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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
169/199

第三十九話 『姉妹再会』

 姫子は目の前に立つ少女の姿を見て少なからぬ衝撃を受けてよろめいた。

 彼女の人生において一番大事で大切な最愛の『人』を奪ったにっくき仇敵。その相手が今自分の目の前に立ってこちらをきょとんとした表情でみつめているのだ。

 いや、出会った場所がここ以外の場所であったならば、姫子もここまで衝撃を受けたりはしなかっただろう。

 だが、ここは違う。

 ここだけはダメだ。

 ここでだけは会うことはないと思っていたのだ。なぜならここは彼女にとって聖域。誰に邪魔をされることなく愛しい人と二人で過ごすことができる大切な場所。流石の仇敵もここにだけはおいそれと近づいたりはしないだろうとタカをくくっていた。なのに、敵は今まさに、姫子の目の前にいる。

 あまりのショックに本気で意識を失いそうになる姫子。だが、ここで意識を失ってしまうわけにはいかない。最大最悪の仇敵を前にしてそんな無様な姿は見せられない。少なくともこの目の前に立つ相手の前でだけは嫌だ。

 気をしっかり持ち直してもう一度前を見据える。

 そのとき、姫子は唐突にあることに気がついた。


 目の前に立つ仇敵の姿に違和感を感じる。


 それはちょっと雰囲気が違うとかそういう瑣末なレベルの違和感ではない。

 ハッキリ何かが違う。姫子は少し離れたところで、相変わらずぼんやりとこちらを見つめている仇敵の姿を観察する。

 まず背が低い。自分が見上げなくてはならないほど背の高い仇敵の背が低い。明らかに低い。どうみても自分よりも低い。

 顔立ちが幼い。気の強さが常に顔の全面に出ており、憎たらしいほどの余裕の笑みで見下すようにこちらを見つめているあの挑発的で大人の女性を感じるあの笑顔はそこにない。どこまでもおとなしく初々しい感じしかしない。

 そして、一番違うのは小さいことだ。体全体が一回りほど小さいということもあるが、何よりも今まで必要以上に激しく主張していた部分が明らかに小さくなっている。姫子も結構大きいほうであると自負していたのに、それ以上に形も大きさもあったあの忌々しい二つの山が今はほとんど存在していない。勿論、谷間だってなくなっている。

 姫子の記憶が間違いなければ、現在の彼女は二十歳のはず。

 なのに、目の前の彼女はどうみても中学生にしか見えない。

 いったい全体何がどうなっているというのか。何かの罠か? それとも霊狐族に伝わる秘術で一時的に若返ったとか、姿を幻で誤魔化しているとかだろうか。

 そんな姫子の激しい心の葛藤に全く気付かないでいた霊狐族の少女だったが、やがて、姫子に興味を失ったのか、近くにいるねこまりも族のメイドと共に台所の手伝いを再開する。

 明るいライトグリーンの涼しげな袖なしワンピースに身を包み、その上に着けたかわいらしい小狐のアップリケがついたエプロンがとてもよく似合っている。どことなくぎこちない笑顔を浮かべながら、慣れない手つきでテーブルの上に皿を一枚一枚丁寧に置いていく仕草がとてもかわいらしい。

 姫子が知る仇敵からは、一度として見たことがない姿だ。

 ひょっとして別人なのか?

 それでもどう考えても本人としか思えない少女によろよろと近づいた姫子は、呆気にとられている彼女の肩をガシッと掴んで血走った目で睨みつけるように見つめた。


「き、如月 玉藻。いったい、どうしたのじゃ。どう見ても、中学生じゃないか。いったいどんな呪いを受けた。あるいは幻か。幻術で私をたぶらかそうというのか?」


「え、え、、た、玉藻って・・」


 目の前の美しい女性から飛び出た意外な名前に、戸惑いを見せる少女。

 だが、それに気づく風もなく姫子はさらに言葉を重ねる。


「で、でも、今のこの城砦都市でそこまで強力な若返りの魔法を使える奴がいるわけない。かといって、タイムスリップじゃ。あっ、ま、まさか、私がタイムスリップしてるのか。ここは、数年前の世界なのか。そうなのか? 応えろ、如月 玉藻!?」


「へ、え、い、いったいなんの話なんですか? それよりもどうして玉藻姉さんのことを知っているんですか?」


「は? 玉藻姉さん?」


 お互いがお互いの言ってる意味がわからず、きょとんとした顔を見合わせる二人。

 そんな二人の後方でその様子を見ていた連夜が、疲れたような表情でやってきて、痛いくらいに霊狐族の少女晴美の肩を握りしめている姫子の手をそっと放させる。


「あのね、姫子ちゃん、若返りの魔法なんてそんな便利な魔法、今の時代にあるわけないでしょ」


「れ、れ、連夜、でも、大変なんだ。如月 玉藻が中学生になっちゃった」


「落ち着いてってば。だから、そんなわけないでしょって、言ってるでしょ。もう。ほら、晴美ちゃん、すっかり怯えてしまっているじゃない」


 興奮気味の姫子の前に苦笑しながら連夜が割って入る。すると、晴美はささっと連夜の背中に隠れてその後ろからびくびくと身体を震わせて姫子のほうを見つめた。

 そんな晴美の様子を油断なく観察しながらも、連夜の言葉の中に聞きなれない人名を確認した姫子。

 小首をかしげながら連夜のほうに視線を向ける。


「は、はるみちゃん?」


「そそ、姫子ちゃんはここのところ取り戻した本体に体を慣らすために、こっちの家に来てなかったから知らなくてもしょうがないんだけど、つい先日から一緒に住むことになった、玉藻さんの妹の如月(きさらぎ) 晴美(はるみ)ちゃん。この前の騒動のときに、傭兵旅団『(エース)』が違法な洗脳奴隷部隊を使っていたことは、姫子ちゃんも知ってるよね?」


「ああ、確か、その奴隷戦士達を中央庁が多数保護したんだったな」


「その保護した一人が晴美ちゃん。いろいろと事情があってね。彼女だけはうちで預かっているんだ」


「そうか。奴隷として捕まっていた『人』だったのか。なるほど、それは辛い思いをしたんだろう・・・って、ちょっと待つのじゃ、連夜。今、さらっと誰かの妹と言ったな」


「言ったよ。だから晴美ちゃんは、玉藻さんの実の妹。晴美ちゃん。こっちは龍乃宮 姫子ちゃん。龍族の王族で『乙姫』の第一候補者。一応、あのかぐやの妹でもあるけど、あいつとは全然立場が違うし僕らの仲間でもあるから心配しなくていい。ちょっと浮世離れしているところがあるけれど、根はやさしい娘だから安心してね」


 連夜のにこやかで無邪気な紹介に、二人は一瞬互いを呆けたように指さし、そして今度は連夜を指さし、またお互いを指さしたあと、再び連夜のほうに同時に向きなおる。

 そして、二人は連夜に詰め寄りながらあらかじめ示し合わせたようにぴったり同時に絶叫するのだった。


「「えええぇぇっ。ど、どういうことぉぉっ」」


 至近距離から力いっぱいの大声を浴びせかけられて、流石の連夜も耳を押さえてぐらりとよろめきかける。


「ちょ、二人とも、朝から大声出さないで・・」


 ちょっと涙目になって抗議する連夜だったが、二人はそれどころではないと、怒りとも困惑ともつかぬ表情で連夜に迫ってくる。


「何言ってるんですのよ、連夜、どういうこと、ねえ、どういうことですの!? 如月 玉藻の妹がうちにいるってどういうことですのよ!? しかもあなたとお揃いのエプロンでまるで新婚カップルみたいな姿をしている理由はなんなの!? 説明してくださいませ、早く早く!!」


「何言ってるんですか、連夜さん、どういうこと、ねえ、どういうことなんですか!? あ、あのかぐやの妹と知り合いだなんて、私聞いてませんよ。いや、それどころか、いまこの人さらっと玉藻姉さんの名前を出しましたよね!? 私、一度として玉藻姉さんの名前を口にしたことないのに。つまり連夜さんは私のことを最初から知っていたってことなんですか!? 説明してください、早く早く!!」


 二人同時に胸倉をつかんでツープラトンで連夜の身体をガックンガックン激しく揺さぶり続ける。


「ちょ、ま、ふ、二人とも、そ、そんな、ゆら、された、しゃべれ、な、い」


 しばらくの間揺らされ続けたせいで、どんどん顔色が悪くなってきた連夜に、流石に気がついた二人は仕方なく手を放す。

 げほげほと演技ではなく本気で咳きこんでなんとか調子を取り戻した連夜は、ちょっと力が抜けてはいるものの、明るい笑顔を作って二人を見た。


「じゃあ、朝御飯の用意するから姫子ちゃんは席に座っておいてね。晴美ちゃんはお味噌汁を入れてくださいね」


「「はぁい」」


 と、連夜の言葉に素直に従い、姫子は勝手知ったる人の家の食卓にある自分の定位置に。

 晴美は味噌汁を入れるべく鍋のほうに向かった。

 だが、二人同時にはっと気がついて連夜のほうに再び詰め寄っていく。


「「説明は!?」」


「むう。完璧に誤魔化したと思ったのに」


 二人から顔をそらして悔しげにつぶやく連夜。


「まったく油断も隙もないんだから。連夜は」


「本当です。連夜さんて肝心なところはほんとにズルイんですから」


 ブツブツと自分の文句を言ってくる二人を、あっはっはと爽やかな表情で誤魔化す連夜。


「わかった、じゃあ、説明するね。実は一カ月以上も前の話なんだけど。あ、そうだ、姫子ちゃん、新聞取ってきてくれた?」


「あ、ごめんなさい、まだでしたわ」


「晴美ちゃん、ご飯混ぜておいてくれました?」


「す、すいません、忘れてました」


「もう。二人とも早くしてね、みんな起きてきちゃうから。さあ、いっていって」


 と、連夜に急かされて、姫子は新聞を取りに玄関へ、晴美は炊きあがってるはずのごはんを混ぜるためにしゃもじを持って炊飯器の前に。

 それぞれ行こうとした途中で、はっと気がついて三度連夜に詰め寄っていく。


「「せ・つ・め・い!!」」


「んむぅ。あと一歩何かが足りないんだろうなあ。もう少しで手が届きそうなんだけどなあ。誤魔化すのって結構大変なんだなぁ」


「連夜!!」


「連夜さん!!」


 と、流石にもう騙されないぞという怖い表情を浮かべる二人に、連夜は苦笑を浮かべてみせると今度こそきちんと説明するのだった。

 姫子には、あの騒動以降、晴美を連夜の家で預かっていることを説明。ようやく中学生になったばかりに彼女に、今すぐに身の振り方を決めろというのは無理な話なので、しばらくはこちらで寝泊りすることになると告げる。また、晴美には小学校時代から続く実姉ミネルヴァと玉藻の交友関係についてと自分が晴美をみつけ声をかけた理由が晴美の想像通り晴美の姿が玉藻に酷似してたためであることを、それぞれ説明する。

 連夜の説明が終わったあとも、二人は終始無言で何かを考えている様子。

 連夜はそんな二人をそっとしておいて朝御飯の支度を着々と進め、あとからやってきたスカサハや母親の御飯の用意を優先させる。


「ねえ、レンちゃん、あの二人なにをぼぉっと考え事してるのかしら?」


 まだ台所の横で突っ立ったまま考え事を続けている二人の様子に気がついた母ドナが、忙しく働いている連夜を捕まえて事情を聞いてくる。


「いや、まあ、お互いまだ知らなかった衝撃の事実を知って、今自分の中で整理してる最中かと」


「ふぅぅん」


 せわしなく動かしている手を止めることなく質問に答えると、美しい赤髪の美女はしばらく何事かを考えるようにその場に立ち止まっていたが、不意にその目を連夜のほうに向け直す。


「ところでレンちゃん」


「はい、なんですか」


「お母さんに何か言わなきゃいけないことがあるんじゃない?」


 一瞬。

 ほんの一瞬の間があった。

 だが、それは本当にただの一瞬だけ。連夜は、その質問の答えを正確に理解しすぐに答を返していた。


「うん。お母さんにだけじゃなくてお父さんと一緒に聞いてもらいたいことがある」


 完全に食卓の準備の手を止めて、そらすことなく真っ直ぐに母親の瞳を見つめる。浮かんでいるのは今まで見たこともないほどの真剣極まりない表情。そんな息子の顔をしばらくぼうっと見つめていたドナであったが、急に顔を赤らめて微笑むと、火照った自分の頬に片手をあてる。


「レンちゃんは、やっぱり旦那様の息子なのねぇ」


「え?」


「お母さん、昔を思い出しちゃったわ。お母さんね、昔旦那様が今のレンちゃんと全く同じ表情をしたときのことを知っているのよ。そっかぁ。レンちゃんもそういうお年頃になったのかぁ」


 在りし日のことを思い出したドナは、微笑みを深くして悩ましげなため息を一つ吐き出す。そんな母のリアクションに戸惑う連夜は、どう対応したものやらと言葉を続けることができないでいたが、やがて、母親のほうから口を開いてくれた。


「多分、レンちゃんのことだから隠し切れていないって思ってるんだろうけど。お母さんもお父さんも、まだ何も周りから聞いてないから安心して」


「そうなの? てっきり、美咲姉さんかスカサハあたりから話を聞いて、切りだしてきたものだとばっかり」


「お母さんもお父さんも、自分の目と耳で判断したいのよ。だから、敢えて周囲には聞いていないわ。どうせ、真面目なレンちゃんのことだから、私達にちゃんと紹介してくれるだろうし、それに楽しみは後にとっておきたいもの」


「うん、まあ、近いうちにきちんとお二人に筋は通すつもりだった」


「そう」


 再び真剣な表情になって頷きを返す息子に、優しい笑みを向ける母親。二人の間になんとも言えない温かな空気が流れる。しかし、ふと視線を動かしたドナは、その視界にあるものをみつけて表情を曇らせる。


「でも、お母さん、完全に予想外だったわ」


「何が?」


「てっきりレンちゃんは、姫子ちゃんを私達に紹介するものだとばかり思っていたもの」


「ぶほっ!」


 突然の不意打ちに、思わず倒れそうになる連夜。そんな連夜のリアクションを見て、母親はますます表情を曇らせていく。


「ほんとにレンちゃんのお相手は姫子ちゃんじゃないのね。残念だわぁ。姫子ちゃんはもううちの娘同然だし、嫁姑の間柄になっても仲良くやっていけそうだなぁって思っていたのに」


「いや、それはそうかもしれないけど」


「なんで姫子ちゃんはダメだったの? あんなに素直でかわいいのに。レンちゃんにゾッコンで、物凄く一途なのに」


「勘弁してよ。確かに今の姫子ちゃんは素直でかわいいかもしれないけれど、僕はあの子の昔を知ってるもの。最初に刻み込まれた第一印象はなかなか消えないよ」


「でも、姫子ちゃんが『異界の力』を暴走させたときから、物凄く親身にいろいろ力になってあげていたじゃない」


「『友達』だからね。と、いうか、自分の中でそうハッキリ線引きをすることができたから、力を貸すことができたと思う。そうじゃなかったら、多分、ここまで肩入れしなかったと思うよ」


「ふぅぅん。なんだか複雑なのねぇ」


 今一つ理解できないという表情ではあったが、結局ドナはそれ以上追及することはしなかった。その代わり、本命の約束については、早ければ今週の土日いずれか、遅くとも一カ月以内のどこかの休日に必ず果たすようにと釘を刺す。連夜はもう一度真剣な表情で承諾の返事を返し、それを確認したドナは満足気に微笑んで食卓についたのだった。

 その後、母親はその話題に興味を無くしたように自分の大好物の一つである卵かけごはんを食べることに集中し始め、連夜は再び朝食の準備に動きだす。

 しかし、連夜の動きはある人物によってすぐに止められてしまう。声をかけてきたのは、ずっと二人の横にいた妹のスカサハ。

 母親と一緒にキッチンに降りてきたところまではよかったのだが、次兄と母親が急に際どい話を始め出したので、口を開くことができずハラハラしながら一人テーブルについて、見て見ぬふりを続けていたのだ。

 だが、それもようやく終わりをつげ、やっと次兄に話しかけることができると、慌てて声をかけたのであった。


「お兄様、ちょっとお話が」


「ん? って、ああ、さっきのアレか? 御免ね、スカサハのこと疑っちゃって。てっきりどちらかが僕の最近のことをお母さんに話しちゃったのかと思っちゃったんだ。よく考えたら二人とも口が堅いのに、動揺しちゃってとんでもないこと言っちゃった。本当に申し訳ない」


「いや、それはいいんですけど」


「あれ? そのことじゃないの?」


「ええ、それについてが気にしていませんわ。お母様と接点が多い私と美咲さんが疑われるのは仕方ないことですし。それよりもそろそろ食べ始めないと都市役所に行く時間がどんどん遅くなってしまうのです」


「あ、そっか、スカサハが付き添ってくれるんだ」


「ええ、住民登録とか療術保険とかありますし、あと中学校の編入手続きもやっておかないといけませんでしょ? 遅くなれば遅くなるほど役所は込みますからね」


「ああ、そうだね。ちょっと、晴美ちゃんには急いでもらわないといけないな。スカサハも忙しいのに、ごめんね。近いうちに必ずどこかでこのお礼はするから」


「構いませんわ。困った時はお互い様。それに玉藻姐さんの妹なら、私にとっても妹ですもの」


「そう言ってもらえると助かるよ」


 スカサハの頼もしい言葉に連夜はほっとした表情を浮かべる。

 その後、二人の側に行った連夜は、パンパンと手を叩いてその注意を自分のほうへと向けさせた。


「はいはい、二人ともそろそろご飯食べてください。姫子ちゃんは王宮の行事に出る予定があるんだし、晴美ちゃんも午前中は都市役所にいろいろな手続きしに行かなきゃいけないですよ」


「「・・・」」


 なんだか連夜に非常に言いたい何かが二人にはあるようだったが、とりあえずお互いの顔を見合わせ、ふぅぅっと溜息を同時に吐き出すとのろのろと食卓に座る。


「あの、さ、連夜」


「あ、そうそう、姫子ちゃん。会うことはないと思うけど、まだ玉藻さんには晴美ちゃんのこと言わないでね。ちょっと考えがあるから」


「わかりましたわ」


 なんだか恨めしそうな視線を送りながら、連夜を見つめる姫子。


「あの、ね、連夜さん」


「あ、そうそう晴美ちゃん。今日の夕方以降になりますが、ちょっと僕に付き合ってくださいね。行くところがありますから」


「わかりました」


 なんだか釈然としない視線を送りながら、連夜を見つめる晴美。

 そして、二人揃ってやけくそ気味に朝ごはんを掻きこみはじめるのだった。


「なんじゃなんじゃ。私のことがそんなに信用できないのかっていうのじゃ。玉藻は確かに私の仇敵であるが、いくらなんでもその妹まで理由もなく害したりはしないというに。私には全然事情もなにも説明しないで勝手にどんどん進めちゃって。いいのじゃいいのじゃ。どうせ私は連夜に信用されてないのじゃ。連夜のバカ」


「なんですかなんですか、そんなに私は頼りないですか。私のこと知ってたくせに全然知らない振りして、私、何も知らなかったから、いろいろと不安になって考えたのに。いいですよいいですよ、どうせ私はおこちゃまですよ。連夜さんのバカ」


「二人とも怒りながら食べると消化によくないですよ」


「「うるさい!!」」


 半分涙目になっている目に怒りの炎をたぎらせて連夜を一喝する二人。

 そんな二人の態度に少なからず傷ついた表情を浮かべる連夜だった。


「僕、なんで怒られているんだろ・・」


「レンちゃんはもう少し乙女心をわかるようになったほうがいいわね」


「非常に残念ですけど、お母様と同意見ですわ」


「・・とほほ」



 それから少し時間が流れる。

 東の地平線の彼方から顔を出した太陽が空を大きく飛翔して回り、西の地平線の彼方へと去っていってから一時間ほど時間が過ぎたころ。

 大学の研究室に訪れて、手を着けていなかったブエル教授の学会発表用の研究レポートに最後のチェックをきっちりしっかり終えた玉藻。

 新人が失敗したレポートはつい先日完成させていたが、他にミスがないか心配だった為、何人かの研究生を呼び出して残りのレポートのチェックを行っていたのだ。幸い、大きなミスは見当たらなかったものの、ところどころで修正した方がいいと思われる個所を発見。なんとかそのあたりも修正し、今度こそ完成となった。

 その後、みんなで飲みに行こうぜという仲間達の誘いをきっぱり断って家路を急ぐ。

 何せ、今日自分の家には愛しい人がいて、自分の帰りを今や遅しと待っているはずなのだから。

 いつもなら、寄り道する本屋やコンビニの誘惑をはねのけて、玉藻は軽やかな足取りで我が家に帰って来た。

 上機嫌で勢いよくドアを開けようとしたところで、盛大に失敗。あやうく後ろにひっくり返るところをなんとか堪えて、その場に踏みとどまる。


「あ、あれ? あれ?」


 恋人がいる以上、鍵はかかってないと思ったのにドアにはしっかり鍵がかかっている。

 まさか、今日来ると言っていたはずの恋人が来ていないのではないか。強烈な不安にかられ慌ててポケットから鍵を取り出そうとする玉藻。

 しかし、それよりも早く家の中から鍵をあける音がして、中からドアが開いた。

 開いたドアの向こうには、嬉しそうにこちらを見つめる最愛の恋人の姿。


「おかえりなさい、玉藻さん」


「れ、れ、連夜くぅぅん!!」


 昨日の夜も会って愛を確かめあったし、今朝早く一緒に朝食をとって送り出してももらった。手作り弁当も渡されて、今日一日ずっとハッピーな気分で過ごすことができた。

 しかし、それはそれ。これはこれなのだ。

 やはり、一人暮らしの玉藻にとって、家に帰ったときに出迎えてもらるというのは、他とは違う特別なものがある。

 笑顔で出迎えてくれる恋人を見て感極まった玉藻は連夜を抱きしめて、かなり濃厚に唇を重ねる。

 いつもだったら、照れてされるままの連夜なのに、今日はなぜか結構積極的に応えてくれる。

 まあ、それ自体に不満があるわけもなく、しばらくそうしてお互いを確かめあっていたわけだが、そっと唇を放して連夜を見ると、ちょっと目が潤んでいるようにも見えた。

 確かに何度出迎えてもらってもその感動が薄れることはないが、いくらなんでも今日のは熱烈過ぎた気がする。

 玉藻はなんだか急に心配になってしまい連夜の顔を覗き込む。


「連夜くん、何かあった?」


 覗き込んでくる玉藻に、力のない笑顔を向けて連夜は頷いた。


「えっと、はい。ちょっと。玉藻さん、もうちょっとだけ、このままでもいいですか?」


「う、うん、いいよいいよ」


 玉藻よりも少し身長の低い連夜は、玉藻の肩に顔を埋めるように抱きついてくる。

 なんだか、ひどく連夜が小さく見えてたまらない玉藻は、その身体を強く、でも優しく抱きしめるのだった。


「玉藻さん、あの」


「うん」


「愛しています」


「へ? あ、ああ、うん、私も連夜くんのことを愛しているよ」


 何があったのか知らないが、彼女の腕の中の彼は相当ナーバスになっているように見えた。いつも飄々としていて、相当何かないと隠している感情を表に出そうとしない彼氏。その彼が珍しく普段隠している負の感情を隠しきれずにいる。今までも何度かこういうことはあった。知り合ってからは随分立つものの、恋人同士になってからまだ半年にも満たない玉藻と連夜。

 だが、その短い間に、随分お互いの深い部分に踏み込みあって理解してきたと思う。仮面の怪人として付き合っていたころには全く見えなかった彼の心の闇も、今ではかなり見えるようになってきた。しかし、なまじ見えるようになったからこそ、悩ましい部分もある。

 彼の心の闇は玉藻が想像していた以上に深くて昏い。恐らくその闇は多くの人達にとって不快でしかないものであろう。彼の周囲にいる彼が認めた『友』達ですら、その闇を直視すれば彼の元から去っていってしまうかもしれない。しかし、玉藻は違う。彼が抱えている闇は自分のそれとかなり似ている。いや、部分的に見ていけばそっくりなところが多数見受けられる。だからこそ、玉藻は連夜を癒すことができる。彼の闇を知るからこそ、内に秘めたそのドロドロとした何かを欲望と一緒に全て自分に吐き出させることができるのだ。

 数度かの性交渉で確信しているのだが、連夜は間違いなく玉藻の肉体に溺れている。いや、溺れているといういい方は適切ではない。連夜は玉藻を求めてくる。しかし、それは肉体を求めていると言うよりも心を求めている。体の反応よりも玉藻の心がどう反応しているかを常に見ている。自分の欲望を押しつけていることで嫌われていないか、傷つけていないか、そして、玉藻が連夜のことを受け入れてくれているかを常に見つめている。

 玉藻の美しい容姿を望んでいるわけではない。また、自分を操り人形にしようとした長老達のように玉藻の能力を望んでいるわけでもない。

 ただただ純粋に、自分に寄り添ってくれるもう一つの心を求めて、連夜は体を繋げて来る。

 だからこそ、玉藻は連夜が自分の手中にあることを確信することができている。しかし、同時にそれは玉藻自身もまた連夜から逃れられぬことをも示している。

 何故なら玉藻が望んでいるものは、自分を決して裏切らぬもう一つの心。自分とは違う他人でありながら、自分以上に自分を愛してくれる存在。連夜がそれであることは間違いない。自分自身がそう確信しているのだから、間違いない。そして、それは既に彼女の手中にある。

 生殺与奪は玉藻の胸三寸。今の彼女は、どうやったら一番連夜が傷つくかを理解している。拳を使わずとも言葉だけで連夜に致命的な一撃を与えることができる。そして、死に追いやることも簡単だ。

 勿論、そんなことは絶対にしない。

 ようやく巡り合えた一番大切なもの。相手の心を理解し掴みきったからこそ、彼女にとって連夜は絶対に失えないものとなった。

 この宝物を守るためならば、玉藻はなんだってすることができる。

 連夜を傷つける者がいるならば、容赦なく殺すことができるだろう。 

 連夜の心を慰めることができるならば、娼婦の真似ごとだってできるだろう。

 連夜を守るためならば、どんなに悪辣極まりない手段でも、どんなに恥ずかしいことであっても、躊躇わずに実行する。必ずしてみせる。

 そう、密かに覚悟を決めた玉藻。

 だが、そんな玉藻の心を知ってか知らずか、連夜はしばらくしてそっと身体を離すと、てへへと照れ笑いを浮かべて玉藻を見た

 その瞳には先程までの憂いはなくなっていた。


「すいません、玉藻さん、みっともないところ見せちゃって。しかも、玄関でとおせんぼするように」


「ううん、いいよ、そんなことは。それよりもいいの、もう? 連夜くんが望むなら、今すぐだって寝室に行ってもいいよ」


「あわわわわ、いやいや、そこまではストップです、玉藻さん。十分今ので復活しましたから」


 と、玉藻に向かって見せる連夜の笑顔は、作り笑いでも愛想笑いでもないいつもどおりの優しい笑顔だった。

 どうやら強がりで言っているわけではないらしいとわかって、ほっとする反面、残念なような気もする玉藻だった。

 そう思って苦笑していると、連夜は玉藻が家の中に通れるように先に家の中にもどって道を空ける。

 その後に続いて靴を脱ぎ家の中に入ろうとする玉藻に、連夜が声をかけてきた。


「玉藻さん、早速ご飯の用意しますねって、言いたいところなんですけど、ちょっと、僕の話に付きあってもらっていいですか?」


「うん、いいけど、それって、今のことに関係する?」


 ちょっと目を細め、心なしか物騒な気配を漂わせる玉藻に、連夜は慌てて手を振ってそれを打ち消す。


「いえいえ、それとは全く別です。それについてはまた日を改めてさせていただきます」


「そう。わかった。リビングで聞けばいい?」


 連夜の言葉に嘘がないとわかった玉藻は物騒な気配を消すと、持っていた『刃連IQ』の黒いバッグをソファの上におろして、テーブルの前に座る。

 その姿を見て安堵した連夜は、あらかじめ用意していたと思われる、香りのいいコーヒーが入ったカップを二つ持ってきて、テーブルの上に置いて自分は玉藻の対面にくるように座る。


「なんだかこうして対面で座るのって、あの日以来ね」


 玉藻が意味ありげな笑みを浮かべて連夜を見ると、連夜は玉藻が言ってる日のことがわからず最初きょとんとしていたが、やがてすぐにそれに気がついて顔を赤らめる。


「『あの日』って、ああ、あれですか。あんな風に玉藻さんを泣かせて怒らせるのはこりごりなんで、以後気をつけますです」


「そうねぇ、ほんとあれで最後にしてほしいわ」


「すいません、気をつけます」


 どんどん赤くなって小さくなっていく連夜を愛おしそうに見つめる玉藻。

 そんな優しい玉藻の視線に気づいて、連夜もてへへと嬉しそうに笑い返すと、表情を改めて玉藻のほうに向きなおった。


「あの、玉藻さんにお聞きしたいことがあるっていいましたけど、以前、み~ちゃんと二人でこの家にお邪魔させていただいたときのことを覚えていらっしゃいます?」


「連夜くんとミネルヴァが二人で来た時? ああ、ミネルヴァと酒盛りしたときのことね。あの醜態だけは連夜くんに見られたくなかったわ」


 ずぅぅんと見る見る落ち込んでいく玉藻に、慌ててフォローを入れる連夜。


「いやいや、み~ちゃんのほうがひどかったですし、玉藻さんは酔っぱらう前に寝ちゃったから、全然大丈夫だと思いますよ」


「連夜くんよりも先に寝ちゃうわたしって」


「いやいやいや、そこは寝てくださって大丈夫なところですから。それよりも、僕が気になっていたのは、あのときみ~ちゃんと玉藻さんが話していた内容についてなんです」


 連夜の言葉に、玉藻は不思議そうな表情を浮かべる。


「私とミネルヴァがしていた話題? なんだったっけ?」


「ほら、妹の晴美さんとかいう方の話題ですよ」


「あ、そうだ!!」


 玉藻が連夜の言葉にはっとして大声を出すのと同時に、なぜか連夜の後方にある寝室のほうからガタッという音が聞こえたような気がしたが、目の前にいる連夜は別段気づいた様子もなかったので、とりあえず気のせいだと思うことにする。

 霊狐族特有の気配を察知する能力を使用しても、自分と連夜の気配しか感じられないし、恐らく気のせいだろう。


「思い出していただけましたか」


「うん、そういえばそれが発端だったのよねえ」


 そう言うと玉藻は、はぁぁっと溜息を吐きだした。


「ねえ、連夜くん、連夜くんの話の途中で腰を折ってなんなんだけど、連夜くんの知り合いで人捜し専門の人っていないかな?」


「え、どうしてですか?」


「私ね、妹に会いたいのよ」


 自嘲気味な苦笑を浮かべながら紡ぎだされた言葉。その言葉の中にいくつもの複雑な感情が入り混じっていることを連夜は敏感に察知する。

 玉藻は基本的に自分以外の誰かに興味を持つことはほとんどない。恩師であるブエルや親友であるミネルヴァ。そして、恋人の連夜などごくわずか例外がいることはいるが、基本的に他人のことに無関心である。誰にも心を開かず、誰に対しても氷の無表情を貫く『氷壁の女王』。

 そんな彼女が『妹に会いたい』という。普通の人ならばいざ知らず、他でもない玉藻がそんなことを口にした。つまり、それだけその件の『妹』に対し、玉藻が特別な想いを抱いているということに他ならない。

 勿論、そのことについて連夜は気がついていた。あのとき、ミネルヴァと酒を酌み交わしながら玉藻が妹の名前を出したそのとき既に、連夜は恋人がその妹に会いたがっていることに勘付いていたのだ。

 だからこそ、彼は晴美の行方を彼は追っていた。中央庁の人捜しの専門家に頼み、裏社会に情報通に頼み、そして、己自身でも探りを入れた。そして、ついにその行方を掴んだ。

 しかし、なんという因縁。彼女の居場所は憎き仇敵かぐやの元。しかも、使い捨ての奴隷として売られたのだという。どうやって救出しようか。あるいは、そもそもその救出事態間に合うのか。ともかく更なる情報を得ようと奮闘する連夜だったがしかし、運命の女神は彼に突然幸運を運んでくる。

 全く別件で出かけて行った先で、救出するつもりだった晴美が自力で脱出してきたのだ。あまりの幸運に心底驚いた。しかし、そのおかげで連夜は今日という日を迎えることができた。

 それとも、運命そのものが姉妹を再び結び付けようとしているのだろうか。そこに何か意味があるのだろうか。あるいは何者かが仕掛けた罠ではないのか。

 あまりにも都合が良すぎる展開であったため、連夜は今日まで玉藻に対し晴美のことを言わずに伏せてきた。かぐや達との激闘や、ミネルヴァの追放騒動、自分が負ってしまった大怪我。あの事件のことはほとんど全て玉藻に話した連夜であったが、晴美のことだけは話さなかったのだ。双方の気持ちをある程度確認し、晴美に裏がないことを確認するまでは二人を会わせられない。

 そう思って今日まで時間を延ばしてきたのだが。

 ともすれば思考の海に沈み込みそうになる連夜。そんな連夜の様子に気がついた玉藻は、あることに気がついて不思議そうに問いかけてくる。


「そういえば連夜くん、なんで晴美のこと聞いてきたの?」


 不可解そうな玉藻の表情に、連夜は困ったような表情を浮かべてぽりぽりと頬をかきながら玉藻の顔を見返す。


「あのとき。み~ちゃんと話をしているとき、玉藻さんが妹さんの名前を出したとき、すごい哀しそうな顔をしていたのがずっと気になっていたんですよ。その理由が知りたくて。すいません、踏み込んだこと聞いているのはわかっているんですけど」


「そっか、私そんな顔してたのか」


 連夜の言葉を聞いてから玉藻はコーヒーのカップで顔を隠すようにしながら飲んでいたが、やがて、それをテーブルの上に置いて連夜のほうを見つめると、あのとき連夜が見たのと同じ哀しい表情を浮かべて口を開いた。


「私ね、会って晴美に謝りたかった。あの娘に全部押し付けて、あの娘を身代りに自分だけあそこから逃げ出して、あの娘のことを忘れたふりをしてずっと知らん顔して生きてきて、ごめんねって、会って謝りたかったの」


「玉藻さん」


「ほんと、身勝手よね。今更ってわかってはいるのよ。私達が生まれ育ったあの霊狐の里では、生まれてきた子供はみな、消耗品でしかない。一部の老害どもに楽をさせるためだけに生まれ育てらる機械。兄弟姉妹はお互いのことなんとも思ってないし、あの娘の面倒なんて誰も見てなかったの。老人どもは勿論、本来世話を焼かなくていけない教育係どもも、面倒くさがって、必要最低限のこと以外はしなかったわ。そんなときたまたま手が空いていた私があの娘をみつけた。ひどい話だけど、あの子の世話をするようになったのは、ペットを飼うような感じで楽しかったからだと思う。ろくに娯楽もない場所だったから、そんなことでも面白かったのでしょうね。だけど、そんないい加減な感じの私に、あの娘はよくなついてくれてね。おねえちゃん、おねえちゃんってよく後ろをついてきてくれていたのを覚えているわ。やがて、私は長老達に認められて厳しい修行にさらされたけど、あの娘がいてくれたおかげでずいぶんと救われたわ。だけど、ほら、私って昔から常に反抗的だったからさ、長老達の中に私に嫌がらせをしてやろうって奴らが出てきたのよ。あの娘を私から離してしまったわ。あのくそじじいや陰険ばばあども、あの娘がまだ年端もいかない子供で言葉の意味もよくわかってないのに、私にひどいこと言わせようとしてね。あのときは悔し涙が止まらなくてどうしようもなかった」


 苦々しげに言葉を吐き出す玉藻に、連夜はぽつりと呟くように聞いてみた。


「ひどいこと言った妹さんのことは、恨まなかったんですか?」


 連夜の言葉を聞いた玉藻は、きょとんとして連夜を見返す。


「ううん、どうして? あの娘は何も悪くないじゃない。悪いのはあのくそじじいやばばあどもだし。むしろね、私、あの娘にはほんとに悪いことしたと思ってる」


「どうしてですか?」


 不思議そうに聞いてくる連夜に、玉藻は本当に悲しそうに後悔の色を瞳に浮かべて呟いた。


「あの娘にとって、私は母親代わりだったと思う。自惚れだと思ってくれてもいいよ。でも本当にそうだったと思うの、その私があの娘を捨てて自分だけあの地獄を抜け出したのよ。自分がかわいいばっかりに」


 玉藻は遠い日を思い出しているのか、しばらく視点の定まらない瞳で宙を見ていた。

 連夜は黙ってその姿を見続けていたが、やがて玉藻は視線を連夜にもどし言葉を紡ぐ。


「今、霊狐の里がどうなっているかはわからない。でも、未だにあの里で作られている丸薬がスーパーに並んでいるところをみると、まだあの里は健在なんだと思う。そうなると私の身代わりになった晴美は、今もあの老害どもに相当ひどいめにあわされていると思うの」


 玉藻は、連夜を強い意志の宿る視線で見つめた。


「お願い連夜くん、もし、ほんとに人捜しが得意な知り合いがいるなら紹介して。私、どうしてももう一度、晴美に会いたい。会って、一言でいい、謝りたい。許してくれないだろうけど、それでも謝りたいの。見捨てて逃げだしてごめんねって、辛い思いをさせてしまってごめんねって。あ、れ、れ、連夜くん? 私の話聞いてる? もしもし」


 玉藻が気がつくと、連夜はなぜか横向きになって座っており、ひどく優しい表情で自分の寝室の襖を見つめ続けている。

 不審に思った玉藻がそちらに注意を向けると、そこから誰かのすすり泣く声が聞こえてくるのだった。


「れ、連夜くん?」


 もう一度恋人に声をかけると、恋人は玉藻のほうに向きなおりなんともいえないいい笑顔を見せた。


「ねえ、玉藻さん、その言葉をもう一度ご本人に聞かせてあげてもらえませんか?」


「え? 本人?」


「はい、晴美ちゃん、本人に」


 呆気に取られている玉藻にもう一度笑顔を向けると、連夜は立ち上がって襖をすっと開けた。

 すると、そこには緑色の特殊魔力気配遮断ハインドマントを中学校の制服の上に羽織った、中学時代の自分そっくりの少女が、涙をぼろぼろと流しながら座っている姿が見えた。


「お、おねえちゃ、わ、わたし」


 溢れる涙と込み上げてくる思いでうまく言葉が出せないでいる少女を、しばらく呆然と見つめ続ける玉藻。

 そうして、銅像のように固まっていた玉藻だったが、すぐ横にいる連夜のほうに視線を移すと力強く頷いている姿を見て、ようやく夢ではないことを悟る。


「は、晴美? 晴美なの!?」


 そう言ってよろよろと立ち上がった玉藻は、少女に近づいていきその前に座ってその小さな手を握る。


「お、おねえちゃ、わ、わたしも、ずっと、あやま、りたかった、ひどいこと、いっちゃっ、た」


「晴美」


 しゃくりあげながら必死で謝ろうとしている小さな妹を、自分自身も涙を溢れさせながら見つめていた玉藻は、そっと妹の小さな体を万感の思いを込めて引きよせて抱きしめた。


「馬鹿ね、そんなこと気にしてないわよ。ずっと、ずっと会いたかったわ、晴美」


「お、おねえちゃん。ごめん、ごめんなさい」


 ひしっと抱き合って涙を流して号泣する二人をしばらく眺めていた連夜だったが、そっとその場を離れようとした。

 それに気づいた玉藻が慌てて声をかける。


「れ、連夜くん、どこに行くの?」


 いたずらを見つかった子供のような表情で振り返った連夜は、バツが悪そうに言い訳するのだった。


「飲み物買ってきます。買っておくの忘れていたもので、えへへ」


 自分達姉妹を二人きりにするために言ってくれていることはわかっていたが、なんとなく悔しくてちょっとすねたような顔と口調になる玉藻。


「連夜くん、ちゃんと帰ってくるのよね?」


「勿論です。夕御飯一緒に食べるって約束したでしょ?」


「わかった。でもそのときにこのことについてちゃんと説明してもらいますからね。いいわね」


「はい、わかりました」


 物凄く怖い顔でそう言ってくる恋人に、神妙な顔で返事した連夜はそそくさとそこから離れ本当に飲み物を買うために玄関に向かう。

 そのとき、再び自分を呼ぶ声がして、連夜は怪訝そうに振り返った。

 すると、そこにはなんとも言えない幸せそうな優しい笑顔を自分に向けてくる玉藻の姿があり、そして、連夜の耳に恋人の甘い声が聞こえてきたのだった。


「連夜くん。ありがとうね」


 連夜は本当に嬉しそうな笑顔を恋人に返し、今度こそ玄関から出かけて行った。

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