第二十四話 『あの日見た思い出の光景は』
御稜高校の広い広い運動場のど真ん中。
夕陽を浴びて対峙する二つの人姿がある。
一人はこの学校の制服姿の少女。
艶やかな美しく長い黒髪に、黒い瞳。切れ長の顎に小さな顔、そして、健康的な桜色の唇。
半袖のブラウスは大きな胸ではちきれそうであるが、ウエストはきゅっと絞られそこから緩やかにまたカーブを描くという見事なスタイル。
もう一人は漆黒のTシャツにジーンズのミニスカート姿の女性。
夕陽を浴びて美しく輝く黄金色のロングヘアーに、同じ色の瞳、そして、扇情的な紅い唇。
目の前に立つ少女以上に豊かな胸をしているが、身長が高く足も長いせいかアンバランスな感じはまったくしない、それどころか下手をすれば目の前の美少女以上のスタイルといえる。
ともかくふたりとも十人中十人が、『美少女』、あるいは『美女』であることを認めるであろう人物であったが、非常に残念なことに今の彼女達は今、それを完全に台無しにするような顔で睨みあっている。
「・・・(激怒)」
「・・・(憤怒)」
どうやったら美しい顔をそこまで台無しにできるのかというくらいに二人の顔は変形していた。
それはもう、ありえないくらいに眉間にしわを寄せ、目を見開き、口を歪めて睨みあう。
ハッキリ言ってその様子は・・・
「ヤンキーの眼のつけあいですね。わかります」
「いや、そんな説明いらんから、おまえ早く二人を止めて来いよ」
どうしようもなくウキウキワクワクした様子で二人を見守る白澤族の少女リンの姿をげんなりしながら見つめていた深緑森妖精族の少年クリスは、大きなため息を吐き出しながら疲れたようにツッコミを入れる。
「え~、なんでぇ? 戦う宿命に導かれて邂逅した二人が、いよいよ激突の時を迎えようとしているのになんで止めるの?」
「激突しようとしているから止めるんだろうが、バカタレ! そもそも当事者の連夜が寝ているのをいいことに、怒り狂ってやってきた姐さんをほいほい姫子に会わせるなんて、どういう神経してるんだよ、おまいわ!」
かわいらしい顔を真っ赤に染めて怒鳴り声をあげるクリスから、ついっと視線を外すリン。
そう、姫子の挑発を受けて学校にやってきた玉藻を、姫子の元まで案内したのは他ならぬリンなのだった。
この日、学校内は騒然としていた。突如としてやってきた中央庁の制圧部隊によって、教頭ヴィネ・ヴィネア以下、たくさんの教師達が逮捕されてしまったのだ。いや、教頭、教師ばかりではない。今年入学したばかりの一年生達のほとんどもまた逮捕されることとなり、二年生、三年生の中にも逮捕者が続出。
その罪状は、銃刀法違反、魔薬取締法違反、公務執行妨害、暴行傷害など様々であるが、ともかく今日明日中に片づけられるような軽い犯罪ではないことは確か。なんせ、校内に魔薬工場まで存在していたことが明らかになったのだ。鑑識班だけでなく、様々な部署が連日調査に来ることになるだろう。授業がまともに行えるような平常運転になるのはいつになることか定かではない。
また、その授業を行う教師達にも問題がある。残った教師達自身に問題はないが、教頭以下、逮捕された教師達は全体の過半数を優に超える。つまり、あまりにも少人数である為、まともに学校を運営できる状態ではないということだ。それは教師ばかりではない。生徒達にもそれは言える。新一年生がほぼ全て逮捕され、二年生、三年生の中からも少なからぬ逮捕者が出ており、今、現在だけで既に、在校生の半分が校内から消えることになってしまったのだ。そして、恐ろしいことにこの数は最終的な数値ではないということである。捜査が進めば、今回逮捕を免れた生徒の中にも逮捕者が出てくる可能性がある。いや、恐らくどれくらいの人数になるかはわからないが、逮捕されるものは確実に出てくるだろう。
そういう状態にあるため、中央庁側は、主犯である教頭とは無関係であることが判明している一部の教師達に、ある程度の事情を説明し、校内に残っている生徒達を下校させるように指示。
幸い夏休みが間近であった為、生徒達には次の登校日を夏休み明けにすることを伝え、下校させたのであった。
こうして、現在、校内にはほとんど生徒は残っていない。
残っているのは、校舎内の調査を続けている中央庁の鑑識班の者達と、校内の警護にあたっている護衛班の者達。逮捕はされなかったものの事情聴取を受けている教師達と、捜査班の者。そして、リンやクリスといった中央庁との間に関係を持つごく一部の生徒達だけ。
「って、そんな感じで超ゴタゴタしているときに、なんでわざわざ厄介事を招き入れるかな? 捜査している皆さんに迷惑かけるとか思わなかったのか?」
「大丈夫よ。連夜のお母さんに、『運動場使っていいっすか?』って聞いたら、サムズアップしながら『いいよぉ!』って、言ってくれたし」
「軽っ! 何、その軽い返事!? それでいいのか、中央庁」
「ドナさん曰く、『レンちゃんからの報告で運動場に調べるところは特にないってことはわかってるからね。別に使ってくれていいわよ』だってさ」
「いや、そういうことじゃなくてさ。こういう大事件の調査なんだから、一部は大して問題ない場所でも敷地内全体を関係者以外は立ち入り禁止にするべきだろうに」
「そこがドナさんクオリティなんじゃない。そこに痺れる憧れるぅ! あ、ちなみにドナさんご本人は美咲さんと一緒に中央庁に帰っちゃったからね」
「まあ、あの人も忙しい身分だから、それについては文句言う気はないけどさ」
「じゃあ、いいじゃない。とりあえず、私達は黙って見守りましょう」
「そうだな。そうするか。って、そうじゃねぇだろ、このバカチンがぁっ!」
なんだかんだ言い訳して全く仲裁する気がないリンに、とうとうクリスが本気の怒声をあげる。
そんな二人をなんとも言えない表情で見つめる仲間達。
現在、この運動場に存在する人影は全部で十一人。
当事者である姫子と玉藻。仕掛け人のリン、あとは二人の争いを心配してやってきたロム、フェイ、クリス、アルテミス、はるか、ミナホ、シャルロット、それにリンに気絶させられて未だに目を覚まさない連夜の十一人。
ちなみに連夜は現在、対峙する二人から少し離れたところでアルテミスの膝枕の上で眠っている。本来なら、他の女の膝枕で眠るなど玉藻が絶対に許さないところであるが、膝枕をしているのが玉藻、連夜共通の妹分であるアルテミスであることから特別に許可。アルテミスにはクリスという最愛の婚約者がいることだし、流石に地面の上に直に寝させるのはかわいそうと思ったことで、今回だけは目を瞑ることにしたのだ。
「全く連夜が眠っている間に爆発寸前の二人を会わせるなんて、いくらなんでもやりすぎですわ」
「そうだぞ、シャルの言うとおりやりすぎだ」
眠る連夜の顔を心配そうに覗きこみながら優しくその頭を撫ぜる小型犬獣人族の少女と、狼型獣人族の少女の非難の声に、リンは小さく肩をすくめて舌を出してみせる。
「ほらみろ。みんなこう言ってるだろうが。早く行って来いって」
「もう、しょうがないなぁ」
仲間達に促されリンは仕方なしという風に一触即発の二人の元へと駆け寄る。
「姐さん、姐さん」
「何よ、リンちゃん。話なら後にしてくれる。今忙しいんだけど」
「いや、焚きつけておいてなんなんですけど、この場はどうにかおさめて頂けませんか」
「何言ってるのよ、そんなことできるわけないでしょ。そもそも喧嘩を売ってきたのはこの子が先・・・」
「今回の大騒動。誰の為でもない、この姫子ちゃんの為だけに連夜が起こしたものなんですよ!」
「あぁん?」
リンの一言に玉藻の表情が変化する。
それも沈静化するのとは逆の方向に。
それをわかっているのかいないのか、リンは更に言葉を紡ぐ。
「小さい時から」
「小さい時からぁ?」
「ずっとかわいがってきた」
「ずっとぉ? 可愛がってきたぁ?」
「そんな姫子ちゃんを助ける為に、今回の大騒動を起こしたんですよ。姐さんも見たでしょ、この学校の騒動の様子を。これは全て姫子ちゃんの為にやったことなんです。だから、今日のところはそれに免じて引いてもらえませんか」
リンの言葉にもう一度前を見る玉藻。
そこには、さっきまでの激怒の形相はどこへやら。顔を赤らめて下を向き、恥ずかしそうにモジモジしている姫子の姿。
しかも、どこか勝ち誇ったような表情であるのは絶対に気のせいではないだろう。
そんな姫子の様子をみた玉藻は、気持ちいいくらい素晴らしい笑顔でキッパリ言い放つのだった。
「よし。今すぐ殺そう」
『え、えええええええっ!!』
明らかにさっきよりも悪化してしまった状況に、見守っていた仲間達から盛大に悲鳴があがる。
「なんか失敗しちゃった。てへぺろ」
「そっかぁ。じゃあ、しょうがないなぁ。って、しょうがなくないだろ、バカタレ!」
「煽ってどうするのよ。説得しなさいよ」
「完全に火に爆弾放り込んでいたじゃないか!」
全然悪びれる様子がないどころか、やたら達成感いっぱいの表情で戻ってきたリンに、仲間達からは非難轟々。
「とりあえず、もう一回戻って説得してこいって」
「あのぉ、もう姐さんを説得するのは無理っぽいんだけど」
「誰のせいでそうなったのよ!」
「まあ、確かに姐さんはダメっぽいけど、不幸中の幸いというべきか、今、姫子のほうはちょうど鎮火しているから、そっちをまず説得してこい」
「だね。一人がやる気がなくなって喧嘩を買わなければ、成立しなくなって止めやすくなるし」
「え~、また行くのぉ」
「いいからもう一回行って来い」
物凄く嫌そうな表情を浮かべて拒否しようとするリンを、仲間達は一斉に押し出して再び姫子達の元へと向かわせる。
「姫子ちゃん、姫子ちゃん」
「何よ、リン。話なら後にしてくれる。今取りこみ中なんだけど」
「いや、切っ掛け作っておいてなんなんですけど、この場はどうにか引いて頂けませんかねぇ」
「何言ってるのよ、そんなことできるわけないでしょ。もうあっちは喧嘩する気満々・・・」
「玉藻姐さんは連夜にとって、とても大事な人なんだよ」
「あぁん?」
リンの一言に姫子の表情が変化する。
それも穏やかになるのとは全く逆の方向に。
それをわかっているのかいないのか、リンは更に言葉を紡ぐ。
「友達よりも」
「友達よりもぉ?」
「家族よりも」
「家族よりもぉ?」
「他の知り合いや仲間達よりも、ずっとずっと玉藻姐さんのことを大事に大切にしているのよ。念話でのやり取りを姫子ちゃん、横で聞いていたでしょ? 連夜はね、玉藻姐さんのことしか見てないの。そりゃ私達仲間のことも大事に思ってくれてはいるけど、そんなの比じゃないくらい玉藻姐さんのことを大事にしている。あれだけ乱闘騒ぎがあって自分が狙われている最中でも、自分の命より姐さんの念話を優先させるくらいなんだもん。わかるでしょ。だから、今日のところは。ね、お願い姫子ちゃん、怒りを納めてくれないかしら」
リンの言葉にもう一度前を見る姫子。
そこには、さっきまでの憤怒の様子はどこへやら。顔を赤らめて横を向き、心底嬉しそうに親指をかみしめながら少し離れたところに横たわる連夜を見つめる玉藻の姿。
そこに浮かんでいる表情が幸せいっぱいに見えるのは絶対に気のせいではないだろう。
そんな玉藻の姿を見た姫子は、見たこともないような晴れやかな微笑みを浮かべてハッキリ言い放つのだった。
「よし。今すぐ潰そう」
『え、えええええええっ!!』
先程よりももっと悪くなった状況に、見守っていた仲間達は頭を抱えて絶叫する。
「全力尽くしたけどダメだった。メンゴメンゴ」
「なるほど。全力尽くしたんだし、仕方ないよね。って、おま、どっちの方向に全力尽くしてくれてるの!? 明らかに間違った方向に全力尽くしてるぢゃん!!」
「姫様、目が血走ってるし、怒りのオーラがハンパないんですけど!」
「なんであんなクリティカルに姫様の逆鱗に触れるようなこというかな。自分絶対わざとやってるやろ!?」
全く反省する様子がないどころか、どういうつもりなのか力いっぱいドヤ顔で戻ってきたリンに対し、再び巻き起こる仲間達からの非難轟々の嵐。
「ちょ、これ、おま、本当にどうするんだよ」
「もう止められないじゃん」
「まぁまぁ、過ぎたことはしょうがない。本人も反省してるみたいだし」
「いや、全然反省してへんやん。っていうか、自分で言うな!」
「わざとやったってわけでもないと思うし」
「あれどうみてもわざとだよな。っていうか、だから自分で言うなって!」
「きっと何か深い理由があったんだよ。悪意があったわけじゃないとおもう」
「むしろ悪意しか感じられないんだけど。っていうか、さっきからみんな言ってるけど、自分で言わないでってば」
「もう、みんないい加減にしてよ、まるで、私一人が悪いみたいじゃない」
『間違いなく、おまえ一人が悪いだろ!!』
仲間達からの容赦ない非難の声を聞いてわざとらしく泣き崩れて見せるリンであったが、そんな三文芝居に誤魔化される彼らではない。しかし、これ以上目の前の少女を非難したところで事態が好転する可能性がないことも理解してしまい、やがて誰も声を出す者がいなくなる。
そして、彼らの視線の行先は白澤族の少女から、激突寸前の二人の美女達へ。
「マジでこれ、どうするよ。連夜が起きた時に言い訳できないような状態になってることだけは勘弁してほしいんだけどよ」
「だよね。いっそ、僕達が間に割って入って力づくで止めてみる?」
「冗談きついで、フェイやん。姫様だけでも大変なんやで? 確かに本来の体に戻ったばっかりやから本調子やないとは思うけど、それでも間違いなくうちらより確実に強い」
「あの狐のおねえさんも半端じゃない実力の持ち主よね。下っ端の私でもハッキリわかるくらい桁違いの武力を持ってる」
「確かに姫子は俺達でなんとか抑え込めるとしても、姐さんは無理だろうなぁ」
「いや、自制心なくした姫様もかなりヤバイで。リミッター外した姫様に勝とうと思ったら、連夜はんみたいに策にでも嵌めへんと無理ちゃうか?」
「えええっ!? ってことは何? このメンツで止められないっていうの? あそこにいるたった二人を?」
百戦錬磨の猛者達から漏れ出る想定外の言葉に、かわいらしい犬耳と尻尾を逆立てながら悲鳴をあげるシャルロット。それは責めるような、しかし、どこか諦めきれずに懇願するような声。だが、その声に対し猛者達は一様に顔を背ける。
ここにいる者達の中に決して臆病者はいない。そのことについてシャルロットはよく知っている。彼らに彼女は何度も何度も助けられた。また、一緒に危険の中に飛び込んでいったこともある。その彼らが無理と言っているのである。あそこに立つ二人はいったいどれだけ強いというのだろう。
そこまで考えた時、シャルロットは重大なあることに気がついた。
「ちょ、ちょっと待って。そんなめちゃくちゃ強い二人が喧嘩したとして、ただの『喧嘩』で収まるの?」
「収まるわけないだろ」
「ま、不味いじゃないのよ、それ!」
「そうだよ、だから、みんな頭を抱えているんだろうが」
「そ、そんなぁっ」
衝撃の事実にたまらず悲鳴をあげた、シャルロット。彼女は、涙を浮かべながらも怒りの表情となって、こんな事態を引き起こした白澤族の少女に詰め寄っていく。
「リン・シャーウッド。あなた、こんな事態引き起こしておいて、こんなところで悠然と構えているんじゃないのよ! どうにかしなさいよ!」
「シャルちゃん、うるさいから、ちょっと黙ってて」
「な、なんですってぇっ!? あ、あなたね!」
「あ、始まった」
「え?」
それは唐突に始まった。
どちらも何も言葉を発しないままに体を動かす。そして、風を纏い相手に肉薄。穏やかに流れていた空気の波を打ち破り、吹き荒れる拳と蹴りの嵐。
見えない。見えることもあるが、ほとんど見えない。それほどまでに凄まじいスピードで次々と繰り出される拳と蹴り。武術の達人であり、単純な戦闘力ならこの中で最も高いと思われるフェイでさえ、目で追うのがやっと。そんなハイレベルでの攻防だが、しかし、ほんの数十秒の打ち合いで既に均衡が破られようとしていた。
「やばい。そろそろ勝負が決まる」
「え、えええっ? フェイくん、あれが見えてるの? すんごい速さで動いているのはわかるけど、腕の先も足の先も霞んでよく見えないんだけど」
「かろうじて見えているだけだけどな」
「す、すごい! で、どっちが勝ちそうなの?」
「そんなの決まってるだろ。狐の姐さんだよ」
「やっぱそうなるやんな」
「元の体に戻ったばかりで慣らしもなんにもやってないもんな。ただでさえ姐さんって、『害獣』並みの強さを誇るのにさ」
「今回ばかりは、姫様にあまりにも不利過ぎますよね。せめてあと一週間きっちり体を作ることができていたら」
「落ち着いている場合じゃないでしょ! みんな、おかしいよ。このままだと姫子は大怪我するかもしれないんだよ!?」
「でも、今、止めるのはダメ。このままじゃ、どちらも納得できない。こんな中途半端で終わらせるわけにはいかないのよ」
「リン、あなた、この期に及んで何を言ってるの!? 二人を喧嘩させただけじゃまだ物足りないの? そんなにどちらかに怪我をさせたいわけ?」
「別にそういうわけじゃないけどね」
「嘘を言わないで。なんなの、あなた? 本当に連夜のお友達なの!?」
冷静に戦闘を分析している仲間達に涙目のシャルロットが食ってかかる。中でも彼女が腹立って仕方ないのがリンである。事の元凶であるにも関わらず、他の誰よりも喧嘩を止めようとしていない。
このままでは、こちら側でも殴り合いの喧嘩が勃発しかねない。そう思って他の者達がハラハラし始めたとき、二人の前に一つの人影が割って入る。
それは今この場にいる仲間達の中では最も大きな体格を持つ人物。そして、今まで一度も発言していなかった人物。バグベア族の少年ロスタム・オースティン。
「気持ちはわかるが、ちょっと落ち着けシャル」
「だって、ロムくん」
「まあ、こいつに言ってやりたいことが山ほどあるのはわかってる。けどまあ、こいつも何の考えもなしに今回のことを仕組んだわけじゃない。こいつなりに考えた結果がこれだ」
「は、はぁ? 姫子と玉藻さんを喧嘩させることに、いったいどんな考えがあるっていうの? どうみたってただ面白がっているだけじゃない。考えがあるっていうなら、当然事態を収拾する方法も考えているのよね? でも、みんなの意見を総合したら収拾する方法はないみたい・・・」
「俺が止める」
「え?」
苦笑しながらシャルロットの前に出たロムは、着ていた半袖のYシャツを脱いでタンクトップ姿になると横に立つリンにそれを手渡す。
「そういうことだろ、リン」
「ごめん。任せる」
「ったく。気持ちはわからんでもないがもうちっと穏便な方法を考えてくれ。大丈夫だとは思うが、それでもあそこに飛び込んで行くのは結構勇気がいるんだぞ」
「本当に申し訳ない。なんなら責任取って俺が行くけど」
「適材適所。それはおまえの役目じゃなく、俺の役目だ。それよりも、ちゃんと見極められたか?」
「うん。それはもうバッチリ。二人とも、本気の本気だってことはわかった。お互い引けないくらいに、連夜に対して本気であることはわかったよ」
「やれやれ。たったそれだけのことの為に、大袈裟にしやがって」
「だから、ごめんって謝ってるじゃん」
「謝る相手が違う。ここにいるメンバーに後でちゃんと謝っておけよ。あと、まんまと喧嘩させられた二人と連夜にもな」
「はぁ、気が重いなぁ」
「ちょ、ちょっと待って、いったいどういうことなの?」
二人の会話の内容が理解できなかったシャルロットが、混乱した様子を隠そうともせずに悲鳴をあげる。
そんなシャルロットのかわいらしい姿を横目で見て、一瞬表情を緩めるロムであったが、すぐに視線を喧嘩真っ最中の二人のほうへと向け直して再び真剣なものへと変化させる。ただ、そのまま彼女を放っておくのは忍びないと思ったのか、シャルロットに背中を向けたままの状態で、先程の会話の説明を開始すべく口を開いた。
「つまりリンは、龍乃宮と姐さんがどれくらい連夜のことを真剣に想っているのかを知りたかったのさ」
「何それ、どういうこと?」
「友達として好きなのか、恋人として好きなのか、あるいはそれ以上の存在として好きなのか。上っ面だけ好きなのか、心から好きなのか、全身全霊かけて好きなのか。軽い仕事を任せられるくらいに信頼しているのか、背中を預けられるくらい信頼しているのか、それとも例え命を預けることになってもそれができるくらい信頼しているのか。確かめたいことはいろいろある」
「どうして? それって赤の他人が見定めなくちゃいけないことなの? 大きなお世話じゃないんじゃないの?」
「そう言われたらそうなんだけどな。でもよ、はい、そうですかというわけにはいかないな」
「なんで?」
「まあ、なんだ。少なくとも俺達は、お互いの背中を預け合うことができるくらいにはお互いを『真友』だと思ってるわけだ。そう思ってるくらいにはお互いのことを大事に思ってるし信頼も信用もしてる。だから、そんな大切な『真友』が不幸になるのを見るのは絶対に嫌なのさ。だから、例え自分が悪者になっても二人の正直な気持ちが知りたかった。ってところが、真相だろうよ。なぁ、リン」
そう言って少し離れたところにいる白澤族の少女に声を掛けると、彼女はバツが悪そうに顔を赤らめながらポリポリと頬をかいてみせる。
リンとロムは中学時代の三年間、ずっと連夜と一緒につるんでやってきた。そのため、彼ら二人は、連夜が受けてきた様々な差別の実態をその目で見て知っている。ハッキリ言ってそれらの差別は、『イジメ』という言葉で一括りにできるような生易しいものではなかった。中には命に関わるようなことだってあったのだ。しかもそれらは、彼らが敵対していた不良グループだけが行ったわけではない。そんな危険な差別行為を行った者達の中には一般生徒や、教師、はては、全く関係ない通りすがりの人というのまであった。正直、常軌を逸している思うし、それらを行った者達の神経が到底まともとは思えない。
だが更にリン達を戦慄させたことがある。
それは、彼らが全く罪悪感を感じていなかったこと。
社会的弱者である人間族の連夜を、『人』として見ていなかったのだ。
念車が来るのに合わせて連夜を突き飛ばして殺そうとした上級種族の老婆は、駆けつけた都市警察の職員に捕らえられた時に、殺そうとした動機を聞かれると平然とこう言った。
『側にいられると空気が悪くなるから』
そして、どうして自分が捕まったのか、最後までわからなかったのだという。
これはあくまでも極端な例であるが、そういう輩は他にも掃いて捨てるほど存在した。それくらい、最底辺の種族は同じ『人』として見られていないのだと理解させられた。
底辺に近い種族である、元奴隷種族のバグベア族ロムでもここまで強烈な差別を受けたことはないという。
それほどに、連夜達人間族が生きる道は厳しく辛いのだ。不幸中の幸いというべきか、彼の周囲には中央庁に勤める母や、たくさんの重要人物と繋がりのある父、有名人の兄や姉といった社会的に強い立場にいる者達が存在し、彼のことを守っている。だが、彼らは四六時中連夜のそばにいるわけではない。その間隙を縫って心ない人々の凶刃が連夜に突き出される。いつそれがやってくるかはわからない。すぐ横を歩いている人が、スーパーのレジ係りが、通勤途中のサラリーマンが、下校途中の小学生が。
笑顔を貼りつけたまま、何の罪悪感もないままに連夜を害すべく牙を剥く。
だからこそ、連夜の側にいる者は生半可な覚悟でいてはいけないのだ。
「でもまあ、玉藻姐さんも姫子ちゃんも、連夜とは私以上に付き合い深いみたいだし、そのあたりの覚悟があることはここ最近二人と話してみたから、はっきりわかっていたんだけどね」
そう。
そのあたりの覚悟については、既に確認済みだ。
二人とも連夜の側にいることの大変さをよくわかっている。そして、リンやロムと同じ、いや下手をすればそれ以上の強い気持ちで連夜の側にいるのだ。
「それだけわかってれば十分じゃないのかよ」
「まあね。実際ロムはそれで納得していたわけだけど、俺はちょっと違うかな」
これ以上いったい何を確認したいのかと問いかけるクリスに対し、リンは自嘲気味な笑みを浮かべてみせる。
「『友達』として側にいる覚悟じゃダメなんだよ。俺達『友達』なんかよりももっと近くにいて、俺達『友達』なんかよりもずっと側にいる。そして、絶対離れないっていうくらいの覚悟がないとダメだと思うんだ。『助けが必要なときはいつでも駆けつける』、それじゃあダメなんだ。助けが必要とか、必要ないとか関係ない。何もなくても側にいる。側にいたい。そして、側にいてほしい。誰よりも近くに。自分が一番近くにいる。そういう強い想いと強い覚悟がある奴じゃないと、連夜の恋人として認められない。少なくとも、俺は・・・ううん、私はそうだったから」
少年の声と少女の声が交互に入り混じる独白。
リンの独白を黙って聞いていた仲間達は、まるでそこに二人の人物がいるかのような錯覚を覚え、目を白黒させて改めて彼女の姿を見つめる。
だが、そこにはやはりどうみても『女』の性を持つ人影しか見えない。少年が持つにはあまりも大きく豊かな胸。首元にのど仏もないし、少年にしてはあまりにも華奢な体。だが、ふとした瞬間に垣間見えるそのかわいらしい顔に、時折、少女とは思えぬ表情が浮かぶのが見える。
ギラギラと光る瞳、皮肉気に歪む口、そして、奇妙な形で固定された神経質そうな笑顔。
そこにあるのはどうみても『少年』にしか見えない顔。
「でも、もういいだろう。龍乃宮も玉藻姐さんも十分それに当てはまることを証明してくれたと思う。それにこれだけやりあえばお互いある程度相手のことも理解し合えただろうしな。まあ、それで納得できるかどうかはまた別問題ではあるのだが。それともまだ不足か?」
なんとも言えない驚愕の表情を浮かべる他の仲間達と違い、ただ一人、全く動揺する様子を見せていないバグベア族の少年が、肩越しにリンのほうに視線を向ける。
その視線を真っ向から受け止めた白澤族の少女の表情は、再び柔らかい『少女』のそれに変化する。
「うん、十分確認できた。ごめんね、ロム。あと、任せていいかな」
先程まで混じっていた『少年』としての声の響きはもう微塵も存在していないとはっきりわかる、完全に『少女』としての優しく甘い願いの声。
背中越しにそれを聞き届けたバグベア族の少年は、なんともいえない苦笑を浮かべ大きく太い腕をひらひらと横に振って見せて了承を伝える。
「それじゃあ、ぼちぼち行ってみますか」
「お願い、ロム」
「おう」
短いやり取り。しかし、そこには万感の想いがあり、決して間違えることはない。
願いは正しく伝えられ、それを受け取った少年は獣の咆哮をあげながら死闘の中へと突っ込んで行く。
そのタイミングはまさに間一髪。
姫子と玉藻の死闘は、リン達の予想通り、玉藻の完全勝利という形で決着がつこうとしていた。だが、その決着のつき方は、彼らが望んでいたものとはかなりかけ離れている。むしろ、最悪といっていい形を作り出そうとしていたのだ。
疲れ故か、それとも調整不足の為か、それとも最初から二人の戦闘能力のはっきりした差があったからなのか。もう、姫子の攻撃は玉藻に届かなくなってしまっている。いや、攻撃が届かないどころの話ではない。彼女が繰り出すその攻撃のことごとくにカウンターをきめられ、既に姫子は満身創痍の状態。対する玉藻は多少の砂埃をかぶっているものの、怪我らしい怪我は全くしていない。
お互い相手の動きを読み切り、一進一退の攻防を続けていた序盤とは違う。戦いは一方的なワンサイドゲームとなってしまっていたのだ。
全く手を緩めることなく、ゴーレムのように冷徹に、そして、悪魔のように正確に姫子を追い詰めていく玉藻。そこに一切の手加減は存在しなく、付け入る隙も全くない。嫌になるほど姫子のガードを丁寧に削っていく。
少し離れた場所で見ていてもハッキリと姫子が負っているダメージが、尋常ではないレベルであることが見て取れる。剥き出しの両腕両足は、切り傷や打撲のあとで見るも無残な状態となっており、あとはトドメを待つばかり。
それでも姫子はギブアップする様子はなく、戦意を喪失することなく玉藻に戦いを挑み続け、玉藻もまた戦闘を中断しようとはしない。
そして、いよいよ仕上げとなるであろう一撃が玉藻から繰り出されるときがやってくる。
地面からほぼ垂直にまっすぐ挙げられた美しい脚。それが重力を伴って一気に加速し姫子の脳天めがけて振りおろされる。
まさにそのとき。
「ヴァルヴァルヴァルヴァルヴァルゥッ!」
獣の咆哮があがり、それと共に凄まじい勢いで死闘を繰り広げる二人の元へと迫る一陣の侠風。
侠風は姫子を守るように玉藻の前へと飛び出し、振りおろされた死の一撃を受け止める。
ドンッという轟音があたりに響いた後、少し離れたところに立つリン達の元にまでそのときに発生した衝撃の暴風が吹き抜けた。
つまり今の一撃にはそれだけの威力が込められていたということ。リン達は、その衝撃を一身に受けることになったバグベア族の少年を心配して目をこらす。
だが、彼は倒されることなくそこに立っていた。
霊狐族の美女が繰り出した強烈無比なカカト落としを、交差した両腕で受け止めたまま微動だにせずそこに存在している。
だが、その姿は先程までの姿とは若干違う。
不自然に膨れ上がり鈍い光を放つ鉛色の体。腕や足の筋肉は明らかに一回り以上大きくなり、全身からは湯気ともオーラともつかぬ何かが立ち上っている。
これぞバグベア族が持つ特性の一つ【凶戦士化】
一時的にではある、全身の筋肉や反射神経、動体視力を一気に数倍に跳ね上げる能力。発動させておける時間はわずか99.9秒と非常に短いが、発動中は力自慢の巨人族をも上回る怪力を発揮し、強靭なドワーフ族以上の体力と玄武族に並ぶ防御力でドラゴン族の一撃にも耐えられる。
「ちょっ、ロムくん、どきなさい!」
「はい、そうですかってわけにはいかんだろう。むしろ、姐さんに引いてほしいんだが」
「ここで引けるわけないでしょ。いいから、あなたは引っ込んでなさい!」
ロムの両腕に乗せた自分の踵に一瞬自分の体重を乗せた玉藻は、そこを足場に残った足を跳ね上げる。狙いはロムの顎。凶風を纏った必殺のムーンサルトキック。
しかし、その直後、ロムの細い眼が見開かれる。
そこには満月のように金色に輝く瞳。その瞳が間近に迫る玉藻の脚を捉えた瞬間、ロスタムの身体が風にたなびく柳の枝のようにしなってその一撃をかわす。
これぞバグベア族のもう一つの特性【月光眼】。
金色の瞳に映し出される相手の行動を、秒単位で数分先まで読むことができるという恐るべき能力。発動させておける時間は【凶戦士化】と同じわずか99.9秒。だが、発動させているその間はほぼ無敵といってもいい能力。
これら二つの能力を持つが故に、リンはロムに仲裁を任せたのだ。
いや、ロムという存在がいる故に、二人を喧嘩させることを躊躇しなかったというべきか。それだけリンは、ロムが持つ力と、そしてロムという存在を信頼していた。
当然、流石の玉藻もこれでおとなしくなると思っていたのだが。
彼女は完全に玉藻のことを、いや、玉藻が持つ武力のことを読み違えていた。
「流石、連夜くんの『真友』、なかなかやる。けどね」
「ぐっ、まさか!?」
不発となったムーンサルトキックの状態からふわりと地面に着地した玉藻は、そこから一気にロムの側に駆け寄って肉薄。並みの武術家では目で追うことさえできない凄まじいスピードであるが、【月光眼】を発動しているロムには、その動きは手に取るようにわかる。当然、それを見越して体を迎撃しようとしたのであるが、玉藻の繰り出したサイドキックにその手がかかるよりも早く、それはロムの肉体へと到達し巻きつく。
見えていたにも関わらず、止めることができなかったその恐ろしいまでのスピード。【凶戦士化】で強化された肉体をも潜り抜け、放たれた一撃は、軽々とロムの体を吹っ飛ばす。
「う、うそっ!?」
流石のリンもこれは完全に想定外であった。まさか、こうも簡単にロムがバトルフィールドから排除されてしまうとは思ってなかったのだ。
大事な相棒であり、想いを寄せる異性でもあるロムの安否を心配し、ここに来て初めて表情を強張らせるリン。そんな彼女の不安を煽るかのようにロムの巨体は風に遊ばれる木の葉のように転がり続け、あっというまに運動場の端っこまで到達。フェンスに激突してようやくその動きを止める。
「ロムッ!?」
「クソッタレがぁ」
リンの呼び声が届いたわけではないだろうが、すぐに怒号をあげてロムは立ちあがる。その体は砂まみれであるが、遠目からみて傷らしい傷は見当たらない。どうやら、ダメージを与えようとしたわけじゃなく、純粋に死闘の場所から蹴りだしただけだとわかり、リンはほっと胸を撫で下ろす。
だが、ロムはかなりの距離を蹴り飛ばされることとなった。つまり、姫子を守るものがいなくなったということ。
「ちょっ、姐さん、ストップストップ。もうこれ以上はレフェリーストップ、仕合終了だってばぁっ!」
「そんなの今更ね。問答無用よ」
「だ、ダメぇっ!」
今度こそ本気で焦って声をあげるリンであったが、玉藻はその制止の声を無視して満身創痍の姫子へと肉薄する。姫子は果敢にそれを迎え撃とうとするが、先程のロムと玉藻との一戦のときに緊張の糸が途切れてしまったのか、立っているのがやっとな状態。かろうじて腕をあげてファイティングポーズをとってはいるが、誰がどう見ても、最早まともに戦える状態ではない。
しかし、そんな姫子に対し、玉藻は容赦する気全くなし。先程同様その長い脚を頭上へと振り上げ、敵意と憎悪のこもった危険な瞳で目の前の少女を睨みつける。
「これで終わりよ」
静かな死刑宣告。
誰もが流石にこれは不味いと思った。最初に走り出したロムに続くように、クリスやフェイ達も、玉藻の暴走を止めるべく一斉に走り始める。
しかし、あまりにもその初動が遅かった。
間に合わない。彼らの目の前で、美しいフォームで垂直に振り上げられた足が、姫子の頭上に叩き下ろされようとする。
今度こそ本当の大惨事。
誰もがそう思った。
だが、そのとき、彼女の目の前に、一人の少年が飛び込んでいく。曇った玉藻の目の端にその少年の姿が引っ掛かる。その途端、玉藻の頭と瞳は一気にクリアになり、玉藻は吃驚して慌てて足の軌道をそらした。
ギリギリ。本当にギリギリそれが間に合って、彼女の足は少年の横をすり抜けて落ちる。
一斉に安堵の息が漏れる。それは、玉藻とて例外ではない。
恐ろしい未来を回避できたことに、一瞬ほっとする彼女だったが、すぐに怒りが湧き上がってきて、涙目になって目の前の少年に詰め寄っていく。
「あ、あぶないじゃない!! 何考えているの!!」
「え、あ、玉藻さんのパンツ見るちゃんすだったから、つい」
「ひぇ? ぱ! ば、バカバカ!!」
真っ赤になって本気で怒る玉藻に、とんでもない答えを返すのは、彼女の最愛の人、【宿難 連夜】その人だ。
その連夜の答えにさらに顔を赤くしてジーパンのスカートを抑えた玉藻は、目の前の少年の頭をぺしっと叩く。
「も、もうもう!! 馬鹿じゃないの、バカじゃないの!! 怪我するところだったのよ!! 」
「白だった。うんうん、やっぱ玉藻さんは白が似あうよね」
「しっ!? そ、そんなこといちいち言わなくていいの!! 連夜くんったら、人の話聞いてるの!?」
腕組みをして意味深に考え込みながらさらにおバカな発言をする連夜の頭をさらにぺしぺしっと叩く玉藻。
先程までの恐怖の殺気はどこへやら、すっかり通常運転に戻ってしまった玉藻を、連夜は真剣な光を宿した瞳で見つめる。
「そうそう、玉藻さんはそうでなくちゃ。心ないままに力を振るう玉藻さんなんて、玉藻さんじゃありませんからね」
その言葉にはっとしてスカートのすそを抑えることをやめた玉藻は、自身も真剣な表情を浮かべて少年を見る。
「その子を庇うの?」
「そうですね、結果的にはそうなるのかもしれませんけど、どちらかというと、さっきまでの玉藻さんを見ていたくなかったという理由のほうが強いでしょうか。途中からしか見ていなかったのでどうとは言えませんけど、最後のはただの八つ当たりでしょ?」
「っ!? や、やつあたりじゃないわよ。だって、その子が連夜くんのことを」
「姫子ちゃんがどうこう言って、僕と玉藻さんの関係は何か変わりますか? そんなに僕のこと信じられませんか?」
「そ、そんなこと言ってないじゃない。私は、喧嘩を売られたから買ったまでで」
「それについてはもう決着がついていましたよね。それでもどうしても怒りが収まらないというなら、怒りの矛先は今回の喧嘩の原因を作った僕にこそ向けるべきだと思いますよ」
「うううう。何よ、何よ、誰のせいでこうなっちゃったと思ってるのよぉ」
「わかってます。逃げません。ちゃんと話を聞きますから。姫子ちゃんとの喧嘩は、もういいでしょ。それよりも僕の相手をしてもらわないと。ね」
連夜は玉藻に近寄るとそっとその両手を握る。黒い瞳は金色の瞳を見つめ、しばし流れる静寂の時。しかし、やがて、顔を赤くした玉藻は連夜から拗ねたように視線を外した。
「本当にもう連夜くんは、いつもいつもずっこいんだから」
「いつもいつもかぁ。そういえば、昔からそうでしたねぇ。懐かしいなぁ」
「そうね、懐かしいわね。あの頃もこうして・・・えっ」
古い古い遠いどこかの記憶。
そんな既視感にその身を委ねていた玉藻であったが、はっとあることに気がついて表情を強張らせる。
確かに。
自分は確かにこの光景を知っている。
それもあやふやな形ではない。
今とは若干違っていたが、ほとんど変わらぬこの光景。
彼女が住んでいた地域で悪名を轟かせていたいじめっこと対決し、完膚なきまで叩きのめした後、今と同じように容赦ないトドメを刺そうとして、今と同じようにある少年に止められた。
忘れようと思っても、忘れられない、絶対に忘れたくない思い出。例え、その思い出を覚えていることが今の恋人を裏切ることだと言われても、これだけは手放したくない、大事な思い出。
再び鮮やかになる思い出の光景。そんな中に立っているのはフードを目深にかぶった一人の少年の姿。こんな乱暴者の自分をお嫁さんにしたいと言ってくれた人。そして、もう二度と会えない人。
その思い出の中の少年の名を、玉藻は思わず口にする。
「・・・ボロくん」
「はい」
涙で滲む視界の中、幻の少年が返事をする。
「・・・ボロくん」
「はい」
幻はあのころと同じように彼女ににっこり笑いかけてくる。
たまらなくなった玉藻は、嗚咽を堪えるように両手で自分の口を抑え込む。しかし、一度溢れた想いはとどめることはできない。
「会いたい。会いたいよ、ボロくん」
「いや、はい。っていうか、目の前にいますけど。もしもし、玉藻さん?」
「ごめん、ごめんね、ボロくん」
「何がですか?」
「あのとき、あなたの想いに素直に応えられなくてごめん。本当はね、私もあなたのこと好きだったの。なのに、生意気なこと言って、あなたを遠ざけて」
「いやいやいや。お互いまだ子供だったじゃないですか。それに確かに、あのときの僕はまだ、胸を張って玉藻さんをお嫁さんにできるようなそんないい男じゃなかったですから」
「それでも、そのせいで私は永遠にあなたを失ってしまった。変な意地を張らなければ私は今頃きっと」
「若干の遠回りにはなりましたけど、概ね予定通りですよ。いや、でも、覚えててくれたんですね、あのときのこと」
「忘れるわけないじゃない!」
「えっと、そ、そうですか、なんかあらためてそういわれると照れちゃいますね」
「馬鹿っ、本当にあの頃と全く変わらないんだから・・・って、ちょっと待って」
「はい?」
にじむ視界が徐々に晴れてきたとき、玉藻は自分が幻と話しているわけではないことに唐突に気がつく。そして、自分の話相手になっている人物が誰であるかも。
「な、なななな、なんで連夜くんが受け答えしているのぉっ!?」
熟れたリンゴのように顔を真っ赤にしながら、混乱の極みとばかりに絶叫する玉藻。だが、そんな玉藻の問いかけに連夜は不思議そうに小首を傾げて見せる。
「え? なんでって、玉藻さんが僕のことを呼んだからですが」
「え? 私、連夜くんのことを呼んでいた? あれ? そうだったかしら? ぼ~っとしてたから、連夜くんの名前呼んじゃってたのかな」
「ええ、『ボロくん』って。『ボロくん、会いたい』って呼びましたよね」
「ああ、確かに呼んだわね。うん、口に出してたような気がする」
「じゃあ、あってるじゃないですか」
「ああ、あってたんだ。よかったよかった。そっか、私、ちゃんとボロくんのことを呼んでたんだ。だから、連夜くんが返事をしたのね。なるほどなるほどぉ。って、ちょっと、まてぇぇぇいっ!」
さらっと明かされたとんでもない衝撃の事実。
それを咄嗟に受け入れることができなかった玉藻は、何度も口をパクパクさせていたが、やがて生唾を飲み込んで自分と連夜を何度も何度も指さしてみせる。
「ぼ、ボロくん?」
「はい」
「れ、連夜くんがボロくん?」
「はい」
「って、てことはボロくんは連夜くん?」
「はい」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・あ、あの、玉藻さん?」
「なんじゃぁこりゃあぁぁぁっ!」
混乱の頂点に達した玉藻は絶叫し、頭を抱えたまま地面の上を転がりまわる。
「ちょ、玉藻さん落ち着いて」
「これが落ち着いていられるかぁっ!? どういうこと、ねぇ、どういうことよ、これ!?」
「いや、どういうことって。え? ひょっとして玉藻さん、ご存知じゃなかったんですか?」
「ご存知なわけあるかぁあっ! なんで、言ってくれなかったの? なんで、黙ってたのよ? ってか、死んだんじゃなかったの?」
「えええっ、し、死んだ?」
「そうよ、ボロくんは交通事故で死んだって聞いたのよ。だから私の中では、もうボロくんはこの世にいない人だったのに。二度と会えないと思っていたのに」
「い、いったいどこの誰からそんな根も葉もない噂を聞いたんですか? そもそもなんでそんな話を鵜呑みにしちゃったんですか」
「誰から聞いたって、それは親友のミネルヴァが」
「・・・え?」
「・・・え?」
漏れ出た一つの固有名詞。
それが玉藻の口からこぼれ出た瞬間、二人は体を硬直させる。
一瞬、その場を支配する痛いほどの静寂。
そんななんとも言えない静寂の中、二人はこの行き違いのカラクリを正確に理解した。
「そ、そういうことか。なるほどねぇ。そういうことだったのねぇ、って、あの色ボケクソ女ぁぁぁ、よくも私をたばかってくれたわねぇ」
凄まじい怒りの炎を噴出しながら、地獄の底から聞こえてくるような怨嗟に満ち満ちた声をあげる玉藻。
そう、全ては連夜の姉にした玉藻の親友でもあるミネルヴァの策略。実の弟に懸想するミネルヴァは、玉藻が強力なライバルになることを予想し、彼女を連夜の側から排除するために嘘をついたのだった。
「や、やっていいことと悪いことの区別もつかんのか、あのアマァ。許さん。絶対に許さないわ!」
「ま、まあ、それについては僕も同感ではありますけど。でもまあ、僕と玉藻さんはこうして出会えたわけですし」
「それにしたって、もし、出会えてなかったら。あ~、もう、全く、あいつときたら」
「いや、そうだったとしてもやっぱり僕はどんなことをしても玉藻さんに会いにいっていたと思いますよ。それに玉藻さん、僕がボロだってわからないまま、僕のことを好きになってくださったわけでしょう?」
「それはまぁ、そうだけど」
「だったら、何があったとしても僕と玉藻さんは再会できていたと思います。み~ちゃんのやったことは確かに許せることじゃありませんが、それよりも僕は、玉藻さんがずっと僕との思い出を大事に覚えていて下さったことのほうが嬉しくて、今、あまり怒る気になれないんですよ」
「そりゃあ、ボロくんとの思い出は何よりも大事な思い出だから。でも、しつこいようだけど本当に連夜くんがボロくんなの?」
連夜の言葉に怒りを納めた玉藻であったが、急に心配そうになって小さな声で目の前の恋人に問いかける。きっと大丈夫、最愛の恋人はこんな時絶対に趣味の悪い冗談や嘘は言ったりしないとわかっているが、再度確認せずにはいられなかったのだ。
そんな玉藻の想いをわかっているのか、連夜は優しい表情を浮かべて見せる。
「ええ、そうですよ。間違いなく僕がボロです。嘘だと思うなら、あそこにいるフェイが証人です。玉藻さんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、あのとき、フェイも僕達と一緒にいたんですよ」
連夜の言葉に促されてた、玉藻の視線の先で朱雀族の少年が、その言葉を肯定するかのように深く頷いて見せる姿が見える。
「どこかで見たことがあるって思っていたら、やっぱりフェイくんはあのときボロくんと一緒にいたお友達の一人だったのね」
「そうです。でも、ほんと懐かしいですね。あの頃から超絶かわいかった玉藻さんを見ていたくて、いつもこっそり後を追いかけて、それで、余計なお節介しては玉藻さんに怒られて。こうしてあらためて思い返してみると、なんかあまり今と変わってないですね、僕」
「そ、そんなことないよ。今はどちらかというと、私が連夜くんの後を追いかけているもの。それに、あの頃よりずっとずっといい男になったし」
「え? ほんとですか?」
玉藻の言葉に連夜はパッと顔を輝かせる。そして、そのままもう一度玉藻の両手を握りしめる。
「じゃあ、あの時の約束、今なら守ってもらえますか?」
「・・・もう一度、ちゃんと連夜くんが聞いてくれたら。ちゃんと応えるよ、私。今なら、ちゃんと応えられる。だから、言って。お願いだから、もう一度だけ言ってほしい」
万感の思いで見つめ合う二人。
本当は答えなんてもう、二人の間で既に出ている。口に出さなくても、そのことはハッキリとした明確なもの。
でも、二人はその大切な儀式を省くつもりはさらさらなかった。
曖昧にはしない。お互いわかってはいるけれど、それでもちゃんと誤魔化さずに答を出して、それをもう一度胸に刻み込む。
そのために。
連夜はまっすぐに玉藻の瞳を見つめて口を開いた。
「玉藻さん、僕のお嫁さんになっていただけますか? ううん、そうじゃない。玉藻さん、僕のお嫁さんになってください」
男らしくきっぱりとそれを口にした連夜。その言葉に、全身を震わせる玉藻。幸せすぎてどうにかなってしまいそうだ。
『ボコッ!』
という、何かを殴ったような音があたりに響きわたり、誰かが息をのんだり『ヒィッ』という悲鳴が聞こえたりもしたが、なんとか幸福感を抜け出すことに成功した玉藻は、目の前の連夜の瞳を見返して口を開いた。
「はい。その結婚のお申し出、喜んでお受けいたします。不束者ですがよろしくお願いいたします」
「・・・」
「頑張って二人で幸せになろうね、連夜くん」
「・・・」
「やだ、連夜くんったら、白目剥いちゃって。そんなに、嬉しかったの? って、ちょ、し、白目!?」
玉藻の目の前でぐらりと崩れる連夜の体。慌ててその体を抱きしめた玉藻は、連夜が気絶していることに気がついて絶句。よく見ると、後頭部には大きなこぶが。
「な、何これ何これ? どういうこと? れ、連夜くん、しっかりして」
「きゅ~~」
「連夜く~~ん!」
完全に目を回してしまっている連夜の姿に動転する玉藻。とりあえず、地面の上に寝かせて自分の膝枕の上に寝かせようとする玉藻だったが、彼の頭は別の手によって奪い去られてしまう。
「連夜は私のものよ! 誰にも渡さない。気安く触らないで!」
「な、あ、あなた」
そこにはボロボロの姿になった姫子の姿。彼女は、連夜の頭をしっかりと確保して自分の膝の上に乗せ、玉藻を威嚇するように睨みつける。
「ちょ、あんた、いい加減にしなさいよ。何が私のものよ。そもそもあんた、私に負けたんだから、潔く身を引くべきでしょうが」
「はぁ? いつ? 誰が? 誰に負けたんですかぁ?」
「ついさっき、あんたが、あたしに負けたでしょうが! 連夜くんが割って入らなきゃ、あんた地獄に一直線だったのよ!?」
「わけのわからないこと言わないでくださいます? そもそも誰が勝負の判定を下したんですかぁ? というか、なんかルールでもあったんですのぉ? 私、別に負けたとも思ってませんしぃ。変な言いがかり言うのやめていただけませんかぁ?」
「なにこいっつ、ムカツク。超ムカツクゥ」
「どうでもいいですけど連夜が寝てるんですから、静かにしてくださいます? ほんとにもう気の利かない人ですわねぇ」
「あ、あんたにだけは言われたくないわよ! っていうか、連夜くんを返しなさいよ。あんただって、すぐ側にいたんだから聞いていたでしょうが。連夜くんが私にプロポーズしたのを。連夜くんはね、あんたになんかぜんっぜん興味ないのよ。お邪魔虫なのよ。お呼びでないの。わからないの?」
「黙って聞いてればいい気になって。あなた、小学校のときに連夜のプロポーズ断ってるじゃないありませんか。いったい何回連夜にプロポーズさせたら気が済むんですの?」
「た、確かにそれはそうだけど、それは私と連夜くんの間の話で、部外者のあんたには関係ないでしょうが」
「ありますぅ。めちゃくちゃありますぅ。だいたい、さっきのプロポーズだってノーカンですわ。だって、連夜は、あなたの返事を聞く前に私がノックアウ・・・あ」
「ちょっ、連夜くんが気絶したのは、あんたの仕業かぁ!? いくらなんでもひどすぎるでしょうが。あんた、それでも連夜くんの友達なの!?」
「うっさいうっさい。だいたい一回振ったんだから、そのあと気を使って連夜の前から姿をくらましなさいよ。遠くの都市に引っ越すとか、あてのない旅にでるとか、この世から消えるとか、いろいろあるでしょうが。未練たらしく連夜の前をうろうろ、うろうろして。どんだけ、かまってちゃんなのよ、あなた」
「こ、この世から消えろだぁ? かまってちゃんだぁ? こいつ、マヂで調子に乗りやがって。もう許さん。実力で連夜くんを奪い返す」
「ちょ、や、やめなさいよ。連夜が起きちゃうでしょ!」
「うっさい馬鹿。あんたこそ、その手を放しなさいよ」
先程までのハイレベルな格闘戦はどこへやら。お互い座ったままの状態で始まる、みっともなくも壮絶なキャットファイト。
お互いの髪の毛を引っ張り、かみつき、引っかき、頬を抓る。どこまでも果てしなく低レベルな戦いは、いつ果てるともなく続いていくのだった。
「で、これ結局誰が止めるの?」
「言いだしっぺのおまえしか、いないんじゃね?」
「ですよねぇ。とほほ。ね、姐さ~ん、姫子ちゃ~ん。このかわいらしいリンちゃんに免じてここはひとつ」
「「あんたは黙ってろ!!」」
「・・・はい」