第三十三話 『姉の想いと弟の想い』
日の出までまだ大分間がある真夜中の三時。
場所は城砦都市『嶺斬泊』の外門の一つ西側ゲート。
『都市間連絡馬車』駅の『西域行き』側のホーム内に、大勢の人影がある。
これが昼間であれば何の違和感もない光景であるが、流石にこの時間帯に通常これだけの人が集まることはほとんどない。
だが、今日に限って大勢の人の姿がここにあった。そのほとんどは完全武装した兵士達の姿。皆、この都市に所属する中央庁特殊部隊の正式兵装に身を包み厳しい表情で周囲を警戒して回っている。
そんなピリピリした空気が漂う中、一部その雰囲気に該当しない個所が存在している。たくさんの兵士達が取り囲むその中心で、馬車の到着を待っているごく少数の旅行者姿の者達。彼らはどこかぼんやりした表情で、虚空を見つめて座っている。
そんな彼らの元に一人の人物が近づいてくる。
鎖骨から上が完全に剥き出しになった黒いチューブトップに、ジーンズのチョッキとズボン。出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ素晴らしいスタイルのその妙齢の女性は、兵士達をかき分けるように進んでくると、旅行者の一団の元へとやってくる。
そして、集団の中央にあり、駅のベンチに座って呆けている一人の旅行者を立ったまま見下ろす。
額に特徴的な第三の眼を持つその人物は、周囲に全く目を向けることなくただただ、ぼ~っと下を向いたまま動こうとしない。
そんな旅行者をしばらくの間見つめていた来訪者の女性は盛大に顔をしかめた後、隣にどっかりと腰を落とした。
「あんた『嶺斬泊』から追放されるんだって?」
ぼそりと呟かれたその声に、聞き覚えがあることに気がついた旅行者は、のろのろと声のしたほうに顔をあげその人物をようやく視認した。
「タマちゃんか。いったい誰に聞いてここに来たのよ」
呆れたような、それでいてかなり疲れたような声を横に座る相棒に向けるのは、勿論、連夜の姉ミネルヴァ・スクナーだ。
「誰でもいいでしょ。そんなこと」
「いいわけないじゃない。一応、私のことは中央庁でも超重要機密のはずなのよ。それなのに、ここに来ちゃうなんて。そもそも、あんた兵士の皆さんに止められなかったの? なんで通されちゃってるのよ」
「細かいことはどうでもいいのよ。それより感謝しなさいよ。一人の見送りもなかったら淋しいだろうと思ってわざわざ来てやったんだから」
「よく言うわよ。どうせ間抜けな私のことを笑いに来たんでしょ。ふん、いいわよ。笑いなさいよ。笑われても仕方ないことしちゃったんだからさ。どう思われようと諦めているわよ」
拗ねたようにそう呟いたミネルヴァは、玉藻の視線を避けるようにソッポを向いてしまう。そんな相棒の錆びれた背中を、なんとも言えない淋しげな表情で見つめていた玉藻だったが、すぐにわざと厳めしい表情を作って睨みつける。
「終わったことをいつまでもクヨクヨしてるんじゃないわよ。やっちゃったことはしょうがないじゃない」
「しょうがなくないっ。全然しょうがなくないよっ」
「まぁねぇ。あれだけ、自分の手で守るって大見得切っていた相手を、自分で刺しちゃったんだし。落ち込むのはわからないでもないけどさ」
「言わないでっ!。あれは私の人生最大最悪の大失敗。そのことについては自分自身が一番よくわかってるわよっ!」
さりげなく放たれた玉藻の言葉は、ミネルヴァのトラウマに予想以上の力で抉り込む。
今までの落ち込みようが嘘のように激しい感情を玉藻に向けてぶつけてきたミネルヴァ。だが、その炎も一瞬にして鎮火し、再び顔を伏せて両手で抱え込んでしまう。
「どうしてあのとき、あんな馬鹿なことをしちゃったんだろ。過去にもどれるなら、今すぐもどってあのときの私を直接殺してやりたい」
あれからずっとミネルヴァは後悔し続けている。最愛の弟をこの手で刺してしまったのだ。下手をすれば死んでいたほどの致命傷であったことは、刺した本人である自分自身が一番よくわかっている。そもそも殺すつもりで、一撃必殺の突きを放ったのだ。
あのとき、ミネルヴァは確かにあの仮面の怪人が連夜であることを知らなかった。しかし、仮面の怪人とかぐやとどちらが真に『悪』であったのか、自分が敵とすべきはどちらだったのか、あのとき自分は確かにちゃんと判別できていた。
ミネルヴァが討つべき『悪』はかぐやだったのだ。
わかっていた。ちゃんと頭ではわかっていたのだ。しかし、彼女はその正しい答えを強引に振り払って敢えてその真逆の道に進んでしまった。
仮面の怪人とのこれまでの因縁故に。
かぐやとの断ち切りがたい愛情故に。
そして、決して踏み越えてはいけない一線を越えてしまい、判断を誤ることとなった。その結果がこれである。
「幸い連夜は死ななかった。あれだけの致命傷だもの、本来なら死んでいても全然おかしくなかった。むしろ、生きていたことが奇跡そのもの。おかげで私はこの都市から永久追放されるだけで済んだ。だけどね、だからといって、それが許されるわけじゃ・・・」
「いいじゃない。だって、あんたの弟ってさ、あんたのことを騙していたんでしょ。お互い様よ。気に済んな気に済んな」
「っ!?」
更なる落ち込みを見せるミネルヴァに対し、彼女の親友がかけてきた言葉は到底信じられないものであった。しかも、さもおかしそうに笑いながら背中を軽くばんばんと叩いてくる。当人は励ましているつもりなのかもしれないが、ミネルヴァにとって不快きわまりない言動である。ミネルヴァは、再び怒りの炎を瞳の中に燃やして顔をあげると、親友の手を手厳しく払いのける。
「何もわかってないくせにいい加減なこと言わないで!」
駅ホーム全体に聞こえそうなほどの大喝。しかし、言われた方は全く効いている風に見えない。それどころかあいかわらずヘラヘラ笑い続けながら、彼女の心の中で燃え盛る怒りの炎に向けて、更に油を注ごうとばかりに口を回し始めたのだ。
「いや、だって、そうじゃない。あんたってさ、最後まで『祟鴉』と実の弟が同一人物だって知らなかったんでしょ? 『祟鴉』ってさ、これまで何度もあんたとやりあってきたよね。打ち明ける機会は何度もあった。なのに、あんたの弟はその正体を打ち明けなかった」
「それは、うちの母に口止めされていたからで」
「本当にあんたのことが好きなら、そんなの関係なく打ち明けると思わない? あんたのことを助けたいと思っていたなら、あんたのお母さんがどう言おうとさ、あんたに全部打ち明けて、あんたのこと助けようとしたんじゃないのかなぁ」
「それは、確かに、そうかもしれないけど」
「やっぱり、あんたは騙されていたんだよ。よかったじゃん、一矢報いることができてさ。騙されっぱなしは腹が立つでしょ」
いつになく優しい笑顔でそう諭され、ミネルヴァは一瞬、本当にそうかもしれないと思った。やはり、自分は弟に騙され嵌められたのかもしれないと。幼い頃、弟のことを見捨てた自分に対する復讐だったに違いないと。
そう思った。
ただし。
一瞬だけ。
「って、そんなわけあるかいっ!!」
「みゃっ」
背中にまわされた玉藻の手を強引に振りほどき、ミネルヴァは再び怒りの表情を玉藻へと向ける。
「私のことを嵌めて騙すつもりだったのなら、なんで私に一度として直接手を出してこなかったのよ。直接手を出していたのは常に私。弟が『祟鴉』として戦っていたのは常にかぐや達のみ。私が直接手を出したときだって、弟は決して私を傷つけるような攻撃は一切してこなかったし、今回のことだって私の身の安全をまず守ろうとしていたわ。そうよ。弟は私を騙そう、嵌めようとしていたんじゃない。私のことを守ろうとしてくれていたのよ」
「じゃあ、なんで正体を明かさなかったのよ」
「これまでの私は、完全にかぐや達に依存していたからよ。家族よりもかぐや達の方を重視していたことを、きっと弟は見抜いていたんだわ。下手に打ち明けたら、ますますかぐや達の側に回ってしまうことを恐れたのね。だから、正体を明かさず、なんとかかぐや達だけを討とうとした。そうか、今、考えながら口に出してみたけど。きっとそうなんだ」
「それにしたってやり方ってもんがあるでしょう。もうちょっと穏便に済ませる方法があったんじゃないの? たとえば、時間をかけてあんたを家族側に引き戻してかぐや達から十分引き離してからことに及ぶとかさ」
「そう言われれば、確かにそうね、って、ちょっと待って。確か、母が言っていたわ。『レンちゃんにまんまと先を越された』って。そうか。時間がなかったんだ。母は言っていたもの、私諸共旅団を壊滅させるつもりだったって。あの人はほんと身内でも容赦しないからね。あれは本気の眼だったし。そうかそうか。連夜は母の作戦が始まる前になんとかしてくれようとしたんだ。だから、まどろっこしい作戦はとっていられなかったのよ」
「でもさ、例のブレスレッドを始め、相当危ないアイテムを何食わぬ顔であんたにずっと渡し続けていたことについてはどうなのよ。『最新鋭の高性能アイテムだから、使ってみてね』なんてかわいらしい笑顔にコロッと騙されて、あんた何の疑いもなく使っていたんでしょ」
「私が使っていたアイテムには何も細工されていなかったわよ。ああ、アリア達のブレスレッドの解除装置はついていたようだけど、別に私本人には影響なかったしね。他にも薬とか武器とかだって本当に一級品ばかりだったもの。故障したり、変な動きをしたことなんて、この前のあの騒動以外で一度としてみたことないわ。そもそも、よく考えてみてよ。私があの子を刺した短剣。あれだってあの子にもらったモノだけど、いとも簡単にあの子の防刃スーツを貫いたのよ。『祟鴉』が使ってる防具って、兵士クラスの『害獣』の一撃にすら耐えられる一品なのよ。それをあっさり貫く短剣って、普通、騙そうとしている相手に渡したりなんかする? それよりももっと粗悪品を渡すとか、装飾だけ立派で実は切れないものを渡すとかするんじゃないの。少なくとも私ならそうするわ」
自嘲気味にそう笑いながら隣に座る親友を見つめるミネルヴァ。そして、そんなミネルヴァを能面のような無表情で見つめ返す玉藻。
両者しばらくの間、敵意というほど強い敵意ではないものの、何かの強い意思を込めて睨みあっていたが、やがてミネルヴァが先に視線を背けた。
「結局さ。やっぱ、私はあの子に守られていたのよね。しかも、最後まで」
再び顔を下へと向けたミネルヴァは、ひっそりとため息を吐き出した。
「あの騒動が終わった後、連行された先で事の顛末を聞いたんだけど、かぐや達って相当あくどいことを裏でやってたらしいのよ。それはもう、聞けば聞くほど真っ青になるような、重犯罪のオンパレード。幸い母がうちの旅団に潜り込ませてくれていたスパイ達の証言のおかげで、私自身はかぐや達が行った犯罪の一切に関わっていないって証明されているらしいんだけどさ。でも、あいつらったらうちの旅団の名前を利用していくつかの犯罪を行っていたらしいのよ。それを考えると旅団のトップである私の責任が全くなかったとは、どうあっても言いきれないって。最初は、もっときつい罰が待っていたらしいわ。まあ、さっきも言った通り、当初母は、私諸共のつもりだったわけで。でも、弟が母を説得してくれていたみたいなの。どう説得したのかはさだかではないけど、兄や妹の話によるとそれはもうあらゆる手段を使って、私の罰を軽くしてくれるように頼んだらしいわ。そのおかげで、私は城砦都市『嶺斬泊』からの永久追放だけで済んだ。しかも表向きの発表は城砦都市『オリュンポス』への留学って形をとってくれるらしいしね」
はふぅと、悩ましげなため息をもう一度吐き出した後、ミネルヴァは顔をあげて横に座る親友のほうに疲れた笑顔を向ける。
「弟が私を騙すなんてありえないわ。刺した私が言うことじゃないけど、あの子は私のことを本当に愛してくれているの。知ってる? あの子を刺したとき、あの子が私になんて言ったの?」
「え、なにそれ、私、その話は聞いてないけど」
「『み~ちゃんは、悪くないよ。悪いのは僕だよ。恨むのも憎むのも、彼らを実際に殺した僕一人にしてね』って。ほんと、何やってんだろ、私。守るって約束した相手を自分で刺して殺そうとした上に、そんなに気を使わせてどうするのさ。ほんと、馬鹿みたい。ほん・・・とに・・・」
ミネルヴァの疲れた笑みがくしゃりと歪み、そのまま彼女は両手で顔を抑えて俯いてしまう。
「ううう、ごめん。ごめんね、連夜。ほんとに悪いお姉ちゃんでごめんねぇ」
小さく聞こえてくる謝罪と嗚咽の声。そんなミネルヴァの姿をしばしの間、相変わらず能面の表情で見つめていた玉藻であったが、やがてなんとも言えない苛立ちに満ちた顔でガシガシと髪の毛をかきまわすと、不貞腐れたようにベンチに身体をもたれさせて天を仰ぐ。
「何よ、あんた、ちゃんとわかってんじゃない。もっとトチ狂って連夜くんのこと恨みまくっていると思ったのに。トドメ刺してやろうと思って来てみたら意外とまともだから拍子抜けしたわ」
「な、なんで、私が連夜を恨まなくちゃいけないのよ。ぐすっ、むしろ、ぐすんぐすん、私が恨まれて当然だし、ぐすん、謝らなきゃいけないのに」
「じゃあ、本人に直接謝りなさいよ。ほら、土下座して謝れ」
「は、はぁ? 謝れるもんなら謝ってるっつ~の。土下座しろっていうなら土下座するし、靴を舐めろって言われたら靴を舐めるわよ。でも、本人がいないでしょうが!」
「いるじゃない」
「いないわよ。私、母から弟と会うのを禁止されて、あれから会ってないのよ。一応、あの子が回復したって話は、面会に来た兄や妹から聞いたけどさ」
「だから、いるっつ~の」
「だから、会えないつってんでしょうが、わからない奴ね、タマちゃんも。それにあの子自身が私に会いたいわけないじゃない。私、あの子の横腹を刺したのよ。殺そうとしたのよ。それどころか、それ以前からさんざん、ひどいことしてきたのよ。いくら私が会いたいって望んでも、もう会えないわよ」
「ああ、ああそうでしょうよ。私だったら、絶対会いたくないわね。あんたには。会うとしてもボコボコにしてやるつもりで会うわよ、絶対」
「だったら、言わないでよ」
「私だって言いたくないわよ! だけど、しょうがないでしょう、本人はあんたに会いたいって言ってるんだから!」
「だから、何度も言ってるけど・・・」
「いいからこっちを向け、馬鹿女!」
額にいくつもの青筋を立てた玉藻は、片手でミネルヴァの頭を上から掴み、力に任せて強引に前を向かせる。親友の突然の暴挙に対しジタバタと抵抗しようとしたミネルヴァであったが、ふと自分の視線の端にあるモノを見つけて動きを止める。
それは本来ここには絶対にあるはずのないモノ。いや、ここにいるはずのない『人』だった。
周囲の兵士達と同じ武装に身を固めたその『人』は、フルフェイスのヘルメットを小脇に抱えた姿勢でこちらをじっと見つめている。茫然としているミネルヴァに、彼はうっすらと微笑みを向けた。
ただし、その笑顔は今すぐにでも壊れそうなほど微妙なもの。よくみればその瞳にはうっすら涙すら浮かんでいる。彼は何度か口を開けたり閉めたりして声を出すことを逡巡していたが、やがて、顔をくしゃりと歪ませながらミネルヴァに声をかけた。
「み~ちゃん、あの、どの面を下げて会いに来たって言われてもしょうがないんだけど。もう一度ちゃんと謝っておきたくて、その」
「れ、れんや」
「ごめんなさい、み~ちゃん。本当にごめんなさい。僕がいろいろと隠して計画を進めたことがここまでみ~ちゃんを追い詰めることになってしまった。本当ならこんな罰を受ける必要はないのに、永久追放だなんて」
「いや、あの、そんなこと・・・」
もう会えないと思っていた最愛の弟との思わぬ突然の再会に、心の動揺を抑えることができないミネルヴァ。謝罪の言葉を口にしたいのに思うように言葉が出てこない。いやそれどころか、謝らなくてはいけない相手であるはずの弟がしきりに自分に謝罪してくる。それは決して形ばかりのものではない。そこは十年以上の付き合いになる最愛の弟だ。うわべだけの謝罪か、本心からのものかくらい、己の『天の眼』を使わなくたってわかる。わかるからこそ、ミネルヴァの動揺は更に大きくなっていく。
弟がどれほど自分のことを気にかけてくれていたか、わかってしまうから本当に困る。一刻も早く弟の謝罪をやめさせて自分の方がそれを口にしなくてはならないというのに、どうしてもうまくいかない。
そして、そんな風に彼女がまごまごしているうちに、とうとう弟は頭まで下げて本格的に謝罪を始めてしまった。
「こうやって頭を下げたから許されるとは思ってない。だって、僕はみ~ちゃんの愛した『人』達をこの手にかけてしまったんだもの」
「そ、そんな、頭を下げなくても・・・」
「ううん、これでも全然十分じゃない。み~ちゃんと同じように、僕にも大切な『人』達がいるもの。僕だってその『人』達のことを守りたいと思う。み~ちゃんのその気持ちは本当によくわかる。だから、み~ちゃんは悪くない。でも、だからこそ僕は彼女達を許すわけにはいかなかった。僕の大切な『人』達を害した彼らを許すわけにはいかなかったんだ。僕はね、お母さんに言われたから彼女達を手にかけたわけじゃない。僕が僕自身の身勝手な正義に基づいて制裁を下した。僕の身内を贔屓した結果が彼女たちの『死』だ。ここまで言えばわかるでしょ。僕はみ~ちゃんに許される立場にはいないんだ」
「ま、待って、連夜、だからね・・・」
「謝って済む問題じゃないってことはよくわかってる。でも、彼女達を生き返らせてくれっていわれてもそれはできない。物理的にも、心情的にもそれはできないし、したくない。例え、み~ちゃんのお願いであってもね」
「勿論、それはわかってるわよ、わかってるから・・・」
「本当の意味での贖罪はきっとできない。その代わりにもならないけど、でも、必ずみ~ちゃんの追放処分を取り消してみせるから。だから、その」
「だから、その連夜が気に病むことじゃ・・・」
「陥れた僕が言っていい言葉じゃないとは思うけど、追放処分が取り消されるまで、ここに戻ってこれるその日まで、頑張ってほしい。できるだけ早くその日が来るように頑張るから」
「いやえっと、『って、あんた、いつになったら、連夜くんに謝罪するんじゃぁぁぁっ!?』 あぁがががががぁぁっ!!」
いつまでたっても謝罪の言葉を口にしようとしないミネルヴァに、とうとう玉藻がブチ切れる。指先に渾身の力を入れてミネルヴァの後頭部を掴むと、握りつぶさんとばかりに更に力を込める。ただでさえ、最愛の恋人が目の前で頭を下げている光景を見ていなくてはならないのが辛くて仕方ないのに、さっき自分のほうが悪いと言っていた張本人がいつまでたっても謝罪を口にしないのだ。流石の玉藻も堪忍袋の緒が切れた。
しかし、ミネルヴァにはミネルヴァの言い分がある。
玉藻のアイアンクローを強引に振りほどいて玉藻に向きなおったミネルヴァは、ズキズキと痛む頭を抑えながら涙目で玉藻を睨みつける。
「な、何すんのよ、タマちゃん。頭が割れたらどうすんのさ!?」
「うっさい。そんな頭割れてしまえ。そして、死んで連夜くんにわびろ」
「な、何よそれ」
「『何よそれ』じゃないっつ~の。あんたいつまで連夜くんに謝らせているのよ。調子乗ってんじゃないわよ。そもそも、なんで連夜くんがあんたに謝らないといけないのよ」
「わ、私が謝らせているわけじゃないわよ。連夜が勝手に」
「はぁ? あんた、まさか連夜くんが悪いっていうわけ? 何、寝ぼけたこといってんのよ。悪いのはあんたのほうでしょうが。あんただって、さっき自分でそう言っていたじゃない。もう忘れたの?」
「だ、誰も連夜が悪いなんて言ってないじゃない」
「そう言ってるじゃない。連夜くんが謝ってるのが悪いみたいな言い方してるじゃない。何なのそれ。おかしくない? ねぇ、それおかしいよね。絶対おかしいでしょ」
「ああ、ああ、そうです、私が悪いです。悪いのは全部私です。連夜は悪くないです。へぇへぇ、悪うござんした」
「なんだ、こいつ。全然反省してねぇし。もういいわ。連夜くん、行こう。折角、最後の見送りと思って【わ・ざ・わ・ざ】連夜くんを連れてきてあげたのに、とんだ骨折り損のくたびれ儲けだったわ」
売り言葉に買い言葉で思わず口から出てしまったが、それを聞いた玉藻の表情はミネルヴァの予想以上に急変。二人の喧嘩をおろおろしながら見守っていた連夜の細い手を乱暴に掴むと、その場からさっさと連れだそうとする。
一瞬、それを見送りかけたミネルヴァだったが、慌てて追いかけていき空いているほうの連夜の片手をなんとかキャッチ。間一髪で引き止めることに成功する。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。私、まだ連夜に謝ってないのに、どこに連れていく気よ」
「どこって帰るに決まってるでしょうが。だいたい、あんたさっきから一言も謝罪の言葉を口にしてないじゃない」
「た、タイミングを逃していただけじゃない。ちゃんと謝るわよ。謝るからちょっと、待ちなさいよ!」
「じゃあ、さっさと謝れ。土下座しろ、靴を舐めろ、三回回って、ワンと言え!」
「なんじゃぁ、そりゃぁっ! なんで、あんたにそこまで指示されないといかんのじゃぁっ!」
再び始まる激しいバトル。しかし、流石にこのままこの場で大騒ぎ続けていても埒が明かないと判断したミネルヴァは、なんとか怒りの感情を抑えつけて玉藻を無視すると、連夜のほうに向きなおった。
「連夜、あのね。連夜が謝る必要なんてない。だって間違っていたのはお姉ちゃんのほうだもの。ほんとにごめんね。弟の気持ちに最後まで気がつけなかった悪いお姉ちゃんだった私を許して」
「許すだなんて。そもそも、僕はみ~ちゃんの大切な人達を」
「うん。確かに、かぐや達のことは大切だったし、愛していたわ。今でも、心のどこかで彼女達が生きていてくれたらなぁって思わないでもない」
「ごめん、み~ちゃん」
項垂れる連夜の肩にそっと手を置いたミネルヴァはゆっくりと首を横に振りながら否定の言葉を口にする。
「ううん、違うの。冷静になった今ならわかるのよ。連夜のことを好きだって気持ちと、かぐや達のことを好きだって気持ちは全然違ってたんだってことに。今更こんなこというのもどうかと思うけど、私ね、かぐや達のことを『人』として愛していたわけじゃなかったの」
「え? それってどういう意味?」
「連夜もタマちゃんも知ってると思うけど、ほら、私ってさ、小さい時から友達が少なかったじゃない。取り巻きは多くいたけどさ、本当の意味での友達ってほとんどいなかった。家族とだってそう。要領だけはよかったもんだから、表面上はうまくやっているように見せていたけどね。お母さんのことは苦手だったし、ダイのことはライバルって感じだったし、何より父さんのことは、正直、優しくしてもらったけど、どこか他人のおじさんみたいな感じで見ていた。なんか、ほら、私ってそういうところ嫌になるほど超不器用だったじゃない。連夜が戻ってきてくれなかったら、もっとひどくなっていたと思うけど、ともかくそんな感じだった」
「そういえば、そういう時期があったね。懐かしいな。み~ちゃんってば、晩御飯とか一人で部屋にこもって食べようとするから、無理矢理部屋にご飯持ちこんで、一緒に食べたりしたね」
「そうね。思い返せば、あの頃が一番幸せだったかもしれないわね。それでもタマちゃんという友達ができて、リビーやクレオ共友達になって、他にも友達と言える存在がちらほらとできるようになっていった。高校の生徒会のときなんか、ほんとに楽しかったわ。みんな、気の置けない者ばっかりで集まって、仕事したり、馬鹿やったり。でも、大学に入って、みんなそれぞれ道が分かれて。そんな風に孤独を感じるようになってきたときに、私の周りに残っていたのがかぐや達だった。最初はね、そんなに気にしていたわけじゃないのよ。でもさ、ほら、いろいろと持ち上げられてちやほやされて」
高校の時だって、人気者のミネルヴァは大勢のファンがいて、始終ちやほやされてはいた。しかし、舞い上がりかけるたびに玉藻達がそれを注意し、時には厳しく叱ってくれたおかげで、ミネルヴァは嫌な奴にならずに済んだ。
だが、大学に入り、自分だけの旅団を作ってから、そういう風に彼女を制してくれる人がいなくなってしまった。いつしかミネルヴァは、かぐや達に依存するようになり、孤独を恐れる心も手伝って、彼女達の暗部に目を向けようとしなくなってしまってたのだ。
「自分の孤独を埋めてくれる便利な道具として、かぐや達のことを見ていたの。それにようやく気付くことができた。最初からそれに気がついていれば、もっと違う関係をかぐや達と結べただろうし、もっと違う方向にかぐや達を導いてやれたのかもしれないのにさ」
「み~ちゃん。でもそれは」
「わかってる。今となっては単なる仮定で、都合のいい妄想にすぎないわ。覆水盆に還らず。零れた水はもう元にはもどらない。かぐや達は帰ってこない。でもそれは連夜のせいじゃない。むしろ、彼女達の側にいて、その暴走を止めることができなかった私の責任。連夜が謝る必要はない。傭兵旅団『A』の団長たる私が負うべきもの」
一度天を大きく仰いだあと、ミネルヴァは顔を戻してまっすぐに連夜のほうに視線を向ける。連夜もまたその視線をまっすぐに受け止めた。
「あらためて謝罪するわ、『祟鴉』。あなたはうちの団員達から差別されて虐げられていた人達を守ってくれたのね。本当にごめんなさい。そして、ありがとう。あなたが、そう言った人達を守ってくれたおかげで、私はこうして追放処分という軽い罪を受けるだけで済んだ。そして、そんなあなたを今までずっと逆恨みしてきたことも謝らせて。本当に本当に申し訳ございませんでした。あなたは私を決して傷つけようとはしなかったのに、私はあなたを最後まで傷つけ続けた。本当、こんなこと謝って済むことじゃないよね。ごめん、ごめんなさい。本当に、ごめんね。殺そうとしてごめんね、連夜。お願い。お願いだから」
そこまで言ったあと、ミネルヴァは連夜の前でおもむろに跪き、その小さな身体に泣きながら抱きついた。
「お姉ちゃんのこと嫌いにならないで! 恨んでくれていい、憎んでくれていい。でも、嫌いにだけはならいで。お願い、おねがいよぉ」
矛盾した言葉を口にして泣きじゃくる姉の姿を、しばらくの間連夜は見つめていた。やがてふっと肩の力を抜いて優しい笑顔を浮かべると、自らも姉の身体を抱きしめ返した。
「何馬鹿なこと言ってるの。み~ちゃんのこと嫌いになんてなるわけないじゃない。だってみ~ちゃんは僕の大好きなお姉ちゃんなんだから」
「連夜ぁぁ」