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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
143/199

第十六話 『女王様の恋人』 その4

 以前、リンは『好きな女はいないのか?』と、いつもつるんでいる二人の友人達に尋ねたことがあった。

 それはいよいよ思春期となり、本格的に異性が気になる年頃になった中学二年生時のこと。

 当時、いつもつるんでいるもう一人の友人ことが気になって気になって仕方なくなっていたリン。

 本当は、その目当ての友人に直接今の恋愛状況を問い質したかったのだが、流石にそんな勇気はない。二人に問い掛ける形で自分の真意は誤魔化しながら、その実、心の中では真剣に二人の答えに耳を澄ます。

 最初に口を開いたのはリンの目当ての相手。

 心から興味ないと言った表情に口調でこう答えた。


『そんな相手はいないし、しばらくは作る気もない』


 多分そうだろうなとは思っていた。

 いろいろな苦労を背負い、毎日を生きることだけで必死な彼なら、きっとそういうと思っていた。

 リンが思っていた通りで予想通り。


(それほど気にしていたわけでも心配していたわけでもなかったけどな)


 そのとき、思わず心の中でそう強がってみせたリン。

 しかし、実際にはあまりの安堵に号泣寸前の状態。ここのところずっと、彼に思い人がいたらどうしようと悩み苦しむ毎日で、食事は喉を通らず、夜もろくすっぽ眠れてなかったのである。

 彼の性格もその交友関係もよくわかったいたので、そんなことはない。絶対大丈夫と思ってはいたが、それでもやはり一抹の不安を拭い去ることはできない。

 悶々としながらも直接問い質す勇気がなかなかでなかったリン。

 ようやく今日、誤魔化しながらもなんとか勇気を振り絞って質問を口にし、彼の口から真意を確認することができた。

 答えはリンの望んでいたベストのものではなかったが、とりあえず、十分安心できる答えであった。

 もう嬉しいやらほっとするやら。直後にある出来事が発生しなければ、リンはその場にしゃがみ込んで女の子のように泣きじゃくってしまっていただろう。

 そう、それはリンが目当ての友人から望んでいた答えを聞いた直後のことに起こった。

 もう一人の友人が口を開いたのだ。

 彼もまた、リンの質問に答えてくれたわけだが、その答えは完全にリンの予想外のものであった。


『僕にはいるよ。好きな『人』』


 あっけらかんとした口調で紡ぎだされたその言葉。

 それを聞いた瞬間、リンの目から零れ落ちそうになっていた涙が一気に奥へと引っ込んだ。

 思わず皿のように目を開き、その言葉を吐き出した人物を凝視してしまう。自分でも完全に相手を威嚇するように見ているとわかるような見詰め方をしているはずなのだが、見られている相手は全く動じる様子はない。

 ひょっとして自分の聞き間違いだったのだろうか?

 そう思って耳の穴を小指でほじってみる。しかし、毎日風呂に入って綺麗にしているので、汚れているはずもなく、さんざん耳の穴をほじくり返してみても、小指は綺麗なまま。ふと横を見ると大柄なもう一人の友人も自分と同じように耳の穴をほじっている。

 どうやらリンと同じく、自分の耳に飛び込んで来た言葉が信じられなかったようだ。

 それもそのはずである。

 三人の中で最も『恋愛』という言葉に程遠い存在であるのは彼だからだ。


 彼は、三人の中で最も頭が良い。

 勉強ができるという意味で頭が良いというわけではない。

 それは『知恵が回る』という意味でであり、それもどちらかといえばあまり褒められた意味での『知恵が回る』ではない。

 彼は恐ろしく『狡賢い』のだ。

 日夜、誰かを陥れるべく様々な策を練り、頭の中でそれを組み立て終わると労力を惜しむことなくせっせと罠を仕掛けて回る。

 口から出るのは常に冗談と皮肉ばかり。柔和な笑みの裏側で常に悪魔と死神の嘲笑を刻み続ける超危険人物。

 それがリンともう一人の友人が知る彼の本性だ。

 今まで恋愛の『れ』の字にかするようなことを一度として口にした一ことのない彼。


「えっと・・・今のって新しい冗談か何か? い、いまいちよく聞こえなかったんだけど」


 自分が聞いた言葉を到底信じることができず、リンは恐る恐る目の前の友人に再度問い質した。

 すると、友人はこれまた一度として見たことのないような恥らう表情を浮かべて見せた。


「いや、恥ずかしいから聞き直さないでよ」


「で、でもさ。いや、その、信じられない・・・じゃなくて、意外というか、予想外というか。すまん、もう一度だけ言ってくれないかな」


「もう。だから、好きな『人』ならいるって言ったのさ」


「「え、えええええっ!?」」


 隣に立つ巨漢の友人と共に驚愕の声をあげてしまうリン。そんな二人の反応に、バツが悪そうにしてみせる人間族の友人だったが、すぐにその表情を苦笑へと変える。


「まあ、自分でも柄じゃないとは思っているよ。年がら年中悪巧みを考えている悪党だって自覚はあるからね。そんな僕が恋愛がどうのこうのいうのは、確かに変だよね」


「いやいやいや。そんなことはあるとは思うけどないよ」


「そうだぞ。その通りだとは思うが、そんなことはない。いや、すまん、かなり失礼な態度をとってしまったな」


「いや、今の言葉だけで既に十分失礼だからね。なにその『そんなことあると思うけど、ない』って、どっちなのさ」


「「いやいやいや、ごめんごめん」」


 あまりに失礼な態度を取る二人に対し、本格的にへそを曲げだした友人であったが、リンともう一人の友人は謝り倒してなんとか彼の機嫌をなおさせることに成功。

 その後、彼が想いを寄せるという人物について聞き出すことができた。


 彼の想い人、それは彼の姉の親友で彼の三つ年上の人物だという。

 出身はある高名な上級種族。いいところのお嬢さんかと思ったリンであったが、友人は即座に違うとその予想を否定した。

 たしかに、その一族は他の種族よりもはるかに高い財力を有するということらしいが、残念ながら彼女は一族を統べる上位の者の家には生まれなかったとのこと。

 むしろその上位の者にいいように搾取される側の生まれで、幼い頃は一族の者達からそれはもうひどい目に合わされて生きてきたらしい。

 だが、あることがきっかけで北方諸都市でも有名な療術師と師弟関係を結び、その人を後見人とすることで一族との縁を切ることに成功。

 現在は都市中央にあるマンションで一人暮らしをしているそうだ。

 こうして、一方的に利用される地獄のような生活から解放され、『自由』を得た彼女。

 だが、いいことばかりではない。

 金銭的な援助がほとんど受けられなくなった為、あまり裕福ではない生活を続けているという。

 それでも彼女はそんな状況に屈せず、スーパーのレジのアルバイトから傭兵ギルドの危険な仕事まで、できる仕事はなんでもこなしてお金を貯め、都市の奨学金制度なども利用して高校に進学。

 恩師と同じ療術師になる為、今度は一流大学めざしがんばってるらしい。


「へぇ。そりゃ凄いな。美人なのか」


「勿論、決まってるでしょ。と、いいたいところだけど、種族によってその美醜は千差万別だからね。でも僕の中ではあの人以上に美しい人は知らない」


「おうおう。そこまで惚れこんでいるのか。姉ちゃんの知り合いだっていうし、もう、告ったのか?」


 からかい半分、やっかみ半分の言葉。

 だが、その言葉を口にした途端、嬉しそうだった友人の顔が一気に曇る。


「どうした?」


「いや、告白はしてない。と、いうかできないんだ」


「なんで?」


 わけがわからなかった。

 欲しいものはどんな手段を使ってでも手に入れる。どんな難題もあらゆる策を講じてし遂げる。目的を達成する為ならば、どんな卑怯な手でも使うことを辞さない。

 それがリンが知る友人。

 その友人の口から出た言葉は、リンが知る彼の性格から全く考えられないものだった。

 その思いはもう一人の友人も同じだったらしく、らしくなく気弱になってしまった友人に二人して詰め寄り、なだめすかして聞き出そうとすると、やがて彼はポツリとこう呟いた。


「両想いの婚約者がいるらしいんだ」


 その言葉に呆気に取られる二人。

 いつもの友人だったら相手がいようが、親が反対しようがあらゆる障害を排除して目的の人物を手に入れようとしたはず。

 なのにどうしてそうしないのか?


「あの人には幸せになってほしいんだ。その相手と一緒になることがあの人の幸せなのだったら、それを奪うのは嫌だ」


 リンはそのとき友人が浮かべていた笑顔を今でも忘れることができない。

 美しい笑顔だった。

 一年以上の付き合いになるが、その付き合いの中で最も美しい笑顔で、そして、最も悲しい笑顔だった。

 見ているだけでこっちの胸が張り裂けそうになる、そんな悲しみに満ちた笑顔。


「いいんだ。見ているだけで僕は満足なんだ。あの人が笑っている姿を見ているのが一番幸せなんだ。別に僕のことを一番に想ってくれなくてもいい。あの人が幸せならそれでいい。いや、それがいい」


 婚約者なんかどうでもいいじゃないか、奪い取ってしまえとけしかけてみたが、彼は迷わず黙って首を横に振り続け、結局、首を縦に振ることはなかった。

 ならば、その相手に自分の想いだけでも伝えてはどうかとも話してみたが、それにも彼は首を横に振る。


「最底辺に位置する『人間』の僕なんかに告白されたって迷惑なだけさ」


「なんだよそりゃ。それじゃ、おまえの想いはいったいどこにいくんだよ。相手の想いは婚約者に向けられ、表明しないおまえの想いはおまえの中にしかない。そしたら、その想いはどこに辿り着けばいいんだ?」


「どこにもいかないよ。どこにもいけない。でも、それでいいんだ。自分しか満足できない自己満足でも、それでも自分だけは満足できる。そして、それがあの人の幸せに少しでも繋がるならそれでいい」


「わからん。おまえの想いは全くわからない。俺ならどんな方法を使ってでも相手を手に入れる。そうさ、自分を無理に変えることになっても、相手を無理に振り向かせることになっても、どんな方法を使っても俺の想いを届かせる。絶対自分の中だけで腐らせたりしない」


「そうだね。リンならそうするよね。そして、それもまた正しいと思う」


「なら、おまえだって」


「僕には僕の貫き方がある。いいのさ、リン。僕のことを心配してくれていっているんだろうけど、僕には僕の進むべき道がある。君は君の道を進めばいい」


 こうして、リンと友人との話し合いはどこまでも平行線を保ったまま終わりを告げた。

 最後まで自分の考えを変えなかった友人。そして、最後まで彼の考えを理解できなかったリン。

 今でもリンは彼の考えが正しいとは思っていない。だが、あのとき彼の眼。その眼を今でもリンははっきり覚えている。

 その眼には悲劇的な結末しか見えていないはずなのに、どんな瞳よりも美しく輝いていたあの光。

 その眼を見てしまったがゆえに、彼の想いがよくわかってしまった。彼がその彼女のことをどれだけ大事に、そして、大切に思っているかを。

 きっと、彼はこの先、ずっと彼女のことだけを想って生きて行くのだろう。

 例え自分の想いが報われなくても、誰よりも頑固な彼は変節することなくそれを貫いていくのだろう。

 それがわかった時、リンは不器用な友人への親愛を更に深くしたのであるが。


「それなのに金髪の巨乳美女にあっさり鞍替えするって、おまえどれだけ節操ないんだ、このボケがぁ!!」


「ちょ、まっ、んぎゃああああああっ!」


 怒り狂ったリンは、倒れた友人『宿難(すくな) 連夜(れんや)』の上に馬乗りになると容赦ないビンタの嵐を吹き荒らす。


「そんなに巨乳が好きか? この脂肪の塊がそんなに好きなのか?」


「ストッ、げふっ」


「それとも金髪か? それとも色白美人がよかったのか?」


「誤解っ、ぶべっ」


「俺のだって負けないくらいデカイのに、気持わるいとかいいやがって。ここまでデカくすると重くてしょうがないんだぞ!」


「いや、それは僕のせいじゃないっしょ!?」


「しかも金髪で、色白で、スタイルよくてって、何それ? 結局、見た目だけか!?」


 悔し涙にその目を濡らしながら、延々と往復ビンタを繰り返すリン。

 肉体能力は人間並みの白澤族の上に女性化して腕力が相当落ちているため、派手な音の割には全然ダメージのない攻撃ではあるが、それでも連夜の頬はみるみるうちに腫れあがっていく。

 さて、ここで本来なら真っ先にこの狼藉を止めにかかるはずの人物がいるはずなのであるが、その人物は現在絶賛放心中。

 それというのも。


「れ、連夜くんに好きな人がいただなんて」


 リンの独白を横で聞いていた彼女は、過去の連夜に思い人がいたことを知って大ショックを受けてしまっていたのだった。

 現在、連夜が自分のことだけを愛してくれているという確信と、今の連夜の恋人は自分だけという自負はあるものの、だからといって過去のことはどうでもいいといいきれるほど、玉藻の心は強くないのだった。

 『武術家』としては都市屈指の強さを誇る玉藻。

 だが、『恋する乙女』としての彼女の強さは人並み以下。『呪いにして祝いなるもの』という強力な呪術で連夜を縛りつけなければ安心できないほど、こと恋愛に関して彼女の心は完全にチキンであった。


「どうしようどうしよう。もし、その昔の女が連夜くんを取り返しに来たらどうしよう。私、どうしたらいいだろう」


 真っ青な表情でその場に立ち尽くし、ぶるぶると体を震わせる玉藻。常に自信に満ち溢れ、冷静で凛としたたたずまいを崩さない普段の姿からは到底想像できないほどの弱々しい姿。

 ビンタされ続けている恋人を助けることもできずただただ、その場に立ち尽くすだけ。

 頼れるボディガードの援護がない今、連夜は一方的に友人の怒りの攻撃に晒され続けるしかないのだろうか?

 いや、そうではない。

 リンの放ったある一言が、連夜の心を奮い立たせることとなる。

 その一言とは。


「あの人のことを想うだけで幸せとかって、あの言葉は嘘か?」


 それだけは。

 それだけは聞き逃せない言葉であった。

 連夜はずっと忘れたことはない。彼女に出会ったときからずっと、一途に思い続けてきたのだ。

 その想いは今も昔も変わらず、そして、決して嘘ではない。

 だからこそ、連夜は立ちあがる。


「いい加減にしろっ!」


「ぬあっ!」


 往復ビンタを繰り返すリンの両手を咄嗟につかんだ連夜は、彼女の上体を思い切り引っ張って態勢を崩し、横に転がるようにして馬乗り状態から脱出。

 ごろごろと転がって相手から距離をとって離れると、立ちあがって友人の姿を睨みつける。

 そして。


「何も変わったりなんかしない。昔も今も僕は変わらない。僕が愛している女性はたった一人だけだ!」


 これ以上ないくらいに真剣な表情で放たれる絶叫。

 その気迫は凄まじく、リンは完全に圧倒されて一瞬返す言葉を失ってしまう。しばしの間、静寂が支配する時間が流れていく。リンはその静寂を再び破るだけの気迫をすぐに用意することができず、とりあえず黙って正面に立つ友人の姿を見返す。

 するとその友人の瞳に、かつてリンが見たあの光が宿っていることに気がついた。

 あのとき彼が、たった一人の女性だけを生涯思い続けると断言したあのときの光。しかし、なぜ、その光が再び現れているのかその理由がわからない。

 自分の想いが通じないことに絶望し、巨乳の金髪美女にあっさり鞍替えしただけではなかったのか?

 わからない。

 何もかもわからない。

 だからその真意を確かめなくてはならない。

 そう思ったリンは、もう一度その心を奮い立たせ眼前の友人に言葉の刃を向けるべく口を開きかけた。

 ・・・のであったが。


「おい、連夜それはいったい「今、なんていったの連夜くん。わ、わたし、よく聞こえなかったんだけど」・・・って、ちょっ」


 リンの言葉を遮り、それよりもはるかに強い口調で詰問するのは、ずっと放心状態だった玉藻その人。

 頬を真っ赤に染め、妙に上気した表情で連夜のほうを睨みつける。

 だが、連夜も負けてはいない。その瞳を真っ向から受け止めて再びハッキリとその想いを口にする。


「何度でも、いいます。昔も今も僕の好きな人はたった一人です。そして、その想いは全然変わってない」


 連夜の口からこぼれ出たのは『想い』というごくわずかな単語。

 誰の為の『想い』なのか、どんな『想い』なのか、どれほどの『想い』なのか、ほとんど語られてはいない。

 だが、その単語の中には連夜の中に渦巻く万感の『想い』が込められている。そして、玉藻にはそれがちゃんと伝わっていた。強力な呪いによって繋がれた彼と彼女の間では多くの言葉は必要ない。

 ほんのわずかな言葉でも、その意味を伝えるのには十分すぎるほど。

 だから、玉藻は連夜が今も昔も誰のことだけを愛してくれているのかう一瞬でわかってしまった。

 わかってしまったが故に感動と歓喜で滂沱の涙が零れ落ちそうになるが、しかし。

 その顔を連夜に見られる前に慌てて背けて見せないようにした後、玉藻はわざとぶっきらぼうで不機嫌そうな声を作ってみせる。


「だ、だから、肝心なところが聞こえてないんですけど。その想いはどんな感じなのかしら」


「だから、愛しているんです!」


「え? は? なんでしゅか? 聞こえないでしゅ」


「だ~か~ら~、愛しているんですって!」


「はぁはぁ、な、なんていったんれしゅか? れんれん聞こえない」


「ですから、愛しているんです! 心から愛している・・・って、ちょ、玉藻さん。完全に状況把握してますよね。把握したうえで僕に言わせてますね!?」


「わ、わかんないもん。連夜くんが何言ってるかれんれんわかんないれしゅ。ってか、わからないのれ、もっと言って。もっともっと言っれぇっ!!」


 真っ赤になった顔を両手で挟み込んだ玉藻は、連夜が呆れかえっているのも構わず連夜の言葉のアンコールを連発。

 口ではわからないといいながら、『きゃ~』とか『うれし~』とか言いながら、体をひたすら悶えさせ、尻尾は犬のように扇風機状態、顔はニヤけて完全崩壊、もうどうしようもないくらい嬉しさを爆発させていた。


「なぁ、連夜。いったいこの人なんなの?」


「いや、だから、その。僕の恋人の玉藻さん」


「いや、恋人とか言う前に、『完全に酔っ払いです。ありがとうございました』の状態なんだけど」


 なんとも言えない表情になってしまったリンに、やっぱりなんとも言えない表情で答える連夜。


「それについては本当にごめん。普段は完璧すぎるくらい完璧なんだけど、ときどき暴走しちゃうんだ」


「外見は完璧すぎるくらい完璧な美女なのに」


「頭の中身も完璧なんだよ。大学では常にトップテンに入る成績優秀な超有名人なんだから」


「でも、その成績優秀な美女さん、完全に赤ちゃん言葉になってるんだけど」


「あ~、だから、その、つまり、なんかごめんなさい。ともかくごめんなさい。そして、本当にごめんなさい」


「いや、もう別にいいけど」


 疲れた表情で肩を落とし投げやりな口調で謝り続ける友人の姿に、なんともいえない哀愁を感じてもはや何も言うことができなくなってしまったリン。

 二人の高校生が見つめる中、玉藻の暴走はその後、たっぷり一時間もの間続いたのだった。

 そして、その一時間後。


「え、ええっ? じゃ、じゃあ、この残念美女・・・あわわ、如月さんが中学時代におまえが言っていた人なの!?」


 玉藻の暴走を見たせいで、いろいろな意味ですっかり怒気を失って落ち着いたリン。

 それを見てとった連夜は、玉藻が悶え続けている間に全ての事情をリンに打ち明け、彼女は自分の怒りが完全に早とちりであったことを理解した。


「す、すまん。そういうことだったのか」


「そうなのさそうなのさ。そういうことなのさ」


「はぁ、しかし、おまえの姉さんひどいな。婚約者がいるって嘘ついてまでおまえと如月さんの仲を裂こうとするなんて」


「ほんとにね。もう、すっかり騙されたよ」


「でも、よく騙されたままなのに両想いになれたな。おまえ絶対、自分から告白しないって言っていたのに」


「え、えっと、それはつまり」


「私が連夜くんに告白したのよ!」


 言い淀む連夜の後ろからがばっと組みついた玉藻が、その大きな胸を誇らしげに揺らしながら断言する。


「き、如月さんから連夜に告白したんですか?」


「そうよ。だって、連夜くんのことが好きだったから。『(つがい)』にするならこの人しかいないって確信したから」


 そう言って顔を『狐』に変化させた玉藻は、連夜の顔をぺろぺろと舐めまくる。


「でも、ほんとによかった。連夜くんのことは信じていたけど、昔の女が連夜くんのこと取り返しに来たらどうしようって、気が気じゃなかったもの。うふふ。でも違ったのね。えへ、えへへ。中学時代から連夜くんが好きだったのって。ぐふ、ぐふふふふ」


 野生動物の『狐』には絶対見られないし、できないようなひどい面相に顔面を土砂崩れさせた残念美女は、連夜を抱きしめたまま嬉しそうに悶えまくる。


「そりゃ、そうです。以前も言いましたよね。ずっと玉藻さんだけを見てきましたって」


「うん、言ってた。連夜くんってば、そんなに私のことが好きだったんだ。へぇ~」


「はい。好きです。でも、今はもっと好きですけど」


「!!」


 からかってやろうと思って言った言葉を真顔で返された玉藻は、例えようもない嬉しさと恥ずかしさで顔面を再び真っ赤にする。


「も、もう! ほんと連夜くんは年上をからかってばっかり!」


「か、からかってません。本心ですけど」


「ふ、ふにゃあああっ! そ、そういうのはもっと別のところで言うの! ほんとに天然の『女たらし』なんだから!」


 バシバシと照れ隠しで連夜の背中を軽くたたきまくる大きな狐の姿を、苦笑交じりの笑顔で見つめる連夜とリン。

 ようやく穏やかな空気が流れ、そろそろ連夜は今日この大学に来た目的について話をしようと口を開きかける。

 だが。

 最後にとんでもない爆弾が投下されることとなる。


「あ~、もう、やっぱり心配だわ。連夜くんから他の女のところに行くことはないとしても、連夜くんが知らないだけで向こうが狙ってることってあるんじゃないのかしら。誠実な性格なのはよくわかってるんだけど、連夜くんて、なんか『無自覚な女たらし』って感じがときおりするのよ」


 不安の影がはっきり見える微妙な笑顔でそう呟く最愛の恋人に、連夜はゆっくりと首を横に振って見せる。


「やだなぁ、玉藻さんったら。それこそ杞憂ですよ。ただでさえ全種族中最底辺に位置する『人間』族な上に、ひ弱でなんの取り柄もない僕のことを好きになってくれる物好きな『人』なんて玉藻さんくらいですよ」


 何気ない会話だった。

 別にどこかおかしい流れのある会話ではなかった。

 そのままスルーしていれば、何事もなく終わるはずだった会話。連夜の言葉に、玉藻が『やだぁ、連夜くんったら。自己評価低すぎ』とかなんとか答えてその会話はそれでおしまいになるはずだった。

 しかし、玉藻が答えるよりも早く、その流れに思わず割って入ってしまった声があった。


「え?」


 連夜でもない、玉藻でもない、第三者による小さな疑問形の声。

 その声の主のほうに思わず視線を向け直した二人は、そこにありありと『何言ってるんだこいつ?』という表情を浮かべた白澤族の少女の姿を見つけて絶句する。

 声の主が、今の会話の流れの中でいったい何が気になってそんな声をあげたのかわからず、連夜も玉藻もしばしきょとんとした表情で彼女の顔を見つめていたが、それについて問いかけるよりも早く彼女自身が先に口を開いてその答えを紡ぎだした。


「いやいやいや、モテないわけないでしょ? よ~く思いだしてみなさいよ。あなた、ラブ・クラフトデーのときどれだけチョコもらっていたのよ」


 呆れたように呟く真友の言葉を黙って聞いていた連夜であったが、すぐに苦笑を浮かべるとぷっと吹き出した。


「あはは。何言ってるのさ、リン。あれは全部義理チョコだってば」


「ちがうわよ、馬鹿! 義理じゃないわよ! 全部本命よ!」


「うそ!?」


 完全に本気モードで絶叫した友人の言葉に、再び絶句する連夜。

 そんな連夜の姿を見て、どうやら本当に気づいていなかったのだとわかったリンは、なんともいえない表情で天を仰ぐ。


「もう、ほんとそういうとことことんわかってないわね。思いだしてみなさいよ。あれ、全部手作りだったでしょうが。他の男子なんてみんな一個 十サクルのケロリチョコだったのよ」


「え、えええええ。でも、みんな家庭科の時間で作ったもののあまりだから気にしないでって」


「そんなわけないでしょうが! よく考えてみなさいよ学校の授業でチョコレートなんて作ると思う? 普通、もっと簡単な『卵焼き』とか『魚のムニエル』とか、そんな感じの料理しかしないわよ。あんな手間暇かかるものたった一時間の授業でできるわけないじゃない!」


「い、言われてみれば確かに。だ、だけどみんなそれらしいことは他に言ってなかったし」


「言ってたわよ、よく思いだしてみなさいよ。あなた人一倍記憶力いいんだから、チョコレートもらうときに、相手がなんて言っていたかとかよく覚えているでしょ? そのときのこともう一度思い出してみなさいよ。そうね、例えば、ほら! 半獣人(モローズ)族の族長の娘さんの、あの子。名前なんだったかすぐに思い出せないけど、彼女もあなたにチョコあげてたわよね」


「ああ、アイッサさんね。そういえば彼女も毎年義理チョコ欠かさずにくれたね」


「そうそう、アイッサさん。彼女、チョコを渡すときに何か言っていたでしょ?」


 必死に問い掛けてくるリンの言葉に促され、過去の記憶を呼び起こす連夜。

 リンの言うとおり、記憶力は抜群にいい連夜は当時のことをすぐに思い出した。


「あのときは確か・・・」





『べ、別に本命じゃないんだからね。義理なんだから。一個ももらえないのはかわいそうだからあげるんだからね。か、勘違いしないでよね! ほんとに勘違いしないでよね! ってか、『勘違いしないで』って意味わかってるわよね? ちょっ、わかってないでしょ、あんた?』





「って、しつこいくらいに念押ししてたかな」


「それ完全にツンデレですからっ!」


「え、えええっ!?」


「『えええ』じゃないのよ! しつこく念押ししていたわけじゃなくて、あんたが気がつかないから必死にアピールしていたんじゃない! それも恥ずかしいくらいに手垢まみれのわかりやすい表現で! それなのにあんたときたら、なんなのその完全スルーっぷりわ? アイッサさんかわいそうすぎる。聞いてるこっちが悲しくなってくるわ!」


「で、でも、どう聞いても義理ってことを念押ししているようにしか聞こえないんだけど」


「違うから。それ文面通りの意味じゃないから。『本命ってわかるように渡したいけど、周りの目が気になって照れくさいから義理って言っちゃうね。でも、ほんとは本命だから。絶対あなただけなんだから。そこのところわかってね!』って言う意味だから!」


「いや、そんな解読が難しい方法でアピールされてもわかんないよ」


「わかるから! あんた以外の『人』には十分わかりやすいアピールだから! わからないあんたのほうがダメだから! ってか、他の『人』からももらっていたでしょ。この際だから思い出しなさいよ」


「え、えっと、あと、東方屋敷妖精(ざしきわらし)族のふくちゃんもチョコをくれたな。彼女は確か」





『あ、あの、調理実習でたまたま作ったんですけど、作りすぎてあまったのでよかったら食べてください』





「それ絶対あまってないから! あんただけに作ったはずだから! ってか、調理実習でチョコレートなんて作るわけないでしょうが!? あんた、自分だって中学校で実習受けたんだから知ってるでしょ。あんたは何作ったのよ」


「ご飯とタマゴ焼きと味噌汁とサケのムニエル」


「ほらみなさいよ、『チョコレート』の『チ』の字も入ってないじゃない! あんな手間隙かかるものを学校の調理実習で『たまたま』作るわけないじゃない!」


「気がつかなかった」


「他にもまだあるでしょうが、思い出しなさいよ」


「な、なんでそんなに怒ってるのさ」


「いいから、早く!」


「う。う~ん、あと、印象深いのは青海妖精(ブルーマリナー)族のチンランさんかな」





『こ、これは青海妖精(ブルーマリナー)族に古くから伝わる風習で、恩を受けた相手に贈り物をするというものに従って渡しているのだ。決して浮ついた気持ちで渡しているわけではない。あくまでも一族の風習を実行する日と、チョコを渡す日が同じだけであって他意はない。他意はないがしかし、いい加減なものを渡すわけにはいかん。おいしくなかったら遠慮なく言ってくれ。作り直すから。連夜の口にあうのができるまで作り直すから』





「ほんと、チンランさん生真面目だよねぇ。大したことしてないんだよ。たまたま、弟さんの病気に効く薬を僕が持ってて、それをあげただけなんだもん。それなのに恩に感じてくれてね。『恩返し』の意味でチョコレートを・・・」


「それ絶対違うから! 恩返しは口実で、あんたに惚れていたからに決まってるでしょうが!」


「え、え~~、でも恩を返す為だって言っていたんだよ」


「私にも青海妖精(ブルーマリナー)族の知り合いいるけど、そんな風習一度も聞いたことないから! そりゃ確かに恩に感じているかもしれないけど、それとは絶対別に決まってるでしょうが。ってか、他にはないの。まだまだあるでしょ!?」


「す、すぐには思い出せないよ。義理チョコだったらいろいろもらっていたから、って、あれ?」


 懸命に頭を捻りながら昔のことを思い出していた連夜であったが、ふと自分の体に異変が起こっていることに気がついて顔を強張らせる。


「ちょ、ちょっと玉藻さん、なんで僕の体を簀巻きにしているんですか!? え、ちょ、しかも、なぜ木の枝に吊るすんですか!?」


 いったいどこから持ってきたのか。

 大きな(むしろ)で顔以外を覆われ、頑丈な荒縄で何重にもぐるぐる巻きにされた連夜。完全に蓑虫にしか見えない姿で近くの大木に吊るされた彼は、それを行った犯人に向けて悲鳴をあげる。

 だが、その実行犯は悪意の全くみられない清々しいまでの笑顔を連夜へと向けるのだった。


「連夜くん、ちょっと私、リンちゃんと女同士の大事なお話してくるから、大人しくそこにいてね」


「え、ちょ、玉藻さん? もしもし、あの、ですから、なんで簀巻きにされる必要が・・・」


「リンちゃん。ちょっと向こうで連夜くんの中学時代の女性関係のお話聞かせてもらえる? それも『できるだけ詳しく』お願い」


「『できるだけ詳しく』ですね。わかりました、任せてください」


 突然意気投合した女性二人は、その場から少し離れたところに座り込んで井戸端会議を始めてしまう。

 そんな女性達をしばし唖然とした表情で見詰めていた連夜。

 だが遠くからでも聞こえてくる会話の内容が、玉藻にあまり知られたくない悪ガキだった頃の中学時代の話題だとわかり真っ青になって絶叫する。


「お、おい、リン、やめろ! 玉藻さんにいらんこと吹き込むな! バカ、よせ、お~い! こらあああああああっ!!」


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