第十八話 『闇は蠢き、光は歩き出す』
すいません。どうしてもずっとシリアスな展開は耐えられないんです。
笑いが・・・笑いがないと。
真昼と錯覚してしまいそうになるほどの眩い光に包まれた部屋の中、その光に負けないくらいきらびやかなオーラを放つ八人の男女の姿がある。全員が全員、最上位に位置する上位種族の者達ばかり。みな、自分達が上流階級のものであることを誇示するかのように、オーダーメイドの一流ブランド品を身につけている。
古代エルフ族の名匠がこしらえたという木目調の大きな円卓を囲むようにして座る彼らの顔には、穏やかで優雅な笑顔。だが、その眼は全く笑ってはいない。お互いを見詰める眼差しの中には、とても友好的とはいえない毒々しい光が満ち溢れている。
しかし、彼らはお互いの視線の中に含まれた猛毒に全く気がついていない風を装い、本心とは真逆のことを口にする。
素顔を晒して見せてはいるが、誰一人として心の中にある本当の顔を見せる者はいない。
美しくも眩しい光の下に集まってはいるが、彼らは全員、下水道の中よりももっと汚く暗い世界に生きる者達であった。
「さて、予定の時刻になったことですし、そろそろ定例会議を始めようと思うわけですが、その前に」
八人の男女の中からすくっと立ち上がったのは、背中に大きな美しい白鳥の羽を持つ纏翅族の若い女性。彼女は一旦、残りの七人を見渡していつもの会議の開会を宣言しようとしたが、途中で言葉をきって一人の壮年の男性の前で視線を止めた。
そして、なんとも優雅な仕草でゆっくりと腕をあげ、そのたおやかな指先を男性へと向ける。
「このたびの大失態についてカミオ卿にご説明をいただきたいのですけれど」
優しげな表情とは裏腹に、その口からこぼれ出た言葉は永久凍土を吹き荒れるブリザードの如き冷たさ。そんな絶対零度の言葉を投げかけられた壮年の男性は、すぐには返事を返すことができず、五十代とは思えぬ若々しい顔を引きつらせ、体を強張らせるばかり。
なんともいえない嫌な空気が光の部屋の中を充満し始めるが、他の者達に全く気にするような様子はない。むしろ、面白い余興が始まったというような表情で、対峙する二人を楽しそうに見守っている。
「私が失態を犯したわけではない。そのように言われるのは甚だ不本意だ」
「ですが、例の中央庁特務機関に更迭されたパターソンはあなたの配下だったと記憶していますが」
「元々使い捨ての駒だ。大したことは知ってない。どうということはない」
殊更ゆっくりとした口調で、大物ぶって回答してみせる壮年の聖魔族男性。だが、他の者達からしてみれば彼の内面は全く隠し切れておらず、必要以上に動揺しているのが丸わかりだった。
「そうですか? ですがすでにカミオ卿の身辺に調査の手が入っているという情報が入ってきていますけど?」
クジャクの羽根でできた扇子でその美しい顔を隠しつつも、皮肉たっぷりの口調は全く隠そうともせずに追及してくる龍族の女性の言葉に、カミオと呼ばれた壮年の聖魔族は顔面を青白く変化させる。
カミオは、自分の部下が中央庁の役員に捕まったという情報を得た後、すぐに行動を起こし、火消しに努めてきた。
その挙動は決して遅くはなかったし、対処にもぬかりはなかったはず。だが、それは他の犯罪組織や、各種族が保有している私設軍隊など、民間レベルでの相手の場合の話。
今回の場合、あまりにも相手が悪かった。いや悪すぎたというべきか。他の仲間達がどこまで知っているのかわからないが、実は今、彼は非常に悪い立場にいる。隠すとか隠さないとかいうレベルがとうに過ぎ去った状態なのだ。
はっきり言えば、彼は追い詰められていた。それも、破滅の一歩手前までだ。
重苦しい沈黙が続く中、やがて、禿げあがった頭頂部から二本の角を生やした壮年の龍族の男が口を開く。
「やめなさい妃殿下。ここで嫌味を言ったところで何も事態は好転しやせん」
「しかし高級殿。ここで責任の所在をはっきりさせておくことは肝要かと」
「事は既に仲間内でいがみあっていられる段階じゃないのだよ。早急に手を打たねばこちらに飛び火してくることは明白だ。それほどまでに事態は最悪なのだ」
高級と呼ばれた龍族の男の言葉に、一瞬、薄笑いの波が広がる。
それは彼自身をあざ笑ってのことではなく出来の悪い冗談を聞いたという反応であったが、しかし、彼の表情が依然として憮然としたままにあり、そして、かつてないほどに真剣味を帯びていることを知ってすぐに場は静まり返る。
「叔父上、それは真のことで?」
「ああ。パターソンのことはたまたま表ざたになった氷山の一角にすぎん。一番被害の大きいカミオ卿には説明の必要はないだろうが、私も含め既に組織に甚大な被害が出ているのだよ」
テーブルの上に肘をつき、重ねた拳の上に己の額を乗せる高級の言葉に、一同は息を呑む。
今日の会合がそこまで深刻な内容を含んだものであったとは、夢にも思っていなかったのだ。
「ぐ、具体的には」
「外区に展開している組織の私的鉱山や農園が何者かによって壊滅させられたり、乗っ取られたり」
「奪還部隊を派遣しないのですか?」
「既に中央庁の役人どもが張り付いておるわ」
「まさか裏で手引きしているのは・・・」
「中央庁が関わっているかどうかはわからんがな。少なくとも、わしらにちょっかいかけてきている者の中に、間違いなく奴隷種族の反乱分子どもがいるのは確かだろうよ」
「叔父上、どういうことですか? やつらの始末は進んでいるのではないのですか?」
沈痛な面持ちで答える高級に追及の声をあげるのはまだ二十歳前後と思われる美しい龍族の姫君。
「おまえとて知っているだろうが。奴らがゴキブリのようにしぶとく、そして、なかなか影に引っ込んで姿を現さないことを。おまえ達、『A』も奴らの手掛かりを全く見つけ出せていないというではないか」
「ぐ、ぐむ、それは言われると面目次第もございません」
「それに最近、王宮内で我々に反抗する勢力が大きくなりつつある」
苦渋に満ちた表情で絞り出すように呟く高級。最早そこに、現在の事態を隠そうという意思は見受けられず、だからこそそれが紛れもない真実とわかる。出席していた者達は今更ながらに凄まじく最悪な事態に陥っていることを悟るのだった。
「龍王・・・ではないですわね。あの腑抜けにどうこうできるとは思えませぬ」
「うむ。諸君も知っての通り我が兄者はあのようなお方であるからな、未だに我々のことについては気がついておらぬ。厄介なのは愚弟のほうよ」
「もう一人の王弟『尊輝』殿ですか」
「ああ、最近やたらとわしの周りを嗅ぎまわっていてな、うるさくてかなわん。中立を表明している者や中央庁の役人と接触している姿を目撃した者もいる」
「早急に手を打たないといけませんぞ、叔父上」
「わかっておる。わしが手を打ってないとでも思っておるのか?」
「それでは!?」
ここにきて初めて高級は笑みを浮かべる。ぎこちなく醜い笑みではあったが、少なくともそこの弱気な色は見えない。
「北方諸都市の中でも特にその名を馳せる闇の掃除屋『手』の者達に既に依頼してある。愚弟『尊輝』とその周囲の側近達を綺麗に始末するようにな」
その言葉に出席者達は安堵の笑みを浮かべる。
闇の掃除屋『手』。
上級種族の中でも特に異能の持ち主ばかりで構成された凄腕の暗殺集団。
今まで一度としてその依頼をしくじったことはなく、相手がAクラス以上の傭兵やハンター達だったとしても逃れることはできないという。
これならば大丈夫。そう一同は胸を撫でおろしかけたのであるが。
しかし。
ただ一人、首を傾げたものがいる。
相変わらずクジャクの羽根でできた扇子で顔を隠す龍族王妃、その人だ。
「高級殿。そなたを疑うわけではないが、それは間違いないのかえ?」
「わしが信じられぬと申されるか、妃殿下?」
「高級殿が信じられぬというよりも、その『手』とか申す掃除屋がのう」
「北方諸都市で一、二を争う凄腕ぞ?」
「お忘れか、高級殿。そう言うて、我々は百回もしくじり続けたことがある。そして、結局それは成功せなんだ」
「廃王子の件か」
王妃の言葉に苦い過去を思い出した高級。忘れようとしても忘れられることではない。だが、あまりにも苦い思い出故にわざと考えないようにしていたこと。
そう彼らには、ある人物に対し暗殺者を送り続けて結局失敗したという苦い過去がある。
その送り続けた回数、実に百回。どう考えても異常な回数である。暗殺なんて代物は、余程条件がよくない限り指示する者にとっても行う者にとっても非常にリスクの大きい代物である。例え首尾よく成功したとしても、誰かに気がつかれて怪しまれてしまっては元も子もない。当然そうならないよう、彼らは最初に指示を出す一番トップの人物と、暗殺を実行する者との間にいくつもの仲介をかませる。こうすることで、誰かに気がつかれたり、あるいは暗殺そのものを失敗してしまった場合に、実際に指示を出した者にまでたどり着けないようにするのである。
裏社会と繋がる権力者達がよく使う常套手段。
だが、そのことが百回もの愚行に走らせる原因となってしまった。
最初に指示を出したのは高級ただ一人。暗殺計画を企てたのは王妃、高級、そして、王妃の愛娘かぐやの三人であるが、実際に指示を出したのは高級ただ一人。
しかし、それを受けた彼の側近達は、万全を期するためにいくつかの犯罪組織にそれを依頼し、更に犯罪組織のリーダー達は、自分達の息のかかった者達にこの大仕事を完遂させるべく、更に多くの者達に指示を出す結果となってしまった。
それで、その中のいずれかが成功していればまだ良かったのである。
だが、一人として暗殺は成功しなかった。誰一人戻ってはこなかったのだ。この結果に組織の幹部達は慌てふためいた。彼らは彼らの依頼者が、仕事を失敗する者に対して決して寛大ではないことをよく知っていたからだ。彼らは自分達が派遣した者達が仕事を失敗したことを、上に報告しなかった。
代わりに別の者を派遣し、失敗した仕事をなんとか成功させようとした。
だが、結果は同じ。やはり誰一人として帰ってはこない。
それが幾度となく繰り返された。複数の組織の者が、複数の暗殺者をたった一人の標的に対し一度に派遣する。そんなバカことが繰り返されたわけである。
普通なら、執拗に繰り返されるその暗殺劇の中、標的はいずれ殺されるはず。だが、そうはならなかった。
やがて、いつまでたっても結果が現れぬことに苛立った高級が、側近達に問い質し、とうとう事は露見する。
あまりにもあまりな内容の報告に、しばらく開いた口が塞がらなかった高級であったが、これ以上馬鹿をさせ続ければ自分の首を絞めることになりかねない。暗殺が失敗したことはあまりにも業腹であったが、背に腹はかえられず、高級は暗殺に加わった末端の者達を闇から闇に切り捨てて、暗殺を諦めることにしたのだった。
その苦い過去については、今日ここに出席している者達全てが承知している。
それだけに出席者達は無言のまましばらくの間顔を見合わせていたが、やがて、苦虫を噛み潰したような表情となった高級が口を開く。
「前回のことがあるゆえ、今回はわしが直接『手』に依頼した」
「よろしいのですか? 万が一の場合、御身が危うくなりますが」
「構わん。そもそもあの暗殺結社の創設にはわし自身が関与しておる。どのみち、奴らに何かあれば無傷ではおれん。それに今回のことは是が非でも成功してもらわねばならないからな。これくらいのリスクは承知の上だ」
心配そうな視線を一身集めながらも、高級はあくまでも余裕の態度を崩そうとせずあくまでも強気にそう言い張る。
だが、禿げ上がった彼の頭頂部からはとめどなく汗が流れ落ち、とてもではないが平静であるようには見えない。
そんな彼らの視線に耐え切れなくなったのか、やがて、高級は彼らから視線をそらせる。
「依頼を出してからまだ一カ月経たぬ。仮にも我々最上級種族龍族の要人を殺害するのだから、そう簡単にはいかぬはず。期限は三カ月としていた。そんなにすぐ結果が出るとは思えぬが一応、途中経過を聞いてもよかろう」
そう言って懐から金色の趣味の悪い携帯念話を取りだした高級は、震える手でルーン番号を入力し発信キーを押下する。
コール音が鳴ること二回。念話は向こう側と接続された。
「わわわわしだ。現在の状況を聞きた・・・」
繋がるや否や落ち着きのない様子で自分が知りたいことを慌てて聞き出そうとした高級であったが、残念ながら彼の期待していた答えは返ってはこなかった。
返ってきたのは、彼が一番聞きたくなかった言葉。
『お掛けになった念話番号の暗殺組織は本日をもちまして営業を『強制的』に終了させていただきました。長らくのご愛顧ありがとうございました。次回はそちらの営業を『強制的』に終了させていただきに参りますので、何とぞよろしくお願いいたします。本日のお念話ありがとうございました』
念話から聞こえてきた女の声は、一方的にそうしゃべった後、高級の返事を待たずに通話を切った。
後に残された高級は、携帯を握りしめてまましばらく動くことができなかった。
八人もの人がいるにも関わらず部屋の中は不気味に静まり返り、携帯から聞こえてくる無機質な通信エラー音だけが鳴り続ける。
いつまでもいつまでも。
同時刻。
城砦都市『嶺斬泊』から北に少し歩いたところ。大河『黄帝江』のすぐ近く。
膝上まである緑の絨毯に覆われたその場所を、一人の少年がぼんやりと眺めている。
月明かりの下、風に吹かれて波のようになびく緑のカーテン。
一見、幻想的な風景である。
しかし、緑の中から時折飛び出し不気味な虹を描く赤い飛沫が、そんな心和むものではないことを物語っている。
目に映るものだけではない。はっきり聞こえてくるいくつもの悲鳴。
そして、何かを切り裂き、食らい、咀嚼する音。
それらを冷たく見下ろし続ける少年。
やがて、風すらも止み、何も聞こえず、何も動くモノが見えなくなったことを確認した少年は、凄まじく不気味な笑みを浮かべて懐から携帯念話を取り出した。
「終わりました。ええ、そうです。綺麗さっぱりです。流石上級種族だけで構成されると言っていただけのことはありますね。一人として逃げられませんでした。あれだけ異界の力を垂れ流していたら、そうなるのは当然なんですが。異界の力を遮断する装置も衣裳もなしでは流石に無理ですね。ふふふ。まさか彼らも拉致られてこんなところに放り込まれるなんて思ってなかったんでしょうね。俺は今まで何十人と殺してきたとか恥ずかしいことをさも自慢げに言っていた大の大人が、恥も外聞もなく泣き叫んでいましたよ、ふふ、ふふふふ」
邪悪の化身そのものといった笑顔を浮かべるその少年は、自分に近寄ってきた猫のような生物をそっと抱きあげる。猫は嫌がる様子もなく少年に抱きあげられ、『にゃ~ん』などと平和に鳴いている。
少年は、猫の顔を覗きこみ、そして、邪悪な笑みを深くする。
月明かりに照らし出された猫の顔。無邪気な鳴き声とは対照的に、その真っ赤に染まった顔は少年と同じくらい邪悪な色をしているのだった。
少年は、猫を一撫でした後、下へと下ろす。猫は、一度だけ少年を振りかえった後、その六本の足を器用に動かして草原の中へと消えていった。
「そうですか。わかりました。では、後のことは『托塔天王』と『葛柳会』の皆さんにお任せします。ええ、そうですね。姫子ちゃんのことはこちらで対処できると思いますので、『バベルの裏庭』の関係者のほうはよろしくお願いいたします。はい。はい。お手数をおかけしますが・・・え? いや、一応公私はわけないといけないでしょ? そんなことないって、姉さんのことはすごく頼りにしてますよ。いや、言葉だけじゃないですって。ええ。ええ、そうですね。また近いうちに。はい、必ず。では」
携帯念話の向こう側にいる大事な姉との会話に一瞬だけ邪悪な笑みを消した少年であったが、携帯の通話が終わると同時に再び邪悪で冷徹な表情へと戻る。
そして、血に塗れた草原を睨みつけ怨念と憎悪の籠った呪いの言葉を吐き出した。
「沈め。闇に沈め。影に沈め。夜に沈め。絶望と恐怖をその身に刻み、二度と戻れぬ無明の中に落ちるがいい。貴様らにかける慈悲は一かけらもない」
返って来る答えはない。
再び風が静かに流れ出すのみ。
少年はもう一度草原を睨みつけた後、そこに背を向けて歩きだす。
そこに迷いはない。自分が今しでかしたことを少年はよくわかっている。それがどれほどの重みのあることか、彼はよくわかっている。わかっているが、決して後悔はない。自分が決して正しいことをしているとは思ってない。だが、その答えを出したのは他でもない自分であり、そして、その結果を彼は一生背負って生きていくのだ。
例え誰にどれほど非難されようと、彼は今日自分がしたことを後悔することはないだろう。
その為に、仕事の最後は彼一人だけで行い、見届けたのだ。
誰にもそんな重荷を背負わせたくなかったから。そんな思いをするのは自分一人でたくさんだと思ったから。
だが、そんな少年の内面を見透かしたかのように、結局全部を一人でやることはできなかった。
「もう、いつまでそんな怖い顔しているんですの? なんだか物凄くやな感じですわ」
少年の頭から聞こえてくるのは、かわいらしい一人の少女の声。
小さくかわいらしい姿には全然似合っていない迷彩色の軍服を着用し、ちょこんと少年の頭の上に座りこんでいるのはモモンガの少女。
勿論、それは姫子である。
「姫子ちゃん。あのねぇ」
「なんです? 何か文句でもあるんですの?」
「あるよ、ありまくりだよ。まあ、全部終わってから口に出す僕も僕で、今更感いっぱいなんだけどさ。なんだって、ついてきちゃうのさ。外区なんだよ? 危ないんだよ?」
「あら、今の私は、連夜と同じで異界の力なんてこれっぽっちもありませんから、『害獣』の標的にはなりませんことよ」
「『外区』をうろついているのは『害獣』だけじゃない。危険な原生生物だっているんだ。それなのに、『Z-Air』も身につけず、はるかちゃんやミナホちゃんまで連れてこないなんて」
「だって、相変わらず『Z-Air』の調子がよくない上に、仁おじ様はドナおば様の出張に同行してしまわれたからメンテしていただけないでしょ? はるかやミナホは今回の暗殺結社のところで押収した情報の整理に駆りだされていますし」
「じゃあ、留守番してたらいいじゃない。なんで僕についてくるわけ?」
「それはその、久しぶりに二人きりになれるし・・・ごにょごにょ」
「え? 何、いまいちよく聞こえなかったんだけど」
「な、なんでもないですわ。そ、それにその・・・そうです、連夜、この後直接学校に行くつもりなんでしょ?」
「そろそろ朝の五時だしねぇ。畑に行くには遅すぎるし、かといって家に帰っていたら間に合わないし」
「私も連夜と一緒にいきますわ」
「はぁっ!? え、ちょ、その姿でついてくるの?」
「はい」
「ダメじゃん! ばれたらどうするのさ!?」
「大丈夫ですわ、連夜のカバンの中で大人しく寝ていますから」
「いや、カバンの中で寝るつもりなら、大人しく家に帰ってベッドで寝ればいいでしょうが」
「私一人で? この姿で帰れと仰るの?」
「うぐ、それは確かに、危険か、でもそれなら僕の家に立ち寄って、しかし、それだと学校に間に合わない」
「うふふ。やっぱり一緒に学校に行くしかないようですわね」
「あ~、もう、何かあったらどうするのさ」
盛大にため息を吐いてがっくりと肩を落とす少年。勿論、それは姫子を心配するが故。それがわかるから、姫子は嬉しさを隠しきれずに満面に笑みを浮かべる。
ひらりと頭から肩へと滑り下りた姫子は、彼の顔に・・・彼女の大事な幼馴染、連夜の顔に抱きつくのであった。
「私のこと心配してくれるのね。ありがとう、連夜」
「当り前でしょうが。それとも心配しないほうがよかった?」
「ううん。そんなことない」
「あのさ、お礼はいいから、心配させない方向でなんとかしてくれない?」
「連夜が心配させない方向でなんとかしてくれたら考えてあげてもよくってよ」
連夜の肩にちょこんと座り、自分の真横にある彼の頬に自分の顔を嬉しそうに摺り寄せる姫子。毎日のように畑仕事をしているせいか日に焼けて彼の頬はごつごつしている。また、ついさっきまで荒事をしていたせいか、ところどころ泥や土がこびりついていて体をくっつけただけで服が汚れてしまう。
でもそんなことはどうでもよかった。
雲ひとつない夜空には美しくも優しい色をした三日月と、それを取り囲むようにして輝く星々。すぐ横を流れる大河から流れてくる風はどこまでも穏やかに、柔らかい草花の匂いを運んでくる。
静かな夜に、今、姫子は一番大好きな友達と二人きり。
「連夜」
「なに?」
「呼んでみただけですわ」
「なにそれ」
「うふふ」
上機嫌な様子で連夜の頬に更に自分の顔を摺り寄せる姫子。そんな姫子の様子になんともいえない表情を浮かべる連夜であったが、それでも立ち止まることなく黙々と城砦都市目指して歩みを進めていく。
何度も何度も往復を繰り返してきた道。
迷うことなどありえない端から端まで知り尽くした道をただ、淡々と歩いていく。
舗装などほとんどされてはいない。獣道同然の細く長い道。石ころや窪みがあちこちにあり初めて歩く者にはかなり厳しい道。『人』は誰もいない。『獣』もいない。『害獣』ですらいない。
どこまでも静かな道の中、連夜と姫子のたった二人。
「ねぇ。連夜」
「なにさ? また呼んでみただけ?」
「うふふ。それもいいけど、今回は違います」
「ん、じゃあ、何さ?」
「連夜は、何でもかんでも一人でしようとしすぎだと思いますわ」
「突然何? 何の話?」
振られた話の内容の意味がわからずに思わず困惑の声をあげる連夜の姿を見て、姫子はころころと鈴のような声で笑い声をあげる。だが、すぐに笑い声を引っ込めると、少し真面目な表情になって口を開いた。
「叔父上を助ける為に、手を貸してくださったことについては感謝しています。本当よ。いつも連夜には感謝しているの。お兄様や、ミッキーのこと、はるかやミナホ達『葛柳会』のみんなこと。いつもいつもお世話になってばかりで申し訳なく思ってるわ」
「全部自分の為にやってること。君に感謝される謂れはないよ」
「ううん。そんなことない。少なくとも私は命を救ってもらった恩がある」
「たまたまだよ。本当に運がよかっただけ。君が倒れていたところに僕が通りかかった、それだけのこと」
「素通りしたってよかったはずじゃない」
「見てなかったらまだしも、目の前で死なれると目覚めが悪い。ただそれだけ。気まぐれで助けただけ」
「もう、連夜!」
何を言っても淡々とした口調で否定し続ける連夜に、流石の姫子も怒鳴り声をあげる。だが、当の本人に気にする様子は全くない。相変わらず同じ歩調で、姫子を乗せたまま歩き続ける。そんな連夜をしばらくの間睨みつけていた姫子であったが、やがて諦めたように肩の力を抜いて溜息を吐き出す。
「本当に頑固なんだから」
「事実なだけだよ」
「全然事実じゃないですわ。ともかく、感謝はしているの。本当に本当なんですからね」
「ああ、そう」
「ああもう、ああもうもう!!」
「ちょ、歩いているときに『ぐ~パンチ』連打はやめてくれる」
あまりにも反応が素っ気無いことに腹を立てた姫子は、そのちっちゃい手で連夜の頬をぽかぽかと殴りつける。モモンガの姿の彼女はまったく力がない。なので、全然痛くはないのだが、思った以上に鬱陶しく、連夜はすぐに白旗をあげることにした。
「わ、わかったわかった。姫子ちゃんの感謝の心を受け入れます。受け入れさせていただきます。これでいいでしょ」
「あんまり素っ気無い態度取り続けると泣きますからね。本気ですからね」
「わかったってば」
「いっつもそうですわ。そのときだけ『わかった』って言うんですから」
ブツブツ文句を呟きながら連夜の顔を、小さな体で抱きしめる姫子。そんな姫子に、皮肉の一つも言ってやろうと口を開きかけた連夜であったが、彼女の目に涙が光っているのを見つけて慌ててその言葉を飲み込むと、誤魔化すように別の言葉を紡ぎだす。
「あ~、ごほん。で、僕が一人でどうしたっていうのさ」
「え、あ、えっと。ああ、そうそう。連夜はなんでも一人で背負いすぎなんです。今回の暗殺騒動だって、別に連夜が出張る必要はなかったじゃないですか。確かにドナおば様や、仁おじ様は出張でいらっしゃらなかったですけど、美咲さんや鳶影さん達メインメンバーはいらっしゃったんですし。あの人達に任せても全然問題なかったでしょ?」
「まあね。今回僕、ほとんど何もしなかったしね。強襲拉致作戦は鳶影さん達隠密部隊の独断上だったし、アジトの調査は美咲姉さん達諜報部隊がさらえる情報全てさらっているみたいだし、後始末は工作部隊の方達が滞りなく行っていたみたいだしねぇ」
「最後までお任せすればよかったのですわ。それなのに処刑の見届け人だけ引き受けるだなんて」
「僕だけ何もしないで終わるわけにはいかないっしょ。幸い、処刑場のことなら端から端まで熟知しているし、僕なら安全にあそこを使うこともできる。一石二鳥じゃん」
「だからって、そんな、一番汚い仕事を」
「姫子ちゃん」
突然歩みを止めた連夜は、肩の上に座る姫子の体をそっと片手で掴み上げると、両手の上に救い上げるようにしてもち、目の前へと移動させる。
姫子は、幼馴染の声の温度が急速に冷えるのを感じ、また、自分の視線の先にある幼馴染の黒い瞳が闇色に染まるのを見て、体を強張らせる。
「れ、んや?」
「それが僕の仕事なんだよ。誰もやりたがらない。誰もが目を背ける。誰も関わってはいけない。そんな仕事が僕の仕事なんだ」
「そんなこと、どうして、いやだ。なんで連夜だけがそんな」
手の平に座る小さな少女が両手で顔を覆って静かに泣き出すのを見詰めるのは、深き夜闇の魔人。
憎しみ、怒り、悲しみ、そして、たくさんのうらみつらみが渦巻く闇の瞳で彼女を凝視する。犯罪者達はその瞳の奥に、己が成してきた悪行の数々を見つけて恐怖する。だが、目の前の少女は、一片の恐怖も感じてはいない。ただただ、何かを悲しみ泣き続けるだけ。その姿を見た魔人は、深い溜息を吐き出した。
そこには憎しみも、怒りも、悲しみも、そして、うらみつらみもない。ただ、少しだけ普通よりも温度の低い優しい色が見えるだけ。
魔人は魔人であることをやめて再びただの幼馴染へと戻る。
「僕はそれでいいんだよ。僕の歩く道は夜の闇の中にしかないんだ」
「いやだ、それじゃ、私は一緒に歩けないじゃないですの」
「姫子ちゃんは昼の光の中を堂々と歩いていけばいいんだよ。だって、姫子ちゃんはお日様の光から顔を背けるようなことはしていないじゃないか」
「わ、私だって、昔はいろいろと悪いことをしていましたわ」
「子供のしたことだよ。多かれ少なかれ、誰だって経験することさ。一回もいたずらをしたことのない子供なんていやしない。例えいたとしても、その子供には何がといいことで何が悪いことが判断できないと思う。姫子ちゃんの場合、ちょっといたずらの度が過ぎただけ。だから、今の姫子ちゃんは、ちゃんと何がといいことで何が悪いことが判断できるでしょ?」
「それは、できますけど、でも」
「だからもう、姫子ちゃんは僕についてきちゃダメだ。ここは姫子ちゃんが来るところじゃないんだ。僕と姫子ちゃんは進むべき道が違う。君が生きるべき場所は光の中。僕が生きるべき場所はその反対なのさ」
そう言った連夜は、姫子の返事を待つことなく再び彼女を自分の肩の上へと移動させ、そして、また歩き始めた。
姫子はしばらくの間、何かを言いたそうに何度も口を開いたり閉じたりさせていたが、連夜の目が会話を拒絶していることを知って口を閉じる。
そうして、しばらくの間二人は無言を貫いていたが、やがて、城砦都市の門が見えてきたところまで帰ってきたとき、姫子は独り言を呟くようにして自分の思いを紡ぎだした。
「私は、連夜と一緒の道がいいですの」
「ダメだよ。もうじき君は、本来の体を取り戻すんだから。そうして、もう一度『龍乃宮 姫子』として生きていくんだ。強化外骨格なんて偽者の体でできた『龍乃宮 瑞姫』でもなく、モモンガの『ひ~こ』でもなく、正真正銘、龍の一族の姫君『龍乃宮 姫子』としてね」
「でも、本当に戻れるのでしょうか」
「戻れる。ううん、必ず戻してあげる。絶対に元の君に戻してあげる」
「でも、そうすると、今の『姫子』はどうなっちゃうのでしょう。自分を姫子と信じているあの子は。私を妹の『瑞姫』と信じているあの子は。いったいどこに行くのでしょう」
連夜の肩の上から頭上の月を見上げる姫子。
頭に浮かぶのは自分の姿をした別の自分。過去に彼女が切り捨てた破壊衝動の化身。大事な幼馴染を傷つけようとし、彼女自らその拳を振るった許せない敵。だが、そんな相手でも心のどこかで姫子は彼女を愛していた。
「私が体を取り戻したら、彼女は消えてしまうのでしょうか」
悲しみと哀しみに満ちた声で姫子はポツリと呟いた。
本当の『自分』を差し置いて『自分』として生きている分身に、怒りや憎しみを感じていないわけではない。
だが、彼女がこの世に生み出された原因は自分にあるのだ。
哀れであった。本当の自分が何者であるかを知らず、王妃や高級達の道具として生きる彼女が哀れで仕方がなかった。
きっとそれは傲慢以外の何物でもないとは思う。
どうあっても自分は自分の体を取り戻さなくてはならない。彼女を支えてくれるたくさんの人達の思いに応えるためにも、それは絶対に成し遂げなくてはならないこと。
だが、それでも、もしできることならば・・・
「彼女を助けたい?」
いつからなのか。姫子は幼馴染が自分を覗き込んでいることに気がついた。
その瞳には先ほどまでの殺伐とした光はない。怒りや憎しみの宿る闇もない。いつもの穏やかで優しくて温かい何かが浮かんでいるのだけが見えた。
姫子は、しばらくその瞳をじっと見詰めた後、無言のままこっくりと頷いて見せた。
「わかった。正直、この五年間まったく成長がみられないようだったから闇に滅してやろうと思っていたけど、君がそこまで気にしているならできるだけのことはやってみるさ」
「連夜、あの、あ、ありがと」
「いいさ。友達だろ」
最後に浮かべたのは優しさの欠片もない邪悪な笑顔。だが、その瞳の奥に映る何かはずっと変わっていないことを姫子は知っていた。
だから、何のためらいもなく彼の顔に再び姫子は抱きついた。
「本当にありがとう連夜。やっぱり。やっぱりね、私、あなたと同じ道じゃなくちゃダメなの。『あいに~どうぉんちゅ~』なの」
そんな姫子に連夜は、笑みを深くしながらこう答えるのだった。
「僕だって君のことを『あうとおぶがんちゅ~』だと思ってるよ」
自分の顔を抱きしめる小さな姫子の背中に、そっと片手を添える連夜。
西の果てへと消えていくわずかのとき、月が二人を優しく照らし出していた。
「って、ちょっとまって、あれ? れ、連夜? なんか、あれ? 欲しかった答えと違うような気がするんですけど。ねぇ、ちょっと、連夜? どういうこと? ここは綺麗に終わるところじゃないの? あれ? あれれ? え、れ、連夜? なんで、顔を背けるの? そして、どうして邪悪な笑い? ちょ、れ、れんやぁぁぁぁっ!?」
すいません、これが連夜(邪悪モード)クオリティなのです。