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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
175/199

第四十五話 『いつまでもずっと一緒に』

 城砦都市『嶺斬泊』の美しい夜景が一望できる一流レストラン『ライムドータ』の展望ラウンジにて、玉藻はその強大な敵と再び対峙していた。

 忘れもしない数年ぶりに果たした里帰りの日、たった一度だけすれ違った一組のカップル。

 彼らが何者であるのか。その具体的な正体について、玉藻は知らない。

 しかし、わかっていることもある。

 恐ろしいまでの腕前の剣術家であり槍術家であった長老達をめっためたのぎったぎたのくそみその全殺しにして二度とが武器が持てない身体にした、とてつもなく強大な力を誇る中央庁の関係者。

 まさかこんなところで再会することになろうとは。

 どうりで横に立つ恋人が異様に緊張しているわけである。


 玉藻達がここに来た本当の目的は、連夜の両親に会うこと。会って話をし、二人の交際、及び婚約を認めてもらうことだ。

 だが、二人に会う前に現れたのは例の二人組。迂闊だった。連夜の母親は中央庁でもトップクラスに位置する、とても偉い『人』なのだ。護衛の一人や二人いてもおかしくはない。

 つい先日も、玉藻は自分以上の実力を持つ中央庁の特殊兵士に手玉に取られたばかり。『中央庁』という権力の中枢には、彼らのような魔人がごろごろしているに違いない。

 しかし、何故、彼らは自分達の行く手を阻むのか? やはり、連夜との交際を認めたくない両親が、玉藻を門前払いにすべく連れてきたのであろうか。

 ともかく大変なことになりそうだと思わず溜息をつく玉藻だったが、横にいる愛しい恋人だけはなんとしても守り抜かねばという固い決意だけはしておくのだった。

 そう思って睨みつけるように先に席に座って待っている二人の男女のほうを見ていた玉藻だったが、美しい銀色のロングヘアーの女性が立ち上がってぶんぶんと手を振るのが見えた。

 そして、物凄く優しい感じでこちらに声をかけてくる。


「レンちゃん、こっちこっちぃ!!」


「いや、あの、そんな大声ださなくても聞こえているから。恥ずかしいからやめてよね」


 真っ赤なビジネススーツがやたら似あう超絶美人に声をかけられた年下の恋人は、顔を真っ赤にしながらごにょごにょと女性に向かっていい、その後自分のほうを向いて『すいません、ほんとに申し訳ない、あとできつく言っておきますから』となんかやたら謝ってくる。


 すると、その美人の女性は『なによぉ』と可愛らしく口を尖らせて恋人のほうを見るのだった。


「ひどい、迷ったら可哀そうだからと思って声をかけてあげたのに、どうしてそんな冷たいこと言うの?」


「いや、子供じゃないんだから。そんなにオーバーアクションで教えてくれなくてもわかるし。そもそもこのレストランに予約いれたの僕なんだけど」


「レンちゃんはお母さんの子供です! あぁん、旦那様、レンちゃんがこんな風に反抗してきます。私の育て方が悪かったのね、きっと」


「よしよし、そんなことないですよ、連夜くんは物凄くまっすぐに育っているじゃないですか。奥さんの愛情はちゃんと伝わっていますよ」


「旦那様ぁん、もっとよしよししてぇん。なぜなぜしてぇん」


 横の誠実そうな黒髪黒眼の青年は、抱きついてきた女性を優しく抱きしめて、よしよしと頭を撫ぜてやるのだったが、そんな二人を見て非常にバツが悪そうに溜息を吐きだす年下の恋人。


「もう、ほんとに勘弁してよ、御客様の前なんだよ」


 恋人の目の前でやたらいちゃいちゃするカップルの姿を唖然とした様子で見つめる玉藻。

 全然敵意らしきものは感じられないが、いったい全体なんの用なのか、そもそもこの二人は連夜とどういう関係なのか、玉藻はそれがさっぱりわからず困惑を深めていく。

 すると、やがて、女性のほうが玉藻の存在に気がついたようで、しばらくこっちをじっと見つめてくる。

 雪の結晶のように美しく輝く白銀色の瞳。この瞳をどこかで見たような気がする。しかし、いったいそれがどこだったのか、すぐには思い出すことができない。

 懸命に思い出そうとしている間も、ずっと見つめ続けられているわけであるが、なんだか全てを見とおされているようでどんどんと居心地が悪くなってくる。

 あまり見ないでくれと口を開こうとしたが、それよりも早く女性が驚いたような声をあげた。


「え、ちょっとまさか、玉藻ちゃん? 玉藻ちゃんなの?」


 その声に、思わず玉藻はこっくりと頷いてしまう。


「あ、は、はい、そうですけど」


 すると、女性は大きく目を見開いてまじまじとこちらをさらに見つめ、そして、物凄く優しい笑顔を浮かべるのだった。


「あらあら、やっぱりそうだったのね、あんまり奇麗になっているからおばさん、びっくりしちゃったわ。旦那様、玉藻ちゃんですよ、ほら、み~ちゃんのお友達の」


「え、あの、玉藻ちゃんなのかい!? 小学生のころ、うちによく遊びに来ていた、霊狐族の玉藻ちゃん」


「へ? え? あの?」


 女性ばかりか、横にいる男性までもが吃驚仰天した表情を浮かべて自分をまじまじと見つめ、そして、女性同様に優しい笑顔を浮かべる。


「あの小さかった玉藻ちゃんが、こんな奇麗なお嬢さんになっているなんて。おじさんのこと覚えているかな? よく、遊びにきたときにカップケーキとか作ってあげたんだけど」


「カップ、ケーキ?」


 玉藻はその言葉に何かが記憶の奥から浮上してくるのを感じる。

 友達がほとんどいない玉藻にとって友達の家に遊びに行った記憶など数えるほどしかない、しかもそこでカップケーキを御馳走になったという記憶になると一つしか存在しない。

 玉藻はその目を大きく見開いて目の前にいる二人の姿を見て、とぎれとぎれに呟いた。


「み、み、ミネルヴァの、お父さんとお母さん?」


「そうよ、久しぶりね、玉藻ちゃん」


「いや、ほんとに久しぶりだね、ミネルヴァくんからよく君の話は聞いていたけど、中学校になってからは滅多に君を家に連れてこなくなったから。確かそれ以降は中学生の夏休みに数回と、高校一年生の時に数回来ていたことはミネルヴァくんから聞いていたけど、そのとき僕達は会えなかったから、結局小学校以来ってことになるよね? まさかこんな美人さんになっているとは。月日が流れるのはほんと早いねえ」


 しみじみと語りかけてくる二人の言葉を茫然として聞いていた玉藻だったが、ふと、視線を横に移して年下の恋人を見つめ、そして、再び目の前の夫婦を見つめ、また恋人をみつめ、また夫婦を見つめ、という作業をしばらく続けていたが、突如腕組みをして考えて呟く。


「あ、あの、ミネルヴァのご両親ってことですよね?」


「そうよ? どうしたの、玉藻ちゃん?」


「あれ? ってことは、お二人は連夜くんの」


「そうよ、実の母親と父親よ。」


「ですよねぇ。って、えええっ!?」


 今更ながらにここに自分を連れてきた恋人の真意を理解し、一気に顔から血の気が引き、青いどころか真っ白になってしまう玉藻。

 足は震えて今にも崩れ落ちそうで、そんな玉藻の姿に慌てる連夜。


「た、玉藻さん、大丈夫ですか!?」


「だ、だめ、連夜くん、気絶しそう」


「うわ、ちょっと、だめですよ、お願いですから気を確かにもってください!!」


「あ、足も震えて立っていられなくなってきたわ」


「うわわわわ、お、お父さん、お母さん、ごめん、ちょっと玉藻さんを先に座らせてあげてもいいかな!?」


「ああ、いいよ、いいよ、座らせてあげなさい」


「どうしたの、玉藻ちゃん、なんだか突然物凄く調子悪くなったみたいだけど」


 ふらふらと夢遊病患者のようになっている玉藻を、優しく支えてテーブルの奥の窓側にそっと座らせてあげた連夜は、自分もその横に座って背中をさすりながら水の入ったコップを渡してやる。


「はい、玉藻さん、これ飲んでちょっと落ち着いてください」


「あ、ありがとう、連夜くん」


「話は僕がしますから、玉藻さんは座っててくれるだけでいいですからね」


「うう、連夜くん、ごめん、役立たずで」


「いえいえ、僕が無理言って連れてきたんですから」


 二人のやり取りの真意がいまいちよくわからず、きょとんとして二人を見守り続ける両親であったが、そのうち母親のほうが何かに気づいたようにぽんと右手の拳で左手の手の平を叩く。


「ああ、そっか、わかった。ミネルヴァのことね。あの子に下した永久追放の罰の軽減を頼みにでも来たのかしら?」


 表情はあくまでもにこやかな母。しかし、その目は全然笑ってはいない。どこまでも冷たく光るその双眸は、何を言っても拒否の言葉を貫くという覚悟を示している。連夜と玉藻はそんな連夜の母ドナの瞳をしばらくの間、見詰めた後、顔を合わせて同時に苦笑を浮かべて見せる。


「いえ、私自身は、あの裁定に感謝しています。ミネルヴァ自身は犯罪に関わってはいなかったとはいえ、形ばかりでも彼女の下にいた者達が許されない非道な犯罪を行ってきたのです。監督不行き届きでもっと重い罰を課せられても文句は言えないところだと思います。それを考えれば、この都市内からの追放だけで済んだのは本当に僥倖でした。確かに、この都市の中では会えなくなりましたが、会いたくなったら私がミネルヴァのところに会いに行けばいいだけのことですもの」


 晴れやかなとはいかないまでも、どこまでも穏やかな笑みを浮かべてそう自分の考えを述べる玉藻に、母親は意外だという表情を隠そうともせず、隣に座る夫に話しかける。


「あらあら。旦那様。どうやら、私の予想は外れてしまったようですわ」


「本当ですね。僕もミネルヴァくんのことだとばかり思っていましたが」


 二人は同じような姿で腕を組みしばしの間考える。そんな二人を呆気にとられて見つめていた連夜達だったが、いつまでも勘違いさせておくわけにもいかないので、本当の事情を説明しようと口を開く。

 だが、それよりも早く何かを思いついた母親は、またもやぽんと片手の拳で手の平を叩いた。


「あれだ。晴美ちゃんのことだ。それで私達に相談しにきたのね」


「なるほど、そういえば玉藻ちゃんは晴美ちゃんのお姉さんだったんだよね、そうかぁ、迂闊だったなあ。ごめんね、そこの配慮は全くしてなかったよ」


 二人はバツが悪そうな顔で玉藻に謝ってくるが、玉藻は手を振りながら慌てて否定する。


「いえいえいえ、そんなことないですよ。みなさんに晴美がよくしていただいていることは、よく存じ上げております。むしろお任せしっぱなしで申し訳ないくらいで」


「あれ? じゃあ、そのことじゃなかったの? じゃあ、何で僕ら呼ばれたのかな?」


 再び困惑の表情を浮かべた両親は、自分達を集めた張本人である息子のほうに顔を向ける。

 すると、息子の連夜は非常に珍しいことに物凄く緊張した様子で深呼吸を繰り返しているではないか。

 いったいそこまで覚悟を決めて何を言うつもりなのか全く見当がつかないでいる両親であったが、急かすことはせずに黙って息子が口を開くのを待つ。

 すると、息子はしばらく両親の顔を見つめ、その後横で泣き出しそうな不安な表情を浮かべている玉藻の方に顔を向けて力強く頷くと、もう一度両親のほうに顔を向けて真摯な表情と真剣な瞳で口を開いた。


「僕は、僕はあの、その、僕は今、玉藻さんと結婚を前提にお付きあいさせてもらっているんだ」


「ああ、そうなんだ。ふぅん」


「ああ、それはよかったね」


 と、普通に返事を返した両親だったが、そのあとギギギと壊れたゴーレムのように顔を見合わせると・・


「「な、なにいぃっ!?」」


 思いきり絶叫したあと、両親は神妙な顔でこちらを見つめている息子のほうに慌てて顔を向け大きく口と目を開けたまま、固まってしまった。

 連夜は十七年の短い人生の中でこれほど本気で驚いた両親を見たことがない。

 子供の時に何度か驚かしてみようとしたことはあったが、大概その驚きは演技で、本気で驚いている状態の両親を見たことなどなかった。

 なのに、まさかそんな姿を目撃する日がこようとは。

 しばらく両親は口をぱくぱく動かして、連夜と玉藻を何度も往復して見直していたが、自分達用のコップを掴むと中に入った水を一気にごくごくと飲みほしてしまう。

 そして、また何度か口を開きかけては止め、お互いの顔を見てどうぞどうぞと話しかける役を譲り合おうとするが、結局母親に『お願い、旦那様が聞いてちょうだい』と目で訴えられた父親のほうが話をすることに。


「た、確かに連夜くんは事前に、ある女性と会ってほしいって言っていたよね。だから、僕達も噂になってる君の彼女を紹介してもらえるものだとばかり思っていた」


「ええ、それで間違いないです。今日の会食はその為にセッティングしたんですよ」


 父親の質問にきっぱりハッキリ即答する連夜。そんな息子の姿に、もう一度顔を見合わせた夫婦は、どこか脱力したようになって大きく息を吐きだした。


「いや、それにしてもこれは予想外でしたね。姫子ちゃんではないということだけは予め聞いて知ってはいましたが、それ以外の情報は敢えて聞かないようにしていたもので。まさかこう来るとは」


「本当に何も聞いてなかったんだね。さくらとか、美咲姉さんとかお父さんやお母さんの側近組には既にバラしていたから、そっちの方面からとっくに知れ渡っているものとばかり思ってたよ」


「いや、先に知ってしまうと楽しみがなくなると思って、僕も奥さんも聞かないようにしていたんです」


「それなら、ご期待に添えてよかったのかな?」


「いや、それにしてもびっくりしました。最有力候補だと思われていた姫子ちゃんではないということだったから、では、いったい誰だろうということになりましてね。奥さんと二人でいろいろと予想していたんです」


「ちなみにお二人が予想していた相手を聞いてもいい?」


「僕達が予想していたのは三人。まず、中学時代の連夜くんの友人で、女性になってまで連夜君たちを追いかけてきたリン・シャーウッドくん」


「ないわぁ。いろいろな意味でないわぁ。僕からしたら今でもあいつは『男』のリンだもん。まあ、それにあいつが好きなのはロムだしね。で、次は?」


「君が奴隷だったころに命がけで助けたギンコくん。あの子に対して、連夜くんが何か特別な想いを抱いていることは僕達知っているからね。一番最有力かなって思っていた」


「絶対ないわぁ。あいつだけはほんとに絶対ないわぁ。お父さんの言うとおり、あいつに関してはどうしてもいろいろと考えることはありますけどね。でもそれは僕自身のことじゃなくてKが絡んでいることで。まぁいいです。ともかく、あれはないです。で、最後は?」


「小さい頃にフェイくんと一緒にいつも一緒にいた子がいただろう? 名前は忘れちゃったけれど、あの子かなと。まあ、これは一番可能性が低いとは思っていたけれど」


「仰る通り。ありえません。そもそも彼女は現在この都市にいませんからね。数年前に南方の都市に一家で引っ越して、それからこちらには帰ってきていませんよ。アルカディアとの交易路の封鎖解除ももう少し時間がかかるんでしょ? いくら僕でもいない人と恋愛はできません。まぁ、仮に彼女がいたとしても、僕は玉藻さんを選んだでしょうが」


 そう言って横に座る玉藻を見つめた連夜は、にっこりと微笑んでみせる。そして、玉藻は顔を赤らめながらもこくりと頷きを返した。

 二人のそんな様子を目の前で見つめていた仁とドナは、それが演技ではないことを改めて実感し、天を仰ぐ。


「二人とも本気なんだね。本気で付き合っているってことなのだね」


「勿論そうだよ。僕と玉藻さんは付き合ってる」


「えっと。つまり。だから、今、連夜くんと玉藻ちゃんは、恋人同士ってことなのかな?」


「うん」


「いつから?」


「三カ月くらい前から」


「さ、三カ月? それなのにもう結婚前提なの?」


 きっと言われるだろうなあと思っていた連夜は苦笑しながらも口を開く。


「本格的に付き合いだしたのは三カ月くらい前だけど、僕はそれよりもずっと以前から玉藻さんのことが好きだったんだ。まあ、結婚の約束は無理言って僕がしてもらったんだけど」


「ち、ちがっ!! それは私が望んだからで」


 連夜の言葉に慌てて玉藻が話に割って入るが、連夜は優しい表情で首を横に振ってみせる。


「ううん、やっぱり僕が」


「いやいや、私が」


「あぁ、君達の気持はよくわかったよ。お互いを好きあっているってことは今までので十分わかったから、とりあえず、話進めたいので、ちょっと止まってもらっていいかな?」


 仲の良い二人の様子をほほえましく見守っていた父親の言葉に、二人は真っ赤になって俯いてしまう。


「連夜くん、その、わかっていると思うけど、この都市の条例ではね」


「うん、それはわかっているよ、十八歳未満の未成年は結婚することができないってことだよね?」


 父親の言葉をさえぎって連夜はきっぱりと言ってみせ、父親そんな連夜に嘆息し困惑の表情を向ける。


「そうか、じゃあ今すぐ結婚とかそういうことじゃないんだね?」


「うん、そうじゃないんだ。僕だって本当はこんな急に焦るように話したくなかったよ。玉藻さんにだって自分の人生や生活があるし、何よりもひょっとすると途中で僕に飽きてしまうかもしれない。僕はそんな魅力的な男じゃないってことくらいわかってる」


 と、そこまで一気に真摯な瞳で両親に語った連夜だったが、途中で横から伸びてきた手が話をさえぎる。

 驚いて横を見ると、本気で怒っている玉藻の顔が。


「連夜くん、今の話は撤回して、今すぐに。私の人生は誰のものなの? 私の命は誰のものなの? ちゃんと答えて」


 絶対零度の冷たい声音で迫られて、連夜は身を縮めながらおずおずと自分の発言を撤回することにする。


「ごめんなさい、玉藻さん。お父さん、その今のはナシ、あの、玉藻さんの人生も生活も命も僕のもので、玉藻さんが僕を見限ることはないからそこは問題じゃなくて」


 冷たいまなざしでしばらく連夜を見つめていた玉藻だったが、相手がすぐに自分の言ったことを撤回してみせたので、とりあえず許すことにして手を離す。

 そんな玉藻をしばらくびくびくして横目で見ていた連夜だったが、ひとつ溜息を吐きだすと、もう一度両親のほうに向きなおる。

 すると、その視線の先ではなぜか父親が口を押さえて明後日のほうを向いており、母親がそんな父親を非常に冷たい視線で見つめていた。


「旦那様、連夜くんが待ってますけど」


「ああ、そ、そうだね。ぷっ、ごめんごめん」


「旦那様、今噴き出しませんでしたか?」


「いやいやいや、気のせいですよ。ただ、誰かさんとそっくりなこというものだから、懐かしくて」


 そう、連夜の父、仁はある思い出を思い出していた。

 自分の永遠の伴侶が、かつて目の前の若いカップルと同じような内容の言葉を口にしたことがあることを。自分を卑下する仁に対し、ドナは怒ったような表情で永遠に側にいることを誓ってくれた。多分に照れ隠しが入っていたのだろう。当時のドナはいまほど素直ではなく、何をするにも突っかかるような物言いばかり。それでも、彼女の本心を仁が見失うことはなかった。どんな態度をとろうとも、彼の心はドナと共にあった。

 それは今も変わらない。

 そんな在りし日の自分達と重なる若いカップル達の姿に、自分達の過去の思い出を思い出し思わず噴き出してしまったというわけである。

 ツボに入ってしまったのか、しばらくの間仁は顔を隠しながらもくすくすと笑っていたが、父親の心中を知っている母親が、恥ずかしそうに顔を真っ赤にして父親に詰め寄っていく。


「だ、旦那様ったら、もう!!」


「僕は忘れませんよ。そして、それは僕も同じです。僕はあなたのもので、あなたは僕のものだ」


「ば、バカ。こ、子供たちの前で、もう」


 なんだか非常に微妙な空気になっているのが気になったが、とりあえず、それどころではないので、連夜は言葉を続けることにする。


「あの、とにかく、僕は玉藻さんと一緒にこれからの人生を歩んでいきたい。それは他の誰かじゃだめなんだ。玉藻さんじゃないと。お父さんにとって、世界で唯一の『人』がお母さんであるように、僕の世界で唯一の『人』が玉藻さんなんだ。だから、その、僕たちの交際と、そして、婚約を認めてほしい」


 挑むような真剣な視線を向けてくる息子をじっと眺めていた父親だったが、その姿にかつての自分を重ねてなんとも言えない表情になる。

 敵対する立場にあった女性を妻に迎えたときに、この女性を自分の唯一無二の伴侶と定めたとき、自分もずっとこの女性の側を離れないと誓った。

 自分のいるべき場所はここにあると教えてくれたのは今自分のすぐ横にいる女性であり、その彼女にずっと君のいるべき場所でいつづけると誓ったのは自分だった。

 ふと横を見ると、永遠に自分の恋人である妻は、困ったような笑顔を浮かべて自分をみつめ、テーブルの下にある自分の手をぎゅっと握ってくる。

 反対の声を出そうにも自分達が通ってきた道であるだけにそれもかなわず、父親は横にいる妻と目線で確認すると、苦笑を浮かべてゆっくりと息子に頷いて見せる。


「なんというか、君はやっぱり僕の息子なんだねぇ。わかったよ、君達の婚約は認めてもいい。だけど、玉藻ちゃんはいいのかい?」


 不意に声を父親にかけられた玉藻は自分が声を掛けられていることに気がつかず、ただ黙って隣に座る連夜の横顔を見つめていた。

 愛しい恋人が男らしく自分達の婚約を認めてほしい、自分が絶対必要なのだと断言してくれた姿を見て、嬉しくて嬉しくて気絶しそうになりながら涙を流して歓喜の余韻に浸っていたのだった。

 そんな玉藻の様子をなんとも言えない優しい笑顔で見つめていた仁であったが、少しばかり表情を引き締めて口を開く。


「玉藻ちゃん。僕の息子はご覧の通り人間族だ。改めて説明しなくても恐らく既に知っていると思うけど、人間族は全『人』類の中で最底辺に位置する弱小種族だ。身体能力は最低、特殊能力もない。だから他種族から盛大に侮られるし蔑まれる。破ると厳しい罰則を課せられる人種差別禁止法があるこの都市の中にあっても、人間族は未だに公然と差別されている。つまり、連夜と共にいるということは、これからずっとその差別に晒され続けていくということでもある。君にはその覚悟があるのかな?」


「勿論です」


 強い覚悟の宿る金色の瞳。そこに一点の曇りもない。彼女はあの日最愛の恋人と、そして、自分自身に誓ったのだ。


「誰にも差別はさせない。連夜くんに牙を剥く者は、例えそれが拳による『暴力』であろうとも、例えそれが心のない『暴言』であろうとも絶対に許しはしない。我が魂、我が力、我が身の全てを使って連夜くんを守る。そして、一緒に生きていく。私にはその覚悟があります」


 対面に座る仁とドナの二人に向けて、玉藻は逸らすことなくその瞳をまっすぐに向ける。

 人間族である彼女の恋人が、今までどれほどの差別の嵐にあってきたか、その全てを彼女はその目で見て知っているわけではない。しかし、全く知らないというわけでもない。彼と付き合いうようになり、共に過ごす時間が増えるにつれ、彼女もまた差別の嵐に巻き込まれるようになってきたのだから。そして、実際にその目で見て、知ったのだ。

 その嵐は本当に生半可なものではなかった。そこにいるだけでモノを投げつけられたり、暴言を吐かれたり。あるいは直接暴力に訴えられることもあれば、本気で殺そうとしてくる輩もいた。それが日常茶飯事に起こるのだ。


「君はどうやら、実際にアレを体験して知っているようだね」


「はい」


「アレはずっと続く。下手をしたら一生続く。勿論、僕も奥さんもそういう風潮がなくなるように法整備を進め、人の意識改革を行ってもいる。それでも連夜くんが生きているうちに、彼がそんな差別に晒されずに住む社会となる日は来ない可能性のほうが高い。連夜くんと一緒にいるということは、生涯心休まる時が来ないということだ。それでも君は耐えられるのかい?」


「耐えられます。むしろ連夜くんを失うことのほうが耐えられません」


 脅すような言葉にも全く怯むことなく玉藻は即答する。

 霊狐族の秘中の秘たる奥義『祝いにして呪い』なるもので、連夜と魂で繋がったあの日、玉藻は知ったのだ。彼こそが自分がずっと探し求めていた人物であったことを。

 ずっと昔。幼き頃。物心ついて間もなくの時から。

 彼女は自分自身に欠けたる半身があることを確信していた。

 同族の中にあり、姿形も彼らとほとんど変わらぬ自分。しかし、彼らの中にあっても、彼女は自分が彼らと同じ生き物であると思ったことは一度としてない。玉藻は己の存在を自覚した時、既に自分が同じ姿をした同族とは違う生き物であることを自覚していた。

 そのことについて、まず長き時を生きてきた同族の長老達が気がついた。彼らは自分達と異質なオーラを持つ玉藻を化け物扱いし、決して他の子供達と同じようには扱わなかった。上に立つ者達の態度はすぐに下の者達へと伝わる。彼らが長老達と同じように接するようになっていくのにそれほど時間はかからなかった。

 そして、玉藻は孤独という牢獄の中へ閉じ込められる。

 周囲に大勢の同族達が存在しているというのに、誰も彼女に話しかけようとも、近づこうともしない。世話係の者達が最低限の世話だけをし、後は一人で作業をさせられる日々。唯一孤独をいやしてくれた妹晴美もすぐに取り上げられ、玉藻の心の闇はどんどんと深くなっていった。

 やがて、ある人物との出会いが彼女の世界を広げ、玉藻の孤独は和らげられることとなる。大勢というわけではないが、真正面から彼女と向き合ってくれる人達との出会いが、少しずつ玉藻の心を癒してくれた。

 だが、それでも玉藻の心の孤独が真に癒されることはなかった。

 足りない。

 何かが足りない。

 根本的な何かが、玉藻の心の中から欠けている。

 そのことを玉藻はずっと自覚していた。それは彼女自身が埋められるものではない。他の誰かによって埋められるもの。いくら彼女が他者に心を開こうとも、それはぴたりと当てはまりはしなかった。妹も、恩師も、親友も、そして、これまで出会ってきたほぼ全ての人いずれもが、彼女の心にぽっかりと開いた大穴に当てはまることはなかった。

 このまま自分は不完全な心を抱えたまま生きていくのか。二十歳の誕生日を迎えた日、玉藻は淋しくその覚悟を決めていた。

 なのに運命は突然彼女の前に姿を現す。

 彼が現れた。

 彼を受け入れたあの日、彼女の心が本当の意味で音を立てて動き出したのだ。

 彼を見ているだけで心が震える。いいことも、悪いことも。嬉しくて震えることもある。激しい嫉妬で震えることもある。楽しくて震えることもあれば、怒りで震えることだってある。彼の一挙手一投足に彼女の心は敏感に反応する。二十年間、他人の挙動などどうでもよかった彼女の心がだ。

 そして、そんな彼女の心は、魂で繋がった彼の心を知る。彼の心に巣くう巨大な闇の存在。玉藻の深い闇に対してさえ光を感じるほどの深い深い闇。

 恐らくまともに彼の心を覗き込んだ人の大半が、そこから目を背けるであろう。だが、玉藻は違う。そこにこそ自分の居場所があることを知っている。彼の『闇』が虚無の『闇』ではなく優しい『夜』となるように、彼女は『月』となって彼の心を照らし出す。

 そこにあるのは『太陽』であってはダメなのだ。『太陽』は『闇』を消し飛ばす。彼の本質は『闇』。その活動を示す『光』ではなく、安息を司る『闇』。傷ついた人達が安心して休めるその身を休めることができる『闇』。

 すなわち、『夜』。近づくもの全てを虚無の海に返す『闇』ではなく、いつか立ちあがるそのときまで優しくその身を見守り続ける優しい『夜』。

 そんな『夜』とすることができるのは、自分だけ。

 『夜』の空にあって、その闇を払うわけではなく、共にあってやがてその平穏を守り続ける。そして、やがてくる夜明けの訪れのとき、『夜』と共に姿を消す。

 故に誰にも彼と自分を引き離すことはできない。させない。させやしない。

 だからこそ、彼を守る。

 連夜を守る。

 あの日固く誓った約束。その約束を守るためにも、彼女は彼のすぐ側にいたいのだ。心も、体も、私的にも、社会的にも。

 玉藻の心の覚悟が光となって黄金の瞳に光を宿す。

 そんな玉藻の瞳を眩しそうに、しかし、逸らすことなく見つめて続けていた父仁であったが、不意に肩の力を抜いてその真剣な表情を崩す。一瞬、その場を和やかな雰囲気が包もうとする。


 だが。


 ガシッ。


 肉と肉とがぶつかりあう異様な音。

 その後もその音は何度も続いた。

 連夜の目には何が起こったのか見えなかった。

 ただ、音が聞こえなくなった直後、上から何かが振ってきて自分の横と目の前に着地。その正体が自分の恋人と母親であることを知ってようやく事態を把握する。


「お母さん、玉藻さんを試したね?」


 見えていたわけではない。しかし、連夜には確信があった。いまの一連の出来事は自分の母親がしでかしたことだと。

 連夜のその予想は大当たりだった。彼の指摘に対し、母親はにやりと肉食獣の笑みを浮かべてみせたのだ。

 そう、今の一連の出来事は彼の母親ドナが仕掛けたこと。父親の仁が、場の空気を和ませたあの一瞬の隙を利用して、連夜に神速の抜き手を突き出したのだ。多少手加減しているとはいえ、食らっていればただでは済まない。ただでさえ大怪我が治ってからそれほど時間がたっていない上に、全種族中最弱の人間族である連夜である。狙われていたのは右胸で心臓ではないとはいえ、下手をすれば即死する。

 勿論、連夜にはそんな母親の一撃が見えていなかった。武術家ではない彼に、この都市屈指の達人であり、ほぼ頂点に位置する武術家である化け物のような母親の必殺の一撃など見えるわけがない。

 だが、見えていたものがいる。

 玉藻だ。

 彼女は、手にしていたハンドバッグで咄嗟にドナの抜き手をはじき上げて間一髪のところで連夜を守る。

 しかし、それで彼女の動きは止まらない。テーブルに両手を着いて逆立ちのような態勢で垂直に飛び上がると、エビのように体を反らせながらの足蹴りの連打。母親はその攻撃を慌てる風もなく見事に捌き切ると、自身もテーブルに両手をついて宙へと身を躍らせる。玉藻もそれを追って宙へ。

 お互い空中で接近した両者は落下しながら激しい攻防を繰り広げたあと、自身が元いた場所に着地したのだった。


「やるわね、玉藻ちゃん。正直ここまでとは思わなかったわ」


「どうも」


「その技。私の見当違いかもしれないけど『頂獣技牙(ちょうじゅうぎが)』かしら? 手技しか見たことないから自信はないんだけど、動きに共通の部分が見られるのよね」


「ええ、そうです。私の流派はご推察通り『頂獣技牙(ちょうじゅうぎが)』。ただし、足の技のみで手技は使えませんが」


「やっぱりそうなのねぇ。ってことは玉藻ちゃんも『どぶろく斎』さんのお弟子さんなのね。どうりで、一筋縄じゃいかないはずだわ」


「一応褒め言葉と受け取っておきます」


 余裕の笑みを崩さないままのドナに対し、玉藻は全く警戒を緩めないまま斜め前に座る彼女を睨み続ける。何もわからないものが二人の今の状態を一見しただけであったなら、一連の攻防が全く互角であったかのように見えたかもしれない。

 だが、よく見るとドナは全くの無傷であるが、玉藻の顔にはいくつかの切り傷の後。そう、完全に玉藻の攻撃を見切っていたドナに対し、玉藻はいくつかの攻撃を避けることができなかったのだ。

 悔しげにぴくぴくと頬を引きつらせる玉藻をなんとも言えない表情で見つめていた連夜は、無言でポケットから自作の『回復薬』を取り出し彼女の顔に塗りつけてその傷を消して行く。

 そんな献身的な恋人の介抱に、玉藻はほんの少しだけ頬を緩めるが、すぐに表情を厳しいものへと変える。


「どうでもいいですが、気に入りませんね。私を試したいならなんで私に攻撃を仕掛けてこないんですか? なぜ、連夜くんを狙いましたか?」


 流石にその質問は堪えたらしい。母親は余裕の笑みを消し去ると、両手を合わせて連夜に謝る。


「ごめん。どうしてもあなたの彼女の実力を知りたかったの。でも、ある程度本気になってもらわないと本当の実力がわからないから、わざとレンちゃんを狙ったのよ」


「まあ、僕はいいですけどね。お母さんのやりそうなことですから、きっと今日の会食どこかで仕掛けてくるだろうと予想していました」


「はぁ? れ、連夜くん、知っていたの? なんで、予め私に言っておいてくれないのよ。下手したらあなた大怪我していたのよ」


 目を剥いて怒る恋人に対し連夜はどこまでも苦笑を崩さない。

 そんな連夜の姿に尚も言い募ろうとする玉藻であったが、それよりも早く連夜は弁明を試みる。


「すいません。黙っていたことについては謝ります。でも、もし玉藻さんのガードをすり抜けていたとしても、お母さんの一撃は僕には届かなかったと思います」


「は? だ、だってこの人の一撃って、今まで見たどの武術家の人よりも凄いのよ。下手したらあのエロダヌキよりも凄いわ。さっきのは十分手加減してくれた一撃だったけど、それでも防ぐだけで手一杯だったのよ!?」


 連夜の言葉に納得できない玉藻はさらにヒートアップして詰め寄ってくる。しかし、連夜の苦笑は崩れない。彼は玉藻にわかるように、無言である方向に視線を向けた。その意味深な行動にすぐさま気がついた玉藻は、つられるようにしてそちらに視線を向ける。

 そこにはにこやかな笑みを浮かべた父仁の姿。

 ただし、突き出した拳を、玉藻の顔すれすれで止めた態勢ではあったが。


「な? な! ななななっ!?」


 全く気がつかなかった。いつのまに攻撃されていたのか? いや、そもそも父仁の気配を玉藻は毛ほども感じていなかった。母親ドナの一撃には気がつくことができた。だが、父親仁の一撃には、全く反応できなかった。

 茫然と立ち尽くす玉藻の前、父は静かに拳を引いて再び席に座る。

 そんな父の姿を誇らしげに見つめていた連夜は、玉藻のほうへと向きなおる。


「父が側にいる限り間違いは起こりません。僕のお母さんは無限にスピードを出すことができるアクセルです。踏み込めば踏み込んだ分だけスピードはどこまでも加速し、誰も到達できない領域にまで届く。それに対し父は、母がどれだけスピードを出しても完全に止めることができるブレーキ」


「完全に止めることができるブレーキ。それはつまり、お母様のあの一撃でさえも」


「ええ、完全止めることができます」


「だ、だけど、お父様も連夜くんと同じ人間族なんじゃ」


 慄く玉藻に対し、連夜は迷うことなく首を縦に振る。

 連夜の父親は間違いなく彼と同じ人間族。しかし、幼い頃に諦めてしまった連夜と違い、父は武の道を諦めなかった。厳しいという言葉すら生ぬるい生死をかけた修行を繰り返し、人間族の種族の限界どころか、上級種族の武術家でも越えることができない限界を何度も何度も乗り越え彼は高みを目指す。たくさんの命を奪い、たくさんの大事な人をなくし、狂気と正気の狭間をいったりきたり。その果てに父は何の特殊能力ももたないままの状態で、ついに頂点へと到達したのだ。

 そこまで話した後、連夜はもう一度父親に視線を向ける。玉藻が一度として見たことがない、無邪気な子供のようにキラキラとした尊敬のまなざし。その姿はまるでテレビのスーパーヒーローを見ているかのよう。彼がどれほど父親のことを尊敬しているか、そして、信頼を寄せているかが嫌というほどよくわかる。そんな息子のキラキラしい視線に耐えられなかったのか、父親は顔を赤らめて苦笑を浮かべる。


「連夜くん、いくらなんでも持ち上げすぎだよ。いくら僕でもドナさんの本気の一撃は流石に止められないさ」


「へぇ、本当ですか?」


「多分ね」


 ニヤリとそっくりな笑みを浮かべて笑いあう父と子。


「でも、連夜くんは僕が止めなくても大丈夫って思っていたんだね」


「勿論。玉藻さんはそこまで弱くないもの。玉藻さんは、側にいる限り絶対に僕を守ると誓ってくれた。そして、僕はそれを信じた。もし、仮にそれが果たされなかったとしても僕は絶対に後悔しない」


 父の言葉に迷うことなくきっぱりと断言してみせる連夜。

 そんな息子の姿を、父仁はなんとも言えない優しい笑顔を浮かべて見つめる。

 連夜は自分の子供達の中でも特にしっかりした子供である。家族と引き離され奴隷となっても、へこたれることなく逞しく生き抜いてきた自慢の息子。そんな息子が選んだ恋人だ。それほど心配しているわけではなかった。彼の予想通り、息子が選んだ恋人は彼を心から愛しており、また、息子もまた彼女のことを深く思いやっている。お互いを信じあい、お互いを必要としている。

 巣立ちの時は近い。

 長男に続き、いよいよ次男にもその時が近づいてきている。次男は、長男と違い自分の手元にいて家業を継いでくれるつもりでいるようだが、それでも巣立ちは巣立ち。

 子供が巣立って行く姿を見るのはいつみても特別な想いがあり、父親は自分とその想いを共有しているはずの隣の永遠のパートナーに顔を向ける。


「これ以上は野暮ってもんですよ、奥さん」


「わかっていますわ、旦那様。レンちゃんも玉藻ちゃんも決意はかたそうですものね」


 自分が選んだパートナーの言葉にドナは、肩をすくめて見せる。そして、まだ戦闘態勢を解かずに全身の毛を逆立てたままの玉藻へと視線を向け直した。


「あなたにはまだ謝っていなかったわね、玉藻ちゃん。試したりしてごめんね。でもね、あそこで何の反応もできないお人形のようなお嬢様にはうちのレンちゃんを任せることはできなかったのよ。最低でも身を呈してレンちゃんを守るくらいはしてくれないと。でも、杞憂だったわね。あなたはレンちゃんを守るだけでなく反撃すらしてみせた。十分合格よ」


 見せかけではない本物の笑顔。同性でも思わず見惚れてしまうような美しい笑みを見て固まる玉藻の手をそっと両手で握ると、ドナは真剣な眼差しで彼女を見つめる。


「玉藻ちゃん。レンちゃんのこと本当にお願いね。私達はレンちゃんを守り切れず、何年もこの子に地獄を見せることとなってしまった。でも、あなたは。あなただけは」


「わかっています。二度とそんな目に連夜くんをあわせたりはしません。私の命に代えても必ず」


「うん」


 女性二人はお互いを真摯な瞳で見つめ合い、そして万感の想いをこめて頷き合う。

 そんなお互いのパートナー達を、男達もまた様々な想いを胸に秘めて見つめていたが、やがて、仁が咳払いを一つして静寂を打ち破る。


「さて、そろそろ食べようか。料理も来たことだし、冷めないうちに食べないともったいない」


「そうですね。玉藻さん、僕がよそおいますよ。まず何が食べたいですか?」


「じゃあ、私は奥さんのお皿をよそうとしよう」


「あらあら。新婚時代に戻ったみたいだわ」


 張り詰めていた空気は今度こそ本物の和やかなものへと変化する。

 両親たちは連夜達の馴れ初めを聞きたがり、時に連夜が話し、時に玉藻がそれに応えていく。それほど賑やかではないが楽しい夕食。食通の連夜が選んだ店だけあった、料理はどれもおいしく、皆、ゆっくりではあるがいくつもの料理を着実にたいらげていく。

 酒が飲めない連夜以外の面々は皆、思い思いの酒を注文。玉藻は流石に最初こそ断ったが、母親の強いススメに折れてちょっとだけとワインを注文。母親に勧められるままに一杯二杯と杯を重ねていき、連夜が気がついたときにはすっかりできあがってしまっていた。


「連夜くんって優しいんですよぉ。泣けるくらい優しいんだけど、他の女の子達にも優しくてぇ」


「わかるぅ。玉藻ちゃんわかるわぁ。うちの旦那様もそうだったものぉ。なんで私だけじゃないのって何度思ったことか」


「でしょぉ? いや、そりゃぁね。世話好きの連夜くんの性格からして、ただ困っている人を放っておけないだけ。私に対する優しさとは違うってわかってるんですよ。わかってるんですけど、側で見ていると瞬間的に腹が立ってしまうんですよぉ」


「わぁかぁるぅっ! あれ、ほんとに我慢できないよね。頭ではただ親切にしてるだけ、下心なんてこれっぽっちもないってわかってるんだけど、他の女にそんなに優しくしないでぇって、思っちゃうのよ」


「ですよねぇ! そこのところの微妙な女心をわかってほしいというか」


「あの、できればそういう話は僕やお父さんのいないところでやっていただけると」


「「あなた達に聞かせるように話をしているの!」」


「ええぇ~」


 母親と玉藻の秘密になっていない秘密の会議は続いていく。

 完全に取り残された形になった連夜だったが、自分の母親と親睦を深めている玉藻の姿を見ているとまあいいかと思い直し、ガラスの向こうに広がる『嶺斬泊』の夜景に目を向ける。

 玉藻と恋人同士になってからまだ数カ月しか経ってないというのに、なんだかもうずいぶん時間が経ってしまった気がする。

 それだけ濃密な時間を過ごしているということなのだろうし、これからもまだまだ何かありそうで、それを考えた連夜はそっと溜息を吐きだす。

 しかし、それはそれでいいと思うのだ。

 これからも一緒にその日常を過ごしていく掛け替えのない伴侶がすぐ横にいるのだから。

 そう思って玉藻の横顔を見ていると、玉藻がそれに気が付いて怪訝そうに連夜のほうに顔を向ける。

 連夜はその美しい横顔を見つめながら万感の思いを込めて呟くのだった。


「ずっと側にいてくださいね」


 その言葉を聞いた玉藻はちょっと顔を赤らめて、愛しい恋人に精一杯の笑顔を向ける。


「ずっと側にいるわ。あなたがどこに行こうとずっとついて行って離れないから」


「約束ですよ」


「約束よ」


 そして、二人はテーブルの下でその両手を握りあう。


 いまこのときに交わした約束を忘れないように、大事に心に刻みながら。

書き貯めていましたストックがついに切れました。ちょうど話もキリのいいところまで来ていますし、本当に申し訳ありませんが、定期更新は一旦ストップさせていただきます。

とりあえず、続きを書きますです。

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