第三十八話 『戦士たちの宴』
(なんだ、こいつは!?)
間断なく繰り出されてくる嵐のような蹴り技の連撃。
前蹴り、横蹴り、回し蹴り、ローキック、回し下段、いったい、どうやったらこんなに矢継ぎ早に隙なく蹴りを繰り出すことができるというのだ。
『竜刃』と呼ばれた自分がここまで一方的に抑え込まれることなど、今まで数えるほどしか経験したことがないKは、目の前の強敵に戦慄を覚えずにはいられなかった。
時刻は真夜中零時。
いつものように自宅のすぐ側にある森の中、武術の鍛練を月の光の下で行っていたKだったが、突如現れたアーミールック姿の人物の襲撃を受けて、なし崩し的にそのまま戦闘状態に入ったわけだが。
強い。
ともかく強い。
今まで何人もの強者と手合わせをしてきたKだったが、ここまで純粋に強い人物は数えるほどしかやったことがない。
最近手合わせした人物で言うなら、Jなどがそうだが、彼の場合強くはあっても決して巧くはない。
武術を心得てはいるものの、その戦法は回避など考えないがっつり防御を固めてのカウンター。非常に不器用な戦い方で、この目の前の人物とは違う。
相当な武術の腕前だし、何よりも明らかにかなりの実戦をこなしてきたものの、動きをしている。
攻撃は最大の防御であるという言葉があるが、まさにそれを実践してみせている。
途切れることのない流れるような連続技で、Kに一発の反撃も許さない。
普通、蹴り技主体となると、どうしても大ぶりとならざるを得ず、そこには必ず隙が生まれるものであるが、この目の前の人物の蹴り技は、繰り出す一撃一撃が次の技への布石となってつながっており、迂闊に反撃でもしようものなら、その一瞬の隙をつかれてとんでもない大ダメージを食らいかねない。
今のところ防戦に専念しているために致命傷らしい致命傷は一発も食らってはいないが、全て避け切っているわけではなく、ガードしている上からガリガリと自分の体力を削られていっていることを肌で感じている。
一応、反撃しようと思えば反撃することは可能だ。Kとて並みの武術家ではない。いくら相手が強敵であると言っても、一撃すら入れられず負けるほど自分は弱くない。
しかし、どのように反撃するかが問題だ。一番簡単なのは、相手の攻撃をわざと受ける覚悟でカウンターを入れる。これから確実にダメージを入れることができる。だが、綺麗な一撃をもらわなくてはいけないのが、どうにも業腹で、踏ん切りがつかない。
逆に一番理想的なのは、相手の一撃を交わしてからのカウンターだ。義兄弟のFが得意とするところの攻撃方法であるが、残念ながらこの方法は諦めざるを得ない。
目の前の人物の流れるような動作の中に無駄な動きは一切ないからだ、むしろ、Kの動作を徐々に把握してきているのか、攻撃箇所が段々正確になってきている気さえする。
これだけ嵐のような攻撃を続けていれば、スタミナも切れるのでは?
そう考え、反撃の糸口を探ることを諦めて相手のスタミナを切れることを狙ってみる作戦に変更してみるが、一向にその気配がない。
ちらっと目の前の人物の顔に視線を向けると、迷彩色のアーミーキャップの下に、薄い笑みが浮かんでいるのが見えた。
その顔の色は異様なほど白く、帽子のつばで目元は見えないが、顔の下半分に見えている口は、耳元まで裂けており、ズラリと並んだ鋭い犬歯、そして濡れ濡れと光る真っ赤な口の中が妖しく見え隠れしている。
(狐顔。いや、キツネ。そうかキツネだ!!)
何かを思い出したKがちらと、その人物の腰のあたりに目をやると、そこからはふさふさとした金色の毛に覆われた三本の狐の尻尾が伸びているのが見えた。
Kは地面を転がるようにして相手の蹴りを潜り抜けると、その一瞬に地面から掴んだ土を相手の顔面にすかさず投げる。
じゃっという音がして、一瞬相手が怯んだ隙を見逃さずKは相手との距離をあけて立ち上がり、再び構える。
そして、相手を油断なく見つめながら口を開いた。
「奇襲とはなかなかやってくれるな、如月 玉藻」
「・・・」
「かつて御稜高校に、連夜の実姉、ミネルヴァ・スクナーと共に君臨し、不良達を恐怖のドン底に突き落とした最強にして最凶の伝説の風紀委員長。『暴走する正義の味方』、『悪食う悪』、『白い悪魔』、あまりの強さゆえに数々の二つ名を残したおまえの武勇伝については連夜達から聞いて知っている」
上半身には迷彩色のアーミーキャップ、アーミージャケットとその下には黒い鎖帷子、下半身はアーミーパンツ、そして、黒い軍用ブーツに身を包み、その少し大きめの服装の上からでもわかる出るところが出て、ひっこむところがひっこんだ抜群のスタイルを誇る目の前の女性に向かって、Kは不敵な笑みを浮かべてみせる。
「で? 今日はこの前の決着をつけに来たというところか?」
Kに正体を見破られたアーミールックの襲撃者である玉藻は、片手で帽子を取ってぽりぽりともう片方で手で頭をかくと、もう一度目深に帽子をかぶり直した。
「確かにそれもあるけどね。今日はもう一つ理由があってここに来たのよ」
バツが悪そうに言う玉藻の姿に、Kは怪訝な表情を浮かべて見せる。
「もう一つの理由?」
「ある人達からあんたに武術を教えた師匠の名前を聞いたのよ。それが私の知っている人と同一人物かどうか確かめたくてね」
「『どぶろく斎』師匠のことか?」
あっさりとその名前を口にした目の前の大男に、玉藻はますます渋面を作る。
「それって、四六時中酒ばかり呑んでいる化け狸族の人格破綻者のどうしようもないエロじじい?」
「・・・」
「・・・」
「・・・まあ、人の見方はそれぞれだが、確かにあの師匠にはそういう側面がなかったわけではないな」
口にするのも嫌だとばかりに吐き捨てられた人物評に対し、Kはなんとも言えない複雑な表情で消極的な肯定を示す。二人はしばし同じような表情で睨みあった後、ほぼ同時にため息を吐き出した。
『どぶろく斎』
玉藻とKの武術の師匠であり、恐るべき超格闘術『頂獣技牙』の創造者。
化け狸族の老人で、二人とも正式な年齢は知らない。しかし、少なくとも百歳を下ることはないと玉藻は見ている。姿形は直立した狸そのもの。季節に関係なく常に作務衣を身に着け、足には雪駄。全身を覆う獣毛はこげ茶色だが、髪や眉毛、ひげは真っ白。体格はニメトル近い大男のKですら見上げるほどの巨漢であるが、武術家とは思えない肥満体型の持主。ただし、気持ち悪いくらい凄まじいスピードで動くことが可能。
年がら年中浴びるように酒を飲んでおり、大概泥酔して寝ている。起きているときは、エロ本を読んでいるか、いかがわしい風俗店にいっているかのどちらか。
玉藻もKも知らないことだが、二人に武術を教えたのは完全に気まぐれ。二人の隠れた才能を見抜いてとか、運命的な出会い故にとかでは決してない。
凄まじい反骨心の持主であるひねくれた玉藻と、人の言うことをいちいち真に受ける真面目なK。
全く性格の違う二人であったが、『どぶろく斎』にとってはどちらも同じ。
からかって遊ぶのに、ちょうどいいと思われて目をつけられてしまったのだ。一応、『どぶろく斎』は超一流の武術家であった為、普通では絶対に手に入れることができない力と技を二人は会得することができたが、その代償としてとんでもない目にあわされることとなった。
玉藻には連日にわたるセクハラとエロ攻撃。Kには意味のある修行の合間に、全く意味のないお笑い芸の修行。
それぞれ出会ったときの時期も、その出会い方も違っていたが、良く似た修行時代を送っていたのであった。
「まぁ、あんたもあのじじいに苦労させられたんだってことだけはよくわかったわ。それで、やっぱりあんたもそうなの?」
「何がだ」
「とぼけないでよ。あんたの使ってるその武術も『頂獣技牙』なのかって聞いてるのよ」
再び睨みあう二人。しかし、今度はKの方が先に口を開いた。
「その言い方だと、おまえの使ってる武術も『頂獣技牙』ってことになるな」
「やっぱりね。でも、私はあんたが使ってる技のどれ一つとして見たことがないわ」
「俺もおまえの使ってる技は一つとして知らん」
「だけど私はあのエロじじいから『頂獣技牙』の免許皆伝をもらってるわ」
「奇遇だな、俺も師匠から『頂獣技牙』の免許皆伝をもらってる」
なんとも言えない沈黙。二人とも相手が嘘を言っていないかを探り合うようにして互いの瞳の中の光を見つめる。しかし、そこに一片の曇りもみつけられない。
「嘘を言ってるわけじゃなさそうね」
「おまえもな」
「どういうことよ。あのエロじじい、私達に技の全てを見せたんじゃなかったの?」
「なかったんだろう」
「あっさり受け入れるのね」
「俺は薄々感づいていたからな。師匠は手合わせの最中、時折俺が教えてもらったことのないような動きを見せることがあった。若い頃道場破りを繰り返して他流派の技を盗んでやったと自慢気に仰っておられたから、最初は、その奪った技を使っていたのだろうと思っていたが、おまえの使っていた技の中にそれらしいものを過去に見たような気がする」
歯ぎしりして悔しがる玉藻とは対照的に、Kは特に憤る様子もなく平静を保ったまま話を続けていく。それどころか彼は嬉しそうにニヤリと笑みさえ浮かべて見せた。
「そうか。やはりまだ『頂獣技牙』には更なる底があったか。ならばやはり、東方に赴いて是非とも師匠を探し出し、教えを乞わねばなるまい」
「そうか。やっぱあんた、そのために東方に行くつもりだったんだ。あんた、あのエロじじいと同じで、根っからの武術馬鹿だね」
片方は肉食獣の笑みを浮かべ、もう片方は呆れ果てたといわんばかりの表情を浮かべる。
そんな二人の間を風が流れていく。
真夏の夜の熱風。
二人は同時に天を仰ぎ空を見る。そこにあるのは美しい真円を描く黄金色の満月と無数の星々。しばしの間そんな夜空を見つめていた二人であったが、同時に顔を戻す。
ドンッという音が響きわたり、足を踏みしめて構えるKの足元の地面に円状にひびが入る。
Kの構えを複雑な表情で見ていた玉藻だったが、しょうがないという風に溜息を一つつくと、再び半身に構えて戦闘態勢を取る。
「正直、確認したいことはもう確認しちゃったから、もうやる必要はないんだけどね。でも、それじゃあ、あなた納得できないのよね。まあ、しょうがないか、先に仕掛けたの私だしね。相手してあげるわ。ただし、怪我しても知らないわよ、私手加減って苦手なの」
「手加減か、しなくていい。いや、悪いことは言わん。そんな気持ちは捨てておけ、でないと怪我をするのはおまえのほうだぞ」
睨みあう二人。
月と星の光しかない薄暗い森の中で対峙する二つの影。
先に動いたのは玉藻だった。
神速の踏み込みで一気にKとの距離を詰めた玉藻は、その足刀をKに叩きつけようとする。
しかし、じゃっという音ともに下から上に向けて跳ね上げられた玉藻の足は、いつのまにか、左へと大きく流されている。
「っ?」
玉藻の垂直に蹴りあげられた足は、Kの手刀によって薙ぎ払われていたのだ。
一瞬己に起こった事態が飲みこめず、反応が遅れる玉藻。だが、瞬時に態勢を整え直して左に流れた足を再び大男のほうへと向け直すと、天高く跳ねあげられた足を、今度は斜め下に向かって振り下ろして襲いかかる。
今度こそ避けられない一撃。勝利を確信しての必殺の変形カカト落としは、しかし、わずかに身体を横にずらすだけで避けてみせるK。またもや自分の必殺の一撃が避けられたことに玉藻は驚愕の表情を隠せない。内心で強烈な舌打ちをならしながらも、玉藻はそれを口の中で押しつぶして再度攻撃に集中する。途中まで振り下ろされていた足をKの腹の位置くらいまできたときに急にその軌道を変えさせる。ありえない角度に曲げられた玉藻の足がKを横薙ぎに襲う。
「ぐうっ!!」
三度目の正直。今度こそ相手を捉えた。そう思ったの一瞬だけのこと。玉藻の蹴り足はKの右肘と右ひざに挟み込まれるようにして止められていた。
本来『頂獣技牙』にはない技。他流派の技である。
Kは『頂獣技牙』のみを会得しているわけではない。使い慣れている『頂獣技牙』を多用するため、基本的には手技を使うことが多いが、時と場合によってはこういう技も使うことができるのだ。
「蹴り足挟み殺し」
完全に極まっていた。相手の最大の武器である蹴り足を折った。これで勝負は決まった、Kは完全に己の勝利を確信したが、そうは問屋がおろさない。軸足に使っていたもう一方の足をKの延髄目掛けて飛び上がるように叩きつけてくる玉藻から、Kは玉藻の蹴り足を離して転がるようにして逃げる。
お互い、身体を大きく横へと転がせながら距離をとり立ちあがる。
「折れてない。随分頑丈な足だな」
「鍛え方が違うのよ。っていいたいところだけど、運がよかっただけよ」
そう言って大きめのアーミーパンツをたくしあげて見せる玉藻。そこには銀色の光を放つレガース。
「そうか、連夜特製のレッグガードか。例の『貴族』クラスの『害獣』の鱗でできた奴だな。どうりで壊せぬはずだ」
渾身の必殺カウンターを受け止めた恐ろしい性能の防具の存在にKは苦笑を洩らす。だが、言われた玉藻のほうは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべてみせる。
「まさか卑怯だとか言わないでしょうね」
「言わんよ。俺も使ってるからな。ちなみに俺は小手がそれに当たる。注意しておけ」
「はっ、礼は言わないわよ」
「いらん。気持ち悪い」
「なら、遠慮なく」
あれだけ鉄壁の防御を見せつけられたにも関わらず、玉藻は再び果敢にも前へと出ていく。
ワンステップからの前蹴り。片腕でその蹴りをガードするが、蹴りの威力を殺し切ることができずなかったKは、後方へ向けて吹っ飛んでいく。
そんなKを不思議なステップで追いかけてきた玉藻は、再度前蹴りを放ちさらに吹っ飛ばそうとする。
しかし、一瞬早く態勢を立て直したKは、その前蹴りを前進しつつかわして玉藻の懐に飛び込むと、猛烈なタックルをくらわしにかかる。
完全にとったとKは思ったが、玉藻の身体を掴もうとした瞬間、額に強烈な衝撃を感じて身体ごとのけぞってしまう。
自分がカウンターの膝蹴りを食らったと朦朧とした頭で認識したときには、Kの目には、自分よりもはるかに低い身長の玉藻が自分よりも高い目線に背中を向けているのが映っていた。
ぼんやりとなんだこれはと、頭が事態を把握しようとするよりも早く、Kの身体が渾身の力で正拳突きを放っていた。
次の瞬間、玉藻の恐るべき高さの旋風回転脚と、Kの正拳突きとかが交錯する。あたり一面に響きわたる肉を打つ鈍い音。狙っていたのか、それとも偶然か。競り勝ったのはKのほう。玉藻の旋風脚に拳を合わせて叩き潰したのだ。今度は玉藻が吹っ飛ばされる番。またもや連夜特製のレッグガードのおかげで脚に損傷を受けることはなかったが、盛大にその場から吹っ飛ばされていく。また、Kとても無傷だったわけではない。無理な体勢で拳を放った為、転倒を免れず、受け身をとるだけで精一杯。
両者共に変な態勢で地面へと着地してしまったせいか、すぐに立ちあがることができない。
そんな時であった。
二人の間に何者かが飛び込んでくる。
明らかに二人よりも小柄な影。それは近くにいるKではなく若干遠くに位置する玉藻に向かって突進していく。玉藻はその乱入者を瞬時に敵と判断して、ヘッドスプリングで立ちあがり構える。そして、予備動作なしから巻きつくようなハイキック。美しいフォームで繰り出されたそれは、乱入者の後頭部を正確に狙う。
確実に決まった。
玉藻はそう確信した。
だが。
突如二人の間に飛び込んできた小さな影は、目にもとまらぬ速さで裏拳を放ち、玉藻のハイキックを跳ね除ける。
思わぬ攻撃にバランスを崩した玉藻はとんぼ返りで一旦距離を取り、謎の乱入者に対して油断なく身構える。
その人物は見るからに整った肢体を御稜高校の制服である紺色のブレザーとスカートで包み、スカートの下には黒いスパッツを着用、美しく長い黒髪を後ろでまとめてくくり、その頭からは途中で切断面が見えている角が二本。
薄暗い中でもわかる黒々と光る大きな瞳に厳しい色を湛えてこちらを睨みつけ、腰を落として半身に構え戦闘態勢を取っていた。
「兄上、抜け駆けはずるいですぞ。それはわらわの獲物でございます」
声をかけられたKは、自分の目の前に立つ人物がすぐに判別できず、しばしの間暗闇の中を目を凝らす。
そして、その人物が何者なのかわかった瞬間、なんとも言えない憮然とした声を出したのだった。
「姫子か」
Kのなんともいえぬ不満に満ちた声を聞いた姫子は、ちょっと振り返ってニヤリと笑ってみせる。
それはKが子供の頃によく見た、やんちゃなガキ大将だった頃の笑みだった。
「どうしておまえがここにいる」
「それはないでしょう、兄上。かぐや達との決着に私を置いていったばかりか勝手に始末をつけて、しかも、何の説明もしてくださらないと来てる。しょうがないから、こっちからお話をお伺いに参った所存。なのにご自宅に参上してみれば、兄上はおられず、世話役の者達から森の中で鍛錬されているとの情報を得て、険しい獣道をえっちらおっちら歩いて来てみればこの状態」
素っ気ない実兄の声に、流石の姫子も笑みを渋面へと変えて呆れた様子で言葉を紡ぐ。
それに対しKは、なんとも困った表情を浮かべて見せたが、結局また、似たような渋面を浮かべて軽く手を振って見せる。
「確かにお前はかぐやの件の顛末について聞く資格があると思うが、とりあえず、後回しにしてくれないか、見ての通り取り込み中だ」
「いやいやいや、それはないですよ、兄上。そこの女狐とは連夜のことできっちりとつけなくてはならない話があるのです。申し訳ありませんが、今回ばかりは譲っていただきますぞ」
「ならんと言うに。俺にもこの女に大事な用があるのだ。邪魔をしてくれるな」
「兄上のほうが邪魔をしてなさる」
「後から来たおまえが何を言うか」
「兄上引きなされ」
「おまえが引け」
「「むむう」」
一歩も引くものかと睨みあう二人を、しばらくの間呆れたように見つめていた玉藻であったが、やがて、烈火の如き怒りの表情を浮かべて吠える。
「ああ、もう、面倒だから二人まとめてかかってきなさい。あんた達雑魚が何人向かってこようとも、私は負けない」
ざっざっと足もとの土を片足で払い、再び構える玉藻の姿。
今度は二人が呆れる表情を浮かべる番であったが、しかし、二人はそれ以上言葉を紡ごうとはせず闘気を練り始める。
二人ならば二人の戦い方がある。
それはそんな単純なことで、両者はよくわかっていたはずだったが、片方はそれを思い出し、片方は完全に失念してしまっていた。
「いいのか? お主相当不利になったぞ」
「雑魚が一匹増えたくらいどうってことはないわよ。それにね、龍の小娘。あんたが今本調子でないことはとっくに知ってるのよ」
「ほう。連夜から聞いたか」
「やっと自分の分身体から本当の体を取り返したらしいじゃない。そんな病み上がりの体でよくもまあ私に挑んできたものよね。それについては褒めてあげるわ」
「いらぬ。気持悪い」
「いやな兄妹ねぇ。まるっきり同じこと言うんだから。それにしてもあんた口調がこの前と変わってない? この前はお嬢様口調だったのに、今はお武家のお姫様口調?」
「いろいろあるんじゃよ」
玉藻の鋭いツッコミに、本当に嫌そうな表情を浮かべる姫子。姫子とて、この口調は本意ではない。しかし、長年彼女の分身体は、『龍乃宮 姫子』としてこの口調で過ごしてきた。いくらようやく体を取り戻して本人に戻ったと言っても、周囲の者達は今までの分身体を本人と信じている。周囲から余計な詮索をされないためにも、そのまま自分が今までの『姫子』として過ごしたほうが良いと考え、その口調をそのまま受け継ぐことにしたのだった。
「と、ともかく、私の口調はどうでもいいですわ。じゃなくて、どうでもいいのじゃ」
「油断するとブレまくるわねぇ」
「う、うるさいっ。ともかく、私はもう本来の自分の力を取り戻している。いや、むしろ、これまで以上に強い力を発揮することができる。長年の不遇時代に力のコントロールの仕方を嫌というほど学んだからな。大口を叩いたことを後悔するなよ」
玉藻と同じような半身を構えを取る姫子。そして、そのやや後方では彼女の兄が拳を握りしめていた。
「一度だけ聞いておく。いいんだな」
「くどいわね。いいからさっさとかかってこい」
「わかった。ならば遠慮はせん。望み通り二人でお相手しよう。姫子いくぞ」
「委細承知じゃ、兄上」
まだ陽は昇らない。
闇が今しばらく支配するこの空間で、一番最初に動いたのは姫子だった。
Kの使用する戦闘歩法と似たような動作で一気に玉藻との間合いを詰めると、予備動作もほとんどない腰の入った正拳突きを繰り出す。
ほとんど無駄な動きがなく放たれたそれは、まっすぐに玉藻の体に吸い込まれようとしたが、不意に玉藻の身体が姫子の視界から消える。
そして、それを目で追おうとした次の瞬間、自分の足元でガンッという何かを止めるような音が姫子の耳に響いて下を見ると、しゃがみこんだ玉藻の水面蹴りをいつのまにか移動してきたKが、繰り出した拳で止めているのが映った。自分の攻撃を止められた玉藻はすかさず逆の足で、Kの足を払いにかかるが、今度はそれを姫子の足が蹴り飛ばして防ぐ。
両足の攻撃を止められてかなり不自然な態勢でいる玉藻に、躊躇うことなく一気に攻撃を仕掛けようとする二人だったが、玉藻は慌てることなく地面に両手を突くと、ばねのように飛び上り、倒立のような状態で回転しながら両足を開き、Kと姫子を蹴散らそうとする。
姫子は咄嗟に十字受けでその攻撃を凌ぎ、Kは繰り出された足を流しながらがら空きになった胴体目掛けて拳を突き出そうとしたものの、姫子の体が微妙に邪魔となって肝心の一歩を踏み出すことができなかった。
結果、両者態勢を立て直すのに若干の時間を取られてしまい、そのときには玉藻は立ち上がって再び戦闘態勢を整えてしまっていた。
「流石、如月 玉藻、強いのう」
「どうやら、あいつが会得している『頂獣技牙』は継ぎ目のない流れるような連続攻撃が基本となっているらしい。カウンター主体の俺とは全く違う武術だな」
「なるほどぉ。って、ちょっと待ってくださいませ、お兄様。如月 玉藻はお兄様と同じ武術を会得しているのですの?」
「らしい。体系は全く違うがな」
「体系が違うって。それなら違う武術なのでは?」
「師匠が同じだ。恐らくあの狐と俺は同門で間違いあるまい」
「そ、そんな」
あまりの衝撃的事実に元の口調に戻ってしまっている姫子。そのことに全く気がつかぬまま、目の前に立つ美しい武人に視線を向ける。相手が使うのは足技のみを使用する特異な武術。そう考えた時、脳裏にそれとよく似た武術があることを思い出す。
「そういえば、お兄様が使う武術は手技のみでしたわね」
「まあな」
「つまり、お兄様と狐の師匠という人は、手の技だけをお兄様に、足の技のみをあの女狐に教えたってことですの?」
「そうなるな」
「『そうなるな』って、そんなあっさり」
あまりにも淡白な兄の反応に、思わず天を仰いでしまいそうになる姫子であったが、今が戦いの真っ最中であることを思い出して集中し直す。
「と、ともかく、詳しい話はまた後でするとして、お兄様。じゃなくて、兄上、そろそろ仕掛けようと思いますが、よろしいですかな?」
「よかろう。おまえと一緒になって暴れるのは久しぶりだが、忘れてはおらん」
「よかった。では、参りますぞ」
どうやら相談はまとまったらしいと見て、玉藻は片手でくいっくいっと手招きをして挑発してみる。
そろそろ玉藻自身も飽きてきたころだったので、次で決めてしまうつもりだった。
目の前の二人が何をどうするつもりか知らないが、必殺のトドメの業というものは、何も自分達だけが持っているものではないのだということを教えてやるつもりだった。
アーミーキャップの下で、玉藻の顔が『人』の顔から狐のそれに変わる。
愛しい連夜にすら見せたことのないその顔は、真っ白というにはあまりにも虚無に満ちた白さを持ち、耳まで裂けた大きな口からは簡単に肉を引き裂き食いちぎることができるであろう恐ろしいまでに鋭い犬歯が並び、何よりもその目深にかぶったキャップの下にある目は、血の色そのものといわんばかりに不気味に赤く光っている。
玉藻はこの自分の姿が嫌いだった。
霊狐の里の伝説にある最強の悪狐『金毛白面九尾の狐』そのものの自分の姿が。
だが、これも自分であった。
いくら否定しようとも、戦うたびに浮かび上がってくるこのおぞましい顔。
この今の時間を象徴するかのような闇の中に沈む自分の最も醜い暗黒の部分。
否定しても逃れられないならば、受け入れるしかない。
そして、コントロールするしかないのだ、己のために。
(大丈夫、私はまだ大丈夫だ・・・己を見失ってはいない)
圧倒的な破壊的衝動に襲われながらも、玉藻は冷静に自分を見つめその力を制御する。
ギラリと視線を目の前の二人に合わせ、闘気を噴出させる。
それを合図にするかのように、まず、Kが飛び出して来た。
Kにとって絶妙な間合いで飛び込んでくるが、それは玉藻にとっても同じこと。
むしろカウンター狙いの玉藻には、絶好のチャンスですらある。
動きに合わせ、利き足でのミドルキックをがら空きの腹に叩きこもうとするが、飛び込んでくるという動作しかしてなかったのか、あっさりと防御を間に合わせて防いでしまう。
「重くはあってもそれだけだ」
面白くなさそうにごく間近で呟く大男の武人に対し、玉藻は次々と蹴りの連打を叩き込む。
ムチのように身体全体をしならせた蹴りは、容赦なく防御の上からKの体力を削っていく。だが、そんなことは気にしていないのか、Kは防御に専念し玉藻の攻撃をさばき続ける。
そのとき不意に玉藻は悟る、この目の前の武人は陽動にすぎないことを。
真の敵は、小娘のほう
一瞬早く、その動きに気がついた玉藻は、すでに迎撃の態勢を整えていた。
Kが身体を沈ませるのと同時に、その上半身が沈んでできた空間から龍の少女の美しい飛び蹴りが玉藻めがけて矢のように飛んでくる。
いいコンビネーションだった、しかし、ほんのわずか玉藻のほうが上手だった。
無造作に突き出した足の裏を、ガシッと姫子の飛び蹴りの足の裏にあわせて止める。
まだまだ甘いと、笑みを浮かべようとした玉藻だったが、止められたはずの姫子の顔に、嘲笑にも似た会心の笑顔が浮かび上がるのを見て一瞬動きを止める。
「わらわが本命と思ったのじゃろ? 残念惜しかったのう」
「なに、ぐ、ぐふぅっ」
「おおおおおおおおおおお!!」
Kはただしゃがんだだけではなかった。
姫子の動きに捉われた玉藻の隙を見逃さず、がら空きのどてっ腹に左の拳を叩きつけて動きを完全に止める。
咄嗟に腹筋を締めて凄まじい衝撃に耐え抜いた玉藻であったが、流石にすぐには回復できない。
不味い。
心の中で盛大に焦りつつも、必死に平静を保ってこの場から逃れようとする。しかし、それを逃してくれるような相手ではない。
大男の武人は、限界まで引き絞った右拳をもう一度玉藻の腹へと叩きつける。
「いっけえぇぇぇぇ、兄上ぇぇぇ!!」
「おおおおおおおお、とんでいけぇぇぇぇい」
雄叫びと共に繰り出された拳は玉藻の腹から胸、胸から顎を抉りぬくように上へとまっすぐ突きあげられ、玉藻の体は成すすべもなく上空へと飛ばされていく。
空白の時間が過ぎる。
時間にしてわずか数秒と言ったところだろうか。気がついたときには、腹から顎にかけて走る強烈な痛みと、なんとも言えぬ気持ち悪い浮遊感。
自分が空中に飛ばされているとすぐに自覚したのはよかったが、自ら飛んだわけではないので、成す術もなく木端のように舞い上がり空中で身体を制御することもできない。
地上では、その姿を目視しつつ二人の獣が特大の牙を剥き出しにして、襲いかかろうとしていた。
極限まで己の筋肉を増強させた大男の武人と、青い炎のオーラを噴出させた龍の姫。
(まずい!! まずいまずいまずい!!)
なんとかして打開策を練ろうとする玉藻だが、自由落下に入った状態ではもはやどうすることもできない。
迫りくる二匹の獣の咆哮が、己にこれから降りかかる運命を象徴していた。
(ごめん、連夜くん、死なないようにはするけど、心配はかけちゃう)
そう言って腕を自分の前で交差し、できるだけ身体を丸めた状態で防御と受け身の姿勢を取る玉藻。
しかし、玉藻は落下の途中、奇妙な光景を目にして戸惑う。
一瞬だが、上から下を見た時に公園の大きな木の影に、自分がよく知る人物の姿を見た気がしたのだ。
(え、うそ、まさか)
自分の見たものが信じられず唖然とする玉藻だったが、自分に近づいてくる強烈な殺気に気づいて考えることをやめ、衝撃に備える。
そして、そこには二匹の獣の一撃が待ち構えていた。
「参る、如月 玉藻!!」
「行って来い、姫子」
「兄上、お手を拝借」
「おうっ!」
組み合わされたごつい両手の上に姫子が足を乗せた瞬間、Kは全力で彼女の体を空中へと投げ飛ばす。
くるくると体を丸めながら玉藻を追い越して上空へと舞い上がった姫子は、途中丸めていた体を解きながら落ちてくる玉藻目掛けて右足を突き出し更に上昇。
必殺の一撃を乗せた飛び蹴りが、トドメとばかりに玉藻にたたき込まれる。
まさにその瞬間だった。
『ボンッ!!!!』
とてつもない轟音が公園中に響き渡り、攻撃に集中して完全に油断していたKと姫子はまともにそれをまとも聞くはめになった。
Kはたまらず地面を転げまわり、上空にいた姫子は態勢を崩してそのまま地面へと落下。なんとか受け身をとって衝撃を緩和したものの、すぐには立ちあがれない。
「くっそ、『轟音珠』か!!」
「むう、まだ仲間がいたのか!?」
なんとか頭を二、三度振ってはっきりさせると、Kと姫子は気丈にも立ち上がって戦闘を続行しようとする。
みると、九死に一生を得る形になった玉藻もすでに立ち上がっているのが見えた。
お互い再びにらみ合う。
しかし、その静寂を打ち破り、公園に飛び込んできた第三者が戦闘の終了を告げる
「あなた達やめなさい!! いったい何やってるの」
「タマちゃんも、Kも、姫子さんまで!! これはいったい何!? なんなのよ!?」
三人の間に飛び込んできたのは、三人がよく知る人物、ラミア族のリビュエーと、スフィンクス族のクレオ。
その後に続くように、Kの義兄弟達であるJやF、はるかやミナホ達御側衆の面々まで現れ三人の間に割って入っていく。
「おいおい、Kらしくない無茶苦茶ぶりだな、いったいなんだってこんなことになっているんだ?」
「姫様、昨日王妃様から言われたばかりではありませんか。病み上がりなのですから危ないことをするのはやめなさいって」
「タマちゃん、これいったいどういうこと? あんたが話をするだけだっていうからKの自宅の住所を教えたのよ。それも一緒に行くからっていったのに、トイレに行く振りして勝手に一人行ってしまうし。しかも、あれほど絶対に喧嘩はしないでねってお願いしたのに、なんでこんなことになってるのよ!?」
三者三様に怒られる形になり、それぞれが非常にバツの悪い顔で俯いて同じようにそっぽを向く。
後からやってきた面々は、お互いに顔を見合わせると、深く大きく溜息をつくのだった。
しかし、何かにはっと気づいた玉藻が、公園の中を見渡して何かを見つけたような表情を浮かべる。
そして、焦ったような顔でリビュエーのほうを向くと慌てて説明を始めた。
「とりあえず、確かめたいことは確かめたから、今日のところはもういいわ。そいつらがどう思ってるか知らないけれど」
「おい、自分から闇討ちしてきておいて随分な言い草だな」
呆れたような表情を浮かべるK対し、負けないくらい呆れた表情をKに向ける玉藻。
「あなたみたいなタイプの男って、正面から聞いてもこっちの質問に素直に答えないでしょ? こっちの力をある程度示してから確かめないとはぐらかされちゃう可能性があるものね。ちがう?」
玉藻の指摘に思い当たる節があるのか、Kは渋面を深くして返事を返そうとはしない。
自分の推理が間違っていなかったことを確認した玉藻は、リビュエー達に向きなおる。
「そういうことだったから、仕方なかったの。ごめんね、リビュエー、クレオ。勝手して本当に申し訳ない。悪いけど、私、これで失礼するわ。緊急で今すぐ行かないと取り返しのつかない事態に陥りそうでして、ああ、やばい、見失うかも。と、とにかく、今日は本当にごめんね」
「え、ちょ、ちょっと、タマちゃん!!」
呼びとめるリビュエーやクレオ達を振り切って走り出した玉藻は、呆気に取られているK達をその場に残し全速力で目的の人物の気配を追う。
霊狐族特有のハンターとしての能力で、一度感知した気配は正確にたどることができる。
公園を飛び出した玉藻は、明らかに最寄駅に向かっていると思われる気配の主を追って、閑静な住宅街の中を必死に駆け抜けていく。
道の両脇をかわいらしい花が咲く花壇で彩られたおしゃれな道を、観賞することもなくひたすらに走っていくと、やがて目的の人物と思われる背中が見えてきた。
やや、少し離れているが、構わずに大声でその名を呼んだ。
「連夜くん!!」
呼ばれた人物はその声に反応して、ちょっと立ち止まったが、すぐにスタスタと足早に遠ざかって行こうとする。
(ああああああああ、怒ってる!! すっごい怒ってるよおお!!)
もう背中から見てもわかるくらい強烈な怒気を噴出させている後ろ姿に、絶望で倒れ込みそうになる玉藻だったが、このままにはしておけないので、再び全力で走っていって追いつくと、後ろからガバッと半泣きの状態で抱きついて止める。
「連夜くん、ごめん!! ごめんなさい!!」
「知りません、もう」
涙声で謝るが、年下の恋人はひじょ〜に冷たい声で答えると、玉藻をずりずりと引きづったまま歩みを止めようとしない。
「あぁぁん、そんなこと言わないでよ、ほんっとにごめんなさいってば!! 心配かけさせるつもりじゃなかったの!!」
「別に怒っていませんし、心配もしてません」
「うそだああああっ、無茶苦茶怒ってるじゃない!! 連夜くん、許してよおおおおおおっ」
「許しますから、放してください。そして、もどって好きなだけ聞きたいことを聞いて、喧嘩をしてきてください。それから、しばらく僕のことは放っておいてください」
「いやいやいや!! 連夜くん、いやったらいや!! 私のこと見捨てるの? もう私のこと捨てちゃうの!?」
恥も外聞もなく泣き叫び出した玉藻の声に、ようやく歩みを止めた連夜は溜息をふかぁく吐きだした。
「ったくもう。なんで誰も彼も見捨てる見捨てるって。僕ってそんな薄情な『人』に見えているのか。まあ、否定はできないか、実際薄情者だし」
そう言って非常に憂鬱そうに後ろを振り返ると、自分の肩の上に頭を乗せて泣きじゃくってる恋人の顔を見る。
「本当に見捨てませんから、放してください。ちょっと一人になりたいだけなんです」
「ど、どうして一人になるのよ、なんで私が一緒じゃ駄目なの!?」
涙と鼻水をだらだら流しながら訴えてくる恋人の姿を見て、こめかみに片手を当てながら連夜は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「誰にも八つ当たりしたくないし、今の自分の情けない姿も見られたくありません。ここでは落ち着いて落ち込むこともできませんから、早く移動したいのです。ですから玉藻さんは僕を置いてリビュエーさん達のところに戻り、謝るなり、K達と決着をつけるなり好きにしてください」
「ダメ。絶対戻らない。いいもん、連夜くんが行きたいならどこでも勝手に行けばいいじゃない、私も付いて行くもん」
「子供ですか」
「どうせ私は子供だもん。言ってくれないとわからないもん。連夜くんがなんで怒ってるのかもなんで落ち込んでいるのかもわからないもん。言ってくれなきゃわからないもん。言ってよ、ちゃんと言ってよ、連夜くん」
そこまで言って両手で顔を覆って泣きだしてしまった玉藻の姿に、流石の連夜も表情を緩めざるをえなかった。
連夜はしばらくその姿を黙って見ていたが、やがて諦めたように口を開いて自分の想いを語り始めた。
「リビュエーさんから念話をいただいたときは本当に肝が冷えましたよ。まさか、リビュエーさんの口から『どぶろく斎』先生のことがばれてしまうとは」
「え? 連夜くん、知っていたの? ってか、あのエロじじいと知り合い?」
「ええ。先生とは結構長い付き合いをさせていただいております。今回のことさぞ驚いたでしょう」
「うん、まさかあいつ同門だったなんて。しかも、お互い教えられた技も違うし、お互いの存在自体も知らなかったし」
「なんせ、いたずら好きな人ですから」
「こうなるように仕向けたのは、やっぱりあの性悪狸かぁ。くっそぉ、なんて忌々しいじじいなのよ」
まんまと手の中で転がされたことを知ってしきりに悔しがる玉藻。そんな玉藻の姿を怒ったような悲しむような複雑な表情で連夜は見つめる。
「こうなるってわかっていたので、もっと早くに打ち明けるつもりだったんです。でも、打ち明けることで逆に闘志を燃やされても困るし」
「ああ、うん、多分、打ち明けられても結局はあいつとやりあったでしょうね」
「それだけはどうしても避けたかった。ご存知のように僕には戦闘能力がほとんどありません。玉藻さんとKが本気で命のやり取りを行っていたら、止めたくても止められなかったでしょう。あの危ういバランスの戦いの中に僕のような中途半端な力しか持たない者が、不用意に横やりを入れたらどうなるか。僕みたいな素人にでも容易に想像がつきます。だから、今日ほど自分が無力だと感じたことはありません」
がっくりと肩を落とし顔を俯かせる連夜は、非常に小さく見えた。
「で、でも、最後には私を助けてくれたじゃない」
「あれだって、ギリギリでした。Kと姫子ちゃん両方共に行動不能になってくれなければ意味なかったですしね。結局は運に助けられました。もし、あれが不発に終わっていたらと思うと。想像することすら恐ろしいです。血まみれで倒れる玉藻さんなんて見たくない」
自分の想像ですら心を凍らせるようで、連夜は自分の両手で自分の身体を抱きしめる。
「玉藻さんは僕が怒ってると言いましたね。確かに、怒ってます。不甲斐無くて情けない自分に。さっきまで玉藻さんに当たっていたのはただの八つ当たりです。みっともないでしょ?」
そういって自嘲気味に笑ってみせると、連夜は玉藻に背を向けた。
「だから一人で反省会してきます。大丈夫、すぐ元の僕に戻りますから、ちょっとだけ目を放していてください」
そうして再び歩きだそうとする連夜。
しかし、その手をガッと玉藻の腕が掴む。
「連夜くん、行っちゃダメ!!」
「玉藻さん?」
連夜が振り返ると、涙目になりながら物凄く怒った表情の玉藻がいた。
「どうして? どうして一人で解決しようとするの? 一人でなんでも解決できるなら私なんかいらないじゃない!! 私に八つ当たりしてよ!! 私に文句言ってよ!! もっと私に甘えてよ、連夜くん」
「で、でも」
戸惑う連夜を玉藻は無理矢理引っ張ると、力づくで自分の腕の中に抱きしめる。
「いつか言ったよね、連夜くんは私のものだって。連夜くんの全てが私のものよ、その悩みだって苦痛だって怒りだって私のものよ、勝手に連夜くん一人だけで使わせないんだから!!」
涙声でそう宣言する恋人の温かい言葉を聞きながら、連夜は、あ〜やっぱりこの人には勝てないんだなぁと思い、苦笑を浮かべる。
しばらく黙って恋人の温かい腕の中に浸っていた連夜だったが、やがて無反応なままの年下の恋人が気になるのか、玉藻がちょっと腕の力を緩めて腕の中の連夜を覗き込む。
「れ、連夜くん、ちゃんと私の話聞いてる?」
不安そうな表情を浮かべる年上の恋人を、何といえない苦笑を浮かべて見返す連夜。
「聞いてますよ・・玉藻さんって男の趣味悪いなぁって考えてました。あまり女々しい男好きになっちゃだめですよ」
「別にいいの、連夜くんは。それよりもどうせ連夜くん、今現在進行形で夏休み真っ最中なんでしょ? 反省会するならとことん付き合ってあげるから、ついて来て」
「え、ほんとにみんなのところにもどらないでいいんですか? それにリビュエーさん達と大分飲んでいらっしゃったんじゃ?」
「体の中のアルコールなんてさっきの戦いで全部抜けちゃったわよ。それに私には連夜くんのほうが大事なの。さあ、行くわよ、連夜くん」
「なんか立場変わっちゃってる気がするけど。まあ、いいか。どうせ、僕、玉藻さんには勝てないし」
「なんか言った、連夜くん?」
わざとらしく白い目で睨みつけてくる玉藻に、連夜は心からの笑みを浮かべて言った。
「はい、やっぱり僕、玉藻さんが好きです」
「な・・も、もう、バカ!!・・でも、私も好きよ」
ちょっぴり幼馴染達の話し合いの結果が気になった連夜達だったが、結局は目の前にいる最愛の人のことを考えることにした。
それはそれで正しいことのような気がした。