第十三話 『邂逅のとき』 その8
目の前に立つバグベア族の少年が静かに紡ぎ出した言葉を聞いたときフェイは正直かなり戸惑ってしまった。
と、いうのも、その前に自分が紡ぎ出した言葉だけでは到底主旨が伝わっていないだろうと思ったからだ。
『こいつはいったい何に対して了承の言葉を吐きだしたんだ?』
そんな風にフェイは胸中で呟いてみたりする。
だが、そんな風に思っている自分がいる一方、頭の中にいるもう一人の自分は別の結論を出していたりもした。
『こいつは何もかもわかっている。僕が求めていることがなんなのか、全てわかった上で了承の言葉を吐きだしたのだ』
困惑を深めていく自分がいる一方で、かつてないほどの興奮に包まれていく自分もいる。
今のフェイの心と頭の中は、二つの感情がぶつかり合い混ざり合いまさにカオスそのものの状態。
正直どう判断すればいいのかわからない。
わからないがしかし。
既に先方は答えを返してきているのだ。
このまま放置することはできない。
何度か逡巡する素振りを見せた後、フェイは、すっかり乾ききってしまった唇を舐めて湿らせながら口を開いた。
「いいのか? 本当に?」
当たり障りのない確認の言葉。
今更ながらに探るような聞き方をしてしまう自分に物凄い嫌悪を感じるが、ここははっきりさせておかなくてはならないのだ。
どうしても。
厳しい視線をぶつけるフェイの目を見て、バグベア族の少年は何かを感じたらしく、どこかいたずらっぽい表情でフェイを見返して口を開いた。
「今更だな。いいも悪いもそのために俺を探していたんだろう? やろうぜ。俺もおまえのような奴と一度全力でやってみたかったんだ」
細い目が少しだけ見開いてじっとフェイのことを見つめる。
そこには自分と全く同じものを求める何かが映っていた。
「一応、念の為に聞いておくが。僕が何をしたがっているのか、わかってて言ってるよな? 怪我するかもしれないぜ」
「当たり前だろう。というか、ずいぶんな自信だなルー・フェイシン。これから殴り合いをしようっていうのに、自分だけは無傷で済ませるつもりか? 俺をアリのように踏みつぶせると思っているのかもしれんが。それは大きな間違いだ」
一瞬にしてバグベア族の少年の形相が『鬼』そのものとなる。
それも凄まじいまでの闘志を燃やして笑みを浮かべた『闘鬼』だ。
純粋な交じりっけなしの真っ直ぐな闘志。
善も悪もない、ただただ、愚直なまでに己の『武』を相手にぶつける為の大きな大きな気の塊。
それを見た瞬間フェイの体が震える。
恐怖でではない。
これ以上ないほどの歓喜で震えたのだ。
間違いなかった。
フェイの見立てに間違いはなかったのだ。
この目の前に立つ相手になら、フェイの全力を見せられる。
強すぎることはない。
弱すぎることもない。
自分とほぼ同じ目線、同じ位置に立つ者。
鏡に映した自分。
しかし、明らかに違う者。
かつてないほどの歓喜に包まれて半ば陶然とした状態でふらふらと歩き出したフェイは、場所を移動してあいている小型車両専門の駐車位置にバグベア族の少年を誘う。
ここはたくさんの『人』でごった返している『中型車両』、『大型車両』エリアと違い、人通りがほとんどない。
その人通りがほとんどない小型車両エリアの空きスペースのど真ん中で、立ち止まった二人は、どちらともなく距離をあけて対峙する。
二人の間を何とも言えない沈黙の空気が流れる。
当然だが、二人ともテレパス能力者ではないので、お互いが何を思いここに立っているのかはわからない。
しかし、二人ともお互いは同じことを思い、そして感じていることを確信していた。
そのことが妙に心地よく、しばし、睨みあうとも見つめ合うとも取れるような奇妙な視線を交換しあう。
始まるのが楽しみで、しかし、始めてしまうのがどこか怖い。
それでも、このままでずっといるわけにはいかない。
やると決めたからには、始めるしかないのだ。
ぎゅっと拳を握りしめたフェイは、今にも笑いだしそうな、しかし、泣き出しそうにも見える表情で最後の確認を行う。
「いいのか? 本当にいいのか?」
「いいよ。構わんよ」
「いくぜ? 本当にいくぜ?」
「来いよ。いいから来い」
「ぁぁ・・ぁぁぁああ・・ぁぁあっ、ぁぁぁうあああぁぁっ!!」
相手が深く頷くのを確認した次の瞬間には、フェイは力一杯大地を蹴って飛び出していた。
最初の一撃は自分が放つ。
どうあっても己の拳を幕開けとする、それだけは固く決めていたから、相手に任せるわけにはいかない。
相手を試す意味でも、そして、自分の意志を確認する意味でも大事な一発。
雄叫びと共に素晴らしい速度で突っ込んだフェイの体は、一本の槍と化してバグベア族の少年に肉薄。
そして、拳は少年の顔面へと吸い込まれる。
大きな鼻のすぐ右横、唇のやや右上の頬に深々と突き刺さって止まる。
『人』の肉を叩き潰す確かな感触。
だが。
「こんなものか?」
拳がめり込んだまま、少年は小さく呟いた。
その声に明らかに落胆の色をにじませながら。
「こんなものなのか、おまえの拳は?」
「あ・・う・・」
先制攻撃を放ち、相手に間違いなくダメージを負わせたのはフェイのほうである。
だが、今、苦痛の表情を浮かべているのは拳を叩きつけられたほうではなく、声を掛けられたフェイのほうであった。
「違うだろ? おまえの全力はこんなもんじゃないだろ?」
その通りである。
今の一撃は全力ではなかった。
心のどこかで相手を侮っていて、それを見透かされた。
フェイは、今まで、自分の全力で戦ったことなどただの一度もない。
ライバルである剣児との戦いで、それに近いことはしているが、全力ではない。
剣児との戦いは喧嘩というよりも潰し合いであり、如何に相手の力を出させないようにして叩き潰すかが大事で、本当の意味での己の全力はなかなか出せないからだ。
しかし、今日は違う。
相手は最初から自分の全力を受け切るつもりでここに立っているはずなのだ。
彼のことを人づてに聞いて知り、実際に見て彼自身を確認したロスタム・オースティンという少年はそういう相手のはずなのだ。
だからこそ相手として選び、戦うことを望んだのに、フェイは躊躇した。
その期待を裏切られるのが怖かったから。
「言っておくが、そんな腰の入らないパンチいくら打ち込まれても痛くもかゆくもないし、俺は絶対に倒れん。そして、死んでも倒れてやらん。俺はおまえの全力が見たいのだ。おまえの全力が見たいからこの喧嘩を買ったのだ。頼む。本当に頼むから、俺をがっかりさせないでくれ」
悲しみに満ちた表情。
そして、最後に紡ぎだされた言葉がフェイの心に容赦なく突き刺さる。
『俺をがっかりさせないでくれ』
それだけは。
それだけは本当に嫌だった。
(何をやってるんだ、僕は!? 一年待ってようやく本懐を遂げる機会がやってきたというのに、このザマはいったいなんなのだ!? ロスタム・オースティンは僕の想像通り、そして、噂通りのの『侠者』だった。僕の一撃を真正面から受け止めてくれた。身じろぎもせず、小賢しく避けることもせず、堂々と受けてたってくれたじゃないか。それに対してこの僕の情けなさはなんなんだ!? しっかりしろ、陸 緋星。彼の言うとおりだ。僕の全力はこんなものじゃない!!
胸中で己を叱咤した後、フェイは打ち込んだ拳をロムの頬から引き抜き、そして。
『メキッ!!』
己の拳をそのまま自分の頬めがけて力一杯打ち込んだ。
聞いただけで痛くなるような肉を打つ鈍い音が、駐車場内に響き渡る。
突然のフェイの自爆行為を呆気にとられたように見つめるロム。
そんなロムに対し、フェイは口から盛大に血を流しながらニヤリと笑みを浮かべて見せる。
「悪かった。ロスタム・オースティン。危うく折角の勝負を自ら台無しにしてしまうところだった。だが、もうこんな無様な真似は晒さないと約束しよう。今度こそ全力の僕の一撃を受けてくれるかな?」
メキメキという不気味な音を立てながら固く固く握られていくフェイの拳。
誰がどう見ても険呑極まりないその拳を、見定めるようにしばらくじっと見つめていたロムであったが、やがて同じような笑みを浮かべて見せる。
獰猛な肉食獣の笑みを。
「言葉はいらん。拳で語れ」
「だな。では、見せよう。僕の全力を」
そして、朱い鳥と玄い獣は咆哮を挙げて全力ぶつかりあう。
殴り合う。
ひたすら殴り合う。
避けない、全く避けない。
放たれる拳を全て己の体で受ける。
その場に足を止めたまま、ひたすら相手の体を全力を込めた拳で殴り合う。
見る間に腫れあがっていく顔。
体中にできあがっていくあざ。
口から、鼻から、目から、額から、拳から、血が噴き出し、流れ出し、その血がお互いを真っ赤に染める。
殴り始めてから三分経ってない。
にも関わらず二人は既に満身創痍。
そして、殴り始めた当初の力強さも最早ない。
しかし。
(楽しい。なんて楽しいんだ。武術を習い始めた頃、生まれて初めて瓦を割ることができたときのような、生まれて初めて蹴りでバットをたたき折ることができたあのときのような、友達と覚えたての技を力加減もわからないままに振るって仕合したときのような。ああ、そうだ。憎しみとか恨みとかじゃなくて、純粋に技を覚えたことが嬉しくて、一生懸命練習したことの結果を見ることが楽しくて、ただただ、ひたすら無心に蹴って殴っていた、あの頃の気持ちだ)
相手に向かって拳を振るいながら。
相手に向かって蹴りを放ちながら。
フェイは子供のように無邪気に笑っていた。
すっかり腫れあがってしまった顔で、満足に笑みの形になっていなかったが、確かにフェイは笑っていた。
相手を嘲笑っているわけではない。
本当に心から楽しそうに笑っていたのだ。
そして、それは戦っている相手も同じで、ボコボコの血塗れの顔のまま、楽しそうに笑ってる。
(だよな。そうだよな。君もそう思うだろう、ロスタム・オースティン。ああ、そうだ。誰かを守るために覚えた武術だけど、心のどこかで自分の為に振るいたいと思ってる自分もいたんだ。そして、それはただ何かを破壊したいわけじゃないし、誰かを憎み怨んで振るいたいわけでもない。それをわかって受けてくれる相手がほしかった)
心の中でそう呟きながら、フェイは拳を振るい続ける。
どうだ、僕の拳は。
どうだ、僕の蹴りは。
強いな、君の拳は。
重いな、君の蹴りは。
殴り殴られ、蹴り蹴られ。
だが、二人の胸中に相手を恨んだり憎んだりという気持ちはこれっぽっちもわきあがってこない。
ひたすらにどこまでも楽しいという気持ちだけが彼らを突き動かし、まるでお互いの体を太鼓とするかのように素晴らしいリズムを刻み続けさせる。
そんな心境であるから、当然のことだが、二人の心は全く折れる気配はない。
もっと速く、もっと重く、そしてもっと強く。
『武』に対する果てることのない貪欲な気持ちが、二人の技を力を、そして、心を磨かせ急速に更なる高みへと誘っていく。
こうなってくるともう止まらない。
行けるところまで行く。
二人の殴り合いは更なる激しさを増していく。
・・はずだったのだが。
(あ・・あれ?)
殴り合ってからきっかり五分後。
唐突にフェイは拳を振り上げた状態で止まった。
自らの意志の力で止めたわけではない。
気持ちはもっともっとと、更なる戦いを求めている。
なのに、勝手に体が止まってしまった。
(お、おい、なんでだ? なんで止まってるんだよ!? 動け!! 動け僕の体!! 動け僕の拳!!)
焦りに焦りながら再び自分を叱咤するフェイ。
しかし、どうやっても、どうしても、彼の体は動こうとしない。
前を見る。
するとそこには血塗れの巨漢が両手を広げて『さぁ、来い!!』と言わんばかりにこちらを睨みつけて待ち構えている姿。
(頼む、頼むよ、動いてくれよ!! 見ろ、待ってくれているんだぞ!? 今度はおまえの番だからって、僕の攻撃を受けるためにわざわざ待ってくれているんだぞ!? 僕に恥をかかせるなよ!! 動け、動けよ、チクショウッ!!)
だが、もう彼の体はぴくりとも動こうとしない。
脂汗をにじませ、渾身の力を込めて動かそうとしても、もう髪の毛一筋だって動いてくれない。
ガス欠だ。
本気の本気の本気で全力を出した結果、フェイの体力が完全に尽きてしまったのだ。
フェイは二流の武術家ではない。
端っこに引っかかる程度ではあるが、一応一流であると自負している。
そんなフェイであるから、嫌でもそのことを理解してしまっていた。
たかが五分ではない。
自分と同じくらい腕の立つ恐ろしい強敵相手に、全身全霊、力の限り殴り合って五分である。
少しでも武術を知る者であるならば、それが如何に長い時間であるかを知り驚いたであろう。
しかし、そんなこと今のフェイには何の慰めにもならない。
むしろ自分の不甲斐なさに今にも涙が零れ落ちそうだ。
(こんな・・こんな最後でいいのか? 僕はまだ、全然全てを出してない、出しきってない。そうだ、まだ全然終わってない。朱雀族の僕だけが体得できた『灼熱の拳』も見せてない。僕が最も得意とする二段後ろ回し蹴り『焔の尻尾』も、『赤の肘』も、『紅の膝』も、他にもまだ見せてない技がたくさんあるのに!!)
諦めきれないフェイは、それでもまだ必死に体を動かそうとしてみる。
拳だけではなく、足を、腰を、胸を、腕を、そして首を。
どれも動かない。
悲しいまでに動かない。
相手は動かず攻撃を受けるために待ってくれているというのに、自分の体は全く動かない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、ロスタム・オースティン。今見せるから。僕の技を見せるから。終わってないから、まだ、僕は終わってないから!! 絶対がっかりさせたりしないから!! くそおっ!! 動けっ!! うごけよおぉっ!!」
すっかり腫れあがり元の倍以上の瞼になってしまった目を懸命に見開いて、動かぬ腕を懸命に動かそうとするフェイ。
いつしかその目からは、熱い悔し涙がはらはらと零れて、落ちて、そして流れて川となっていた。
だが、涙は流れてもやっぱり彼の体は動かなかった。
絶望に打ちひしがれるフェイ。
しかし、そんなフェイの耳に、なんともいえない楽しげな低い笑い声が聞こえてきた。
「はは、ははは」
「わ、嗤うな。いや、嗤われるのも仕方ないか。こんなザマじゃ嗤うなとはとても言えないな」
「ははは、いや違う。違うぞ。そうじゃないんだ、ルー・フェイシン」
「?」
「俺ももう動けないんだ」
「えっ」
「動けないから、後はどこまでおまえの攻撃を受け切れるか試してみようと思ったのだが。ははは、げほげほっ。そうかそうか」
苦しそうに時折血を吐きだしながらも楽しそうに笑い続けるロムであったが、やがて腫れあがって顔に心からの笑みを浮かべてフェイのほうに視線を向け直し、そして、ぽつりと呟いた。
「引き分けだ」
その言葉をしばらくぽか~んとしたまま聞いていたフェイであったが、やがて、同じような笑みを浮かべてロムに視線を向け直した。
「引き分けか」
「ああ、引き分けだ」
「あっはっは」
「ふっふっふ」
「「あはははははは」」
動けない体のまま笑い始めた二人。
恨みも憎しみも怒りも悲しみなく、ただただなんの屈託もなく笑い続ける二人。
まだまだ殴り合いたい気持ちがある。
だが、それでも、心のどこかでこの結果にひどく満足している自分もいた。
別に自分達は殺し合いがしたいわけではないのだ。
むしろ目の前にいるこの素晴らしい闘士を殺したくはない。
またいつの日か、同じように無心に全力で戦いたいだけ。
だから、今日はこれでいい。
明日があるから。
今日できた奇妙な、しかし、わかりやすい縁は、これからもきっと続いて行く。
なんとなくそう確信すると更におかしくて、二人は更にその笑いを深めていった。
その後もしばらくその場で笑い続けた二人であったが、やがてほぼ同時にその場にバッタリと倒れて動かなくなる。
「い、生きているかぁ~、ロスタム・オースティン」
「ああ、なんとか生きてる。おまえは大丈夫か、ルー・フェイシン」
「大丈夫じゃない。大丈夫じゃないが、なんとか生きてる」
「そうか、そいつはよかった。しかし、なんだな」
倒れる瞬間、お互いが倒れて行く姿を見ていたため、不安になって声を掛け合った二人であったが、どちらも思ったより元気な声が帰ってきたことにほっと安堵の息を吐きだす。
しかし、地面に倒れた状態であることに気がついたロムは、寝たまま腕を組むと難しい声で唸り声をあげた。
「ん?」
「このままここで寝転がり続けるのはマズイな」
「うむ、かなりマズイ」
「救急車を呼ばれたりするのもかなわんが、事件と思われて都市警察を呼ばれるのは尚マズイ」
「いや、救急車を呼ばれることはあっても、警察は・・いくらなんでもそれはないんじゃ」
「血塗れの男が二人路上に倒れていたら、おまえならどうするよ、ルー・フェイシン」
「速攻で警察に連絡する」
「だろ?」
「うむ、確かにマズイな。なんとか転がって端っこにでも寄っていたほうがいいかな」
「転がれるか?」
「いや、無理だ。さっき散々動こうとしてみたが、ダメだった。おまえはどうだ、ロスタム・オースティン」
「俺も無理だが、いや、動かない方がいいかもしれん。下手に動いて影に隠れてしまうと見つけてもらえないかもしれんからな」
「誰に?」
「俺の真友にだ。近くにいるから、しばらく待っていれば探しに来てくれるはず」
「なるほど。そういえば、忘れていたけど僕の心友も近くにいるんだった」
「そうなのか」
「うん。彼は優秀な療術師でもあるから、来てくれればきっと治療してくれるだろう」
「ほほお。それは奇遇だな。実は俺の真友も療術師なんだ」
「へぇ~。それはほんとに奇遇だ。でもまあ、ほんと持つべきものは友達だな」
「うむ、ほんとにそうだな」
「とりあえず、探しにきてくれるまでここで寝転がっていようか」
「そうだな」
「「はぁ、疲れた」」
先程までの闘志むき出しの圧倒的なオーラはどこへやら。
仲良く地面に寝転がり、ぼんやりと空を眺めて助けが来るのを待つ二人。
全力で拳を振るい合っていた相手だというのに、何故かずっとずっと昔から知り合いで、『友達』だったような気がする。
ゆっくり流れて行く雲を何とはなしに見つめながら、そんな風にふと考えていたフェイは、ふとあることを思いついて横に寝転がるロムに声を掛ける。
「なぁ、ロスタム・オースティン」
「なんだ、ルー・フェイシン」
「いつかまた僕の拳を受けてくれるかな?」
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
「約束だぞ」
「それは約束にならん」
「なんでだ?」
「そんなもの、ダチなら当たり前のことだ」
不満そうに問いかけるフェイの言葉に、ロムは当たり前のことを聞くなと言わんばかりに答えを口にする。
その答えを聞いてしばし、呆然とするフェイ。
ロムが当たり前と思って口にした言葉は、フェイにとってあまりにも予想外であったからだ。
咄嗟に答えを返すことができないまま、またもや時間だけが流れて行く。
やがて、苛立った表情となったフェイは、否定の言葉を口にしようとしたのだが。
「違うのか?」
「え?」
それよりも早く紡ぎだされたのはロムの確認の言葉。
びっくりしたような表情を浮かべた後、フェイは寝転がったまま器用に考え込む仕草を見せて戸惑う。
「俺はもうダチだと思っていたのだが」
「え、えっと、それは」
「思ったよりはっきりしないやつだな」
「そ、そんなことはない。ああ、そうだな。ダチだ。いや、別に今更確認するほどのことじゃないな。うん」
「そうか。なら、やはり約束なぞ必要ない。おまえの心のままに、いつでもおまえの拳を受けて見せよう。全力でな」
「ダチか。そうかそうか、ダチだったのか」
「おい、人の話を聞いているか? ルー・フェイシン」
「いちいちフルネームで呼ばなくていいロスタム・オースティン。僕のことはフェイでいい。ダチはみんなそう呼んでいる」
「そうか。なら俺のこともフルネームじゃなくてロムと呼べ」
「うむ。ロムだな」
「そうだ、フェイ」
ニヤリと男くさい笑みを浮かべた後、二人は首だけを横に向けて寝転がったままの状態で顔をお互いのほうに向ける。
そして、どちらともなく差し出した拳をぶつけ合うのだった。
「まあ、一応よろしくだ」
「そうだな。これからよろしくだ」
「「ぷっ・・あははははは」」
屈託なく二人は声をあげて笑いあう。
拳をぶつけ合うことで、百万の言葉で語り合うよりもお互いのことをわかりあった二人。
支払った代償は決して安くはなかったが、しかし、失ったものよりもはるかに大きな大きな何かを手に入れられたことを二人は実感していた。
だから笑える。
心の底から笑える。
二人は寝転がったまま揃って腹を抱えて笑い続けた。
・・のだが。
そんな楽しい時間は長くは続かなかった。
突如として、恐るべき裁きの使徒が二人に地獄を見せるべく舞い降りたのだ。
最初に異変に気がついたのは、フェイであった。
笑い転げていたから気がつかなかったのだが、ふと気がつくといつのまにか自分の体が日陰に入っているではないか。
太陽が雲に隠れてしまったのかなぁ。
なんて単純に考えていた。
しかし、妙に寒い。
やたら体が震えるくらい寒い。
六月に入りそろそろ真夏が近づいてきているというのに、何故か冷気を感じる。
太陽が隠れたくらいでこんなに気温が下がるなんて変だな~。
なんて思いながら顔を空のほうへと向けたフェイは、自分の体のすぐ側に誰かが仁王立ちしている姿を目にして体を硬直させる。
その人物は、めちゃくちゃ怒った顔をしていた。
伝説のキング・オブ・ジャッジメントマスター・ザ・エンマかと思うくらい怒髪天を衝く勢いで怒っていた。
しかもあろうことか、その怒りの表情をこちらに向けているではないか。
フェイは、だらだらと冷や汗を流しながらそっと視線を背けると、横に寝転がる今さっき友達になったばかりの新しい友に震えながら声を掛けた。
「ろ、ろむぅ? ちょ、ちょっと俺のすぐ横に立ってる人の顔をみてくれるぅ?」
「どうした、フェイ? って、うおっ!?」
フェイの言葉に反応して顔を向けてきたロムは、何かを目にしたのか恐怖に満ち満ちた声をあげたあと、フェイと同じように急いで顔を背けてしまった。
「ちょっ、まっ、えっ」
「ろ、ろむぅ? 見た、今の? 見えた? 確認した? してくれた?」
「いや、その、見えたか見えなかったでいえば見えたような気がするけど」
「さっき殴られて目が腫れあがってるせいか、ちょっとちゃんと見えなかったんだけど、お、怒ってるような感じしなかった?」
「お、怒ってるような感じは・・す、するねぇ」
「め、めっちゃめちゃ怒ってるような感じしなかった?」
「め、めっちゃめちゃ怒ってるような感じは・・す、するねぇ」
寝転がったままなんとか体を寄せ合って顔を近づけた二人は、だらだらと脂汗を流して体をぶるぶると震わせる。
「さっきから僕達の会話聞こえているはずなのに、全くノーリアクションなのがすっごい怖いのよ。それでさ、悪いんだけど、ロムから事情説明してくれないかな。このままだと、僕、この心友に何されるかわからないから。ね、頼むよ」
「いやいやいやいや。まてまてまて、ちょっと待て。それは俺のセリフだってば。おまえの口から説明してくれよ。でないと真友の怒りの全てを受けなくちゃいけなくなるんだってば」
「え? ひょっとしてロムの言ってた真友って連夜のことなの?」
「は? ひょっとしてフェイの言ってた心友って連夜のことなのか?」
「「な~んだ、そっかそっか。あっはっは。って、みぎゃあああああああっ!!」」
一瞬迫りくる恐怖を忘れ、屈託のない笑い声をあげた二人。
だが、その笑ってる最中、液体のような何かが全身にぶちまけられる。
ドロリとした妙な感触の毒々しい濃いい青緑色の不気味な液体。
それが、体中の隅々まで届くように大量にバケツでぶちまけられ、二人の体にねっとりとからみつく。
突然の出来事に思わずぽかんと口をあけた二人であったが、しかし、次の瞬間、全身を刺すような強烈な痛みが。
「沁みる沁みる沁みる!!」
「痛い痛い痛い!!」
盛大に悲鳴をあげながら、動けない体を必死に動かし痛みから遠ざかろうとする二人であったが、当然のごとくそれらから逃げることなんてできるわけがなく、その場で芋虫のように悶え続けることに。
そんな二人の姿を冷たい視線で見つめ続けるのは、この惨状を生み出した元凶たる小さな人影。
怒り冷めやらぬ表情でしばらくその様子をじっと見つめ続けていたが、やがて隣に視線を向けて何やら合図を送る。
すると、どこからともなくやってきた白衣姿のねこまりも族の可憐な少女達がやってきてフェイとロムの体を拘束しはじめる。
「治療の為です、失礼いたしますにゃ」
「ルー様、オースティン様、しばらくご辛抱してくださいにゃ」
「暴れないでくださいませ」
「やん、ルー様ったら、こんなに大きいんですにょ?」
「あんた、ちょっとどさまぎでどこ触ってるのよ。あたしにも触らせなさいよ」
「あら、オースティン様も負けていらっしゃらないわよ。だって、この盛り上がり方が」
『もう、やぁだぁ。きゃ~~!!』
「え、ちょ、なになになに、なんなのさ!? ってか、この液体なに!? すっごい沁みるし痛いんだけど、ちょっと!?」
「ちょっと待て。武装解除するのはわかるが、何故下に来ている服や下着まで脱がせようとするのだ!?」
いったい何事がはじまるのかと怯え悶えるフェイとロムであったが、全身白衣のねこまりも族の少女達に組みつかれ逃げるどころか動くこともできない状況。
そこに、いつのまに着替えたのか、手術着姿の人間族の少年が絶対零度の微笑を浮かべながら、近づいてくる様子が目に映り、フェイ達の恐怖は最高潮に達する。
「え? 何その格好、何なのその格好は!?」
「これより手術を行います。まずはフェイから」
「え? は? し、しゅ、手術!?」
「メス」
「はい、先生」
「ちょ、メス? メスってどこ切る気!?」
「患者は静かにしてください。うるさいと手元が狂います。間違って全部切ってしまうと、残りの人生女性として生きなくちゃいけなくなりますがよろしいですか?」
「何を手術する気なの!? ちょ、やめ、ズボン脱がさないで!?」
「手術の内容ですか? それは包け・・」
「違うから!! 僕、それ違うから!! 該当しないから!! 手術必要ないから!!」
「手術が必要ない!? じゃあ、ロムを先にしようか」
「をいをいをい!! 俺も必要ないから!! ってか、全然切るとこないから!! むしろ切らないでほしいから!! 何もあまってないから!!」
「え~。何か二人とも挙動が怪しいなぁ。よし、こまちくん、至急二人の患部を確認してください」
「わかりました。全力で確認しますにゃ。じゅる」
「や~め~ろ~!! パンツおろすなぁ~~!!」
「よせよせよせっ!! みんな見てる!! めっちゃ野次馬集まってきてる!! ガンミされてるから、やめてくれぇっ!!」
「待ってください!!」
「む、せろりくんどうしたね」
「そんな危険な役目をこまちナース長にやらせるわけにはいきませんにゃ。その役目はこの私せろりが。ごっくん」
「いえいえいえ、それは是非とも私めがやりますにゃ。うっふん」
「いえいえいえ、先輩方にそんなことさせられません。ここは私が体を張って、いんぐりもんぐりさせていただきますにゃ。いや~ん」
「お~い!! 途中から明らかに主旨変わってる奴がいるから!!」
「止めてくれ!! 連夜、本当にこいつら止めてくれ!! 謝るから!! 全力で謝るから、土下座するから!!」
エロいことする気満々のねこまりもナース軍団に囲まれた二人は、完全に涙目になってすぐ隣に立つ自分達の共通の友人である連夜に訴えかける。
すると、連夜はそんな二人に対しにっこりとほほ笑みながら口を開いた。
「却下」
「「れんやぁぁぁぁっ!!」」
「しょうがないでしょうが。これからすぐ『外区』に出撃しないといけないのに、パーティの要である『矛』と『盾』が勝手に喧嘩して傷だらけになっちゃってるんだもん。そのバカチン二人を至急治さないと、出撃するに出撃できないでしょうが。『矛』も『盾』も他に予備人員いないんだよ? 多少手荒な方法でも速攻治す方法を取るしかないでしょ? それとも二人とも今から出撃予定時間までの一時間以内に自分で完治させられる?」
「「できません」」
「でしょう? じゃあ、とりあえず治さないといけないわけじゃん。少なくとも通常戦闘くらいはこなせるくらいには復調してもらわないといけなません。わかりますね?」
「「いや、それはわかるけど、なんで拘束され続けないといけないのかがわからないんだが」」
「時間ないので手っとり早く治さないといけないのよ。ってことで、普通の治療方法は取りません」
「「え?」」
「ちょぉ~~っと痛くて苦しいかもしれないですが、我慢してください」
「「ちょ、ちょ、ちょ、れ、連夜さん?」」
「なぁ~に、痛くて苦しいのそんなに長くないから」
「「どのくらい?」」
「ほんの一時間くらい」
「「え!? ちょっ!!」」
「じゃあ、ねこまりもナースのみなさん、はじめますよ~」
『らじゃっ!!』
「「待て待て待て!! ちょ、み、みぎゃあああああああっ!!」」
こうしていろいろな因縁、紆余曲折がありつつも優しき夜の元に星は集まり邂逅を果たす。
未だ夜の元に辿りつかぬ星はあれど、それでもいよいよ星達は動きだした。
いざ、出撃のとき。