第十四話 『蛸竜の黄泉越え』 その6
当たり前であるが、同じ人を同じ時同じ場所で見たとしても、その見た人によって第一印象は大きく変わる。
ある場所に一人の偉丈夫がいて、たまたま同じ場所にいた二人の女性がその偉丈夫を初めて見た。
彼の外見に関する感想は二人ともほぼ同じ。鍛え上げられた逞しい肉体は見るからに強そうであるが、だからといって筋肉のせいで太って見えることはない。絞り込まれた筋肉と平均的な一般男性よりも遥かに高い長身のおかげでスタイルは抜群。口をへの字に曲げた仏頂面でありながら、若さと精悍さが喧嘩することなく同居したその甘いマスク。
文句なくハンサムで美男子であると二人とも認識していた。
だが、だからといって二人が二人とも相手に好印象を持ったわけではない。
一目見ただけで、片方は彼を『まるで夢物語に登場する王子様みたい』と思った。
一目見ただけでもう片方は彼を『いけ好かない嫌な奴』と思った。
どちらも同じ人物を見た感想である。
二人の女性がどのような女性だったかを説明すると、まず偉丈夫に好印象を持った女性は現役の女子高生。
城砦都市『嶺斬泊』に存在している進学校『御稜高校』に通う十七歳の女の子。
『漢 世羅』
彼女がこの偉丈夫と出会うことになった経緯はこうである。
学校のテストに出題される問題をクリアする為にどうしても素材となる高級果物『高香姫の榴蓮』が必要となったセラは、同じクラスメイトのロスタム・オースティンに助力を求め、彼の真友連夜とその仲間達と共に『高香姫の榴蓮』が自然に生えているという『外区』へと出発することになった。
元々この小旅行には、ロスタムと連夜達だけで行くはずだった。だが、当事者である自分が安全なところで待っていることをよしとできなかったセラが、無理にと頼んで連れて行ってもらうことになったのだ。
無理に参加させてもらった以上、絶対に役に立たなくてはならない。ましてや足手まといになぞなるものかといきりたっていたのであるが、現地に向かう馬車の中で説明された高級果物獲得作戦にセラの名前はなかった。あくまでもお客さんとして扱うというロスタムと連夜。そんな二人に怒り心頭になったセラは、どうしても参加する、参加させろと詰め寄っていったのだが、二人は苦笑するばかりで参加を認めてはくれなかった。結局、留守番組のメイド達と一緒に馬車に残された。
しかし、彼女はこの程度のことでくじけるような大人しい性格の少女ではない。
連夜達が出掛けていった後、すぐに彼らを追いかけるべく馬車から出て出発。慣れない森の中を、溢れる気合と勇気に任せてズンズンと進んでいく。
だが、勇気だけで進んでいけるほど『外区』は甘い世界ではない。あっというまに森の中で迷子になった上に、気がつけば巨大な蟻達に取り囲まれている始末。戦って道を切り開こうと思っても、飛び入り参加だったこともあって武器も防具も持ってきてはいないセラ。いくら元気がありあまっているといっても、気合十分といっても、勇気凛凛だとしても、流石にどうすることもできない。助けを求めようとも、連夜もロスタムも、他のメンバーもとっくに見えなくなってしまっている。
絶体絶命の大ピンチ。
大人しく馬車で待っていればよかったと今更ながらに後悔しても遅すぎる。敵意と害意を剥き出しに迫ってくる蟻達はセラを逃がすまいと周囲を取り囲み、逃げ出すことももうできない。セラにできる唯一のことは死を覚悟することだけだった。
逃れることのできない確実な死を前に、セラは愛する両親や兄弟姉妹達に別れの言葉を胸の中で叫ぶ。
(お父さん、お母さん、みんな、ごめん!!)
目を瞑りすぐにやってくるであろう最後の瞬間に備えるセラ。
だが、ついに死は彼女の元にはやってこなかった。
彼女の前に現れたのは冥府からの使者ではなく、黒衣を纏った一人の武人。一陣の突風と共に現れた彼はセラを横抱きにして蟻達の包囲網から脱出。蟻達から少し離れた安全圏に彼女を下ろすと、元いた場所へととって返し襲いかかろうとしていた蟻達を迎え討った。
彼の拳が旋風を呼び、彼の手刀が雷鳴を呼ぶ。そして、彼の必殺の一撃が嵐となって蟻達を薙ぎ倒す。
全ては一瞬の出来事。
その場にいた蟻達全てを片づけた彼は、呆然としたまま座りこむ彼女の元へ悠然とした足取りで戻ってきた。見上げた彼女の目に映るのは愛想のない仏頂面。しかし、その口から発せられる声は、優しさと温かさに溢れていた。
『大丈夫か?』
短いが本心から気遣ってくれているとわかる言葉。しばし、その姿に見惚れ、その声の余韻に浸っていたセラ。だが、黙っていては失礼にあたる。感謝の気持ちを声に出さなくてはと慌てて『ありがとう』と口を動かすが、何故か緊張して声にならない。情けなくて涙が出そうになったセラであったが、幸い相手はセラの唇の動きから何を言いたいのかちゃんとわかってくれていた。
かすかに口元を緩めてほほ笑んだあと、彼は彼女を再び横抱きにする。そして、とりあえず安全なところまで運ぶと連夜達の元へと連れて行ってくれたのであった。
今までセラは全く男子に興味がなかったし、恋愛にも興味をもったこともない。彼女の友人達は恋愛小説や少女マンガ、あるいはイケメンや人気アイドルが出演しているトレンディードラマに夢中で、彼女の側でいつもわいわい盛り上がっている。セラはそんな友人達に付き合って、その話の輪の中に加わってはいるが、おもしろいと思って聞いたことなど一回もない。
どちらかといえば、少年漫画にでてくる友情バトルのほうがよっぽど面白いと思うし、自分もそんな漫画の男の子達のように、あるいはヒーローのようになりたいと思っていた。
そんなセラが、今日、生まれて初めて恋をした。
完全に一目惚れであった。
一応、自分を手助けすることを申し出てくれた同じクラスメイトのロスタム・オースティンが少し気になっていたといえば気にはなっていた。このまま彼との付き合いが深くなっていれば恋になっていたかもしれない。
が、それらの思いを完全に塗りつぶしてしまうほど、黒衣の武人との出会いは強烈であったのだ。
さて、今度はこんな偉丈夫に悪印象を持った女性について説明しよう。
彼女の名は如月 玉藻。
言うまでもなくこの物語のメインヒロインだ。
外見的な印象に悪い印象を受けなかった彼女が何故、彼に悪印象を抱いたのか?
それは。
「眼つきが気に入らない。雰囲気が気に入らない。匂いが気に入らない。とにかく何もかもが猛烈に気に入らない。連夜くんの相棒か何か知らないけど、私は絶対にこいつとだけは慣れ合わないし、慣れ合えない」
連夜から彼を紹介されたとき、彼女は聞えよがしにそう断言した。
そして、敵意を隠そうともせずに、自分の目の前に立つ漆黒の武人を睨みつけたのだった。
漆黒の武人。
彼のことを玉藻の恋人連夜は、『K』と呼んだ。
全身を武骨なバトルスーツで覆い、その上にはあちこちに穴や傷のあるボロボロの黒マント。額には凝った意匠の施された鉢がねを着用し、両手には古びた指抜きの黒い籠手。
黒、クロ、くろ。全て黒。
バトルスーツも、マントも。鉢がねもブーツも籠手も。そして、目も、髪も黒。全身真っ黒けだ。
とにかく非常に特徴的な外見の彼。一度見たら忘れられないような容姿の彼であるが、その種族については流石の玉藻も見破ることができなかった。
獣人族のように動物の姿をしているわけでもなく、聖魔族のように異形の姿をしているわけでもない。
エルフ族のように耳がとがっているわけではない。人魚族のようにエラがあるわけでもない。
目と耳は二つ、鼻と口は一つ、髪の毛があり、胴体は一つで手と足は二本ずつ。
特徴らしい特徴がない。
体は平均的一般男性に比べるとかなり大柄だが巨人族というほどでもなく、顔は非常にハンサムであるが纏翅族のような神々しい美しさではない。
これだけ特徴がない種族となると、いくら何百、何千とある『人』の種族といえど限られてくる。
玉藻は、武人を睨みつけたまま隣に立つ恋人に問いかける。
「こいつって、連夜くんと同じなの? つまり、人間族?」
恋人は彼を『相棒』だと言った。だとするならば同じ種族でもおかしくはないと玉藻は考えたのだ。しかし、その考えはあっさりと覆される。
しかも、予想外の答えを持って。
「違います。『K』は人間族なんかじゃありません。『K』は龍族です」
「は、はあぁっ!? り、龍族!? こいつが!?」
本気で驚いた玉藻は思わず相手を睨みつけるのも忘れ、隣に立つ恋人のほうに視線を向け直す。すると、なんともいえない苦笑を浮かべた恋人がゆっくりと首を縦に振って肯定する姿が見えた。しばし呆然と恋人を見つめる玉藻。しかし、すぐに視線を恋人から外した玉藻は、再び視線を武人のほうへ。より正確には武人の頭へと向けた。
そこには角がなかった。
龍族を龍族たらしめていると言ってもいい、鹿に類似した立派な龍の角。
その角が彼の頭には存在していなかった。
では、彼は龍族ではないのか? 恋人が言ったのは冗談なのか?
いいや違う。彼女の恋人はこういうことで嘘や冗談を言う人物ではない。
とするならば、やはり彼は龍族なのだ。
角のない龍族。
他種族のことにあまり興味のない玉藻であったが、それが意味することくらいは知っていた。
厳しい封建制度を守る龍の一族にあって、角を持たずに生まれてきた者に与えられる地位はたった一つしかない。
『奴隷』だ。
龍の王族や貴族達から死ぬまで虐げられ続ける運命を背負わされた者達。
そんな龍族の『奴隷』として生まれたきた彼が恋人の『相棒』だという。
彼女の恋人は、過去にあった悲しいいくつもの経験から『人』をモノとして扱う者達を激しく憎悪し、絶対に許さない。
そんな恋人がこの武人のことを『相棒』と呼んだ。そこには絶大な信頼が込められている。玉藻に対する『愛』とは違う形の何か。その絆の上に玉藻の知らない、玉藻も立ち入れない場所がある。
『愛』とか『恋』とかではない。それはわかる。この目の前の男がそう言った意味で彼女の恋人を連れて行ってしまうことはない。それもわかる。
だが。
彼と恋人が交わす視線の中に、玉藻の知らない何かがある。
彼と恋人の間に作り出された雰囲気の中に、玉藻が入っていくことができない。
彼と恋人に共通する匂いがあり、それは玉藻の知らないものだ。
気に入らない。もう、壮絶に気に入らないし、めちゃくちゃ気に入らない。
「やっぱ、気に入らない。連夜くんには悪いけど、こいつのこと死ぬまで、絶対に、何があっても好きになることはないと思うわ」
『人』の姿になっていた玉藻であるが、顔だけを『狐』にもどし猛り狂う表情で唸り声をあげる。
表情だけではない。全身から拒絶のオーラを発し、拳を握りしめ、目を吊り上げて盛大に相手を威嚇する。
気の弱い者ならそれだけで失神してしまいそうな鬼気迫る様子
だがしかし。
それは彼も同じであった。
「激しく同意だ」
短くそう呟いた彼は、不快そうに玉藻を睨みつけたのである。
共通の知人。それもお互いに取って何よりも大事で大切な人物である連夜を間に挟んで睨みあう二人の武人。両者の目と目の間で盛大に火花が散る。
そんな二人を交互に見つめていた連夜であったが、ふと脳裏にある一人の人物が発した言葉が甦る。
『『手の法』は相手の肉体を破壊することに重きを置いた技。『足の法』は相手の精神を破壊することに重きを置いた技。どちらが優れているというわけではない。いわば、コインの表と裏よ。わしはこの二つの技を二人の弟子にそれぞれ一つずつ教え、やがて彼らが全てを修得し終えたそのときに皆伝を与えた。だがな、どちらも自分が修得した技以外にもう一つ似たような技があることを知らぬ。『手の法』を教えた弟子は『足の法』があることを知らず、また、『足の法』を教えた弟子は『手の法』があることを知らぬ。何故ならわしが二人に教えなかったからよ。勿論、弟子同士もお互いのことを知らぬ』
そう連夜に語ってくれたのは年老いた一人の武術家。
父の古くからの知人であるという彼は、まだ中学生であった連夜に彼の無敵の武術と、そして、彼の二人の弟子についていろいろと教えてくれた。
そのとき既に二人の弟子達と浅からぬ関係にあった連夜は、一字一句聞き逃してはならじと必死に彼の話しを聞いていたわけだが、最後に彼はとんでもないことを連夜に告げた。
『二人ともわしが手塩にかけて育てた。わしが生涯をかけて完成させた武術を、半分ずつとはいえわずか数年で会得しその技を極めし者達よ。その実力は今やわしを凌駕しておるやもしれぬ。だが、だからこそ、奴らはお互いの存在を許すことができぬやも知れぬな』
『と、いいますと、老師?』
『二人が出会ったら死合になるやもしれぬな』
『仕合でございますか?』
『仕合ではない。死合よ』
今でもあのときの老武術家の顔に浮かんでいた表情をはっきりと思い出すことができる。
まるで楽しいいたずらを思いついた悪ガキのような表情を。
(老師、いくらなんでも、これは悪ふざけが過ぎますよ)
心の中でそう嘆息し、もう一度二人の知人達に視線を向け直す。険悪なムードは相変わらずで、それどころか徐々に悪化していっているようにも見える。このまま放置していても時間が解決してくれる気配は全くなさそうだ。
連夜は何かを諦めたかのように大きく一つ溜息を吐きだした後、二人を止めるようにして両腕を挙げた。
「はいはい、僕の目の前で喧嘩はしないでくださいね」
「「(怒)」」
「いや、こうなるんじゃないかって予めわかってたから、それほど慌てはしないけどね。はいはい、玉藻さん、ファイティングポーズ取らないでください。ほらほら、Kも闘志剥き出しで挑発しないの」
あからさまに『やっぱりね』という風に二人を引離す連夜。
そんな連夜の態度に同時に気がついた二人は、やっぱり同時に口を開いてそれを問いただそうとする。だが、目の前にいる相手が自分と同じことをしようとしているのがわかった瞬間、またもや同時にお互い口をつぐみ再び睨みあいが勃発。
「やめやめやめ。ちょっと、睨みあうのやめましょう。ね」
「「(困)」」
お互い横目で相手を油断なく睨みつけてはいるが、流石に連夜の言葉を無視することはできずしぶしぶ視線を相手から外し連夜のほうへと向ける。
完全ではなくてもなんとか二人が敵意を抑えつけてくれたことにほっと安堵の息を吐きだした後、連夜は首振り人形のように交互に二人に顔を向けながら話を始めた。
「とりあえず、いろいろとお互い言いたいことはあると思いますが。一旦休戦ということで、いいですね」
「連夜」
「ん? 何、K?」
「こいつは誰だ?」
苦虫を噛み潰したような表情で連夜に問いかけてくる相棒の姿に、なんとも言えない苦笑を浮かべて見せる連夜。
「ああ、そういえばKにはまだ紹介していなかったっけ。こちら、如月 玉藻さん。僕のその彼女というか、まあ、恋人」
顔を真っ赤にして照れ笑いを浮かべた連夜は、心から嬉しそうに玉藻のことを紹介する。しかし、それを聞いていた彼の相棒はというと、とても祝福の言葉を口にするような雰囲気ではない。額に盛大に皺を寄せ、仏頂面を益々濃くしながら口をへの字に曲げる。
「恋人? こいつが?」
「こ、こいつって、言い方はやめてよね、K」
相棒の思わぬ暴言に訂正を要求する連夜。だが、相棒に訂正しようとする気は全然見えず、それどころかとんでもない一言を口にした。
「・・ブス」
「な、な、なんですってぇっ!?」
再び燃え上がる敵意の炎。連夜は二人の間に慌てて割って入ると、戦端を開かぬように停戦の交渉に入る。
だが。
「ちょ、二人ともほんとに勘弁してください」
「連夜くん、どいてちょうだい!! 今の聞いていたでしょ、こいつが私になんて言ったか!?」
「さ、さぁ、よ、よく聞こえなかったような」
「ブスと言ったんだ」
「ちょっ、ケイッ!!」
「上等じゃない。喧嘩売ってるよね? 私に喧嘩売ってるんだよね!?」
「売ってない」
「じゃあ、今のは何よ!?」
「事実だ」
ブチッ!!
何かが千切れる音と共に、二匹の獣の咆哮が森の中に木霊する。
手加減無用のフルパワー。出し惜しみなしの殺意全開。お互いを殺し滅す為の必殺の一撃を、ノーモーションで何の躊躇いもなく撃ち出した二人。スピードもパワーも、そしてその殺人テクニックすらもほぼ同じ二人が激突する。
違うのは、手を出したか、足を出したかの違いだけ。
当たれば即死間違いなしの、超ど級に危険な文字通りの必殺攻撃。
だが、しかし、予め二人の衝突をわかっていたという連夜の言葉は嘘ではなかった。彼は、彼の身内が誰ひとり傷つかないように常に最悪の事態を想定して策を練る。
それが宿難 連夜という少年だ。
「はいはい、大人しくしろよ。K」
「すいません、K様。お兄様の御命令なのです」
「む、むう、Jにスカサハか」
「ダメよ、たまちゃん。Kは私達の大事な人なんだからね」
「そうですわ、私の未来の夫に手を出さないでくださいまし」
「ちょ、放してよ、リビー、くれよん!!」
間一髪、二人が激突するよりも早く、周囲を取り囲む人垣の中から四つの影が飛び出してきて二人の猛獣を取り押さえた。流石の武の化身達も、背後からの不意打ちには対処できず、四つの影に完全に取り押さえられてもがくばかり。勿論、連夜がこのことがあることを見越して予め連夜が彼らに命じていたのだ。
「なんでこうも、最悪の予想ばかり当たるんでしょうね。我ながら嫌になりますよ」
彼の目の前で性懲りもなくもがき続けている二人の武人達の姿に頭を抱える連夜。
「放せ、J、スカサハ。一撃でいい。一撃でいいのだ」
「いや、ダメに決まってるだろ。おまえの渾身の一撃食らったら、即死するじゃん」
「放して、リビー、くれよん。一蹴り。一蹴りでいいのよ」
「いや、ダメに決まってるでしょ。あなたの必殺シュート食らったら、あの世に直行しちゃうじゃない」
Kを羽交い絞めにしているJと、玉藻を蛇の胴体でぐるぐる巻きにしているリビュエーが、それぞれ同じような呆れた表情を両者に向ける。だが、そんな表情を向けられても一向に二人は懲りる様子を見せない。拳がダメなら別の方法とばかりに、自分が動かせる場所を使って相手にダメージを与えることにした。
「わかった、一撃は諦める」
「あれ? なんか急に聞きわけがよくなったね、K。わかってくれたの?」
「うむ。その代わり、この女と別れてくれ」
「は、はぁっ? 何いってくれてるの、こいつっ!?」
「いや、それは無理だから。ってか、玉藻さんの何がそこまで気に入らないのさ」
「でかい割に微妙に左右バランスの悪いケツ」
「ぶほっ!!」
「う、うわあっ!! ひ、人が一番気にしていることを口にしたわねぇっ!! 殺すっ!! 絶対殺してやるからね、あんた!!」
「け、ケイッ、なんてこというの君は!? よ、よりによってそこを口撃するか!?」
「連夜くん、こんな奴と今すぐ縁を切って!! 相棒だかなんだか知らないけど、もう我慢できない!!」
「すいません、ほんと申し訳ありません。後でちゃんと叱っておきますから、どうか僕に免じて許して下さい」
「わかった。連夜くんがそこまで言うなら許してあげるわ」
「え? ほんとですか? あれ? なんか妙に簡単に許してもらえたなぁ。あれ? あれれ?」
「その代わり、こいつの----【自主規制】----を伸ばしてかぶせる逆----【自主規制】----手術を受けさせて」
「ぶはっ!! た、玉藻さあぁぁん!?」
「殺す。必ずぶっ殺す!!」
「何言ってるんですか!? 何言っちゃってくれてるんですか!? 女の子が----【自主規制】----とか、----【自主規制】----手術とかそんなこといっちゃらめぇぇぇっ!!」
『ダメだこりゃ』
仲が悪い。ともかく仲が悪い。『竜虎』相搏つではなく、『竜狐』相搏つだ。拘束された状態で直接喧嘩ができないなら、口で攻撃するまでとばかりに罵詈雑言の雨あられ。普段無口で滅多に口を開かないKが、このときばかりはフル回転で舌と頭をまわし、人の悪口を言うことが好きではない玉藻も、負けてはいられじと信じられないような下品な言葉を連発する。
しかし、所詮は言葉の攻撃で体が傷つくわけではない。お互い精神に深いダメージを相手に与えはするものの決定的な一撃ということにはならないのだ。二人の戦いは次第に泥仕合の様相を色濃くし始めていた。
二人を羽交い絞めしている四人も、Kを見ようと集まったファンクラブの者達も、そして、最大の当事者である連夜自身も、いい加減うんざりし始めていた。そんなとき、思わぬところから救いの神が現れる。
「お~い、連夜。熱波対策の薬、人数分できたぜ。そろそろ『高香姫の榴蓮』取りに行こうや・・って、みんな何やってるんだ?」
森の奥から現れたのは、クリス、フェイ、ロム、アルテミスの四人組。手にいくつかの薬瓶を持って、にこやかな表情で連夜達の元にやってきた彼らだったが、広場で繰り広げられている異様な口喧嘩の光景に気がつくと、しばし唖然としてその場に立ちつくす。
「あ~ちゃん、いいところに来た。ちょっと聞いてよ、この目の前にいる----【自主規制】----ヤロー最低なのよ」
「クリス、すまないが、Jとスカサハに手を放すようにいってくれないか」
自らの知人達の姿に気がついたKと玉藻が、自分達を自由にするように猛アピールを開始。しかし、困惑するクリス達に、連夜はゆっくりと首を横に振って見せるのだった。
「二人の話は聞かなくていいからね。それよりも、薬できたって?」
「あ、ああ。言われた通り人数分だけな。俺、ロム、フェイ、おまえ、J、Kの六つ分」
「ありがとう。ちょうどいたたまれなくなってきたところだったから助かったよ」
「いいってことよ。ところでKと姐さんの間で何があったんだ?」
「見解の相違って奴だよ。まあ、いずれ時間が解決してくれ・・」
そう言いかけて二人のほうを振り返った連夜であったが、何かを諦めたように首を横に振りながらすぐにクリスのほうに顔をもどした。
「・・そうにないから、とりあえず、用事をさっさと済ませて今日のところは解散することにしよう」
「うん、詳しい事情はよくわからないけど、俺もそれが一番いいような気がする」
連夜の背後に視線を向けたクリスは、飽きもせずに舌戦を繰り広げている二人の武人の姿を見てなんとも言えない表情で頷きを返す。そんなクリスに、連夜はもう一度苦笑を浮かべて見せると、背後を振り返ってそこにいる者達に声をかける。
「はい、ほんとに遊びは終り。J、スカサハ、リビュエーさん、クレオさん、ありがとうございました。もう放してもらっていいですよ」
一瞬、二匹の猛獣を放すことに逡巡した四人であったが、もう一度頷く連夜の姿を見て手を放す。やっと拘束から解かれた二匹。すぐさま相手に躍りかかるべく、戦闘態勢の構えを取りかけたが。
「手を出したら、その攻撃は僕が受けますから。どうぞ存分に殺し合ってください」
ぞっとするような冷たい声。そこに秘められた覚悟がどれほどのものか、わからない二匹の獣ではない。音速を越える自分の一撃を代わりに受けるなど、ただの人間にできるものか。ハッタリだ。なんて二人は考えたりはしなかった。
自分達の共通の知人がやると言った以上、必ずやってのけることを、彼らはよ~くわかっていたからだ。肉体的には彼らよりも遥かに劣り、武術の腕前なんて全く持ち合わせてはいないちっぽけな生き物。しかし、その体には彼らが想像もつかないような牙や、爪や、そして毒が秘められている
なので、二人は物凄く気に入らなかったが、しぶしぶ拳を納めることにした。
「「今だけだ」」
お互いがお互いを睨みつけて指を突き付けながら傲然と宣言する。そんな二人の間で連夜は盛大に溜息を吐きだしながら肩をすくめて見せるのだった。
「『今だけ』じゃなくて、『ずっと』にしてよ、お願いだから」
「「ふんっ!!」」
息が合うのか合わないのか。連夜の言葉にほとんど同時にそっぽを向く二人。そんな二人の様子に周囲の者達も呆れ顔を隠そうとしない。だが、いつまでもそうしているわけにもいかず、連夜はそっぽを向いている二人のうちの一人に声を掛けた。
「はいはい。二人の反りが合わないのはよくわかりました。それはともかく、薬も来たことだし、当初の予定通り『高香姫の榴蓮』を取りに行くよ。いつまでもへそを曲げていないで手伝ってよね、K」
「勿論だ」
連夜に声を掛けられたKは、悠然と首を縦に振ると連夜を守るようにぴったりと後ろについて移動を開始。その際、玉藻のほうに視線を向けた彼は、見せつけるように一瞬だけニヤリと笑みを浮かべてみせた。
だが、そんな勝利の笑みを見せつけられた玉藻は黙ってはいられない。慌てて連夜に追いつくとその腕を掴んで止める。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って連夜くん。私を置いてどこに行く気なのよ」
「ああ。ちょっとそこの『火龍の涎』山にある農場に行ってきます。ちょっと、いろいろと問題のある場所なので、男衆だけで行ってきますから、玉藻さん達はここで待っててくださいね。すぐもどってきますから」
事もなげな様子でそう話した連夜は、いつも通りの優しい笑顔を玉藻に浮かべて見せる。そして、徐に手にしていたボロボロのガスマスクを装着。先程、口にしていた出発メンバーに目で合図を送る。
すると、その合図に答えて、クリス、ロム、フェイ、Jが頷きを返し、最後に連夜の背後に立つKが、ぽんぽんと連夜の肩を叩いて『了解』したことを示した。そんな彼らの様子を満足そうに見つめたあと、連夜はすぐ目の前に見える活火山『火竜の涎』に向かって一歩踏み出そうとした。
だが。
「ちょっと待った!!」
誰かが連夜の手を引っ張って止める。
それは誰か。
「私よ!!」
「た、玉藻さん? どうしたんですか?」
振り返った連夜の目に、再び完全な『人』の姿になった玉藻の姿が映る。その表情は真剣そのもので、その瞳には何かの決意の色。盛大に嫌な予感がする連夜に向かって、彼女はとんでもない一言を口にする。
「『高香姫の榴蓮』は・・私が取りに行くわ!!」
「へ?」
一瞬、自分の恋人が何を言い出したのかわからなかった連夜。思わず間抜けな表情に目を点にして彼女を見つめる。しばし流れる沈黙の時間。
そんな静寂に先に耐えられなかったのは、連夜ではなく彼女のほうであった。
「だぁかぁらぁ、私が『火竜の涎』山に行くっていってるの!?」
「な、な、なんで? なんでそんなことを突然仰られるんですか?」
「決まってるじゃない」
苛立つように宣言する恋人に、慌てふためいて事情説明を求める連夜。そんな連夜に対し、玉藻は大きな胸を見せ付けるように張り出しながら、自信満々に言い放つのだった。
「そこの木偶の坊よりも私のほうが何倍も格好よくて、何百倍も役に立つって証明するためよ!!」