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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
176/199

第四十六話 『もう一匹の狐』

あけましておめでとうございます。そして、お久しぶりでございます。

まだまだ本調子じゃないですが、ぼちぼち再開していくつもりですので、またお付き合いの程よろしくお願いいたします。

 油断していた。全く言い訳ができないほど、玉藻は油断しきっていた。

 浮かれていた。それはもう有頂天になるほど、玉藻は浮かれに浮かれ切っていた。

 つい先日最愛の恋人の両親と会食し、その場で恋人との交際、及び婚約を認めてもらったのだ。まさに天にも昇る気持ち。ずっと気にかかっていた最大の悩み事が綺麗さっぱり払拭され、玉藻はここのところ毎日を上機嫌で過ごしている。

 そんな、まさに幸福絶頂のまっただ中で起きた最悪の出来事。

 彼女のすぐ目の前で、最愛の彼氏と自分とが愁嘆場を演じている。


「お願い、私のことを捨てないで」


「いや、知らんし。そもそも、君が何かしたんじゃないの? どうせ、僕の言うことを聞かずにまた暴走して余計なことをしたんでしょ」


「ちっが~う、あちし、何もしてないもん。ほんとだもん」


「この際だからハッキリ言っておくけど、君の言葉についてはこれっぽっちも信じられない」


「ひ、ひどい! ひどすぎるよ! あ、あちしのことほんとに見捨てる気なの?」


「うん」


「そ、即答!? ちょ、い、いやあぁぁ、捨てないでぇ」


 必死にすがりつこうとする自分と、それを引きはがそうとする最愛の恋人。いったい、何が原因でそうなってしまったのかはわからない。だが、涙目ですがりつく自分の姿から、ただ事ではないことは確か。

 一方、そんな自分を強引に振り払おうとしている最愛の恋人の姿にも玉藻は、戸惑いを隠せない。

 あれほど玉藻に甘い彼が、いや、甘いなんて生易しいレベルではないほど自分を愛し甘やかしてくれる彼が、まるで厄介者を見るかのように自分を見ている。

 夢か。これは自分が今見ている夢の世界の映像なのか。うかれまくって油断しきっていた自分を戒めるために天が罰を下したというのか。


「どうして? どうして、こんなことに」


 底なしの絶望に膝を折り、その場にうずくまる玉藻。

 繁華街の交差点。信号が青に変わったことで人々が次々と移動していく中、玉藻は一人その人の流れに乗らず横断歩道の出入り口に留まり続ける。彼女の視線の先。横断歩道の向こう岸では未だ、恋人と自分とが激しい言いあいを繰り広げていく。人間族と霊狐族というカップリングが珍しいのか、あるいは白昼堂々の痴話喧嘩そのものが面白いのかわからないが、道行く人達が興味深げに視線を投げつけながら通り過ぎていく。

 なぜこうなってしまったのだ。

 今日は楽しいデートだったはずなのだ。

 一緒にウインドウショッピングして、一緒にランチして、一緒にハリケンパークで思う存分イチャイチャして、一緒に玉藻の家に帰って、一緒にお風呂に入って、一緒に夕食を食べて、夜はもっと激しくイチャイチャする予定だったのだ。

 それなのに。

 ああ、それなのに。

 現実は厳しい。そんな甘い幻想を打ち砕くかのように、彼女の目の前では今まさに破局が訪れようとしている。

 彼女は地面に手をつき、はらはらと涙をこぼす。


「天よ。どうして、私にこのような残酷な光景をお見せになるのですか? 私が連夜くんに甘え過ぎていることがいけなかったのですか? それについては反省します、猛省します。ですが、これはあまりにもあんまりです。私のすぐ目の前で、私と連夜くんの破局の様子を見せるなんて。う、うわあああぁぁん。って、あれ?」


 地面に突っ伏してそのまま号泣しかけた玉藻。

 だが、そのとき彼女はふと我に返る。

 何かがおかしいと。

 ごしごしと片手で涙を拭いた後、もう一度視線を横断歩道の向こう岸に向ける。確かにそこでは恋人と自分とが愁嘆場の真っ最中。しかし、である。


「あれも私で、これも私。私が二人? でも、私は私だから」


 茫然とそう呟いた彼女は、もう一度対岸にいる自分を見つめる。すると、本来の自分の姿とはいくつも違う部分があることに気がついた。足が若干細い。自分よりもお尻が小さい。そして、一番の違いは胸が全くない。かわいそうなくらいない。全然ない。服を着て押しつぶしても大きな胸を隠せない自分とは全く違う体型。

 つまりあちらにいる自分は。


「あ、あれは私じゃない!」


 玉藻は横断歩道の信号が点滅に変わっているのも構わず飛び出した。そして、陸上選手も真っ青のスピードで一気に歩道を駆け抜ける。


「連夜くん!」


「あ、玉藻さん」


 彼女が大声で呼ぶと、間髪いれずに返ってくる自分の名前。そこには彼女がいつも見慣れている優しい笑顔。玉藻は全身の力が抜けそうになるのを必死にこらえながら彼の元へとたどり着くと、両手で彼の体を抱きしめる。そして、威嚇するようにもう一人の自分を睨みつけるのだった。

 交錯する二つの視線。

 一人の顔には怒りがにじみ、もう一人の顔にはいたずらを見つかった子供のような笑み。

 二人の玉藻は、同時に口を開こうとした。だが、それよりも早く口を開いた者がいた。


「ほらみろ。おまえがしょうもないことで僕を引きとめている間に玉藻さん来ちゃったじゃないか。本当なら駅まで迎えに行くつもりだったのに、どうしてくれるんだ」


「しょ、しょうもなくない! あちしの相談は全然しょうもなくないよぉっ!」


「黙れ、ダメ狐。毎回毎回口実作ってサボっては、僕に尻拭いさせて。たまには自力でなんとかしてみろ」


「それができたらここには来てないじゃん。ねぇ、連夜ぁ、お願いだからなんとかしてよぉ」


「僕は未来から来た狸型ゴーレムか!? ええい、はなせはなせ。玉藻さんに誤解されたらどうするんだ」


「いいじゃん。あちしと連夜の仲じゃんか」


「どんな仲だよ。ただの腐れ縁なだけじゃん」


「一緒にお風呂に入って、一緒のお布団で寝た仲じゃん」


「よし、わかった。もう君とは絶縁だ。今日から完全に赤の他人ね」


「うわ~ん。本当のことなのに、ひどいよぉぉ」


 玉藻の目の前で再び繰り広げられる二人の激しい舌戦。それをしばしぽかんと口を開けて眺めていた玉藻であったが、このまま放置していればいつ終わるかわからないと、慌てて二人の間に割って入る。


「ちょ、ちょっと待ったちょっと待った。とりあえず、連夜くん、ストップして私に事情を説明して頂戴。これはいったい何なわけ!?」


 二人の話声をかき消すようにわざと大声をあげた玉藻は、怒りの表情を作って連夜へと向ける。先程の反応を見る限り、肝心の連夜はどちらが本物の玉藻かきちんと見分けてくれているようだったので、なんとか話を進められる。そう思っていたのであるが。


「必要ありませんよ。ただのストーカーに絡まれていただけです。こんな奴放っておいて行きましょう」


 物凄い不機嫌な表情で対面に立つもう一人の玉藻を睨みつけた連夜は、今度は本物の玉藻にいつもの優しい笑顔を向ける。そして、本物の玉藻の手を掴むと珍しく強引に引っ張ってその場を離れていこうとする。


「玉藻さん。確か、今日は秋物のバーゲンセールを見に行くんでしたよね。安くていいのがあれば買いましょう。そうそう、スカサハや晴美ちゃん達の分も買っておかないといけませんね」


「連夜ひどい! そりゃないよ、あんまりだよ」


「待って待って連夜くん。バーゲンには行くけど、とりあえず事情を説明してってば!」


 慌てて駆け寄ってきたもう一人の玉藻は連夜の空いているほうの片手を掴み、本物の玉藻は既に掴まれている手を握り返して引っ張り返す。そうして、二人の玉藻から止められる形となった連夜は、しぶしぶ足を止めて振りかえる。そこには今まで見たことがないほどの仏頂面。

 二人の玉藻を交互に見つめた後、ふいっと視線を横に外してぶっきらぼうに言い放つ。


「わかりました。どうしても玉藻さんが知りたいと仰るなら仕方ありません」


 やれやれこれでようやくこの奇妙な状態の理由をしることができる。そう玉藻は思っていたのであるが、しかし、その後、連夜はなかなか事情を説明しようとはしなかった。

 これ見よがしに大きな大きなため息を吐き出しながら、物凄い嫌そうに本物の玉藻に視線を向けた後、もう一人の玉藻を憎々しげに睨むということを繰り返す。それを五回ほど繰り返した頃であろうか。話が全く進まないことにいい加減イライラしてきた玉藻は、連夜に再度事情を説明するようにと口を開こうとした。

 だが、幸か不幸かそれは不発に終わる。

 ちょうどそのとき連夜の中で諦めがついたのだろう。本当にしぶしぶ、そして、嫌々という感じで連夜がもう一人の玉藻を指さしたのだった。


「玉藻さんのコスプレをしているこの『馬鹿』は、奴隷時代に知りあった僕の義姉妹の一人です。前にも少しだけお話したことがあると思いますが、名前は『ギンコ』といいます」


「『ギンコ』さんって、あ、あの、『ギンコ』さんのこと!?」


 その名前にはハッキリと聞き覚えがあった。一緒に奴隷時代を過ごした血の繋がらない兄弟姉妹の中でも特に連夜と仲が良かったという女の子。しかし、その正体は奴隷組織が子供達の監視役として送り込んだスパイ。場合によっては反抗的な子供を始末するという任務も課せられていた恐るべき暗殺者。連夜達が囚われていた鉱山から脱出しようとしたときに、連夜の相棒をつとめていたKを殺そうとしたが失敗。彼女の素性を見抜いて警戒していた連夜によって返り討ちにあい、その命を散らした悲劇のヒロイン。

 と、いうのは表の話。


「でも本当は、彼女が組織から抜けるために連夜くんと二人でうった『お芝居』だったんだよね。胸を刺した短剣は手品で使うタネも仕掛けもある短剣で実際には死んでいなかった。その後、他の兄弟姉妹達も欺いたまま二人で脱出したって聞いたけど」


「ありゃりゃ。連夜、そこまで話しちゃってたの? じゃあ、その後、私がどういう人生を歩んでいったかも」


 連夜の話を途中から引き継ぐ形で玉藻が裏の事情を口にすると、玉藻の姿をした『ギンコ』は妙に興が醒めると言わんばかりに肩をすくめて見せる。だが、そんな『ギンコ』に対しますます苦々しい表情を向けた連夜は、首を横に振って見せた。


「話していない。話せるわけがないだろ」


「え? じゃ、じゃあさ、玉藻ちゃんは表の私については知らないわけ?」


「くどいぞ。さっきから『話してない』って言ってるだろ」


 晴れやかな笑顔になっていく『ギンコ』に対し、どこまでも暗く陰気になっていく連夜の表情。あまりにも明暗くっきりの二人の様子に玉藻は戸惑うことしかできない。いったい、何があるというのか。この自分そっくりの人物に秘められた事情とやらが、彼女の恋人を不機嫌にさせている原因のようではあるのだが、それがいったいなんなのかさっぱり見当がつかない。

 とりあえず彼女の恋人は、自分のそっくりさんに対し恋愛感情を持っているわけではないようなのでそこのところは一安心なのではあるが、なんだか別の意味で嫌な予感がしてならない。一層困惑を深めていく玉藻。

 そんな彼女の姿を見て、『ギンコ』は如何にも悪だくみしてますといわんばかりの笑みを浮かべて彼女を見つめる。


「さて、折角だから挨拶だけでもしておこうかなと思うけど。ねぇ、玉藻ちゃん。私達、どんな挨拶を交わすのが適当だと思う?」


「は? いえ、それはやっぱり『初めまして』じゃ」


「残念。確かに連夜の義姉妹『ギンコ』としてのあちしとあなたなら、『初めまして』でもおかしくない気はするけどさ。それよりもずっと以前から親交のある、あちし達がその言葉を交わすのは今更だと思わない?」


「え? ず、ずっと以前から? それっていったい?」


 言葉の意味がわからず激しく狼狽する玉藻に対し、『ギンコ』は笑みを深くしながら己の頭を挟み込むようにして両手を回す。


「いつもあちし達のコンサートがあるたびにやってきてくれるあなたのこと。あちし、ずっと知っていたよ。握手会の時も必ず十番目以内になるように朝早くから並んでくれて、新曲が発表されるたびに真っ先にファンレターを送ってくれたね」


「え? え? えええっ?」


「わからない? 本当にあちしが誰だがわからないのかな? それともわかっているけど認めたくないだけ?」


 静かに微笑みながら次々と言葉が投げかけられてくるたびに、玉藻の表情がみるみる強張っていく。最初はそんなはずはないと思っていた。雲の彼方にいる人が、自分とそっくりであるなどあるはずがない、あってはならないと思っていた。だから、最初からそんな可能性は否定してかかっていた。だが、冷静になって彼女を観察できるようになってくると、その容姿のところどころにあの人との共通点がみえてくる。いや、『ところどころ』なんてレベルではない。長年ファンをやっている自分にはわかる。目の前に立つこの狐型獣人族の美女は、ほぼあの人と同じだ。髪の色が違うだけ。


「うそ、まさか、そんなはずは」


 今更ながらに体が震えてくる。自分の頭の中で否定する要素が一つ、また一つと消えていくたびに、彼女の体の震えは大きくなっていく。そして、ついには自力では立っていられなくなり、横に立つ恋人に支えてもらう始末。

 そんな玉藻の様子を面白そうに観察していた『ギンコ』であったが、やがて、そろそろ潮時であることを悟り己の正体をいよいよさらけ出そうとする。


「よく見ていなさい如月 玉藻ちゃん。今、あなたの前に立っている人物がいったい誰なのかを!」


「本当に本当なの? 夢じゃないの!?」


「夢じゃないわ。そのことを自分の目で確かめなさい! さぁ、これがあちしの正体よ!」


 どこか期待に満ちた表情で見守る玉藻の前で、『ギンコ』は頭にかけた両手をそのまま頭上へと持ち上げようとした。だが、まさにその瞬間。


 すぱこ~ん!


 物凄い軽快な音が繁華街の交差点に鳴り響く。

 そして、呆気にとられる玉藻の前には、頭を押さえて地面を転がりまわる『ギンコ』の姿。


「い、いたい! 痛いよ、連夜。なんでいきなりハリセンで叩くかな!?」


「やかましいわ。おま、いったいどこで正体をばらそうとしているわけ? 周りを見て判断しろよ、この馬鹿狐!」


「へ?」


 どこからともなく取りだしたハリセンを構えたまま、怒りの形相を隠そうともせずに周囲を指さす連夜。その連夜に促される形で周囲を見渡した『ギンコ』は途端に表情を引きつらせる。


「なになに、なんの騒ぎ?」


「なんかイベントやってるらしいよ」


「あれ? あの凄い美女ってさ、どこかで見たことない?」


「ほら、あのアイドルグループの人じゃない?」


「ああ、そういえば似てるよね」


「新曲のミュージックビデオの撮影かな」


 いつの間にか集まってきていたのか、連夜達がいる繁華街の交差点には物凄い野次馬の群れ。わいわいがやがやと騒ぎながら、彼らの騒動を見物している。耳を澄まして彼らの会話を聞いてみると、中には早くも『ギンコ』の正体に気がついた者まで存在している。

 流石の『ギンコ』もようやくここで自分の正体をさらけ出すのは不味いと気がついた。


「えっと、あちし、やっちゃった?」


「やっちゃってるよ。見事なまでにやっちゃってるよ。ってか、君さ、このまま正体暴露してファンの皆さまに追い回されたらいいんじゃね? そしたら、マネージャーの田端さんにすぐ見つかって連れ戻されるだろうし。一件落着ってことでどうよ」


「そっかぁ。そしたら、あちし、田端さんからしこたま説教された上に、今度こそあの地獄のスケジュールに組み込まれて半年は休みがなくなるって寸法だね。よかったよかった。って、全然いいわけあるかぁっ!」


 血の涙を流しながら本気で怒り狂うギンコであったが、それを見ても彼女の義兄弟は一向に悪びれる様子はない。むしろ、物凄い悪い笑みを浮かべてにやにやと彼女を見つめるばかり。幼い頃からこの義兄弟の性格の悪さはよく知っている『ギンコ』。このまま彼の挑発に乗り続けると、最終的には間違いなくロクでもないことになる。『ギンコ』は悔しそうに顔を歪めながらも歯を食いしばって両手を頭から離した。そして、空いた両手を別のものに手を伸ばす。


「おいっ、ギンコ!?」


「え、な、なんですの?」


 掴んだものは連夜と玉藻のそれぞれの腕。戸惑う二人に構うことなく彼女は叫ぶ。


「とりあえず、戦略的撤退!」


「「はぁっ!?」」


 承知とも拒否とも返事をさせぬまま、『ギンコ』は二人を連れてその場から全力疾走。脱兎の如く逃げ出した。いきなりの主役達の退場に茫然自失となるギャラリー達。

 とにもかくにもこの場での『ギンコ』での秘密はかろうじて守られた。

 一応。

 後日、コスプレして繁華街を散歩する歌姫のうわさが一部の地域でしばらく流れ続けることになるが、歌姫の正体そのものが断定したわけではないので守られたと言っていいだろう。


 さて、衆人環視の元では守られた秘密。

 その秘密はしかし、別の場所で明かされることとなった。

 『サードテンプル』の真横を横切るようにして存在する一大商店街『中央ショッピングロード』。その地下街にあるレトロな雰囲気の喫茶店の中、玉藻は連夜の義姉妹の正体を知る。


「き、き、ききき、キッチン!?」


「「し~~~っ!」」


 金髪カツラを外して正体を明かした『ギンコ』の姿を見て盛大に驚いた玉藻は、たまらず大絶叫。しかし、驚いたのは玉藻だけではない。連夜も『ギンコ』も玉藻が驚くこと事態は予想してはいた。だがまさか『ギンコ』の正体を大絶叫するとまでは予想していなかった。二人は慌てて玉藻の口に手の平を当てると必死にその声を遮り静かにさせる。

 幸いまだ午前中ということもあって店の中に客は少なく、玉藻の大絶叫そのものに驚いた客は多くても、その言葉の意味に気がついた者はいなかった模様。

 二人は一通り周囲を見渡して誰にもバレていないことを確認すると、大きく長いため息を吐き出した。


「ご、ごめんなさい。あ、あまりにもびっくりしてつい」


「ああ、いいんですよ。驚くのは無理ないですから。なんせ、こんなしょうもない奴がアイドルやってるなんて、誰も想像できないでしょうからね」


「おい、ちょっと待てそこの腹黒高校生。どこの誰がしょうもない奴だって?」


「僕の目の前に座ってる『城鐘 きつね』っていう馬鹿だよ」


「言い切った! 言い切りやがったよ、この人!?」


「言い切らないとわからないから『馬鹿狐』なんでしょうが。ほんとに頭悪いなぁ、君は」


「北方諸都市ナンバーワンアイドルなんだよ!? 五年連続記録水晶音楽大賞受賞者なのよ!? そんでもってミリオンヒット数も過去のアーティストで最大最高!? その偉大なるあちしに向かってあまりにも無礼過ぎない? もっと敬って接すべきじゃない!?」


「やかましいわっ! 本当にナンバーワンアイドルなら仕事さぼったりしないわい! だいたい仕事をさぼる理由がどれもこれもおかしいだろ? 最新ゲームを最速で攻略したいからとか、刀京ディスティニーランドで遊び倒したいからとか、ケーキバイキングで食べ過ぎて太ってしまったからテレビに出たくないとか、どれもこれもしょうもなさすぎるんだよ!」


「だってだって、あちしだって息抜きしたいんだもん。仕事ばっかりじゃ息が詰まって死んじゃうもん!」


「ちゃんと合間合間にオフを設定してもらってあるだろうが。そこもきっちり休むくせに、一番大事なときに抜け出して周囲に大迷惑かけまくって、あげく最終的に自分ではどうにもできなくなって僕のところに泣きついてくるんだから。おまえなんか『馬鹿狐』で十分だ。いや、『大馬鹿きつね』だな」


「ひどい、ひどすぎるよぉっ! 連夜、いくらなんでも容赦なさすぎるよ。もっとあちしに優しくしてよぉっ」


 連夜の手加減なしの追及に対し、とうとうテーブルに突っ伏して泣き出してしまう『ギンコ』。

 そんな『ギンコ』の姿を、玉藻は唖然茫然とした様子で見つめ続ける。

 短くシャギーにした美しい銀色の髪に、銀色の瞳。細い腕に細いウェスト、そして、細い脚線美。全体的に細っそりした印象を持つがスタイルは抜群。薄暗い店内にあっても下手なモデルよりもはるかに美しいとわかる自分と同じくらいの年齢の女性。

 玉藻は嫌というほど彼女のことを知っていた。

 どれだけ忙しくても出来る限り時間を作ってコンサートに行く。握手会にも参加する。この都市でのファンイベントはいずれも一度として欠席したことはない。歌が好き、演技が好き、歌の合間に繰り広げられるメンバー内のトークだって大好きだ。

 『ギンコ』という名の連夜の義姉妹のことは、話で聞いた以上のことは知らない。

 しかし、『城鐘 きつね』のことは大概の事を知っている。

 そう、北方諸都市最大のトップアイドルグループ『Pochet(ポシェット)』のリーダーにしてメインボーカル『城鐘 きつね』のことならば。


「ほ、本当に『ギンコ』さんは『キッチン』なんですか? あのトップアイドルグループ『Pochet(ポシェット)』の?」


 自分のその目で今まさに確認しているにも関わらず玉藻はどうしても信じることができず、目の前に座る銀髪の女性に問いかける。すると問いかけられた彼女はむくりと顔をあげ、ニヤリと笑みを作る。


「そうよ。あちしは間違いなく『城鐘 きつね』」


「ほ、本物なんですね」


「うん。そうだ、一ついいこと教えてあげちゃおう。あちしの本名は『城鐘 きつね』なんだけどさ、姓を東方よみ文字に、名前をと東方書き文字に変えてみて」


「えっと、『しろがね 狐』ですか?」


「そそ。そんで、『しろがね』ってさ、一般的に東方書き文字一字で書くとどうなる?」


「『銀』ですよね?」


「うん。その状態で姓と名前を並べてみてよ」


「『銀 狐』。え? あ!」


「気がついたみたいね。そういうことよ」


 驚く玉藻の目の前で、女性は顔だけを銀色の狐に変化させて嗤う。


「『銀 狐』。『ぎん こ』。『ギンコ』!?」


「どちらもあちしを現しているわ。好きな方で呼んでね」


 先程まで最愛の恋人と低レベルな言い争いをしていた人物とは思えない優雅で余裕のある雰囲気を醸し出しながら、コーヒーを口につける銀色狐の女性。

 その姿は間違いなく彼女が憧れるトップアイドルその人のもの。玉藻は咄嗟に返事を返すことができず、壊れた人形のようにこくこくと頷きを返すばかり。自覚していなかったうちは普通に話すことができていたが、その人の正体に間違いがないとわかってしまった今となっては舌が回らない。

 頬を染め、両手を前で組み合わせたまま憧れの人の挙動を見守るしかできない。しかし、それだけでも玉藻は満足であった。他のファンには味わえない至高の時間を今自分味わっているのだ。

 しかし、そんな至高の時間は長くは続かなかった。他ならぬ彼女の最愛の恋人が、彼女を現実へと引き戻す。


「おい、どうでもいいけど、玉藻さんまで引っ張りこんでどういうつもりだ? 言っておくが今回ばかりは絶対に手を貸さないからな」


「いいもん。別に連夜に手を貸してもらわなくてもいい、ナイスな考えが思い浮かんだから」


「はぁ? ナイスな考え?」


 猛烈に嫌な予感が背中を走り、連夜は盛大に顔を顰めて目の前に座る血のつながらない姉妹を睨みつける。だが、そんな連夜を横目にしながらもギンコはどこ吹く風。それどころか同性でさえ見惚れてしまいそうな極上の笑みを浮かべると、連夜の横に座る玉藻の両手を優しく取った。


「えっと、あの、ギンコさん?」


「玉藻ちゃん、突然なんだけどお願いがあるの。聞いてくれないかな」


「お願い、ですか?」


「うん、あのね。玉藻ちゃん。私の代わりに『城鐘 きつね』としてステージに上がってくれないかな」


「ああ、そんなことですか。それくらいなら、いくらでも、って、えええええっ!?」

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