛いほどの静寂がその場を支配する。
ギンコも玉藻も自分から口を開こうとはしない。ひたすらに二人とも沈黙を守り続ける。
やがてその静寂が破られるときがやってくる。しかし、静寂を破ったのはギンコでも玉藻でもなかった。
口を開いたのはそれまでずっと沈黙を保っていた第三者。
ギンコの義兄弟にして、玉藻の婚約者。
連夜である。
「コンサート当日、Kに会いに行くつもりなんですよ、こいつ」
「ちょっ、れ、連夜!?」
「K? 『K』ってあいつのこと?」
休みたい理由を暴露されて慌てるギンコと、意外な名前が出たことに驚きを隠せない玉藻。そんな両者となんともいえない複雑な表情で見つめた後、連夜は深いため息を吐き出した。
「玉藻さんにお話したことがあると思いますけど、僕とギンコは、彼女が当時所属していた犯罪組織の目を誤魔化すために、彼女を抹殺するという芝居をうちました。そのときそれを芝居と知らずに見ていたのが、リビーさん、クレオさん、美咲姉さん、そして、Kの四人。JやFといった残りの兄弟姉妹達は現場を見てはいませんでしたが、その時のことを目撃していたK達によってギンコの最期が告げられたので、みんなこいつが死んだものと思っています。後に美咲姉さんにだけは、全ての事情を説明したんですけど、それ以外の面々には説明しないまま今日まで来ました」
「あ、うん。確かにその話は聞いた。ギンコさんが所属していた『バベルの裏庭』っていう犯罪組織や、ギンコさんを生みだした暗殺組織は物凄く巨大でどこにその監視の目が光ってるかわからない。もし生きていることがバレたら裏切り者として必ず命を狙われるから、ギンコさんが生きていることを知っている『人』は必要最低限に抑えていたんだよね」
「そうです。姉の美咲は、ギンコの後見人である母の秘書ですから、事情を全て説明しましたけど、他の者達には未だ黙ったままだったんです。リビーさんやクレオさんは未だに知りません。JやFも同じです。Kもつい最近まではそうだったんですが」
「『そうだった』? ってことはバレちゃったってこと?」
「ええ。どうしてわかったのかわかりませんが、アイドルグループ『Pochet』のリーダーがギンコであると確信しちゃったみたいなんです。それで、それを確認するためにギンコのところのやってきたようなんですが」
そこまで言ったあと連夜は物凄い渋面となって視線をギンコの方へと向ける。その目には隠しようのない『不信』の二文字。敏感にそれを察知したギンコは慌てて首を振り否定の言葉を紡ぎ出す。
「あ、あちしは本当に何もしてないってば。むしろ、覚悟を決めてこれまでの経緯を全部話して謝るつもりだったんだから。なのに、クロちんたら、あちしの顔を見るなり『すまん、どうやら人違いだったようだ』なんて言って、こっちが何か言う前に帰っちゃうんだもん」
半泣きで絶叫するギンコの姿を、それでも疑惑の眼差しで見つめていた連夜だったが、やがて表情を緩めると、深いため息をもう一度吐き出した。
そう、ギンコの話に嘘はない。問題の事件が起こったのはあの花火大会の翌日。どうやってギンコ達のスケジュールを知ったのかはわからない。だが、Kは突如ギンコの前に姿を現した。
クイズ番組にゲスト出演するためにテレビ局にやってきて車から降りた後、局内に入ろうとしたギンコ達『Pochet』の行く手を遮るようにして仁王立ち。完全に不意打ち状態であったため、流石のギンコも茫然自失。そんなギンコに向かってKは『ギンコなのか?』と言葉少なに問いかけたようなのだが、ギンコの返答を待たずして自らその言を翻してしまったらしい。
いったい、ギンコの何を見て別人と判断したのかはわからない。しかし、彼は今のギンコを間近で見て幼き頃に死別した自分の義姉妹ではないと断定してしまったことは確かである。
「そろそろ打ち明けようと思っていたのに、なんでこうなるの?」
「きっとこうなるだろうなとは思ってはいたんだ。そっか、やっぱり僕の予想通りになったか」
テーブルに突っ伏して泣き崩れるギンコを見下ろしながら、連夜は両腕を組んで意味深な言葉を吐き出す。玉藻は、自分の恋人があらゆることを想定し様々な策を練る怪人『祟鴉』という一面を持つことを知っている。それ故にきっと事の真相に気がついたのだろうと信じ、その真意を問いかける。
「予想通りってことは、連夜くんは、あいつがギンコさんを別人と判断した理由に気がついているの?」
「ええ、勿論です。恐らく僕の考えに間違いはないでしょう」
「そ、その理由っていったい」
いつにない真面目な表情になった連夜は、その答をついにハッキリと口にする。
「化粧が濃いすぎたんです。あまりにも厚化粧であったが為に、流石のKも当時の面影を見いだせなかったのでしょう!」
時が凍りつく。
痛いほどの静寂。
そして・・・
「ちょ、ま、ギンコ、待て待て待て」
「大丈夫、ちょっとスプーンで目玉をくりっとするだけだから。一瞬だから、すぐ終わるし」
「くりっとしちゃらめぇ。そんなことしたら目玉がポロっとなるでしょうが!」
「ポロっとなればいいんだよ、そんな目玉。あちしはいつもナチュラルメイクで、ほとんど化粧していないっつ~の!」
「ぎゃあ、やめろやめろ! 玉藻さん、たしゅけてぇ」
「今のは流石に連夜くんが悪いと思う」
スプーン片手に結構本気で攻撃してくるギンコから、必死に自分の目玉を守り続ける連夜。そんな二人の姿を、玉藻はなんとも言えない呆れ果てた表情で見つめ続ける。
結局店員さんに怒られるまで騒ぎは続いたが、どれだけ騒いでも話は一向に前へ進んでいない。勿論、三人ともそのことに気がついていたが、本気で話を進めたがっているのはたった一人。そんな状態で思うように進むわけがない。そもそも三人のうち一人は、この話に全く興味を持っていないどころか早く切り上げてしまいたいとさえ思っているのだ。
このままでは不味い。有耶無耶にされて何も解決できないまま終わってしまう。話をどうしても進めたい。そして、自分の思う形で決着をつけたいと思っている唯一の人物ギンコは、興味を全く持っていない人物を無視し、もう一人の人物の両手を再び握る。
「お願い玉藻ちゃん。あちし、どうしてもクロちんともう一度会いたい。会ってあちしがギンコであることを伝えたいの。クロちんはあちしにとって、とても大切な人なのよ。あちしの過去に巻き込みたくなくて、ずっと会わないようにしてきたけれど、その原因である犯罪組織ももう存在しない。ようやく、真正面から会えるようになったの。十年。十年待ったわ。ずっとずっと会いたかった。会っていろいろなことを話したかった。それなのに、こんな形で再会して、こんな形で終わってしまうなんて、絶対に嫌なのよ。ねぇ、玉藻ちゃん。玉藻ちゃんならわかるでしょ? だから、お願い。一回だけでいい。あちしの代わりに八月末のコンサートを引き受けてほしいの」
今までのお茶らけた様子は全くない。そこに宿る光はどこまでも澄んでおり、そして、その光の意味を痛いほど知る玉藻。ギンコと違い、玉藻は相手が死んでしまったと思っていたし、二度と会えないと思っていたが、それでももしいつかもう一度出会えるとわかっていたらと考えると、今のギンコの気持ちをわからないとは絶対に言えない。
揺れ動く気持ち。だが、決定するにはまだ材料が足りない。玉藻はそれを補完するために、最後の質問をぶつける。
「どうしてコンサート当日じゃないとダメなんですか?」
「あちしの命日なの」
「は?」
答えてはもらえないかもしれない。そう思ってぶつけた質問ではあったが、玉藻の予想とは違い、その答えは即座に返ってきた。だが、肝心の意味がわからない。目を白黒しながら今の言葉の真意を考える玉藻の姿に、ギンコは苦笑を浮かべながら説明を続ける。
「正確にはあちしが連夜と一緒に死を偽装して、犯罪組織『バベルの裏庭』の『暗殺者『ギンコ』を抹殺した日」
「あ、あの、コンサート当日がその日にあたることはわかりましたけど、何故その日にコンサートを抜けなくてはいけないんですか?」
「クロちんってさ、なかなか自分の居場所を明かさないのよ。始終あちこちを転々としてさ。同じ龍族の仲間や義兄弟姉妹達、そして、連夜にすら普段は居場所を教えない。だから、こちらから会いに行こうと思っても、そう簡単には捕まえられないのよね。ただし、そんなクロちんが、年に一度、必ず同じ日同じ時に立ちよる場所がある。それがあちしのお墓。あちしの命日にね、必ずお墓参りをしてくれるのよ。城砦都市『嶺斬泊』を出てすぐ近くの大河のほとり。小さい墓石がぽつんと一つあるだけの場所なんだけどさ、毎年必ずやってきて墓石を綺麗にしてお花をたくさんお供えしてくれるの。優しいでしょ。もう何年も前に死んだ、しかも自分を裏切ろうとした相手なのにね」
「そうですか。だから、ギンコさんはそこに」
「うん。あちしが別人だと思っているなら、必ずクロちんはやってくると思うんだ。死んだあちしに会うために。だから、そこで彼を待ちたいの」
強い力で握られる両手。痛みと共に彼女の強い想いが伝わってくる。
ギンコと玉藻は友達ではない。連夜を介して繋がってはいるものの、その絆はとても希薄なもの。いくら玉藻にギンコの望む力があると言っても、それを素直に貸してやる義理はこれっぽっちもないはずだ。
しかし、それでも玉藻は彼女に奇妙な恩義を感じていた。彼女自身に直接助けられたことはない。だが、彼女が歌う歌には何度も何度も励まされ助けられてきた。苦しい時や悲しい時、彼女の歌に救われたことは一度や二度ではない。
玉藻の心は揺れ動く。揺れ動き続ける。
ギンコの望みを叶えることは恐らく可能だ。大勢の人前で歌ったことは流石にないが、悪友の策略で何度かミスコンなどに出場したことがあるので、ステージ立つことそのものは問題あるまい。歌や踊りも未発表の新曲でさえなければいけるであろう。だが、それにしたって大事である。何万人もの観衆を騙さなくてはいけないのだ。ただ、歌って踊るだけではダメなのだ。当日姿をくらますことになるギンコになり切らないといけない。
受けるか受けないか。
真正面から浴びせられ続ける期待に満ちた視線に、玉藻の心は次第に追い詰められていく。憧れの人に頼られる。その事実が玉藻の心を次第に一方へと傾け始め。
そして、傾いた天秤は一気にもう片方を上へと押し上げ、決断の時を迎える。
玉藻は強い決意を瞳に宿らせて正面に座るギンコを見つめる。そこには頼もしいまでの笑顔。ギンコは自分が賭けに勝ったことを確信し、そして、玉藻はそれを事実にするべく口を開く。
そして、決断のとき。
「だが、断る!」
「「・・・え?」」
下された裁決の言葉を聞いて呆気にとられる二人の美女。
勿論、決断の言葉を下したのは玉藻ではない。それを下したのは、彼女の横に座る人物。
玉藻の恋人、宿難 連夜その人だった。
当然、ギンコはその言葉を許容できない。できるわけがない。彼女は猛然と連夜に食ってかかる。
「ちょ、ちょっと、このクソタコ坊主、どういうことよ!」
「どういうこともこういうこともない。玉藻さんを代役にしてステージに出すなんて、絶対にダメだ」
「な、なんでよ!? 玉藻ちゃん、完全にその気になっていたのに、なんであんたがそんな勝手なこというのよ。そもそも何がダメなのよ!?」
「僕が嫌なんだよ!」
店中に響くような大絶叫。
普段己の心の内をなかなか出さない彼が、珍しく激情を剥きだしにして吠える。いや、吠えるだけではない。両手で頭をかきむしり、その目は真っ赤になるまで充血。歯を食いしばりすぎて口からは出血。
あまりの錯乱ぶりにギンコはただただ圧倒されるばかり。そんなギンコを尻目に、連夜は己の暗い胸の内を吐き出し続ける。
「玉藻さんを大勢の男達の前に見世物として出すなんて、絶対に嫌だ。そんなの無理。耐えられない」
「れ、連夜くん」
「玉藻さんは僕だけの『人』だ。僕にとって世界でたった一人しかいない唯一無二の『人』なんだ。ただでさえ、大学で有象無象の男どものいやらしい視線にさらされているというのに、更に増えるなんてダメだ。絶対に許容できない。玉藻さんは僕だけを見ていればいい。僕だけの玉藻さんなんだぁぁぁっ!」
「あ、あほかぁっ! あんた、どんだけ玉藻ちゃんを束縛する気なのよ!?」
独占欲丸出しの連夜の姿にギンコはドン引き。幼い頃から付き合いがあり、表の顔も裏の顔も知っているギンコであるが、こんな一面の連夜を見たのは生まれて初めてである。確かに彼の心の奥底に激しい感情が眠っていることはわかっていた。だが、彼はそう言った感情のことごとくを自ら殺し、冷静さをほとんど失うことがない。だから、ギンコはこれからもずっとそうなのだろう。連夜が己の感情を大爆発させるところなど、一生見ることがないだろう。
そう思っていた。ついさっきまでは。
だが、違っていたのだ。まさか、ここまで感情をむき出しにして反対を示すとは、完全に予想外。むしろ、自分を応援してくれるものと思っていただけにショックは小さくない。
思わぬ伏兵の出現にギンコは頭を抱えそうになるが、ここでへこたれてしまうわけにはいかない。勝利は目前なのだ。ここは連夜のことを無視して、玉藻から約束を取りつけてしまうのだ。
そう決意をあらたにし、ギンコは視線を連夜から玉藻へと移す。しかし、その視線の先には先程と同じように笑顔を浮かべる玉藻の姿。
だが、どこか違う。同じ笑顔のはずなのに、先程とまるで印象が違うことにギンコは気がついた。
嫌な予感が背中を走る。しかし、ギンコは、それを必死に抑えながら一縷の望みをかけて玉藻に話しかける。
「あ、あの玉藻ちゃん。あ、あちしのお願いなんだけど」
「あ、そのことなんですが。やっぱり、きっぱりはっきりお断りします」
「にゃ、にゃんですとぉっ!?」
満面の笑みと共に告げられた言葉が、ギンコを絶望へ突き落とす。
真っ白に燃え尽きたギンコの横、玉藻は未だに激情に震えている連夜に抱きついた。とろけそうなくらいに歪みきった笑みを浮かべて。
「もう、連夜くんったら、本当に焼きもちやきさんなんだからぁ。しょうがないなぁ」
「ダメですよ、玉藻さん。アイドルになんて絶対になったらダメですからね」
「はいはい。わかりました。そこまで連夜くんが言うなら、諦めてあげる。そこまで嫌がるなら、仕方ないよねぇ。私としてはどっちでもよかったんだけどぉ」
「よかった。玉藻さんがアイドルになるなんて言い出したらどうしようかと思ってました。『療術師』になることは応援できますけど、『アイドル』になることは絶対に応援できません。玉藻さんは僕の側にいてくれないと。玉藻さんがいなくなってしまったらと思うと、不安で不安で」
「んふふ。そっかそっか。連夜くんには私が必要なのね。そこまで言うなら側にいてあげてもよろしくてよ」
「お願いします。ずっと僕の側にいてください」
「いるいるぅ。絶対に離れない。連夜くん、大好き!」
完全に二人の世界に突入し帰ってくる気全くなしのバカップルの横で、燃え尽きた狐が一匹。
はたして恋に迷う銀色狐の運命は如何に。
「お客様。そろそろいい加減にしていただかないと退店していただきますよ」