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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
126/199

第十四話 『蛸竜の黄泉越え』 その3

 『錬素石』という石がある。


 それは『錬動力』と呼ばれるエネルギーを内包した特殊な貴金属。

 さて、『錬素石』のことを本格的に語る前に、先に『錬動力』について説明しておかないといけないだろう。

 現在の主流エネルギーといえば『念動力』であるが、その『念動力』が生み出される前に『人』類の生活を支えていたエネルギー、それが『錬動力』だ。

 『念動力』同様に、この世界に元々存在していた自然エネルギーである為、『害獣』の攻撃目標となってはおらず、当然使用しても彼らから襲われることはない。また、扱いが非常に楽であり、『異界の力』をほとんど持たない下級種族の者達でも簡単に使用できるため、『害獣』が現れる以前から世界的に最もよく知られていたエネルギーでもある。

 そういった事情から、『害獣』出現後は、『人』類の生活を支えるメインエネルギーとして活躍してきたが、近年、『錬動力』よりもはるかに強力な力を持つ新エネルギー『念動力』が開発された為、あっという間に主役の位置から陥落。北方南方問わず、ほとんどの都市内で使用されなくなってきている。

 だが、一線を引いたと言っても全く使われなくなったわけではない。

 むしろ、都市外ではいまだに第一線で活躍しているメインエネルギーなのである。

 『念動力』は『錬動力』の何百倍も強い力を持つエネルギーであるが、非常に扱いが難しい。錬成する為には大掛かりな施設と熟練したスタッフが大勢必要であるし、またその強大なエネルギーを制御する為には、『異界の力』に頼らないといけない部分がいくつか存在している。

 その他にもいろいろとリスクがあり、『念動力』を都市外で使えるようになるには、まだまだ時間が必要な状態。

 ところが『錬動力』は『念動力』と違って、ほぼノーリスクで使うことができる。エネルギー効率が悪く、その力も『念動力』に比べてかなり劣るが、制御が簡単でどんな機器でも『異界の力』を一切頼ることなく使用可能。その為『異界の力』を感知し襲いかかってくる恐ろしい『害獣』がうろうろしている『外区』においては『錬動力』は非常に安全で便利なエネルギーなのだ。

 また、『錬動力』は錬成することが非常に容易い。『念動力』のように大掛かりな施設も大勢の熟練したスタッフも必要ない。また、錬成に必要な材料も非常に安価に手に入る。そして、『工術師』の中級以上の免許を持った者なら誰でも気軽に生み出すことが可能なのである。

 そういった理由で都市内では『念動力』を動力とした『念気製品』が主流だが、都市外で使用するとなると『錬動力』を動力とする『錬気製品』のほうが圧倒的に人気が高い。

 さて、話を元に戻し『錬素石』についてである。

 簡単に言うと『錬素石』は、『錬動力』の『念素石』だ。『念素石』同様、その小さな欠片の中に膨大な量の『錬動力』を内包しているわけで、『念素石』と共通点が非常に多い鉱石であるが、決定的に違うところが一つある。

 それは、『念素石』が大自然の中から生み出される鉱石であるのに対し、『錬素石』は自然には決して生まれてこない鉱石であるということだ。

 『錬素石』は人の手で作り出された完全な人工物なのである。

 かつて、鉛から金を作り出そうとした錬金術師達によって偶然生み出されたというこの石は、『異界の力』をよく知る学者達からすればあり得ない法則で生み出された為、史上稀に見る大失敗作という意味で『愚者の石』と呼ばれ、しかし、自然を崇拝するドルイド達からすれば当然ともいえる正しい世界の法則で生まれてきたため『世界の石』とも呼ばれる。

 未だに議論に決着のついていない話しであり、どちらの意見が果たして正しいかはこの際置いておくとして、どちらの側から見てもこの『錬素石』生み出すのが相当に大変だということだけは一致している。比較的簡単に錬成できる『錬動力』とは全く逆ということだ。

 ともかく作りだすのに手間暇がかかる。そして、人の手も一人や二人では全然足りないくらい集めないといけない。作りだす方法そのものは結構簡単で応用もきき、必要な材料もそれに合わせて結構臨機応変にある程度変更可能。しかし、どんな方法を用いようとも絶対一つか二つ難点が存在し、素人がおいそれと手を出すことができないのだ。

 使用するのは誰にでもできる。作成方法も結構簡単に知ることができる。

 しかし、実際に作るとなるとかなり難しい。

 『素石』という金属にしなければ、『錬動力』というエネルギーを生み出すだけならば簡単なのであるが、生み出したエネルギーを固めて鉱物にするとなると事情が違ってくるということだ。

 そういうことで、『念素石』よりもはるかに劣るエネルギー量であるにも関わらず、その希少価値から『錬素石』は結構な高額商品なのである。


「まあ、それはわかりましたが、セイバーファング殿。この目の前のオオアブラムシの群れとそれがどう繋がるのでしょうか」


 見事な投網捌きで先程アブラムシの群れを一網打尽にしてみせたバグベア族の少年ロムは、自分の傍らに立つ巨大な灰色熊に視線を向ける。

 しかし、声を掛けられた灰色熊はすぐには返事を返さなかった。ロムが投擲した投網をゆっくりと慎重に手繰り寄せつつ、中に捕えた子犬ほどもある大きなアブラムシ達をその灰色の眼でじっと窺う。網の中ではなんとか外に脱出しようと必死にもがくアブラムシ達の姿。だが、特製の網が破れることはなくアブラムシ達が外にでることはほぼ不可能であると確信した灰色熊はようやくその瞳をすぐ側で作業しているバグベア族の少年の方へと向け直した。

 三メトルに達しそうな大きな身体にふさふさした黄土色がくすんだような色をした毛皮、周囲で忙しく働いているほとんどの獣人種の者達が『人』とに限りなく近いシルエットをしているのに対し、この男の姿は灰色熊そのもの。

 特注と思われるヨモギ色のツナギを着ていて、遠目から見ると熊のぬいぐるみのようでなんともいえないかわいらしい姿であるのだが、近くによると巨大な体に圧倒されてしまう


 『タスク・セイバーファング』


 養蜂家の中年男性で、『守の熊(もりのくま)』と呼ばれる獣人族。

 元々は連夜の兄、大治郎が所属している『暁の咆哮』の最古参メンバーであったが、ある事情から傭兵を引退。その後、紆余曲折を経て養蜂家になった変わり種である。

 『暁の咆哮』引退以降は、養蜂業一筋で傭兵稼業は愚か、荒事らしい荒事も全くしていなかったが、古なじみである連夜の懇願で一時的に傭兵にカムバックすることになった。今回連夜から彼が依頼されたのはアブラムシの追い込み猟の戦闘指揮。『外区』での対『害獣』、あるいは対『原生生物』の戦闘に関していうならば全メンバー中で、彼が最も経験が豊富で屈指の実力者であるからだ。

 勿論、現場を離れてからそれなりに時間が経っているし、それなりに歳を取って傭兵としてのピークも過ぎてしまった。なので、全盛期並みに動けるわけではない。しかし、それを差し引いても彼はやはり一流であった。

 この日、集められた一癖も二癖もある猛者達を見事に指揮し、彼は非常に難しいアブラムシの追い込み猟を順調に成功させつつある。

 このまま順当にいけば、一人の犠牲者も出すことなく相当な戦果を挙げることができるだろう。

 彼も、そして、彼に従って働く周囲の者達もそう思っていたのであるが。

 物事が予想以上に順当に進むと、気が緩む輩が出てくるのはどこでもあることだ。ましてやそれが経験も浅く年齢も若いとなると尚更である。

 既に何度かの追い込み猟を成功させ、さぁ、次をと待っていた彼の眼にふと止まったのは、茂みでのんびりしゃべっている三人の少年達の姿。

 緩み切った様子でおしゃべりを続ける小僧どもに盛大に雷を落としてやろうと、怒り心頭で足を向けた灰色熊。自分の大きな足が歩くたびに茂みの小枝をポキポキと折って、その音を鳴り響かせているにも関わらず、少年達はおしゃべりに夢中で自分が近づいていることにまるで気がつかない。

 その場に辿りつく前に怒りよりも呆れる心のほうが強くなっていたが、このままで済ますわけにはいかず、灰色熊はまず手近にいた妖精族の少年の頭に特大の拳骨を振り下ろした。

 頭を押さえながら涙目になってその場で転げまわる少年をそのままに、次は呆気にとられている朱雀族の少年の頭に振り下ろす。武術の心得が多少あるのか生意気にも朱雀族の少年は身をかわそうとしたが、百戦錬磨の彼の拳から逃れることは流石にできなかった。

 『ゴンッ』という気持ちのいい音を森に響かせて、朱雀族の少年も撃沈。最後に残ったバグベア族の少年に視線を向け直し雷を落とそうと足を踏み出しかけた。

 そのとき。

 ちょうど、アブラムシの群れが追い立てられてこちらにやってくる姿が彼の眼に見えた。他の担当箇所は彼が予めタイミングを指示していたので、次々と投網を投擲しはじめているが、この場所を担当している少年達のうち二人が、現在制裁を食らって撃沈中。

 彼は舌打ちを一つ鳴らすと、少年達に代わって投擲しようと、彼らの投網を探そうとした。

 しかし、それは彼の杞憂に終わる。

 三人の中で唯一残ったバグベア族の少年が、素早く反応して投網を冷静に投下したのだ。そして、ほとんど獲物を逃すことなく捕えることに成功。

 その手際があまりにも見事だったこと、また、彼の拳が振り下ろされようとしているのがわかっていたにも関わらず悪あがきすることなく投網を投げることを優先した潔さ。流石の彼もこれにはすっかり感嘆してしまった。結局他の二人には拳骨を落としたが、今の見事な働きに免じ、拳骨を落とすことは勘弁してやることにした。しかし、そのまま三人に一緒にしているとまたおしゃべりを始めるとも限らないので、三人を別々の配置場所に変更。

 そのとき、ロムを彼のすぐ側で働かせることにした。

 彼がロムのことをいたく気にいったからだ。

 こうして、彼とロムは一緒に追い込み猟をすることになったというわけである。


「オオアブラムシから熱波対策の薬を作り出すことは聞いていたのだったか?」


 グローブのように丸々とした大きなけむくじゃらの手で、器用に網を手繰り寄せる灰色熊の姿を感嘆しながら見つめていたロムであったが、すぐに自分が問いかけられていると気がついて慌てて首を縦にふる。


「は、はい、それについてはクリスから既に聞き及んでおります」


「そうか。なら、熱波対策の薬品を作るのにアブラムシの尻からでる『甘露』を使用することも知っていると思うが、その薬品を作り出す時に『錬動力』が同時に生み出されることについては聞いたか?」


「いえ。それは初耳です。耐熱効果のある薬ができるだけではないのですか?」


「ああ、それだけじゃない。アブラムシの『甘露』には強力な『錬動力』を生み出す力があってな、熱波対策の薬を生み出すときに使用される高度な『工術』に誘発される形で薬液と共に錬成されるのだ。それもかなり高密度で膨大な『錬動力』がな」


「なんと」


 灰色熊の説明に驚愕の表情を浮かべるロム。うっかり投網の口を閉める作業の手を止めてしまうが、灰色熊の厳しい視線にすぐに気がついて慌ててまた作業の手を動かし始める。


「し、失礼しました。しかし、先程のお話にもありましたが、勿体ないことですね」


「何がだ?」


「いえ、それだけのエネルギーが生み出されても、錬成することができないのでは? セイバーファング殿のお話では、それを錬成する為には人手も施設も必要であるとあったと思うのですが。人手はともかく施設はどうにもできますまい」


 他の網の担当している狼獣人族のスタッフ達に、アブラムシがたくさん閉じ込められた網の口をしっかりと結んでまとめた後手渡したロムは、改めて横に立つ灰色熊に視線を向け直す。灰色熊はしばらく、他のスタッフ達にテキパキと指示を出していたが、ひと段落した後、再びロムのほうに顔を向ける。


「確かに施設はどうにもできんな」


「そうでしょう」


「普通ならこんなところで『錬素石』を錬成することなぞとてもとてもできやせん。確かにその通り。だがな、俺達はちっとばかり普通ではない」


 そう呟いたタスクは、ニヤリと笑ってある一点を指さして見せる。それに促されてロムが、けむくじゃらの指先が示す方向に視線を向けてみると、そこでは捕えたアブラムシを使って何かの作業をしている者達の姿。

 少し離れたところから見ているせいで、詳細な内容はわからない。しかし、遠目から見ても素晴らしい手並みで事を進めていることははっきりとわかる。

 東方人型飛蝗族の者がアブラムシを網から取り出して、尻のほうを向けて次の作業者のほうに向けて差し出す。すると、待ち構えている工術師達と思われる作業着姿の初老のねこまりも族の者達が、尻から出ている『甘露』に向けて両手で印を結んで術を送り込む。行使された術は鈍い光となって『甘露』に纏わりつき、やがて『甘露』は赤い液体と鉛色のぼんやりした水蒸気のようなものに変化。赤い液体は一固まりの水の塊となって一瞬宙に浮いているがすぐに下へと落下を開始、鉛色の水蒸気は徐々に形を失って霧散しようとする。しかし、横で待機している別の作業員者達がすぐに次の作業工程にかかる。

 下に落下し始めた赤い液体には、狼型獣人族の作業員達が別の術を行使。再び赤い液体の塊を再び宙に浮かせると、草原妖精族や森林妖精族の者達が次々といろいろな薬品を塊めがけて注入。絵具の純色のようなドギツイ赤は次第にルビーのような輝きを放ち始め、やがて、うっすら光るようになったところでドワーフ族の者達が特製のビンと柄杓で宙に浮いた液体を捕獲。一滴残らずビンに収めた後、それを後方に控えている大牙犬狼(ダイアウルフ)一頭立ての超小型馬車の荷台に乗せて出荷させていく。

 霧散しようとしていた鉛色の水蒸気に対しては、ヒレの形をした二足人魚族の者達が術を行使。水蒸気を霧散させないようにそこにまとめなおして固定すると、四目四腕の男性や口が耳まで大きく裂けている女性、真っ黒な人の影のような姿といったバラバラの容姿をした聖魔族達が集まってきて明らかに違うとわかる別々の術をそれぞれ行使しはじめる。全くかみ合わないハーモニー。しかし、それが次第に一つの歌になり、それとともに水蒸気はいびつではあるが、青とも緑ともつかぬ固形物へと変化していく。そして、いよいよ水蒸気が固形物へと完全に変化しようとするそのときに、黒豹型獣人族の女性が小型の盾のようなもので宙に浮かんだ固形物を撫でるようにして形を整える。すると、宙に浮かんでいた固形物が音を立てて地面へと落下。茂みの中に転がって行くそれを慌てて追いかけたねこまりも族のメイド達がその固形物を捕まえて拾い上げると、用意していた白い布で丁寧に磨き始める。そして、磨いて綺麗にしたそれを、赤いビンを運んでいるのと同じ大牙犬狼(ダイアウルフ)一頭立ての超小型馬車の荷台に乗せて出荷させる。

 見事な連携プレイ。

 作業の最初から最後まででかかった時間、実にたった五分前後の早業である。


「早い。実に手早い作業ですね」


「そうだ。そこが肝なんだ。今の作業工程の中で水蒸気のようなものが出ていたのがわかったか?」


「はい、鉛色の奴ですね。もしかしてあれが『錬動力』なのですか?」


「ああ。あれがそうだ。しかも普通の『錬動力』と違い、非常にはっきりと存在が見えるくらいの濃密な高エネルギーだ。しかしな、放っておくとものの十秒足らずで霧散して消えてしまう。あれを霧散しないようにその場に留め、錬成しようとするにはかなりの大掛かりな装置が必要になる。だから、熱波対策の薬品を作成するときは、薬品そのものを優先し、ついでで生み出された『錬動力』は放置して霧散させてしまうのが普通だ」


「でも、ここにいる皆さんは普通ではないのですね」


「うむ。ここにいる者達はみな、なんらかの『工術』のマスタークラスの者ばかりでな。本来大掛かりな施設を必要とする工程を、その圧倒的な技術力と豊富な経験でカバーしているのだ。虫の扱いに長けた東方飛蝗族の音頃(ねごろ)一族。様々な液体の『分解』術に長けた『ののやま こてつ』殿や『おおうみ ましろ』殿達、ねこまりも族の長老衆。おまえの友達であるアルテミス嬢の御父上、ロボ・ヨルムンガルド率いる技術者集団『大神の木槌』。古代錬金術の権威である聖魔族の御三方。他にもたくさんの腕利き『工術師』達が参加している。まあ、これだけのメンツは他では絶対に集められないだろうな」


 毛むくじゃらの腕を組んで誇らしげに遠くで作業を行っている者達を見つめる灰色熊。そんな灰色熊の姿を、ロムは眩しそうに見つめる。


「『工術師』ですか」


「ああ、そうだ。傭兵でもなく、ハンターでもない。ここで活躍しているのは、『工術師』達なのさ。派手な戦闘を体験できなくてがっかりしたか?」


 いたずらっぽい表情を浮かべて見つめてくる灰色熊に、笑顔を返したバグベア族の少年だったが、しかし、すぐには返事を返そうとはしなかった。

 再び視線を忙しく働いている工術師集団の方に向け直し、飽きることなくその作業の様子をじっと見つめ続けている。返事が返ってこないことについては別に気にしてはいなかったが、少年の妙に熱心な様子が気になって彼はそっと少年の瞳を覗き込んで見た。

 非常に細くて開いているのか閉じているのかわからないような細い細い瞳。だが、その細い糸のような隙間の中に、真摯な光が宿っているのを見てとったタスク。


「おまえ、『工術』に興味があるのか?」


 決して大きな声で聞いたわけではない。しかし、その声を聞いた少年はタスクの想像以上に驚いた様子を見せ、慌てて振り返ってきた。


「え、い、いえ。その、決してそういうわけでは」


「そんなに驚くようなことじゃないだろ。むしろそんな反応されるとこっちが驚くぞ」


「申し訳ない。その、自分のようなガサツで乱暴な田舎者には、『工術』なんて柄ではありませんから」 

「そんなことなかろう。どちらかといえば俺のほうがおまえよりよっぽどガサツで田舎者だと思うぞ。それよりも、さっきの質問を否定しなかったってことは、やっぱり『工術』に興味あるんだろ? 作業風景をいやに熱心に見ていたようだが」


「まあ、その、興味がないと言えば嘘になりますね」


「なんだそりゃ。歯切れの悪い返事だな」


 妙に困った表情で黙りこむバグベア族の少年に付き合うように、タスクもまたしばし黙り込む。そんな感じで結構長時間にわたり、二人の間に沈黙が続く。その間、ロムはまたもや作業風景に視線を向け直し、タスクは作業を終えて空になった網を受け取り、次の猟の為にせっせと手入れを始めた。淡々と二人の間を、時間が流れて行く。だが、それは決して重いものでもなければ、息苦しいものでも気まずいものでもない。ごく自然に流れて行く時の流れに、しばし、二人は身を任せる。

 やがて、もうそろそろ次の猟の為に元の配置場所に戻らないとマズイという時間が迫ってきたとき、不意に少年が口を開いた。


「自分には借金があるのです」


「そうかい。まあ、俺にもあるけどよ。結構な額なのか?」


「まあ、それなりに大きな額です」


「学生のおまえさんじゃ返すのが大変そうだな。まあ、何が理由で金を借りたか知らんが、返さないわけにもいかないしな。それとも既に焦げ付いていて、厳しい取り立てに追いかけられているのかい?」


 ぎょっとした表情になって慌てて問いかけてくるタスクに苦笑を返しながら、ロムはゆっくりと首を横に振って見せた。


「いえ、幸い貸してくれている奴が、無期限無利子と言ってくれているのでそういうことはないのですが」


「ははあ。なるほどね」


 少年の口調から借金の額が思ったよりも大きいのだろうと推測し心配になったタスクであるが、彼に金を貸している『人』物の正体の察しがついたのでほっと胸を撫で下ろす。


「じゃあ、いいじゃねぇか。おまえさん、まだ学生なんだしよ。今はありがたく借りておいて、一人前になってから返せば」


「いえ、そういうわけにはいきません。一方的に寄りかかってばかりでは対等にはなれません。俺は、今俺を助けてくれている奴と対等になりたいのです」


 真っ直ぐな瞳がタスクに向けられる。そこに濁りはない。怖いくらいに澄み切ったそれは美しいと思う反面、どこか危うさを感じさせずにはいられない何かを含んでいた。

 タスクは、自分に向けられる力強い視線をしばらく真っ向から受け止めていたが、やがて困ったように反らすとガシガシと乱暴に頭をかき交ぜた。


「じゃあ、どうするっていうんだ? 宝くじでも当てて返すか?」


「いえ、傭兵かハンターになって、高額賞金首になってる特級指定危険『害獣』を狩ります」


「!!」


 少年の口から飛び出た思いもよらぬ言葉に、タスクは絶句する。確かに、少年の言う特級指定危険『害獣』を狩ることができれば、とんでもない一攫千金を手にすることができる。だが、それは宝くじを当てるよりも難しいことだ。特級指定危険『害獣』は、どんなベテランハンターにも凄腕傭兵にも未だに討ちとれないからこそ特級指定危険『害獣』なのだ。そんな相手を、こんな未熟な少年に討ちとれるわけがない。

 タスクは夢を見るのもいい加減にしろと、怒鳴りつけそうになった。

 だが、結局それを口にする必要はなかった。真剣な表情だった少年が、不意にその表情を緩めたからだ。


「と、夢の様なことを考えていた時期もありました。自分がまだ、ずいぶん子供だった頃の話なのですが」


「おいおい、脅かすな。本気かと思ったぞ」


 大きく息を吐きだして肩から力を抜く灰色熊の姿を見て、笑顔で肩をすくめてみせるロム。しかし、すぐにその笑顔は悲しげな表情へと変化。彼は、現状の苦しい思いを口にし始めた。


「すいません。今ははっきりそれが不可能であることを自覚しています。でも、現状で一番金を稼げる職業はやはり傭兵かハンターだと思うのです」


「まあな。ランクが落ちる相手でも、倒して素材をはぎとりゃそれなりの金額になるからな。『害獣』は全身金の成る木だし、『原生生物』の中には『害獣』に匹敵するような高額な素材になる奴もいる」


「そうなんです。なによりも、傭兵やハンターになるのに学歴も家柄も関係ありません。実力が全ての世界です。だから、俺は高校を卒業したらすぐにそちらの方面に進もうと思っていました」


「そうか」


「休日を利用していろいろな傭兵旅団の事務所を回ったり、バイトで『害獣』狩りに参加させてもらったりして自分でもいろいろと就職先を探しています。でも、なかなか自分の思うようなところはみつからなくて。できるだけ早く自分の進むべき道を見つけたくて気持ちはかなり焦っているのですが思うようにいきません。そうして、ずるずると時間だけが進んでいくなか、俺はまた連夜に借りを作ることになりました」


 タスクが手入れしてたたみ直した網を受け取ったロムは、それを肩に担いで元の待ち伏せポイントに戻り始める。タスクはその後ろをゆっくりと追いかけながら、彼の話の続きに耳を傾けるのだった。


「それも、あいつだけに借りを作るのではなく結構な人数を集めることになることを聞きました。俺は思いました。これは相当に激しい戦闘になるだろうと。名の知れた貴重な高級果物を危険な『外区』に取りに行くのです。ならば、やはりそこにはそれらを守る何かがいて、それらを退けなければ先に進めないに違いないと。と、すれば、集められる人員は皆戦闘のプロに違いなく、その人達の中に自分が進むべき道を見出すことができるかもしれない。そう、思っていたのです」


「と、思ってついてきてみれば、全然そんなことはなかったってか。悪かったな。戦闘らしい戦闘が全くなくてさ」


「ああ、いえ、そうじゃないんです。確かに自分の予想とは全く違っていました。いましたけど、それは悪い意味ではありません。自分が知っている緊張感とは全然違う緊張感の中にいるのを感じるというか。こんな世界もあったのかと驚かされたというか。すいません、うまく表現できないのですが、いろいろな意味でとてもいい勉強をさせていただいていると思うのです」


 見るからにうまく説明できないのがもどかしいという様子でありながら、それでも一生懸命なんとか自分の思いを言葉にしようとする少年の姿に、ますます眼を細める灰色熊。


「本当に漠然と高校を卒業したら傭兵かハンターになろうと思っていたんです。稼ぎもいいし、腕にはそれほど自信はありませんが体力には自信がありますし。でも、別にそれはなりたくてなろうと思っていたわけじゃなくて、自分にはそれくらいしかできないだろうなぁと」


 振り返って工術師達の作業風景に視線を向けるロム。その瞳には何とも言えない羨望と悲しみの光。表情に浮かぶのは苦い自嘲の笑み。 


「今日、皆さんが働いていらっしゃる姿を見て、こういう世界もあるんだって、その、なんというか、それもいいなって思いました。でも、自分にはそう言った道に進むだけの金もコネもありませんしやっぱり、傭兵かハンターになるしかないと思います。ただ」


 自嘲の笑みを消したロムは、いつしか作業員達の姿ではなく、自分の後ろを歩くタスクのほうに視線を移していた。なんだか照れくさくなるような真っ直ぐな瞳。自分が見つめられていることに気がついたタスクは、妙に気恥ずかしくなって慌てて眼を反らすと、そのまま乱暴な足取りで彼の横を通り過ぎていく。


「ただ、なんだよ。変なためかたせずに早く言えって」


「あ、ああ。すいません。そのセイバーファング殿は、元々傭兵をしていらしゃった方だとお伺いしました」


「おう、そうだ。よく知ってるな。って、そうか、連夜から聞いたのか」


「はい。それで、その後、引退されて養蜂業に転職されたとか」


「ああ。まあ、なんとかやってるよ。斬った張ったの生活と違って命の危険はねぇけどよ、傭兵稼業よりもよっぽど忙しい毎日を送ってるぜ。蜂の体調管理やら、巣の点検やら、蜂蜜の収穫やら、エサ場になる花畑の栽培やら。それだけじゃねぇぜ、市場調査やら、組合の話し合いやら、もうめんどくさいことばかり。あと、傭兵稼業ほど稼げねぇしな。がっはっは」


 威嚇の咆哮と間違えそうな笑い声。それでも、その表情はとても楽しそうで、その声はどこまでも明るい。そんなタスクの様子を眩しそうに見つめた後、小さく溜息を吐きだしたロムは、どこかふっきれたような表情で、追い抜いていったタスクの元へと走っていく。


「俺も」


「ん?」


「俺も借金を全部返済できたら金を貯めて、いつかセイバーファング殿のように、なにかを創る職業を目指したいと思います」


「・・」


「とはいってもやっぱり漠然としているだけで、明確なビジョンは何もないんですがね」


 そう言ってタスクのほうを見たロムの表情に一瞬照れくさそうな笑みが浮かぶ。だが、彼はすぐにそれを隠すかのように顔を前に向けると、やたら張りきった様子で投網の準備を始めてしまい、それっきり口を閉ざしてしまった。

 そんなバグベア族の少年の様子をしばしの間、じっと見つめるタスク。ムッツリと口をへの字に曲げて閉じ、両腕を組んで仁王立ちした彼は、そのまましばらく黙ってあることを考え続ける。

 その考えの中心は勿論今日出会ったばかりの目の前の少年のことだ。

 世間からつまはじきにされがちな奴隷種族の出身でありながら、見事なまでに真っ直ぐな性根の持ち主。元々そういう性格だったのか、あるいは後天的なものなのかはわからないが、間違いなく今見えているその性根は、作り出された仮面のそれではない。自分の周囲にそういう者達が多くいて、それらをずっと見続けてきたタスクははっきりそう確信していた。

 それゆえに、彼のことが非常に気に入ってしまったのだ。

 たったそれだけのことである。彼と話し始め、一緒に仕事をし始めて二時間も経っていない。本当にごくわずかな時間の縁である。

 だが、そのたったそれだけのことがタスクにとっては非常に重要であった。

 なので、己の中である行動を取ることについての決心は意外とすんなり決まった。

 彼は、自分の考えを少年に告げるべくへの字に曲げていた口を開いた。


「おい、小僧」


「え、はい」


 呼びかけられて素直に振り向いたロムは、その視線の先に妙に真剣な表情の灰色熊の姿を見つけてきょとんとする。

 何か投網の準備でしくじりがあったのか、あるいはさっきの会話で無意識に失礼なことを言ってしまっていたのか。その真剣極まりない表情を見て、怒っていると誤解したロムが体を強張らせる。

 そんなロムの様子に構うことなく、タスクはもう一度口を開いた。


「小僧」


「はい」


「おまえ、「うちに働きに来なさいよ、ね」そうそう、って、おい!!」


 絶妙なタイミングで現れたのは、黒豹型獣人族の女性。

 突如二人の間に割って入った彼女は、呆気に取られるロムの両手を取りながら、今まさにそのセリフを言おうとしていたタスクのそれを強奪。

 たまらずツッコミを入れるタスクに全く動じることなく、そのまま勧誘活動を進め始める。


「連夜くんから聞いているかわからないけど、うちね、養蜂業やってるのよ。養蜂って知ってる? 蜂を人工的に飼いならして蜂蜜を採ったり、それを加工したりする職業なんだけど。あ、知ってるのね。うんうん、よかったよかった」


「ちょ、おま、バステト」


「養蜂ってねぇ、本当にめちゃくちゃ大変で仕事が多いのよ。蜂の世話をしなくちゃいけないのは勿論、蜂の巣から蜂蜜を収穫しないといけないし、収穫した蜂蜜の加工や出荷もしないといけないし、蜂のえさ場となる花畑の栽培もやらないといけないのよ。それに、組合の会合に出席したりとか、お得意さん周りとか、市場調査とか、そりゃもう年がら年中ず~~っと繁忙期でね。もういくつ手があっても全然足りないのよ」


「それさっき、俺が言った」


「ただね、その代わりと言ってはなんだけど、うちで働けばほんとにいろいろな技術を身につけることができるわよ。うちの養蜂技術ってね、いろんな技術の集大成なのよ。そりゃ、武器や防具製造方面を目差しているっていうなら、うちの技術は役に立たないかもしれないけどさ、将来食品関係や、薬品関係に進むなら、それなりのものが身につけられると思うのよね」


「おいっ、だから、俺の話を無視すんな!!」


「さっきからずっとロスタムくんのお話を聞かせてもらっていたから言わせてもらうんだけどね」


「さっきからって、いつからだよ!?」


「傭兵業とかハンター業はやめておいたほうがいいわよ」


「また、無視された!?」


「確かに傭兵稼業は実入りはいいんだけどね。最初はなかなか稼げるもんじゃないわよ。どこで何が狩れるのかわからないだろうし、ましてやそこがわかっても同業者が先にその狩り場を占有している場合もあるし、普通なら狩れる相手が実は変異体のめっちゃくちゃ強いタイプだったりもあるし、ようやく倒してみたら目当ての素材が傷ついて使い物にならなかったりね。ほんとバクチなのよ傭兵稼業って。それでもなんとかかんとか経験を積んでうまく稼げるようになってもね、稼げると思って調子に乗って散在しちゃうとあっという間に借金まみれになっちゃうんだから。この人がいい例よ。所属している傭兵旅団が有名になって稼げるようになった途端、調子に乗ってあちこちで遊び倒してね、雪だるま式に借金増やしちゃって。養蜂業それなりに軌道に乗って、結構稼げるようになったのに、未だにそのときに作った借金全部返し切れていないんだから。ね、あなた」


「うんうん、そうそう。俺みたいになっちゃいけねぇよって、おいいいっ!! 何、さらっとバラしてくれてんだ!?」


「だからね傭兵業とかでどかんとお金稼ぐのを狙うんじゃなくて、うちみたいなところで地道に働いてお金稼ぐ道を選らんだほうがいいのよ。そりゃ、うちで働いた場合、どう頑張っても一度にババーンと大金が入ってくるなんてことは絶対にないわよ。でもね、全く稼げないってことも絶対にないわ。あなたが汗水垂らして働いた分はちゃんと責任をもって還元するから。ちなみにこの人の稼ぎは私が全部家の貯金と借金返済に還元するけど」


「だよなぁ、それが一番固いよなぁ。って、ちょっと待て!! おまえ、また俺の小遣い減らすつもりか!?」


「それに、傭兵稼業をいくら続けたって実生活で役に立つスキルはほとんど身につかないけど、うちで働けばいろいろなスキルが身に着くわ。将来、あなたが独立して何らかの『工術師』なるときに必ずそれらは役に立つ。うちの宿六って誰よりも物覚えが悪いけど、そんな人でも今ではそれなりに役立つスキル持ってるのよ。あくまでもそれなりにだけど。ね、あなた」


「そうなんだよなぁ、頭悪いからなかなか覚えられなくてさぁ。って、大きなお世話だ!!」


「ってことで、うちに就職しておきなさい。あ、一応、給与はあとで細かく決めるけど大体これくらいね。昇給は年一回で、賞与は二回。交通費は全額支給。勿論、社会保険完備だし、退職金もあるわよ。休日は一カ月、八日から九日なんだけど、ちょっと変則的でね。シフトの状況によって決めさせてもらうわ。じゃ、納得してもらったところでこれが仮契約書ね。こことここにサインしてくれるかな。あと、こっちに拇印でいいから押してもらっていい?」


「おいおい、おまえ、いくらなんでもそれはいきなりすぎるだろ。すぐ契約してくれって言われて契約してくれる奴なんているわけが、って、すでにサインしちゃってるし!! しかも拇印まで押す気満々だよ!! 待て待て待て、ロスタム・オースティン!! もうちょっと考えろ、おまえまだ学生だろうが。それにサインしちゃったら、学校やめてすぐ就職しなくちゃいけないってわかってる!? わかってやってる!?」


「はっ!!」


「ちっ!!」


 まるで洗脳されたかのような虚ろな瞳になったロムは、黒豹型獣人族の女性が差し出した仮契約書にさらさらと自分の名前を書いたが、拇印を押す段階になってタスクの言葉にはっと我に返る。そして、拇印を押すのを一旦中断。それを見た黒豹型の獣人族の女性は舌打ちをしながら、余計なひと言を口にした灰色熊を睨みつける。

 そんな女性の非難の視線に一瞬怯む様子を見せたタスクであったが、どこかほっとした表情で女性の手から仮契約書を取りあげた。


「おまえ、いくら人手不足だからって、やり方が強引すぎるだろうが」


「何よ~。私の素晴らしい洗脳じ・・いや、アピールによってこの子完全に本気になってたのに」


「ちょっ、いま、洗脳術って言おうとしなかったか!? ってか、ほとんど言いかけてたよね!?」


「そ、そそそ、そんなこと、い、いいい言ってないわよ」


「きょどりすぎだよ!! そこは冗談にしとけよ、こえぇよ!! なんか邪悪な宗教団体に引き入れようとしているみたいになっちゃってるじゃん」


「まあ、どっちかというと世界征服を企む悪の秘密結社って感じだけどね」


「そうだなぁ。って、ちげ~よ!! うちはそんな怪しげな会社じゃないからね!! 地下に秘密基地とかないから!! 怪人も製造してないから!!」


「うんうん。ちょっと怪しい薬作ってるだけだよね」


「そうそう。って、全然怪しくねぇし!! ロイヤルゼリーを配合したただの健康飲料だからね!! ちゃんと中央庁の許可を経て作ってるからね!!」


 黒豹型獣人族の女性と灰色熊の間でいつ果てるともなく繰り広げられる絶妙なボケとツッコミ。それをぽか~んとしばらくの間見つめていたロムであったが、やがて、盛大に噴き出して腹を抱えて笑い転げ始める。


「あははは、あははははは」


「ほら~、あなたがちゃんとしないから、変な『人』と思われて笑われちゃったじゃない。どうしてくれるのよ」


「そっか~、ごめんなぁ。って、おまえが悪いんだろうが!!」


「あは、あははは。も、もうその辺で勘弁してください。あはは。あ~、久しぶりによく笑った。あの、失礼ですが、ご婦人はセイバーファング師の奥様でいらっしゃいますか?」


「そう。妻のバステト・セイバーファングよ。よろしくね」


 笑いすぎで滲む涙を拭いながら問いかけるロムに対し、軽くウィンクしてチャーミングな笑顔を見せる黒豹型獣人族の女性。


 『バステト・セイバーファング』


 タスク・セイバーファングの妻で、料理研究家として名高い黒豹型獣人族の女性。 

 まるで夜を切り取ったような真っ黒な毛皮に覆われた体に、金色に輝く二つの大きな瞳。長く立派なひげ、立派な牙が見え隠れしているがそれほど大きくは見えない口。

 白いタンクトップの上に男物の赤いシャツを着て腕まくりをし、下は自分の毛がわと同じ黒いパンツ、座っていてもやや大柄であるとわかるその体は、女性特有の丸みを十分に出したスタイルをしている。

 見るからに勝ち気そうな性格がにじみ出ている彼女であるが、横で仏頂面をして立つ灰色熊に向ける視線はどこまでも優しい。

 そして、そんな彼女を見返すタスクの視線も同じような柔らかさと温かさを持っていることから、派手な言い争いをしているように見えても本当はそうではないことが、人の機微に疎いロムにもよくわかった。


「確か、奥様はご主人と同じ傭兵旅団のご出身なのですよね」


「そうそう。若干だけど私のほうが先輩なのよ」


「たった一カ月だけだろうが!!」


「だから、若干って言ったじゃない。もう、ほんとにいくつになっても子供なんだからぁ」


「何、その『しょうがないなぁ』みたいな態度わ!? おまえのそういうとこ、すんげぇイラッとするわぁ」


「大丈夫よ、わざとだから」


「そっか、わざとか。じゃあ、しょうがないなぁ。って、全然しょうがなくないだろ!!」


 バステトのボケにまたしてもタスクが絶妙なタイミングでツッコミを入れ、再び夫婦漫才が勃発。

 ・・かと思われたが。

 流石にこのままでは話が進まないと悟ったタスクが慌ててロムのほうに視線を向け直す。


「いやいやいや、そうじゃなく。すまんな、小僧。途中からふざけた感じになっちまって」


「ほんと、あなたがどこまでも悪ノリするから」


「うんうん、ほんと俺ってやつわ、どうしよもねぇよな。って、そうじゃなくて、いつまでも話が前に進まないからバステト、おまえ、ちっと黙ってろ!! じゃなくてだな、冗談じゃなく本当によかったらうちに働きに来ないか」


「え、いや、しかし、セイバーファング殿が先程申された通り俺はまだ学生ですし」


「あ~、そうじゃなくて、とりあえずアルバイトとしてだよ。まあ、どのみちおまえだって、高校卒業するまでは就職する気ないんだろ? だったら、とりあえずうちで働いてみろよ。傭兵やハンターとしての道を探すのもいいだろうけどさ、そうじゃない道を試してみるのも悪くないとは思わないか?」


「それは、まあそうなんですが」


「おまえさん、いま二年生だったよな。だったら、卒業まであと二年もないじゃないか。傭兵やハンターに好きでなりたいわけじゃないし、今でも積極的になりたいわけでもないのだろう。だが『工術師』の仕事には興味を持った。将来的にはやってみたいとも思った。だが別にそれは将来的にじゃなくてもいいんじゃないか。今、やってみろよ。学校に通いながらの片手間でいいさ。自分に合わないと思ったらやめちまってもいい」


「ですが、俺は」


 相変わらずのしかめっ面。しかし、その声や口調、そして、ロムを見つめるその眼はどこまでも優しかった。

 しかし、裏切られるばかりの人生で人に優しくされた覚えがほとんどない少年は、自分にとってどこまでも都合のいい条件だというのに、なかなか首を縦に振れずにいた。また裏切られるのが怖いからだ。相手は大親友連夜の知り合いで、決してそんなことにはならないだろうと頭ではわかっているのだが、過去に味わった屈辱の経験が彼の足を掴んで踏みださせない。短い間ではあるが、二人の間には既に信頼関係が生まれはじめていた。お互いそれを壊したくないと思うが故に、なかなか話を前に進ませることができない。

 何とも言えない重苦しい沈黙の時間が流れて行く。

 このままこの縁はなかったことになってしまうかもしれない。そう二人が思い始めていたそのとき、空気の流れが一気に変わる。


「はいはい。もう、とりあえず、ロスタムくんはアルバイト採用ってことで決定」


「え、いやしかしですね」


「おまえ、ちょっと待てって」


「二人ともうっさい黙れ」


「「『黙れ』って、そんな」」


「さっき、仮契約書にサインしたでしょ? あれ、三カ月間有効だから」


「待て待て、だから就職はいかんと言ってるだろうが」


「何言ってるのよ、最初の三カ月間はお試し期間だから、アルバイト扱いでしょ。その後、アルバイトとして続けて行くか、正式に社員になるか決めたらいいだけじゃない。ロスタムくんも男の子なんだから、怖がってないでチャレンジしなさい。はいはい、じゃあ、話はこれで御終い。二人ともわかったわね」


「「・・」」


「わかったら返事!!」


「「は、はい!!」」


「よろしい。じゃあ、後で仕事の内容の説明と時給を決めましょう。あなた、猟が終わったらうちの馬車までその子連れてきてね」


「え、ちょ、まっ」


「やばい、そろそろ配置に戻らないと。ロスタムくん、あとでね」


「あ、あの、バステトさん!? ちょっ」


 あまりの急展開についていけずにいる二人を置き去りにして、黒豹型獣人族の姿をした台風は去って行った。

 そして、しばし、呆然としたまま立ちつくす二人の男達。


「す、すまんな、小僧。俺にもそのあいつの手綱は握り切れないところがあって」


「い、いえ、あの、とんでもないです。その、雇ってくださって、ありがとうございます」


「あ、う、うん。なんか、過程に納得できないところが多々あるが、とりあえず、よろしくな」


「よ、よろしくお願いいたします」


「「はは、はははは・・はぁ」」


 乾いた笑いをかわしあったあと、顔を見合わせ短く嘆息する二人。しかし、すぐに晴れやかな微笑を浮かべて顔をあげた二人。一瞬だけ視線を絡ませた後、すぐにその視線を外し再び追い込まれてくるであろう獲物が来る方角に視線を向け直す。

 今後のこと、自分達のこと、これまでのこと。いろいろと話したいことはあったが、別に焦らずともこれからいくらでもそれを話す時間はできる。奇しくも同じことを想って、それらの思いを封印した二人はまた仕事へ己の意識を集中していった。


 ロスタム・オースティンと、タスク・セイバーファング。

 良くも悪くも非常によく似た性格の二人。今日この日師弟となった二人の豪傑の交友は、彼らの予想以上に長く続いていくことになる。






「あ、そういえば」


「どうした?」


「いえ、あの。連夜の姿が見えないと思いまして」


「ああ、あいつなら、この追い込み猟で一番重要な場所に陣取っているよ」


「一番重要な場所?」


「オオアブラムシが集まる場所。つまり奴らのエサ場だ。そこで奴らを追い立てる役目をやっている」


「ちょ、ちょっと待ってください。そこはまさか」


「そうだ。一番危険な配置場所だよ」


 タスクの言葉が全て聞き終わる前に、バグベア族の少年は投網を放り出して駈け出そうとする。

 だが。


「待て待て待て、ちょっと待て落ち着けというに」


 その鈍重な巨体からは考えられないような凄まじいスピードで灰色熊の腕が動いて少年の腕を掴む。


「放して下さい!! 一刻も早く連夜のところに行かなくては」


「今更行ってどうする気だ?」


「決まっているじゃないですか。あいつを守る盾になるんです。ちょ、ほんとに放してくださいって」


「心配いらんから、少し落ち着けというとるんだ」


「落ち着けって、落ち着いていられるわけないでしょうが!! だいたいあなたは何を考えているんですか!? あいつは全種族の中でも最も体の弱い人間族なんですよ!? それなのにそんな危険なところに配置するなんて正気の沙汰とは思えません」


「大丈夫だ。あいつの側には『J』も、『F』もついている。それに何よりも今日は」


 タスクの腕を必死に振りほどこうとするロムを、呆れたような表情で見つめていたタスクであったが、やがて、その視線を彼から外し森の奥深くへと向ける。

 その視線の先には、針葉樹林が鬱蒼と生い茂る背の高いたくさんの木々。そして、更にその先には、それらの木々を引離してそびえたつ大きな大きな圧倒的に巨大な樹木、『ジェリコセコイア』の姿が見えた。


「あそこに連夜がいるんですか?」


「そうだ。そして、あそこには、俺達の最強の剣もいる」


「最強の剣?」


「おう。『夜』を乱す者達悉くを討ち滅ぼし、平穏を守る最強の剣。奴の名は・・」


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