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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
151/199

第二十一話 『姫子覚醒』

 暗い。

 あまりにも深い暗黒の闇の中。

 彼女はたった一人漂い続ける。

 まるでそこは深い深い水の底。上下左右もわからぬ場所を、ふらふら、ゆらゆらと漂い続ける。


『ここはいったいどこなのじゃ?』


 水とも闇ともわからぬ何かにその身体をほんろうされ続けながら、彼女は自分がおかれている今の状況を認識すべく周囲をしきりに見渡す。

 先程まで自分は高校の教室の中にいたはずだった。

 そこには大切な幼馴染がいて、理由は思い出せないが喧嘩をしてしまって、それから。

 その後のことは良く思い出せない。それを思い出そうとすると凄まじい頭痛が襲ってきてそれ以上考えることができなくなる。それでも何度か思い出そうと努力をしてはみたのだが、やはりそのたびに頭痛が襲ってきて何も考えられなくなる。

 彼女は思い出すことを一旦諦め、とりあえず当初の目的であった現状を把握することに集中する。

 今一度周囲を見渡し自分がいる場所を特定しようとしてみる。

 だが、見渡せど見渡せど、そこにあるのは漆黒の『闇』ばかり。

 場所を特定できるような手掛かりは何一つ見つからない。

 ならばと、今度は状況を打破できる、あるいは説明できるような知人はいないかと探し始める。


『母上? 姉上? 叔父上? じいや? 女官長? 誰かおらぬか?』


 自分を庇護してきてくれた人々の名を呼び探す。だが、その問いかけに応えてくれる者はいない。

 それでも彼女は必死に呼びかけを続ける。


 そうして、いったいどれくらいの時間をそうして彷徨い続けたであろうか。

 やがて、闇の中に光が満ち始め、そこに映画のスクリーンのようなものが浮かび上がる。


『あれはいったい?』


 困惑する彼女の前で、スクリーンは何かを映し始める。色あせたセピア色の画面の中には何人かの子供達の姿。

 その光景は一度として彼女が見たことのないもの。出演している子供達も一人として彼女の見覚えのある人物はいない。

 いったいこれは何を意味しているのか?

 画面を見続ければ見続けるほど戸惑いは一層深くなっていく。

 そんな彼女に対し、どこかで聞いたような声が話しかけてくる。


『これは昔の記憶』


『記憶?』


『そう、記憶。私の記憶ですわ』


『お主の記憶じゃと? いったい、何故、それを私に見せる? そもそもここはどこなのじゃ? 母上や姉上はどこなのじゃ? 叔父上は? じいやや、女官長達は?』


 声が聞こえてくる方を凝視し叫び声を放つ。だが、そこに人影は見えない。誰かの気配は感じるが、自分の目にそれを捕まえることはできない。

 苛立ち紛れに大暴れしてみる。だが、水の中を無様にもがくように手足をばたつかせるだけで、思うようにはならず、彼女は盛大に舌打ちを漏らす。


『くっそ、卑怯者め、姿を現さんか!』


『もう現していますわよ。と、いうか、予想以上に精神的に成長してなかったのですわね。連夜の言った通り、心が子供のままで大きくなってしまっていますわ』


『こ、子供じゃない! 私はもう立派な大人だ!』


『そういうことを口にする時点で既に子供なのですけど。まあ、いいですわ。ともかく今映し出されているのは私の、いいえ、私達の記憶』


『私『達』?』


『ええ、そうです。懐かしいですわ。本当は目を瞑ってみたくない。忘れてしまいたい記憶。だけど、絶対に忘れるわけにはいかない記憶。彼に出会わなければ、『私』は今でも『私』でいられたのかもしれない。『私達』にならずに済んだのかもしれない』


 想いを紡ぐ声だけしか聞こえない。だが、その声の主の悲しみだけはしっかりと伝わってくる。それが妙に彼女の心に響く。言葉の意味がほとんどわからないはずなのに、何故か彼女の心を大きく揺らす。


『でも、それでも私は出会えてよかったと思える。彼に出会えたから私は今がある。『私』は『私達』になってしまったけれど、そうなることでいろいろなことを私は知ることができた。頭でしかわかっていなかったことを、本当の意味で知ることができた』


『だから、なんなのじゃ。いったいこの映像になんの意味があるのじゃ?』


『この映像の意味ですか? さぁ、あなたにとっては何の意味があるのでしょうね?』


『ふ、ふざけるなっ!』


『いいえ、ふざけてはいませんわ。少なくとも私はこの映像が私の記憶であることを知っている。そのことこそ『私』が『私』であることの証拠。そして、この映像をあなたが知らないこともまた同じ。だからこそ、あなたはこの記憶を直視しなくてはならない』


『な、何故!?』


『時間が無限にあるわけではありませんが、どうしてもこれは避けては通れぬ道。さあ、思い出しましょう。辛くとも大事で大切な『私達』思い出を』










 その姿を形容するとすれば、まさに潰れたヒキガエルというところだろうか。

 子供の力とは言え、六人以上に囲まれて殴る蹴るされたその少年は、まさにズタボロのボロボロになった状態で地面に横たわっていた。

 最早動かなくなった少年に興味を無くしてしまったのか、いじめっ子の集団はすでに姿を消していなくなっている。

 やがて、公園の木陰でその暴行シーンを成す術もなく見守っていた黒髪黒眼と赤髪赤眼の子供達が走り寄ってきて、地面に横たわる少年に声をかける。


「ボロくん!! ねえ、ボロくん、大丈夫? しっかりして!!」


「ボロ、生きてる!? 立てる!?」


 ちょっと涙目になりながら心配そうに必死に声をかける子供達の声に、今まで地面に横たわっていた少年は突然むくっと起き上がった。


「あ、れにゃんにフェイくんか・・ごめん、ちょっと寝てた」


 ダークグレーのボロボロのパーカーについたフードを目深にかぶっており、表情は全く見えないが、声を聞くとのんびりしておりさっきまで暴行を受けていたものの声とは思えないほど元気そうであった。


「もう、途中から全く動かなくなったから心配したよ」


「本当に大丈夫なの? 怪我とかしてない?」


「ごめんごめん、いや、丸太状態で暇だったからつい」


 そう言って、自分の側に座り込みいまだに心配そうに覗き込んでくる二人の友達にひらひらと手を振って大丈夫なことをアピールすると、よっと元気よく立ち上がる。

 そして、パンパンと身体の砂埃を払うのだった。


「それにしても、あれだけ殴られ蹴られしてよく平気だね?」


 不思議そうに自分を見てくる友達に、ボロと呼ばれた少年は自分のボロボロの衣服を指し示して見せる。


「これこれ、これのおかげ。これ、うちのお母さん特製の『たいだげきぜったいぼうぎょふく』。ただのボロボロのパーカーとジーンズに見えるけど、刃物とか使われない限りいくら殴られても平気なんだよ。まあ、替えがないから、洗濯しちゃうと外に出れなくなっちゃうのが難点なんだけど」


「え、そんなのあるんだったら、なんでやりかえさないの!? ボロくん、無敵じゃん!!」


「そうだよ、やっつけちゃえばいいのに。あいつらひどすぎるよ!」


 ボロの思いもかけぬ告白に吃驚仰天し、問い掛ける黒髪と赤髪の子供達。

 その問い掛けにフードの奥で光る二つの目をじっと目の前の友達に向けるボロ。


「れにゃんもフェイくんもそんな僕が好きかい? いい気になって『人』のこと殴る蹴るしてる僕が、本当に好き?」


「え、ううん」


「そんなボロくんは好きじゃないかな」

 

「でしょ?」


 じっと見つめてくるボロに、悔しげに唇をかみしめて俯くフェイと、なぜか顔を赤らめてもじもじしながら否定の言葉を口にするれにゃん。


「それにしても、僕悔しいよ、なんでいっつもボロは僕達に隠れていろっていうのさ?」


「そうだよ、そうだよあいつらに一回くらいなら仕返ししてやってもよくない?」


 否定の言葉を口にはしてみせたものの、やっぱり何か割り切れないのか、興奮気味に詰め寄ってくるフェイとれにゃんにボロは首を横に振ってみせる。


「そんなことしなくていいの。やってやり返してって繰り返しても疲れるだけでしょ? それにね、自分達だけが安全に相手をいじめることができるってことはないんだよ。必ず、もっと強い誰かにやられちゃうんだよね。多分、そろそろだと思うけど・・行ってみる?」


 くいくいと親指で後ろのほうを指さすボロを、不思議そうに見つめ返す二人の子供達。

 

「え、どこに行くの? ボロくん」


「まあ、行ってみればわかるよ。うちのお父さんがいつも言っているんだ。つよいものはさらにつよいものにまけるって。そういう無駄なけんかを続けてもいつまでたっても終わりはこないんだってさ」


「なんかむずかしくて、僕よくわかんない」


「僕もわからないかな」


「うん、実は僕もそれほどよくわかってるわけじゃない。ちょっとかっこよかったから言ってみただけ」


「なんだ」


 にひひと笑いあって公園を後にする三人。

 真っ赤な紅葉をいっぱい抱えた美しい鬼カエデの木の並木道を二つの小さな影がてくてくと歩いていく。

 季節はすでに秋。

 それどころかもう一か月もすれば冬がその姿をみせようとしており、それにともなって気温も徐々に下がってきている中で、二人が到着した場所で目にした人物はTシャツ、短パンという、夏真っ盛りみたいな姿をして地面に転がっていた。

 しかも、傍から見ても非常に嫌な感じの大量の汗を体中から流している。


「え、ちょ、ボロくん、あれって、まさか『イワゴリラ』?」


 れにゃんは自分が今見ている人物の姿がどうしても自分の知っている人物と重ならず、横にいる友達に聞くと、ボロは何やら溜息らしきものを吐き出しながら大きく頷いた。


「そうだよ、『イワゴリラ』だよ。だから言ったでしょ? つよいものはさらにつよいものにまけるって」


 三人が少し離れたところで見つめる中、その件の人物は地面に転がったまま、ぴくりとも動かない。

 ともすれば中学生とも見える小学生らしくない大きな体格、大狸のような脂肪がいっぱい詰まっていると思われる巨大な腹、切り分ける前の焼きたての棒状のバームクーヘンのような手、ボンレスハムのような足、つまり完全無欠の相撲取りのようなこの肥満児は、つい先程ボロをいじめていた子供達のリーダー格の子供だった。

 なんとこのイワゴリラ、これでもボロやれにゃん、フェイと同い年なのだ。

 力自慢で武術も習っており、家も金持ちな上にそれと知られた名家でもあるため、学校ではいやというほど威張っており、小学三年生にして上級生から下級生まで、果ては先生までも自分の意に沿わぬ者は力と金と地位で無理矢理にでも従わせる最低最悪なガキ大将。

 常に上からしか物を見たことがないという傲岸不遜な態度しか見たことがない人物が、この無様に地面に転がってただの肉の塊になっている状況がれにゃんにはとてもとても信じられなかった。


「これ、ひょっとして誰かにやられたってこと? え、相手は中学生かな? 同じ小学生でこのあたりで『イワゴリラ』を倒せるやつなんていないよね?」


 そうフェイが問いかけると、ボロは首を横に振るとすっと腕をあげて一つの方向をその小さな指で指し示した。

 フェイとれにゃんがその指先に釣られるように視線を動かすと、小さな何かが地面を転がりながら吹っ飛んできて、寝ている『イワゴリラ』の巨体にぶつかって止まる。


「ぐ、ぐふっ、そ、そんな、なぜ勝てない」


 その白い何かはそう呟くと、がっくりと地面にうつぶせになって動かなくなった。


「く、『黒雪姫』」


 自分たちよりも若干小さい身体のその人物を見て、さらに信じられないという表情を浮かべるフェイ。

 亜麻色の髪に、浅黒い日焼けした肌、しかし、小さな体格と非常に整って美しい素顔を持つその子供は、横で眠る『イワゴリラ』の相棒で、そのかわいらしい容姿に似あわず凶暴で恐ろしいまさに『イワゴリラ』にはぴったりの相棒であった。

 二人ともこの地域では知らぬ者はいないほど強く、小学生や、下手をすれば中学生一年生程度なら誰も手出しができないくらいの実力者のはずなのだが。


「や、やっぱり中学生か、高校生に喧嘩売ったのかな? ねえ、ボロくん。あ、あれ、ボロくん!!」


 れにゃんが横にいるボロにそう確認しようとすると、ボロはスタスタと先程自分が指し示した方向に歩いて行っており、それに気づいて慌ててその後を追おうとしたのだが、それよりも一瞬早くれにゃんは別の人物が自分達の前に姿を現していることに気が付いて立ち止まる。

 狐耳に、二本の尻尾、口まで裂けた大きな口に、真赤にギラギラと光る目、そして、雪のように白い肌。

 あまりにも恐ろしい姿を見てれにゃんとフェイは硬直し、先にその人物の前に行っている友達に声をかけようとするが恐怖のあまり声もでない。

 しかし、れにゃんの友達は少々違っていたようだ。


「おねえちゃん、強いね。『イワゴリラ』と『黒雪姫』ひとりでやっつけたの?」


 そう淡々とした声で問われた狐の人物は、きょとんとしてしばらく謎のフード姿の少年を見ていたが、ふっと力を抜くと恐ろしい狐の顔から『人』の顔にもどる。

 そうして恐怖のオーラが抜け落ちた状態で見てみると、非常に美しい少女だとわかる。

 紅葉色のジャケットに、青いジーンズのスカート、そして黒いタイツ姿の霊狐族の少女は、恐らく五年生か六年生くらい。

 自分たちよりもすこし大きな身体の持ち主で、もうじき大人の身体になりかかっていると思われる緩い曲線を描く女の子らしい身体の持ち主だった。


「きみ、そこのデブとチビの友達?」


「ううん、そこで寝てるやつに毎日いじめられている、いじめられっこ」


「え? そうなの?」


 少年の意外な答えに、結構びっくりした表情を浮かべる霊狐族の少女。


「じゃあ、なんでじゃまするようにわたしの前にでてきたの?」


「え、だって、きれいなおねえちゃんを目のまえでよくみたかったから」


「は? え? ちょ、ちょっとからかってる?」


 少年のあっけらかんとした答えに、しばし固まったあと、顔を真赤にして怒ったようにいう少女。


「なんで? おねえちゃん、友達からもきれいだっていわれてるでしょ? 僕の言ってることおかしいかな?」


「い、いやそりゃ、そういってくれるこもいるけど・・もう??、いいわ、なんかやる気なくなった。かえる」


「あ、そうなんだ。じゃあ、またね、おねえちゃん」


 と、なんだか照れてるような不貞腐れてるような表情で言い放つと、少女はボロに背中を向けてずんずんと歩いていく。

 その後ろ姿をなんとはなしに見送っていたボロだったが、やがて途中で思い出したように少女が振り返った。


「ねえ、あなた、名前なんていうの?」


「え、僕? 僕の名前はね」


「ボロくんだよ!!」


 ボロの横にいつの間にか走って来ていたレンが、怒ったような顔でボロの代わりに少女に答えるようにそう叫ぶ。

 その様子をきょとんとしてみていた少女だったが、やがてくすっと笑う。


「わたしは、きさらぎ たまも。またね、ボロくん」


「うん、またね、たまもおねえちゃん」


 そう言うと、今度こそ少女はそこから去っていった。

 その後ろ姿が見えなくなったころ、ふとボロが気がつくと横にいるれにゃんが物凄い怒ったような拗ねたような眼でこちらをみていることに気づいた。


「え、なに?」


「ボロくんのバカ!!」


「へ? いたたたたたたたた!!!」


 いきなりボロの脇腹に自分の手を突きいれたレンは、その肉を掴んで思いきりつねりあげる。

 いくら対打撃防御服といってもつねられると流石に痛い。

 ボロはあまりの痛みに涙目になって抗議しようとしたが、それよりももっと涙目になっていたレンは素早くボロから離れると、あかんべ?をしながら走りさっていった。


「ボロくんのバカ!! もう知らない!」


「え、ちょ、待ってよどこに行くの、れにゃん!?」


「えええええ、なにそれ!!」


 捨て台詞を吐いて物凄い勢いで走り去ってしまうれにゃんを茫然と見送った二人であったが、フェイはすぐに我に返り走りさった友達の後を追いかけていく。

 友達の意味不明な言葉と行動に大いに戸惑うボロであったが、恐ろしいほどの速さで走りさってしまった友達を今から追いかけることもできず、溜息を一つ吐き出してがっくりとうなだれるのだった


「もう、僕が何をしたというんだろ」


 しばし、小学生らしくなく悩むボロだったが、やがて顔をあげるとすぐ近くで気を失って倒れているいじめっこ達のほうに視線を移す。

 そして、嘆息するとポケットから緑色の小瓶をいくつか取り出して彼らに近づいていった。


「できれば僕の目の届かないところで気絶してほしかったなあ・・そうすれば放っておけたのに」


 季節は移り変わり、赤い葉を覆い茂らせていた木々はその衣を脱ぎ棄て、厳しい冬を通り越し、再び新しい緑色の衣を身につける準備を始めたころ。

 この辺り一帯にその武名を鳴り響かせていた、巨漢の肥満児の噂は日を追うごとに少なくなっていっていた。

 あれほど毎日何かしらの騒ぎを起こしていたというのに、日に日にその頻度は落ちていっている。

 それもそのはずで、あの肥満児『イワゴリラ』は大変な壁にその行く手を阻まれ、前に進めずにいたのだ。


『なぜだ、なぜ勝てない!?』


 そう自問自答を繰り返す日々が続く。

 あの日、狐の六年生の負けたあの日から、『イワゴリラ』の連戦連敗の日々は続いた。

 盟友である『黒雪姫』とともにずっとあの忌々しい狐に挑み続けてはいるが、全く歯が立たない。

 それどころか、あの狐の友達とかいう聖魔族の少女にまでこてんぱんにやられることも多い。

 そろそろ時間もなくなってきていた、自分達はいいが、あの狐達は六年生でもう卒業してしまう。

 このままでは負けっぱなしのまま逃げられてしまうのだ。

 それだけは勘弁がならなかった。

 勘弁ならないといえば、もう一つ勘弁ならないことが『イワゴリラ』にはあった。

 それは『イワゴリラ』のプライドをズタズタに傷つけることだったのだが、同時にそれを考えるとひどく心が痛むのだ、うずくといってもいい。

 だからそれについては考えないようにして、すべてをあの狐達にぶつけることにした。

 『イワゴリラ』は盟友である『黒雪姫』と、今手元にいる下っ端達を総動員して狐達に一大決戦を仕掛けることにした。

 流石の狐も大人数でかかられてはひとたまりもない、そう考えた『イワゴリラ』だったのだが。


「ぐ、ぐぞっ、な、なぜだ?」


 蹴散らされた。異様にあっさりと蹴散らされてしまった。

 下っ端達は狐と聖魔の少女達のあまりの強さに、こてんぱんにやられてあっというまに泣きながら逃げ去ってしまった。

 しかも自分と『黒雪姫』も過去最短タイムで秒殺されてしまい、あまりの弱さぶりに聖魔の少女は呆れ果てて帰ってしまう始末。

 いつもと同じようにまたもや生き恥をさらして地面に横たわっていなければならないのかと思っていたのだが、今日だけは少し様子が違っていた。

 これまでなら、呆れた表情を浮かべてすぐに帰ってしまう狐の少女が、あの恐ろしい狐の顔を張り付けたまま殺気を振り撒きつつ地面に横たわる自分達に近づいてくるのだ。


「ほんとに懲りないわね? あなたたち、心底腐ってるのね、かわいそうに。何も持ってないくせに持ってるふりを続けてるのね。かわいそうだけど、無様よ、それ」


 と、横たわる『イワゴリラ』の身体をとんでもない力で蹴り飛ばす少女。


「ぐおっ」


 一瞬宙を浮いて横っ跳びに転がっていく肥満体を面白くもなさそうにみつめていた狐の少女は、今度は亜麻色の髪の小さな体のほうに向かう。


「卒業する前に、あなたたちのこと心配だから、ちょっとその体に植えつけさせてもらうわね。恐怖を」


 同じように近づくと、今度も『黒雪姫』の身体をボールのように蹴り飛ばし、『イワゴリラ』のところまで飛ばしていく。


「ぎゃあっ」


 『イワゴリラ』の体に重なるようにして止まった二人を満足そうに見つめた少女は、両手の指をならしながらゆっくりと近づいていく。

 その様子のあまりの恐ろしさと、今までさんざん痛めつけられてしまったせいで身体が動かず、声にならない悲鳴を上げる。


「あらあら、あなた達、自分達が他人をいじめるのはいいけど、自分達がいじめられるのはダメなの? そんなわがまま言っちゃだめよ。今までずっとずっとあなた達は力づくで物事を解決しようとしてきたんでしょ? だったら、あなた達よりも強い力を持ってる人のすることには文句いっちゃだめよね? だって、ずっとあなた達はそうしてきたんだから。今度はあなた達が言うことを聞く番になっただけ。それがいやだったら、最初からこんなことするんじゃない!!」


 そう言って、美しいフォームで垂直に振り上げた足を折り重なる二人に叩き下ろそうとしたそのとき、少女の目の前に、あのフード姿の少年が飛び込んできた。

 吃驚して慌てて足の軌道をそらして下ろす少女。

 ギリギリそれが間に合って、少女の足は少年の横をすり抜けて落ちる。


「あ、あぶないじゃない!! 何考えているの!!」


「え、あ、おねえちゃんのパンツ見るちゃんすだったから、つい」


「ひぇ? ぱ! ば、バカバカ!!」


 真っ赤になって本気で怒る少女に、とんでもない答えを返すボロ。

 そのボロの答えにさらに顔を赤くしてジーパンのスカートを抑えた少女は、ボロの頭をぺしっと叩く。


「も、もうもう!! 馬鹿じゃないの、バカじゃないの!! 怪我するところだったのよ!! 」


「白だった。うんうん、やっぱおねえちゃんは白が似あうよね」


「しっ!? そ、そんなこといちいち言わなくていいの!! あなた人の話聞いてるの!?」


 腕組みをして意味深に考え込みながらさらにおバカな発言をするボロの頭をさらにぺしっと叩く少女。

 先程までの恐怖の殺気はどこへやら、すっかり普通の少女に戻ってしまった玉藻を、急に少年は真剣な光をフードの中から覗かせて見つめる。


「そうそう、おねえちゃんはそのほうがいいよ。なれないことしちゃだめ」


 その少年の言葉にはっとしてスカートのすそを抑えることをやめた玉藻は、自身も真剣な表情を浮かべて少年を見る。


「その子達を庇うの?」


「うん、結果的にはそうなるのかもしれないけど、どちらかというと、さっきのおねえちゃんを見ていたくなかっただけ。このまえと違って、今日のはただの八つ当たりでしょ?」


「!!」


「もう、やめとこうよ、十分懲りたとおもうよ。この子達も、おねえちゃんとおなじなんじゃないかな」


「あなた、誰? わたしのこと知ってるの?」


「・・・」


 フードの奥で全く表情が読めない少年に、急激に警戒の色を強くし、戦闘態勢を整える玉藻。

 そんな玉藻を見ても少年は全く動じることなくパーカーのポケットの中に両手を突っ込んだまま、自然体で立っている。


「そこをどきなさい。どこないなら、あなたもただではすまないわよ」


「あ、そうなんだ。ところでおねえちゃん、それって力づくってことだよね? じゃあ、僕が勝ったらおねえちゃん、僕の言うこと聞いてくれる?」


 なんだかかわいらしく小首をかしげて聞いてくる少年に、非常に戦闘意欲をそがれる玉藻だったが、一応聞いてみる。


「なにさせる気?」


「おねえちゃん、僕が勝ったら、僕のおよめさんになってくれる?」


「!!」


 予想外の愛の告白に、吃驚仰天して顔を真っ赤にし、何度も少年を見返すが、表情は読めないものの雰囲気でかなりマジで言ってることはわかる。

 そういう経験をほとんどしたことがない玉藻は、咄嗟に返す言葉がみつからず、非常に珍しいことに本気で狼狽するが、やがて、がっくりと肩を落とすとその顔に苦笑を浮かべた。


「もうなんかやる気なくした。帰るわ、私」


「あ、そうなんだ。残念だな。僕、本気だったのに。おねえちゃん、きれいだし、頭もよさそうだし、僕ともふつうに話してくれるからおよめさんになってほしかったなあ」


「それ聞いたら、余計やめてよかったわ。いっておくけど、今のあなたじゃわたしおよめさんになるきないから!! もっといい男になってくれたら考えてあげてもいいけどね」


 なんだかほっとしたような表情で言う玉藻だったが、急に慌てて顔を真っ赤にしながら怒ったようにそういい、少年をしばし名残惜しげに見つめたあと、すごい照れたような表情になって足早にそこを去って行った。

 そして、途中振り返ってもう一度ボロのほうを見る。


「でも、その告白結構うれしかったよ。じゃあね、さよなら、ボロくん」


「うん、さよなら、たまもおねえちゃん。って、いたたたたたたたたた!!」


 バイバイと結構悲しげに手を振って去りゆく少女を見送っていると、またもや脇腹に激痛が走り物凄い悲鳴を上げるボロ。

 ふと横を見るといつのまに来ていたのか、またもや涙目になったれにゃんが、物凄く怖い目つきで睨みつけながらボロの脇腹を全力でつねりあげていた。


「なんで? なんで僕つねられているわけ!?」


「ボロくんのバカ!! バカバカバカ!! もう本当に知らないんだから!!」


 うわああんと泣きながら走り去って行くれにゃんを、茫然と見送るボロ。


「なんだったんだろ、もう」


 ポリポリとフードの上から頭をかいたボロは、くるっと振り返ると、折り重なって倒れている『イワゴリラ』と『黒雪姫』のほうに近づいていく。

 すると、今回は気絶しなかったのか、『イワゴリラ』が近づいてくるボロに気が付いて頭を上げる。


「おい、また情けをかけるつもりか? おまえ、ずっと毎回毎回俺達があいつらにやられるたびによってきて薬塗って勝手に怪我をなおしているよな? もう放っておいてくれ! でっかいお世話だ、もう少しすればさっき逃げて行った友達がもどってくる。おまえの情けは受けない」


 しかし、その言葉に何の感銘も受けていないのか、ボロはずんずんと近づいてきてポケットからまたもや緑色の液体の入った小瓶を取り出す。

 そして、それの蓋を開けて小さな手の平に少し中身を落とすと、両手でこすり合わせてしっかり伸ばすと、『イワゴリラ』の横にちょこんと座りこむ。

 その様子に更に言葉を続けようとする『イワゴリラ』だったが、ボロは構わず『イワゴリラのTシャツをたくしあげてその膨れ上がった腹を出させると、蹴られて青アザになっているところに、先程の緑の液体を塗り込み始めた。

 ひんやりした冷たさがなんとも言えず気持ちよかったが、同時になんともいえない苦い感情が『イワゴリラ』の心を占める。


「おい、こんなことしたってな」


「君さ、友達っているの?」


「は?」


 塗り薬を塗りながら問いかけてくるボロの言葉の意味が、一瞬理解できずに呆けたような表情を浮かべる『イワゴリラ』。


「だから、君ってほんとに友達いるの? もうさっきから大分時間たっているけど、誰も戻ってこないよね?」


「そ、それは」


「もうわかってるんでしょ? そこで一緒にねているこ以外に、君には友達はいないんだよ」


「だ、だまれだまれだまれ!!」


 思いもかけぬボロの厳しい指摘に、『イワゴリラ』は半泣きになりながら絶叫する。


「僕はよわいから、いろんなものを持ってない。持ってないから友達ができないんだって最初は思っていたよ。でも、ちがったんだね。君を見ていてわかったんだけど、君みたいにいっぱいなにもかも持っていても友達ができるわけじゃないんだってことがわかったんだ。いったい何をどうすれば友達って増やすことができるんだろうね」


 『イワゴリラ』の身体でアザになっているところのほぼ全てに塗り薬を塗り終えたボロは、隣で横たわる『黒雪姫』のところに移動し同じように薬を塗ってやる。


「大丈夫、これで最後だよ。もうよけいなお節介したりしないから。あのおねえちゃんも小学校卒業していなくなっちゃうし、そうなったら君達と喧嘩する機会もなくなるでしょ? 僕もね、隣の小学校に転校することになっているんだ。だから、君達とももう会うこともないと思うよ」


 そう言って、あらかた薬を塗り終えたボロは、ポケットからさらに別の水色の薬を取り出して『イワゴリラ』と『黒雪姫』の手に握らせる。


「やられたところが痛むようだったら、これ飲んでね。あと、それでも治らないようだったらお医者さんにいったほうがいいよ。さて、じゃあ、僕も行くよ。二人とも本当の友達ができるといいね。僕も隣の小学校で友達ができるようにがんばってみるよ」


 そこまで言ってボロはすくっと立ち上がると、来た時と同じようにスタスタと立ち去ろうとした。

 しかし、その足を小さな手が掴んで止めさせる。

 ボロがそれに気づいて下を見ると、まだ立ち上がれないでいるらしい『黒雪姫』が必死になって自分の足を掴んでいるのが見えた。


「ま、まて」


「あまり無理しないほうがいいよ。薬は塗ったけどすぐきく薬じゃないもん」


 そういってボロはしゃがみこむと、そっと自分の足を掴む手を放させようとした。

 だが、逆にその手を『黒雪姫』ががっちりと掴みなおす。


「なんでだ? なんで助け続けた? いじめてた相手だぞ? おまえ悔しくないのか?」


 その言葉にう~んと唸って考え込んでいたボロだったが、やがてその目をまっすぐに『黒雪姫』に向ける。


「わかんないや。ちょっと放っていけなかっただけ。だから気にしないでいいよ。僕ももう気にしないから。じゃ、今度こそいくね」


 そう言って今度こそその手を放させようとするが、逆に『黒雪姫』はその掴む手に力を込める。


「え、ちょ、ちょっと」


「行くな!!」


「は?」


「いくなよ。いかないでくれよ」


「え、なに? どうしたの?」


 戸惑っているボロの目の前で、『黒雪姫』は両目からぽろぽろと涙をこぼして泣き始めた。

 今までどれだけ殴られ蹴られしようとも全く涙一つみせたことがないこの小さな暴君が、いじめられっこの自分の前で涙を見せているという事実が信じられず、ボロは茫然とその様子を見守り続ける。


「もう、いじめないから、いかないでくれよ」


「いや、あの、どうしちゃったの!? って、うお!!」


 今度は逆から手をひっぱられ、そっちを見るとなんと『イワゴリラ』のまで自分の手を引っ張っているではないか。

 しかも、物凄く暑苦しく涙ぼろぼろ流している。


「いやいやいや、ちょっと、二人ともこれなに新しいいじめ?」


「お、おまえいくなよ、転校するとかいうなよ。さ、さびしいよおおお」


「さ、さびしいって。ちょっと、なにこれ。お父さん、僕どうしたらいいの?」


 二人のいじめっこにしがみつかれ途方に暮れるボロ。

 そして、画面はゆっくりとかすれ出しフェードアウトしていく。





『わからぬ。この映像に何の意味があるのか、やはり私にはさっぱりわからぬ』


 謎の声に導かれるままに映し出される何者かの記憶映像を凝視していた彼女であったが、やはりその真の意味が理解できず頭を抱えうめき声をあげる。意味がわかるまで、自分はここに幽閉され続けるのだろうか? ふとそんな恐ろしい予感が頭をよぎり体を竦ませる。だが、思いもよらぬところ、思わぬ人物から彼女は答えを教えられることになる。

 ほとんど薄れてかすれスクリーンそのものすらも見えなくなりつつある映像の中で、たった一つだけまったくかすれも薄れもしないものが存在していることに唐突に彼女は気がつく。

 彼女は頭を抱えることをやめて、そのたった一つ残ったものに意識を集中させた。

 すると、それを待っていたかのようにそれは唐突に立ちあがり彼女のほうをまっすぐに見たのだった。


「これは『私』の記憶。そして、あなたの記憶でもありますわ」


『!?』


 彼女の耳に聞こえてきたのは謎の声。そして、それは今までの映像の中でたった一つ消えることなく残ったものから発せられた。

 それは映像の中の子供達が、『イワゴリラ』と呼んでいた太った少年。

 弱い者いじめを繰り返した揚句、自分よりもさらに強い者に負けた上にいじめていた相手に情けをかけられたどうしようもないクズ。

 それが自分を見つめて立っているのだ。


『お、おまえ、何を言ってる?』


「まだわかりませんか? これがあなたの真の姿だと言ってるんです」


『ふ、ふざけるな! 私はそんな醜い姿をしていない!』


 あまりにも受け入れがたい言葉に、思わず彼女は激昂してみせる。だが、そんな彼女の激しい怒りの言葉に対し、太った『少年』、いや、『少女』は全く動じる様子を見せない。いやそれどころか彼女を見つめる視線の中の憐みの光は、益々強くなっていく。


「醜い姿ですか。確かにそうですね。甘やかされ放題甘やかされ、暴飲暴食を繰り返した結果の姿ですものね」


『自分を律することができないおまえと私を混同するな! 私はおまえとは違うのだ。誇り高き龍族に生まれ、選ばれし者である私とはな!』


 勝ち誇ったようにそう宣言する彼女。だが、そんな彼女に、『イワゴリラ』は小首をかしげながらこう問いかける。


「では、あなたの子供のときの思い出を教えてください。私と同じくらいのとき、あなたはどんな子供だったのですか?」


『決まっている。今と同じように強く賢く、母上や姉上の言うことを良く聞く、良い子であったのだ』


「具体的に教えてください。幼稚園のときどんなことがありましたか? どんなお友達がいましたか? どんな先生に出あいましたか? 小学校のころはどうですか? 楽しかった思い出はどんなことがありましたか? 家族で旅行に行ったことがありますか? 悲しかった思い出はなんですか? 親に怒られた理由はなんですか?」


『ええい、面倒くさいことを! 幼稚園のときといえば、それは、えっと、あれ? 友達の名前は、えっと、先生の名前は、えっと、楽しかったことって、悲しかったことって、その』


 自信満々に『イワゴリラ』の問いに対し答えを口にしようとした彼女であったが、答えようとすればするほど何も頭に浮かんでこないことに気がつき、最後には絶句してしまう。金魚のようにパクパクと口を動かしそれでも何かしらの言葉を紡ぎ出そうとするのだが、思い出そうとすればするほど、自分の頭の中の記憶が白紙であることが浮き彫りとなっていく。


『なんだこれは。なんなんだこれは? 何も思い出せない。幼稚園のときの思い出も、小学校のときの思い出も、何も思い浮かんでこない』


「そうでしょうね」


『おま、おまえの仕業か!? 貴様、私に何をした!?』


「何もしていませんわ」


『何もしていないわけないだろう!? どうして私の頭の中からそれらの記憶がなくなっているのだ!? おまえがっ! おまえが何かしたからだろうが!?』


「していません。と、いうか、思い出せないのは当り前ですわ」


『どういうわけだ!?』


「だって、あなたには、最初からそんな記憶はないのですから」


『記憶がない?』


 頭を抱えたまま振り乱し喚き散らしていた彼女であったが、『イワゴリラ』が放った言葉に思わず動きを止める。そんな彼女の姿を、なんとも言えない悲しそうな表情で見つめていた『イワゴリラ』はしばらく沈黙を続けていたが、やがて何かを決意したかのような表情になるとゆっくりと口を開き語り始めた。

 真実を。

 自分と彼女の全てを。

 彼女と今『剣児』と呼ばれている存在が自分から分裂して生まれた分身体であることを。王位簒奪を狙う王弟や王妃達の手で捕獲された彼女は、洗脳に近い形で偽の記憶を植えつけられていたことを。そして、本物の姫子の身代りとしての生を歩んで来たことを。

 だが。


『嘘だ。そんなこと信じられない。私は龍乃宮 姫子だ。誰かの分身だなんて。誰かの身代りだなんて。そんな話信じられるか!』


 衝撃の事実を受け入れることができず、彼女は泣き叫ぶ。

 こうなるであろうことは『イワゴリラ』とて予想していた。自分が彼女の立場であったなら、やはり真実を受け入れることができずに取り乱していたであろう。だが、ここで引きさがるわけにはいかないのだ。自分の為にも、彼女の為にも。

 『イワゴリラ』は、一歩前へと歩みを進める。

 すると、その姿が歪み始め小さく太った体から背が若干伸び、すっきりした体型へと変化。それを見た彼女は驚きの表情となる。


『み、瑞姫?』


「ええ、そうです。あなたの『妹』である『瑞姫』。これもまた私」


 また一歩歩みを進めると、今度はちっちゃいモモンガの姿に。


『今度はなんだ?』


「これはあなた達と分裂したときに生まれた姿。あなた達の記憶と姫子の人格を持つ『ひ~こ』。これもまたやはり私」


 そして、また一歩歩みを進めると、今度は先程の『イワゴリラ』が高校生に成長した姿となった。今の龍乃宮 姫子とは似ても似つかぬ姿。だが、横に大きく肥大し二重顎になっているとはいえ、その顔には間違いなく姫子のものと思われるパーツがいくつも見受けられる。女子高生らしく紺色のブレザーにチェックのスカートを穿いてはいるが、それらははちきれんばかりに膨れ上がり見事なまでにパンパンだ。

 それを見た彼女は小さな悲鳴をあげる。


「あなた達を切り捨てず、あのまま私が成長していたら。拒否せず正面からあなた達と向き合っていたら」


『う、嘘だ。そんな醜い姿は私じゃない。絶対にそんな風にはなったりしない。それは私じゃない!』


「いいえ、私ですわ。これが本当の私なの。龍乃宮 姫子の今の姿なんですわ」


 イヤイヤとしきりに頭を横に振りながら、必死に目を背けようとする彼女とは逆に、『イワゴリラ』本人は自分の姿を見てどこか達観したように呟く。


「やっと。五年以上も月日を重ね、ようやく自分を正面から見つめられるようになりましたわ。彼に出会うことで、私は自分が如何に醜く傲慢であったかを思い知った。そして、あまりにも偏った思想で弱い者達を虐げていたことにも。だから、私は自分が嫌だった。醜い自分が、傲慢だった自分が、強欲だった自分が、偏見まみれだった自分が、そして、自己中心的で自分勝手だった自分がとてつもなく嫌になり我慢できなくなるほど膨れ上がった感情は、引き金となって力の暴走を招いてしまった」


『ち、違う。そんなことは知らない。暴走なんて起こってない。私は自分の力を制御できている。嘘だ。そんなことはおまえの作りだした出鱈目だ。そうだ、全部出鱈目なんだ!』


 そう言って、両手を振り回して近づいてくる高校生姿の『イワゴリラ』を突き放そうとする彼女。だが、そんな彼女に対し、『イワゴリラ』は再び何かの映像を見せる。


『今度はなんだ!? また、私の知らない記憶を見せて混乱させるつもりか!? もうその手にはのらな」


「いいえ、今度はあなたも知っている記憶。いえ、あなたは忘れてはいけない記憶。私ではなく、あなた自身が直視しなくてはいけない記憶」


『なに!?』


 そして、彼女の前に映し出される映像。

 それは、到底彼女が直視できるものではなかった。


『そ、そんな、私が、連夜を。嘘だ、こんなことあるはずが』


 茫然とそう呟きながら映像を見つめる彼女。本当は目を背けたい。しかし、目を背けることができなかった。彼女自身が、大切な幼馴染を殺そうとしているその映像を。


『い、いい加減な映像を作り出すな! 私が連夜にこんなひどいことをするはずが』


「あなた自身、これが紛れもない真実であることをわかってるはず」


『ゆ、夢だ。きっとこれは夢なんだ』


「夢じゃないわ。どれだけ逃避しようともいずれあなたは真実と向かいあう日が来る。


『わ、私は力を制御できているんだ。完璧なんだ。母上も姉上も叔父上もそう言ってくださった』


「あなたは力を制御しきれていない。自分でわかっているはず。騙されているとわかっていて、それでもなお、自分の都合がよく耳に心地よい甘言にその身を任せているだけ。だって、それは現実を直視するのが怖いから」


『し、知ったようなことを言うな!』


「知ったようなことじゃない。知っているから口にしているんですわ」


『おまえは何様だ!?』


「何度も言っているでしょう。私はあなた。そして、あなたであることをやめた私」


『違う、おまえは私じゃない! 私はおまえじゃない!』


「そうですわね。違いますわね。もうあなたと私は違う。違うものとなってしまった。だから。だからこそ、彼を、連夜を傷つけるあなたにこれ以上この体を任せておくことはできないのですわ」


『ふざけるな! この体は私のものだ!』


「いいえ、返していただきますわ。今のままではあなた自身もダメになってしまう。周囲の環境が、膨れ上がる一方の神通力が、そして、何よりもあなた自身の弱い心が原因となって、あなたという存在そのものを『悪』としてしまう。だからこそ、私の為に、あなたの為に、そして、大切な友達である連夜の為に。その体を返してくださいませ!」


『いやだああぁぁぁぁっ!』


 強い決意が宿る瞳で『イワゴリラ』が彼女に近づき、その体に触れようとした。まさにそのとき。絶叫と共に彼女の体が光の爆発を起こす。

 その爆発にまともに巻き込まれる形になった『イワゴリラ』の巨体は盛大に闇の中を吹き飛ばされていく。

 精神世界であるこの世界にあって、直接的なダメージを与えられることはない。だが、強く意思を持っていなければ精神はより強い意志の中に飲み込まれ消えてしまう。

 幼い子供のまま大きくなってしまった彼女の精神体は、間違いなく『イワゴリラ』よりも弱い。だから、飲み込まれることも消されることもないと思っていた。だが、これはいけない。『イワゴリラ』は今のこの状態がなんなのかを理解し、体を震わせる。


「暴走。そんな、あれだけ神通力を使ったのに、まだ暴走を引き起こせるほどの力を持っているというのですの?」


『ああああああああああっ!』


「やめなさい! あなたが暴走すればあなただってただではすまない。いや、私達だけじゃない。私達の側にいる連夜にだって被害がいくかもしれないのですよ!?」


『ああああああああああっ!』


「き、聞こえていない!? そんな、このままじゃ」


 説得が功を奏さないとわかった『イワゴリラ』は、彼女に声を掛けることをやめ、暴走を始めた神通力を押しとどめることに集中する。

 だが、止められない。流される。押し流される。問答無用で彼女の力を撥ね退け、力は更なる暴走へ。


『ああああ、あああああっ!』


「それでも、私は、くううっ!」


 やまない絶叫。

 壊れた心が生み出す狂気の力が、暴走を更に加速させ、『イワゴリラ』の必死の制止も全く受け付けない。それでも『イワゴリラ』は破滅を回避するために力の限り抗い続ける。この数年間、王宮では決して体験することができない様々な障害にぶち当たり、そしてそれを乗り越えることで成長してきた。

 それは彼女が自分で認識している以上のものがあり、それゆえに彼女はそれ以前に決して得ることができなかった大切な何かを得て強くなっていたのだ。

 だが、そんな彼女をもってしても、これを乗り越えることはあまりにも困難であった。

 だからこそ、彼女の心もついに折れる。折れた心は、諦めと共に懇願の言葉を紡ぎ出す。


「やめて! お願いですからやめてください! もう体はいいです。諦めます! だから」


『あああああああっ!』


「力を、力を止めてぇっ!!」


 悲痛なる叫び。だが、その叫びは届かない。

 『イワゴリラ』の言葉を無視してというよりも、言葉そのものが聞こえていないのだ。

 暴走はさらなる暴走となり、ついに『イワゴリラ』の心そのものを押し流しすりつぶしていく。

 遠くなる意識。

 十七年という人生の中で彼女が紡ぎだしてきた様々な思い出の数々が脳裏を流れていく。


「終わりなのですかね。意外と呆気ないものなのですね」


 自分の死を間近に感じると言うのに、あまり恐怖を感じない。数年前に自らが引き起こした暴走事故のときに一度死と直面しているからかもしれない。

 また、あまり生に対する執着もない。人からちやほやされることはあっても、真剣に愛してくれる人はいなかったから。だから、きっと自分がいなくなっても寂しいと思ってくれる人はほとんどいない。

 それは確信。

 だが、同時に何人かは自分の死を悲しんでくれるだろうという確信もまたあった。

 それでも、それほどこの世に執着は感じない。終わるなら終わればいいのだ。どうせ、ここで体を取り返したとしても、また苦しくも寂しい人生が待っているだけなのだから。

 そう思って静かに目を瞑る『イワゴリラ』。

 しかし、何かが引っ掛かる。胸の中に何かが引っ掛かる。小さな引っ掛かり。そんな大した理由ではない。でも、それがなんだかとてつもなく強い力で彼女に死を拒否させる。

 理由が思い浮かばず思わず首をかしげる『イワゴリラ』。

 そんな彼女の脳裏に、誰かの声が聞こえてくる。





「姫様、いつになったら目を覚ますんや!?」


「ちょ、ミナホやめなさいって! 揺らした程度でお目覚めになられるならとっくに目覚めていらっしゃるわよ!」


「ああん、姫様、おいたわしい」


「姫様! 私達の声が聞こえていますか!?」


 『イワゴリラ』を心配するたくさんの声。それは姉妹同然に育った護衛衆のみんな。間違いなく彼女の死を悲しんでくれる者達。

 そして。


「これ姫子ちゃんなの? 瑞姫ちゃんなの? どっち?」


「さぁ、どっちかな。でも、僕は信じている。必ず、今度目覚めたそのときには、間違いなく本物の、本当の、真実の『姫子ちゃん』になっているってことを」


 小型犬獣人族の友人の心配そうな問いかけに答えるのは、『イワゴリラ』の大事な大切な友人の声。

 あの日、たった一人彼女を心配して残ってくれた友人。

 子分達は平気で自分のことを見捨てたというのに。

 彼女は彼のことを何度も何度もいじめ倒したというのに。

 それでも自分をかばってくれたとても大事な友人。

 あの日から、自分の中で最も大切な人になった友人。

 そんな彼は今でも自分を信じてくれて待ってくれている。それなのに自分は。

 不甲斐ない自分がどうしようもなく苛立たしい。だけどどうすることもできない。心の中で謝ることしかできない。

 嫌だ、こんな無様な姿をさらしたまま死にたくない。でも、それ以上に。それ以上に何か、死にたくない理由がある。彼のことで、このままにしておくわけにはいかない大きな理由がある。

 自分が直視していない、直視できない何か大きな理由が。

 強烈なもやもや感に襲われる彼女。

 皮肉なことにそのもやもや感が彼女の意識をはっきりさせ、暴走による消滅を防ぎ続ける。理由がはっきりしないままに死を拒否し、生に執着する。

 そんな風にどれくらいの間葛藤が続いていたであろうか。

 やがて、その状態を一変させる決定的な一撃がやってくる。

 それは彼女が最近友達になったばかりのある人物によってもたらされた。


「ねぇ、連夜」


「ん、どうした、リン?」


「私に任せてくれたら、今すぐ姫子ちゃんを起こしてあげるけど」


「え、何かいい方法があるのかい?」


「あるっていえばある」


「なんか自信満々じゃないか。そういうことなら是非やってほしいんだけど」


「う~ん、でもねぇ」


「なんだよ。気持わるいな、その笑顔。何たくらんでいるのさ?」


「いや、企むなんてそんな。ただね」


「ただ、なにさ」


「これから何を言っても怒らないって約束してほしいのよねぇ」


「ちょ、待ってくれるかな。それってつまり僕が怒るようなことを口にするってこと?」


「うん」


「即答かよ!? いやいやいや、それなら先に言っておいてくれないかな。そのあと判断するから」


「ダメよ。教えたら絶対ダメっていうから」


「そっか、僕が絶対ダメっていうことを言う気なんだね。って、ぢゃあ、ダメでしょうが!!」


「あ~、そうなんだ。じゃあ、連夜は姫子ちゃんがどうなってもいいっていうんだね。ひど。あれだけ、姫子ちゃんは大事な友達だって言っていたのに結局口だけかぁ」


「いや、そうはいってないじゃん。僕だって姫子ちゃんには無事に戻って来てほしいと思ってだね」


「じゃあ、いいわね。私が何を言っても承諾するってことでおっけ~ね?」


「うぐぐ、姫子ちゃんが無事に戻ってくるというなら仕方ない、って、ちょっとまて、その『承諾』ってどういうこと? 君、いったい僕に何を承諾させようと」


「ロム、フェイ。連夜をちょっとの間拘束しておいて、すぐにすむから」


「おい、ちょ、待て、何をする、やめむぐぐ」


 消えかけの意識がはっきりするほどめちゃくちゃ気になるやり取りに、『イワゴリラ』はいつにない集中力を発揮させて外界の会話に耳を澄ます。

 何人かの争う音と、男子生徒の謝罪の声が聞こえた後に訪れる沈黙の時間。

 だが、それほど待つこともなくその沈黙は破られる。

 それも、彼女も予想だにしない言葉を持って。


「姫子ちゃん、一度しか言わないから良く聞いてね」


「・・・」


「連夜からの伝言を伝えます」


「・・・」


「今すぐ起きたら、デートしてもいいよって」





 その言葉を聞いた瞬間『イワゴリラ』の中で何かが覚醒した。





 白澤族の少女が放ったとんでもない発言は、周囲の者達の間にとてつもない衝撃をもたらした。

 まさか、そんなことを言いだすとは誰も思っていなかったからで、白澤族の少女リンの仲間達は勿論、その周囲で戦っていたもの、そして、その当事者にさせられてしまった連夜自身。みな一様に動きを止めて固まってしまう。

 そしてその数瞬の後、その言葉を聞いていた者達全てが驚きの声をあげようとした。

 だが、それよりも早く声を、魂からの声を、絶叫を、咆哮をあげたものがいた。

 横たえていた体をヘッドスプリングの一動作で跳ね起きさせ、空中で月面宙返りまでしながら華麗に着地。

 そして、バグベア族と朱雀族の少年に拘束されている人間族の少年の元に、やたら鼻息を荒くしながら突撃する。


「今起きました! すぐ起きました! 即起きましたわぁっ!」


『え、ええっ? えええええええっ!?』


 あまりにもあまりの事態に一斉に驚愕の声をあげる周囲の者達。

 だがそれら一切を無視し、少女は人間族の少年に思い切り抱きついて頬ずりする。


「私、初めてのデートは刀京ディスティニーランドがいいですわぁ。あ、あの。お金は私が出しますし、それから、そのあと、ショッピングしたり、お夕食一緒にしたり一緒にお泊まりしたり。やだ、私ったら、何言ってるのかしら」


 まさに怒涛の口撃。

 顔を引きつらせる連夜に向けて、少女は心から嬉しそうな表情でデートの内容についてしゃべり続ける。

 そんな少女の姿を周囲の者達はぽか~んと口をあけてただただ見つめるばかり。

 いや、たった一人、にやにやと笑みを浮かべている者が存在していた。


「ほら、私の言った通り飛び起きた」





 龍乃宮 姫子。

 己の体を分身体より奪還し、現世に帰還。




「って、リン、これ一体どう始末をつけるつもりなんだよぉっ!!」


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