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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
149/199

第十九話 『戦いの始まりは突然に』

 計画が予定通りに進まないことなど彼にとってはいつものことである。自分の予想が外れることだって今に始まったことではない。

 だが、流石の連夜もこの事態だけは予想外中の予想外であった。


「姫子ちゃん・・・来てたんだ」


 まだ八時にもならない早朝の学校。まだ誰も来ていないだろうなぁ。自分しか居ないだろうなぁ。そう思って入った教室の中、一人の少女がぽつんと立っていることに気がついた連夜は驚きの声をあげる。

 一ヶ月前、もう一人の自分との戦いに敗れ大怪我を負った彼女は、傷ついた体と心を回復する為に昨日までずっと学校を休んでいたのだ。

 そもそも、連夜がはるかやミナホ達から聞いていた情報では、まだあと一週間は学校に出てはこないはずだったのだが。


「久しぶりじゃな、連夜」


 どこかぎこちない笑顔を浮かべながらも声を掛けてくる美しい龍族の少女。見たところ体のほうには傷らしい傷は見受けられない。だが、どこかその様子に違和感を感じる。どこがどう違うと具体的に説明することはできないが、ともかく何かが違う。

 まるでなめくじが這うようなゆっくりとしたスピードで、猛烈に嫌な予感が連夜の背中を上っていく。

 だが、連夜は鉄の意志でそれを封殺。

 表面上はどこまでも穏やかな笑顔を浮かべ、姫子のほうに視線を向ける。


「龍族専門の病院に入院してるって話を聞いたけど、もう退院したの? 先生から命には別状ないけど、結構な重傷だったとも聞いたけど」


 心のうちでは激しく危険を告げるアラームが鳴り続けているが、それをおくびにも出さず、連夜は如何にも心配していますという表情を作って姫子に話しかける。

 するとその言葉に、少しだけ嬉しそうな表情を見せた彼女であったが、すぐにその顔を曇らせる。


「私は大丈夫じゃ。でも、王宮内が大変なことになっておる」


「何かあったの?」


 いくつか心当たりがあったが、とりあえず驚いた振りをして話を促す。すると、姫子が口にしたその答えは、またしても連夜の予想の範囲外のものとなった。


「今朝、父上が龍王の座から退位されることを発表されたのだ」


「え?」


 その告白は全くの不意打ちであった。

 いや、現龍王退位の話を連夜が知らなかったわけではない。むしろ、かなり前からそのことを知っていた。他でもない、この件については彼が所属する中央庁の『機関』が深く関わっているからだ。なので、退位そのものの情報については少しも驚きはしなかった。だが、問題はそのタイミングである。

 こんなに早いタイミングで退位するという話は全く聞いていない。当初聞いていた話では、発表は半年以上も先。

 ある目的を確実に達成させる為の必殺の手段として断行されるはずであった。

 それなのに、それが今朝発表されるとは。

 一体、どういう状況の変化があったというのか。

 この計画の指揮を執っている母、あるいは実行部隊のリーダーたる姉も指図なのか。自分に何の情報も送られてきていないのは何故なのか。

 思わぬ事態に激しく混乱する様子を見せる連夜。

 だが、その原因を作り出した姫子本人は、連夜の反応を見ても特別態度を変えたりはしなかった。

 なぜなら姫子は姫子でが連夜以上に混乱しており平静の状態ではなかったからだ。

 内心に抱える内容は全く違ってはいたが、同じような表情で呆然と見詰め合う連夜と姫子。

 しばしの時が流れた後、姫子がのろのろと口を開いて話を先に進めだす。

 

「本当に突然であった。主だった者達を集めて突然退位することを告げられたのじゃ。いや、それはよい。永遠に王の座に君臨することなど誰にも出来はせぬ。いつかは退位し次代の者にその座を譲り渡さなくてはならない。だから、唐突ではあったが、そのことについては納得することができる。じゃが」


「じゃが? 何か気になる事でも」


「退位の理由が問題なのじゃ」


「理由?」


「母上が重罪を犯したと。口にするのも恐ろしい犯罪に手を染めたと。夫としてその悪行を止めることができなかった自分の罪はあまりにも重く、その責任を取って退位し、母上と共に罪を償うと。そう皆の前で仰られたのじゃ」


 そこまで言い切った後、姫子は顔を覆って泣き出してしまう。そんな姫子の姿を見て少し落ち着きを取り戻した連夜は、彼女を慰めるべきかそれとも、それとは全く違うリアクションをすべきか悩む。

 それは彼女が泣き出す原因が果たしてどちらであるかがはっきりしなかったからだ。

 どちらを思い泣き出したのか。

 どちらか片方か、あるいは両方なのか、それともまた別の原因か。

 連夜は、ある決断のときが迫っていることを肌で感じ、握った拳に力を入れる。

 そして、審判のときが訪れる。


「母上は悪くない。あの母上が悪いことをしているわけがない。父上は狂ってしまわれたに違いない」


 彼女がそう絶叫した瞬間、連夜の瞳の温度が急速に落下し、穏やかな笑顔を浮かべていた表情は、何の感情も浮かばない能面のそれに変化。そして、彼の周囲をゆっくりと流れていた空気は固く突き刺さると錯覚しそうになるほど硬質化する。

 だが、姫子はやはりその変化に気づかない。

 目の前の幼馴染が不穏な気配を身に纏い始めているというのに、全く気がつかないままに己の思いを口にする。

 それが自分と幼馴染を隔てる溝を更に深くしていくとも知らずに。


「母上は本当に優しい方なのじゃ。私がどれだけ悪いことをしても笑って許してくださる、そんな方なのじゃ」


「へぇ」


「きっとこれは何かの間違いなのじゃ。さもなくば冤罪じゃ。いや、そうじゃ、そうに違いない」


「ふ~ん」


 段々語る口調に熱が篭ってくる姫子。さっきまで涙が流れ落ちていた瞳には、強い光が宿り、それは時とともに更に強く光りだす。しかし、それとは対照的に、聞き手の連夜は完全に興味を失ってしまっていた。ついさっきまできちんと相対して聞いていたというのに、今では彼女から視線を逸らしているばかりか、さっさと自分の席について一時間目の授業の予習まで始めてしまっている始末。一応姫子の話を聞いてはいるようだが、その返事は全て気の入らない生返事ばかりで、それを改める様子は全くない。

 いくら自分の演説に熱中しているからといえ、気のない連夜の様子が姫子に見えていないはずがない。

 だが、それでもこの教室での唯一の聴衆たる連夜に向けて、姫子は問い掛ける。


「そうじゃ、冤罪じゃそうに違いない。そうは思わぬか連夜」


 何かの期待が熱くこめられた視線。その視線の意味を連夜は十分に理解していたが、それ故に到底その期待に応えることはできなかったし、するつもりもなかった。

 そんな連夜の気持ちを表すかのように、まるでゴーレムがしゃべっているかのような無機質な声が教室に響き渡る。


「冤罪かどうかは僕にはわからない。でも、もし冤罪じゃないのなら騒ぎ立てる必要はないよね。本当に何の罪もないのなら、姫子ちゃんのお母さんが、処罰を受けることはない。償いをする必要もない。違うの?」


 視線を合わせることもなく淡々と聞いてくる連夜の姿に、流石の姫子も表情を引き攣らせる。

 しかし、それでも姫子は諦めず食い下がる。


「し、しかし、万が一のことがあれば。そうだ。取調べをする者の中に、母上を陥れ様とする者がいるやもしれぬ」


「姫子ちゃん、日頃から龍族の者は皆、優秀で清廉潔白。心のやましい者は一人もいないって言っていたよね。そんな優秀な人達の集まりなのに、姫子ちゃんのお母さんを陥れ様とするような人がいるわけ?」


「ぐっ」


 机に広げた教科書をめくりながら、あくまでも淡々とした口調で姫子に問い掛ける連夜。相変わらずその視線は教科書に落とされたままで、姫子のほうには全く向けられず、そのことが次第に姫子の心を苛立たせはじめる。


「も、勿論、そのような者はおらぬと信じている。だが、何度も言うが万が一ということがあるやもしれぬではないか」


「万が一ってことは万人に一人悪人がいるってこと? それだとそのたった一人が姫子ちゃんのお母さんを陥れ様と画策したとして、他の人達はそれを黙ってみているわけ?」


「う、ううう。それはそうだが・・・い、いや、そうだ。悪人のことだけじゃなくて、つまり、調査において万が一取りこぼしてしまう真実があるやもしれぬ」


「姫子ちゃんのお母さんは、万が一の証拠に頼らなくてはいけないような怪しい行動をいつも取っているわけ? それはおかしいよね。普段から普通に生活していれば、そんな万が一の証拠に頼らずとも、自ずと身の潔白が証明できるんじゃないの? そうじゃないわけ?」


 どうあっても自分の期待する答えを口にしようとしない連夜。それどころか、彼の口から出てくるのは彼女を追い詰めるような言葉ばかり。

 姫子の表情が次第に険しいものへと変わっていく。しかし、それでも姫子は連夜の口からどうにかして期待通りの答えを引き出したかった。

 彼女が期待する答え、それは、助けを求める彼女の声に応じてくれる心強い友の言葉。

 だが、それを求めるあまり、彼女は一番踏み込んではならない場所に踏み込んでしまう。

 それが二人を別つ決定的な一撃となるとも知らずに。


「か、完全な人格者などこの世にはおらぬではないか。それに悪いことを考える者とて万が一ではなく、二や三かも・・・そ、そうじゃ、卑しい下級種族や奴隷種族の者達が、高貴な上級種族である私や母上を妬んで何やらよからぬことを企てたのかもしれぬ!」


 咄嗟に思いついたことこそが真実とばかりに、興奮気味に連夜に力説する姫子。

 だが。


 かろうじて繋がっていた『絆』というそれは、今、彼女の口からこぼれ出たわずかな言葉とともに完全に千切れて消えた。


 友人ならば皆が知っている、連夜に絶対にやってはいけないいくつかのタブーの一つを知らぬ間に破ってしまっていたのである。

 連夜は親しい人物の頼みは、快く引き受ける人間である。

 それが少々厳しい内容であっても、連夜は嫌な顔一つせず引き受ける。


 しかし、彼に対し絶対に言ってはならない言葉を口にする者に対しては別だ。

 どれだけ親しい間柄であろうとも、どれだけ付き合いが長い者だとしても、それが目上でも、大事な知り合いの家族でも、恩師であったとしても。

 その言葉を口にした瞬間、連夜にとってその人物は、『敵』として定められることになる。


 いうまでもなくそれは、『種族差別の言葉』。


 下級種族や奴隷種族の者達を何の根拠もなく差別するような言葉を吐き出した者を、連夜はただちに忌むべき『敵』として認定し、絶対に許すことはない。

 それは自分が差別される側である人間として連夜が生まれてしまったことに大きく起因しているが、とにかく誰であろうともそれだけは絶対に譲れないのだった。


 目の前にいる『姫子』の分身体である彼女は、生れてからいままでずっと人に傅かれ跪かれて来た龍の姫である。

 それでも他の王族に比べれば、社会的弱者に対する気配りは並々ならぬものがあるわけだが、それでも根本的なところでは差別されている種族の者達の本当の心はわかってはいなかった。

 ゆえに、完全に失念していたのである、連夜もまた差別されている側の種族であることを。

 親しすぎるが故に、自分の周りにいる家来と同様に連夜を見てしまっていたことを。

 心が弱って平静を失っているがゆえに焦りに焦り、その結果、連夜の触ってはいけない部分に見事にヒットしてしまったのだ。


 連夜は極限まで冷え切った視線で一瞬姫子を睨みつけたあとすぐに視線を外し、今度こそ完全に口を閉ざしてしまった。

 姫子はそんな連夜の急変した態度を怪訝そうに見つめていたが、やがて、激昂して連夜を怒鳴りつける。


「連夜、さっきからなんなのじゃ、その態度は? それが人の話を聞く態度か!? わらわの方を見ぬか!!」


 しかし、もう連夜がそっちを見ることはなかった。

 なぜ連夜が態度を硬化させてしまったのか? 

 そのことに全く気がついていない姫子は、さらにエスカレートして実力行使にでようとする。

 ここで、姫子にとってさらに不運だったのは、彼女の暴走を事前に止めることができるものが誰にもいなかったということである。

 二人ともあまりにも朝早く登校しているため、他の生徒はまだ一人として教室に来ていなかったのだ。ここで、彼女の取り巻きの一人でもいれば、彼女の気をそらすようなことを口にして最悪の事態は避けられたのかもしれない。


 だが、そんなものはいなかった。

 そして、運命の賽は投げられる。


 どこか焦点の定まらぬ瞳で連夜を睨みつけていた彼女だったが、ついに実力行使に打って出る。


 姫子は連夜のブレザーを掴んで引きづり起こし、強引に自分の方を向かせようとする。

 だが、それよりも一瞬早く、姫子の手を左手で掴んでブレザーを掴ませるのを阻もうとする連夜。

 姫子の手を掴み、引き剥がす。そう連夜が行動しようとした瞬間だった。姫子の掴まれた手が翻り連夜の力と自分の力を絶妙なタイミングで乗せて連夜の体を逆さに向けて宙へと舞い上げる。

 無意識の連携攻撃なのか、姫子の身体が自然に次の攻撃に移り、宙に浮いた連夜の腹に向けて容赦のない、そして見事なまでに美しい形の上段蹴りの一撃が放たれる。

 様々な修羅場を潜り抜け、ある程度相手の攻撃を事前に予測していた連夜は、咄嗟に右手に掴んでいた鞄を盾にして蹴りそのもののダメージは防ぐ。教室に響き渡る鈍い打撃音。だが、その反動までは消すことができず正面の黒板まで吹っ飛ばされて背中から叩きつけられる。


「ごふっ」


 強烈な激突音が教室中に響き渡り、一瞬あとに異様な呻き声をあげて連夜は血の塊を吐き出す。

 そして、そのまま黒板から下に頭から落ちていく。

 このままいけば教室の堅い床の上に頭から落ちる。だが連夜は咄嗟に身をひねり、落ちる途中にあった教壇の前の机に手を伸ばして思い切り叩きつける。

 その反動を利用して体を横向きに変化。そのまま横受け身の形で床へと着地する。

 致命傷はさけることができた。しかし、連夜はあまりの痛みに意識を失いそうになる。

 だが、相手が相手だけにここで意識を失うと、命にかかわると知っていた連夜は無理に横に転がりながら片膝を立てた状態で戦闘態勢を取ると、蹴られても放さなかった自分のカバンを開く。

 外側からは分からないが、このカバンは手錬れの傭兵の一撃ですら防ぐ特殊合板で作られている。当然、いくら上級種族であろうとも無手の一撃など全く通用しない。

 だが、それでも連夜は中におさめられているものが心配で、思わず覗きこもうとしたのだが。


「なんですの、なんですの? 今の物凄い音はいったいなんだったのですの!?」


 蓋の開いたカバンからひょっこり顔をだしたのは、かわいらしい一匹のモモンガ。

 ただでさえ大きな瞳を更に大きく開き、落ち着きなくきょろきょろと周りを見渡し始める。


「よ、よかった、姫子ちゃん無事だったか。カバンの中で姫子ちゃんが寝ていることを完全に失念していたよ。咄嗟にカバンを盾にしてから思い出して、かなり焦ったけど心配ないみたいだね」


 怪我らしい怪我もなく元気そうな様子のモモンガの少女を見た連夜は、一安心とばかりにほっと胸を撫で下ろした。


「ちょ、連夜、カバンを盾にしたってどういうことですの? カバンを盾にしなくちゃいけないような事態に陥っているってことですの? って、きゃ、きゃああっ、口から血が流れているじゃありませんか!?」


 幼馴染の声に反応し、自分の真後ろにいる声の主のほうへと顔を向け直した姫子。だが、その視線の先に口から血を流す連夜の姿を確認して悲鳴をあげる。

 慌ててポケットから小さなハンカチを取り出し、連夜の顔めがけてジャンプしようとするが、連夜は慌てることなく彼女を空中でキャッチ。


「折角寝ていたのに、起こしちゃってごめんね、姫子ちゃん。でも、ちょうどいいから起きたついでにこのまま退避してくれるかな」


「は? え? 退避って、だから、どういうことですの?」


「説明している暇がないんだよ。ちょっと今たてこんでいてね」


 そう言って、モモンガの少女の体をそっと教壇の机の影へと連れて行った後、連夜はカバンに手を突っ込んで戦闘用の道具を引き出し、こちらを傲然と見つめている龍族の王姫に向けて構えた。

 連夜のただならぬ様子に、姫子は教壇の影からそっと顔を出し、彼の視線の先へと目を向ける。そして・・・


「いったい、誰と戦っているの・・・って、あの子、どうしてここにいるんですの!? 龍族の専門病院に隔離状態にあるはずなのに」


 自分の分身体であるもう一人の『姫子』の姿を目にして驚愕の声をあげるモモンガの少女。

 連夜のほうに向けて武術の構えを取る『姫子』の体からは、はっきりと目で視認できるほどの青白いオーラの光が陽炎のように立ち上っている。

 目は焦点を結んでおらずどこを向いているかわからないが、それでもその殺意ははっきりと彼女の大切な幼馴染のほうへと向けられている。

 それが何を意味しているのかすぐにわかったモモンガの姫子は、顔を引き攣らせて連夜のほうに視線を向け直す。


「僕もはるかちゃんやミナホちゃんからそう聞いていたからびっくりしてるんだけどね」


「と、いうか、あの子完全に暴走してるじゃありませんか。いったい何があったというんですの!?」


「まあ、いろいろとね。そういうわけで、もし万が一僕が彼女を止め切れなかったら姫子ちゃんは逃げてね」


「連夜をおいて逃げるなんてできるわけないでしょ!」 


 悲鳴じみた声をあげて立ち上がり、暴走する分身体めがけて走り出そうとする姫子であったが、いち早くそれに気がついた連夜に体を掴まれて止められる


「いつかはこうなると思っていたから一応準備はしているんだ。だから『もし万が一』の場合ってことだよ」


「そんな!! リミッターの外れた龍族は『害獣』並みに厄介な相手なんですのよ。例え正気を失っていたとしても、その闘争本能は全く衰えません。連夜だって、あれを見たらわかるでしょう?」


 その姫子の言葉を肯定するかのように、目の前で半身に構えた姫子からはとてつもない闘志と、ギラギラと殺意を宿して光る目と、異様なリズムで繰り返される呼吸音が聞こえてくる。

 連夜はそっと道具の中から『回復薬』を取り出すと油断なく目の前で殺意を放っている人物から目を離さないようにして飲み干す。

 徐々に身体からダメージが抜けていくのを感じ、先程と違いいつもどおりに身体が動かせることを確認する。


「連夜だって、徹夜明けで万全の状態じゃないし、もうなんか傷ついちゃってますし。と、ともかく一旦逃げましょう。幸い他に生徒はいないみたいですから、しばらくは放置しておいても大丈夫のはず」


「いやいやいや、そう簡単に逃がしてくれないって。なまじ暴走状態にあるから、あれ、野生の獣と同じだよ? ここで逃げたら絶対僕達のこと追いかけてくるって」


「でも」


「下手に逃げると、無関係の『人』を巻き込む可能性が高くなるし、例え、うまくここを逃げられて、その途中に誰にも会わなかったとしても袋小路に追い詰められることにでもなったらそれこそ一巻の終わりだからね。幸い、ここならまだやりようがある。気が進まないけど、ここで迎え撃つのがベターだよ」


 心配そうに自分の顔を見上げてくる姫子に、連夜は苦笑交じりの笑顔を見せたあと、再び顔を暴走状態の分身体へと向け直す。未だ、こちらに攻撃を仕掛けてくる様子はないが、全身から立ち上る青白い炎は大きく膨れ上がる一方で、いつそれを爆発させてこちらに向かって来てもおかしくはない状況。

 姫子は、しばらく両腕を組んでじっと何かを考え込んでいたが、やがて、ゆっくりと顔をあげる。

 そして、連夜の肩に向けてぴょんと大きくジャンプして膝立ちの状態で着地。


「ちょっ、姫子ちゃん? 何してるの?」


「やってみますわ、わたし」


「は? 何を?」


「あの体は今、内包した莫大な『神通力』の暴走状態にあります。そして、あの子は全くそれを制御しきれていません」


「ちょいちょいちょい。姫子ちゃん、まさかと思うけど」


「あの体。この場で取り返しますわ」


 きっぱりと言い放つ姫子の姿に、ほんの一瞬口をあんぐりとあけて茫然としてしまう連夜。だが、すぐに自分の迂闊さに気がつき慌てて視線を目の前の龍の化身へと向け直す。

 幸い目の前の相手は、戦闘態勢を取ったまま動く気配は感じられない。

 少しだけほっと息を吐き出した連夜は、視線を少しだけ動かして自分の肩口にいる姫子の方を見る。そこには、そのかわいらしい姿には到底不似合いな固い決意の表情の一匹のモモンガ。


「姫子ちゃん、確かに近いうちに体を取り返す作戦を決行するとは言ったよ。でもねぇ」


「私があの子から自分の体を取り戻すためには、私が分裂を起こしたときと同じ状態になる必要がある。つまりそれはあの子が内包する『神通力』を制御できず暴走状態にあり、尚且つ正気を失って意識を手放している状態のこと」


「う、うん、まあね」


「次に、私とあの子が入れ替わるところを部外者には見られないようにしなくてはならない。特にあの『王妃(バカオンナ)』の一派に知られたら何をされるかわかったものじゃないですからね」


「う、うん、そうね」


「そして最後に、入れ替わるタイミングを間違えてはいけない。暴走させるだけ暴走させて『神通力』が完全に放出されて体の中から『異界の力』が短い間『無』となるその一瞬を狙うしかない」


「う、うん、ちゃんとわかってるじゃない。だから、そのタイミングを掴むのが難しいから、一旦、彼女を捕獲して、邪魔が入らないように父さんの研究所に護送して、特殊技術の専門チームを招集して、失敗しないように何度か練習して、ともかく万全の態勢でだね」


「大丈夫。絶対うまくいきますわ!」


「って、人の話を聞いてよ、もうっ!」


 何の根拠もなく素晴らしい笑顔でサムズアップしてくる小さなモモンガに、思わず頭を抱えそうになる連夜。

 確かに彼女の言うとおり、三つの条件のうちの二つは満たされている。だが、最後の一つが非常に問題なのだ。


 元々二人は一つの存在であった。だが、今は違う。二人・・・いや三人に分かれた当初はそうではなかったかもしれないが、今の彼女達は全く別の存在となってしまっている。

 当初、連夜は姫子と分身体の精神体が繋がっている可能性を危惧していた。

 もし繋がっているとするならば、下手なことをすると本体の姫子に影響が出てしまう可能性があるからだ。それゆえに今日まで強行策をとることなく、彼女達を見守ってきたわけである。

 だが、それも問題ないことがつい最近はっきりとした。

 一カ月近く前、姫子は分身体と直接対決してこれを撃破したわけであるが、病院送りにするほど分身体を傷めつけたにも関わらず、彼女自身にそれがフィードバックされている兆候はみられなかったのだ。

 もう一人の分身である男性体のほうは未だ確認できてはいないが、少なくとも女性体のほうと姫子が繋がっていないことがこのことによってはっきりしたわけである。

 これで遠慮なく奪還作戦を行うことができる。だが、だからといって問題が全くなくなったわけではない。いや、むしろ別の問題がここで浮上する。

 姫子から生まれた分身体は、現在全く別の人格を持った別の人物となったとわかった。ということは、それだけ元の体と姫子の適合率が離れてしまった可能性があるということだ。下手をすると、今の時点ですでに全く適合できなくなってしまっているかもしれない。

 勿論、あくまでもそれはかうまでも可能性の一つとしてのこと。元々姫子の体であったわけだから、どちらかといえば適合率がゼロという可能性は限りなく低い。

 ゼロと一は違う。しかし、一と百も違うのだ。

 それらはすべて数値だけの話。失敗したとしてもやり直せばいいのかもしれない。


 しかし、やり直せない場合は?


 失敗しました、二人とも意識が戻りません。


 ・・・では済まされない。


 例え本人がそれを覚悟の上であったとしても、大事な友人の命がかかっているというのにそんな一か八かはできればさけたい。

 そこで最後の条件が必要になってくるのだ。

 対象となるものの体の中からできるだけ『異界の力』を放出して空っぽにし、その状態で精神体の入れ替わりを行う。

 『異界の力』とはその名の通りこの世界の力ではない。いわば、この世界に生まれた『人』にとって元々なくても全く問題のない異物なのである。しかし、万能すぎる『異界の力』に溺れた各種族の先人達が、自らの欲望の為に率先して取り入れ続けた結果、『人』の体に根付いてしまったのだ。

 なので、これらの力は制御が非常に難しく、また、この世界に自然発生した病気などにかかってしまうなどすると、途端に体のバランスを崩しいろいろと体に障害をもたらしてしまうこともある。

 そんな『力』であるから、大きな治療を行う場合は、極力『異界の力』を放出してしまう状態にするのが好ましいのだ。


 当初連夜は、姫子の体を奪還する作戦をある程度の大人数で行うつもりであった。なんせ、相手は『人』類全種族中、トップ中のトップの身体能力を持つ龍族。『異界の力』を暴走させ、尚且つそれを全て放出させるという無茶苦茶な状態を作り出さないといけないのだ。途中どんなアクシデントが発生するかわかったものじゃない。

 

 なのに、それを姫子はたった二人で行うという。


「二人じゃありませんわ。あの子の側まで私を連れて行ってくださいませ。あとは、私一人でなんとかしてみます!」


「できるわけないっしょ!! あ~、もう、君ってなんでそんな『熱血お馬鹿』なわけ? なんでも勢いと気合だけでなんとかなるって思ってるでしょ?」


「あと、愛と勇気と友情も必要ですわ」


「うんうん。そこは重要だよね。って、アホか~いっ! 少年マンガの主人公か、君は!?」


「たまに宇宙的な何かを感じることがありますわ。ほら、テレビでよく聞かれることがありますよね。『君は、宇宙的な何かを感じたことがあるか!?』って。今なら迷うことなく『はい、感じたことあります。ありまくります』って答えられますわ」


「ないからっ! 百パーないからっ! それ絶対気のせいだから! ってか、君の電波具合もそろそろ心配になってきたからこれ以上はやめてちょうだい! お願いだから!」


「そんなに心配なさらないでください。いざとなったら奥の手を使います」


「奥の手って、なんなのさ?」


「ツインなドライブシステムをフルパワーで使って、トランス状態的な何かになるアレですわ」


「どこの機動兵器なの!? ってか、いったいその体のどこにドライブシステム搭載してるの?」


「両肩のあたりに」


「だから、ないからっ! 百パーないからっ! それ完全に気のせいだから! ってか、君の厨二具合が本当に心配になってきたから、そろそろ戻ってきてちょうだい! お願いだから!」


 だんだん目の前にいる分身体と同じような危ない目つきになってきた姫子を慌てた様子で片手で掴む連夜。指先を使って彼女のかわいらしいほっぺに軽い往復ビンタをぶちかますと、はっとした様子で姫子は我に返った。


「はっ!? わ、私はいったいなにを」


「いや、もういいけど。ともかく、一人で突っ走ろうとしないでよ。そもそもなんで一人でやろうとするのさ」


「だ、だって」


 怒ったような顔で睨みつける連夜に、姫子はしゅんとなって顔を伏せる。そして、合わせた両手を太ももの間でもじもじさせながら、横目でちらちらと連夜の様子を窺いながら口を開く。


「ただでさえ連夜に迷惑かけっぱなしなのに、これ以上迷惑かけられないもん」


「いや、むしろもうここまで来たら、これ以上もこれ以下もないっしょ」


「でも、この先は命の危険があるし。もし連夜に何かあったらと思うと、心配で心配でたまらないんだもん」


 そう言って本当に心配そうな表情を浮かべたまま顔をあげようとしない姫子。そんな姫子の姿を見ていた連夜は、なんとも言えない苦笑を浮かべて見せる。

 確かにこれからやろうとしていることは、間違いなく命の危険をはらむ。しかし、連夜にしてみればそれはいつものこと。年がら年中不良やら差別主義者やら犯罪者達からつけ狙われている連夜にとって、この程度の危険は日常の一コマに過ぎない。

 むしろ姫子のほうが余程危険だろう。なんせ、首尾よく全ての条件を満たしたとしても精神体の交換時、誰も彼女の手伝いをすることはできないのだ。

 強い意志を持つほうがその体の所有者となり、負けたほうは体から追い出されることとなる。勿論、どちらが勝った場合も連夜はフォローするつもりではいるが。

 連夜は、小さく一つ嘆息を漏らすと、未だもじもじしている姫子の頭をぽんぽんと叩いた。


「僕のことは大丈夫だよ。それよりも姫子ちゃんは自分の心配をしたほうがいい。僕なんかよりよっぽど危険なんだからさ」


「で、でも」


「はいはい。やるからには絶対体を取り戻そう。いいね」


「うん。ありがとう、連夜」


「お礼は無事に体を取り戻してからね」


 再び自分の肩に姫子の小さな体を乗せた連夜は、未だ仕掛けてこない相手へと全意識を向ける。

 そこには部屋いっぱいにまで広がるほど、大きく膨れ上がった青白い炎と、その中心に立つ一人の少女の姿。


「たすける・・・母上・・・連夜の助けが・・・父上は狂った・・・無理矢理にでも」


 ブツブツと何かを言い続けている不気味な様子の彼女に、連夜は細めた眼で睨みつける。


 正気を失っていようとも絶対に油断のできない超種族の王姫。

 まともにやっては絶対に勝てない。

 ならば、知恵を使ってなんとかするしかない。

 すでにカバンを開けた時に初歩的とはいえいくつかの仕掛けはしておいた、あとはこれに引っかかってくれるかどうかだが。

 とてつもない集中力によって両者の間に目に見えない駆け引きがいくつも繰り返された果て、やがて、必勝へとつながる光の筋道を見出した姫子の身体が矢のように解き放たれて連夜に迫る。


 ダンッ、ダンッと姫子の強烈な踏み込みによって床が踏み砕かれ、そして三歩目でいよいよ連夜にその必殺拳が到達する。


落鵬破通背拳らくほうはつうはいけん


 龍族に伝わる無手の格闘武術『形意黄龍拳(けいいこうりゅうけん)』の奥義の一つ。

 鍛え上げられた下半身による踏み込み。その踏み込みによって生み出された破壊力をその下半身が絶対的な安定感を持って支え、そこから繋がる上半身へとその力を一気に加速させる。捻じり曲げられながらもほとんどロスすることなく腹から胸へ、胸から肩へ、腕へ、そして、拳へと伝えられ、その力をもって繰り出される掌底が、直接的なダメージとは別に相手の体にとてつもない波紋を生み出す。

 足の下から上へと伝えられ掌へと伝えられたその波紋は最後、相手の腹から背中へとその威力を貫通させる。


 防御は全くの無意味。


 打たれれば即死すらあり得る恐るべき必殺拳。

 それを迷うことなく級友に向かって打ってきた姫子は、完全に我を失っていると見て間違いない。

 しかし、だからといっておとなしく打たれるわけにはいかない。

 三歩目が踏み込まれるそのとき、その一瞬に来るはずのチャンスを連夜は、迫りくる死の恐怖と必死に耐えながら待った。


「連夜!!」


「わかってる!」


 そして、連夜の布石がここで見事に生きる。

 連夜がカバンから道具を取り出すときに、わざといくつかの薬の瓶を割って床にぶちまけておいた。

 それは、どこにでも売っている普通の医薬品であったが、連夜はここの床を形成している高硬度粘土石と相性が非常に悪いことを熟知していた。

 いずれ不良達に絡まれたときに使おうと思って買っておいたものであったが、まさか親しい友に仕掛けることになろうとは夢にも思わなかったわけであるが。

 ともかく、その薬は急速に床の石を侵食し、腐らせていた。

 そこに龍の少女の恐るべき踏み込みが見事に突き刺さる。

 踏み込んだ場所を中心として、床が下に突き抜けて落ち、少女の身体が半分床の下に埋まる。

 片足を踏ん張って下に落ちることを耐えて見せたものの、その瞬間を連夜が見逃すわけがなかった。

 今度は連夜が少女の間合いに踏む番。

 ここぞとばかりに一気に駆け寄った連夜は、片手に握った薬瓶を彼女の頭に叩きつける。

 流石の分身体も、身体のバランスを崩してそれを持ち直すのに必死だったため、連夜の手を払いのけることができなかった。

 ガラスの砕ける音がして、砕け散ったガラスの破片と何かの液体が姫子の頭に降り注ぐ。

 連夜は少女が体制を立て直す前に素早く後ろにバックステップして間合いをあけると、それを追いかけるように姫子は穴にはまった片足を抜き出して、再び連夜を追いかける。

 今度は後ろが黒板で逃げる場所はないし、仕掛けらしい仕掛けもしていない。

 龍の少女は獲物を追いつめたことを知り、凶悪な笑顔を浮かべて吠えると、その拳を連夜に叩きつけようとした。


「あ、あぶない!」


 大切な幼馴染の絶体絶命のピンチに、姫子が思わず悲鳴をあげる。

 だが。


「いいや、僕の勝ちだっ!」


 少女の拳が連夜の顔面に到達する寸前。

 突如、彼女は頭を押さえて床を転がりまわりだした。

 いきなり自分の頭に凄まじい激痛が走るのを感じたからだ。

 あまりの痛みに涙と鼻水が溢れ出て、口からは獣のような唸り声が漏れる。


 その様子を呆気に取られてみつめている姫子と、冷めた表情で見つめる連夜。

 振り返って目線で聞いてくる姫子に、連夜は口を開いた。


「龍族の角には病気や怪我を治す『神通力』が尋常じゃない量で蓄えられていることは、姫子ちゃん自身よく知っているよね? それがましてや王族ならなおさらで、一角獣(ユニコーン)族や双角獣(バイコーン)族の角もそうなんだけどね。しかし、ただでさえ過負荷気味のそこに、さらなる神痛力を注ぎ込むようなものをかけたらどうなるか?」


「あの子にかけた薬っていったい」


 淡々と語る連夜に、恐る恐る聞く姫子。

 そんな姫子に、面白くもなさそうに投げやりに答える連夜。


「ただの『治療薬』。別に普通の常『人』にかけてもよくなることはあっても悪くなることはないよ。ただしこの薬を構成しているのは過分に『神通力』の成分が入ってる成神草でね、龍族の頭、特に角の部分にかけると、ただでさえ過負荷気味で制御している『神通力』が暴走しとんでもないことになる。あんな風に」


「ああああああああああああああっ!!」


 少女の頭の角は暴走して止まらないのか、今や大鹿の牡鹿の角並の大きさに成長しきっていた。


「ちょ、大丈夫なの、あの子!?」


「『魔力』や『神通力』を吸い取る『害獣』の刃物がある。これで適当な長さに切ればいいだけ。でも、もうちょっと待ってね。大きくさせるだけ大きくしてから角を切るから」


「それはどうしてですの?」


「暴走した『神通力』は今、全部角にいってるんだ。だから、それを全て角に吸収させた後に切り離せば、彼女の体内から『神通力』はほぼなくなる。つまり、そのときが」


「私が入れ替わるチャンスというわけですわね」


 教室の中、整然と並べられていた机や椅子をひっくり返しながらのたうちまわる龍の少女。

 そんな少女の姿を、しばらく静かに見守っていた二人であったが、やがて、ぐったりして動かなくなったのを確認し歩みよっていく。

 先程までの大暴れぶりが嘘のように、床の上に沈む少女。その姿を見て、姫子は死んだのではないかと心配になったが、近づいてみると荒く肩で息をしている様子が目にうつり、ほっと胸を撫で下ろす。


「死んではいないみたいですね」


「あたりまえだよ。腐っても君の体だよ? そんなやわじゃないっしょ」


「ひ、ひどい。かよわい女の子なのに」


「はいはい。それよりも急いで。あまり時間はないんだ。今は『神通力』を使い果たした状態になっているけど、すぐに回復しちゃうからね」


「わかってますわ。連夜、あの子の私をあの子の側に下ろしてくださいませ」


「うん」


 連夜は姫子の望み通り、その小さな体を横たわる龍の少女の横へと連れていく。

 そして、カバンから一本のナイフを取り出すと、手慣れた様子で少女の角を二本とも根元から切り取ってしまう。普通の刃物であれば龍の角を切ろうとしても刃こぼれするだけであるが、『害獣』の骨できたこのナイフは別。まるで豆腐を切り裂くように簡単に切り取ることができた。


「これでよし。あとは、どちらが体から意識を押し出されてもいいように、僕が『能術』でサポートさせてもらうね」


 二本の巨大な角と『害獣』の骨でできたナイフを床の上に置いた連夜は、カバンから独鈷杵と水晶玉を取り出して構えをとる。


「お願いしますわ、連夜。じゃあ、行ってきます」


「うん。頑張ってね」


「はい。あの、連夜」


 龍の少女の額に小さな手をかざし、彼女の意識の中へとダイブしようとした姫子であったが、何かを迷うような表情で連夜の方へと振りむいた。


「なに、姫子ちゃん」


「あの。あの。私、あの。もし、もしも、無事『人』の体を取り戻すことができたら。もし、モモンガじゃなく、高校生の女の子にもどれたら」


「あ~、あれだ。小説とか映画でよくあるやつ。『無事帰ってこれたら何かするんだ』とか、『誰かに告白するんだ』ってやつだ、そうでしょ!」


「そ、そう。そうですわ。その告白する誰かっていうのはですね」


「でも、あのセリフ言った登場人物って、絶対死ぬよね? いわゆる死亡フラグってやつだったような・・・」


「今すぐ行ってきます!」


 何かを嬉しそうに言い掛けていた姫子であったが、連夜の言葉を聞いた瞬間、慌てて少女の精神世界へと旅立っていった。

 そんな姫子をきょとんとした様子で見つめていた連夜であったが、すぐに表情を引き締める。


「ちょっ、ひめっ、何その投げっぱなしジャーマンは!? いきなり突撃しないでよ、こっちにも準備ってものが! って、もう行っちゃってるし!!」


 ぐったりして床の上に横たわる二人の少女。

 龍の少女はびくんびくんと時折その体を痙攣させ、そして、モモンガの少女は全く動かない。

 一分が過ぎ、二分が過ぎ、五分が過ぎ、そしてついに十分が過ぎた。


 長い。あまりにも長い時間。

 少女の精神世界が今いったいどうなっているのか、それは彼女達にしかわからない。

 こちらから助けに入ることはできない。ただひたすらに待つことしかできることはない。

 

 やがて十五分が過ぎようとしたとき、とうとうこの場に異変が起きる。


 その異変はしかし、龍の少女に起こったものでも、モモンガの少女に起こったものでもなかった。

 他でもない、連夜の体に起こったのだ。


「ぐ、ぐふっ!?」


 まるで焼きゴテを突っ込まれたような鈍い痛みが背中に走り、思わず漏れる苦痛の声。

 いったい何事が起ったのかと下を見た連夜は、自分の横腹から前へむけて、シャツが赤く染まっていくのを発見する。

 それとともに全身から力が抜けていく。

 口からは血が流れ落ちはじめ、視線がぼやけ始める。


 手放しそうになる意識を必死につなぎとめながら後ろを振り向いた連夜は、そこに仇敵の姿をみつけ驚きの声をあげる。


「か、カミオ副委員長!?」


「龍の姫様への狼藉、死をもって償うがいい、この汚らわしい下級種族がっ!!」


 自分の体を取り戻す為に精神世界で戦っているであろう姫子のほうに意識を集中しすぎて、周囲への警戒を怠ってしまった。

 しかも、事もあろうに使い終わったナイフを無造作に床に放置していたがために、それを奪われて使われてしまうとは。連夜、痛恨の大失敗である。

 失われていく力を総動員して、電撃の珠を取りだした連夜は、背後の襲撃者に向けてそれを叩きつけ、かろうじて引き離すことに成功する。

 だが、相手に与えたダメージは少ない。

 本調子でないままに発動させた為、かろうじて腕をしびれさせた程度。ナイフから手を離して後ずさる聖魔族の少年から転がるようにして距離を置き、背中に刺さったナイフを引きぬく。


「ぐああっ」


 引き抜いた箇所から勢いよく血がほとばしり、瞬く間に床の上に血だまりを作っていくが構っている暇はない。続けざまに取りだした『回復珠』を発動させて傷口を修復すると、攻撃と防御用の珠を指の間に挟んで身構える。


「ちっ、まだ死なないのか下等生物。悪あがきしおって」


「ま、まさか学校の中にまで殺しにかかってくる奴がいるとは、流石の僕も計算外だったよ」


「殺そうとしているわけじゃない。これは駆除だよ。そう、害虫駆除だ。なあ、そうだろみんな」


 まるで劇場の舞台に立っている主演俳優のごとき大げさな演技で周囲に呼び掛けるカミオ。

 その周囲には彼の取り巻きだけでなく、いつのまに登校してきていたのかクラスメイト達姿も見受けられる。その彼らから連夜に向けられる視線を一様に侮蔑や敵意のそれ。


「我々の大事な委員長に貴様何をしようとした? いや、いい説明するな。清く美しい委員長が汚れる」


「僕は別に」


「黙れといったぞ下等生物。見苦しい言い訳をするな。この惨状を見て我々が騙されるとでも思っているのか?」


 床の上に横たわったままの龍の少女の姿を指さしながら怒りの声をあげる聖魔族の少年に対し、クラスのあちこちから賛同する声や連夜を非難する声があがっていく。

 その中に、連夜を擁護しようという声や、連夜を殺そうとしたことに対する抗議の声は全くない。この教室内にあるのはひたすらに連夜に対する負の感情のみ。

 まさに四面楚歌。このまま目の前にいる仇敵が、クラスの連中を煽り続ければ、暴徒と化す者も出てきてしまう。そうなれば、カミオの手勢と合わせて逃げることすらかなわなくなるだろう。

 だが、逃げることはできない。

 未だ姫子は帰還を果たしておらず、また、首尾よく姫子が体を取り戻したとしても分身体の少女の意識を助けることができなくなってしまう。

 絶対絶命。

 自分の運が悪いことは知ってはいるが、ここまで悪いといっそすがすがしくて爆笑したくなる。


「何がおかしい、下種野郎」


「本物の下種野郎に下種と言われる自分自身かな」


「減らず口を叩きおって!」


 カミオの取り巻きの一人から怒号があがる。

 オーク族特有の太った体から、想像もつかない素早い動きで繰り出された警棒による横なぎの一撃。

 それが連夜の脇腹に深々と突き刺さり、連夜の身体を吹き飛ばす。

 めきめきとあばらを何本か折られて、吹き飛ばされた連夜の移動先には、クラスメイトの一人が待ちうけていた。


「龍乃宮さんに手を出す奴は、地獄へ落ちなさい!!」


 素早く連夜の真下に潜り込んできた兎獣人族の少女は、正確に連夜の顎を狙って強烈なアッパーカットを繰り出す。

 最早避けられないと踏んだ、連夜は頭を振って、その拳に叩きつけるように己の額をぶつけていく。

 ごんっという衝撃が頭を走りぬけ、連夜は後方に吹っ飛ばされ再び黒板の前に崩れ落ちることに。

 しかし、今度は目の前にカミオが迫っていた。

 連夜は横っ跳びに転がりながら、まだ残っている『回復薬』を口に流し込むと、容赦なく蹴り込んでくるカミオから逃れるように机の間に逃げ込もうとする。

 とはいえ、床を転がりながらでは十分な回避がとれるわけもなく、次第に追い詰められ、立ち上がったときには教室の隅に追いやられていた。

 『回復薬』がまだあるとはいえ、ただの人間に過ぎな連夜に十分な攻撃の手段はない。

 それに比べ、相手は数十人以上。

 狭い教室の中、これだけの人数に囲まれてしまっては逃げるに逃げられない。

 謝って許しを請えば助かるかもしれなかったが、謝るつもりはさらさらなかった。


 さあ、どうしよう。


 絶望的な状況ではあったが、絶望するつもりもさらさらない、中学時代には日常茶飯時だったことだ。


 連夜は久しぶりに中学時代にいつも見せていた獰猛な表情を浮かび上がらせて、居並ぶ『敵』達にニヤリと笑って見せた。

 彼らはその表情を挑発と受け取ったのか、再び連夜に襲いかかってくる。

 無傷は無理でも、絶対倒れないで逃げきって見せると、連夜が活路をどこかに見出そうとしたそのとき。


「ぎゃ、ぎゃああああああああああっ!!」


 再び連夜に襲いかかろうとした取り巻きの一人が絶叫とともに床の上に轟沈する。

 最初カミオはその絶叫を連夜があげたものだと思った。いや、カミオばかりではない、カミオの他の取り巻き達やクラスメイト達もまた同じ。

 床の上に転がって無様に絶叫を放つのは人間族の少年だと思っていた。

 だが。


「お、おれの大事な腕が・・・腕があぁ!!」


 うわごとのように泣き叫びながら地面を転がり続けるオーク族の少年。ただ事ではないと、お互いの顔を見合わせたクラスメイト達は、急いで彼の元へと駆け付けようとしたのであるが、あることに気がついてすぐにその動きを止める。

 地面を転げまわるオーク族の少年のすぐ横には、一人の別の少年の姿があった。

 満身相違の人間族の少年ではない。カミオやその取り巻き達でもない。このクラスに在籍しているクラスメイトの一人でも勿論ない。

 さらさらの金髪にエルフ族特有のとがった長い耳、遠くから見ても抜けるような白く美しい肌に、猫のように少しばかりきつい切れ長の目、小さな顔にはいたずらっこそのものの笑顔。一見すれば極上の美少女であるのだが、その人物は女子生徒が着用を義務付けられている制服を着てはいなかった。

 白いカッターシャツを肘のあたりまで奇麗にまくりあげ、紺色のスラックスに同じ色のごついバッシュを履いたその『人』物は、無邪気な、いや無邪気すぎる笑顔を転げまわるオーク族の少年のほうに向け、あたまをかきながらてへへと笑って見せるのだった。


「いや~、ごめんごめん。大きいから多少乱暴に扱っても大丈夫だと思ってさあ、つい力いっぱいやっちゃったらへし折れちゃった。いやあ、見事に逆方向に曲がっちゃってるねえ」


 その内容とは裏腹に、どう聞いても全然悪いとは思っていない口調でオーク族の少年に軽く謝ってみせた謎の男子生徒だったが、すぐにその表情を引き締めるとカミオ達のほうへと向け直す。


「しかしよ、詳しい事情も聞かずに集団リンチしようなんていうふざけた野郎どもにはこれくらいでちょうどいいと思うんだよな。お前達はそう思わないか?」


「だ、誰だ貴様」


 引きつった表情で問いかけるカミオに対し、少年は連夜を守るようにして立ちはだかりニヤリと笑みを浮かべる。


「通りすがりの暇人さ。さぁ、今度は俺と遊ぼうか、差別主義者のくそどもっ!」


 宿難 連夜の義兄弟(ブロウ) クリス・クリストル・クリサリス・ヨルムンガルド推参!

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