第三十一話 『因果応報』
なし崩し的に始まった連夜とかぐやの一騎討ちは、開始して一分も経たないうちに、誰の目にも形勢がはっきりとわかってしまう状況に陥ってしまっていた。
「あなた、ほんとに見かけ倒しですのね」
凄まじい連続突きで、連夜の身体をあっという間に穴だらけにしてみせたかぐや。追い詰められ激しく狼狽していた先程までの様子が嘘のような余裕っぷりである。完全に自分の勝利を確信し、すぐにトドメを刺そうとはしない。
当り前と言えば当り前。連夜は肉弾戦を全く得意としていない。彼の本分は『策士』、あるいは後方からの『支援』担当である。矢面に立って戦うなど無謀でしかない。勿論、このことについて、彼のボディガードであるKは最初から大反対であった。元々、彼がかぐやと決着を着けるはずだったのだ。
因縁の深さから言えば、連夜よりもKやミッキーのほうがより深い。個人的な恨みを晴らすということそのものならば、どちらかにその役目を譲るべきである。
だが、連夜は今回に限ってそれを拒否した。
「弱いのはわかってるさ。でも、僕にも譲れないモノがあってね。こればかりは他の誰かに任せるっていうわけにはいかないんだよね」
「強がりだけは一人前ですわね。あなた先程、私が死ぬのは時間の問題だと仰っていましたけど、そっくりそのままあなたにお返しいたしますわ。それだけ出血していて、いつまでもつのかしら?」
「やせ我慢するのだけは得意中の得意なんでね。心配しなくてもあんたより先には死なないつもり」
「その減らず口。いつまで続くか試して差し上げます」
再び構えた槍を、目にも止まらぬ速さで突き出し、連夜の身体に更なる穴を増やしていくかぐや。懸命にその穂先から逃れようと、馬車の残骸などの障害物を利用して避けようとする連夜であったが、武術の達人であるかぐやの鋭い一撃を無傷で耐え忍ぶことなどできるわけもなく、どんどん傷は増えるばかり。
それに比して身体の中から流れ出る血の量もまた加速して増えていく。
(やばいな。このままだと本当に出血死しそうだ。そろそろ仕掛けるか)
地面の上を転がるように右へ左へと逃げ続ける連夜。しかし、彼はただ逃げ続けていたわけではない。地面の上を転がりながら、袖に仕込んだ薬品をそっと撒き散らしていたのだ。そして。左手にそっと一つの薬瓶を忍ばせて構える。彼が決行しようとしている作戦は、あの暴走した姫子を仕留めたときに仕掛けたもの。
かぐやが必殺の一撃を連夜に加えるために、不用意に踏み込んでくる場所に、地面が柔らかくなる薬を散布。足場の悪いところを踏みぬいて一瞬身体が止まったところを、頭から『快復薬』が入った薬瓶を叩きつける。
神通力を増幅する『快復薬』を頭からかぶったかぐやは、間違いなく『異界の力』を暴走させる。いくら『異界の力』を抑え込むブレスレットを装着しているとしても、暴走したその力を抑え込むことまではできないだろう。そうなれば、間違いなく『害獣』の王はかぐやを感知して捕食する。
(さぁ、勝負のときだ)
残りわずかな力を振り絞り、連夜は大勝負に出る。
「さぁ、いざ決着の時ですわ」
かぐやもまた己の勝利を確信して連夜との距離を一気に詰める。
しかし、踏み込んだそこはまさに連夜が罠を仕掛けた場所。
「なっ!?」
踏み込んだ瞬間、足場が崩れ前のめりに倒れるかぐや。その瞬間を連夜は見逃しはしなかった。
「もらった」
そう叫びながらかぐやの元に一気に走り寄った連夜は、左手に仕込んでいた薬瓶をその頭めがけて叩きつけようとする。
周囲で見守っていた者達の誰もが連夜の逆転勝利を確信し喜色を浮かべる。
だが。
「させるかぁっ!!」
走り寄って来た何者かが、連夜の横っ腹に突進して激突。連夜の腕がかぐやの頭上すれすれで停止する。
「ぐはっ」
仮面と顔の隙間からくぐもった悲鳴をあげて仰け反る連夜。しかし、それが皮肉にも連夜の命を救うこととなった。
「今だ!」
態勢を崩しながらも咄嗟に振り上げた槍の穂先が白塗りの仮面を真っ二つに割る。仰け反っていた為にギリギリ首と素顔に届かなかったのだ。
だが、それでも腹と胸にはうっすらと切り傷が浮かび上がり、完全にかわせてはいなかったことが判明。また何よりも致命的だったのが。
「い、いやああああっ!!」
大事な義兄弟であり同志でもある連夜の足もとに大きな血だまりができていることに気がついたミッキーが盛大に悲鳴をあげる。
目的を果たしたミネルヴァが連夜から身体を離してよろよろと後ろに下がると、連夜の横腹から何かが突き出ているのが見て取れた。よく見るとそれは短剣の柄。美しい装飾が施されたそれは、ドギツイほどの赤色に染まり本来の色が全くわからなくなってしまっている。
連夜はどこか他人事のように己の身体に突き刺さった短剣を見つめていたが、ほっとしたような表情を浮かべた後、そのまま反対側に倒れて動かなくなった。
「こうなっってしまったか。かぐや達を溺愛しているみ~ちゃんなら、こうするんじゃないかとは思っていたけどさ。やっぱり痛いモノは痛いね。僕はここまでか。結局後は、Kに任せることになっちゃったな。やれやれ。玉藻さん、怒るだろうなぁ」
血の気を失くしてどんどん青ざめていく顔を何故か穏やかなものにした連夜が一人呟く。
一方、間一髪のところで恋人を助け出すことに成功したミネルヴァは、宿敵が動かなくなったことを確認した後、かぐやに駆けよって手を掴むとぬかるみにはまった身体を引っ張り出す。
「大丈夫? かぐや」
「ええ、私は大丈夫ですわ。ありがとうミネルヴァ。信じていましたわ」
「当り前でしょ。どんなことがあっても、あなたのことを愛しているのもの」
「私もですわ」
瞳にうっすらと涙をにじませた二人の美女達はどちらからともなく抱き合い、そして、唇を重ね合う。
その姿を遠くから見ていた元団員達は、一様に絶望的な表情を浮かべて立ちすくむ。中でも激しい反応を見せたのは、ずっとミネルヴァの側にいた二人の少女達だ。こうならないように気をつけていたというのに、最後の最後でミネルヴァを制止することができなかった。その結果、思い描いていた中で最も最悪な結末が、目の前に広がってしまっている。
少女達はその場にがっくりと膝をつき、肩を落としながら半泣きの表情でミネルヴァ達の姿を見つめ続ける。
そんな周囲の様子を知りもしないミネルヴァは、彼女達の視線にさらされながらも恋人と熱い抱擁をかわしていたが、やがて今の状況を思い出して唇を離す。
そして、照れたように笑いあいながら、地面に倒れ伏す仇敵に視線を向け直した。
「危ないところでした。まさかこんな罠を仕掛けていたなんて。やはり噂通りの『策士』でしたわね。私としたことがまんまと踊らされるところでした」
「ちょっと離れたところから見ていたおかげで、こいつが何かを地面に仕掛けていたのがよく見えたのよ。こいつには今まで散々やられてきたからね。もう騙されないわ」
「さて、横槍が入らないうちに急いでトドメを刺してしまいましょう。おっと、その前に、うわさの『祟鴉』の正体を確認しておかないと」
「どうせ、見せられないほど不細工な顔なんでしょう。生きていると何しでかすかわからないから、早くトドメを刺しちゃいなさいよ、かぐや」
「あん、もう、ミネルヴァはほんとにせっかちさんですわね。大丈夫、顔だけ見たらすぐに槍を突き入れますわ。では、お顔を拝見」
虫の息になりつつある連夜に駆けより、そのフードをむしり取ったかぐや。今まで顔を隠していた仮面は、先程の槍の一撃で割れて落ち、素顔を守る物は既に何もない。かぐやとミネルヴァは、その血に塗れた顔を見て一瞬呆けたような顔をした後、同時に驚愕の声をあげる。
「「そ、そんな、まさか!?」」
二人が驚いた理由は全く違うもの。しかし、二人とも少なからぬ衝撃を受けて、しばしの間硬直してしまう。
だが、かぐやのほうがミネルヴァよりも早く立ち直った。そして、忌々しげに顔を歪めて地面に倒れる連夜を睨みつける。
「人間族。あまた存在する『人』類の種族の中でも最下級中の最下級に位置する最底辺種族。よりにもよって、『祟鴉』の正体がこんなゴキブリ種族だったなんて。汚らわしい。そして、なんて忌々しい生き物なの!? こんな奴に私の大事な仲間達がやら、私自身いいように翻弄されてしまうなんて。人生最大の汚点、人生最悪の屈辱」
美しい顔を醜悪に歪めたかぐやは、腹いせ交じりに連夜の身体を何度も何度も蹴り飛ばす。
一方、かぐやの横に立つミネルヴァは、未だにその衝撃から立ち直れないでいた。
「嘘よ。これは嘘。夢。悪い夢。そう、夢なんだわ。夢よ・・・ね」
強く握りしめた両拳を目の前で震わせながら地面に倒れて動かない連夜を見つめるミネルヴァ。ありえない光景に心は激しく動揺し、自分が見ている者が夢か幻か咄嗟にわからず目を白黒させる。だが、額にある第三器官ははっきりと事の真偽を捉えていた。自分の目の前で倒れ伏している人物がニセモノでもなんでもなく、紛れもない自分の実の弟であることを。
「でもどうして? どうして、この子がここにいるの? なんで? あんなに血を流して倒れて、え? 血? 赤い血? 真っ赤な?」
しばらくの間茫然とその場にたたずんでいたミネルヴァであったが、やがてあることに気がついて己の両拳を開く。そこには地面に流れているものと同じものがべったりとくっついていた。
「違う。これは違う。これは『祟鴉』を、みんなを殺したあの疫病神を倒すために」
必死に自分にそう言い聞かせようとするミネルヴァであったが、血だまりの中に沈む最愛の弟の姿を見ればそれが虚しい逃避に過ぎないことは明白。自ら傷つけた弟の姿を見ていられず視線をそこから外して彷徨わせるミネルヴァ。だが、外した先には槍を振り上げるかぐやの姿が。
「か、かぐや、ちょっと待って」
「死ね、ゴキブリ!」
慌てて止めようとしたミネルヴァの手は虚しく空を切り、かぐやの槍は地面に倒れ伏す連夜へと向かう。その穂先が狙うは心臓。声にならない悲鳴をあげるミネルヴァの目の前で、最愛の弟に死が迫る。
とても最後まで見ていることができず、思わず目を瞑ってしまう。だが、いつまでたってもミネルヴァの耳に、肉を突き刺す鈍い音は聞こえてこなかった。代わりに聞こえてきたのはかぐやのうめき声。
「ぐぐぐ、邪魔をするな、ゴキブリの仲間」
「そうはいかん。俺の大事な兄弟を殺させるわけにはいかない」
おそるおそる目を開けたミネルヴァに飛び込んできた光景は、連夜から結構離れたところに槍をもったままうずくまるかぐやと、連夜を守るようにして仁王立ちする黒の武人Kの姿。目を閉じていたミネルヴァにはわからなかったが、槍の穂先が連夜の心臓へと突き入れられる瞬間、間一髪で飛びこんできたKがかぐやの体を吹っ飛ばして守ったのである。
「連夜、しっかりして! うちのことがわかる!?」
Kに続く形で飛び込んできたミッキーが急いで連夜の身体に『回復』の術をかける。術が効いたのか、連夜の顔に生気が戻り弱々しくその瞼が開かれる。
「あれ? ミッキー、なのか?」
「そうよ、うちよ。と、いうか、なんて無茶なことするの、あんたわ。今、あんた自分の状態わかってる?」
「僕の状態? ああ、そういえば、何かお腹が痛いな」
「短剣が刺さってるのよ。私の『療術』の腕じゃあ、治しきれないから今は抜かないわ。痛いでしょうけどそのまま我慢して。もうじき中央庁の応援部隊がやってくる。そこには腕のいい専門術師の人もいるはずだから、それまで頑張るのよ、いいわね」
盛大に涙を流しながらそれでも必死に『回復』の術をかけ続ける義理の姉妹に、弱々しい笑顔を向ける連夜。しかし、思った以上に出血がひどいせいで目を開けていることができず、再びその目を閉じようとした。そのとき、連夜の視線の先に、泣きながらこちらを見つめ続けているミネルヴァの姿が映る。連夜は、力を振り絞ってもう一度目をあける。
「み~ちゃん、ごめん。ごめんよ」
「連夜、しゃべっちゃダメ! ただでさえ出血がひどいのに、今、余計な力を使ったら」
「ミッキー、お願いだから、少しの間、しゃべらせて」
連夜を休ませようとするミッキーを軽く手を振って制止した後、彼はもう一度ミネルヴァのほうに視線を向け直した。
「本当に・・・ごめんね。辛い思いをさせて・・・本当に、ごめんね」
「なんで? なんで連夜が謝るの? 刺したのは私なのに。今まで散々追い回してひどい目にあわせてきたのは私なのに」
「誰だって・・・身内のことは、大事だよ。・・・僕は、み~ちゃんの、大事な、身内を、仲間を、その手に、かけた。・・・み~ちゃんが、僕にしたことは・・・当然のことだ」
「でも、連夜がしたことは正しいことだったんだよね? アレス達もアリアも、かぐやも。みんな、許されない犯罪に手を染めてて」
「いくら、それが、他の『人』達にとって、最悪の犯罪者・・・であったとしても、み~ちゃんにとっては、かけがえのない仲間だったはず。・・・僕はそれを奪った。・・・身内を大事にする、み~ちゃんに、ここまでの仕打ちを、したんだから、こうなる覚悟は、していた」
「そんな」
「いくら、謝っても、謝り足りない。全て、僕が、僕の復讐心を満たすために・・・仕組んだこと。み~ちゃんを利用し、かぐや達に、復讐しようとしたんだ。さっき、み~ちゃんの側にいた、彼女達を、潜り込ませたのも、僕。シナリオ、全てを、考えたのも、僕。全て、僕が悪い。だから、み~ちゃん。み~ちゃんは、悪くないよ。悪いのは、僕だよ。恨むのも憎むのも、彼らを、実際に、殺した、僕一人に・・・してね」
「連夜!? れんやぁっ!?」
残った力を振り絞ってそこまで言葉を紡いだ後、連夜は眠るように目を閉じた。ミネルヴァは地面に横たわる連夜の元に駆けよって力を失くしたその手を握る。その顔には深い後悔の色がにじみ出ていた。
一方その頃、少し離れた場所では、かぐやとKが激しい戦いを繰り広げている。一進一退の攻防。激しく何度もぶつかり合う槍と拳。圧倒的にリーチに優れる槍を操っているにも関わらず、かぐやは相手を全く押しきれずにいる。いや、それどころか、ちょっとでも気を抜けば槍をへし折られそうな凄まじい勢いの攻撃が繰り出されてくる。
目の前に立つ黒の武人が思った以上の強敵であることに気がつき、一瞬顔を顰めるかぐや。だが、相手に少しでも気弱なところを見られまいとわざと余裕の笑みを浮かべて見せる。
「先程のゴキブリと違って少しはやるようですわね」
「黙れ。『人』類という種族を食い荒らすシロアリの貴様に、俺の兄弟を愚弄する権利は微塵もない」
「な、なんですって!?」
「聞け! 人の命を弄ぶ悪鬼羅刹かぐや!」
激昂するかぐやの言葉を途中でぶったぎり、一際雄々しく叫んで後方へと飛び退って構える黒の武人。面頬の奥に見える二つの瞳に真っ赤に燃える炎を宿し、眼前に立つ外道を見据えて再度咆哮する。
「外道の行いもここまでとしれ!」
「ふ、ふざけたことぉぉっ」
「『竜』に殴られ冥府に落ちろ!」
Kの叫びに応えるように、かぐやは槍を構えて殺到していく。先程以上の怒りと気迫で狙い定めるはKの心臓。神速の勢いで繰り出された槍の一撃は、狙い違わずKの心臓へと吸い込まれていく。かぐやは今度こそ勝利を確信し、獰猛な肉食獣の笑みを浮かべる。この一撃は、自分に短い生涯の中でも間違いなく最高と言える一撃。わずか十歳で槍術の免許皆伝を師匠からもらいそれから更に十年という月日が過ぎた。それ以降、何度も強敵と矛を交えてきたが、腰だめから放たれるこの神速の一撃をかわされたことがただの一度としてない。それほどまでに自信に満ちた一撃。
「かわせるものなら、かわしてみなさい! はああぁぁぁっ!!」
だが。
その勝利の笑みは一瞬にして絶望のそれへと変化する。
切っ先が心臓に届くと思われたその瞬間、槍の穂先が真っ二つに折れて宙へと舞ったのだ。槍を突き出したままの状態で思わず固まってしまうかぐや。だが、彼女の相手はそんな無防備な一瞬を見逃してくれるような甘い相手ではなかった。大きな巨体が踊るようにしてかぐやの周囲を舞う。思わず見とれてしまうような舞い。右手に作った手刀を剣に見立て、素晴らしい剣舞を踊る。雄々しく力強くも、どこかはかなさを感じさせるようなそんな舞い。
いつまでも見ていたい衝動に駆られるが、しかし、それはただの舞いではない。
相対する者全てを完全に破壊する恐ろしい舞い。
「へ、あ」
ふと気がついたとき、かぐやは己の身体が宙を舞っていることに気がついた。いや、ただ舞っているわけではない。その証拠に、己の手足は曲がってはいけない方向へとねじ曲がり、持っていた槍の柄の部分は手から離れいずこかへ。そして、次の瞬間、かぐやの身体を信じられない激痛が襲う。
「いいいやあああああっ!」
壊れた人形のように空中をバタバタとのたうちまわるかぐや。だが、Kの破壊の舞いは終わったわけではなかった。落ちてくるかぐやの身体の真下には、大きな拳を腰だめに構える大柄な武人の姿。
「うおおおお」
「や、やめぇぇ」
折れた両手をばたつかせながら必死に落下個所を変えようとするかぐやであったが、どうみても無駄なあがき。
目の前に落下してきたかぐやの豊満な胸めがけ、武人の拳が容赦なく叩きこまれる。一瞬だけ、空中でその動きを完全に止めた後、かぐやの身体は弾丸のように一直線に大河に向かってすっ飛んでいく。しばらくの間滑空を続けた後、巨大な壁のような何かにぶつかり制止。そのまま地面にずり落ちる。
「ぎ、ぎざ、ぎざまぁぁ」
醜悪に歪んだ顔を地面から持ち上げ、呪詛の言葉を吐き出そうとしたかぐやであったが、次の瞬間、身に着けていた美麗な東方風鎧がはじけて飛び、それと同時に口から盛大に血反吐が吹きあがる。
「ぶ、ぶべらぁぁぁっ」
そして、顔面から地面へと再び着地。動かなくなったかぐやの姿を見て、Kは静かに背を向けた。そして、少し離れたところで地面に横たわる連夜の元へと歩き出す。もう振り返ろうとはしない。
だが、そんなKの背後で、外道はまだ己の命運を諦めてはいなかった。
ボロボロの身体を無理矢理起き上がらせて、背後にある壁のような何かに寄りかからせる。
「ま、まだ、終わってはいませんわ。私には。この選ばれし者である私にはまだ奥の手がある」
パンパンに腫れ上がった顔を笑みの形に作ってみせたかぐやは、自分の体内のある力をフル稼働させる。周囲を警戒する兵士達が警戒する中、かぐやの全身をくまなく覆っていた数々の傷や骨折がみるみるうちに治っていく。
「あははは。みたか。この奇跡の力を。世界を超越してもたらされる至高の力を。これがあれば。私は無敵! 不敗! 最強!」
あっという間に完全回復したかぐやは、周囲にいる者達に対しこれみよがしに哄笑して見せる。だが、そこに彼女が求める反応は全くない。むしろその真逆。皆、一様に憐みの表情を浮かべてかぐやのほうを見つめている。そんな彼らの姿に、かぐやは再び激昂。激しい罵声を浴びせ掛けてやろうと口を開きかける。
だが、結局、かぐやは口を開くことができなかった。
永久に。
かぐやの背後にあった壁のような何かから、伸ばされたのは巨大な手の平。あっという間にかぐやの身体を掴みとったそれは、彼女をはるか上空へと連れ去っていく。凄まじい力で締め付けられたかぐやは、そこから逃れようと力の限りを尽くして抵抗してみるが巨大な手の平はびくともしない。それどころか締め付けられ過ぎた身体は声を出すことすら許してもらえず、彼女は最後の望みをかけて眼下を見下ろす。そこには、自分を先程助けてくれた、愛する恋人の姿があるはず。彼女は、一縷の望みをかけて首を伸ばす。確かに、彼女の視線の先には、彼女が情を交わしたミネルヴァ・スクナーの姿があった。
しかし、彼女はかぐやを見てはいなかった。それどころか宿敵であるはずのあの、ゴキブリ種族の側にいる。遠すぎてはっきりと見えないが、寄り添うその姿は、まるで看病しているようにすら見える。
いったい何が起こっているというのか。
激しく混乱する頭を振りみだしながら、かぐやは懸命に打開策を考えようとするが、建設的な考えは何一つとして浮かんではこない。それどころか、浮かんで来るのは楽しかった頃の記憶や、栄光に満ちていたかつての日々。これが何を意味するのか、流石のかぐやにもわかってしまい絶望に顔を歪ませる。
地上から視線を外し、顔をあげるとそこには巨大な鶏の顔。大きく上下に開いた嘴の中には底なしの闇が広がっている。恐怖に彩られた瞳でその闇を見つめていたかぐやは、ふとあることに気がついた。
そういえば、自分が最後に戦ったあの武人。そして、ゴキブリ種族のすぐ側にいた少女。二人ともどこかで出会ったことがあることを思い出した。だが、それがどこであったのか。そして、二人が誰であったのか、どうしても思い出せない。それを思い出そうとしているうちに、彼女の意識は闇の中に呑まれていった。
そして、永遠にそこから戻ってくることはなかったのだった。
様々な悪事に手を染め、Kやミッキー達の人生を大きく狂わせた張本人の人生はなんとも呆気なく終焉を迎えたのだった。
「終わったな」
「そうね。一応終わったと言えるかしらね。まあ、高級の馬鹿が逃げてしまったっていうから、完全に終わったとは言えないかもしれないけれど」
「一つのケジメではある」
「そうね。確かにそれはそうだわ。それにしても、あの女、最後まで私達のことがわからなかったみたいね」
「あの女にとって大事なのは自分だけで、他の全てには何の価値もなかっただろうからな」
「確かに。私達の正体が、奴隷として売り飛ばした弟、妹だとわかったとしても、あの女は態度を変えたりはしなかったでしょうね」
なんとも言えない表情でひっそりと呟くKに、彼の横に座るミッキーがどこか気が抜けたような返事を返す。そんな二人の声を聞いていたのだろうか。それを合図としていたのようなタイミングで、害獣の王がゆっくりと大河の中にその身を沈めていく。黒衣の怪人やK、ミッキーにフレイヤ達、そして、黒の兵士達とその彼らに救助されていく奴隷兵士達に見守られながら、害獣の王は悠久の流れの中に姿を消した。
なんとも不思議な光景であった。
人類の天敵であり、その頂点に立つはずの害獣の王は、彼らに見向きもせず去っていった。
まるで狙っていたかのようにかぐや達のみを狙い撃ちにして捕食し、去っていったのだった。
「うちの御大将様のことは信じていたけどさ。本当に、『あいつら』って異界の力を持つ者にしか反応しないのね」
「私もびっくりしました。最初に話を聞いたときには正気なのかと疑いましたけど、こうして自分の目で確かめた今となっては信じるしかないですわね」
大虚獣が消えていった大河の淵に立ち、興味深そうに中を覗き込むフレイヤ。そんな彼女を、ミッキーは苦笑を浮かべて見つめる。そして、二人は同時にそれぞれの右腕につけた腕輪を見つめた。
それはミネルヴァ達がつけている腕輪とは似て非なるもの。鈍い黒鉄色をしたその不気味な腕輪は、装着者の体内にある異界の力を分解し消滅させる力を持っている。そう、消滅させてしまうのだ。ミネルヴァ達が使っていた腕輪は異界の力を貯め込み続ける代物であったが、ミッキー達が使っているアイテムは装着している間、常に異界の力を消し続ける効果がある。
つまり、こちらこそが本物だったのだ。
ミネルヴァ達が使っていたアイテムは、連夜がわざと横流しにしていた欠陥品。いずれこの日が来ることを見越していた連夜が、ミネルヴァを通じて傭兵旅団『A』の中に広めていたのだ。勿論、ミネルヴァはこのことを知らない。連夜に対する絶大な信頼故に、疑うことなく流してしまったのだ。
だが、何故ミネルヴァ達は狙われなかったのだろうか。
答は簡単。害獣の王に狙われなかった者達は、中央庁から旅団内に密かに派遣されたスパイだったからだ。
彼らは連夜から完成品を受け取って身に着けていた為、狙われなかったのだ。当然、ミネルヴァが身に着けていたものも完成品。ちなみに、かぐや一派でもスパイでもない者は旅団の中に一人も存在しなかった。そう言ったグレーの者達は、かぐやから誘いを受けて彼女達の一派に入るか、旅団から追い出されるかのどちらかしかなかったからだ。
「私はフレイヤやミッキー様ほど信じてはいませんでしたけどね」
「あの大虚獣が胸糞悪い差別主義者どもを退治してくれたのはよかったけどさ、そのあと素直に帰ってくれるかどうか心配で心配で、最後までドキドキしたよな」
「そういえば、二人とも最後まで逃げなかったわね」
「そんなの当り前ですよ。K様もフレイヤも残ってるのに、私達だけで逃げれるものですか」
「そうだそうだ。死んだ奴らを悪くいいたくねぇがよ。あいつらと一緒にすんな」
「あはは。そうね。ごめんなさい。実を言うと私は逃げ出したくて仕方なかったのよ」
「「「ええええっ!?」」」
「だってさ、なんの心の準備もなくあんな化け物とご対面でしょ。いくら長年の付き合いのある乳兄弟の言葉でもね。なかなかいきなりは信じられるわけないじゃない。害獣の王よ、害獣の王。『神』や『悪魔』なんて『人』を超越した存在全てを滅ぼした恐ろしい化け物なのよ。そんなのにいきなりご対面って、いくらなんでもハードル高すぎるっての」
驚くフレイヤ達の前で大きくため息を吐き出したミッキーはがっくりと肩を落として見せる。
そう、今日の一連の出来事全てはあらかじめ計画を立てられた内容で進められたわけではない。全てアドリブのみの行き当たりばったりの計画だったのだ。
元々、ミッキー達、『葛柳会』の戦闘部隊が本日出撃してきた理由、それは傭兵旅団『A』と同じ。即ちタイガーマンモス討伐だった。
勿論、その討伐計画そのものについてはアドリブでも行き当たりばったりでもない。半年もの長い時間をかけ用意周到に連夜が進めてきた毒殺計画。その最終段階を行うにあたり万全を期するため、Kをはじめとする『葛柳会』の戦闘部隊が招集されたのである。当初の計画としては連夜一人で行う予定であったが、それを知った恋人の玉藻をはじめとする親しい者達が猛反発。タイガーマンモスに対しては問題なく対処できるとしても、『外区』には危険な原生生物や『害獣』が数多く徘徊している。タイガーマンモスと対峙しているときに、それらと遭遇することになったとしたら。
決してはそれは楽観視できるような状況ではない。
人生の大半を『外区』の中で過ごしている連夜にとって、そういった危険を回避する方法も計画の中に当然含まれているし、うまく立ち回る自信もあった。だが、愛しい恋人やかわいい妹達から懇願されてしまっては拒否することはできない。
そう言った理由から、K達『葛柳会』に協力を要請することとなったのだ。彼らを選んだ理由は実に単純。『外区』に一番慣れているからだ。彼らは安全な都市内に居住区を持たず、危険な『外区』で日常生活を送っている。その為、『外区』で、どういった行動をすれば危険を回避できるか、生きていくことができるのかというサバイバルスキルを当り前のように身に着けている。
こいうして連夜に指名されたK達は、その要請を快く了承。連夜と共に、タイガーマンモス討伐へと向かったのだ。
だが、向かった先で彼らは思わぬ事態に巻き込まれる。逃亡してきた奴隷の少女を助けたときに、傭兵旅団『A』がタイガーマンモスと戦闘状態に入っていることを知ったのだ。
傭兵旅団『A』には、K達の怨敵かぐやがいる。たくさんの仲間達が彼女の手によって直接、あるいは間接的に殺されてきた。また、殺されずとも不遇な境遇に陥れられたものもいる。家族を奴隷として売られてしまった者もいる。決して許すことはできない不倶戴天の敵。
かぐやだけではない。かぐやの周囲にいる者達もそうだ。表の顔は巨大財閥のお嬢様、しかし、裏の顔は犯罪組織『バベルの裏庭』の幹部という副団長のアリアンロッド。凄腕の奴隷ハンターとして名を馳せているアポロ。かぐややアリアンロッド達『バベルの裏庭』幹部のボディガードであり、A級の殺し屋でもあるアレス。そして、様々な魔薬生産に関わる恐るべき錬金術師であるアダム。皆、裏社会ではそれと知れた犯罪者達。表社会でそれなりに地位を持ち、政界にも財界にも太いパイプを持つ彼らは、自分達の犯した犯罪をその都度綺麗に隠ぺい。なかなか尻尾を出さず表だってお尋ね者になるようなことはなかったが、それでも裏世界にある程度精通する者ならばみな、彼らのことを知っていた。
勿論、Kをはじめとする『葛柳会』のメンバーは皆知っている。かぐやだけでなく、アリアンロッド達にひどい目にあわされた者も大勢存在していたからだ。
それだけに、この情報がもたらされたとき、『葛柳会』の戦闘部隊はいろめきたった。逃げてきた奴隷少女の話によると、かぐや達の部隊は予想以上のタイガーマンモスの強さに圧倒され瓦解寸前。まさに長年の怨敵を倒す絶好のチャンス。
この機を逃してはならじと、戦場へ駆けだそうとする『葛柳会』の面々。だが、そんな彼らを連夜は止めた。急ぐ必要はない。こちらが手を汚さずとも決着はすぐに着けることができるからと。
そして、首を傾げる一同に連夜は驚きの作戦内容を説明したのだ。
「まさか、害獣の王を呼び出して始末させるなんてね」
目の前で起こったこととはいえ、未だに白昼夢ではなかったのかと苦笑するミッキーに、フレイヤ達は同じような表情で深く頷く。
そう、連夜が提案した作戦とは、強大な異界の力を出現させることによって害獣の王を呼び寄せて、かぐや達を始末させるというもの。ハッキリ言って荒唐無稽。人類の天敵である害獣を一時とはいえ操り宿敵だけを排除するなど、そんな都合のよい作戦が成功するとは思えなかった。いや。成功以前に実行可能などと誰が信じられるであろう。
だが、連夜は実行できると断言。いつかこの日が来ることを見越して、タイガーマンモスの毒殺作戦よりもずっと前からこの作戦の為の仕込を行っていたことと、そして、その仕込の内容の詳細を説明。
それでも皆、なかなか信じることができず困惑するばかり。また、聞かされた作戦が本当に実行可能かどうかよりも、あくまでも自分達の手で決着をつけたいと主張する武闘派の者達も少なからずいたし、今回は様子を見るだけにとどめようという消極派もいた。そんな風に『葛柳会』の中でも意見は様々にわかれたが、結局最後には、リーダーであるKが連夜を信じることを明言し決着。
個人単位では皆思うことがあったようだが、自分達の絶対的リーダーであるKの言葉に敢えて逆らおうとするものはなく、これにより、連夜の作戦が実行されることとなった。
一応、もしもの場合を想定し、中央庁にいる連夜の母親に連絡を入れて応援を要請。その後の結果についてはもう言うまでもない。
「元々異界の力をもってない私や『葛柳会』のみんなは大丈夫だっていう話しだったけどさ、それでもあんな恐ろしい化け物と相対するのはやっぱり怖いってばさ」
「ミッキー様はまだましですわ。私達なんか異界の力が強いからハラハラいたしましたもの。常時異界の力を消去し続けてくれるブレスレッドを身に着けているとはいえ、どこまで消去してくれっているのか実感できませんし、ひょっとしたらわずかな異界の力に反応して襲われるかもしれないって」
「ほんと、ビクビクしましたよね。さっきほどじゃないですけど、今でもほら、まだ手が震えていますもの」
そう言って自分の震える手を差し出すメイリン。幾多の戦場を駆け巡り、二十歳にならぬ若輩でありながらすでにベテランの域にあるメイリン達ですらこのザマである。いくら大丈夫と太鼓判を押されても怖い者は怖い。五百年の間に害獣の王が人類に刻みつけた恐怖は並大抵ではないのだ。
むしろ、狂気に陥ることなく、また逃げることもなく、最後までこの場に踏みとどまって事態を見届けた彼らは十分に自分達を誇っていいだろう。
「まあ、でもこっちのことは最初からガン無視してくれていたから、よかったんだけどな。多分ちょっとでもこっちに視線を向けられていたら、最悪ショック死していたかもしれん」
「「うんうん」」
「みんな、よく踏みとどまったよね」
「ところでミッキー様。我らが御大将殿の容体はどうなんですの?」
「悪いわ。かなり悪い。私とフレイヤでひっきりなしに『回復』の術を掛けてなんとか現状を維持しているけれど、一刻も早く本格的な治療を受けさせないと取り返しのつかないことに」
簡易型の担架の上で連夜は眠り続けている。今のところその顔色はよくも悪くもない。ミッキーとフレイヤという強力な術師が二人がかりで『回復』の術を掛け続けているおかげで、ほとんどの傷を治すことができた。だが、問題は横腹に刺さったままになっている短剣だ。さっさと抜いて治療してやりたいのはやまやまなのだが、ミッキーもフレイヤも治療を専門とする本職の『療術師』ではない。下手に抜いてしまうと、『回復』の術を掛ける前に出血多量で死んでしまいかねない為、抜くに抜けない状況なのである。そのため、本職の『療術師』が到着するまでの間、『回復』の術を掛け続けてなんとかその命を繋いでいるのである。
幸い随分前に中央庁の特殊部隊に応援要請を出していたので、到着するまでそれほど長くはかからないと踏んでいる。それまでの間なら、十分二人でもたせることが可能であるとミッキーは踏んでいる。だが、もしものことがないとも限らない。いくら大丈夫と自分に言い聞かせてみても不安はつきない。
そして、ここにはミッキー達以上に不安を募らせているものがいた。
「連夜。ごめんなさい。私のせいで。何もわかっていなかったから。私が、自分のことしか考えていなかったから、こんなことに」
あれからずっと連夜の手を掴んだままミネルヴァは泣き続けている。深い悔恨に苛まれながら、眠り続けている連夜に謝罪の言葉を投げかけ続けている。その言葉は全く届いていないとわかっているはずなのに。何度も何度も彼女は謝り続ける。涙を止め処なく流しながら、いつまでもいつまでも謝り続けている。
その様子をなんとも言えない様子で見守り続けるミッキー達。本音を言えば、『おまえにそんな資格はない』『今更、なんの謝罪なんだ』『どの面下げて言っている?』と大声で盛大に罵ってやりたい。そして、この場から引きずり離してやりたい。しかし、この女にひどい目にあわされた当の本人が、それを望んでいないことをミッキー達はよくわかっていた。わかっているが故に、罵声を放つことができず、ただただ言い知れぬ複雑な感情を抱えて見守るのみ。
そうして、どれくらい時間が経ったであろうか。
ミッキー達は、自分達の目の前に待ちに待ってた人の姿を見つけ、安堵の表情を漏らす。
「ドナおばさま、仁おじさま!!」
「遅くなってすまん、ミッキー」
「これだけの大怪我をよくここまで治してくれたね。本当にありがとう。さぁ、治療するから彼の身体を引き渡してもらえるかな?」
大勢の部下たちを引きつれて現れたのは真紅の髪の美女と、黒髪の青年。勿論、それは連夜の実の両親、ドナ・スクナーとジン・スクナーの二人。ジンは、背後に控えている自分の弟子達に合図を送ると、連夜の乗った担架を近くに止めている救急治療用の特殊馬車へと移動させる。それに付き添う形でミッキー達も一緒にその場を離れていく。
「連夜。すぐに治してもらえるからしっかりするのよ」
「連夜さん、わかりますか? もう大丈夫です。お父様がいらっしゃいましたよ。」
運ばれていく連夜と並走し、必死に励ましの声をかけ続ける二人の姿を、しばしの間、慈愛に満ちた瞳で見つめていたドナであったが、やがて、表情を引き締め、厳しい視線を残った者達の中の一人へと向ける。
その視線を向けられた者は、覚悟を決めた表情でその視線を真っ向から受け止めると、涙をぬぐってドナの顔を見返した。
「話がある、ミネルヴァ。いや、傭兵旅団『A』団長アテナ。我々に同行してもらうぞ」
「はい、わかっています」