第四十三話 『花火の下で』
時は過ぎ夏休みもそろそろ半ばが見えてきた八月の一週目、その日曜日。
玉藻の家に集まったのは、女性ばかり二十人に、玉藻の愛しい彼氏。
それだけの面々が集まって何をしているのかというと。
「たまちゃ~ん。こっちの帯締めてくれる?」
「ボス、私の着付けおかしくないですかね」
「スカサハちゃん、そっち引っ張ってもらっていい? なんか、胸のあたりがきつくてきつくて」
慣れない浴衣の着付けで大騒ぎの彼女達。着付けに慣れている玉藻、連夜、そして、スカサハは既にきっちり浴衣姿となっているのだが、残ったメンバーは思うようにうまくいかずに悪戦苦闘。結局、着付けになれている三人が、他のメンバー達の着付けを手伝うことに。全員がきっちり仕上がるまでに一時間近くもかかってしまったが、なんとか予定時間には間に合いそう。
彼らは慌てて玉藻の家を飛び出すと、浴衣姿で駅に向かって猛ダッシュ。
こんなにも慌てた様子でいったい彼らはどこに行こうとしているのだろうか?
実は本日城砦都市『嶺斬泊』で最大を誇る河浜公園『ハリケンパーク』で『納涼花火大会』が開催されるのである。
毎年、北方諸都市の各地に存在する腕利きの花火師達が一同に集まり、その腕前を競いあう一大イベント。花火師達は、一年をかけて己の持てる技術の粋を集めた自分だけの花火をこの日の為に作り出す。
そして、大観衆が見守るこの晴れ舞台でそれらの作品を披露するのだ。
この日、この夜、様々な種類の美しい花火が天に華を咲かせる。それを知っている観衆達が、都市中どころか北方の各都市からも、その更に遠方の都市からも続々と集まってくるのだ。
勿論、この都市を居住地としている玉藻達がこのイベントを知らないわけがない。当然の如く皆、参加を決めこんでおり、彼らのリーダーたる連夜にそのことを打診。当初、玉藻と二人きりで甘い夜を過ごそうと目論んでいた連夜だったが、恋人の玉藻が妹の晴美を連れて行ってやりたいと言いだしたことから、その計画を速攻で破棄。
二人きりになれないなら、いっそ仲間達全員で行こうと様々な方面に声をかけ、最終的には大所帯での行動となった。
立てた計画はそれほど難しいものではない。できるだけ早く会場に行き、場所を確保する。それだけだ。だが、それがこの花火大会では非常に重要なことなのである。なんせ、早めに会場に行っていい場所を確保しておかないと、会場となる『ハリケンパーク』内はあっという間に人ごみで埋め尽くされて観れなくなってしまうどころか、入場することすらできなくなってしまうからだ。一応、花火は『黄帝江』の中にある小島から打ち上げられるので、別に『ハリケンパーク』じゃなくても観覧することは可能だ。だが、ほとんどの観覧スポットは、結構狭いし大概地元の人達に抑えられてしまうので、なかなかそこを確保するのも難しい。
それなら一番広い『ハリケンパーク』内で場所を確保してしまうのが一番無難な選択であり確実でもある。
そう言った理由から、連夜達男衆は先に行って場所を確保する、というはずだったのだが、連夜だけは一人その任務から外されることとなった。
理由は前述にあったように、浴衣の着付けの手伝いの為である。
当初、着付けは女性達だけで行うという予定だったのだが、着物の着付けが自力でできる者が極端に少ないことが花火大会の当日に発覚。というか、たった二人しか着付けができなかったのだ。着付けの技術を持っていたのは玉藻とスカサハの二人だけ。それに対して、着付けを手伝ってあげなくてはならない人数は圧倒的に多い。全員の分を手伝っていたら花火が始まってしまう。どうにかならないかと悩む二人だったが、不意にスカサハの側に控えていたメイド長のさくらが連夜に手伝ってもらうことを提案する。スカサハに浴衣や着物の着付けを教えたのは連夜だったからだ。その腕前はプロ並みで、玉藻やスカサハよりも当然上。
しかし、連夜は男性である。
恋人の玉藻や、実の妹であるスカサハに着付けをするというのならばいいだろう。元の性別が男であるリンについてもまだ許容範囲内だ。だが、それ以外の面々に対してはいくらなんでもダメであろう。
流石の連夜もそれは無理と断ろうとしたのであるが、女性陣達が全員気にしないと宣言したため、結局押し切られる形となってしまったのだった。失礼な話ではあるが、ほとんどの女性陣達にとって連夜は男性として認識されていないからだ。実際連夜自身は大いに困惑したものの、着つけられる女性陣達は平気の平左。連夜を男性と認識している少数のメンバー(フレイヤを始めとするK関係の少女達や晴美など)は、玉藻とスカサハの手で別室で着付けてもらった為、大きな混乱もなく着付けは無事終了。
一行は『ハリケンパーク』がある繁華街『ルートタウン』へと向かったのだった。
「それにしてもやっぱ姐さんは何着ても似合うよねぇ」
思った以上に混雑している都市営念車の中、白地にアジサイの花柄が散りばめられた浴衣を着こんだリンは、目の前に立つ玉藻の姿にほうっと感嘆の息を吐き出す。その言葉に促される形で他の者達も一斉に玉藻の方に視線を向ける。品のいい紺色に染められた生地に大きな満月と小さな月見草が絶妙なバランスで組み合わされた浴衣。それを玉藻は実に見事にすっきり着こなし、その姿は実に麗しい。
「悔しいけど、やっぱたまちゃん綺麗だね」
「うんうん、東方系の種族だから浴衣が生えるしね」
「玉藻姉さん、とっても素敵です」
「お世辞だとしても嬉しいわ。ありがとう。でも、みんなも浴衣姿がよく似合ってるじゃない」
皆から次々と出る称賛の声に玉藻は微笑みを浮かべて感謝の言葉を告げた後、自分を取り囲むようにして立つ仲間達の姿を見つめる。玉藻達着付け組みが苦労しただけあって、どのメンバーも皆、それぞれの個性を出した着こなしでとてもよく似合っている。
「苦労して着付けた甲斐があったってものだわぁ。特にリンちゃんとフレイヤはねぇ、ほんとに苦労したから」
「「胸が大きくてほんとにすいません」」
なんともいえないため息を吐き出す玉藻に対し、すかさず頭を下げるのはリンとフレイヤ。彼女達は他のメンバーに比べると、かなり胸が大きい為、下手な着せ方をするとあっという間に浴衣が着崩れてしまうのである。最初二人を担当したスカサハは、晒しを巻いて胸をまっ平らになるまで潰すという古来の方法を取ろうとしたのであるが、息ができないと二人から猛反発を受けてあえなく断念。次に二人の担当となった玉藻は、自身にも使っている別の方法を試すことに。他のメンバーをあらかた仕上げた後、玉藻は自身が使っている東方装いブラの予備(新品)を二人に渡して装着させ、タオルを胸とウェストの間に詰めて段差をなくしズンドウの状態を疑似的に作り出すことでなんとか解決。自分自身には何度も試しているのでそれほど難しくはなかったが、人の調整となるとなかなか難しく、少しばかり手間取ることになってしまったが、なんとか納得のいく仕上がりとなった。
全くの余談であるが、最も着付けが簡単だったのは西域半人半蛇族のリビュエーと、小型犬獣人族のシャルロット。その理由については推して知るべし。
「お願いだから、あまりはしゃがないでね。一回着崩れてしまったらまた直すの大変だから」
「「了解です」」
ビシッと直立不動で敬礼して見せる二人に、玉藻達は苦笑を浮かべる。その後、次々と念車の乗ってくる乗客の数は増える一方で、通勤ラッシュでもないのに大混雑となった車内。皆人ごみの中に分散されてしまい悠長にしゃべってるどころではなくなってしまったが、なんとか都市営念車『ルートタウン』駅に着くまでの十分間を耐えきって一行は人ごみの波と共に下車。
「み、みんなちゃんと下りられた? 全員いるかしら?」
リーダー格の玉藻が、人ごみでごった返す駅構内の中を見渡し仲間達が全員いることを確認しようとする。幸いほとんどのメンバーを見つけることができたが、二人ほど姿が見えないものが。その二人が誰であるかを知った玉藻は表情を青くさせる。
「れ、連夜くんと晴美がいない」
『え?』
玉藻の言葉に他のメンバー達もキョロキョロと周囲を見渡す。確かにいない。人の数が多いせいでうまく探せないということもある。だが、メンバーの中には視力が異常に優れている者や、嗅覚が優れている者も存在しているのだ。にも関わらず、彼らの力をもってしても二人を探し出すことができない。
「どうしよ。うまく念車から下りれなかったのかしら?」
「ああ、それありそう。凄い数の人が乗ってたもんね。あれ、奥のほうに流されて押し込められていたら、下りるの間に合わなかったかもしれない」
「困ったわね。そうだ私、ボスの携帯念話に掛けてみようか?」
懐から自分の携帯を取り出して掛けようとするリビュエーであったが、玉藻はすかさず首を横に振って止める。
「無理よ。『ルートタウン』駅から『ゴッドドア』駅までは現在念波中継装置の工事中だってニュースで言っていたもの。念波が届かない。連夜くんの携帯は圏外になってるはずだわ」
「ぐっはぁ、そうだった」
玉藻の指摘に思わず突っ伏すリビュエー。しかし、他にいい案もなく皆、どうしたものかと途方に暮れるばかり。とりあえず、いつまでもこのままここにいても仕方ない。玉藻は自分だけがここに残ることを決意。他の者達には、先に行って待っている男衆達と合流してもらうことを提案しようとした。
だが、そのとき、彼女の耳に聞きなれた声が。
「すいませ~ん、遅くなりました」
「あ、連夜くん。それに晴美も」
何故かホームに続く階段からやってきたのは玉藻の恋人連夜と妹の晴美。二人は嬉しそうに玉藻達の元へやってくると、なんとも言えない苦笑を浮かべながらぺこりと頭を下げる。
「どこ行っていたのよ二人とも。心配したじゃない」
「すいません。ちょっと、その晴美ちゃんが痴漢に襲われまして」
『ち、痴漢!?』
連夜の口から飛び出した到底看過できない内容に、女性陣達が一斉に色めき立ち、連夜に説明を要求。メンバー達のあまりの剣幕に気圧されながらも、連夜はなんとか口を開いて皆に説明を開始する。
「念車に乗り込んだ後、次の駅で大量に人が乗り込んで来たじゃないですか。あのとき、人の波に流されて僕と晴美ちゃんは念車の奥のほうに押しやられたわけですが」
念車の出入り口から離れ他の車両との連結部分にまで追いやられた連夜と晴美。幸い連結部分の通路には人がいなかった為、二人はある程度余裕のある空間で立っていたわけであるが、ふと、連夜は向こうの車両にいるイタチ型獣人族の男性の不審な動きに気がついたという。その男は何故か片足だけを晴美の両足の間にツッコムような形で突き出して立っていたのだ。そのとき晴美は掴まるところのない連結部分の通路の中、激しい揺れに耐えるために両足をやや広げ踏ん張って立っていた。だが、男の方は両手で吊革を持ち体を支えている為、十分バランスがとれる状態。不自然に足を突き出す必要性などどこにもない。ましてや晴美の両足の間にわざわざ片足をの先を持って行くなど、ありえない。男への不信感を益々募らせながら観察していると、晴美がバランスを崩して足の位置が変わるたびに、わざわざ自分の片足を晴美の両足の間にしきりなおしている。もうどうみてもこれは確信犯であった。
恐らく足の先、靴の中にでも映像記録するための小型撮影装置が組み込まれているに違いない。そして、晴美の足の間から浴衣の中の下半身を撮影しているに違いないのだ。
連夜はこの男を痴漢であると断定した。
「って、それはいいけど、その後、どうしたの? まさか、連夜くんその男を捕まえようとしたの?」
「ええ、勿論、そうですよ。こんな卑劣な犯罪行為を行う奴を、野放しにしておくわけにはいかんでしょ」
「ちょ、ちょっとダメよ、連夜くん。一人で危ない真似はしちゃダメってあれほど言ったじゃない!」
連夜の説明の途中で、恋人が次に出る行動について容易に予測できた玉藻は、自分の予測通りであったことに悲鳴をあげる。大事な妹が卑劣な犯罪に巻き込まれたのだ。自分だって許せないし、自分だったら捕まえるなんて生易しい方法ではなく、もっと過激な報復行動に出たであろう。しかし、連夜はダメだ。そこまで強くないのだ。いや、『強い』『強くない』でいうならば間違いなく『強い』部類に入る。それは知ってる。だが、その防御力が紙のように薄いこともよく知っているのだ。ちょっとした予想外のアクシデントでも起ころうものなら再起不能になってしまう可能性がある。それを考えただけでぞっとする。そうならないために、彼に代わって武力を行使するために自分がいるというのに、彼自身が危険な場所に出て行ってしまっては何にもならないではないか。
玉藻はみるみる瞳に涙をにじませて目の前の恋人を睨みつける。流石の連夜もそんな玉藻の気持ちがわからないわけではない。慌てて釈明を申し出る。
「ちょ、ちょっと待ってください。玉藻さん、お願いだから落ち着いて聞いてください。痴漢を捕まえるにに、僕が直接手を出したわけじゃありません」
「え? どういうこと?」
連夜の言葉に一瞬涙を止めた玉藻がきょとんと問い返す。その姿にほっとした様子を見せながら横に立つ晴美と顔を合わせた連夜。何やら目と目で会話をし合った彼らは、無言で会話の主導権を連夜から移動することを決定。
「お姉ちゃん。その車両にね、ある有名人の方々が乗っていたの。その人達が痴漢を取り押さえてくれたのよ」
「『有名人の方々』?」
「そう。そうなの、私もテレビでしか見たことなかったけど、ほんとに美しくて凛々しくて優しくて。私、いっぺんでファンになっちゃった」
「は? て、テレビ? テレビに出るような有名人なの?」
「その人達が痴漢を捕まえて都市警察の人達に突き出してくれたんだけど、そのときに私に代わって事情を説明してくれたのよ。本当だったら事情聴取でもっと話をしなくちゃいけなかったみたいなんだけど、花火大会に観に行く途中なんですっていったら、そのことも警察の方々に説明してくださって。おかげで私、短時間で解放されたの。もうなんといってお礼を言ったらいいのやら。でも、大丈夫かしら、あの方々も花火のイベントに出演されるはずなんだけど、間に合うのかしら」
「花火のイベントに出る? その痴漢を捕まえた人が?」
「ええ、そうなの。私、とっても楽しみにしているのよ」
玉藻だけでなく、他のメンバー達もその意味深ないいように小首を傾げる。晴美は彼女達の疑問に対しその答えを口にしようとしたのであるが、連夜がそれに待ったをかける。花火大会が始まるまでもうあまり時間がない。これ以上遅れると、折角男衆がいい場所を取ってくれていても会場事態に入れないということになりかねない。それでも玉藻達は詳しい話を聞きたがったが、連夜に急かされやむなくその場から走り出す。
都市営念車の『ルートタウン』駅を出ると既にあたりは日が暮れる寸前。西の空は赤く染まり、東の空を夜が覆っていく。駅前の広場は大勢の人達で溢れており、玉藻達と同じような浴衣姿の者の姿も少なくない。連夜達が見つめる中、皆、南に向かって流れて行く。
「僕達も急ぎましょう。これだけの人の流れだとあと十分もしないうちに『ハリケンパーク』は定員オーバーで入場制限されてしまいます」
焦る連夜の声にバタバタと走り出す女性陣達。皆、浴衣姿に下駄という実に走りにくい恰好をしているため、なかなか速度があがらない。それでも懸命に速度をあげる。
「うっへぇ。昼間に比べれば大分涼しいけれど、やっぱ走ると暑いよねぇ」
「まったくだな。潮風が涼しいのがせめてもの幸いだが、こう人口密度が高いとそれだけでも十分暑い」
「何もこんなに集まらなくてもいいのにね。あぁ、それにしても汗が止まらない。もう全身べったべた」
「みんなの気持ちもわかるけどさ、そういうわけにもいかないよ。情勢都市『嶺斬泊』の中央庁としては大事な稼ぎ時なんだから、観光客の皆さんには集まっていただかないと」
「連夜くんのお母さんもお姉さんも中央庁の人だもんねぇ。まぁ、都市の経済活性化の為には仕方ないかぁ」
いろいろなことに愚痴をこぼしながらも、一行は『ハリケンパーク』目掛けて着実に進んでいく。途中、信号につかまったり、人ごみの波にさらわれそうになったりもしたが、なんとか入場制限が始まる前に『ハリケンパーク』内に飛び込むことに成功。公園の中も相変わらずの混雑ぶりであったが、公園の地図に詳しい連夜の案内で抜け道を使って人ごみを潜り抜け、女性陣達はようやく目的の場所へと到達する。
そこは公園の一番端っこ。大河『黄帝江』がすぐ目の前にある小さな広場。いくつかあるベンチを確保するように取り囲んで周囲に睨みを利かせているのは、先に来て場所取りをしていた男衆達の姿。
「ロムゥ、遅くなってごめ~ん」
「クリス、場所取り御苦労」
「K様ぁ、お待たせしました」
「K様の浴衣姿素敵です」
「そりゃ、K様だもん当然だろ」
「あんた達、ちょっと、Kに近づきすぎでしょ、離れなさいよ」
「そうですわ。Kもあまりそこの小娘達に甘い顔しないでくださいね」
到着するなりかしましく騒ぎだすのは待ってくれていた男衆の中に、特定のお相手がすでにいる、もしくは片思いの相手がいる女性陣達。早速いちゃつこうとしたり、恋のさや当てでバトルを勃発させたりと実に賑やかである。最初から恋人と行動を共にしていた連夜は、別に特別騒ぐことはないと思っていたのだが。
「連夜、遅い。遅いのじゃ」
「げっ。ひ、姫子ちゃん」
男衆達の間からこちらに向かって走ってくる浴衣姿の少女を見て、連夜は顔を引きつらせる。薄い水色の生地に赤い金魚の柄が非常にかわいらしい浴衣を身に着けた文句なしの美少女。その正体は言うまでもなく龍乃宮 姫子。王宮にて着付けを行った彼女は、玉藻の家に集合せずはるか達や実兄Kと共に直接現地に来ていたのである。
美しい顔に満面の笑みを浮かべ、当たり憚ることなく愛しい少年に抱きつこうとする姫子。だが、連夜の側にいる者がそんな暴挙を黙って見過ごすわけがなかった。
連夜に抱きつこうとした瞬間、玉藻は姫子の顔を鷲掴みにして止める。そして、渾身の力を込めて彼女の顔を締めあげていく。
「い、痛い痛い! 痛いというとるじゃろうが、この馬鹿力女狐! いきなり何をするのじゃ」
「それはこっちのセリフよ。あんたいったいどういうつもりなの? 私がいるっていうのに、性懲りもなく連夜くんに抱きつこうとするなんて」
「なんでおまえのことを気にしないといけないのじゃ。相思相愛のラブラブな我らが抱擁を交わして何が悪い」
「悪いに決まってるでしょうが。あんた、脳みそ腐ってるんじゃないの? あんたと連夜くんは相思相愛じゃないし、らぶらぶでもないわよ。相思相愛でらぶらぶなのは、私と連夜くんでしょうが」
「それはお主が見ている都合のいい幻想なのじゃ。実際は違うのじゃ。早く目を覚ますといいのじゃ」
「目を覚ますのは、あ・ん・た・の・ほ・う・だぁぁあっ!」
アイアンクローを極めたまま、玉藻は物凄い怪力を発揮して姫子の体を空中へと放り投げる。木の葉のようにくるくると宙を舞いながら河に向かって一直線。そのまま落ちるかと思われたが、間一髪のところを太い腕が突き出して、姫子の体を片手で掴む。
「あ、兄上、も、申し訳ございませにゅう」
「問題ない」
目を回し名がらもしっかりと感謝を口にする妹に、大男は言葉少なに返事を返す。そして、妹の体をそっと地面に下ろした後、ライバルに厳しい視線を向ける。
「おい、狐。妹に用があるならまず俺を通せ。俺が話を聞いてやる」
「それはこっちのセリフよ木偶の坊。あんたの愚妹にちゃんと言っておきなさい。連夜くんに手を出そうというなら、まず私を通せってね。私が先に話を聞くわ」
睨みあう両者。仲の悪さは相変わらず。師匠のいたずらで戦いあうように仕向けられていると既にわかっているはずなのに、未だに対決姿勢を崩そうとはしない。恐らく根本的に相性が悪いのであろう。お互いの第一印象が悪かったことも関係しているのであろうが、師匠のいたずらなど関係なく、二人ともお互いを嫌い抜いていた。守るべき者は同じはずなのに、何故かとことんお互いを認められない二人。
立場上二人に最も近い位置にいる連夜は、そんな二人の様子にため息を吐き出すが、このまま放置しておくわけにもいかない。二人を止めるべく割って入ろうとした。幸い、二人とも連夜を傷つける気は露ほども持ってはいない。連夜が二人の間に割って入れば、その間だけでも拳を振るうことは避けようとしてくれるだろう。
そう思って一歩踏み出しかけた連夜であったが、思わぬことが二人の喧嘩を止めることとなった。
それは声。美しい女性達の声である。
それが聞こえてきた瞬間、お互いに向けて必殺の一撃を叩きこもうとしていた玉藻とKは動きを止めた。
『みなさ~ん、こんばんはぁっ!』
爆発するように公園中に湧き上がる大歓声。あまりにも凄まじい人々の熱狂ぶりに、玉藻とKばかりではなく周囲にいる彼らの仲間達もまた声のしたほうへと視線を向ける。公園の左サイドに作られた特設ステージ。その上にいるのは三人の女性達。
下がミニスカート風になっているかわいらしい浴衣を身に着けた見目麗しい女性達。彼女達は、自分達を見つめる大観衆に向かって大きく手を振り応え続けている。
「え、うそ、まさか、あれは」
彼女達の正体にいち早く気がついた玉藻は驚愕の表情を浮かべる。
彼女達の熱狂的な大ファンであり、追っかけでもある玉藻。ファンクラブには当然入会しており、その会員番号は一ケタ。彼女達の活動予定はほとんどチェックして把握しているほど、彼女達が大好きでたまらない玉藻。
しかし、そんな玉藻でも、今日のこれは完全にノーマーク。そもそも、今日はコンサートもテレビ出演も、イベントも何もない日のはずだ。ファンクラブの会員だけにこっそり送られてくる秘密の裏会誌にもそんなスケジュールは載ってなかった。
ひょっとしてニセモノか?
そう疑いそうになった玉藻だったが、それは本人達の声によって否定される。
『かっぺです』
『まぁちゃんです』
『キッチンです』
『『『三人合わせて【Pochet】です。よろしくお願いします!!』』』
「ほ、本物だぁぁぁあっ!」
半分パニックになりながら頭を抱えて玉藻は絶叫を放つ。ステージ上に立って観衆に笑顔を振りまいているのは、間違いなく北方諸都市最高の大人気女性アーティストグループ【Pochet】の三人組。恐らく主催者側がこの日の為に仕組んだサプライズなのであろう。観衆は皆、彼女達の登場であっという間に最高潮。まだ、肝心の花火が一つも上がっていないというのに、公園中に鳴り響く大歓声。
「きゃああ、かっぺぇぇ、まぁちゃぁん、キッチィンッ!」
日頃の落ち着きぶりはどこへやら。顔を紅潮させながら大興奮で大絶叫の玉藻。自分が今まさに殴り合いの喧嘩をしようとしていたことなど完全に頭から消え去っていて、憧れのアーティストグループに声援を送ることに夢中。それは玉藻ばかりではない、他の者達も似たりよったり。流石に玉藻ほど有頂天になっているものはいないが、それでもほとんどの者達のテンションはウナギ登り。大きな声援を彼女達に向けて送り続ける。
『みなさ~ん。今日は『ハリケンパーク納涼花火大会』にようこそぉ』
『北方各都市にいらっしゃる腕利きの花火師の皆さんが、今日この場に一同に会し、その腕を競い合う美の祭典』
『もうすぐ夜空いっぱいに炎でできた大輪の華が咲き乱れます』
『ですが、それまでもう少しだけ時間がかかります』
『花火師の皆さんが一生懸命準備をしてくださっている間のわずかの間ではございますが』
『私たちの歌をお楽しみください。オープニング曲は『双星のアステリオン』です』
公園中に響きわたるアップテンポなバックミュージックが流れ出すのに合わせ、ステージ上に立つ三人の美女達が歌い踊り始める。そんな三人の姿を感激した様子で見つめる玉藻。
「やったぁ。コンサート一回分もうけたぁ。この前の『嶺斬泊創立記念ホール』での公演に行けなかったから、次はもう秋になるかなって諦めていたけど。まさか、こんなところで【Pochet】の歌が聴けるなんて超ラッキー」
両拳を目の前で組み合わせ、玉藻は瞳を潤ませながらステージで歌い踊る【Pochet】の面々を見つめる。頭頂部から突き出た狐の耳を彼女達の歌が聞こえてくるほうへ向ける。そして、全力でその歌を体感しようとする玉藻。そんな玉藻の耳に、彼女達の歌声とは違う別の誰かの声が聞こえてくる。その声の主は彼女がよく知る人物の者であったが、しかし、その内容は聞き流すことができないものであった。
「よかった。皆さん、間に合ったんだぁ」
「え? ちょっとそれどういうこと、晴美?」
いつになく表情を強張らせて振り返る姉に対し、晴美はなんともいえないいい笑顔であっさりとその答を口する。
「あの方達に助けていただいたんです」
「だだだ、だから、それっていったいどういう」
「いやだから、都市営念車の中で痴漢を取り押さえて私を助けてくださったんですよ。あそこで謳っている【Pochet】の皆さんが」
「えええっ」
あまりにも予想外だった答に玉藻は大絶叫。すぐには晴美の言葉が脳みそに浸透していかないのか、両手で自分の頬を抑えたまま固まってしまう。そんな姉を不思議そうに見つめていた晴美であったが、自分を救い出してくれた恩人達の歌の方が気になるとばかりに姉のことはその場に放置。周囲の者達と一緒に応援の大絶叫の中へと混ざっていく。
さて一方、固まってしまっているのは玉藻ばかりではない。意外な人物もその場に固まってしまっていた。
その者はステージ上に立つ、三人のうちの一人を見て硬直。愕然とした表情を浮かべながら呻くように言葉を漏らす。
「う、嘘だ。嘘だろ? おまえは確かに死んだはずだ」
周囲の者達の絶叫の中で、彼の呟きは誰にも聞こえぬまま喧騒の中に消えていく。だが、そんなことお構いなしに彼は呟き続ける。まるで、その人物に問いかけるように、呟き続ける。【Pochet】の中のメインボーカルである、狐型獣人族の美女、しろがね きつねに向けて龍族の武人Kは、呟き続けるのだった。
「ギンコ? まさか、そんなはずはない。でも、あまりにも似すぎている。だがいったいこれは」
彼が呟いたのは幼き頃に死に別れた大切な少女の名前。自分達を裏切ったが故に、この場にいる彼の義兄弟に殺されたはずの人物。確かに彼はその死を、最期を看取った。だが、それならばあそこにいる人物は誰なのだ。その姿は最早少女ではない。少女ではないが、その顔を忘れるはずがない。どれだけ成長して顔が変わっても、Kにははっきりとわかる。あれは間違いなくギンコ。いや、ギンコと同じ顔をした人物。
同一人物なのか、それとも他人の空似なのかはわからない。わからないが故に彼は混乱し続ける。いつまでも頭の中で結論がでないことに業を煮やした彼は、そして。
「あれ? 兄上は?」
姫子がふと気がついたとき、兄の姿はどこにも見当たらなかった。未だ、熱狂し応援の声をあげ続けている自分の従者達に声をかけて兄の行方を尋ねる。
「そういえば、先程から姿をお見かけしませんね」
「玉藻さんとの喧嘩を避けるためにどこかに移動されたのかもしれないですね」
「えええ、それなら、私達もついていったのに」
従者の者達だけでなく仲間達にも聞いてみたが、皆、確かな行き先はわからぬという。
「そっか、お主達も知らないのか。ひょっとしたら帰ってしまわれたのかもしれぬなぁ」
「K様は、あまり騒がしい場所が好きな方ではあらへんもんなぁ」
「そうじゃな。兄上はどちらかといえば静かなクラッシック音楽などのほうが好みじゃしのう」
「気になられるようでしたら、我々でK様をお探ししてきますが」
側近中の側近であるはるかの言葉に、姫子はしばし腕を組んで思案の様子を見せる。姿を消したといっても、その人物は嶺斬泊でも屈指の実力を持つ自慢の兄である。もしものことはありえまいと首を横にふって、自分の中に生まれた不安を消し去ろうとする。だが、湧き上がってくる胸騒ぎはどうにも消し去れず、姫子はやはり兄を捜そうとはるかやミナホ達、御側衆に指示を出そうとした。
だが、その寸前、唐突にあることに気がつく。
「そういえば、連夜の姿も見えんが?」
先程まですぐ近くにいたというのに、彼女の愛しい人の姿が全く見えなくなっていることに今更ながらに姫子は気がついた。もう一度周囲の者達に尋ねると、幸か不幸か今度は即答で返事が返ってきた。
「連夜? 連夜だったら、姐さん連れて茂みの中に消えていったよ」
答えたのは姫子の新しい友人リン・シャーウッド。彼女はバグベア族の少年の逞しい腕に両手で抱きつきながら、なんともいえないやらしい笑みを浮かべて姫子にとんでもないことを囁き始める。
「ぐふふ。きっと二人でえっちぃことするんだよ。姐さんから聞いたけどさ、それはもうすごいらしいから。あんなことやこんなことの、もう言葉ではとても言えないようなすんごいプレイを」
「さがせぇっ! 草の根わけても探し出すのじゃっ! 狐のほうは見つけ次第殺しても構わん。連夜じゃ。連夜だけは私の元に連れてまいるのじゃぁっ。者どもゆけい、行くのじゃぁっ」
『ぎょ、御意っ!』
リンの言葉であっという間に怒りの沸点が振り切れてしまった姫子。兄を心配していたことなど綺麗さっぱり忘れてしまい、代わりに従者達に命じたのは愛しい人と、その彼と一緒に消えた不倶戴天の仇敵の捜索。慌てふためきながら四方八方に消えていく従者達の姿を見送った後、自身も人ごみの中へ敢然と飛び込んで行く。
「やらせん。やらせはせんぞぉ。私の眼の黒いうちに、あ、あんなこととか、こ、こんなこととか、って、い、いやあああ、連夜が汚されちゃう。私の連夜がぁっ!」
半泣き状態で悲鳴をあげながら姫子は公園の中を爆走していく。あまりの勢いにその進路上にいる人達が無残に吹っ飛ばされたりしているが、そんなことお構いなし。美少女の姿をした暴走機関車は、この後も公園中に悲鳴を響かせ続けることとなる。
「やれやれ、なんとか、みんなを撒けたかな。玉藻さん。玉藻さん、そろそろ帰ってきてください」
「はっ!? え? 何、ここはどこ?」
連夜の声で我に返った玉藻であったが、先程まで自分がいた場所と違うことに気がつき困惑の声をあげる。周囲を見渡すと、いまいる場所はかなり薄暗い。遠くにステージや屋台の光が見えるが、ここは木々が生い茂っていて光はほとんどない。そんな場所にいるのは、自分と連夜の二人きり。たくさんいた仲間達は、今この場には一人もいない。かわいい妹の姿もなければ、憎たらしい恋敵の姿もない。いたずら好きな年下の友人も、中学校時代から続く腐れ縁の友人もいない。そして、それ以外の他人の姿もない。完全に二人だけの世界。
先程、晴美の衝撃的な告白で我を失ってしまった玉藻。その状態の彼女を、恋人の連夜がここまで連れてきたことについては状況から判断してわかる。だが、その理由がはっきりとしない。
きっと恋人のことなのだろうから、何か事情があるのだろう。こちらから聞かなくてもすぐに理由を話してくれるかなと思った玉藻は、その視線を遠くにある特設ステージへと向ける。
そこでは、ステージ上に立つ三人のアーティスト達が最後の決めポーズをとって、歌の終わりを表現している姿が見えた。どうやら我を失っている間に、折角のショートコンサートが終わってしまったようだ。あまりにも残念無念で、玉藻はがっくり肩を落とす。もう一曲くらいアンコールで歌ってくれないかなと、未練がましく待っていると三人の中に立つ狐型獣人族の美女が、マイクを使って何かを言っているのが見える。獣の聴力を最大限活かして耳を澄ますと、どうやらもうじき花火が上がることを言っているらしいとわかる。
サービスでもう一曲歌うということではないと知り、またもや肩を落とす玉藻であったが、元々の目的は花火を見ることだったと思いなおし、横に立つ恋人に視線を向け直す。
「もうすぐ花火があがるんだって、連夜くん」
「ええ、そうですね。だからここに来ていただいたんです」
「え?」
予想外の返答に、思わず恋人の顔を見返す玉藻。狐の目を持つ玉藻は暗闇の中でもある程度はっきりとモノをみることができる。その彼女の目に映るのは、やや緊張気味になって強張った恋人の顔。物凄い真剣な表情を浮かべてこちらをじっと見つめている。その瞳の中には熱い激情が渦巻いていて、見ているだけで体が火照ってくるのを玉藻は感じた。
「あの、連夜くん、どうしたの」
「玉藻さん、どうしても受け取ってほしいものがあるんです」
「受け取ってほしいもの?」
無言で頷きを返した連夜は、困惑する玉藻の左手をそっと手にとって持ち上げる。そして、ポケットから何かを取り出すとそれを玉藻の細い薬指にゆっくりと嵌めこんだ。しばしの間硬直する二人。そんな二人の沈黙を打ち消すかのように、大きな破裂音が夜空に木霊し、まばゆい光で二つの影を照らし出す。
玉藻はそんな美しい光の下で自分の薬指にあるものを見て息をのむ。
大粒のダイヤモンドがはめこまれた美しい指輪。それがいったい何を意味するのか。流石の玉藻も瞬時に理解し、残った右手で口を抑える。
思わず漏れそうになる嗚咽を噛み殺そうと懸命に努力する。しかし、どうやってもそれを押し殺すことができない。胸の底からあふれ出してきた大きな感情は、今にも玉藻を押し流してしまいそう。そんないっぱいいっぱいの状態になっている玉藻に、連夜はトドメとばかりに口を開く。
「この前のときは、情けなく気絶してしまって、肝心の玉藻さんのお気持ちを確認できませんでした。だから、もう一度、やり直させてください」
「れ、連夜くん、あ、あたし」
もう玉藻の涙腺は限界突破寸前。そのことは対面に立つ連夜にはよくわかっていた。だが、ここで止めるわけにはいかない。自分よりも背の高い玉藻の目をまっすぐに見つめながら連夜はその言葉を口にする。
「もう一度言わせてくださいお。玉藻さん、僕と結婚してください。そして、僕のお嫁さんになってください」
玉藻の涙腺は完全に決壊した。そして、その美しい顔は見るも無残に土砂崩れを起こし、なんとか押しとどめていた感情は玉藻を完璧に押し流す。両手で顔を抑えながら地面にしゃがみこんでそのまま大泣きしてしまう玉藻。勿論、悲しみ故の涙ではない。人生最大の喜び故の涙である。
本当は承諾の言葉を口にしないといけない。前回のように邪魔者が現れるかもしれない。それはわかっているのだが、なかなか声を出すことができない。出てくるのは意味不明の嗚咽か、うめき声のような言葉で到底返事とはいえないもの。それでもこれだけはなんとかしなくてはいけないと懸命に立ちあがり、華奢な連夜の体を抱きしめる。
必死に息を整え、流れ出る涙や鼻水を浴衣の袖でぬぐい去り、彼女は連夜に絶対に届くようにとその耳のすぐそばで返事を返す。
「結婚します。私を連夜くんのお嫁さんにしてください。そして、ずっと側にいて。ずっとずっと私の側にいてください」
最後のほうはほとんど絶叫に近い返事。それでも連夜にはその心は十分に伝わり彼は玉藻の体を強く抱きしめ返す。
「玉藻さん、ありがとうございます」
「ううん、それはこちらのセリフよ。連夜くん、ありがとう、愛しているわ」
「僕も玉藻さんを愛しています」
「うん」
次々と夜空にあがる美しい花火の光に照らし出され、一つになった影が闇の中に浮かび上がる。しばらくの間、二人はその光の中を溶けあうようにして一つになり続けていたが、やがて、どちらからともなく離れて再び二つへともどる。二人は離れ際に口づけを交わした後、お互いのことをまっすぐに見つめ合う。
やがて、先に視線を外したのは玉藻のほう。顔を真っ赤にして照れながら自分の薬指に視線を向ける。
「それにしてもこの指輪、本当に素敵ね。見たことがないくらい綺麗なダイヤが組み込まれているし、私の指にぴったりだし。いつのまに作ったの? と、いうか、この指輪絶対かなり高いわよね」
「本当は僕自身の手で作った物をと思っていたんですけど、断念しました。悔しいですけど僕の腕では中途半端な物しかできませんから。それで、知り合いの彫金師の方にお願いして作ってもらったんです」
「連夜くんが信用して頼むってことは、その彫金師の方って、相当腕の立つ方じゃないの? やっぱりこの指輪めちゃくちゃ高いんじゃない」
「僕にとって世界で一番大切な人に贈る婚約指輪ですから、値段は関係ありません」
「もう、またそんなこと言って。連夜くんが私の為を思ってくれるものなら、なんでも嬉しいのに。それこそブリキで作られた指輪でも私には最高の指輪よ」
「勘弁して下さいよ。それはあまりにも僕に甲斐性がなさすぎるでしょ」
恋人の表情が暗がりの中でもハッキリわかるくらい情けないものになっていることを確認した玉藻は、くすっと笑ってその小柄な身体をもう一度抱きしめる。
「馬鹿ね。私の夫になる人をそんな風に思ったことは一度としてないわよ。それにしても連夜くん」
「なんですか?」
「花火が夜空に咲き乱れる中でのプロポーズなんてロマンチックなシチュエーション。これいつから計画していたの? 相変わらず不意打ちが得意なんだから。本当にびっくりしちゃったわよ」
わざと怒ったような口調で責めてくる愛しい人に、連夜はすぐには返事を返さず曖昧な苦笑を浮かべてみせる。
この計画を行う切っ掛けとなったのは、夏休み前にあったある事件。先程彼がちらりと口にしていたが、一度目のプロポーズが原因である。
あのとき、
御稜高校の大騒動のあったあの日、連夜はプロポーズの言葉を玉藻に対しはっきりと口にし、そして、玉藻はそれをしっかりと受け入れた。そのことを周囲で見守っていた者達は、間違いなく確認している。
しかしである。
肝心の当人がその答を聞いていないのだ。玉藻の返答を聞く直前、突如乱入してきた姫子によって気絶させられてしまった連夜は、無念にもその言葉を聞くことができなかったのである。一応、周囲の者達から気絶後の事情は聞いているし、玉藻本人も自分が一度口にした承諾の言葉を覆すようなことはしないであろうから、婚約はなったと考えていいとは思った。
完全な失敗ではない。しかし、成功とも言い難い。
いくら承諾確定とはいってもあまりにも情けない。情けなさすぎる。生涯ただ一人しか愛さないと決めている人へのプロポーズ。その返答を聞けないまま、なし崩し的に結婚してしまうのはあまりにも恰好悪すぎる。そう思った連夜は、今一度プロポーズをすることを決意。最初のプロポーズの時は、たまたま恋人が子供の頃にかわした婚約の記憶を思い出し、そのときのシチュエーションを再現する形でというものだったが、いきなりだった為、全てがいきあたりばったり。勢いだけのものであった。それだけに盛り上がりもしたが、計画性ゼロであったが為に、邪魔者の介入を許してしまった。
しかし、今度は違う。きっちり計画を立て、誰にも邪魔されないようにプロポーズする。そして、その舞台として選んだのがこの納涼花火大会だ。花火が夜空に満開に咲く中でプロポーズするというロマンチックなシチュエーション。これを主軸とした今回の作戦。
まず利点その一は、邪魔をしそうな要注意人物である姫子やリン達を、自然と誘い出すことができる点。自分と玉藻の二人だけでこっそり出かけて、その先でプロポーズということも考えたが、やはり、邪魔をしそうな者達がどう動くかわからない状態では不安で仕方ない。そこで、一か所に彼らを集め監視する方法をとることとしたのだ。夏の風物詩である花火大会にみんなで出かけるというのは不自然なことではない。その証拠に彼女達は、何の疑いもなくほいほいと出てきてくれた。あとは彼らを監視するだけ。そのことについてはリビュエーとクレオ、それにスカサハとネコメイドさん達に任せてある。何か動きがあった場合、すぐに知らせがくることとなっている。
次に重要となってくるのは、この花火大会に出てくる人ごみの多さだ。『嶺斬泊』でも特に大きなこの催しには、物凄い数の観客が詰めかける。そんな人ごみの中ではぐれたら、探し出すのは至難の業。どれだけ視力、聴力、嗅覚の特殊能力が優れた種族の者であったとしても、そう簡単にはみつけだせない。そこが狙い目だ。邪魔者達の目をうまくかいくぐり、人ごみの中に玉藻と二人で潜り込む。後は、予定の場所までダッシュするだけ。
さてその予定の場所というのが、利点のその二に相当する。花火大会の開催地である『ハリケンパーク』は、ある事情から隅から隅まで地理を熟知している。大会当日は、隙間がないくらい人が押し掛けることになるであろうが、それでもその中には人が全く来ない台風の眼のようになっている個所がいくつかあることを連夜は知っている。その個所の一つをプロポーズの場所として使う。そこならば、一般客がやってくる可能性はかなり低いし、邪魔者達が見つけるにもかなり時間がかかるだろう。
そして、最後の利点その三。当然であるが、花火大会は夜にあるということ。昼間と違い夜の場合、ほとんどの種族は視界が極端に狭くなる、中には夜のほうがよく見えるという種族も存在するが、どちらかというと少数派だ。できればプロポーズはこっそりと行いたいのだ。前回は雰囲気に流されてたくさんの衆人環視の中で行ってしまったが、できれば二人きりがいい。花火の光で彼らの姿が照らし出されはするだろうが、プロポーズを行う場所は茂みの奥。そんなところまでわざわざそこまで見に来る人はいないだろう。昼間であればある程度見通しがきくため丸見えになってしまうだろうが、夜の闇は程よく二人を隠してくれるはずだ。
こうして、連夜のプロポーズ大作戦は決行され、今のところ順調に進んでいる。
そう、進んでいるのだ。現在進行形で。確かにプロポーズそのものは成功したと言える。だが、彼にはまだ残されたミッションがある。
連夜は、表情を引き締めると、最後の詰めに取りかかるのだった。
「あの、玉藻さん」
「ん? なぁに、連夜くん」
愛が止まらない状態になって連夜の顔にキスの雨を降らし続けていた玉藻だったが、恋人の真剣な声にふと我に返る。顔を少しだけ離して彼の顔を見つめる。すると、そこには不安の色を隠しきれずにいる恋人の姿。いったい何事なのだろうと、玉藻自身も不安になりながら彼の言葉を待つ。しばしの静寂。しかし、やがて彼は意を決して口を開いた。
「あの、玉藻さんに御願があるんです」
「なに? 私にできることならなんでもするけど」
玉藻の言葉を聞いて若干肩の力を抜く連夜。どこかほっとした様子の彼に、玉藻は嫌な予感がした。
そして、彼女の予感はあたることとなる。
「近いうちに、うちの両親にあってほしいんです」
「!?」
雷に打たれたように硬直し、絶句してしまう玉藻。
いつかは通らなくてはいけないと思っていた道。覚悟はしていたつもりだったが、あくまでもつもりでしかなかったことに、このとき玉藻は初めて気がついた。
この日、美しい花火がいくつも夜空に舞い踊ったが、玉藻はそのほとんどを覚えてはいなかった。