第二十二話 『鳴り響く戦鐘』
激しい戦いの騒乱が未だ収まらぬ教室の中、場違いなほど明るく楽しげな一人の少女の声が鳴り響く。
「あのね、連夜。私、刀京ディスティニーランドのシンクレア城前のパレードに参加したいですわ。それでミッチーと写真を撮って。あ、勿論、連夜も一緒に撮るんですわよ、って、さっきからうるさいですわね! ちょっと静かにしていただけます? 今、とっても大事な話の最中ですのよ! まったくもう。あっ、今のは連夜に言ったわけじゃないですからね。怒っちゃいやですわよ。ね、ね。それでそれであとね」
荒れ狂う様子を見せ続ける周囲のことなど『完全無視』。
ひたすらに甘く、そして、ひたすらに眩しく輝く未来を想像してだらしなく相好を崩し、意中の少年にすがりついてマシンガンのような口撃を続行する。
戦闘に参加していない一部の者達は、そんな少女に苦笑とも呆れともとれる微妙な表情を向けていたが、彼女の標的となっている少年はそれどころではない。
いや、少女に対し敵対心を持っているわけではない。はるか昔、まだ彼が幼かった頃は、そういう感情がなかったわけではないが、今はそんなことはなく、大事な友達の一人だと思っている。
だからこそ、彼女が苦境にあったときは真っ先に手を差しのべ、彼女が自分の体を取り返すのにも力を貸した。
そして、念願叶ってようやく彼女が己の体の奪還に成功したことに関しては素直に嬉しいとさえ感じている。
しかし、これはない。
この状況は完全に想定外というか、彼の予定には全くなかった展開である。
以前から自分に向けられていた彼女の好意について全く知らなかったわけではない。むしろよくわかっていたと言ってもいい。だが、彼にとって彼女はそういう対象ではないのである。大事に、そして、大切に思ってはいるものの、そういう意味での大事でも大切でもないのだ。
幸いにも彼女自身がそういうことに対して非常に鈍感というか、無自覚というか、ともかく自分自身の気持ちに気がついていないようだったので、なんとかはぐらかしてきたのであるが、よりによってここにきてのまさかの展開。
いつかは向かい合わなくてはいけないと思っていたものの、できるだけ穏便に済ませたいと考えていた彼は、折を見て自分自身が彼女の前から自然な形でフェードアウトすることで彼女の中にある自分への想いを終わらせようと思っていたのであるが。
(これはいけないね。大事に至る前に今のうちにケジメつけるしかないな)
満面の笑みを浮かべた小さな顔を、自分の顔にすりよせて懐いてくる姫子を必死に引きはがしながら深いため息を吐き出す連夜。
眼下にあるのは見たこともないような幸せそうな笑顔。それを見ているだけで、胸から罪悪感が溢れそうになる。だが、お互いの為にもここでひよるわけにはいかない。自分はハーレム系ラブコメの主人公には決してなれないことをよ~く自覚している連夜である。
複数の女性から向けられる秋波を鈍感にかわすこともこともできなければ、受け入れるだけの度胸もないし、器用に立ち回ることもできない。
そもそも、自分には生涯ただ一人と心に決めた人がいる。いくら想いを寄せられてもその人以外を本心から愛することはできないだろう。だとすればここは潔く悪役に徹して憎まれるべきである。
連夜は再度覚悟を決めると心を鬼にして、目の前の少女を真正面かた見据える。
そんな連夜のいつにない気迫を敏感に察知したのだろうか。途切れることなく一方的に自分の妄想をしゃべり続けていた姫子であったが、不意に口をつぐむ。
「どうしたの連夜?」
「姫子ちゃん、あのね。今から言うことをよく聞いてほしいんだ」
滅多に見せることのない幼馴染の深刻な表情とその言葉に、姫子の脳裏にとてつもなく嫌な予感が広がる。
それが何か。
何なのかはわからない。
だが、そんな自分の予感が間違っていないことだけはわかる。
姫子はすぐに返事を返すことはできなかった。
さっきまでの笑顔が嘘のように、その表情が一気に曇る。
しかし、それでも姫子は懸命に笑顔を作りなおすと、殊更明るい声で連夜に声を返す。
「う、うん。何?」
何かを悟ったとわかるその痛々しい笑顔に、連夜の怯みそうになるが、ここで誤魔化しても後がつらくなるだけと再度覚悟を決めて口を開いた。
「その、あのね姫子ちゃん」
「うん」
「姫子ちゃんの気持ちは本当に嬉しいんだけど」
「うん」
みるみる二人の間の空気が硬質化していく。
途中までしかまだ聞いていないが、姫子は連夜が紡ぎ出そうとしている言葉の内容を予想して既に涙目になっており、それを見つめる連夜の表情は力いっぱい引きつり大量の汗が止まらない状態。
それでもここまで来たらもう行くしかないと、連夜がついに決定的な言葉を紡ぎ出そうする。
そう。
まさにそのとき。
緊迫した空気を全く無視して、何者かが二人の間に割って入る。
「僕は姫子ちゃんの「連夜~、ねんわ~」気持にはって、え? 何?」
連夜と姫子の間に突如として割り込んできたのは初雪のように白い髪の少女。
彼女は右手に持った自分の髪と同じ色をした携帯念話を連夜の方に突き出してみせる。
怪訝そうに見つめる連夜のその視線の先には満面の笑みを浮かべた悪友の姿。その笑顔を見た瞬間連夜の背中を、めちゃくちゃ嫌な予感が走る。
「ちょ、念話って、どういうことさ? そもそもどうして君の念話に僕が呼ばれるわけ?」
「いいからいいから」
「いいからって、僕は全然よくないんだけど。だいたい、今、姫子ちゃんと大事な話の最中で」
「いや、絶対こっちの念話の相手の方が大事だから」
「はぁ? なんで、君の知り合いのほうが大事なのさ? そもそも、この大騒ぎも早く終わらせないといけないし、のんびり念話している暇なんてないんだけど」
「いや、ごちゃごちゃ言ってないで早く出ろって。でないと、おまえ、とんでもないことになるぜ。ほらほら」
渋りまくる連夜の態度に業を煮やした白髪の少女リンは、携帯念話を目の前に立つ真友のほっぺに容赦なく押し当てる。
「ちょ、待っ、もうわかったよ! わかりました。出るから。出ればいいんでしょ。ごめんね、姫子ちゃん、そういうことだから、ちょっと待っててね」
「は、はい。私、待ってます。いつまでも待ってますわ。だから、できるだけ、早く戻ってきてくださいませね」
「あ~、うん、そうね。戻ってくるからその手を離してくれる? そして、顔を近づけないでくれる? ってか、近い!! 顔が近い、めちゃくちゃ近い!」
「いや、いってらっしゃいませのちゅ~をしたほうがよろしいかと」
「いや、しなくていいから! そんな気を使わなくていいから。ちょっと離れるだけなのに大袈裟だから」
「え~」
リンから携帯念話を受け取った後、すぐ側に立つ姫子に一言断ってその場を離れる連夜。
離れるといっても乱戦の最中なので、ほんの少しだけ窓際に移動しただけであったが、一応、安全地帯と思われる戦闘のない空白地帯で連夜はリンの携帯を耳に当てる。
「もしもし、すいませんお待たせしました。連夜ですが、どちら様でしょうか?」
『・・・あたし』
カシャン。
受話器の向こうから聞こえてきた声を聞いた瞬間、連夜は思わず手にしていた携帯念話を落としてしまっていた。
(えっ、ちょ、待っ、え? え? ど、どゆ、どゆ、どゆこと?)
床に落としてしまった白い携帯念話を真っ青な表情で見つめる連夜。
本来ならすぐにでも携帯を拾い上げて念話に出るべきである。だが、連夜はそれを行うことができなかった。金縛りにあったように体を硬直させる中、心臓だけが普段以上の速さで動き続ける。
声の主は、連夜のよく知る人物のもの。それは決して敵ではない。いや、恐らくこの世界で最大最強の自分の味方であるはずの人物。いつもなら、その声を聞いただけで嬉しくてテンションマック状態になるはずなのに、今、このときだけは、連夜のテンションは過去最悪であった。
(な、な、なななななんで? どどどどどうしてこのタイミングであの人から念話が)
どうしても動揺を鎮めることができない連夜。いつもなら状況を冷静に分析して最善の対策を練ることができる彼であったが、どうしてもそれを行うことができない。焦りが焦りを呼び、連夜の心は更に乱れていく。
だが、しかし、いつまでもこのままにしておくことはできない。連夜は、ぶるぶると震える手で床に落ちた携帯念話に手を伸ばす。
(お、落ち着け。落ち着くんだ僕。べ、別にやましいことは何もない。何もないはずだ。れ、冷静に。普通に、いつも通りに)
呪文のように心の中でそれらの言葉を繰り返しながら携帯を取った連夜は、再びそれを耳へとあてる。
「しゅ、しゅいません、玉藻さん、け、携帯を落としちゃって。そ、それでこんな朝からどうしたんですか?」
『連夜くん。浮気してるの?』
カシャン。
受話器の向こうから聞こえてきた衝撃的な言葉を聞いた瞬間、連夜は再び手にしていた携帯念話を落としてしまっていた。
再び硬直する体。
だが、さっきとは違いすぐにその呪縛から復活した連夜は慌てて受話器をとって受話器の向こうにいる相手に絶叫する。
「そそそそそ、そんなわけないじゃないですかっ! そ、そもそもなんでそんなことになるんですか?」
『連夜くんの学校って、男女共学だよね』
「え、ええまあ。男子校ではないですね」
『私なんかより若くてかわいい女の子との出会いがいっぱいだよね』
「いやいやいや、そんなことないですって。玉藻さんほど綺麗な女性はいませんよ」
『私みたいなガサツな女じゃなくて、お淑やかでお嬢様もいっぱいいるよね』
「何言っているんですか!? そもそも僕はほら、学校随一の嫌われ者ですし、良家のお嬢様とどうこうなるなんてありえないですよ。ええ」
『へ~、そうなんだぁ』
「ええ、そうなんですよぉ」
『なぁんだ、そっかぁ』
「そうなんですよぉ」
『うふふふふ』
「あはははは」
『じゃあ、そこにいる『龍乃宮 姫子』って女は連夜くんのなんなの?』
カシャン。
三度携帯念話を落としてしまう連夜。
しかし、今度は携帯をすぐに拾うことができず、その場に頭を抱えてうずくまってしまう。
(な、なぜ玉藻さんが姫子ちゃんのことを知っているんだぁぁぁぁぁっ!?)
心の中で盛大に絶叫しながら床の上をごろごろと転がり続ける連夜。
別に連夜は、姫子に対して恋愛感情を持ってはいない。これまでも異性として見たことは一度としてない。だから、玉藻に突っ込まれても胸を張って『浮気はしていません』と言えると思っている。
だがしかし。
姫子という友人との間には、それはもういろいろな友誼がありすぎる。果たしてそれらを玉藻が知ったとき、『ああ、友達だからしょうがないよねぇ。あははは』と笑って許してくれるだろうか?
どう考えてシミュレートしてみても完全にアウトだった。
あの嫉妬深い恋人が軽く流してくれるとは到底思えない。
いや、自分一人ならいい。彼女の怒りを一身に受け止める覚悟がある。土下座でもなんでもするし、最悪彼女に殴り殺されてもそれはそれで本望である。そもそも、浮気はしていないのだから、誠意をもって納得してくれるまで説明すれば、彼女はわかってくれると信じている。
が、しかし。
それはあくまでも自分の話である。
問題は姫子のほうだ。
連夜の恋人、如月 玉藻は、自分の敵に一切容赦しない性格をしている。
特に恋人である連夜に不用意に近づこうとする女に対しては何をするか想像ができない。
(姫子ちゃんの気持ちを知ったら絶対許さないだろうなぁ。だから、玉藻さんに気がつかれるまえに穏便に終わらせてしまいたかったのに、どうしてこんなことに)
連夜はむっくりと起き上がると再び頭を抱えて大きく息を吐き出す。
連夜の異性への『愛』は玉藻に対してしかない。また、玉藻至上主義者でもある。命のかかった選択で親兄弟と玉藻、どちらをとるかと言われれば、迷うことなく玉藻を選ぶ。それゆえ、この場合、玉藻の好きにさせてやるのが一番てっとり早く、一番波風が立たない対応であるはずなのだが。
(せっかく助けたばかりの姫子ちゃんを、無情に突き放してひどい目にあわせるのもどうかと思っちゃうんだよねぇ)
自分にいいよってくる『異性』としての姫子は捨てることができるが、長年の友人である『姫子』は捨てることができない。
(こうなったら僕が防波堤になるしかないよね)
内心でもう一度大きなため息をついた後、連夜は床に落ちている携帯念話を拾い上げた。
「あ、あの玉藻さん、彼女についてなんですけど」
『先に言っておくけど防波堤になろうと思っても無駄だから』
「既に読まれてるぅっ!!」
異様に勘のいい恋人の言動に慄く連夜。だが、ここで引くわけにはいかない。連夜はなんとか恋人の機嫌を取り戻すべく絶望的な戦いに身を投じる。
「とりあえず、話を聞いてください、玉藻さん。姫子ちゃんはですね」
『ふ~ん、『姫子ちゃん』なんだ。『龍乃宮さん』じゃなくて、『姫子ちゃん』なのね。名前で呼んであげるくらい親しいんだ』
「え、いえ、あの、そこまで親しいというわけではないんですけどぉ」
『じゃあ、どういう関係なの?』
「く、クラスメイトなんですよ」
『ふ~ん。それだけ?』
「い、や、その、幼馴染でもあるというか」
『いつからの付き合いのある幼馴染なの?』
「えっと、し、小学校低学年くらい、か、な」
『ふ~ん。あ・た・し・『より』付き合い長いのね』
「つ、付き合いの長さだけなら、そういうことになりますね、確かに」
『つまり連夜くんと付き合いのあるお友達の中でも特に『大事なお友達』ってわけね』
「え、ええ、まあ、そうなりますね」
『で?』
「え? 『で?』とは?」
『なんで、あたしはその『大事なお友達』の『姫子ちゃん』を今まで紹介されていなかったのかしら?』
キターーーーーーーーーーーーッ!
心の中で盛大に悲鳴を上げる連夜。
一番突っ込まれたくなかったところに抉りこむようにして繰り出された玉藻の一撃に、連夜は悶絶しそうになる。
(どうしよう。どう説明すればいいのだ。まさか、玉藻さんに説明すればこういう困った状況になると思ったからですとはいえないし。うおおお、不味い。不味いぞこれは。は、早く説明しなければ、どんどん旗色は悪くなっていく。でも、どう説明すれば納得してもらえるかさっぱりわからない!)
『連夜くん』
「は、はい。き、聞こえていますですよ」
『早く説明して』
「は、はい、それはですね、つまりですね」
受話器の向こうから聞こえてくるのは、感情が欠落しているのではないかと思われる無機質な声。早く事情を説明しないといけないことはわかっているのだが、焦れば焦るほど考えがまとまらない。
連夜の表情は赤から青、そして、白へと変化し、彼が握りしめている白い携帯念話とほとんど変わらないくらいまで変質。顔面からは滝のように汗が流れはじめ、全身は小刻みに震えている。
しかし、このままでいることができないことを連夜はよくわかっていた。いずれ、姫子のことは話すつもりでいたのだ。ただ、そのタイミングが変わっただけ。連夜は大きく一つ深呼吸をして、覚悟を決める。
「玉藻さん、よく聞いていただきたいのですけど、実はですね「もしもし、すいません、いま、物凄く立てこんでいますので後にしていただけますか?」・・って、ちょ、ええっ、ひ、ひめっ!?」
玉藻に事情を説明しようとしたその瞬間だった。
連夜が持っていた携帯念話を奪い取った姫子は、受話器の向こうにいる人物と話始めたのだった。
『あなた誰?』
「私が誰かなんてどうでもよいことですわ。それよりもこんな大変なときに念話を掛けていらっしゃるなんて、いったいどういうおつもりなんですの?」
「ちょ、待っ、姫子ちゃん、携帯返して!」
『こっちも大変な用事があって掛けているのよ。さっさと連夜くんにかわってくれるかしら』
「はぁ? 大変な用事ってなんなんですの? どう考えてもこっちのほうが大変な状況ですのよ。あなたこそどなたなんですの?」
「ひ、姫子ちゃん、ダメだってっ、ちょっとぉっ」
『なんでそんなことあんたに言わないといけないのよ。横からシャシャリ出てきて何様のつもりなの? あんた連夜くんとどういう関係の人?』
「ど、どういう関係って、それはその、クラスメイトで、小さいときからの幼馴染で、一番の友達で親友で盟友で」
「やめてやめてやめて姫子ちゃん、お願いだからそれ以上しゃべらないでぇぇぇっ!」
『小さい時からの幼馴染?』
「そうですわ。一緒に学校に行って、一緒に勉強して、一緒に遊んで、そ、それに一緒にご飯食べたり、一緒にお風呂入ったり一緒に寝たり、きゃっ! 何言わせるんですの!?」
「ぎゃああああああっ!!」
『!!』
「と、ともかく、どんな用事で念話を掛けていらっしゃるのかは存じませんが、今後、このように忙しいときはまず私を通していただけますか? わかっていただけましたか?」
『・・・』
これ以上ないくらいのドヤ顔で宣言する姫子。そして、携帯の向こうからはこれ以上ないくらいの静寂。
いや、携帯の向こうだけではない。
姫子の周囲もまた異様な静寂が支配していた。
「あかぁぁぁん、終わってもうたぁぁぁ。僕の人生、これでおしまいやぁぁぁ」
姫子が絶叫した内容を聞いた連夜はがっくりと膝をついて項垂れる。
彼の周囲では相変わらず仲間達とヘイゼル・カミオの手下達が激しい攻防を繰り広げているが、最早それに構うだけの気力はない。
あまりにも凄まじい精神的打撃にうちのめされ、立ちあがることさえできない状態で連夜は茫然と天を仰ぐ。
「なんでや。なんでこうなってしもたんや。どこで間違えてしもたんや」
久しく使ってなかった城砦都市『通転核』の方言で呟きながら連夜はがっくりと肩を落とす。
できるだけ穏便に、彼の周りの人間が傷つかないように、傷つけあわないように、争わないように、丸く収まるようにいろいろと計画しながら進めてきたというのに。
嘘をつかないように。しかし、言うべき時期ではないと思った重要なところはぼやかして、それを明かす一番いいタイミングをはかっていたというのに、あっというまに瓦解して今のカオスの状況に。
玉藻と姫子の二人の間には、浅からぬ因縁がある。幼い頃に激しくぶつかりあった二人。恐らく二人ともあのときのことを忘れてはいまい。
それだけに二人にお互いのことを知らせるのは、よくよくタイミングをはからなければと思っていたのに、ついに二人はお互いの存在を知ってしまった。
「なんてことだ。いろいろと計画を立てていたのに全てが水の泡だ。まさか玉藻さんのほうから携帯に念話がかかってくるなんて・・・って、あれ? ちょっと待てよ」
そこまで考えて、連夜は今までの流れの中にとてつもなく不自然なことがあることに気がついた。
「あれ? そういえばどうやって玉藻さんは姫子ちゃんのことを知ったんだ? そもそもついさっきまで姫子ちゃんはモモンガの姿だったわけで、女の子の姿どころか『人』ですらなかったわけで」
床の上に座り込み腕を組んで小首をかしげる連夜。
「そういえば、玉藻さんと念話している携帯って僕のじゃなかったな。あの携帯の持ち主っていえば」
そう呟きながらゆっくりと周りを見渡し携帯の持ち主を捜してみると、その視線の先には物凄い笑顔でこちらにサムズアップしている一人の白澤族の少女の姿。
「あの携帯ってリンのだよね?」
「おういえ」
「一応聞くけど、玉藻さんからかかってきたの?」
「ううん、俺が姐さんに念話した」
「え? なんて念話したの?」
「は~い、それわぁ、連夜が龍乃宮 姫子って女の子とイチャイチャしてるって念話しました~」
「なるほど~、それで玉藻さんは姫子ちゃんのことを知っていたんだ。そういうことかぁ」
「そういうことなのさぁ」
「あっはっは」
「うっふっふ」
「って、きみかぁぁぁぁっ! 諸悪の根源はきみだったんか~い!」
一瞬にしてリンの側まで詰め寄った連夜は、その襟首を掴んで持ち上げると力いっぱい前後にゆすりまくる。
「ちょ、待っ、連夜、落ち着」
「これが落ち着いていられるかい! おんどりゃぁ、何してくれとるねん! 人が穏便に済ませようと思ってるのになんでこんなことするねん?」
「だって、穏便に済ませたらラブコメとして面白くないじゃん」
「なるほど、確かにラブコメとして面白い展開じゃないよね。って、人の恋愛をテレビドラマか少女漫画みたいな調子で鑑賞するんじゃない! しかも、面白くするためだけに引っかき回すってどういう神経してるのさ、きみ!?」
「それに姐さんから、『連夜くんに近づく女をみつけたら、白黒確認しなくていいからとりあえずすぐに連絡してね』って言われてたし」
「いつのまにそんなことになってたの!? 君って玉藻さんのスパイなの!? ってか、白黒確認しなくていいからってどういうこと? 疑わしきは全て罰せよなの?」
「とりあえず、落ち着け連夜。大丈夫だから。なんかわからんけど大丈夫だから」
「なんなの、その根拠のない慰めわ!? いったい何をどうしたらこの状況が大丈夫になるわけ? 絶対大丈夫じゃないよね。どう見ても明らかにこれから嵐がますます大きくなるよね」
「それがいいんじゃない。恋愛に嵐はつきものさ」
「完全に他人事じゃないか! 君面白がってるだけだよね」
「そんなことはないとはいいきれないけどそれだけじゃない。いいかよく聞け、連夜」
連夜の手をなんとかふりほどいたリンは、いつにない真剣な表情で連夜のほうを見つめる。
「おまえ、さっき問答無用で姫子ちゃんを振ろうとしただろ」
「当り前でしょうが、僕には玉藻さんがいるんだから、姫子ちゃんの気持ちは受け入れることはできないよ」
「それはわかる。俺だって、いや、私だって姐さんの気持ちは知ってるから、連夜のしようとしていることは完全に間違ってるとは思わない。けどね、いくらなんでも、告白もさせてあげないで切り捨てるのはどうなの?」
「そ、それは確かに惨いとは思うけど」
自分がしようとしていることが、決して褒められることではないとわかってるだけに連夜はリンの問いかけに強くでることはできなかった。それを見て、リンも少し表情を和らげる。
「姫子ちゃんにさ、少しくらいチャンスをあげてもいいと思うのよ。確かに絶望的なのはよくわかってるんだけど、撃沈することがわかっているとしてもさ、せめて、自分で納得できるくらいのチャンスはあげてよ。あたしだって、あんたと姐さんの絆がどれほど強いかってことくらいわかってる。でも、どうやっても切れないことを自分の心と体で確かめるくらいの権利は姫子ちゃんに与えてあげてもいいと思うのよ」
「わかる。その気持ちはよくわかるよ。でもさ、これは僕と姫子ちゃんの問題で、それに玉藻さんを巻き込むのはいいこととは思えない」
「いや、姐さんは『是非、私を巻き込んで頂戴』って言ってたよ」
「はぁ?」
「姐さん曰く、『連夜くんは優しいから、嫌なこと損なことは全部自分で被ろうとすると思うのよ。でも、そうはさせないわよ。連夜くんに粉掛けようとする有象無象はきっちり私が相手をする。私が直接、私の手で引導を渡す』ってさ」
「いやいやいや、その気持ちは嬉しいけど、はいそうですかとは認められないよ」
「って、あんたがそういうと思った姐さんは、私に問答無用で連絡するように頼んできたってわけ」
「頼んできたってわけじゃないよ。そこは断ってよ、お願いだから」
再び床にがっくりと膝をついてうちひしがれる連夜。
「まあ、姐さんを裏切ることにもならないし、姫子ちゃんにチャンスをあげることもできるし、一石二鳥ということでこのような展開にさせていただきました」
「させていただきましたじゃないよ。どうするのさ、これ。このままだと絶対血を見ることになるよ。どう考えても全然大丈夫じゃない未来しか想像できないんだけど」
「大丈夫。きっと二人とも話し合ってちゃんと決着をつけることができるさ」
「は、話し合って?」
「うん」
「本当に?」
「勿論。拳と拳でね」
そう言ってサムズアップしたリンは、元が男性とは思えないくらい艶やかな笑みを浮かべてみせる。
結局、おちゃらけで話にオチをつけようとするリンに対し、流石の連夜も笑顔を浮かべて額に青筋を立てる。
「よし、わかった。とりあえず、まずは体育館の裏側で僕とお話しようか、リン。僕力いっぱい拳で語ろうと思うからちゃんと受け止めてね」
「待って待って。とりあえず待って! ちゃうねん。これはちゃうねん。なんかわからんけどちゃうねん。ほんまはええやつやねん」
「本当にいい奴なら、こんな真似はしません。もういい。とりあえず、これ以上話がこじれないうちに携帯を取り戻して、姫子ちゃんに引導を渡す。惨いようだけど、多分、それが一番穏便に済む方法のはずだから」
そう言ってリンに背を向けた連夜は、未だ携帯を握りしめて玉藻とやりあっている姫子のほうに歩きはじめる。
だが。
バチッ
「ぐっ」
連夜の背中で青白い電光が走ったかと思った次の瞬間、彼の体は力を失って崩れ落ちる。リンはその体に素早く近寄って受け止めるとそっと床の上へと寝かせる。そして、たった今凶行を行った片手に握った暴徒制圧用の電撃術式警棒を見つめる。
「ごめんね、連夜。こうでもしないと、玉藻姐さんも、姫子ちゃんも中途半端な思いを残したままこれからの人生を歩んでいかなくちゃいけなくなるから。それになによりも」
そう真摯な表情で呟きを漏らし電撃術式警棒を背中の鞘へと戻す。
そして、リンは気絶した連夜のほうへと真剣な視線を向け・・・
「こっちの展開のほうが断然おもしろそうだから!」
と、かなり腐ったことを呟いていた。
さて、一方姫子はというと、さっきの衝撃発言以降、何を言っても黙ったままの玉藻の反応に自らの勝利を確信し、携帯の通話を切ろうとしていた。
だが。
携帯の『切』ボタンを押下しようとしたまさにそのとき。
『ふざけんじゃないわよっ! この泥棒猫っ』
「きゃっ」
間一髪で復活を果たした玉藻の絶叫が姫子の手に待ったをかける。
『何が一緒にお風呂入ったり、一緒に寝たりよ。どうせ、小学校くらいのときの話っていうオチなんでしょうが!』
「うっ」
『やっぱり図星なのね。子供の頃の話を持ち出すなんてほんとさもしい性格してるわね。どうせ、中学に入ってからは連夜くんにきっちりかっちり線引きされて全然進展しないまま今日に至るとかそういうことなんでしょ』
「ううっ」
『ほらごらんなさい。一瞬フリーズしたけど、よく考えたらあの身持ちの固い連夜くんがそれはないと思ったのよ。よくも紛らわしい言い方してくれたわね』
「うううっ、で、でもそうなる予定ですもの。ちょっと、これからの関係を先取りしただけですもの」
『そんな予定あるわけないでしょうが! って、あっ。あなたでしょ。龍乃宮 姫子とかいうお邪魔虫は』
「お、お邪魔虫ですって!? なんて失礼なことを。そもそもあなたこそなんなんですか? どうせ連夜の仕事関係の方かなんかでしょ?」
『はぁっ? あんた、私のことを知らないの? ほんとに連夜くんの友人? 連夜くんの友人で私のことを知らない人なんてほとんどいないわよ』
「知りませんわ。ぜっんぜん知りませんわ。これっぽっちもあなたのことなんか存じ上げませんわ。これでも十年以上連夜とお付き合いさせていただいておりますけどね! っていうか、もったいぶらないでないで名前くらいさくっと名乗ることができませんの?」
『いいわよ。名乗ってやるわよ。名乗ってやるから、私が連夜くんとどういう関係なのか、周りにいる連夜くんのお友達に聞いてみればいいわ。私の名前は玉藻。如月 玉藻よ!』
「きさらぎ・・・たまも?」
壮絶な舌戦の果てに姫子の耳に飛び込んできた一つの人名。それは姫子にとって特別な意味を持つ名前。絶対に忘れることができない名前。
幼き頃の自分に敗北を刻みつけた二人の強者のうちの一人。
久々に自分の体を取り戻したことと、ずっと側にいてくれた大切な人へ向けた自分の想いを自覚したことで少々浮かれ気味だった姫子。だが、その緊張感のない雰囲気は一瞬にして霧散する。
恋に恋する乙女の瞳は獲物を狙う肉食獣のそれへと変化し、そして、彼女の全身からは凄まじいまでの闘気が立ち上り天へと駆け上がる。
「そうでしたか。あなたでしたか。ミネルヴァさんといまだにつるんでいらっしゃるというお話は聞いていましたから、いつかは会えるだろうと思っていましたが。なるほどなるほど」
『あら? 私のこと知っていたのね? じゃあ、私がどういう立場なのかわかるでしょう?』
どこか嘲るような口調でたずねかけてくる玉藻に対し、姫子は奥歯を力いっぱい噛み締める。
「自分で断ったくせに」
『はぁ?』
怒り。
凄まじいまでの怒り。
怒りに任せて力いっぱい噛み締めた奥歯は砕けこそしなかったものの、その凄まじい力に耐えきれなかった歯ぐきは盛大に出血し美しい桜色の唇を血の赤で染め上げる。
「私よりも先に連夜から言ってもらえたくせに・・・十年も前にそれを断ったくせに・・・今更、のうのうとしゃしゃり出てきて、そんなこと許されると思っていますの?」
『あんた、何わけわからないこと言ってるの?』
「わからない? わからないですって? はっ、では、わかるように言って差し上げますわ。あなたには二度と連夜を会わせないって言っているんですわ!」
『なっ!?』
「どうせ気まぐれで連夜に近づいたんでしょ? 何故。そっとしておいていただけませんの? 連夜はあなたのおもちゃじゃありませんわ!」
『お、おもちゃ!? そんなことは、して、ない、はず、多分、きっと、連夜くん、嫌がってなかったし、その、ごにょごにょ』
傲然と言い放つ姫子に、猛然と反論しようとする玉藻であったが、少なからず心当たりがあることを思い出し、その反論は次第に尻つぼみに。
そんな玉藻の声を苦々しい表情で聞いていた姫子だったが、すぐにまた先程と同じ怒り形相へと表情を変化させる。
「ともかく、今後、連夜に近づくことはやめて頂きますわ。例えあなたが連夜のお姉様の親友であったとしても、もう、あなたは連夜と関係ないのですから」
『ちょっ、何、勝手なことを』
「自分で関係を断ち切っておいて、図々しいにもほどがあるって言ってるんですわ!」
『わけわからないことを言ってるんじゃないわよ。ってか、ひょっとして、あんた、私に喧嘩売ってるの?』
携帯から流れてくるその声のトーンがハッキリと変わる。聞いているだけで凍えそうになりそうな冷たい温度を持った声。だが、姫子はそれを真っ向から受け止め炎のような闘志を込めて返事を返す。
「あら? おわかりになりませんでしたか? でしたら、この際ですのではっきり申し上げさせていただきますわ。どっからでもかかってこいと言ってるのですわ、この性悪狐!」
『あ~、そう。そういうこと言うのね。わかった。今すぐ行ってやるから逃げるんじゃないわよ、このクソ娘!』
ブツンッ・・・ツーッ、ツーッ。
ほぼ同時。
姫子の宣戦布告に玉藻が答を返すや否や、二人は本当にほぼ同時に通話を打ち切った。
「姫子ちゃん、激しい宣戦布告だったわね」
激しい怒りにうち震える姫子の元に近寄っていったリンは、彼女のほうにそっと掌を差し出す。
その様子をしばしの間、なんともいえない視線で見つめていた姫子であったが、すぐに自分が持っている携帯がリンの物であったことを思い出し慌ててそれを彼女の掌の上に乗せる。
「そういえばこの携帯リンのだったわね。勝手に使ってごめんなさい」
「ううん、別にいいけどさ。でも、大丈夫? 姐さん、かなり強いわよ」
「知ってるわよ。嫌というほどね」
スカートのポケットに携帯を突っ込みながら心配そうに自分に話しかけてくる白澤族の少女になんともいえない苦笑を浮かべて返事を返す姫子。しかし、唐突にあることに気がついて表情をかえる。
「そういえばリン、あなた、如月 玉藻のことを『姐さん』なんて親しげに呼んでいるけど、あの女狐と知り合いなの?」
「まあね。なんか妙に意気投合しちゃって、最近、義兄弟ならぬ、義姉妹の契りを結んだわ」
「と、いうことはあなたは私の敵ってことかしら」
目を細め鋭い視線を向ける姫子。しかし、リンは困ったような表情で両手を広げ肩をすくめて見せる。
「うんにゃ。どっちの味方でもないよ。思うところがあってここまではお節介させてもらったけれど、ここから先は何もしないわ」
「そう。ならいいわ」
そう言って目の中にある物騒な光をあっさりと消す姫子。そんな姫子の様子を確認したリンは苦笑を浮かべて見せる。
「ありゃ、思ったよりあっさり私のこと信用したわね」
「付き合いは浅いけど、あなたってお腹の中にいろいろ企み事を隠すタイプじゃないでしょ。むしろ、全部吐き出して見せて相手がどう反応するか楽しむタイプだと思うから」
「本人を前にしてあまりにもひどい言い草。ひどすぎるわっ」
姫子のあまりのいいようにわざとらしく、『よよよ』と泣き崩れるリン。しかし、姫子はなんとも言えない苦笑を浮かべて肩をすくめてみせる。
「でも、間違ってないでしょ?」
「うん、まあそうなんだけどね」
と、あっさりと認めて立ちあがるリン。そして、そんなリンの姿に呆れたように姫子はため息を吐き出す。
「まったくもう。それに、如月 玉藻の性格からして、あまり策を弄するタイプじゃないから」
「と、言うと?」
「あの人、良くも悪くも力づくで堂々と正面突破の『人』だもの」
「ああ、確かにね。自分の手で決着をつけたがるような感じだった」
「一応、連夜のお姉さんであるミネルヴァさんとつるんではいるけど、お互い頼りきってるわけじゃないですしね」
「そうなんだ。ってか、姫子ちゃん、何気に姐さんのことよく知ってるね」
姫子の的確な人物評に結構本気で感心し拍手を送るリン。だが、そんなリンの称賛に対し姫子は苦笑を深くする。
「敵を知り己を知らばなんとやらで、一時期彼女のことを調べたことがあって。まあ、それもかなり昔のことなんですけど」
「へ~。ってことは、連夜のことは抜きにしても姐さんとは戦うつもりだったの?」
「いろいろあったんですのよ。ほんとにいろいろね」
かつての自分を思い出した姫子の表情は『苦笑』から、『笑』の文字が完全に消えてただただ『苦い』だけのものへと変わる。だが、それもごくわずかの間で、すぐに首を横に振って何かを振り払うと、再び表情を引き締めてリンのほうに視線を向け直す。
「まあ、私とあの女狐の因縁はとりあえず置いておいて。このお祭り騒ぎはいったいなんなんですの? この場には私と連夜と私の分身体の三人だけだったはずなのに」
「え~、今更ここでそれを聞くかなぁ。自分で振っておいてなんだけど、姫子ちゃん、ほんと連夜しか見てなかったのね」
「しょ、しょうがないでしょ。久しぶりに元の体に戻れたんですもの。それにこの五年間連夜と一緒に元の体を取り戻す為に一生懸命いろいろとやって、それが実を結んで嬉しくてたまらなくて、一番に連夜にそれを見てもらいたくて、なんというかその、だから、つまり」
「はいはい。わかったわかった。姫子ちゃんのコイバナは改めて後でゆっくり聞かせてもらうから。とりあえず、現状を説明するわね」
俯いて恥ずかしそうに両手の人差し指をつつき合わせる姫子の姿をなんともいえない生温かい視線で見守っていたリンだったが、若干表情を引き締めると姫子が分身体の意識に潜入した後に起こった話を簡単に説明。
自分のクラスの副委員長ヘイゼル・カミオが引き起こしたとんでもない事態に顔を引きつらせる。
「な、なんてことを! その結果が大騒動なのですの? と、いうか、いくら連夜が嫌われているからといって、直接行動に出る生徒があまりにも多すぎませんこと?」
「思っていた以上にこの学校って腐っていたみたいね。まぁ、だからこそ四六時中クリス達が交代で、連夜に気がつかれないようこっそり張り付いていたんだけど」
「なるほどなるほど。って、え?」
リンの思いもよらぬカミングアウトに、体を硬直させる姫子。そんな姫子の様子を面白そうに見つめながら更にリンは、とんでもない事実を告白する。
「姫子ちゃん気がついてなかったみたいだけど、連夜と二人で犯罪組織の連中を外区に始末しにいったときも、ずっと護衛がついていたのよ。ちなみに今回の担当は『J』さんね」
「えええっ!?」
「そのあと、姫子ちゃん達が『嶺斬泊』に戻ってから学校に登校するまで『J』さんが見送って、学校に入ってからクリスに交代ってことになったんだけど、交代の引き継ぎ報告に手間取ってる間に事が起っちゃって、救援に来るのが遅くなっちゃったのよ」
「ぜ、全然気が付きませんでしたわ」
「大変だったのよ。最初、クリスと一緒に護衛に回っていたアルテミスから連絡が来たときは、ここまで大事になってるとは思わなくてさ。登校途中のロムやフェイ達だけでなんとかなるかなと思って急がせて駆けつけてみたら、とんでもない事態になってるんだもん。ちょうど、登校してきたボナパルトさん達や東雲さん達にも協力を要請してさ、準備も整わないうちに慌てて乱闘の中に突入よ。そしたらまぁ、御覧のようなありさまでね」
そう言って周囲を見渡す白澤族の少女に促される形で、姫子もまた周囲に目を向ける。
そこに映るのは自分の周囲を守るようにして繰り広げられる凄まじい乱闘模様。自分の元々のお側役である葛柳護衛衆の少女達の姿や、連夜の友人達の姿。それに、この学校にいるはずのない兄『K』達も交じり、必死になって暴徒化したクラスメイトや他学年の生徒達を退けている。
狭い教室の地の利を活かして数に押し切られないように戦っているため、今のところなんとかこちらが有利に戦いを進められているが、それにしても数が圧倒的に違いすぎる。
いくらこちらが一騎当千の猛者揃いであるといっても限界というものがある。
何せ、気絶させても気絶させて次から次に新手の暴徒達が現れるのだ。今はなんとか防ぎきれているが、いずれ押し切られるのは目に見えている。
「これはかなり不味い状況ですわね」
「うん、まあね。でも、連夜はこの状況を逆手に取るつもりなの」
「と、いうと。まさかあれですの?」
「そそ。姫子ちゃんも聞いていると思うけど、例のあの作戦を決行しなさいって、連夜のお姉さんの美咲さんから指示が出てるわ」
姫子に向かってウインク一つ投げかけたリンは、右手の人差し指と中指を口に突っ込み、甲高い音を短く鳴らす。すると、それほど間をおくことなく乱闘の中から長身のバグベア族と朱雀族の少年が抜け出して二人の元へとやってきた。
「呼んだか、リン?」
「呼んだ呼んだ。そろそろアレやるんで、準備よろしく」
全身傷だらけ泥だらけになりながらも、未だ覇気衰えぬ様子で瞳を爛々と燃やすロムの問いかけにリンは、なんともいえない嬉しそうな表情で返事を返す。すると、自分よりも頭一つ分以上小さな真友にニヤリと笑みを返したロムは、視線を彼女の隣に立つ姫子へと向け直した。
「じゃあ、心の準備はいいか龍乃宮妹」
「え、いや、それは構いませんけど」
「む、何か問題でもあるのか委員長?」
「いや、作戦を実行することは問題ないのですけど」
「「けど?」」
「連夜はそれを承諾していますの? その、ここでのびちゃってますけど」
姫子が指さす方向には、先程リンの電撃で気絶させられた連夜の姿。姫子の膝枕の上で眠り続けており、未だ目を覚ます気配はない。
「なんで連夜はのびてるんだ? 確か戦闘には参加してなかったはずだけど」
「さ、さあ、なんでかなぁ」
朱雀族の少年フェイのツッコミに対し慌てて視線を背けるリン。その後も口笛なんか吹いて見せたりしてあからさまに誤魔化そうとする気満々のリンの姿に、一同呆れ果ててため息を吐き出す。
「おまえ、この緊急時に何やってるわけ?」
「ちょ、な、なんか私が犯人って決めつけてない!? 私のことが信用できないってわけ!?」
「よし、わかった。じゃあ、今一度確認するけど、おまえは何もやってないんだな。後で連夜に聞いて確認するけど、絶対違うんだな」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・えっと、この件に関しては、一回家に持ち帰らせてもらって、検討させてもらってからご返答させていただくってことでよろしいですか?」
「「いいわけないだろ!」」
どうあっても誤魔化されてくれないロムとフェイに、リンはついに不貞腐れた様子でそっぽを向いてしまう。
「なんだいなんだい。みんなして僕を犯人扱いして。まるで僕が電撃術式棒で連夜のことを気絶させたって言わんばかりに責め立てて。証拠でもあるのかい、証拠でも!」
「いや、気絶させた方法について具体的に推理したわけじゃないんだが、おまえの背中にある、その電撃術式棒はなんなわけ?」
「・・・」
「・・・」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないだろ! 今は、例の計画を実行することが大事なんじゃないのかい!?」
「うん、まあそうなんだけど、おまえ、あからさまに誤魔化そうとしてるよね」
「あ~もうっ! うっさいうっさい。いいから、とりあえず連夜の承諾は得ているから、作戦実行開始! ロムは連夜を背負って。フェイは姫子ちゃんね」
旗色悪しと半ば強引に話を打ち切ったリンは、呆れた様子を隠そうともしない少年二人に指示。二人はお互いの顔を見合わせたあと、肩をすくめてから姫子のほうへと視線を向け直した。
「と、いうことなんだと、龍乃宮」
「しょうがないですわね」
今までのおちゃらけが嘘のように引き締まった表情で頷き合う四人の少年少女達。これから行う作戦は彼らが最も信頼する友人が、この学園の暗部を一掃するために一年以上かけて計画した乾坤一擲にして一発逆転の一大作戦。日頃から虐げられて来た作戦立案者の友人の為というのは勿論のこと、その他の潜在的社会的弱者の仲間達の為にも万が一にも失敗は許されない。
彼らお互いの強い決意を眼と眼で確認しあったあと、ついに作戦を開始する。
バグベア族の少年が気絶したままのリーダーの少年を背中へと担ぎ、朱雀族の少年は龍族の少女を自らの大きな肩に担ぎあげる。
その姿は何も事情を知らない者がみれば、まるで少女を拉致するかのようにすら見える。
いや、そう見えるようにわざとそういう姿勢で担いだのだ。
そして、担がれた少女が反撃の狼煙となる絶叫をあげる。
「きゃあああああ、さらわれるぅぅぅぅっ!」
迫真の演技で繰り出されたそれは、教室中にとどまらずその外にも響き渡り、それを聞いた者達は一瞬争いをやめ動きを止める。
だが、その悲鳴の意味を知る者達は素早く立ち直り、戦線を離脱して一斉にいずこかへと移動し始めた。その中には、姫子を担いだフェイやロム達の姿もある。
残された者達はしばらくの間、ぽか~んと彼らを見送っていたが、やがて、彼らを指揮していたA組副委員長のヘイゼル・カミオが我にかえる。
「し、しまった。龍乃宮さんを連れさらわれたぞ!! 皆、追え、追うんだ!!」
「「「おうっ!」」」
走り出したカミオ少年の後に続き、次々と姫子達を追いかけはじめる暴徒達。
姫子VS姫子の戦いで幕を開けた大騒動は、いよいよクライマックスに突入しようとしていた。
さて、その頃、この作戦の中心人物である本編の主人公はというと
「う、う~ん、違うんです。玉藻さん、許して下さい、う~んう~ん」
「これだけうなされるとは、いったい連夜はどんな夢を見ているんだ。そして、おまえはいったい何をやらかしたんだ、リン?」
「も、黙秘権を行使します」