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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
155/199

第二十五話 『後片付けの始まり』

 姫子の分身体との戦いを発端とするあの御稜高校の大騒動から一週間という時が流れた。

 学校内での暴動騒ぎは、あの日のうちに終息したわけであるが、だからといってその火が完全に消え去ったわけではない。当然、これだけ大きな不祥事である。いくら中央庁がこの都市の政治権力のほぼ全てを掌握しているといっても隠しきれるものではない。そもそも、中央庁側に隠すつもりが全くないのであるから、この騒動はその日のうちに城砦都市『嶺斬泊』全域に知れ渡り、翌日には他の北方諸都市にまで情報が拡散してしまっていた。

 北方諸都市最大規模の大交易都市『嶺斬泊』きっての有名進学校『御稜高校』で発覚した、前代未聞の一大スキャンダル。

 一週間たったいまでも、世間では騒ぎが続いている。連日連夜この事件に関する特別報道番組が放送され、一向に鎮火する様子を見せないどころか、その火は様々なところにまで飛び火し、予想だにしない個所であらたな炎となって燃えだしている始末。

 さて、そんな都市内の大騒動など全く無縁の場所に、二つつの影が存在している。

 城砦都市『嶺斬泊』から、南に向かって少しばかり離れた個所。影は大河『黄帝江』の川岸をのんびりと移動していく。

 季節は夏。

 毎日暑い日々が続き、今日という日もまた例外ではない。照りつける太陽は容赦なく地上に住む人々に光を浴びせかけ、『人』々の恨めしげな視線もどこ吹く風とばかりに、外気温をぐんぐん上昇させていく。

 そんな中にあって、大河『黄帝江』の川岸は他の場所に比べればかなり涼しい場所と言える。川からひっきりなしに流れてくる川風は冷たくて気持ちよく、川沿いにはたくさん大きな木が群生しているため、日陰も多い。

 その中をゆっくりと移動していく二つの影の正体は、金色の獣毛にニメトルを優に超える体長の大狐と、その大きな背に胡坐をかいて座り込み、ゆらゆら体を揺らしている仮面の人物。

 勿論、その狐と仮面が誰だかということは言うまでもない。


「連夜く~ん」


「なんですか、玉藻さん」


「思ったよりも涼しいね」


「そうですね。ここは他と比べればかなり気温が低いですしね」


 どこか嬉しそうに話しかけてくる大狐の姿の玉藻に、『崇』の一文字がデカデカと記された仮面を被った連夜が返事を返す。

 普段、仮面をつけているときは一切声を出さないようにしている彼であるが、周りに誰もいないことと相手が既に自分の正体を知っていることから、普通に会話を続けていく。

 そう影の正体は、玉藻と連夜である。

 ある目的の為に城砦都市を離れた二人は、危険な『外区』を絶賛移動中なのである。

 『人』類の天敵である『害獣』や、『人』食いの原生生物が跳梁跋扈する『外区』。そんな中を、たった二人だけで移動中の玉藻と連夜。

 しかし、そこには緊張感の欠片もない。二人の間を漂っているのは、いつもと同じ空気。相変わらずのゆるゆるで甘々な雰囲気。


「そういえば玉藻さん、僕を乗せているせいで暑いんじゃありませんか? 人間族の体温って思った以上に暑いですし」


「全然、大丈夫よ。そもそも連夜くん、念動小型冷気結界装置使ってるでしょ。そのおかげで私も十分涼しいのよね。横からは冷たい川風が流れてくるし、上からは連夜くんの念動小型冷気結界装置の冷気が体を冷やしてくれるし」


「そうですか。それならいいんですけど。あと、重かったら言ってくださいね。すぐ降りますし」


「そっちも全然大丈夫。ってか、連夜くん、むしろ軽すぎない? ちゃんとご飯食べてる?」


「食べてますよぉ。体重もそこそこありますし」


「ちなみにいくつよ」


「えっと、五月に学校で身体測定したときは、確か五十ギロジャストでしたね」


「・・・え?」


「・・・え?」


 狐の笑顔が凍りつく。

 まさか。そんなわけはない。自分の耳に入ってきた情報はきっと聞き間違えだ、空耳だ、勘違いだと玉藻は必死に自分に言い聞かせる。

 しかし、もしもそれがそうではなかったら。玉藻は聞きたくないと思いながらも聞かずにはおれず、もう一度、自分の背中の上の恋人に問いかける。


「い、いま、なんていったの?」


「五十ギロジャストですと言いましたけど・・・」


「いやああああああっ!!」


 この世の終わりといわんばかりに絶望に満ちた悲鳴が響き渡る。


「なんで? なんでそんなに軽いの!? 男の子のくせにそんなに軽いなんてどういうこと?」


「そ、そこまで軽いですか?」


「軽いわよ、軽すぎるわよ。ちゃんとご飯食べてる? 忙しいからって、抜いているんじゃないの?」


「ちゃんと朝昼晩、欠かさず食べてますよ。自分でも華奢だなって自覚してるので、一生懸命増やそうとはしてるんですよ。でも、食べても食べても増えないっていうか」


「何そのうらやましい体質は!? ひょっとして私に喧嘩売ってる?」


「売ってるわけないじゃないですか。勘弁してくださいよ。そもそもなんで、僕こんなに責められているんですか?」


「だってだってぇっ、私よりも連夜くんの体重が」


「体重が?」


「・・・」


「・・・」


「・・・おも・・・うう・・・わかってるくせに、連夜くんのいぢわるぅ」


 首を後ろに回して涙目で訴えかけてくる玉藻に、連夜は深いため息を吐き出して見せる。


「そもそも玉藻さんと僕とじゃ身長が違いすぎるじゃありませんか。二十ゼンチ近くも違うんですから、玉藻さんのほうが僕より重くなるのは当り前です。むしろ、僕より軽いとなったら、僕がドを越した肥満になるか、玉藻さんが病的な細身になるしかないと思うんですよね」


「ううう、だってだってぇ。頭ではわかっていても嫌なんだもん。それに、連夜くんの体にはほとんど贅肉がないけど、私の体にはびっしりとお肉が」


「そんなことないですよ」


「そんなことあるのよ! 今、『狐』の姿になってるから毛皮でわからないけど、『人』の姿になったらそれはもう無残な状態なのよ」


 連夜と話しているうちに自分の肉体の現状を把握してしまった玉藻は、とうとう歩くのをやめてその場に座り込みおいおいと泣きだしてしまう。そう、最近玉藻は自分が太ってきていることを自覚していた。ちょっと前まではそこまでではなかったはずなのだ。だが、いつの間にか自覚できるほどにまで自分の体は成長してしまっていた。

 最近スカートやパンツがきつくなってきたのだ。

 と、いっても入らないわけではない。一応入りはするし、ホックを止めることもできるのではある。しかし、以前までは明らかに余裕があったのだ。玉藻はいつもある程度ウエストに余裕を持ってスカートやパンツ、ズボンを購入する。いつも指一本以上余裕で入るくらいの余裕のある大きめの物を購入し、あとはベルトで調節するといった感じだ。

 しかし、最近、ベルトは完全に飾りとなってしまっている。

 腹周りが出てきてしまったのか。よくよく見てみると割れていた腹筋が若干ゆるくなってきている気がするのだ。

 いや、問題はそこばかりではない。ウエストだけでなくお尻や太もものあたりもじんわりきつくなっている気がするのだ。

 スカートを履いて鏡で自分の姿を見てみると、必要以上にむっちりしている感じがする。

 以前はすらっとしていたはずなのに、妙に肉付きがよくなっている気が。

 どうしてこうなってしまったのだ。以前と同じく、欠かさず運動はしているし、それなりに規則正しい生活もしているというのに。

 いや、本当は理由はわかっているのだ。ずっとそれらから目を背けていただけで、本当は嫌というほどよくわかっている。

 つい数カ月前から、玉藻の生活サイクルの中で一点だけ変わってしまったことがあるのだ。

 それは。


「連夜くんの作る食事が美味し過ぎるからよ! 美味し過ぎるからついつい食べ過ぎちゃうのよ。私がムッチリしてしまったのは全部連夜くんがいけないんだ! 全部連夜くんのせいよ、うわあぁぁぁん」


 そう連夜と付き合うようになってから、玉藻の毎日の食卓は非常に豪華な物になってしまっている。年下の恋人が、暇を見つけてはやってきて玉藻の食事の世話をしてくれるからだ。

 学校に行く前に玉藻の家により、朝食を作ってくれることがある。そのときについでにといって昼食のお弁当を作ってくれるときもある。また、学校帰りに立ち寄って夕食を作って一緒に食べることもある。

 そんなことが週に四日以上確実にあるのである。

 以前までの玉藻の食事といえば、朝にバナナ一本、昼食は気が向いたときに軽食をちょっと、夕食に至っては太るからという理由で食べないこともあったくらい食を摂らない生活をしていた。

 それが連夜と付き合うようになってから一変したのである。


「連夜くんがいけないんだから。全部連夜くんのせいなんだからぁ」


「はい、そうですね」


「そうですねじゃないわよ。連夜くん、何を涼しい顔をしているの? 恋人がむっちむっちのぱっつぱっつの姿になっていいの? それでいいの? 細く美しい姿にもどらなくてもいいっていうの!?」


 涙ながらに訴えかけてくる玉藻に対し、連夜は仮面を静かに外す。そして、真剣極まりない表情でしばらく瞑想していたが、やがて、くわっとその両目を見開いていつになく気合いの入った声で絶叫する。


「構いませんっ!!」


「え、えええっ? ちょっ、私が太ったままでいいってこと?」


「別に肥満といわれるほど太ったわけじゃないはずです。だって、ちゃんと計算しながら料理作っていますもの」


「そりゃ確かに肥満と言われるほどじゃないかもしれないけど。って、ちょっと待って。今、なんか変なこと言わなかった? 計算しながら料理を作っていたってどういうこと?」


 到底聞き捨てることができない単語を耳にして、流れ続けていた涙が止まる。そして、不信感ばりばりの表情で連夜を見つめる玉藻。しかし、連夜はその視線を真っ向から受け止めると、先程以上の闘志をみなぎらせて口を開いた。


「よく、聞いてください、玉藻さん」


「何よ、いったいどういうこと。私が太ってきたのってまさか」


「玉藻さん、僕は・・・」


「・・・僕は?」


「・・・」


「・・・」


「僕は。・・・僕は、ムッチリした玉藻さんが大っ好きなんだぁぁぁっ!」


「えっ、ええええええっ!?」


 大河の対岸まで届けとばかりに放たれる魂からの咆哮。

 そして、完全に予想外だった連夜の咆哮に、当惑した玉藻は全く違う意味での絶叫を放つ。


「ちょ、まっ、つ、つまり連夜くんはデブ専ってこと?」


「違います。激しく違いますよ玉藻さん。僕が好きなのは、豊満な体の女性です。肥満な体の方ではないんです」


「ごめん、違いがよくわからないんだけど」


「肥満っていうのは明らかに標準的な体重から逸脱し、体が必要としているだけでなく、最早害になるレベルになるまで脂肪を貯め込んでしまった方々のことです。でも、僕が理想としている豊満な体の方というのは、そうじゃなくて標準と同じか若干上。まあ、筋肉は脂肪よりもはるかに重いのでスポーツ選手や武術家の方はやや、標準となる体重が違ってくるんですけど、ともかくそれくらいの体重を維持し、より女性的な丸みを帯びた体をしている方のことです」


「でも、それって結局痩せているわけじゃないんでしょう?」


「まあ、それはそうですけど。スレンダーな方の美しさっていうのは僕が求めているものじゃないんですよね。痩せている人には痩せている人の魅力があると思うんですけどね。ファッションモデルの人とかかっこいい思いますし。でも僕は、抱きしめたときとか、抱きしめられたときにより柔らかさと温かさを感じるというか、女性の包容力をより大きく感じるというか、そういう感じのする豊満な方のほうが好きなんです。そして、今の玉藻さんは、まさに僕が描いた理想の女性の体型なわけですよ」


「なんだろう。なんか私って抱き枕かなんかなわけ?」


「そんなわけないじゃないですか。っていうか、どれだけゴージャスな抱き枕なんですか。玉藻さんは僕が理想とする最高の美女で、自慢の恋人ですよ。ああ、ほんと大好きです」


 嬉しそうに玉藻の背中に抱きついてもふもふし始める連夜。そんな連夜の姿に玉藻は複雑そうな表情を向ける。


「いや、まあ、連夜くんが今の体型が理想っていうなら、この際それでもいいかと思うけどさ。なんか、いまいちすっきりしないんだけどなぁ」


「納得して下さいよ。お願いします。これ以上体重が増えることがないように、責任とってちゃんと食事を調節したり、一緒に運動したりしますから。あと、玉藻さんの今の体型に合わせた衣服を買い直していただいて結構です。全部僕が代金支払ってプレゼントしますから」


「もう、わかったわよ。でも、ほんとにこれ以上太らないようにしたいから協力してね」


 連夜の説得にしぶしぶながら頷きを返す玉藻。正直なところをいえば、元の体重にまでは戻したい。しかし、最愛の恋人が今の体型が理想というのなら、それを崩すのは忍びない気もする。実際、恋人が表面だけ取り繕って言っていたのなら、玉藻は頑として言うことを聞かなかったであろうが、残念ながら恋人の目は本気そのもの。

 それに今思い返してみると、確かに夜の生活において恋人は自分の豊満な胸にうずもれて眠るのが大好きだし、いろいろな個所を触るたびに柔らかい素肌ですねと嬉しそうに言っている。

 なんだかんだで、いろいろと自分も恋人に対し我がままをいっていることだし、ここは譲歩してやるかと、玉藻は諦めてため息を吐き出すのだった。


 さて、そんな風になんだかんだイチャイチャしつつ、連夜を乗せたまま、またゆっくりと歩き出す玉藻。

 彼らが今向かっている目的地は、城砦都市『嶺斬泊』と南の交易都市『アルカディア』を結ぶ交易路のほぼ中間地点。ここに行くことを言い出したのは勿論、連夜である。いつものように朝食を作りに来てくれた連夜が、珍しく『外区』での仕事を手伝ってくれないかと玉藻のお願いしてきたのだ。

 当然、玉藻に断る選択肢はない。

 かねてから、何かあるときは必ず自分を誘ってくれるように言ってあったからだ。玉藻は二つ返事でそれを了承し、今に至るというわけである。

 ちなみに連夜は最初、二人分の乗り物を用意するつもりであった。騎乗用の動物に乗って移動するつもりだったのだ。貸してくれる知り合いもいるし、連夜自身が個人で所有している動物もいたので玉藻の意見を聞いてそれに乗って目的地へ向かうつもりだったのだが、玉藻がそれを拒否。

 もしものとき、すぐに守れるように自分が大狐の姿で連夜を運ぶというのだ。

 当り前だが、連夜は最初かなりその提案を受け入れることを渋った。恋人の背中に乗ることもそうだが、なによりも恋人一人を歩かせて自分が楽をするということが非常に引っ掛かってならない。そのことで大分二人は言い争ったのであるが、最後は玉藻の体を使った得意技で丸めこまれてしまい、結局連夜は玉藻の背中に揺られることになってしまったのだった。

 そんな感じで二人は現在移動中というわけなのである。


「ところでさぁ、連夜くん」


「はい、なんですか?」


「今更なんだけどさ」


「はい」


「目的地は聞いたけど、今日の目的については何も聞いてないんだけど、いったいそこで何をするつもりなの?」


「ああ、そう言えば言っていませんでしたっけ」


 今更ながらに今更な質問であったが、出かける直前は二人とも乗り物のことの言い争いに夢中であったため、お互いそれについて説明することも、質問することも忘れていたのだった。


「現在、僕らが住んでいる城砦都市『嶺斬泊』と南方の一大交易都市『アルカディア』を結ぶ交易路が閉鎖されていることは玉藻さんもご存知ですよね?」


「ああ、うん。つまり、今私達が進んでいるここのことよね。っていうか、私達、勝手に通っちゃっているけどね」


 南北を走る巨大な大河『黄帝江』と平行に続いている整備された大きな道路。そのど真ん中をのんびり歩きながら、玉藻はキョロキョロと周囲を見渡す。左手には雄大な河の流れ、右手にはどこまでも続く広大な大森林。そして、前と後ろにはどこまでも続く道路。そこには自分達以外の人影はない。

 ところどころに最弱クラスのいもむし型の『害獣』の姿や、水を飲みに来た野生イノシシの親子の姿などが見えることもあるが、それ以外に『馬車』は勿論のこと、騎獣や『人』の姿すらも見えない。


「ねぇ。本当に今更なんだけど、私達本当に勝手に入ってよかったのかしら」


「勝手にじゃありませんよ。ちゃんと許可を得て入っていますから。その証拠に防壁のゲートを潜り抜けるときにゲートキーパーの皆さんにちゃんと許可証だして見せていたでしょ?」


「ああ、そう言えば、なんかそれらしい話ししていたわね。あれって、通行の許可を取っていたのね」


「そうですそうです」


 連夜の言葉で玉藻は城砦都市から出てくるときのことを思い出した。

 今日の朝、『外区』に出ていく準備を済ませた連夜と玉藻は、城砦都市『嶺斬泊』の南ゲートに向かった。勿論、そこから『外区』に出るためだ。

 門までやってきた連夜達は重武装した衛兵達『ゲートキーパー』達に囲まれてしまい、一旦止められることなった。しかし、連夜が懐から何かの書類のような物を取り出して彼らに提出。それを見た彼らは拍子抜けするくらいあっさりと門を通してくれた。

 そのときは『外区』に出るための通行許可証か、門を通る為の通行税か何かを払ったのかなと思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。

 今、冷静に思い返してみると門を通ろうとしていたのは自分達だけで、他には人影は全くなかった。

 北の工業都市『ストーンブリッジ』に続く北門や、西の商業都市『通転核』に続く西門だとこんなことはない。行き来する人達でいつもごった返しているのだから。


「やっぱりここは通行止めされていたってことなのね」


「ええ、まあ。今、この道を利用しているのは、この交易路を調査している中央庁の兵士の皆さんか、傭兵ギルドやハンターギルドから依頼を受けた冒険者の皆さんくらいですかねえ。流石の武装交通旅団も現在は運営をストップしていますし、一般の商人の方や流通業の方ではここを通るのは危険過ぎてちょっと無理でしょう」


「なんかいろいろとうわさが流れてるよねぇ。山賊が出るとか、暴走したゴーレムが暴れまわってるとか、あと、王クラスの害獣の姿を見たっていう目撃情報もあるしねぇ。ってか、そんな物騒なところに連夜くん、いったい何の御用なのよ?」


 話がだんだんときな臭い方向へと流れ始めたことに玉藻は顔をしかめる。基本的にどんな危険な場所にでも玉藻はついていくつもりではあるが、できるだけ連夜には危険を犯してほしくないのである。そんな玉藻の気持ちがわかっている連夜は、なんとも言えない苦笑を浮かべて見せる。


「本当は僕が出張るつもりはなかったんですよ。中央庁所属の最精鋭部隊の皆さんにお任せするつもりだったんですが、ちょっとそうもいかなくなってきまして」


「なんでよ? なんでまだ学生の連夜くんが危ないことしないといけないの?」


「無関係ってわけにはいかない状態になりまして。ほら、つい最近、うちの高校で大騒動あったでしょ? あのときに学校の責任者クラスの方々がほとんど軒並み逮捕されちゃいまして、このままだと学校の授業やら行事やら運営やらがまともに機能しなくなっちゃうわけですよ。幸い、ちょうど夏休み直前だったこともあって、今は生徒達に早めに夏休みを取らせることでなんとか誤魔化していますけどね。でも、あと二カ月も経たないうちに二学期が始まるわけで」


「ああ、それはまあそうね。ん? でもそれとこの交易路の通行止めとどう関係するの?」


「南の城砦都市『アルカディア』に、うちの学校の校長先生が去年からずっと足止めされ続けているんですよ」


「え?」


「ちょうど去年の今頃だったかなぁ、重要な学会が城砦都市『アルカディア』であって校長先生も出席されていらっしゃったんですけどね。学会が終わってこちらに戻ろうとされていたときに通行止めとなってしまって。玉藻さんも、うちの校長先生がかなり高名な方ってことはご存知ですよね?」


「ええ。ブエル師匠とも懇意にされていらっしゃるし、私も何度かお目にかかったことがあるからよく存じ上げているわよ。北方諸都市じゃ知らない者はいないほどの有識者ですものね」


 そう、現在連夜が通い、かつて玉藻も通っていた都市立御稜高校の校長アーディルは、北方諸都市にその名を轟かす高名な教育者で、中央庁の信頼も暑い人物。もし、彼がアルカディアに足止めされることなく嶺斬泊に戻っていたならば、今回の教頭による暴走事件はなかっただろう。ともかく、いろいろな方面に顔が利き、力もある彼が戻ってさえくれれば、現在校内で起こっている混乱を収拾するのはさして難しくないはず。

 逆にいえば、彼の帰還が遅れれば遅れるほど校内の混乱は長引き、下手をすれば悪化する可能性もありえる。何より連夜が危惧しているのは、空白となっている校長と教頭という二つの地位に別の悪が入り込んでくる可能性である。折角、仲間達や中央庁の精鋭部隊尾力を借りて教頭という悪性の腫瘍を除去したというのに、また、別の病気に取りつかれることになってしまっては元も子もない。

 一刻も早く、遅くとも二学期が開始される前にはなんとしてもアーディル校長に戻ってきていただき、学校を再建してもらわなくてはならないのだ。


「アーディル校長は種族差別反対派の重鎮ですからね。いやらしい話ですが、残りの僕の学校生活を快適に過ごす為にも是非とも戻ってきていただかないと」


「そういえばそうだったわね。私も風紀委員で無茶やってたときにいろいろと便宜を図っていただいたわ。って、でも、どうするの? 今から私達だけで校長先生をアルカディアまで迎えに行くの?」


 やはり恋人の目的がわからず小首を傾げる玉藻の首に、連夜はそっと両腕を巻きつけて抱きしめる。


「まさか。流石にそれは無謀ですよ。何の準備もしてませんし、何よりも校長先生をお迎えするための『馬車』も何も用意できていませんしね。でもまぁ、このまま玉藻さんと駆け落ちするっていうのもいいかもなぁ」


「あはは。そうね、私も連夜くんと一緒だったらどこに行ってもいいわよ」


 連夜の言葉に嬉しそうに目を細める玉藻だったが、すぐに狐の顔を苦笑で歪める。


「でも、残念ながらそうじゃないんでしょ」


「残念ながらそうですね」


「ほんと、残念だわ。で、本当のところは?」


「本当の目的はあれですよ。見えますかね?」


「あれ?」


 玉藻の首に片腕を回したまま、連夜はもう片方の腕を動かして右斜め前方を指さして見せる。怪訝な表情を浮かべながらも素直にそちらへと視線を走らせる玉藻。すぐには目的の物を見つけることはできなかった。しかし、すぐに連夜が指さしているものがなんなのかを悟って息を呑む。


「な、何あれ」


 街道からやや離れた場所、森の茂みを出てすぐくらいにあるやや開けた草むらにそれは寝そべっていた。体長は優に五メトルを超え、寝そべっていてもその頭の高さは二階よりも高い。前方に突き出た長く巨大な二本の牙、消火用ホースのように太く長い三本の鼻、そして、全身を覆う体毛は黄色と黒とで構成された禍々しいまでの虎縞模様で彩られている。


「タイガーマンモスです。原生生物の中では十指に入るほどの危険生物です」


「は、はぁ? なんでそんな奴がこんなところに。って、ちょ、ちょっと待って。まさか、交易路が通行止めになってる理由って」


 自分の首にしがみついたままの連夜を横目で見ながら問いかけてみると、彼がはっきりと頷く様子が見てとれて玉藻は愕然とする。


「まあ、あいつだけが問題なのかどうかはわかりませんが、現状ではっきりしている原因の一つは間違いなく奴です」


「あのさぁ。遠目から雰囲気だけしか見てないけど、あいつって気性がかなり荒くない?」


「荒いどころの話じゃありません。超凶暴です。分類としては象の一種のはずなのに、クマ同様に雑食でなんでも食べます」


「な、なんでもってつまり」


「野菜だろうが果物だろうが、ネズミだろうが牛だろうが、なんでもかんでもお構いなしです。当然狼でも『人』でも容赦ありません」


「ひ、ひえええ」


「雑食というよりも悪食というべきでしょうか。ともかく口に入るものはなんでもいきますね。あの太く長い鼻で獲物を捕獲し、大きな口でバリバリ噛み砕いて呑みこみます。たまに『害獣』を襲って食べていることもありますし、海の近くや川辺に住んでいる奴は魚を捕って食べることもあるといいます。ともかくとんでもない奴ですよ」


 うんざりしたといった様子で深いため息を吐き出す連夜に苦笑を返した後、玉藻はそっと街道から離れ森のほうへと移動を開始する。


「で? 奴を倒すの?」


「最終的にはそうなりますね。今のところあいつが街道をがっつり塞いでいることが通行止めになっている一番大きな理由なんで」


「あいつさえ倒すことができれば、『アルカディア』まで通れるようになるってことね」


「表面上はですけどね。他の要因については完全に調べきれているわけじゃないので、危険が全くなくなるわけじゃないんですが」


「なるほど。でもさ、あいつって私と連夜くんだけで倒せるような相手なの? 物凄く強そうだけど」


 マンモスに近づくにつれ徐々に声を小さく落としていく玉藻に対し、連夜は無言で片手を動かしその場に止まるように指示する。

 そこは森に入ってすぐの場所にある大きな大木の裏側。街道のすぐ側で眠っているタイガーマンモスから二十メトルほど離れた場所。そこで玉藻の背中からそっと地面に降りた連夜は、背負っていたバックを草の上に下ろし、中から大ぶりのハムの塊をいくつかと、薬瓶を一つ、大きな筆を一つそれぞれ取り出す。

 連夜は玉藻が興味深そうに見守っている中、薬瓶の蓋をあけて筆先を突っ込むと、それを中に十分浸してから外へと取り出し、草の上に魔法陣のようなものを描き始める。

 一身に描き続けること十分強。

 複雑極まりない紋様で作られた草の上の魔法陣の中心に、連夜は先程取り出したハムを全て放り込んで力ある言葉を唱える。

 連夜の口から紡ぎだされる言葉は魔法陣の中に紫色でできた小さな竜巻を起こし、それらはやがて中心にあるハムを包み込むようにして消えていった。


「よっし。準備完了。すいませんが、玉藻さんはここで待ってていただけますか? すぐに戻ってきますので」


「えっ、ちょっ、れ、連夜くん?」


 玉藻の耳元に口を寄せ、小さい声で指示を出した後、滑るようにその場から離れていく連夜。玉藻は慌ててそれを止めようとしたが、振り返った連夜がついてこようとする玉藻を身振り手振りでやめさせる。玉藻は自分から離れて行く連夜の姿に不安をかきたてられたが、自信満々な恋人の様子を見て追いかけるのをやめる。


「連夜くんったら、いっつも一人で無茶ばっかりするんだから。せめて何をするのか説明くらいしていきなさいよ、もう」


 ブツブツ言いながらも連夜の背中を見守り続ける玉藻。何かいつでも飛びだせるようにと木陰から油断なく様子を窺い続ける。

 だが、結局玉藻が心配するような非常事態は何も起こりはしなかった。

 眠り続けるタイガーマンモスの側まで無事近付くことに成功した連夜はまず、先程魔王陣を作るのに使っていた筆を再び振るう。タイガーマンモスの巨体、横腹辺りにに直接筆を振るい、先程とはまた別の魔法陣を描く。そして、力ある言葉を紡ぎだし魔法陣を発動させる。魔法陣は不気味な濃い紫色に輝いた後、光を失い消えていった。何の効果があったのかわからないが、タイガーマンモスは眠り続けたまま。特にこれといった変化はなかったが、術を施した連夜自身は別に落胆したという様子はない。

 その後、連夜は眠るタイガーマンモスの顔の前に移動。

 先程術を施したハムの塊をその前に静かに置いた後、玉藻の前に戻ってきた。


「連夜くん、無事でなによりだけど、何をするかくらい先に説明しておいてくれない。物凄い心配したんだけど」


「すいません、あいつが起きる前に全部済ませておかないといけなかったものですから」


 心配そうな顔をした玉藻にぺこりと頭を下げた後、連夜は足もとに落ちている小石を一つ拾う。


「これだけ終わったら説明しますから、ちょっと待ってくださいね」


「え? その石どうするの?」


「えっとですね、こうします」


「って、投げたぁぁぁっ!?」


 きょとんとする玉藻の前で大きく振りかぶった後、連夜は手にした小石をタイガーマンモス目掛けて投げつける。石はそれほどのスピードを持って飛んで行ったわけではないが、それでも狙いはそれることなく見事タイガーマンモスの瞼に直撃。二、三度瞼を震わせたあとマンモスは目を覚ました。


「ど、どどど、どうするのよ、連夜くん、あいつ起きちゃったじゃない」


「あ、大丈夫ですから、ほら、見ててください」


「へ?」


 興奮して木陰から大きく飛び出しかけている玉藻を慌てて引っ張って連れ戻した連夜は、目を覚ましたマンモスのほうを指さして見せる。

 すると連夜の指先に見える巨大な猛獣は、眠たげに周囲を見渡した後、目の前に置かれたハムの塊の山を発見。寝ぼけた様子のまま長い鼻を伸ばしてそれらをつかみ取ると何の迷いもなくそれらを無造作に口の中に放り込み、しばらくくちゃくちゃと口を動かした後、そのまままた眠ってしまった。

 その一連の動作を木陰から見守っていた玉藻は、毒気が抜かれたように連夜のほうに顔を向け直す。

「なによあれ。全然気性が荒くないじゃない。普通の象と変わらないんだけど」


「今はね。それほどお腹がすいていない状態だったからあれくらいで済んだんです。これが空腹状態だったらそういうわけにはいかなかったですよ。食い物を求めて大暴れ。腹が膨れるまでいつまでもずっと暴れ続けるんですから」


「えええっ、でも、今はおとなしかったよね」


「ある程度腹が膨れていたからですよ。まあ、だからこそ奴を起こしたんですけどね」


「あいつが満腹だなんて、よくわかったね。あ、ひょっとしてさっきあいつのお腹に書いていた魔法陣ってそれを確かめるためのものだったの?」


「それだけのものじゃないんですけどね。まあ、それもあります。ともかく、無事こっちが用意した餌に食いついてくれたことですし、今日のところはもう奴に用はありません。撤退しましょう」


「え? 帰っちゃうの?」


 早くもその場から遠ざかろうとしている連夜に慌てて追いついた玉藻は、その小さな体を口で掴んで自分の背に乗せる。そして、もう一度、眠るタイガーマンモスを振り返って一瞥し、その後城砦都市『嶺斬泊』に向かって走りだした。


「戦うんじゃなかったの?」


「さっきも言いましたけど、いずれは倒します。でもまだ仕込の段階なんですよ」


「仕込?」


「ええ、正面からまともに戦ったら大きな被害が出ますからね。あいつあれでも上位騎士クラスの『害獣』とタイマン張れるくらい強いんですよ」


「はぁっ!? 何それ、めちゃくちゃ強いじゃない! そのくらいのレベルの相手になると熟練の戦士で構成されている傭兵旅団がいくつか合同で狩りを行わないと倒せないわよ」


「そうですね」


「いや、『そうですね』じゃないわよ。大事な仕込か何かだったのかもしれないけど、めちゃくちゃ危険な相手だったんじゃない。そんな危険な奴にあんなに間近まで近づくなんて、気づかれたらどうするつもりだったのよ」


「大丈夫ですよ。もう十回以上同じことやってますから、流石に慣れたものです」


「えぇっ? はぁ? どういうこと? 十回以上? こんな危険なこと十回以上も続けているの? ちょっ、連夜くん、ちゃんと最初から説明しなさい!」


「玉藻さん、ちょっ、怖いです。怖いから前向いて走ってくださいってば。ちゃんと説明します。説明しますから!」


 説明されればされるほど出てくるとんでもない事実の数々に玉藻の怒りは急上昇。

 この後、タイガーマンモスに関する洗いざらいを玉藻に白状させられた連夜は、玉藻の自宅で正座させられたっぷりお説教させられることとなった。

 しかし、だからと言ってこの件がこれで穏便に幕を閉じたというわけではない。

 むしろ、この後大荒れに荒れる展開を見せることになる。


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