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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
158/199

第二十八話 『祟鴉見参』

 ミネルヴァはその場に茫然と立ち尽くしていた。

 かぐやはその横で茫然と立ち尽くし、その横に立つアリアンロッドやアレス、アポロやアダムも全く同じように茫然と立ち尽くす。

 いや、傭兵旅団『(エース)』の面々だけではない。生き残った他の旅団員達も、そして、黒の鎧武者達もまたやはり茫然と立ち尽くしていた。

 彼らは皆、ある一点を凝視して立ち尽くしている。

 何故なら、そこに到底信じられないものが存在しているからだ。

 いや、正確には存在していたというべきだろうか。それは、つい先ほどまで生きて暴れまわっていたのだから。周囲にいるもの全てに恐怖と死を存分に撒き散らしていたのだから。

 しかし、今は違う。

 城砦都市『嶺斬泊』と城砦都市『アルカディア』とを繋ぐ広大な交易路のど真ん中で、それは舌を出し白目をむき、そして、口から盛大に泡を吹きだした状態で横たわっている。

 その巨体はもうぴくりとも動かない。

 ついさっきまで自分自身が死の化身であったそれは、今はそのものとなってしまった。

 そう。

 一年以上もの長きにわたって交易路を塞ぎ続けた凶獣タイガーマンモスは、ついさっきその一生を終えたのであった。


 この凶獣を倒すために、ずっと死闘を繰り広げてきたミネルヴァ達からすれば、大喜びしていい瞬間であるはず。

 しかし、誰一人としてはしゃぐ者はいない。勝ち鬨をあげるものもいなければ、感涙にむせぶ者もいない。

 死闘に次ぐ死闘。この凶獣との戦いではたくさんの犠牲者が出た。戦いの舞台となった交易路の周囲にはおびただしいまでの兵士の死体。そして、死は免れたものの手足を失った者や、骨が折れた者、大きな裂傷を負ってしまった者。様々な重軽傷者達が地面の上に倒れたままの状態で呻いたり、座り込んだり。

 ここまでの激闘の果てに掴んだ勝利に喜ぶ者がいてもおかしくない状況。

 しかし、やはり、一人としてそんな者は存在していない。

 ただただ、茫然。ただただ、唖然。

 何故といって答は簡単である。

 これだけの犠牲者を出しながら、彼ら自身が凶獣を討ち取ったわけではないからだ。

 凶獣を討ち取ったのは完全なる部外者。混乱極まり、最早蹂躙されるだけの状態の彼らの元に飛びこんできたのはたった一人の人物。

 夜の闇そのものといったボロボロの黒マントを翻し、その下にはやはり全身を覆う真っ黒なバトルスーツ。そして、顔には達筆な東方文字で『(たたり)』の一文字が大きく書かれた白い無地の仮面。

 それはミネルヴァ達が、絶対に見間違うことのない人物。

 傭兵旅団『(エース)』最大の仇敵。


「『崇鴉(たたりがらす)』。なんで? なんで、奴がここにいるの? それにどうやってあの化け物を倒したっていうの!? ねぇ、なんでよ。どういうことよ。答えなさいよ、クソガラス!」


 そう、凶獣はタイガーマンモスを倒したのはミネルヴァ達ではない。

 この戦場に突如として乱入してきた一人の黒衣の怪人。

 城砦都市『嶺斬泊』の夜の世界に跋扈する『祟鴉(たたりがらす)』であった。


 ミネルヴァ達はタイガーマンモスを倒すことができなかった。いや、倒すどころの話ではない。むしろたった一匹のタイガーマンモスに全滅させられるところだったのである。

 決定的な敗因、それは、タイガーマンモスの最初の反撃の際に、第三陣の乗ってきた『馬車』を破壊されたこと。あれを壊されてしまったことが、敗北につながる決定的な一手となってしまったのだ。あのとき、『馬車』を壊されると同時にトレーラー部に搭載していた黒の鎧武者達のコントロール装置も一緒に破壊されてしまった。そのことによって鎧武者達の洗脳が解け、自我を取り戻してしまったのだ。

 自由になった鎧武者達の行動は、傭兵旅団の秩序だった作戦を木端微塵に打ち砕く。一目散に戦場から逃げ出すもの、死の恐怖に耐えられずその場に立ち尽くすものやしゃがみこむ者、怒りに我を忘れて傭兵旅団の戦士達に襲いかかる者。まさに大混乱。最早、収集のつかない一大カオス。団長のミネルヴァは、その場をなんとかおさめようと自ら戦場に立って奔走したが、さらなる悪夢が彼女を待ち受けていた。

 自由になった黒の鎧武者達の中から、別の『馬車』へと走り出す者が現れ出したのだ。その者達は、次々と他の『馬車』へと潜り込み、片っぱしからコントロール装置を探し出して破壊。これによって、まだマンモスを抑え込もうとしていた他の鎧武者達も解放されることとなってしまったのだ。

 こうして、凶獣タイガーマンモスを抑え込む者達が完全にいなくなってしまった。戦場は『人』対『凶獣』という図式から、『傭兵旅団『(エース)』対『黒の反乱奴隷集団』対『凶獣』という三つ巴状態に。こうなってしまっては立て直すことは誰がどう見ても不可能である。

 早くからそれに気がついていた旅団の参謀かぐやは、自分のシンパ達を引きつれて戦場を駆け回りミネルヴァに合流。今この場にいるメンツだけで撤退することを進言。自分達が生き残るために、他の者達には囮として残ってもらい尊い犠牲になってもらおうと説得する。

 しかし、当然のことながらミネルヴァは首を立てには振らない。それどころか作戦を失敗させた元凶である自分達上層部こそが残り、一人でも多くの団員を逃がすべきだと主張し始める。

 かぐやとミネルヴァの話し合いは完全に平行線。いつまでたっても決着がつかない。しかし、その間にも兵士達は次々と倒れていく。傭兵旅団の団員達も、反乱奴隷である黒の鎧武者達も等しく戦場に倒れ、物言わぬ屍だけが物凄いスピードで量産されていく。

 そんな中、全く倒れる気配のない存在がたった一つだけある。

 言うまでもない。凶獣タイガーマンモスである。

 元々、凶獣は最初から傭兵旅団と黒の鎧集団の両方を相手に戦っていたのだ。それが途中から仲間割れを始めてくれたおかげで、一気にその戦力は半分以下に減少。三つ巴という形ではありながら、最早タイガーマンモスの独壇場といっても過言ではない状態になっていたのだ。

 一方的な蹂躙。そこには選ばれし者も奴隷もない。どこまでも平等。何の差別も区別もなく奪われていくたくさんの命。

 もう誰にも止められない。いくら傭兵旅団『(エース)』の中に、トップクラスの凄腕が何人も存在していても、これだけ勢いのついたタイガーマンモスを止めることは不可能。黙って全滅するのを見ているか、今すぐ逃げ出すかの二択しかない。

 そう、誰もが諦めに似た境地に陥っていたときだった。


 突然、タイガーマンモスが攻撃を中止したのだ。


 あれほど怒り狂って暴れまわっていた凶獣がである。手当たり次第に周囲の兵士達をなぎ倒し、それを掴んでは口に放り込んで食らい続けていた化け物が、ピタッと動きを止めた。

 そのことに気がついた兵士達が、よくよく凶獣を観察してみると、奴はある一点を凝視して動きを止めていた。

 深い深い森のある方向。広い大河のある方向とは真逆。

 兵士達は、つられるようにして自分達の視線をそちらへと向ける。すると、そこには一つの人影。

 最初、兵士達はそれが木の影のように見えた。それくらいにそれは黒く、存在感が薄かったから。だが、それは影ではないとすぐに気がつく。黒の中にぼんやりと浮かぶ楕円形の白。そして、その白の中には一つの東方文字。


「た、『(たたり)』の一文字。や、奴は」


 東方文字に精通していないものでも、その文字についてだけははっきり知っていた。それは自分達のリーダーがずっと追いかけてきた宿敵を示す文字だったからだ。

 どれくらいの間、皆が動きを止めていたであろうか。

 しかし、その静寂も破られる時がくる。一番最初に『静』の時をこの場に生み出したモノが、再び『動』の時を上書きする。

 タイガーマンモスは、再び咆哮をあげると、突進を開始する。

 しかし、それは先程とは違いに兵士達に向かってではない。後ろで言い争っているミネルヴァ達上層部に向けてでもない。まだ無事な『馬車』に向けてでもなければ、南に向けて逃亡するわけでもない。

 森へ。

 森にいる黒衣の怪人に向けて突進していったのだ。

 あっという間に怪人との距離を詰めるタイガーマンモス。その勢いのままに怪人を弾き飛ばすのかと思われた。

 だが、そうなる前に、怪人がアクションを起こす。

 背負っていたリュックを下ろして両手に構えると、大空めがけて力いっぱい放り投げたのだ。

 すると、それに合わせて凶獣は急ブレーキ。宙を飛ぶリュックサック目掛けて鼻を伸ばす。宙に伸ばした一本目の鼻は空を切り、二本目も掴めず、しかし、三本目で見事にキャッチ。すかさずそれを口の中に放り込んで何度か噛み締めたあと、ゴクリと大きく喉を鳴らしながらそれを呑みこんだ。

 しばし、その場に立ちつくす凶獣。だが、すぐに奴は体を小刻みに震わせ出す。いや、そればかりではない。苦しそうに三本の鼻を宙へと伸ばしめちゃくちゃに振るう。やがて、立っていられなくなったのか、地面に寝そべって巨体を何度も転がした、そして、一際大きく咆哮を挙げる。

 咆哮が聞こえなくなったその直後、伸ばしていた鼻は急激に力を失って地面へと落下。そのまま奴は動かなくなった。

 そう。


 凶獣タイガーマンモスは死んだのだ。


 兵士達は勿論、ミネルバやかぐや達もまたあまりの急展開についていけず茫然とする中、凶獣に近づいた黒衣の怪人は動かなくなったその巨体に深々と頭を下げると、静かに両手を合わせて合掌した。

 わけがわからない。

 いったい何がどうなったというのか。

 間近に迫っていた死が回避されたことはわかる。しかし、何故、突然タイガーマンモスは死んだのか。


「毒でも使ったっていうのでしょうか?」


「馬鹿な。あいつに毒が効果があるなんて聞いたこともない。少なくとも即効性の毒は全てアウト。たった一滴体内に入っただけで死に至らしめる最強クラスの猛毒『エンジェルベノム』でも奴には効かないのよ」


「そうすると、なんらかの『術式』ですか? あいつの心臓を止めるとか破裂させるとか、あるいは呼吸を止めて窒息させるような『術』をリュックを投げている隙に仕掛けたとか」


「ないわよ。あんたも見てたでしょ。あいつが起こしたアクションはリュックを背中から下ろして投げた。たったそれだけ。他には何もしてない」


「では、私達から見えてない死角から他の誰かが必殺の攻撃を仕掛け一撃で奴を倒したとか」


「それこそありえないわ。あんたの言う必殺の攻撃とやらがどれくらいの威力を想定して言ってるのか知らないけど、うちに在席している手練れ達も結構な威力を叩きだせるのよ。それを今までバカスカ射ちまくって全く倒れなかったのに、それを上回る威力を出したっていうの? しかも、私達に見えないように? あるわけないじゃないそんなこと」


「お手上げではないですか。たまたま奇跡でも起きたというのですか?」


「それはない。奇跡なんかじゃない。あいつは私達にはわからない何かをした。忘れたの? あいつはどんな卑怯なことでも汚いことでもなんでもやるあの怪人『祟鴉』なのよ。タネも仕掛けもあるに決まってる!」


 どうしても凶獣を倒した方法がわからず天を仰ぐかぐやに、ミネルヴァは苦々しい表情で断言する。

 そう、確かに彼女の言うとおりタネも仕掛けもあった。それも半年以上も前から仕掛けたタネが。

 怪人『祟鴉(たたりがらす)』こと宿難 連夜は、一年前、城砦都市『嶺斬泊と『アルカディア』とを繋ぐ交易路が封鎖された直後、街道周辺の調査を開始。すぐに凶獣タイガーマンモスを見つけ出していた。

 幼い頃から父と共に世界中を旅してきた連夜は、大陸の南方でタイガーマンモスを出会ったことがあった。そのとき彼自身は直接戦いはしなかったが、凶獣の恐ろしい生態についてはしっかりとその目に焼きつけた。それゆえに一筋縄では排除できないものと判断。

 しかし、ひょっとすると自分の知らない凄腕のハンターが、奴を退治してくれるかもしれない。自分の判断は考え過ぎなのかもしれない。だが、やはりどうしても楽観的にはなれない。

 結局、徒労に終わることを覚悟の上で、時間を掛けて凶獣を狩る計画を練った彼は、実行に移すことにした。

 その退治方法は『毒殺』

 しかし、普通に毒殺しようとしてもうまくはいかない。普通の毒だと、それが即効性のものでも、驚異的な再生能力でもってしてあっという間に解毒し再生してしまう。そこで連夜は、多数の種類を掛け合わせて完成する特殊な複合性の毒を使うことにした。

 まず、毒を作る上で必要となる三種類の薬草を『死の森』の奥深くから採取。

 そのうちの一種類をごく微量、美味で知られる銀華豚で作った大きな焼き豚の塊に練り込む。

 焼き豚を選択したのは、豚肉がタイガーマンモスの大好物だからだ。連夜は、三日に一度の割合でタイガーマンモスの元に赴いて、この焼き豚を食べさせた。タイガーマンモスは凶暴ではあるが、こちらから攻撃しなければすぐには襲いかかってはこないし、奴の通り道に焼き豚を置いておけば勝手に食べてくれるので、それほど危険はない。ただ、根気だけがいる作業。それを三カ月続けた後、今度は、二種類目の薬草を焼き豚に練り込み、これをまた同じようなペースで食べさせ続ける。

 二種類の薬草は、共に連夜が作ろうとしている複合性の毒薬の基本となる素材であるが、ある特殊な性質を持っている。

 一つは、単体では全く無害であるということ。一種類だけを食べても、何の害も出たりはしない。当然体調がおかしくなったりもしない。故に、飲まされた者は己が毒になるものの素材を口に入れたとは気がつかないのだ。

 二つ目は、この二種類とも、胃液で溶けないということ。焼き豚そのものは当然溶けて栄養となるが、この薬草のエキスだけは溶けずに胃のなかに沈殿し残るのである。そうして残った二種類のエキスは、胃のなかで化学反応を起こし、また別の薬となって沈殿する。

 だが、この時点でもまだ、胃のなかにできた薬は害のあるものではない。

 胃のなかの胃液と共に共生し、最後の一種類が来るのをひたすらに待ち続ける。

 そして、最初に焼き豚を食わせ始めてから六カ月という時が流れた。

 先日、連夜は、玉藻と共にタイガーマンモスのところにやってきた。寝ている隙にタイガーマンモスの腹に調査用の魔法陣を描き、胃のなかにたまった薬の濃度を確認した連夜は、いよいよ最後の一手を放つ時が来たことを確信する。

 そして、今日、連夜はタイガーマンモスに最後の焼き豚を食わせた。

 タイガーマンモスの胃のなかにある二種類の薬を、猛毒へと激変させる恐ろしい薬草を練り込んだ焼き豚をだ。タイガーマンモスは何の疑いもなく焼き豚を食べた。この六カ月、毎日食してきたせいで全く疑いもせず。また、六カ月かけて食したせいで、すっかりその味に魅了されたため、戦いを後回しにするほどの勢いで。

 タイガーマンモスは焼き豚を食した。

 そして、タイガーマンモスの胃のなかへと入った毒入り焼き豚は、二種類の薬と化学反応を起こし、宿主へと襲いかかる。

 元々この薬は、心臓の弱い人に飲ませることで心臓の動きを活発化し、普通に日常生活を送れるようにと開発された薬だ。そう、毒などではない、本来なら薬として使われるものなのだ。だが、この薬、ほんのちょっと分量を間違えるだけで恐ろしい結果を生み出す、とても扱いの難しい薬。

 もしも、分量を間違えたり、大量に服用させたりしたらどうなるのか。

 心臓はその耐久力の限界をはるかに越え、全力以上の力で活動を続ける。結果、心臓はあっという間に破裂。どれだけ驚異的な再生能力をもっていようとも大本となる心臓を失ってしまっては機能しない。

 いかな凶獣タイガーマンモスといえど、一たまりもなかったというわけである。

 勿論、そんな裏事情をミネルヴァ達が看破しえるわけはない。

 彼女達の目に映ったのは、リュックサックらしきものを食べた瞬間、タイガーマンモスが倒れたという事実だけ。

 たったそれだけだ。

 たったそれだけのことで、あの凶獣を倒して見せた。

 そうとしか見えなかった。 

 自分達があれだけの戦力を投入し、一流の武装を身に着け、万全の態勢で攻撃したにも関わらず全く歯が立たなかった相手を、いとも簡単に倒して見せた。

 いや、実際には相当に手間も時間もかけて倒していたのであるが、そんなことはミネルヴァ達にはわからない。

 わからなかったが故に、そのことがどうしても許せなかった。しかも倒したのが自分達が宿敵として狙う『崇鴉(たたりがらす)』その『人』ということも、彼女達の神経を逆撫でする。更に言うなら、結果的に命を助けられたことにもなっているのだから、余計に腹が立つ。

 絶対にタネも仕掛けもある。これまでだってそうだった。それで散々やられてきたのだから。きっと今回も間違いない。しかし、その方法が全くわからない。

 心の中で繰り広げられる壮絶な葛藤。それにより、ミネルヴァ達をはじめとする傭兵旅団の兵士達は全く動くことができなかった。

 理由が全く違うが、動けなかったのは黒の鎧武者も同じ。突然現れた『祟鴉(たたりがらす)』が敵か味方なのかわからないが故に、どうしたらいいかわからなかったのだ。

 タイガーマンモスが倒れてから、ずっと静寂は続く。誰もそれを破ろうとはしない。

 無意識のうちに誰もがこの場の主導権を乱入者たる『祟鴉(たたりがらす)』に譲り渡し、彼が何らかのアクションを起こすのを待っている。そう見えた。

 しかし、そうはならなかった。

 たった一人、アクションを起こしたものがいる。


「たぁたぁりぃぃがぁらぁすぅぅぅぅぅっ!」


 自分の背丈ほどもある大剣を振り上げ、凄まじい勢いで黒衣の怪人目掛けて疾駆する一人の戦士。


「け、剣児!?」


「ちょっと待てっ、私は指示していない。勝手に仕掛けないで!」


「うるせぇっ! 俺はこいつにぃっ。うおぉぉぉっ!」


 戦士の正体に気がついたかぐやがその名を叫び、ミネルヴァが制止を呼びかけるが、剣児は全く止まる気配なし。それどころか益々怒りと憎悪の気配を強くして目の前の獲物へと迫る。いくら尊敬する姉に呼び掛けられようが、いくら憧れの超戦士ミネルヴァに制止されようが、止まるわけにはいかなかった。

 数ヶ月前、城砦都市『嶺斬泊』で『崇鴉(たたりがらす)』と剣児は一戦交えた。自信満々で対戦に望んだ。ただの卑怯者に負けるわけはない。策を弄することでしか戦えない弱者を相手に、自分が負けるわけはない。タカをくくっていた。なんといっても自分は龍族の王子、エリート中のエリートなのだ。学校では負け知らず。頼れる仲間もいる。むしろ、どうしたら負けるというのだ。

 そうして、相手を見つけ出し、勝負を挑み、余裕中の余裕という風に勝負を進め、そして。


 結果はまさかの大惨敗。


 散々からかわれ遊ばれて、面目は丸つぶれ、自信は喪失、仲間達の信頼も失った。みすぼらしい姿にさせられ学校に行くことができなくなり、王宮に引き籠った。その間に、広まる自分の情けない敗戦模様。益々学校に行けなくなる。仲間達もきっと自分のことを笑っていると思うと、もう一緒にはいられない。いや、忌まわしい記憶を消すためにも、彼女達自身にも消えてもらいたいとさえ考えるようになった。

 そのあとも鬱の状態が続き、このまま自分は終わりになるかもしれない。そこまで追い詰められた。

 幸い、姉が根気よく自分に付き合って心を癒してくれたおかげでなんとかここまで復帰することができた。

 しかし、そこまで追い詰められたからこそ、『崇鴉(たたりがらす)』への怒りと憎しみは尋常なものではない。


「今こそ、それを貴様に全て叩きつける。そうすることで、俺はようやく完全に復帰することができるんだ。死ね、クソガラス! ここで無様に死んでいけぇっ!」


 恐ろしいまでの怨念を大剣に乗せて、凶刃が黒衣の怪人に迫る。しかし、一歩も動かない。いや、動けないのか。自分に迫るその刃を仮面の奥に光る二つの瞳でじっと見つめる。

 今から止めに入ってももう間に合わない。ミネルヴァは、怪人が真っ二つにされることを予想した。

 長きに渡り死闘を繰り広げてきた因縁の宿敵とこのような形で決着を迎えることになるとは、と、ミネルヴァはこみあげてくるなんとも言えない無念の気持ちに悄然とする。できれば。できれば自分の手で決着をつけたかった。

 そう思い肩を落としかける。

 だが、その予想は大きく外れることとなる。

 剣児が怪人に肉薄したと同時に、何者かが二人の間に飛び込んできたのだ。

 怪人よりも一回り大きな影。身長はニメトル近くあるだろうか。


「どけぇぇっ!」


 割り込んできた人物が邪魔者であることを察した剣児は、大剣を横薙ぎに払うようにしてその人影に叩きつける。だが、剣児が手にしていた大剣はその人物に到達することはできなかった。なぜなら。風を斬って突き進む途中で、ポキリと折れてあらぬ方向へと飛んでいったからだ。


『!?』


 目にも止まらぬ速さで上から振り下ろされた手刀が、巨大な大剣の刃を途中で叩き折る。

 そのことを、一体何人が確認できたであろうか。

 まさに神業。

 達人と呼ばれる域に達した者でも、ここまでの芸当を行うことはなかなか難しい。いや、北方諸都市を探してみても、これだけの腕を持つ者は片手の指ほどもいないであろう。それほどまでの超絶技。

 当事者である剣児は、一体何が起こったのか全く見当がついておらず、剣を振り抜いた態勢のまま立ち止まり、ひたすら目を白黒とさせ続けている。だが、そんな剣児を相手は待ってはくれなかった。流れるような動作で振り下ろした右の手刀を返す刀で今度は上に向かってまっすぐ振り上げる。

 一陣の風が剣児の体の中心ををす~っと真一文字に吹き抜ける。

 剣児はその風の感触でようやく我に返り慌てて後ろへと飛び退る。


「な、なんだ、てめぇ、いきなり何をしやが・・・あれ?」


 刀身の半ばでぽっきり折れて半分になった大剣を構え、剣児は目の前に立つ邪魔者に視線を向ける。

 だが、ゆっくりと額から流れ落ちてきた何かが剣児の右目へと吸い込まれる。

 突然紅く染まった視界に気がついて、慌てて右目を拭う。汗が流れてきたのかと思い、剣児は何気なく拭った掌を見つめる。

 そこには、見事なまでに真っ赤な色に染まった自分の右手があった。


「な、血? な、なん?」


 動揺し無意識に大きく一歩後退する。すると、その振動に合わせて、装着している鎧がズルリとずれた。留め金が緩んだのかと思い自分の体に視線を向けた剣児は、そこにありえないものを見つけて愕然とする。

 縦一文字に斬り裂かれ、アンダーウェアが丸見えになった状態の鎧。


 斬られたのだ。


 今の一撃で自分は斬られたのだと、ようやくここにきて剣児はそれを悟る。

 そのことがわかった途端、体の奥から湧き上がってくる得体のしれない不快感。無意識に体が震え、止めることが全くできない。

 剣児は思わず持っていた大剣を取り落とし、両手で自分の両肩を抱きしめる。そして、あらためて自分の目の前に立つ人物を見た。

 身長ニメトル近くある長身にみっしりと筋肉がついた堂々たる体躯。

 首が太い。

 肩幅が広い。

 背中がでかい。

 腕も足も丸太のように太い。

 均整がとれた絶妙な体型をしているため、遠くに見えているのかと錯覚しそうになるが、そうではない。ともかくデカイのだ。何もかもがデカイ。

 髪は黒、瞳も黒、額に着けた鉢がねも黒であれば、身につけている東方風の鎧も黒。下に穿いている佩楯も黒でブーツも黒。そして、鼻から下を隠す鬼の面貌もまた黒。

 黒一色。まさに黒衣の武人。


「予想通りとはいえ、その程度か」


 武人がぼそりと呟いた。

 激しさの欠片もないどこまでも穏やかな口調。だが、そこに込められた気迫は並大抵の武芸者のそれではない。

 流石の剣児もそれだけはわかった。わかってしまったが故に同時に別のことも理解できてしまった。自分とこの目の前の武人の間には、どうやっても埋めることができない圧倒的な力の差があることを。

 両手でしっかりと構えていたはずの大剣は地面へと落ち、剣児は、自由になった両手で震える肩を抑える。そして、そのまま一歩、更にまた一歩と、少しでも目の前の武人から離れようと次第に己の身体を遠ざけて行く。

 そこには、先程まであった鬼気迫るような気迫も闘志もない。

 そんな剣児の姿を見兼ねたのか、旅団の戦士達が手にした武器を振りかざしながら、彼を守るようにして黒衣の武人と、その後ろに控える怪人を目指して殺到していく。


「龍の王子を守れ」


「クズカラスを叩き潰せ」


「生かして返すな」


 口汚く叫びながら、二人に迫る数々の凶刃。だが、それらは一つして二人に届くことはなかった。兵士達は、二人の元へと届くまでもなく途中でバタバタと倒れていく。喉をかきむしる者、炎に包まれ地面を転げまわる者、眠るようにその場に崩れ落ちる者。実に様々な様子を見せながら、次々と脱落していく。


「こ、これは、まさか!?」


 その光景に見覚えがあった剣児が慌てて周囲に視線を走らせる。すると、こちらに近づいてくる三つの人影。剣児はその人影の正体を知って愕然とした表情を浮かべる。


「ふ、フレイヤ、ヴァネッサ、メイリン。な、なんでお前達がここに? それにどうして、俺に盾突くようなことをする!? おまえら俺を裏切ったのか?」


 思わず怒りの声をあげて三人を責める剣児。だが、そんな剣児に対し、三人の美少女達は呆れと軽蔑の混じった視線を隠そうともせずにぶつけた。


「何を馬鹿なことを仰っていらっしゃるのですの?」


「そうだぜ、先に裏切ったのはおまえじゃねぇか」


「私達のことをよくも殺そうとしてくれましたね」


 ゆっくりと黒の武人の側までやってきた彼女達は、彼の横に立って剣児を睨みつける。彼女達の言葉に、一瞬怯みそうになる剣児だったが、それでも口を閉じようとはしなかった。


「お、俺は龍の王族なんだぜ? おまえたちが命を賭して俺に仕えるのは当り前のことだろ? 俺がおまえ達のことをどう扱おうと俺の勝手のはずだ。どんな扱いをされたって、おまえ達は俺を裏切っちゃいけないんだよ! それが正しい世間の常識ってもんだ。ですよね、姉上!」


 ヒステリックにそう叫び卑屈な笑みを浮かべながら振り返ると、そこには嫣然と微笑みを浮かべる龍の姫君かぐやの姿。


「勿論ですよ、私のかわいい弟よ。私達は選ばれし民。それ以外の下賤の者達は、私達に奉仕することを幸せとして生きていかなくてはならないのです。たとえ、自分の命を放棄することとなったとしても」


 傲慢極まりないその言葉に、剣児は得たりと言わんばかりの満足そうな表情で頷きを返す。そして、再び元仲間だった者達のほうに視線を移し直し、得意絶頂で口を開こうとした。だが。


「聞いたか、おまえら。姉上のお言葉を。おまえらは、俺達選ばれし民に逆らっちゃいけないんだよ。なんていっても、おまえらは生まれながらに卑しい奴隷のぼぶぎゃっ」


 剣児は自分の言葉を最後まで言い切ることができなかった。無言で近づいてきた黒の武人が、目にも止まらぬ速さで拳を繰り出して、剣児の頬を力一杯殴りつけたからだ。まるで、風に遊ばれるゴミくずのように転がりながら、遠ざかっていく剣児の体。やがてその身体は、タイガーマンモスの巨大な亡骸にぶつかることでようやく停止。ボタボタと鼻と口から血を流しながら立ちあがった剣児は、自分を殴りつけた者を睨みつけようとして失敗した。

 黒の武人から放たれる壮絶な怒りのオーラを受けて耐えられなかったのだ。

 剣児は、その場に立ったまま無様にも失禁してしまう。


「あわ、あわわわわ」


「それ以上囀るな。殺すぞ」


「は、はひぃ」


 本気の殺意とともに静かに紡ぎだされた武人の言葉に、思わず直立不動の姿勢となる剣児。そんな剣児にゆっくりと右手の人差し指を突き付けながら、黒の武人は最後通達を言い渡す。


「一度だけ、おまえの愚行を見逃してやる。この場から速やかに去れ。そして、二度と俺達の前に姿を現すな」


「へ?」


「それとも、今すぐここで殺されたいか?」


「さ、去りますぅっ! 今すぐこの場から立ち去りますぅっ!」


 凄まじいまでの圧迫感。決して剣児は素人ではない。しかし、目の前の武人が放つプレッシャーは、並大抵のものではなかった。剣児は、転げるようにしてその場から走り出すと、壊れた『馬車』から一頭の『快速鳥(マッハドードー)』を取り外して飛び乗る。そして、姉かぐやを置き去りにして一目散にその場から走り去ってしまった。

 そんな剣児のあまりにも素早い逃走劇を、しばし呆気にとられて見つめる一同。

 実姉のかぐやは、自分の手駒がここまであっさり自分を置いたまま逃げだしてしまうとは思わなかったのだろう。見たこともないような間抜けな顔でぽかんと口を開けたまま固まってしまっていた。また、そんな感じで硬直していたのはかぐやばかりではない。フレイヤ達も同じように間抜け面で固まってしまっている。彼女達が知る龍乃宮 剣児という少年は、いくら相手が自分よりも強いとしてもここまでの醜態をさらすような人物ではなかったはずなのだ。なのに、虚勢だけが一人前のチンピラのようになってしまっているとは。ミネルヴァや他の団員達の様子も似たり寄ったり。

 タイガーマンモスと勇猛果敢に戦っていた人物と、今のチンピラまがいの人物がどうしても同一人物とは思えず、みな、ポカンとするばかり。

 ただし、黒の怪人こと連夜と、黒の武人ことKだけは、剣児の変貌ぶりのだいたいの理由を悟っていた。


 龍乃宮 姫子という体から、神通力の暴走によって三つに分かれてしまった心と体。


 龍乃宮 姫子の心と記憶を受け継ぎながら力を全く引き継がなかった『瑞姫』。

 姫子の女性的な力を受け継いだが、心も記憶もなかった『姫子』。

 そして、姫子の男性的な力を受け継ぎ、やはり心も記憶も引き継がなかった『剣児』。


 危ういバランスの元、三人はこれまでなんとか消滅することを回避し、五年以上もの歳月を生き延びてきた。

 そう、消滅することなく生き延びてきたのだ。

 彼ら三人は、三つに分かれたとはいえ、元々一つの体、一つの人格しか持たない者。

 それが神通力の暴走という予想外のアクシデントによって、無理矢理三つに分かれてしまった。

 だが、三つに分かれたと言っても、決して魂の絆が切れたわけではない。三人のうちの一人に何かあれば、当然それは他の二人に大きな影響となって現れる。そのことにいち早く気がついたが故に、連夜は今まで大きなアクションを起こさずに来た。連夜が肩入れしている『瑞姫』は、彼の大事な幼馴染である龍乃宮 姫子の心と記憶を保持している。彼にしてみれば、『瑞姫』こそが本物の龍乃宮 姫子その人。本来であれば、力と体しか持たぬ残りの二人を無理矢理にでも捕獲し、『瑞姫』をメインにして再度合身させて元に戻すということが、一番手っとり早く龍乃宮 姫子を復活させる方法であると連夜は確信していた。


 だが、正しい方法とわかっていてもすぐにそれを実行するというわけにはいかなかった。


 いくら、『瑞姫』が心と記憶を持っているとは言っても、彼女が保持している『力』があまりにも弱すぎた。下手に合身などさせようものなら、残りの二人に吸収されかねない。


 また、うっかり二人に傷でも負わせば、龍乃宮 姫子の『心』を強く継承している『瑞姫』に、ダイレクトにその『痛み』や『苦しみ』といった精神的ダメージがフィードバックされかねないというリスクもあった。

 だからこそ、彼女の心が強く逞しく成長する日が来るまで、奪還作戦を決行しなかったのである。だがそんな事情も、つい先日までのこと。精神的に強くしなやかに成長した『瑞姫』は、一週間ほど前、ついに己の半身の一つ『姫子』と合身し、その体を取り戻したのだ。

 元々本来の性である女性体のほうを先に取り戻したので、ほぼ、オリジナルの龍乃宮 姫子に戻ったといっていいだろう。男性体である『剣児』のほうは、オリジナルの姫子からしてみれば無意識の『力』が具現化したと言っても過言ではない存在。そもそも、意識して使ってなかったわけであるから、それほど重要ではない。

 さて、そこであらためて現在三つの分身体のパワーバランスについてである。

 単純に、三つのうち二つを統合できた今の姫子が、残った分身体である『剣児』の二倍の力を持っている。


 ・・・ということでは勿論ない。


 元々、精神的な力は『瑞姫』が最も強かったのだ。そこに『姫子』としてのパワーが加わる。直接繋がっていないとはいえ、『剣児』の心への干渉力は半端なものではない。

 剣児は、彼を利用しようと画策している王妃やかぐや達によって偽の記憶を植えつけられている。これを心の拠り所として、かろうじて精神のバランスを保ってきた。

 だが、『祟鴉(たたりがらす)』との乾坤一擲の一戦に敗北したことで、心の状態は一気に不安定なものに。更に、オリジナルが大きく力を取り戻したことで、『魂』の力が一気にオリジナルの元へと引き寄せられている。

 恐らく、今の剣児の心は、崩壊寸前のダムのようなもの。作られた人格を保ち続けることに、限界が近づいているはずだ。

 

 遠からず、『剣児』の人格は自然崩壊する。

 

 連夜もKもそのことを確信していた。

 だからこそKは剣児を見逃がしたのだ。


 今の姫子なら、剣児の身体を取り戻すことはそれほど難しくはない。連夜達がサポートすれば、それこそ余裕であろう。

 しかし、今の剣児を取り込むことはあまりにもリスクが高い。

 かぐや達によって歪めるだけ歪められてしまった心。

 また、コントロールの術を身に着けることなく、無秩序に大きく膨れ上がった異界の力。

 はっきりいって、これらを取り戻すメリットがほとんどなく、むしろデメリットのほうが大きいと連夜達は判断した。

 そして、彼らが下した判断は。


『自我崩壊による自然消滅』

 

 白紙となった心なら、取り込んでもそれほど問題はない。そこに今の姫子の記憶と心をあらたに書き込めばいいだけである。また、心を失えば、いくら膨大な異界の力といえどたちまちに求心力を失って霧散する。元々姫子のモノだった力のみが姫子の身体へと戻り、余分なものは淘汰される。

 連夜達はそう予測した。それゆえに、今は剣児に干渉しないことにしたのだ。勿論、監視はつけるが、あくまでも監視だけ。力任せに姫子と合身させるという選択は放棄したのだった。


「まぁ、あちしらが手を出さなくとも、他の要因で潰されてしまうことはありえるんだけどねぇ」


「ミッキーか」


 K達の前にひょっこりと姿を現したのは、Kと同じく神通力を持たぬ龍族の少女ミッキー。

 いつものジャンパースカート姿ではなく、東方の巫女装束のようなものの上に籠手と具足をつけ手には大きな薙刀。フレイヤ達とKの間に『ど~もど~も』なんて軽い口調で割って入りながら剣児が走り去った方向へと視線を向ける。


「でもまあ、いらんことするよりかはずっとマシだと思うのよねん」


「本当によろしいのですか? 監視の届かないところでもしものことがあれば、姫子さんは力を取り戻せなくなるのでは」


「連夜と私の見立てでは、別に今のままでも支障は全くないと思うのよ。元々大きすぎるが故にコントロールできなかった力だしね」


「でもよ、精神の根底はあいつと繋がってるんだろ? 殺されでもしたらさ、そのときの『死』のショックがフィードバックされちまうんじゃないのかい?」


「それも心配ないと思うわ。今の姫子は剣児よりも精神力が圧倒的に強いもの。なので例え剣児が不意に殺されたとしても、姫子にフィードバックされるであろう精神的なダメージはそれほど大きいものにはならない」


「そうですか。それなら一安心」


「ですけど、あの方は本当に誰からも必要とされない『不要なモノ』になってしまわれたのですね」


 姫子のことを心配するフレイヤ達に、心配することはないと淡々と答えるK。その落ち着いた様子を見て、彼女達は一様に胸を撫で下ろすが、フレイヤだけはすぐにまた顔を曇らせた。手ひどく裏切られたとはいえ、三年以上もの長きにわたり生死を共にしてきた仲間であり、恋人であった存在。よりを戻そうと言う気はこれっぽっちもないがしかし、それでも思うところはいろいろとある。

 同じような想いを抱いていたヴァネッサとフェイリンはすぐに感傷的になっているフレイヤに気がつき、両脇から近づいて彼女を抱きしめ慰める。

 過去にあった様々な思い出を思い出し、声を殺して泣いている三人の姿を、しばしの間、ミッキーと黒の武人Kは優しい視線で見守っていたが、すぐにその表情を引き締め直し視線を前へと向け直す。

 彼がここに来た本命は剣児ではない。それを操る者達だ。


「久しぶりというべきか、初めましてというべきか。どっちのがあたしらに相応しいと思う? 第一王位継承者かぐや」


 軽い口調ながらその言葉の中に敵意と皮肉がたっぷり混入されていることを敏感に察知したかぐやは、その言葉を紡ぎだした見たこともない黒髪の少女を睨みつける。


「生まれの卑しい者はほんとに口のきき方というものを知らないのですわね」


「いや、敬語使わないといけない相手にはちゃんと使ってるわよ。あんたには使う必要がないから使ってないけど」


「黙りなさい、下級種族。選ばれし王の一族に対し、あまりにも無礼であろう」


「まぁ、吠えるだけ吠えてくれていいんだけどね。それも今日限りだし」


「貴様、何をわけのわからぬことを言ってる? いいから黙れと」


「とりあえず、言わなきゃいけないことだけ言っとく。今日の明け方、午前七時。中央庁で龍族前王妃 龍乃宮 織姫の死刑が執行されたから」


「・・・え?」


 勢いに乗ってミッキーに罵声を浴びせようとしていたかぐやだったが、全く予想していなかったことを告白されてその場に凍りつく。かぐやばかりではない。彼女の周囲に立つ、副団長のアリアンロッドやアレス、アポロ達もそうだし、また、ミネルヴァも同じように凍りついていた。

 だが、そんな彼らの様子に構うことなく、ミッキーはさらなる衝撃的事実を口にしていく。


「罪状は奴隷売買、強制誘拐、魔薬製造及び販売、様々な犯罪行為扶助、エトセトラ、エトセトラ。いやはやよくもまあこれだけいろいろな犯罪行為に関わってきたよね、一族の頂点に立ちその模範とならないといけないものが、これですか。ほんと、あんた達とんでもないわ」


「な、な、何を馬鹿な。し、死刑って、どういう」


「どういうこともこういうこともないわね。死刑は死刑よ。あ、ちなみに死刑にされたの前王妃だけじゃないから。前王妃に手を貸した重臣の皆様方も死刑に処せられているわ。結構な人数に上ってるわね」


「で、デタラメをいうな!」


「デタラメじゃないわよ。いやまあ、別にここで信じてもらわなくても結構なんだけどね。どうせ、あんた達も全員地獄行きなんだし、あっちで先に待っている前王妃さん達に事情を聞いてよ。それなら流石に信じられるでしょ?」


 相変わらずの軽い口調。しかし、そこに浮かんでいる壮絶な死神の笑みに飲まれ、かぐや達は絶句して顔を青ざめる。

 そう。ミッキーの言っていることは全て事実である。龍族の前王妃をはじめとする一派は皆、今日の朝、中央庁にて処刑された。先日逮捕された御稜高校教頭ヴィネ・ヴィネアの自宅から、大量の証拠が発見されたからだ。

 巨大犯罪組織『バベルの裏庭』のたくさんの幹部達と繋がりのあるヴィネは、彼らからの依頼で様々な犯罪に手を染めていた。狡賢く計算高いヴィネは、これまで実にうまく彼らの依頼を達成しており、それゆえにその信頼も厚かった。だが、彼は物凄く用心深くもあった。いつ自分がトカゲの尻尾切りにあうかもしれないと、自分と上層部とのつながりが明確にわかる犯罪の証拠を処分せずに大切に保管していたのだ。

 いざとなったら、これをネタに上層部の連中を脅すために。


「まあ、わからないでもないのよ。上だろうが下だろうが、所詮ろくでなしの犯罪者だもん。信用できるわけないもんね。でも、そのおバカさんのおかげで本当に助かったわ。あれほどの決定的な証拠がなければ、龍の王族を処刑するなんてできなかったもの。どれだけ頑張っても、せいぜい都市から追放ってぐらいしかできなかったでしょうね」


「う、うそよ。お母様が処刑されるなんて。り、龍の王族が、いや、陛下ご自身がそんなこと許すわけが・・・」


「あんた、人の話聞いてないわね? 『前』王妃って言ったでしょ。処刑される前に、すでにあんたのお母さんは、王妃じゃなかったのよ」


「わけのわからないことをいわないで!? 一旦王妃になった者は、次代の王妃が現れるまで退位させられることはないのよ。なのに、そんなわけは」


「前陛下、つまりあんたのお父さんが自分から退位されたのよ。あんたのお父さんが退位して王ではなくなった。つまり必然的に、あんたのお母さんも王妃ではなくなる。ね、簡単なことでしょ? あんた、この一カ月以上『嶺斬泊』から離れていたから知らないだろうけど、都市内ではみんな知ってるわ」


「ば、馬鹿な、陛下が。陛下が退位されるなんて」


「『自分達の操り人形だったはずの人物が勝手に退位するはずがない』って? あんたさぁ、自分の父親を軽く見過ぎているんじゃない? あんた達はいいように操っていたつもりだったのかもしれないけど、あの人はちゃんとあんた達が行ってきた悪事に気がついていたわよ。その上で責任をとるって言って退位されたの。わかる? わからないか。それがわかるくらいなら、こんなことしでかしてないものね」


「な、な、なに、なにを言って」


 あくまでもシラを切りとおそうとするかぐや達。だが、そんなかぐや達の姿を見ても、ミッキーはさして表情を変えることもなく肩を一つだけ竦めて見せる。

 最後まで己の罪を認めようとはしないだろうことは、既に承知の上である。今、これから最期を迎えることになる彼女達に、一応その理由について説明しただけなのだ。ミッキーは、自分達の半歩後ろに控える仮面の怪人のほうへと振り返った。


「おばさまの本隊はもうじき到着すると思うけど、先に刑の執行だけ進めといていいって。多分、あの女と因縁深い私達にその最期を見届けろってことだと思う」


 怪人にそう声をかけた後、ミッキーは周囲をぐるりと見渡した。すると、いつのまに集まっていたのか、東方風の黒い鎧甲冑を着た大勢の兵士達が森のあちこちから出現。油断なく武器を構えながら、かぐや達を取り囲むようにして展開していく。かぐや達もまた、その兵士達の存在にすぐに気がつくと、素早く密集隊形を組んで警戒。双方が睨みあう状態となる。


「クズども。そうか、あなた達が例の龍族の面汚し。ここのところ私達の邪魔ばかりしてくれているという、身の程知を知らぬ愚か者の集団」


「『人』を『人』とも思わず、モノや家畜のように扱う外道のあんた達に言われたくないわね」


「ふざけないで。あんた達は生まれながらにモノであり家畜でしょう。生まれた時から私達選ばれし者に滅私奉公することがあなた達の唯一生きる道なのに、それを外れたばかりか、私達に逆らうなんて。言語道断だわ。今こそ、私達が正義の鉄槌を下してあげる。さぁ、ミネルヴァ。いや、アテナ団長。いつもの通り、私達に命令を!」


 ボロボロの身体でありながら、戦意高くそう咆哮するかぐやに、応じるように周囲の団員達が戦いの雄叫びをあげる。だが、かぐやに声をかけられたミネルヴァその人は、少し離れたところに立ち、信じられないものを見るような眼でかぐや達のことを見つめている。


「団長? どうなされたのですか? 早く、指揮を・・・」


「あ、あんた何言ってるの? 冗談だよね? 選ばれし者ってなに? モノとか家畜とかって、それどういうこと? まさか、あんたそんなこと本気で言っているわけじゃないよね?」


「あなたこそ何を言っているのですか、ミネルヴァ。上級種族中の上級種族に生まれたあなたが、まさか、低能な下級種族どもが言うところの自由とか平等とかを口になされるつもりじゃありませんわよね?」


「言うよ、言うにきまってるでしょ。私が戦ってきた理由は、いわれなき理不尽を受ける人達を守るためだよ」


「ええ、勿論です。理不尽にも、己の分をわきまえぬ愚か者達に、自分達の分というものを教え込むために私達は戦ってきましたわ」


「分? その分って何よ? どういうことよ」


「私達選ばれし高貴なる者と、私達に仕え平伏す下賤なる者との明確な立場の分というものですわ」


「か、かぐやぁぁっ!!」


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