第十四話 『蛸竜の黄泉越え』 その5
北方最大の『ドラゴンズバック』山脈の麓に鬱蒼と広がる森の中。
場違いな女性達の大歓声の中に紛れて、一人の若い女性の悲鳴が響き渡る。
「いやあっ!! ほんとにやめてよっやめなさいってばっ!! ちょっ、連夜くんを踏まないで!! そこのあんたは、連夜くんを蹴飛ばすな!! そこのおまえ、足元に連夜くんがいるのに真下を向いてくしゃみすんな、てか、ソフトクリームを落とすのやめなさい!! あ~、もう、ほんといい加減にしろおっ!! あんた達本気でぶっ殺すわよ!!」
女性達の足元で、まさに踏んだり蹴ったりの状態にある最愛の恋人の哀れな姿を見て、本気で涙目になって悲鳴を上げ続けているのは、勿論、他でもない玉藻である。
そして、悲鳴すら挙げることができずに地面を転がりまわされているのは、降りかかる災難から解放されないでいる彼女の最愛の恋人連夜。
ゴリラのような獣人族のおばちゃんのでっかい尻に下敷きにされ、やっと解放されたと思ったらたくさんの女性達の大移動に巻き込まれて踏まれまくりの蹴飛ばされまくり。その上くしゃみはされるわ、鼻水は落とされるわ、ジュースはこぼされるわ、挙句の果てにはベテラン芸人ばりにあつあつおでんが顔に振ってくる始末である。
よくもまあ、これだけ災難が続くものだと思わず感心してしまいそうな状況であったが、当人達にとっては感心している場合ではない。
特に恋人至上主義者の玉藻にとって、こんな惨状を見せ付けられ続けて普通にいられるわけがなく、半狂乱になりながら女性達の人垣の中に飛び込んだ彼女。熱狂して暴れまわる女性達にいいように小突きまわされながらも、なんとかかんとか恋人の体を引きずりだすことに成功した。
これが、ゾンビの群れであったなら恐らく今頃恋人の小さな体は骨も残さず食べられてしまっていたのだろうが、幸い相手はただの『人』。
彼は見るも悲惨な状態ではあったが、なんとか五体満足で生きていた。
「あ、あ、ありがとうございます、玉藻さん。た、助かりました」
「うええぇ~ん、全然助かってないよぉっ!! 連夜くんがボロボロになっちゃったよぉっ!!」
誰かに殴られたのか目に青い輪っかを作り、頬には切り傷。唇はなぜか火傷したみたいに腫れあがってるし、戦闘用マントは無数の靴後やら、ソースやら、ケチャップやら、たべかけのソフトクリームやらでぐちゃぐちゃ。
そんな状態でも連夜は、心からの笑顔で自分を助けてくれた美しい恋人に礼を言う。
だが、そんないじらしい姿が余計に玉藻の心に悲しみを生み出し、彼女はしばらくボロボロの恋人の小さな体を抱きしめて泣き続ける。
「ごめんねごめんね、連夜くん。私があなたの側を離れたばっかりにこんなことに」
「いや、これは純粋に事故ですから、そんなに泣かないでくださいってば。大丈夫です。これくらい全然平気です、平気。ね」
涙をボロボロこぼして泣き続ける玉藻の体を心配そうに抱きしめてポンポンと優しく背中を叩いた連夜は、しばらくそのまま抱きしめ続けたあとそっと、その体を離す。そして、一度玉藻ににっこりとほほ笑みかけたあと、いくつかの拳大の【珠】をマントの内側から取り出してそれを宙へと放り投げた。
「勅令! 【高速再生】 急々如律令!!」
宙に浮かぶ【珠】に向かって印を結んだ両手を組み合わせて力ある言葉を紡ぐ。すると、【珠】から漏れ出た光がそのまま連夜の体へと降り注ぎ、彼の体を包み込んで激しく発光。あまりの眩しさに玉藻は一瞬目を瞑ってしまったが、やがて恐る恐る目を開いてみると、そこには傷一つないいつもの恋人の笑顔があった。
「はい、治療完了。もうね、毎日のように殴られてるものだから傷を治すのも慣れたもんですよ。あっはっは」
虚勢の言葉ではないし、無理しているわけでもない。いつも通りにいつもの優しい笑顔。その笑顔を見てほっと安堵の溜息を吐きだす玉藻。
他人がどうなろうと全然興味がなく、自分が傷つくことも全く恐れない玉藻であるが、恋人の連夜だけは別だ。彼が傷つくことだけは恐ろしくてたまらない。ましてやそれ以上のヒドイ目に恋人があうなどとなると考えたくもない。彼は本当に彼女の宝なのだ。絶対に誰にも傷つけさせたくない自分の命と同じくらい大事で大切な宝物なのである。それが目の前で盛大に傷つけられ、永遠に失ってしまうかもしれないという恐怖に襲われた玉藻であったが、それはどうやら彼女の取り越し苦労だったようである。
ほっと胸を撫で下ろした玉藻。涙が未だに滲む瞳で恋人のほうに視線を向けると、恋人が両手を広げてもう一度抱擁をかわそうと近づいてくるのが見えた。玉藻も両手を広げて恋人の体を抱きしめようとしたのだが、腕を伸ばしかけた途中であることを思い出した。
一瞬にして玉藻の中の感情が切り替わる。
彼女の心の中を凄まじい勢いでごうごうと燃え出した何かの命じるまま、彼女は近づいてきた恋人に違う意味で手を伸ばした。
「痛い!! 痛いイタイいたいです、玉藻さん!? な、何故にアイアンクロー!?」
「何故にじゃないでしょうが!! 胸に手を当てて考えてみなさい、この薄情者!!」
「え、ええええっ!?」
突然顔面を鷲掴みにされてギリギリと締めあげられることになった連夜は、堪らず悲鳴をあげる。恋人の発言からどうやら自分に非があるようなのだが、さっぱりわからない。一応、手加減はしてくれているらしく拘束されている顔面は痛くはあっても潰される心配なさそうではある。だが、放っておけばいつまでも苦痛が続くだろう。それはどう考えても楽しい体験ではない。とりあえず、ここは素直に謝って教えてもらうことにした。
「わ、わかりません、わかりませんが、とりあえずごめんなさい」
「まぁっ!? わからないっていうの!? この期に及んでシラを切る気!?」
「いてててててっ!! ちょ、ほんとに痛いですって、玉藻さん。ほんとにわからないんですよ。何か御気に障ることをしたのでしたら、全力で謝ります。ですからとりあえず、理由を教えてください、お願いします」
必死に謝り倒す連夜。自他共に認める腹黒の策謀大好きひねくれまくり少年連夜であるが、玉藻に関してだけはいつもいつも真っ直ぐである。そこに駆け引きはほとんど存在しない。どれだけ自分が不利になろうと、決して手持ちのカードは隠さない。彼が玉藻と相対しているときに切り札を隠すときは、決まって相手が不利になるときだけだ。
そんな彼であるから、睨みあいになると絶対的に不利になるのはむしろ玉藻のほうとなる。一点の曇りもない目で謝られてしまっては、自分の心の暗部を照らし出されているようで罪悪感は五割増。そうなってしまうと駄々をこね続けるのも拗ね続けるのもなかなか難しいからだ。
みるみるうちに玉藻の中の怒りの炎は鎮火していく。
しかし、代わりの何かがこみ上げて来て、それを抑えられずに玉藻の顔がくしゃりと歪む。
「うぇ、うえぇぇ、私のこと置き去りにしたじゃない!!」
「お、置き去りって、玉藻さん、何かご用があったんじゃないんですか?」
「びえええん。あったもん。びえ、びえ、びえええ。とっても大事な用事があったもん」
「でしょう? 突然飛び出して行かれたから何か理由があるのだろうっていうのはわかってましたよ。だから邪魔しちゃいけないと思って先に向かったんですけど」
「連夜くんが行っちゃったら意味ないじゃない!! 連夜くんに格好いいとこ見せたかったのにぃ、うわああん」
「えええっ、そ、そんな理由だったんですかぁっ!?」
号泣しながら明かされた衝撃の事実に連夜はびっくり仰天。流石にその理由は予想外だったようで、連夜はしばし、ばつの悪い表情で玉藻を見つめて続ける。
「あ、あの、まさか、そういう理由とは思ってなかったものですから、その、なんか・・なんか、ごめんなさい」
「頑張ってアリンコ倒したのに!! いつもは使わないとっておきの必殺技とか使ってみたりしたのに!! 連夜くんがいる馬車の方向に向かってできるだけキメキメポーズもしてみたりしたのにぃっ!! うあああん、うわあああああああん!!」
一瞬にして大狐の姿に戻った玉藻は、四本に肢をフルにジタバタさせながら地面の上を転がりまわる。そんな玉藻を慰めようとする連夜であったが、なかなかうまい慰めの言葉が出てこない。玉藻の主張通り完全に自分が原因であったならもう少し気の利いたことが言えそうな気がするのであるが、流石の連夜も今回のことは難題であった。
なぜなら、今回の一件、どう考えても玉藻の『自爆』感が否めないからだ。
恐らく本人自身が一番そのことについて気がついているはず。だからこそ、自分に甘えてきているのだろうなとわかってはいた。謝るだけならいい。謝って済むことならいくらでも謝ろう。しかし、恋人が求めているのはそういうことじゃないはずなのだ。謝った後如何に彼女をフォローして、心の傷を癒してあげられるか。まさにそこが重要で、恋人としての腕の見せ所なのである。
しかし、それはかなり慎重に行わなくてはならない。ここでフォローに失敗すると、むしろ玉藻の心の傷が余計に広がって悪化しかねない。
ましてや『自分が勝手にやって勝手に失敗したんじゃん』とか、『そんなの僕の知ったことじゃないよ』とか、『もうフォローしきれないよ、めんどくさいよ』とかは絶対に言ってはいけないことだ。
連夜は、心の中で吟味に吟味を重ね、百点ではないがなんとか合格ラインに到達できそうな言葉を作り出すことに成功。地面の上を泣きながら転がり続けている玉藻の体をそっと抱きしめて止めると、真っ直ぐに彼女の目を見つめながら口を開いた。
「自分が勝手にやって勝手に失敗したんだから、自分で消化してくださいよ」
「いきなり禁忌の言葉を口にしたぁっ!!」
「そもそも、今更そんなこと言われても僕の知ったことじゃないというか」
「え、ええっ!? れ、連夜くん!?」
「もう、フォローしきれないし、めんどくさいんですよ」
彼女の狐耳に入ってくる信じられない暴言の数々。間違ってもこんなことを彼が言うはずがない。そんなはずはないと確信している。彼はどんなことがあっても自分だけを愛し、どんなことでも許してくれる。そう信じてきたのに。
あまりのショックで呆然としかかる玉藻。だが、呆然とすることも許さないとばかりに、玉藻の耳に更なる恐ろしい言葉が飛び込んでくる。
「はっきり言いますけどね」
「ちょ、まっ、ハッキリ言わないで!!」
「あなたにはもう飽きたんですよ」
「の、のおおおおっ!!」
頭を抱えて絶叫する玉藻。
そして、トドメの言葉が。
「僕達別れましょう。最初からうまくいきっこなかったんです。種族が違いすぎたんです」
「ま、待って、そんなこといわないで!!」
「二度と僕に近づかないでください。じゃあ、さよなら」
その言葉に玉藻
・・のすぐ近くに立っていた月光樹妖精族の女性は号泣しながら崩れ落ちる。
そんな彼女に別れの言葉を呟いた連夜
・・の隣に立っていた狼型獣人族の少年は、ゴミを見つめるかのような瞳で彼女を一瞬だけ見つめて背を向けるとそのまま、その場を去って行った。
暑い夏の日差しの中、連夜と玉藻の背後で一つの恋が終わりを告げた。
「って、『恋が終わりを告げた』じゃねぇわっ!! この---【自主規制】---どもがああああっ!!」
「「ぷぎゃあああああああっ!!」」
怒りに燃えた玉藻の必殺二段キックが、別れたばかりのカップルに炸裂する。
「何、人の後ろで紛らわしいことしてくれてるのよっ!? ずっと、連夜くんがしゃべっているのかと思っていたわ!! あ~、びっくりした、あ~、びっくりした。そもそも主役差し置いてどれだけしゃべってくれてんのよ、脇役の分際でずうずうしい!! 名前すら出てないくせに連夜くんのフリしてしゃべってくれやがって、この---【自主規制】---が!! この---【自主規制】---が!! この---【自主規制】---どもがぁっ!!」
必殺蹴りをまともに食らい重なるようにしてノックダウンしているカップル達に、怒り収まらぬ玉藻の追撃ストンピング攻撃が続く。
「玉藻さん、ストップストップ、やりすぎやりすぎ!!」
「止めないで連夜くん。本気で心臓が止まりそうになったわよ。まさかあんなひどい別れ話を連夜くんの声で聞かされるとは思ってなかったから、ほんとにショックで。あ~、もう、腹が立つわぁっ!! コノヤロ、コノヤロ!!」
「ダメダメダメ!! 踏みにじっちゃダメですってば。そもそも、あれは僕じゃありませんからね。確かに声があまりにもそっくりなもんだから、しばらく固まってしまいましたけど」
「あんまりにもダメダメな私に愛想を尽かした連夜くんが、とうとう別れ話切りだしたと思って、わたし・・わたし・・うええええん」
「そんなことするわけないでしょ。玉藻さんのことこんなに大好きで愛しているのに」
「連夜く~ん!!」
自分が倒したカップルを踏みつけたままの状態で連夜にヒシッと抱きつく玉藻。そんな玉藻を優しく抱きとめた連夜は、下の惨状を極力見ないようにそっと玉藻をそこから移動させ、狐の頭をよしよしと撫ぜてやる。
「連夜くんごめんね。自分で勝手なことやっておいて、連夜くんに八つ当たりして拗ねちゃって」
「いいえ、僕のほうこそごめんなさい。ちゃんと玉藻さんの真意を聞いてから先に行くべきだったのに」
「ううん、いいの。私のこと信頼してくれていたから先に行ったんでしょ。ちゃんと私が追いつくって信じてくれていたから」
「勿論です。だって玉藻さんはいつも僕の側にいてくれるんでしょ?」
「うん。いつだって側にいる。いつもあなたの側であなたを守る。そう約束したものね」
艶かな吐息と共にそう呟いた玉藻は、大狐の姿のまま顔だけを『人』のものへと変化させ、すぐ目の前の連夜の唇に自分のそれを重ねた。大狐の大きな体で小さな連夜を覆うようにして抱きしめて外から見えない状態で思う存分愛を交わす。
そんな風にどれくらい唇を重ねてお互いを感じていただろうか、やがて、そっと唇を放した玉藻はようやく心からの笑顔を連夜に見せた。連夜もまた、そんな玉藻に同じように心からの笑顔を向けると頬を摺り寄せる。
「ほんと、私がいない間に何かあったらって気が気じゃなかったけど、何もなくてほんとにとよかった」
「そこまで弱くありませんよ」
「あなたの場合、『はい、そうね』って、素直に頷けないのよ。ほんとに危なっかしいんだから。側にいないと何をしでかすかわからないんだもん」
「そ、そこまでじゃないと思うんですけどねぇ」
困ったような表情でポリポリと頬をかく連夜の姿を、くすくすと笑って見つめる玉藻。そんな風に二人が二人だけの時間を満喫していると外から一際大きな歓声が。
『きゃあああっ!! やった、やったわよ!!』
『今倒した奴らの中の、特にデカイ蟻から『念素石』が出たんですって!!』
『流石、『蛸竜』の名は伊達じゃないわよねぇ』
『運も実力もあって、おまけにルックスも抜群なんだもん』
『ステキよねぇ』
思わず顔を見合わせる連夜と玉藻。やがて、連夜は苦笑を浮かべながら肩を一つ竦めてみせると玉藻の毛皮の中から出て行こうとする。
「英雄の帰還ってわけ? 私よりもファンクラブのほうが大事ってわけね」
そんな連夜の姿を見てどう思ったのか、盛大に拗ねて呟く玉藻。そんな玉藻の言葉の意味がわからず連夜はきょとんとして問いかける。
「ファンクラブってなんですか?」
「外にいるあの大勢の女どもよ。あなたのファンクラブか追っかけかしらないけど、そうなんでしょ?」
「はぁっ? いや、違いますけど」
今度は玉藻のほうが連夜の言葉にきょとんとする。
「え? ち、違うの?」
「違いますよ。僕にファンクラブなんかあるわけないじゃないですか。全然モテないのに」
大狐の体に美女の顔のまま、玉藻は連夜と人垣とを口をパクパクさせながら交互に見つめた後、ようやく言葉を紡ぎ出した。
「じゃ、じゃ、これって何の集まりなわけ?」
「あとで紹介しますけど、彼女達の目的はこの人垣の向こうで戦っている僕の相棒です」
呆気に取られたままの恋人に、深い深い苦笑を浮かべながらそう呟いた連夜。その後、玉藻から視線を外した連夜は、その黒い瞳を人垣のほうへと向けてじっと見つめる。その視線の先にあるのはいくつもの女性達の背中。だが、恋人がそれを見ているわけではないことを玉藻はわかっていた。人垣の向こうにある何か、いや、誰かを見つめているのだ。
その黒い瞳に映るのは深い信頼と苦悩。玉藻を見つめるときに浮かぶ色とは全く違う種類の色が、そこにはあった。
いったい、彼の視線の先にある『相棒』なる人物はどのような人物なのだろうか。玉藻もまた人垣のほうに視線を向ける。当たり前だが、女性達の背中が見えるだけで他には何も見えはしない。連夜のように何かを感じようにも、一度もその『人』に会ったことのない玉藻には気配を感じることもできず、玉藻は嘆息して再び連夜のほうに視線を向けようとした。
そのとき。
玉藻が声を掛けるよりも早く、連夜が引き攣った表情で玉藻のほうに声を掛けてきた。
「た、玉藻さん、避難しましょう。そろそろやばいっす」
「やばいって、何が?」
「いつもの奴がはじまります。巻き込まれる前に身を隠さないと大変なことになります!!」
いつになく切羽詰まった表情になって早口でまくしたてる連夜。そんなことを言い出した理由を問いただしたいところであったが、あまりの迫力にとりあえず口を噤む玉藻。連夜に促されるまま、その後についていって近くの茂みに身を隠すのだった。
「なんなのなんなの? いったい何が起こるっていうのよ」
「しっ。すいませんが、しばらく静かにしておいてください。多分、それほど長くは続かないと思うのですが」
「???」
頭の上でクエスチョンマークを盛大に出現させる玉藻であったが、これ以上質問しても無駄と悟ると恋人にならって茂みの中から人垣のほうの様子を窺う。
すると、すぐに変化は起こった。
人垣の前のほうで何らかの小競り合いがはじまったようなのだ。音と気配だけでしか判断できないが、女性達の中の一人が、誰かに何かを渡そうとしたところ別の女性にそれをはたき落とされたらしい。
「な、何をするんですの!?」
「あんたさ、どういうつもりなのよ。私達を差し置いて出過ぎた真似しないでよ。ポッと出のくせに毎回毎回何様のつもりなのよ」
「私達はただ、タオルを渡そうとしただけじゃない。なぜそれだけのことで責められないといけないのよ」
「私達のように彼がちっちゃい頃からの付き合いがあるというならばともかく、つい最近知り合ったばかりのあなた達が慣れ慣れしくするのはやめていただきたいですわ」
『え? ちょっ、今の声の中にリビーとくれよんの声が混じってなかった?』
まさか知人達の声が聞こえてくるとは思ってなかった玉藻が、盛大にうろたえながら横を見ると、そこには完全に頭を抱えてしまっている恋人の姿。
『れ、連夜くん、これどういうこと? なんか、リビーとくれよんらしき声が聞こえてくるんだけど。しかも恋愛漫画でよく出てくる意地悪キャラみたいなこと言っているみたいだし、これっていったいどういうこと!?』
『あ~、もう、その、何と言ったらいいのか』
外の女性達に気付かれないように小声で連夜を問い詰める玉藻であったが、連夜は苦虫をかみつぶしたような表情で口を濁しはっきりと事情を語ろうとしない。それでも、流石に親しい友人が絡むことだけにここは有耶無耶にしてはならじと、尚も詰め寄ろうとする玉藻であったが、そんな玉藻を更に混乱させる別の声が飛び込んでくる。
「昔からとか、今からとか恋をするのにそんなの関係ないんじゃない!!」
『え、これ、ロムくんと一緒に来たセラって女の子の声?』
「ありますわ。だって、あの方は私のことを連夜お兄様と同じように昔から大事にしてくださっているんですもの。割って入ってほしくないですわ」
『ちょ、これ、スカサハちゃんよね!?』
「スカサハちゃんには悪いけど、それを言うなら私なんかもっと前からツバつけていたもんね」
『リビーね。間違いなくリビーだわ』
「あら、その頃からリビーは相手にされていませんでしたけどね」
『うっわ~。この横やりの入れ方は絶対くれよんだわ。間違いない』
「相手にされるとかされないとかじゃないんです。私達は真剣にあの方のことをお慕いして」
「そうだそうだ」
「親衛隊は横暴だ」
「黙りなさい新規参入者」
「途中から入ってきたくせに、生意気なのよ」
『なにこれ何これ、なんなのこれわ!?』
玉藻が見つめる中強く激しく燃え上がっていく女達の戦い。やがて、その炎は一気に爆発の時を迎える。
『もう我慢できない!!』
誰が最初に手を出したのかわからない。
わからないがしかし、間違いなく誰かが誰かの頬を叩いた。
激しい平手打ちの音が森の中に響く。
一瞬森の中が静まり返り、時間が止まったように思える沈黙が続いた。
その後。
『やってくれたわねぇっ!!』
戦いのゴングの音が鳴ったのを玉藻は確かに聞いた。
そして、人垣のあちこちで激しいキャットファイトがはじまる。
『あああ、とうとう始まっちゃった』
『いやいやいや、連夜くん、これどうするのどうするの? 止めなくていいの? 大変なことになっちゃってるんだけど!!』
武器を取りだすものこそいなかったが、森のあちこちで繰り広げられる女達の戦いは、男同志の喧嘩以上に凄惨を極めた。髪をむしり取る、顔をひっかく、ドレスを破る、ハイヒールのかかとで踏みつける。
『そこまでするのか?』と思わずツッコミたくなるカオスな状況に、連夜は頭を抱え、玉藻はおろおろするばかり。
『あ、あそこにスカサハちゃんがいるよ!! うわ、髪の毛ぐちゃぐちゃだ!! あっちにはリビーが体に口紅で落書きされてる!! くれよんは・・あああ、尻尾ハサミできられちゃってるし、自分も相手のドレス引き裂いているけど。セラってこは、制服めちゃくちゃになって下着見えちゃってる。明日から学校どうするんだろ、予備の制服持ってるのかしら。あああ、どうしようどうしよう。私どうすればいい?』
『とりあえず、お茶飲んで落ち着きましょう』
『そうね。ずず~~っ・・って、のんびり寛いでいる場合じゃないから!!』
どこからともなく取りだしたコップの中に、やはりどこからともなく取りだした水筒のお茶を注いで玉藻に渡す連夜。思わずそれを受け取って中身を飲み干してまったりしかかる玉藻であったが、すぐに目の前の惨状に気がついて血相を変える。
『ちょ、連夜くん、ほんとにこんなことしてる場合じゃないでしょ!! 止めなきゃ!!』
『僕らが行っても止まりませんって。それよりもそろそろ一番の当事者が止めに来るはずです。あ、ほら、言ってる間に来ましたよ』
『当事者?』
連夜の言葉の意味がわからず、思わず首を傾げる玉藻。とりあえず、首を傾げている場合ではないとその意味の真意を聞き出そうと尚も連夜に向けて言葉を紡ぎかけた玉藻であったが、結局その言葉が紡ぎだされることはなかった。
玉藻が口を開く寸前、『ドンッ』という凄まじい轟音が響き渡ったからだ。
大地を揺るがすかのような凄まじい破壊音。いや、『ような』ではない。実際にその音が鳴り響いた直後、大地が揺れ動いたのだ。
その恐ろしいほどの振動に、女性達は戦いをやめて盛大に悲鳴をあげる。
『きゃあああああっ!!』
揺れたのは大地だけではない。大気も震えた。強烈な風が森の中を吹き抜け、女性達は吹き飛ばされまいと必死に樹や草にしがみつく。中にはしがみつくことができず、数メトル吹き飛ばされる者もいた。幸い、それで怪我をしたものはいなかったが、それでも、この不意打ちの轟音、地震、烈風は女性達の戦意達をしぼませるには十分なものがあった。
そして、そんな状態の彼女達に向けてトドメの一撃が放たれる。
「やめんか、馬鹿者どもぉっ!!」
腹の底から絞り出された渾身の一喝。
ただの『人』が放った一喝ではない。鍛えに鍛え、あまたの強敵を屠ってきた百戦錬磨の武人の一喝だ。女性達は今度こそ皆へなへなと崩れ落ちてその場に座りこみ、完全に戦うことをやめてしまった。
そんな女性達の中心に立ち、面白くなさそうな仏頂面で彼女達を見つめるその武人こそ、この嵐を巻き起こした張本人。
黒髪黒目。どうみてもまだ成人には至っていないと思われるどこか幼さの残る甘いマスク。だが、その顔から下が普通ではない。首が太い、腕が太い、足が太い。背中が広い、胸板が暑い、背が高い。だが、バランスは異様にとれていてスタイルはすこぶる良い。
確かに女性達が見惚れずにはいられない素晴らしい偉丈夫であった。
「な、な、なんなのあいつ?」
只者ではないオーラを盛大に振りまいているその人物をなんともいえない表情で見つめた玉藻は、呆然と心の中に浮かんだ疑問を口にだした。別に答えを期待していたわけではない。だがしかし、その答えは意外なところからもたらされた。
「あれが僕の相棒です」
「え? 彼がそうなの!?」
「はい。僕の一番古い友人であり、僕の相棒でもあります。奴の名前は・・『K』と言います」




