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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
130/199

第十四話 『蛸竜の黄泉越え』 その7

 どうしてこうなってしまったのか?

 一体自分達は何を間違ってしまったというのか?


 彼女のすぐ目と鼻の先には、目的地である高級果物『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』の農場。

 火山地帯のど真ん中、あちこちで間欠泉が噴き出している岩山の中腹に、ぽつんとできた不自然な緑色。二十メトルから三十メトルに達する常緑樹がいくつも並んで見えるその農園まであと少しというところに、今彼女は立っている。

 そこは熔岩の河と河の間にわずかにできた岩の道の上。他に障害物はなにもない。

 本当にあと少しだけ歩けばいいだけなのだ。

 なのに、彼女はもう一歩たりとも歩くことができなくなってしまっていた。

 のろのろと自分の周囲に視線を巡らせると、そこには地面の上に倒れ伏して動かなくなってしまっている少女達の姿。

 わずかに上下している胸の動きから、まだ少女達は死んではいない。

 しかし、彼女がいくら呼びかけても反応は全くなかった。


「あ~ちゃん、スカサハちゃん、起きて!! セラ、こんなところで寝ちゃダメよ!! リビー、フレイヤ、立ちなさい!!」


 諦めきれずに何度も彼女達の名前を呼んでみるが、やはり返事は全く返ってこない。一応、熱波対策の薬を飲んでいるため、この地獄のような熱波の中でも平気でいられるし、彼女の恋人が用意してくれた全身を包む耐火装備のおかげで火に巻き込まれても大丈夫だ。だが、いつまでもここに寝そべっているわけにはいかない。薬の効果はいずれ切れるし、熔岩の濁流がここまで押し寄せてきたら流石の耐火装備も役には立たない。なんとか、少女達を起こさなくてはならない。

 今にも崩れ落ちそうになる体に鞭打って、玉藻は一番近くに倒れている狼型獣人族の少女の側に屈みこむ。


「あ~ちゃん、しっかりして。農場まであと少しなのよ、頑張って起きて頂戴!」


「ね、姐さん・・あ、あたしの・・ことはいいから・・姐さんだけでも・・ここから」


「ちょ、何気に死亡フラグ立つようなこと言わないの!! だいたい妹分を放って逃げられるわけないでしょ!!」


 いじらしいことを言う妹分に思わず涙が零れ落ちそうになるが、そこはぐっと堪えて横たわる少女を叱咤激励する。だが、やはり少女は起き上ろうとはしない。うっすら目をあけてはいるものの、もうすぐにも意識を手放してしまいそうだ。

 いや、そもそもそれは少女だけに限ったことではない。唯一無事な彼女自身も全然無事ではなかった。少しでも気を抜けば最後、意識を失ってしまいかねない状態なのだ。


 どうしてこうなってしまったのか?

 一体自分達は何を間違ってしまったというのか?


 もう一度同じことを考え途方に暮れる彼女。

 『彼女』の正体は誰なのか?

 勿論、それは説明するまでもないだろう。

 霊狐族の大学生、宿難 連夜の恋人、如月 玉藻その人である。

 彼女は、今にも途切れてしまいそうな危うい意識の中で、こうなってしまったそもそもの発端を思い出す。



 数時間前、彼女はここから数ギロメトル離れた山の麓にいた。

 そこで恋人の連夜や妹分の『あ~ちゃん』ことアルテミス、連夜の実妹スカサハ達と一緒に高級果物『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』を取りに行く為の準備作業を行っていたのだ。準備は思ったよりもスムーズに進み、やがて準備はすっかり完了。あとは高級果物『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』の農場がある『火竜の涎』山に出発するだけの状態となった。そんなときだ。恋人がとんでもないことを言い出したのは。

 件の場所には男衆だけで行くと言い出したのだ。

 勿論、それは玉藻達女性陣に危険なことはさせたくないという配慮からである。正直、恋人の気遣いは素直に嬉しい。男勝りでガサツな自分のこともちゃんとかよわいレディとして扱ってくれる連夜の気持ちは本当に嬉しいし、それは間違いなく玉藻の本心ではある。

 しかし、今回ばかりはそれを受け入れることはできなかった。

 どうしても、自分が行きたい。と、いうか、行かねばならぬ事情があった。

 必死に考え直せと説得してくる恋人から、無理矢理熱波対策の薬を奪った玉藻。そんな玉藻に対し、連夜の隣から一人の男性の声が掛けられる


「今更、貴様の力は必要ない」


 傲然とそう呟いたのは恋人の相棒という角なし龍族の武人『K』。

 不快そうな表情を隠そうともせず、玉藻のことを射るように見つめてくる敵意満点の黒い瞳。

 玉藻は、その瞳を真っ向から受け止めて睨み返す。


「あんたには関係ないでしょ。引っ込んでてよ」


「その言葉そのまま貴様に返す」


「どういう意味よ」


「虫どもを捕まえるのに協力したわけではない、薬を作成するのに参加したわけでもない、ましてや、虫の発生場所で奴らを追い立てる危険を犯したわけでもない。貴様はただ、最初から最後まで森をふらふらしていただけだ。違うか?」


「それは・・」


 一番気に食わない奴に、一番言われたくなかったことを指摘されて顔を盛大に顰める玉藻。そうだ。そのことについては自分がよくわかっている。自分の勝手な暴走で連夜達とはぐれ、肝心なときに間に合わなかった。よくわかっている。

 そうだ、だからこそなのだ。それがわかっているからこそ、どうしても最後の一番危険な作業だけは自分が参加したかったのだ。いや、やらなければならない。で、なくば、自分がここに来た意味がないではないか。玉藻は血が出るほど強く自分の唇を噛みしめた。

 だが、そんな玉藻の胸中を知ってか知らずか、目の前の武人は彼女に更なる追い打ちをかける。


「正直、邪魔をしなかったことに関しては認めてやってもいい。貴様のような素人に参加されても邪魔なだけで作業は遅延するばかりだっただろう。そう考えれば、身の程をわきまえた貴様の行動は称賛するに値する。よく自重したな」


「あん・・た、そんなに死にたいか?」


「タンマタンマ、玉藻さん、ちょっとだけ待ってください!! K、いくらなんでも言い過ぎ!! 誰だって一人や二人大嫌いな人がいるのはわかる。どうしても仲良くできないって人がいるのはしょうがない、それが『人』ってもんだ。君が玉藻さんと仲良くできないっていうならそれでもいい。けどね、玉藻さんは僕にとっては一番大切な『人』なんだよ。一番傷つけられたくない宝物なんだよ。君が気に入らないのは別にいい。いや、むしろ好きになられても困るから大歓迎さ。心の中でどう思ったって構わない。だけどそれを僕の目の前で、口から零れ落とすことは絶対許さない。これ以上玉藻さんを愚弄するなら、僕にも考えがある。それだけは胸に刻んでおいてくれ」


 当事者たる玉藻以上に、相棒の言葉にカチンと来た連夜。自分よりもはるかに大きく威圧的な相棒に視線を向けると、歴戦の武術家並みの気迫と共に彼に警告の言葉を叩きつける。それには流石の武人も感じるところがあったようで、神妙な顔つきになった彼は大きく体をまげて頭を下げながらすぐに謝罪の言葉を口にした。


「悪かった。今の暴言を心から謝る」


「僕じゃなくて、玉藻さんに謝ってよ」


「それは断る」


 あっという間に元の仏頂面にもどった彼は、ぷいっと顔を反らしてしまった。そんな彼を苦虫を噛み潰したような表情を向けていた連夜であったが、すぐに体を玉藻のほうへと向け直す。そして、相棒の代わりとばかりに玉藻に向かって深深と頭を下げた。


「すいません、僕の相棒が玉藻さんに大変失礼なことを」


「いいのよ。ってか、連夜くんが悪いわけじゃないじゃないから。悪いのはそこの木偶の坊だし」


「なんだと、狐!?」


「K!!」


「ふんっ!!」


 やっぱり角つき合わさずにはいられないらしい二人に、困り果てた表情の連夜。二人の反りが合わないであろうことはある程度予想していたが、ここまでひどい関係になるとは予想外であった。連夜は、二人に見せつけるように深い深い溜息を吐きだしてみせるが、二人はそんなの見えてないと言わんばかりに同時にそっぽを向いてしまう。こういうところだけは本当によく似通っている二人であった。同族嫌悪という奴だろうかなどと、心の中で呟いてみせる連夜。とりあえず、今すぐ片づけることができないであろう問題はともかく、今すぐ片づけることが可能な問題は先延ばしにせずに片づける努力をしなくてはならない。連夜は、問題を片づけるために、問題そのものである自分の恋人に声をかけた。


「玉藻さん、本当に考え直しませんか? 『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』の農場は、か弱く美しい女性が行くような場所じゃないですよ。危険ってこともありますし、他にもいろいろと問題の多い場所ですから、正直行ってほしくないです」


「ありがとう、連夜くん。でもね、やっぱり私は行くわ。さっきこいつが言っていたからじゃないけど、私、今日、何も役に立ってないもの。自分の失策のせいだってことはわかってる。だけどね、ちゃんと最初から参加できていたら、間違いなく私はそこのでかいだけしか能がない奴よりは役に立ったはず。それを証明したいのよ」


 連夜の肩越しにKに向かってビシッと指を突き付ける玉藻。ただでさえ大っ嫌いな玉藻にそんな挑発的な態度を取られたのだ。周囲で見守っている者達は、漆黒の武人が激昂して再び激突しようとするのではないかと顔を強張らせる。だが、その予想は大きく外れた。彼は激昂するどころか意外と冷静で、それどころかどこか余裕の表情で彼女を見下ろすばかり。


「あそこに一度も行ったことがないおまえが、俺以上に役に立つ? 絶対に無理だ」


「やってみなけりゃわからないでしょ?」


「わかる。おまえが思っているほどあそこは甘い場所じゃない」


「甘い場所じゃないことくらいわかってるわよ!!」


「いいや、わかってない」


 再び睨み合う両者。だが、その睨みあいはそれほど長く続きはしなかった。Kが突然その厳しい表情を緩めたからだ。そんなKを不信感たっぷりに見つめる玉藻だったが、Kは構わずあることを口にする。


「いいだろう。そんなに俺の言うことが信じられないなら連夜に聞いてみるがいい」


 憎たらしいほどの絶対の自信。

 しかし、玉藻は、それが事実に裏付けされた自信であるとはどうしても思えなかった。こちらをけん制する為のハッタリ。その言葉を信じることなどできるわけがない。彼女はその手に乗るものかと皮肉気に顔をゆがめながら、早速隣にいる自分が最も信頼する恋人に問いかける。


「あんなの、あいつのハッタリだよね、連夜くん」


「え?」


「え?」


 咄嗟に返事を返すことができず見事に固まる連夜。てっきり『勿論ですよ!!』と力強く返ってくると思いこんでいた玉藻にしてみれば、恋人の反応は完全に予想外。隣に立つ恋人と同じような表情に顔を強張らせる。


「い、いや、『え?』じゃなくてね。だからぁ、今、あいつが言っていたことは、あいつが大袈裟に言ってるだけの・・連夜くん、どうして、私から目を反らす」


「ああ、いやあ、その、つまりですね」


「ハッタリだよね? そうだよね?」


「い、いいにくい。いいにくいのですが」


「な、何なにナニヨ? は、はっきり言ってよ」


「じゃ、じゃあ、はっきり言いますけど。その、『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』の農場がある場所は、ほんとに大変な場所なんですよ」


「えっと、つまり、その、ハッタリ・・じゃないってこと?」


「やはり経験が左右するのは如何ともしがたいというか、ハンデがありすぎるというか」


「そんなに大変なの? で、でもほら、私って強いから。ね、ね」


「あ~、いや、強いとかそういうのはあまり関係ないというか」


「そ、そうなの?」


「そう・・なんです。すいません」


 どんどん声と体を小さくしていく連夜の姿を見て、玉藻の額から一筋の汗が零れ落ちる。しばし流れる何とも言えない沈黙の時間。

 その沈黙の時間を、先程以上の余裕となった漆黒の武人が静かにぶち破る。


「嘘じゃなかっただろう?」


「うぐぐ」


「どうする? それでも一人でやってみるか? それとも連夜を巻き込むのか? そうなると、結局自分一人では何もできないことになるがな」


「むうう」


「ちょっ、K、余計なこと言わないで。玉藻さん、Kの言うことに耳を貸さないでください。僕と一緒に行きましょう」


「い、いいえ、いいえっ!! 連夜くんの力は借りないわ」


「一緒に行ったって別にいいじゃないですか。あ、そうだ。じゃあ、僕が玉藻さんについて行くってことにしましょう。玉藻さんがリーダーってことで、僕はお手伝いってことで」


「そうね、それならいいか・・って、ダメよ、ダメ!! 連夜くんは絶対についてきちゃダメ!! どうせ、こいつのことだから、連夜くんと一緒に行っただけで、『連夜に全部任せておまえは何もしなかったんだろう?』とかいいかねないもん。いや、絶対いうもん!! だからダメ」


「そ、そんなことないですって。ね、ねぇ、K。そんなこと言わないよね」


「いや、言う」


「ほらああっ!!」


「ちょ、ケイッ!!」


「連夜くんは絶対ついてきちゃダメだからね!!」


 完全に意地になってしまった恋人の姿に、堪らず頭を抱えて悲鳴を挙げる連夜。そして、してやったりと相棒そっくりの邪悪な笑みを浮かべる黒の武人。

 本当に途方に暮れかける連夜であったが、このままでは大事な恋人が大変な目にあうことは火を見るよりも明らかである。


『恋人の命は自分の命よりもはるかに重い』


 常々そう広言してはばからぬほど、玉藻のことを溺愛しまくっている連夜。

 このまま玉藻が突っ走れば、最悪の事態に陥るとわかっているのだ。黙っていられるわけがなかった。なんとしてでも恋人を説得せねばと、いつも以上に真剣な表情で彼女の前へと進み出る。


「玉藻さん、お願いですから、僕の話を聞いてください」


「嫌よ、いやいや。連夜くんのお説教なんか聞きたくないもん」


「お願いですから、聞いてくださいってば」


「嫌だったら。連夜くんには私の気持ちなんてわからない」


「何をそんなに気にしていらっしゃるのかわかりませんが、玉藻さんが来て下さって十分助かっているんです。そもそも断られても仕方ないところを無理言って来ていただいたのに、文句を言うなんてとんでもない。玉藻さんが何もしていないとKは言いましたが、それこそ、無事に作戦を進めることができた証拠なんです。玉藻さんという最強カードが手持ちにおいて温存し、JやK達を惜しみなく前線に投入するというのが今回の作戦の肝でした。つまり、切り札を切らずに済んでいるこの状態こそが、当初の予定通りに進んだという確かな証」


「・・連夜くん」


「だから、何にも気にすることはないんです。でも、どうしても後ろで構えているだけでは物足りないし気になるということでしたら、僕にお手伝いをさせてください。玉藻さんの邪魔をするようなことはいたしませんから、ね?」


 相変わらずフォローの巧い恋人である。思わず納得して『じゃあ、やっぱり、一人で行くのや~めた』って言いそうになってしまう。あるいは『そこまで連夜くんが言うなら、連れて行ってあげてもよくってよ』なんて強がり半分ですがりついてしまいそうでもある。

 だが、ここで引いてしまうわけにはいかない。二人っきりのときだったなら、それもよかっただろうが、今このときだけはそういうわけにはいかなかった。

 長い長い葛藤の果てに一つの決意を固めた玉藻は、透き通るような笑顔を浮かべて見せる。

 そんな玉藻の笑顔を見た連夜は、最悪の事態だけが避けられたと思って安堵の吐息を吐きだした。

 だが。


「よかったぁ。玉藻さん、考え直してくれたんですね」


「いや、そのね、連夜くん」


「ほんとよかったですよ。これから行くことになる農場なんですけどね。危険ってことも確かにあるんです。熔岩の火や熱はすごいし、有毒ガスも出てますからね。でも、何が最悪かっていうと、農場で栽培している『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』から出ているにお・・!?」


 恋人を説得できたと思いこんだ連夜は、安心しきった表情でこれから向かう先のある情報をしゃべりながら玉藻に近づいていった。

 その情報はここにいるメンバーの中では、連夜と彼の相棒たるKしか知らない内容。生死に直接関わることはない為、敢えて他のメンバーには説明していなかったが、この際、説明しておこうと口にすることにしたのだった。


 だがしかし。

  

 そのタイミングはあまりにも悪すぎた。彼自身にとっても、玉藻にとっても、そして、これから玉藻と行動を共にすることになる五人の女性達にとっても、それはあまりにも悪いタイミングでった。

 彼が、その重要な情報をまさに伝えようとした瞬間であった。

 玉藻が近づいてきた小柄な恋人の首筋に、目にも止まらぬ速さで手刀を落としたのだ。

 皆がその光景を呆気にとられて見つめる中、彼の体が崩れ落ちる。

 まさか、恋人がそのような行動に出るとは流石の連夜も予想だにしていなかった。

 武術の達人たる玉藻が十分に手加減を考えて放った一撃だけに、手刀そのもののダメージはない。また、地面に頭を打ち付けるよりもはるか手前で、彼女が彼の体を受け止めたので二次的被害もない。

 だが、別の意味で大ダメージを負うことになったことを、彼女も、そして、彼女に関わることになる六人の女性達もこのときは全く気がついていなかった。

 ともかく、確かなことは、この時点で連夜はこれから起きる大喜劇の舞台から一旦退場することになってしまったということだ。


「ごめん。ごめんね連夜くん」


 意識を完全に失ってぐったりしている彼の体を優しく抱きしめた玉藻は、彼の耳にその唇をそっと近づけて謝罪の言葉を囁く。

 彼の本性は決して誰にも心を許さぬ孤高の獣だ。いつも優しい笑顔を絶やさぬ彼であるが、その裏側では常に『人』の言動を疑い続け、警戒心を解くことはない。そんな彼が唯一無条件で警戒を解き心を許す『人』がいる。

 言うまでもないが、それは玉藻だ。

 どれだけひどいことをされても、その信用が彼の中で揺るぐことは全くといってない。

 それがわかっているだけに、今回の騙し打ちは玉藻にとっても、実はかなりの痛手である。正直土下座の態勢で、彼が目覚めるまでずっと側にいて謝り続けたい気分でいっぱいだ。連夜が玉藻を大事に想っているように、玉藻も連夜のことを大事に想っているのである。それなのにそんな大事な彼に手をあげてしまった。

 自分自身を今すぐボコボコにしてやりたいし、心の中は罪悪感で既にパンク状態だ。

 だが、それでもそれを堪えてやらなくてはならないことがある。どれだけ愚かな行為だと罵られようとも、これからもずっと連夜の側にいるために避けて通るわけにはいかないのだ。

 玉藻は『狐』の顔で意識のない連夜の顔を優しく舐め、『人』の顔で唇や頬や首筋に自分のそれを押しつけた後、ようやくその顔を放した。

 そして、彼の体を横抱きにして憎い仇敵の前に連れて行く。


「腹が立つけど、『一応』、あんた連夜くんの相棒なんでしょ。預かってて」


 ぶっきらぼうに言い放ち、漆黒の武人のほうに連夜の体を押し付ける。武人はしばらくなんともいえない苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていたが、やがて、大きく舌打ちを一つして連夜の体を受け取った。


「『一応』ではない。俺は間違いなく連夜の『相棒』であり、そして、連夜は間違いなく俺の『相棒』だ」


「だったら、私が農場に行っている間、ちゃんと連夜くんのこと守りなさいよ。連夜くんに何かあったら、あんたを絶対に許さない」


「貴様に言われなくとも連夜は俺が守る」


 睨み合う両者。いつ果てるともない激しい闘気のぶつけあい。しかし、またもや表情を先に緩めたのは武人のほうであった。嘲笑ではない。しかし、屈託のない笑顔というわけでもない。何かを面白がっているような表情。そのことに気がついた玉藻は片眉を挙げて不快そうに武人を問いただす


「何よ? 何か言いたいことがあるの?」


「連夜を気絶させたことは許せん。しかし、貴様の『連夜に頼らない』という心意気は確かに見せてもらった。それが例え痩せ我慢であってもな」


「痩せ我慢じゃねぇわよ!! くっそぉ、あんた覚えてなさいよ。絶対『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』を取ってきてやるんだから」


「取ってこれなかったらどうする? どうせ、適当に取りにいったフリをして結局連夜に頼るんじゃないのか?」


「そんなことしないわよ。ああ、わかったわよ。じゃあ、こうしようじゃない。取ってくるまで私は城砦都市『嶺斬泊』には帰らないし、連夜くんにも会わない。もし、連夜くんの手を借りなくちゃいけなくなったそのときは、きっぱり別れてやるわよ。それならいいでしょうが!!」


 明らかな挑発。しかし、わかっていても玉藻はその挑発を聞き過ごすことができず、思わず武人に指を突き付けて言わなくてもいい宣言をしてしまう。

 その宣言のあまりにもあまりな内容に、巨木『ジェリコセコイア』の根元周辺は完全に静まり返る。

 まさに『してやったり』という表情の漆黒の武人K。とんでもない事態になってしまったことに顔を青ざめさせる連夜の友人達。そして、未だに事態が飲み込めないでいる武人の女性ファン達。

 そして・・


(言っちゃったぁ!! 思わず、とんでもないこと宣言しちゃったぁ!!)


 口に出してしまった後で、超後悔している狐が一匹。

 自分が物凄くドデカイ墓穴を掘ってしまったことにすぐに気がついた狐だったが、今更それを引っ込めるのはあまりにも格好悪い。正直『ごめん、今のなし。勢いで言っただけだから、な~しなし。ノーカンってことでよろぴくね』なんて軽くなかったことにしてしまいたかったが、このにっくき仇敵の前でそれを口にすることは死んでもできない。

 でも、なかったことにしたい。連夜に会えなくなるなんて、絶対に嫌だ。

 しかし、こいつに『やっぱ、こいつヘタレじゃん』みたいな感じで見下されるのも嫌だ。


(どうしよう、どうしよう、どうしようあたし。し、ししし失敗したら連夜くんに二度と会えなくなっちゃうよ。ここは恥を忍んでなかったことに。い~や、ダメダメダメよ、玉藻。こつに背を向ける気なの? それって戦わずに負けを認めるってことよ。そんなのダメ!! そんなヘタレでどうするの如月 玉藻!? そもそも今から失敗することを考えてどうする? 成功すればいいだけじゃない。成功すれば、私がいかに優れた人材で連夜くんにとって必要不可欠なピースであるか証明できるのよ。そうよ、成功すればいいのよ!! な~んだそっか。簡単簡単、もし失敗しても連夜くんと別れればいいだけだし、大したことないない。って、大したことあるわ!! めちゃくちゃ大したことだわ、大問題じゃない!! いやだあああああっ!! 連夜くんと別れるのは絶対いやだああああっ!!)


 盛大に心の中で絶叫を繰り返す玉藻。一応、現在玉藻は、指を突き付けて絶対零度の視線、そしてクールな表情を保ってはいる。保ってはいるがそれだけだった。

 正直、その内心は完全にバレバレだ。

 何せクールな表情なのはいいが、鼻からは滝のように鼻水が流れっぱなしだったし、顔のあらゆるところから変な汗が噴き出している。しかも、下半身はガクガクブルブルと震え続けている。

 やっちゃった感いっぱいだった。

 見ている方がいたたまれなくなるくらいやっちゃった感いっぱいだった。

 玉藻から噴き出し続ける変な空気が、その場にいる者達を静かに、しかし、確実に汚染していく。

 そして、不幸なことにそのことに誰も気がついていなかった。

 勝利の余韻に浸っている者、これから起こる大騒動を予想して頭を抱える者、なんとなくこの喜劇を見ているだけの者、その他いろいろ。誰もかれもが、自分達の周囲にある異様な空気の雰囲気に気がついていながら、自分達が既に感染しているとは予想だにしていなかったのだ。

 だが、玉藻から出た異様な空気は確実に感染者達を蝕み、そして、玉藻と同じように墓穴を掘ることを強要しようと動き出す。

 その感染者第一号は勿論、彼女の最も近くにいる者。

 彼は、自分がそんな恐ろしい空気に感染しているとは気がついていない。気がついているのは自分が勝利寸前であるということだけ。そのことに完全に酔ってしまった彼は、つい口を開いてしまう。

 そして・・


「いいだろう、狐。その勝負受けて立ってやる。もし、『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』を取ってくることができたならば、俺はなんでも言うことを聞いてやる!! 連夜の相棒をやめろというならやめてやる。貴様の奴隷になれというならば奴隷になってやろう」


 勝利を確信し高らかと宣言する武人K。

 勝負を仕掛けてきた相手が絶対に自分には勝てないであろうと確信するがゆえに口から出た言葉。『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』の農場のある場所が如何に過酷な場所であるかを承知しているが故に、また、そこに仕掛けられた自然の恐ろしい罠の数々を熟知しているが故に。それらを知らぬ目の前の狐が相手ならば最初から相手になどなるわけがない。

 そう踏んでの宣言であった。


 だが。

 しかし。

 しかしである。


 勝利を確信するが故に、彼は自分の宣言に肝心な部分が抜けていることに気がつかなかった。


 『誰が?』という言葉である。


 勿論、彼は



『玉藻自身が『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』を取ってくることができたならば、玉藻の言うことをなんでも聞く』



 というつもりで言ったのである。

 いや、そういうつもりだったのは彼だけではない。彼の言葉を聞いていた者達のほぼ全てが、話の流れから当然そうなのだろうな思っていた。

 ところが。

 たった一人だけそういう意味に取らなかった者がいたのだ。


 勝利の余韻に浸り続けるKの前に、一人の少女が進み出てきた。

 額より伸びる見事な一本角に太い熱血眉毛。御稜高校の制服である白い半そでのブラウスにチェックのスカート姿の彼女は、麒麟の派生種族の一つヘテ族の漢 世羅。

 その彼女が、真っ直ぐに自分の目の前までやってきたとき、Kは一瞬それが誰なのかわからなかった。

 だが、すぐに彼女が自分が先程森の中で助けた少女であることを思い出した。額から生えた特徴的で美しい一本角に見覚えがあったからだ。

 しかし、流石の彼も何故彼女が突然自分の目の前にやってきたのかまではわからない。彼女のうっすらと赤みを帯びた顔には何かの強い決意が浮かんでおり、また全身からは恐ろしいまでの気迫や闘気が立ち上っている。どう見てもただ事ではない。

 だが、だからといって彼に対する敵対心は見えない。一瞬、すぐ目の前に立つ狐女の仲間かとも思ったが、そうでもないらしい。

 いぶかしげに首を傾げるKであったが、ともかく相手の出方を窺うべく、彼女が口を開くのを黙って待ち続けることにした。

 そうして見守ること十分あまり。彼の目の前何度も深呼吸を繰り返していた彼女は、ついに口を開き、そして・・


 彼が予想だにしないとんでもないことを口にする。



「本当になんでも聞いてくださるんですか?」


「?」


「ですから、『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』の農場まで行って自力で果実を取ってきたら、なんでも願いを聞いてくださるんですよね?」


「っ!?」


 一瞬、彼女の言っている意味がわからなかった漆黒の武人。しかし、すぐに彼女が何を言い出そうとしているのか気がついた。そして、それを口にされてしまうと如何に自分にとってマズイ事態になるかも。彼は、慌てて先程の自分の言葉を補足すべく口を開こうとする

 だが、あまりにも気がつくのが遅すぎた。

 爆弾が投下される。それも恐ろしく超巨大な爆弾が。


「だったら、私行きます!! 私、自力で取ってきますから、もし、持ち帰ることができたら、あの、その、K様、お願いです。私の恋人になってください!!」


 彼は自分が掘った墓穴に突き落とされたことを知った。

 それも全く予想外の人物によって。

 再び広場を静寂が支配する。

 だが、その静寂は長くは続かなかった。この最悪の事態を回避すべく慌てて彼が訂正の言葉を口にしようとした。

 ・・からではない。

 それよりも早く、物凄い大合唱が森に響いたからだ。


『ええっ? それってそういう意味だったの!?』


「ち、ちがっ!!」


 やや遅れて彼が訂正の言葉を紡ぎ出そうするがそれはあまりにも遅すぎた。

 先程の比ではない凄まじい大乱闘がはじまったからだ。


「そういうことだったら私が行くわよ!! J、その薬私に渡しなさい!!」


「何言っているんですか、私がいきますわ!! J、早く私に渡しなさい!!」


「ちょ、やめっ、リビーもクレオも落ち着けって、いってぇ!! 噛みつくな、ひっかくな、うぎゃああっ!!」


「おい、委員長何を考えているんだ!? めちゃくちゃ危険だってさっき連夜もいっていただろう?」


「止めないでロムくん。惚れた男の為なのよ。ここで行かなきゃ女がすたる。だから、黙ってその薬を渡してちょうだい!!」


「陸くん、どうしてあなたがここにいるのかは存じませんが、その薬を譲ってくださいませ!!」


「おい、抜け駆けすんなフレイヤ!! その薬をもらうのはあたしだ!!」


「ヴァネッサさんもフレイヤさんも落ち着いてください。もう二人ともしょうがないんだから。とりあえず、その薬は私が預かっておきますね」


「「おまえがしょうがないだろ!!」」


「剣児の取り巻き三人組!? いやいやいや、おまえらにこの大事な薬を渡すわけないだろ。って、くるなくるな!! こっちにくるんじゃな・・ぎょえええええっ!!」


「K様。私、行ってきます。行って必ず取って帰ってまいります。そのときは、私を妹ではなく、一人の女として見てくださると約束してくださいまし・・ぽっ」


「ダメだダメだ、ダメに決まってるだろ、スカサハ!? おまえに何かあったら俺は連夜になんと言えばいいのだ!? ちょっと待て、ズボンから勝手に薬を取って行くんじゃない!! おい、コラッ、待てというに!!」


 大混乱も大混乱。大乱闘も大乱闘。凄まじい女達の争いに、流石のKも今度ばかりは止めることができない。

 農場に行く為に必須な熱波対策の薬を巡り、巨木の根元で繰り広げられる本気になった女達の戦い。そして、それに巻き込まれてもみくちゃにされる哀れな男達。そして、一人蚊帳の外からそんな地獄絵図をぽかんと見つめる玉藻。


「ダメだこりゃ」


 いつ果てるともしれぬ乱痴気騒ぎに溜息を一つ吐き出した後、首を二つほど横に振って肩をすくめてみせた玉藻。

 この騒ぎがはじまってすぐに、意識を失った連夜をKが安全な場所に連れていったことはすでに確認済み。だとするならば、いつまでもここにいる必要性はない。さっさと出掛けて目的を達成するだけだ。玉藻は巨木の根元で眠り続けている恋人に心の中で『行ってきます』と一言告げると、この大乱闘の場所に静かに背を向けて走りだした。


 鬱蒼と木々が生い茂る森の中を縫うように走り抜け、素晴らしいスピードで進んでいく玉藻は、やがて岩と熔岩が支配する灼熱の地獄に到達する。

 彼女が身につけているのは連夜が用意してくれた、防弾、防刃、防寒、そして防火の特性戦闘用スーツ。この程度の火に負けることはない。しかし、話に聞いていた通り、吹き抜けるこの熱気はこのままでは絶対に耐えられない。

 玉藻は連夜から奪い取っていた薬ビンの蓋をあけ、その中身を一気に飲み干した。

 口の中に広がる何とも言えない苦味。だが、それと同時に先程まで感じていた耐えがたい熱がそれほどでもないくらいになってきた。


「すごいわね、流石、熱波対策用の薬」


「それはそうですよ。私も作成に関わっているんですから」


「そうなんだぁ。なるほどねぇ、って、え? は? あ、あ~ちゃん!?」


 今更ながらに自分の横に何者かの気配を感じた玉藻が慌てて横を向くと、そこには白銀の獣毛が美しい狼型獣人族の少女。


「姐さんを一人で行かせてしまったとあっては恩義ある連夜に顔向けできませんからね。私もお供しますよ。あ、熱波対策の薬はクリスから強奪・・いや、譲ってもらいましたから大丈夫です」


「いや、あ~ちゃんの気持ちは嬉しいけど、でもさ、私が一人で行くって約束だったし」


「違うでしょ、約束は『連夜の手助けなしで『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』を取りに行く』でしたよね。だったら、私が手助けするのは何も問題ないはず」


「あ~ちゃん」


 下手な男よりも男らしい眩しい笑顔を浮かべてサムズアップしてみせる頼もしい妹分に、思わず涙しそうになる玉藻。 


「実はさ、農場の場所は見えているからわかるけど詳しい道まで聞いていなかったから、ちょっと不安だったんだよね」


「やっぱりそうだったんですね。でも、私も実際には行ったことはないんですよ」


「え? そうなの?」


「ええ。なんか、うちのクリスも私をあまり行かせたくないって言って、いつも男の子達だけで行っていたんです。でも、大丈夫。いつも地図は見せてもらっていたから、どこにあるかはバッチリ頭の中に記憶しています」


 玉藻と同じくらい大きく立派な胸をぽよんと叩いたアルテミスは、自信満々といった様子で請け負ってみせる。


「さぁ、ぐずぐずしている暇はないわ、すぐにも出発しましょう。毒ガス対策は私がしっかり担当するから、たまちゃんとアルテミスは『害獣』や『原生生物』の対処をお願いね」


「任せて。接近戦は私の得意分野よ、って、何、さらっと、パーティメンバーに加わっているのよ、リビー!?」


 自分の左横に立っているアルテミスとは反対側、自分の右横にちゃっかり陣取っているラミア族の知人の姿を見つけた玉藻は呆れ果てたと言わんばかりの声をあげる。しかし、そんな玉藻の鋭いツッコミに怯む様子は全くないリビュエー。一体誰に噛まれたのか、見ているだけで痛々しい歯形だらけの体でありながら涼しい笑顔を玉藻の方に向けて、玉藻達同様薬ビンの蓋をあけて中身をぐっと飲み干す。


「ダメだって言ってもついていくからね。なんたって、これからの私の人生かかっているんだから、多少の危険に怯んでいられないし、利用できるものはなんだって利用してやるんだから」


「あんた、クレオはどうしたの?」


「倒した!!」


「あ・・そう」


 誇らしげにとんでもないことを平然と呟く友人の姿に、思わずがっくりと肩を落とす玉藻。


「あ~、何よその顔。あいつを引離すのほんとに大変だったんだから。もう、なりふり構わずひっかいてくるわ、噛みついてくるわ。まあ、最後はぐるぐる巻きにして落としてやったけど」


「は、はぁっ!? あんた何やってんの!? まさかくれよんのこと殺したりしてないわよね!?」


「大丈夫、気絶させただけだから。まあ、ちょっと力入れ過ぎたせいか、締め落とした後しばらく息してなかったけど」


「ちょっとぉっ!?」


「だいじょぶだいじょぶ」


「ほ、ほんとに大丈夫なんでしょうね」


「うん・・たぶん」


「多分じゃダメでしょうが!!」


 恐ろしいことをさらっと言ってのける友人の姿に、眩暈を起こしそうな玉藻であったが、このままこの場に居続けるわけにはいかない。既に時刻は正午をかなり回っているのだ。急いで出発しないと、夜になってしまう。

 今にも萎えそうな心をもう一度奮い立たせた玉藻は、ここからはるか遠くに見える目的地をきっと見据える。

 そこには灰色の岩の色と、赤い熔岩の色に紛れてぽつんと小さな緑色の点が見えた。


「もう、いいから、出発しましょう。じゃあ、みんな行くわよ」


「はい、姐さん」


「あいよ、たまちゃん」


「回復はお任せください」


「後方からの援護攻撃は私が担当します」


「えっと、私先頭歩くね」


「よ~し、じゃあ、担当がしっかり決まったところで、出発だぁっ!!」


『おうっ!!』


 気合の入った女性達の掛け声を聞いて、うんうんと満足そうに何度か頷いた玉藻は、目的地目指して歩き始めようとした。

 ・・が、しかし。


「って、まて~い!! 今、明らかに返って来た返事の数がおかしかったよね!? どう考えても元いた人数の倍くらい返事があったよね!?」


『気のせいです』


「な~んだ、そっか、私の気のせいか。あっはっは。って、気のせいじゃねぇだろっ!! そこの娘っ子ども!! 何、しれっとついてきてるのよ!?」


『ばれちゃった。てへぺろ』


「『てへぺろ』じゃねぇわっ!!」


 またもや増えている参加者達の姿にまたもやツッコミの絶叫を放つ玉藻。

 いつのまにか彼女達のパーティに参加していたのは、三人の少女達。漆黒の武人Kの追っかけをしている陽光妖精(サンエルフ)族のフレイヤに、連夜の妹で上級聖魔族のスカサハ、そして、あの大乱闘の火付け役となったヘテ族のセラの三人。

 三人はバツが悪そうな笑顔を浮かべながらパーティのリーダー役である玉藻を見つめる。


「悪いとは思ったんですけど。その、できれば御一緒させていただけないかと」


「実は私達も道がわからなくて」


「絶対足手まといにはなりませんから、お願いします!!」


 一斉に両手を合わせて玉藻を拝み倒す三人娘。よく見ると三人ともリビュエーに負けず劣らず全身傷だらけ。正直、いろいろと面倒なことになりそうだし帰ってもらいたいところであったが、その傷だらけの姿と真剣な瞳を見てしまっては、そういう気力もなくなってしまった。


「しょうがないから、一緒に来てもいいわよ。どうせ、ダメって言ってもついてくるんだろうし。その代わり何かあっても私は責任持たないからね」


「「「ありがとうございます!!」」」


 こうして総勢六人のパーティで出掛けることになった玉藻達一行。

 足場らしい足場のない灼熱の熔岩地帯をえっちらおっちらと苦労しながら進んでいく。彼女達の前に立ちはだかる障害は勿論、熔岩ばかりではない。火口から飛んでくる熔岩弾。熱波に乗って流れてくる有毒ガス。崖の間から襲ってくる焔を纏った巨大なコガネムシ。そして、天を衝くほどの勢いで突然飛び出してくる間欠泉。どれもこれも命に関わる危険な障害ばかり。

 しかし、彼女達は初めて組んだとは思えないような素晴らしい連携プレーでこれらの障害を次々と突破。スピードこそ出てはいないが、確実に目的地に近付いていった。

 そして、その後もどんどん彼女達は歩みを進めていく。立ちはだかる障害を次々と撃破し乗り越え進んでいく。はるか向こうに点くらいにしか見えていなかった緑色が、次第に大きくなり、今ははっきり見ることができるまでになった。


 このまま順調に進めば、十分夜になるまでに行って帰ってくることができる。


 そうメンバー達が確信できるようになったとき。

 それは起こった。


 一番始めに異変に気がついたのは、メンバーの中で最も嗅覚の優れたアルテミスであった。

 進んでいく方向から流れてくる熱波に乗って何かが流れてくることに気がついた。最初は気のせいかと思って流していたのだが、次第にそれははっきりとし始め、そして、進むに従って我慢できないほどになった。

 アルテミスは、この異変の元凶を自分達の先頭を歩いている人物と判断した。

 と、いうのも、前衛である自分と玉藻よりも前を歩いている人物は、パーティの中にたった一人しかいなかったからだ。正直、これを指摘したくはない。女の子がこんなことを指摘されて平気でいられるわけないし、何よりもパーティ内に不和をばらまきたくない。そう思ってなんとか我慢していたのだが、その我慢もこれ以上はもう無理だ。

 アルテミスは意を決して、少し足を速めると、先を歩いているヘテ族の少女に近づいてその肩を叩いた。


「ちょ、ちょっといいかな、漢さん」


「え? 何、ヨルムンガルドさん? 何か見つけた?」


「いや、そういうわけじゃないんだが」


「は? 何よ? どうしたの、変な顔をして?」


「いや、そのつまり・・お、お腹を壊しているのか?」


「はぁ!?」


 顔を真っ赤にしながら問いかけてくるアルテミスの言葉の意味がわからず、思わず呆気に取られて固まってしまうセラ。そんなセラの態度をどう思ったのか、アルテミスは腰に装着したポシェットから黒い丸薬をいくつか取り出してそっとセラの手に握らせる。


「いや、無理に言わなくていい。わかってるから」


「え? は? いや、何が!? ってか、これ何? 何の薬?」


「いや、その、知ってるだろ? 急な腹痛とかによく効く薬、河童のマークの『聖魯丸』だよ」


「せ、『聖魯丸』!? なんで、『聖魯丸』!?」


 『わかってるから何も言うな』的な感じで薬をぐいぐい押しつけていく狼型獣人族の少女。そんな彼女の行動の意味がさっぱりわからないセラは、目を白黒させて頭にクエスチョンマークをいくつも発生させるばかり。

 しかし、よく周りを見てみるとセラ以外のメンバーはアルテミスの行動の意味がはっきりわかっているようで、一様に訳知り顔で頷いているではないか。


「あ~、やっぱりこれってセラだったんだ」


「それならそうと先に言っておいてよ。歩く順番変わったのに」


「いったい何をお食べになったんですの? これ相当なものがありますけど」


「ニンニクいっぱい使った料理とかですかね?」


「いや、単に食べすぎでお腹壊しているだけじゃ」


 そんな風に話ながら、セラ以外の女性陣達は一斉に鼻をつまんで顔をしかめている。

 流石のセラも事ここに至ってみんなが何を大騒ぎしているのか、ようやく察しがついた。

 そして、同時に彼女達が騒いでいる原因にも気がついた。他種族に比べ、あまり嗅覚が鋭くないヘテ族ゆえに他のメンバーよりも気がつくことができなかったのだ。

 しかし、いくらなんでもこれはない。これはあんまりすぎるだろう。そういう理由じゃないと信じたい。そもそもこれの原因は自分ではないのだ。

 しばし、黒い『聖魯丸』を握りしめて呆然とするセラであったが、とりあえず、メンバー達に事実を確認すべくわずかな希望を抱いて口を開いた。


「ま、まさかとは思うけど、みんな、この異臭が、私の体臭っていうか・・その、つまり、『おなら』だと思っていたりする?」


『うん』


「違うわぁぁぁぁっ!!」


 何の迷いもなく一斉に頷きを返すメンバー達を見て、完全にキレるセラ。


「え、違うの?」


「いや、全然違いますから!! 絶対違いますから!! ってか、さっきからこのあたりずっと匂いっぱなしじゃないですか。私の『おなら』どんだけ持続性があるんですか? しつこいにもほどがあるでしょ」


「いや、ずっと連発しているのかと」


「しねぇわっ!! どんだけ私のお腹の中にガスが充満してるのよ!? ってか、ちょっと、ヨルムンガルドさん、何、人のお尻匂ってるのよ!?」


「う~ん、なんか漢さんのお尻、異様に腐った卵の匂いがするというか」


「それ硫黄の匂い!! さっき、私が尻もちついたのあんた見てたでしょうが!!」


「いや、でも、確かにこの辺りで匂っているのは漢さんの体から出ているものとは違う気がします」


「おおっ、わかってくれてる『人』もいたあっ!! ありがとう、クロムウェルさん。ありがとうありがとう」


 やっぱり異臭の原因がセラにあるのではないかと疑い続けるメンバー達にの中にあって、唯一異論を唱えた陽光妖精(サンエルフ)族の少女。セラは感激に瞳を潤ませながら彼女の手をしっかりと両手で握りしめる。

 だが。


「だって、漢さんの体からいつも出てる体臭ってこういう生ゴミみたいな匂いじゃなくて、物凄く酸っぱい汗臭さというか、暑苦しい熱血臭というか」


「そうそう、こういうのとは違うよねぇ、って、ちょっとまて~い!! 汗臭さはともかく、熱血臭ってなんなのよ!? あんた、私をなんだと思ってるわけ!? そもそもいつもってどういうことよ、あんた、あたしとはクラス違うでしょうが!!」


「いや、漢さんの暑苦しいまでの熱血ぶりは学校内では超有名ですし」


「ああ、悪かったわね、暑苦しいほど熱血漢で悪かったわね!!」


「わかったわかった。もうおならでも硫黄臭でも生ごみ臭でも汗臭さでも熱血臭でもいいから、とりあえず『聖魯丸』飲んでおきなさいって」


「いや、だから、私じゃないっていってんべ!? ちょ、まっ、無理矢理飲ませようとするんじゃないわよ、この蛇女!! もう怒った!! どいつもこいつも文句があるなら今すぐかかってこいやっ!!」


 『うがぁっ!!』と雌ゴリラのような雄叫びをあげたセラは、とうとう完全にキレて暴れ出す。そんな彼女に対し、正面から戦いを挑もうとする者、止めようとする者、彼女から逃げ惑う者、反応は様々であるが、ともかくその場は大混乱。

 あと少しで目的地に到着できるというのに、とんだ足止めである。しかし、いつまでもここで騒ぎ続けているわけにもいかない。一人とっとと騒ぎから離れて事態を静観していた玉藻であったが、一つ溜息を吐きだすと、事態を収拾させるべく足を一歩踏み出した。

 そのとき。

 突然、何かが、いや、誰かが倒れる音が玉藻の耳に飛び込んでくる。どう聞いてもただ事ではないその音に、玉藻は勿論、騒いでいた者達も一瞬手を止めてそちらへと視線を向け直す。

 すると、そこには灰色の地面に倒れ伏す白銀の狼型獣人族の少女の姿が。

 玉藻は急いで彼女の元に走り寄っていくと、そっと彼女の体を抱き起した。


「どうしたの、あ~ちゃん!? しっかりしてあ~ちゃん!?」


 軽く頬を叩いて必死に呼びかける。すると、玉藻の声が聞こえたのか閉じられていた少女の目がうっすらと開いた。呼吸はまだ荒いものの、意識はしっかりあるようで、弱いながらもまだ多少力のある視線はまっすぐに玉藻のほうに向けられる。


「あ~ちゃん、大丈夫? 今、回復の『療術』を掛けてあげるからね」


「ね、姐さん」


「ん? どうしたの、あ~ちゃん、何か言いたいことがあるの?」


 妹分が何かを伝えようとしていることに気がついた玉藻は、自分の狐耳を彼女の口元に近づけてる。すると、アルテミスは両目をカッと見開き、わずかに残った力を振り絞る。


「ね、姐さん・・く・・」


「『く』? 『く』が何?」


「・・く・く・・くさ」


「『くさ』? 『草』ってこと?」


「く・・く・・くっさぁぁぁぁっ!!」


「ええええええっ!?」


 そう叫んだあと、アルテミスは目を閉じガクッと力を失くして気絶してしまった。 

 確かに。

 確かに、今、彼女達がいる場所は異様な匂いに包まれ始めていた。生ごみの腐った匂いというか、掃除していないトイレの匂いというか、肥溜のすぐ横にある鶏小屋の匂いというか、ともかく彼女達がかつて体験したことのないような凄まじい匂い。


 臭い。

 あり得ないほど臭い。

 狼型獣人族ほどの嗅覚はもたないが、それでも人並み以上の優れた嗅覚をもつ霊狐族の玉藻にとっても、この匂いはかなりきつい。

 

 しかもそれがどんどん強くなってきているから、たまったものじゃない。

 火山地帯では様々な有毒ガスが発生するが、そのいずれかなのか? そう思ってパーティの有毒ガス対策担当者であるラミア族の知人のほうに視線を向けてみる。だが、彼女はしっかりと首を横に振って見せた。


「あ~ちゃんが倒れたのは有毒ガスのせいじゃないの?」


「違う。いや、そのガスの匂いもあるかもしれないけど、少なくともガスに含まれている『毒』のせいじゃないことだけは確かよ。私がみんなにかけた『対毒』の『護術』はまだしっかり効いているもの」


 と、いうことはこの匂いそのもののせいでアルテミスは行動不能になったということなのか。しかし、まだまだ年若いとはいえアルテミスは歴戦の戦士である。そんな屈強な戦士を行動不能にまで追い込む匂いとはいったい。

 強烈な匂いのせいでうまく働かなくなりつつある脳みそを懸命に動かしながら、状況を打開する方法を模索する玉藻であったが、事態は彼女の予想をはるかに超えて急スピードで最悪の方向へと突き進み始めていた。

 アルテミスに続き、セラが倒れ、そして、次いでフレイヤが倒れてしまったのだ。


「だ、ダメだ。臭くてもう動けない」


「鼻が曲がるぅっ!!」


「ちょ、ダメよ、こんなところで倒れたら!!」


 アルテミス同様にぐったりして地面に転がってしまうセラとフレイヤに、玉藻に叱咤の声が響くがその声はもう既に届いていない。何度声を掛けても白眼を向いたままぴくりとも動かない二人の姿に、声を掛けることを諦めた玉藻。

 このまま三人をここに放置しておくわけにもいかない。目的地はすぐ目の前にあることだし、そこまでなんとか背負って行こうと考え、まだ無事なリビュエーとスカサハに声をかける。


「しょうがない。このままここにいる方が危険だから、なんとか三人を背負って農場まで連れていきましょう。私があ~ちゃんを背負うから、悪いけど、リビーはフレイヤさんを、スカサハちゃんはセラを背負ってあげて」


「・・」


「・・」


「ちょ、人の話ちゃんと聞いてる二人とも? 返事をしてよ、リビー、スカサハちゃん・・って、既に気絶してるし!?」


 少し離れたところでうつ伏せに倒れているラミア族の知人と上級聖魔族の少女の姿を見つけ愕然とする玉藻。もう、無事なのは自分しかいない。

 油断するととんでしまいそうな意識を懸命に繋ぎとめながら、鼻をハンカチで抑えてなんとか耐え忍ぶ。しかし、匂いはますます強くなってきており、このままここに留まり続ければ自分も彼女達の仲間入りをするのは時間の問題だ。

 葛藤に次ぐ葛藤。

 しかし、ここでこうしていても事態が打開されることは絶対にない。迷いに迷った末、玉藻は自分一人で農場へと行く決心をする。農場にまで行けば、助けを呼べるかもしれないからだ。いくら、火山地帯の僻地で年に何回かしか外の世界に繋がれないといっても、残って農場を管理している者達がいるはずだ。

 その考えに一縷の望みを託し、玉藻は彼女達を置いて走りだした。

 単純な身体能力は『狐』の姿のほうがはるかに上だが、変化すると嗅覚の能力までもが上昇してしまうため、多少能力の劣る『人』の姿で走るしかない。また、ハンカチで鼻を押さえながらという不自然な態勢なうえに、ハンカチの隙間から入ってくる強烈な匂いに耐えながらの行軍とあって、自分でもイライラするほどの鈍足ぶり。

 だが、それでも玉藻はなんとか農場に辿りつくことができた。

 玉藻の目の前には、熱帯雨林に生息している自然の植物を狩り込んで作った綺麗な垣根。そして、その中央にある茶色の門。

 今にも消えてなくなりそうな意識の中、門を潜り抜けながら、何気なく門の上を見上げた彼女は、そこに大きな看板をみつける。


「『スクナー・ドリアン農場』か・・ああ、スクナーって、連夜くんのファミリーネームの宿難(すくな)のことね。つまり連夜くんの御親族の方が経営している農場ってことか。なるほど。だから、連夜くんは、南部にしか生息していない高級果物の在処を知っていたのね」


 思わぬところでずっとわからなかった謎の一つを解読することができた玉藻は、苦笑を浮かべながら門を潜り抜ける。そして、まずは助けを求めるために農場の中に『人』を探そうとしたのであるが、ブラックアウトしてしまいそうな意識の中、はっと、あることに気がついた。


「あれ? さっき、農場の看板にもう一個重要なことが書いてあったような気が。あの看板、なんて書いてあったっけ? えっと、確か、スクナー・なんとか農場。なんとかが、なんだったかな、えっと、確か」


 そういって首をひねる玉藻の足元に、棘だらけの黄色の実が転がっているのが見えた。どうやら目の前の樹木から落ちてきたようである。玉藻はその特徴的な果実に見覚えがあり、そして、それを見た瞬間、看板に何が書いてあったかを思い出した。


「ああ、そうそう。確か『ドリアン』だったね。『ドリアン』って書いてあったよ、あの看板。そうそう、これってさ、食べると超おいしいんだけど、めちゃくちゃ臭いんだよね。生ごみの腐った匂いというか、掃除していないトイレの匂いというか、肥溜のすぐ横にある鶏小屋の匂いっていうか、もう、鼻が曲がりそうな匂いが・・って、これじゃん!! この匂いじゃん!!」


 足元にある棘だらけの大きな果実を拾いながら絶叫する玉藻。そして彼女は、自分の眼の前にズラリと並んだ熱帯雨林特有の背の高い植物の姿に愕然とする。見た目は彼女が知るドリアンのそれ、しかし、その大きさが全く違うものが樹木の一番高いところに一つずつなっているそれ。

 彼女は直感的に、それらが自分が採りに来た目的のものであることを悟った。


「ちょ、まさか、これが、『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』なの? つまり、『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』って、めちゃくちでかいドリアンのことなの!?」


 農場の入口に呆然とたたずむ狐が一匹。

 その狐めがけて一陣の熱風が吹きぬけていく。

 農場一杯に充満するある匂いを力一杯含んだ風が。

 そして、それを正面から受け止めることになった玉藻は。



 ・・その場で気絶した。


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