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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
166/199

第三十六話 『導く者』

 料理をするのは初めてと言っていた割には、思ったよりもうまくいっていたと思う。

 想像していたよりも晴美の包丁捌きはしっかりと様になっていた。

 後から聞いてみると丸薬作りの時に包丁やナイフを使うときも少なくないということで、包丁を握ったのは初めてというわけではなかったらしい。

 そのため、連夜が少しコツを教えただけで危なげなく食材を切ることができるようになり、基本的な切り方はそこそこできるようになっていた。

 とはいえ、料理そのものを作ったこと本当には皆無だったようで、米を洗うのに洗剤をいれようとしたり、砂糖と塩を間違えたり、生魚の死んだ目を見ておびえたりと、ちょっと目を離すととんでもない事態に陥りそうになるため、まだまだしばらくは連夜がつきっきりで教えないといけないのは間違いないらしい。

 しかし、宿難家の他の兄姉妹に比べればはるかにマシなレベル。というか、ちゃんと教えれば上達するくらいのまともなレベルであるため、連夜としては十分嬉しかったりする。

 晴美に教えている最中に、張り合って手伝おうとしたスカサハなど、格好つけて振り回したのはいいものの、いきなり包丁で指を切って大げさに泣きわめきながら右往左往。

 結局、連夜に治療だけしてもらって体よく追い出されてしまった。


『ちょっと調子が悪かっただけですのに・・ぐすん』


 などと言っていたが、生まれてから調子が良かったときの姿を一度も見たことのない連夜に信用されるわけもなかったわけだが。

 とにかく、なんとか無事晩御飯は失敗することなく作り上げることができ、味も悪くなく記念すべき晴美の調理第一回は無事終了したのだった。

 おいしそうな匂いが屋敷中を漂っているのにまず最初に気がついたのは、現在屋敷の中で謹慎中の兄大治郎。獅子の頭を持つ彼の嗅覚は、生粋の獣人族と同じかそれ以上。彼の側に控えている自らを『大治郎の愛人』と称す東方化け猫族の妊婦と一緒に食卓へとやってくる。ちなみに大治郎には他にも、自らを『大治郎の正妻』と称する女性と、自らを『大治郎の恋人』と称する女性がいるのだが、それぞれ仕事を持っており、今日は屋敷にはいない。いた場合、大概大治郎を取り合って大変な状態となるのであるが、今日のところは静かな夕食を迎えられそうであった。

 彼らに続き、妹のスカサハがやってくる。スカサハの側には彼女の専属メイドであり、この屋敷のメイド達を束ねる長であるさくらがついているので、夕食に遅れるということはないのである。

 最後に登場するのはいつも仲睦まじい連夜達の両親。いつもと変わらぬ目を覆いたくなるようなイチャツキっぷりでやってきて、ようやく全員が揃ったことになる。

 そして、賑やかな夕食が始まる。

 本当はもう一人いるはずなのだが、その空いているはずの席にはいま晴美が座っている。勿論、そのことを晴美は知らない。連夜達が敢えて伝えていないからだ。いずれ、折を見て話をするつもりではいるが、今は、伝えずにいる。

 ともかく、夕食はいつもと変わらぬ様子で始まって、いつもと変わらぬ様子で終わりを告げた。

 終わった者から順番に次々と席を立っていき、やがて、テーブルの側には、後片付け担当のメイドとボーイ達、それに連夜と晴美だけが残る。

 そして、今、連夜は晴美と食事後の食器洗いの最中だった。


「晴美ちゃん、今日は御苦労さま。初めてで疲れたと思うけど、これが終わればとりあえず今日の仕事はおしまいだから、もうちょっとがんばってくださいね」


 と、蛇口からちょろちょろと出した水で手際よく汚れた食器を洗いながら、横で洗い終わった食器を白い奇麗な食器拭き専用の布巾で拭いている晴美に笑いかける。

 晴美はそんな連夜の優しい笑みを見て、ほわっとした笑みを自分も浮かべる。


「はい、ありがとうございます。でも、難しいですね、料理」


「慣れたらそうでもないと思いますけどね。そもそも一から教えないといけないと思っていたから、僕としては晴美ちゃんが包丁をある程度使えたのが嬉しい誤算というか。あれくらい使えるなら、食材を切るということに関しては、ほとんど問題なさそうですね」


「丸薬作るにあたって、薬草や霊草を切ったり刻んだりしなくてはいけないことが多かったですからね。でも千切りとかできるわけじゃなくて、ただほんとに持って切るだけだったので、ほんとにそれしかできないんですけど」


 恥ずかしそうにちょっと顔を伏せて、上目づかいに横にいる連夜を見つめる晴美に、連夜は笑いながら首を横に振る。


「別に無理してすぐに千切りや他の高度な切り方ができるようになる必要はないと思いますよ。普通に食材を切れたらそれでいいと思うし、それよりも指とか切らないようにまずはなってくださいね。意外とね、包丁って刃のところだけが危ないわけじゃないんですよね。新品の包丁や、元々よく切れる包丁なんかによくありがちなんだけど、峰の部分で角になってるところとかでも切れちゃったりするんです。『害獣』退治で使うような太刀ではない、ただの家庭用の調理器具といっても甘くみちゃだめです。って、何回も言ってるのに、お父さんを除くうちの人達はそれがわからないんだよなぁ。スカサハなんか小さい頃から教えていたのに結局なおらなくて、料理教えるの諦めましたもん。あの娘、ちゃんとお嫁さんに行けるのかなぁ。とほほ」


 自分で口に出しておいてがっくりと肩を落とす連夜。

 そんな連夜の姿にあわわと慌てる晴美。


「いや、でもスカサハさんは学校での成績は常にトップ、スポーツ万能で人望厚く、生徒会長までなさっていらっしゃると御聞きしましたよ。ねぇ、こうめさん」


 自分の横に立つ小さい影に話しかけると、彼女は小さなとひげとしっぽをぴんと立てて誇らしげに断言する。


「その通りですにゃ。通っていらっしゃる中学校だけでなく、他校にも名前を知られているくらいスカサハ様は超優秀な方なのですにゃ」


「でしょう。そんな方なら、いつか料理だってご習得されるのでは?」


 恐る恐る尋ねてくる晴美に対し、連夜は力なく首を横に振って見せる。連夜だって、スカサハの優秀さは知っている。自慢の妹だと、自分には過ぎた妹だと心の底から思ってもいる。しかし、同時に連夜は知っているのだ。彼女の家事技術がどれだけ壊滅的であるかを。それを知るが故に、晴美の言葉に頷くことは到底できなかった。


「残念ながらね、晴美ちゃん。うちの女性陣は一人の例外もなく家庭的なことは壊滅的にダメなんだってことは、もう覆しようのない事実なんですよね」


「あは、あはははは。そう、ですか」


 妙に実感の籠った声に、疲れ果てたといわんばかりの表情。それを見てしまった晴美に残された選択肢は『笑って誤魔化す』しか存在しなかった。もう少し人生経験豊富であったなら、他の言いようもあったのだろうが、中学生になったばかりの晴美にそこまで求めるのは酷というものである。

 幸い連夜がそこの部分を気にすることはなく、苦笑を浮かべながらも顔をあげたので晴美は内心でほっと安堵の息をつく。


「まあ、晴美さんは幸いそういうことはなさそうですから、それを反面教師にしていただいて、是非がんばってください。そして、できれば今後も手伝っていただけると助かります」


「あ、は、はい。それは勿論」


「専属のコックさんを雇ってもいいんですが、僕も父も舌が肥えてしまっていていけません。一日や二日なら我慢できると思うんですけど、どうしても微妙に違う味付けに慣れないと思うんですよ。それなら自分自身で納得できるように料理したほうがいいので、大体、僕か父が台所に立っているんですけどね」


「そう言えば、お父様がお作りになる料理は本当においしいですよね。私、あんなに美味しいお料理食べたことがありませんでした」


「でしょう。今でこそこの都市の中にいることが多い父ですが、昔は、世界中を飛び回っていたんです。各地を巡り美味しい物を食べ、それを自作して再現しているうちに自然と身についた技術らしいです」


「へぇ、せ、世界各地ですか」


「僕も幼い頃、一時期一緒に世界を回っていたことがあるんです。そのときに、いろいろと料理のことも教えてもらったんですが、未だ父の背中は遠いですね」


 在りし日の記憶を思い出し、なんとも言えない優しい表情になっている連夜を、しばらくぼうっと見つめていた晴美であったが、すぐにハッとなると勢いよく口を開いた。


「で、でも、連夜さんのお料理もとても美味しいと思います。まだ二回くらいしかご馳走になってないですけど、あのハンバーグとビシソワーズは絶品でした」


「あはは、ありがとうございます。喜んでもらえて恐悦至極。でも、晴美ちゃんは筋がいいから、きっとすぐに僕に追いつきますよ。と、いうか、できるだけ早く追いついて僕に楽をさせてください」


「え、あ、その、が、がんばります!」


 生真面目に返事をするかわいらしい弟子の姿に、満足そうな目を浮かべて見た連夜。

 その後もくもくと作業をこなし、もう少しで洗い物が終わるというときになって、連夜はきれいに拭いた食器を食器棚にもどしていっている晴美のほうをちらりと見る。

 そして、その様子を見て何か一瞬躊躇いを見せたが、すぐにそれを消して口を開く。


「晴美ちゃん」


「はい?」


 聞く人が聞けば何気なさを装うっているとわかる連夜の声に、晴美は気がつくこともなく普通に振り返って返事をする。

 呼ばれて振り返ったものの、すぐに言葉が続いてこないので何事かときょとんとして黙って待っていると、連夜が洗い物を続けたまま口を開いた。


「ちょっと、聞いてもいいですか?」


「え、えっと、なんでしょう?」


「僕と初めて会ったあの日、あの死の森の中で、晴美ちゃん、ほんとはどこに行こうとしていたんですかね?」


 連夜の問いかけに咄嗟に言葉が出ない晴美。

 そんな晴美を焦ることもなく、ただ、洗い物を続けながら待つ連夜。

 いまの問いかけのそのものについての答えを、連夜はわかってるつもりだった。

 だから、答そのものが知りたいわけではない。本当に知りたいのはその答の延長線上の先にある晴美の気持ちだ。それを引き出す為の問いかけ。これについて連夜はどうしても知っておかなくてはならない。誰かの為というよりも、自分の為に知っておきたいのだ。

 それを知った上で、これから彼女を導いていく場所を決める。

 連夜のそういう想いを勿論知る由もなく、晴美はしばらくの間、考え続けている。

 しかし、連夜は急かすことなく、晴美が必ず自分からしゃべってくれると信じて、待ち続ける。

 やがて、洗い物のほとんどが終わりに片付こうとしたそのとき、意を決したのか、晴美はついに重い口を開いた。


「わ、私、具体的に誰かのところに行こうと考えたわけではありません。ただ、逃げたかった。あの地獄のような場所から、少しでも遠くへ、できるだけ遠くへ、連れ戻されないくらいずっとずっと遠くへ逃げたかった」


「そうですか」


 予想していた答と違う。一瞬連夜はそう思った。

 しかし、少女は答をまだ全て出してはいないことに、すぐに気がつく。

 少女はまだ何かを話そうとしていたからだ。


「でも」


「でも?」


「できるなら。もし、そうできるなら」


「どこか行きたいところがあったんですか?」


 務めて声を抑えながら少女に問いかけると、彼女は一瞬戸惑いの表情を浮かべた後、小さくこっくりと頷いた。


「姉のところに、行きたかったです」


「そうですか」


 聞こえてきた少女の小さな声に、淡々とした少年の声が返される。

 その答えこそ、連夜が予想していたもの。自分の考えが間違っていなかったことにほっとした様子を見せる連夜。表情を悟られないようにと、背中を向けて洗い物を続けていたため、晴美には気づかれることはなかった。

 だが、本題はそこではない。連夜が知りたいのは、その答の先にある晴美の気持ち。

 なぜ、姉の元へと行きたかったのか。

 晴美にとって姉はどういう存在だったのか。

 その内容次第で、晴美の今後を考えなくてはならない。表情は極力消しつつも、手に持った皿には無意識に力が入ってしまう。そのため、最後に残ったその洗い物の皿はいつまでたっても洗い終えることができずにいたが、連夜の後ろ姿しか見えていない晴美はやはり気付かない。

 そして、気付かないまま晴美は言葉をつづけていく。


「行けるわけないんです。本当は行っちゃいけないんです。でも、私は姉のところに行きたかった。死が間近に迫ったあのとき、脳裏に浮かんだのは姉さんの姿でした。私は。私はどうしても最後に姉さんに会いたかった」


 背中越しに聞こえてくる少女の声が、だんだん震えてきていることに気がついてはいた。だが、敢えてそこに気がつかないふりをして、少女の言葉を黙って待ち続ける連夜。

 蛇口から水が流れる音だけが聞こえる静かな空間の中、少女は己の中に秘めた思いを吐き出していく。


「姉は、私と同じでした。幼い頃から丸薬作りの修行を課せられて、虐待同然の扱いを受けていました。しかし、中学校に進学するときに強力なパトロンを見つけて里の権力者である長老達から離反。その後、中央庁が直接管理している全寮制の学校に入ることで、間接的に干渉される道も絶ってしまうことで、里との繋がりを完全に絶ち切ってしまいました。大分だってから長老達が姉の話をしているところを立ち聞きしたのですが、例の強力なパトロンの庇護のもと、今は都市のどこかで一人暮らしをしているとか。姉は私と違って容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。姿形は全く違いますが、まるでスカサハさんのような人でした。長老達の話を信じるならば、奨学金とかも余裕で受けられたようですし、流石の里も口出しできなかったようで。そんな姉は私の憧れの人でした」


「お姉さんのことが本当に好きだったんですね。でも、どうしてですか? どうしてお姉さんのところに行ってはいけないんですか?」


 何か苦しそうに言いよどむ晴美に、連夜はわざと驚いたような声をあげて、大げさに聞いてみる。

 自分でも演技が下手だなぁと思う連夜であったが、やはり晴美は気がつかない。連夜の声のみに反応して、物凄く苦い笑みを浮かべながら再び口を開いた。


「いえ、きっと姉は優しい人なので、訪ねていれば私を受け入れてくれたと思います。でも、私自身が自分を許せなかったから」


「許せなかった?」


「はい。私、小さい頃、ほんとに姉によくしてもらったんです。ご存知ですか? 霊狐族の子供がどうやって生まれてくるかを。霊狐族は、『異界の力』の中でも特に強い『霊力』を操る力を持っています。修行によってもその力を強くすることは可能ではありますが、力が元々弱い者がどれだけ修行しても優秀な血筋の者には決して届きません。だから、霊狐族は血統を重んじます。里以外の場所ではどうかわかりませんが、里の中で子供を作るときは長老の許可が必要になります。いえ、必要というよりも義務といったほうがいいかもしれません。長老達に認められた若く力の強い者達は、長老達が決めた相手と結婚し子供を作ることを命じられます。そして、生まれてきた子供達は、長老達によって選抜された特殊な教育係の者に預けられ、育てられていくのです。つまり、私にはこちらの世界でいうところの『家族』というものがありません。私を産んでくれた男女は存在しますが、父と母という者は存在しないのです。そんな特殊な中で育っていく者達は当然、肉親の情などあるはずがないのです。普通なら」


「でも、あなたは違った」


「ええ。私には姉がいました。姉がどういう考えで私の面倒を見てくれたのか、未だに謎です。その本心についてはわかりようもありませんが、ただ、間違いなく姉さんは、私のことをほんとによくかわいがってくれました。私にとっては姉と言うよりも母であったのかもしれません。霊狐族の子供達はお互いが兄弟姉妹であるという認識はありません。自分と同じ、あるいは似て非なる何かとお互いを認知し、慣れ合うことはありません。むしろ、教育係の者達や長老達によって、お互いを常にライバル視するように仕向けられていたため、普通なら仲は悪いのです。実際、私は姉以外の兄弟姉妹とあまり仲は良くありませんでした。でも、姉だけは違った。私と姉は他の兄弟姉妹達と違い、本当に仲良く暮らしていました。あの日、長老達があることを姉に言えと強制してくるまでは」




『白面の狐はクズで醜い』




「幼き頃の私はその意味もわかりませんでしたが、長老達の言うことは絶対でしたので言われるがままに姉に言ってしまったのです」


 そこで一つ大きな溜息を吐きだした晴美は、悲しみに満ちた表情を浮かべた。


「今でもそのときのことを夢に見ます。私にその言葉を投げかけられた姉は、泣いていました。他の兄弟姉妹達や長老達、教育係の者に何を言われても無表情に無感動に受け流していた姉が、私の残酷な一言に傷ついて泣いていました。その後すぐです、姉が里から去って行ったのは。そして、私は姉の身代わりとなることになったのです」


「そうだったんですか。しかし、白面の狐とはいったい?」


「金毛白面九尾の狐は狐族に伝わる伝説の悪狐です。白面の狐は悪に染まると言われていまして。もちろんそんなの迷信なんですが、姉さんはその白面だったんです。昔は相当な迫害を受けたそうですが、姉さんは不幸中の幸いというべきか、長老達に才能を認められていましたから表立ってはそのことについての差別はなかったようですが。裏では兄弟姉妹達から相当な嫌がらせを受けていたようです」


「そんなことがあったのですか。人間やバグベアやミニチュアコボルトだけでも十分なのに、同じ上級霊狐族の仲間の中にまでそんな差別を作ってどうするんだろ?」


 晴美の話を聞いて、連夜はやれやれと首を横に振って肩をすくめる。

 どうして自分の親しい人達の周りで差別が絶えないのか、まさか自分の愛しい人にまでそんな過去があったとは思いもよらなかった連夜であった。


「姉とは本当にいろいろと楽しい思い出があります。いえ、姉が私に楽しい思い出をたくさん作ってくれたんです。一緒に満開の桜を見に行ったこともあります。近くの川に泳ぎに連れて行ってもらったこともあります。ススキの原っぱで追いかけっこしたり、大雪の日にかまくらを作ったことも。でも、そんな大恩ある姉を私は無残に裏切った。


「晴美ちゃん」


「あんなひどいこと言った私が、どの面下げて姉に会うことができるでしょう? 幼くて意味がわからなかったからって自分のしたことが許されるとは思っていません。たった一言の言葉。だけど、その一言が、人に消えない傷を植えつける。幼い頃の私はそんなことも知らなかった。でも、大きくなり長老達を始めとする周囲の者達から投げかけられる様々な心ない言葉の数々を自分自身で受けてみて、初めて私は幼き頃に己が犯した愚かな行いの意味を知りました。知ってしまった今となっては、もう姉に会うことはできません。できるはずがありません」


 溢れる感情を抑えることができなくなった晴美は、その場にしゃがみ込むと顔を覆って泣き出してしまう。そんな晴美の様子に気がついたこうめが、彼女にそっとよりそってその涙をハンカチで拭いてやる。よく見ると、彼女の目じりにも大粒の涙。お人好しで涙もろい彼女は、そのまま晴美の話を横で聞いていてもらい泣きしてしまったようだ。

 人情に厚いねこまりも族の若いメイドは、顔をあげてすがるように連夜を見上げる。言葉を出さなくても、彼女が言いたいことがわかっている連夜は、頼もしげに一つ頷いてみせたあと、わざと意地悪そうな表情を浮かべて声を出す。


「ううん、それはどうですかね? 僕には全然わかりませんね。ええ、そうですとも。晴美さんの気持ちが全くわかりません」


「え?」


 連夜の意外な言葉を聞いて、一瞬きょとんとする晴美。晴美だけではない、こうめをはじめ、その場にいたメイドやボーイ達も同じように呆気にとられて自分達の主の姿を凝視する。

 しかし、肝心の当人はそんな周囲の視線などどこ吹く風。いつの間にか洗い物を終えていた連夜は、壁にかけてあるかわいい犬の絵がついたタオルで手を拭くと、洗ったばかりの食器を拭きながら優しい表情で晴美のほうを見た。


「だって許すのは晴美さんじゃないわけですよね? それにまだお姉さんに会ったわけじゃないですし。結論出すのが早すぎませんか?」


「え、で、でも」


「晴美ちゃん、結局どうしたいんですか? このまま会わずに済ませます? 許されないだろうから、一生顔を合わせないままにしますか? まあ、それでもいいでしょうけど」


 と、素気ない口調で淡々と語る連夜。

 しかし、その口調とは裏腹に、連夜の目は非常に優しく温かく晴美を見ているし、表情は非常に穏やかだ。


「ちなみに、僕は中央庁に顔が利きます。ご存知ですよね? 誰が晴美ちゃんを助けたか? 誰が、あの場に中央庁の特殊部隊を連れていったのか? 僕のお母さんが、中央庁のどういう位置にいる人なのか?」


「そ、それは」


「中央庁ってね、人捜しは得意中の得意なんですよねぇ。なんせ、どれだけ町中に潜み隠れた犯罪者でも見つけ出すほどなんですから。僕が、中央庁のそういった部門に声をかければ、捜し人なんて一発だろうなぁ」


 出会ったときからそうだった。

 晴美の心の中に土足で踏み込んでくるようにみせかけて、決してそうはせずに、実は自分から出てくるように仕向けてくるのだ。


(連夜さんはズルイ!!)


 という気持ちと。


(連夜さんは優しい)


 という気持ちと。

 もう一つ何かある気がするのだが、なぜかそれとは面と向きあうことができないので、今はそっとしておく。

 晴美は連夜が差し伸べてくれる手に、今度も甘えるように声を出した。


「連夜さん。私、姉に。姉さんに会いたい。会って、謝りたいです。ごめんなさいって、謝りたいです」


 それ以上は声にならず、晴美は両手で顔を覆ってしまう。

 そんな晴美の小さい身体をそっと抱きしめると、連夜は優しい、しかし頼もしい声ではっきりと言うのだった。


「じゃあ、そうしましょう」


「へ? え、えええっ!?」


「任せておいてくださいって。前にも言ったでしょ。僕、これでもちょっとばかし頼りになる男なんですよね」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をあげて自分を見つめる晴美に、連夜は無邪気な笑顔を向けるのだった。



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