第一話 『宿難家の朝』 その2
『東方猫型小人族』
『阿』大陸の東の果てにある辺境区にて細々と暮らしていた少数民族。元々は『異界』の力の一つである『妖力』を意のままに操り、それなりに強大な力を持つ一族であったのだが、『害獣』の出現によってその事情は急変する。『害獣』の出現により万能にして強大な『妖力』を使うことを禁じられ、その力を否応なく取り上げられてしまった彼らは、普通の猫よりも頭がよくて、人間並みに力があるというだけの普通以下の種族へとその地位を一気に没落させることになった。
今現在生き残っている他の種族達のように、すぐに別の技術、あるいは技能を会得したり、または、『異界』の力やこの世界に元々あった原始の力をはじめとする超常能力に全く頼ることなく肉体的能力を伸ばすような努力をすれば結果はまた違っていたのであろうが、長い長い年月を『妖力』に頼りきって生きてきた彼らは、すぐにそうすることができず、かといって正面から『害獣』に立ち向かっていくこともできないまま、ただただ天敵である『害獣』から隠れ続けひっそりと暮らし続ける道を選んだ。
彼らが元々住んでいた場所が辺境中の辺境ということもあったせいか、『害獣』達の魔の手が伸びることなく五百年という年月を平和に暮らすことができた。しかし、ついにその土地に染み付いた『異界』の力を、『害獣』達が嗅ぎつける日がやってくる。彼らが生活している辺境に徐々に『害獣』達が姿を見せるようになっていき、やがて、ベテランの『害獣』ハンター達でも倒すことが難しいとされる『騎士』クラスの『害獣』までも目撃されるようになった。
最早、彼らが隠れ住む里が見つかるのは時間の問題だった。『害獣』に見つかれば間違いなく一族郎党皆殺しにされ滅ぼされるだろう。しかし、長い年月何もしないまま、ひっそりと隠れ住むだけの生活しかしてこなかった彼らには、『害獣』と戦う術はもちろん、『害獣』に見つからぬように逃げる術さえなかったのだ。
天が彼らに与えた道は『滅亡』のみ・・と思われた。
だが。
「我らがいまここにあることができますのは、大旦那様と、若様のおかげでございますニャン」
三匹のメイド猫達の中で一番背が高い三毛猫のメイドが連夜の前に進み出ると、胸に片手をあてて恭しく優雅に一礼してみせる。するとそれにならうようにして他の猫達も同じように一礼する。
「あのとき無力な我らが、いつ来るかわからない『害獣』達の襲撃に怯えて隠れ里の中でみじめにも丸まっていたとき、お二人は颯爽と現れて我らを『害獣』の包囲網から救い出してくだった。いや、そればかりではありませんニャン。里を失い行き場のなくなってしまった我らをこの都市に導いてくださったうえに、生きる場所まで与えてくださいました。このご恩、我ら一族決して忘れませぬニャン。一生かけてお尽し致しますニャン」
「「いたしますニャン!!」」
当時のことを思い出しているのか、若干涙目になりながらも真摯な表情で頭を下げ続ける猫達の姿を、しばらく困ったように見つめていた連夜であったが、やがて三匹に近づくとそっとその身体を引き寄せて優しく抱きしめる。
「いや、うちで一生懸命働いてくれるのはいいけど、そこまで思いつめなくていいってば。そもそもあのとき僕達が君達の里を訪れたのは、君達の里に伝わる『猫だまし草』の栽培方法を伝授してもらいたかったからだったって知ってるでしょ? ほら、『猫だまし草』って美容液作るのに欠かせないでしょ、だからかなり需要が高いんだよねえ。君達の長老にそれを教えてもらうかわりに君達の脱出を手伝った。ただそれだけじゃない。うちで君達を雇ったのも、たまたまお父さんが忙しくなってきて家のことができなくなってきたから、手伝ってもらえる『人』がほしかったからだもん。お父さんの畑のほうも『人』手不足だったし。ちょうどよかったんだよね」
三匹の目をまっすぐに見つめながらえへへとかわいらしく笑みを浮かべる連夜。そんな連夜をしばらく見つめていた三匹の猫達は、その腕の中でなんともいえない困った表情で顔を見合わせる。そして、三匹の気持ちを代弁するかのように、三毛猫のメイドが連夜に口を開く。
「確かにそういう目的があったかもしれませんニャ。しかし、だからといって命を懸けるほどの価値があの草の栽培方法にあったとは思えませんニャン。それに種族というにはあまりにも少人数な我らですが、雇用するというには大人数の我ら。それを受け入れる必要などなかったはず!!」
「そうかな~、僕はあったと思うよ。少なくとも僕はあのときの判断を少しも間違っていたとは思わないし後悔もしていないよ。勿論、お父さんもね」
「ですが!!」
「だって、こんなかわいい妹達ができたし」
そう言って連夜は自分の顔を三匹の猫達の顔に心から嬉しそうににすりつける。猫達はしばらく連夜のされるがままになっていたが、やがて嬉しいような恥ずかしいようなという非常に表情に困るという顔をして見せて連夜を見つめる。
「ほんとにもう若様はお人好しですニャン」
「甘過ぎますニャン」
「でも・・嬉しいですニャン」
「「確かに」」
三匹の猫は連夜の腕の中でにっこりとほほ笑んで頷き合うと、一斉に連夜の顔を優しくなめてその腕からすり抜ける。
「さあさあ、若様。残りの洗濯物は私達が干しておきますニャン。こうめ、脚立を持ってきてくださいまし。若様、この量ですとまだ他に洗濯物が残っていますよね?」
「うん、いま洗濯機回してる」
「では、まつこ、手の空いている者を二人ほど呼んでそちらに向かってくださいまし。ここは私とこうめで干してしまいますニャン。よろしいですね、若様」
テキパキと二匹の猫メイド達に指示を出した三毛猫のメイドは、フリルがたくさんついたかわいらしいスカートをひるがえして踊るような優雅な足取りで連夜に近づくと、その洗濯カゴを乱暴にならない程度に連夜から強引に奪い取る。そんな三毛猫メイドに、連夜は困ったような表情を浮かべてみせたが、すぐにそれを苦笑へと変化させゆっくりと三毛猫に頷いて見せる。
「じゃあ、お願いするね、みんな」
「若様の許可が出ました。二人とも早速行動してくださいまし」
「了解です、さくら姫」
「こらっ!! こうめもまつこも、何度言ったらわかるのですか? 今の私は『姫』ではなく、『メイド長』ですニャン」
真っ赤な顔で怒りだした三毛猫のメイド さくらから逃れるように二匹の猫メイド達はその場から駆け出していく。
『ののやま さくら』
東方猫型小人族の族長『ののやま こてつ』の次女で、この家の全てのメイド達の頂点に立つメイド長。族長の娘ということもあって、幼き頃から『人』の上に立つ英才教育を受けてきた彼女であり、その物腰や口調は紛れもなく『姫』。いずれは日陰にこもりきった一族を引連れていずこかの都市に移住し、そこで一旗あげようと密かに野望の炎を燃やしていたのだが、宿難親子に救われたことでその心情は一変。今では宿難家の日常を守ることを己の使命とさだめ、自分が今まで培ってきた指揮能力を存分に駆使して、メイド業を爆進中。
自分を救ってくれた家の主である仁と、自分のことを実の妹同然に可愛がってくれる連夜に絶対の忠誠を誓っており、家の中では大概どちらかにくっついて行動している。
ちなみに当初は、ずっと一日中メイド業の彼女であったが、実年齢が十五歳であることが連夜や仁にバレ、ほかの未成年のメイド達ともども日中は学校に行くことを強制的に義務付けられ日中は家にいない。昼間は他の成人メイドさん達が家の業務を行っている。
「『さくら姫』でいいと思うけどな。かわいくて」
「わ、若様までそんなことを!! 『姫』はスカサハ様お一人で十分にございますニャン」
「あはは、確かにスカサハは『お姫様』って感じだね。でも、『さくら姫』も負けないくらいかわいいと思うよ」
「あわわわ、わ、若様は本当にもう、お世辞ばっかり・・」
「別にお世辞じゃないんだけどね。その洗濯物干したらあとのことは他のメイドさん達に任せて学校行く用意するんだよ? いいね?」
「は、はい、承知いたしましたニャン」
連夜の言葉に真っ赤になりながらも優雅にスカートのすそを掴んで一礼してみせるさくらに、連夜はもう一度近づいてその小さな体をぎゅっと抱きしめる。すると、さくらはしばらくあたふたとしていたが、きょろきょろと周囲を見渡して誰もいないことを確認すると自分の短く小さい腕を連夜の背中にまわして同じように抱きしめ返す。
「メイド業をがんばるのはいいけどあんまり無理しちゃ駄目だよ、さくら。さくらも僕の大事な家族でかけがえのない妹の一人なんだからね」
「勿体ないお言葉でございますニャン」
お互いが抱いているのは間違いなく恋愛感情ではない。父親との絆とも違う。だが、それでも二人の間には温かい絆があって、二人はそれを確認するようにお互いの身体を強く抱き合う。
相手を抱きしめるのは連夜の癖であった。
いや、誰彼かまわず抱きしめるというわけではない。相手のことを絶対に失いたくない、大事な存在だと思う場合に限り連夜は相手を頻繁に抱きしめる。つまり、連夜が自ら抱きしめた相手は、連夜にとって間違いなくかけがえのない存在であるということであった。
十年近い付き合いで、それをよ~く知っているさくらは、内心喜びに打ち震えながら連夜の身体をうっとりと抱きしめ返す。連夜が自分を抱きしめてくれているということは、自分が連夜にとって特別な存在であると告白されているのと同じだからだ。
恋愛感情ではないとわかっていても嬉しくないわけがない。こうしてさくらの忠誠心はまたさらに深くなっていくわけであるが・・
「あああっ!! さくら姫様ずるいニャン、また若様にハグされてるぅ!!」
他の猫メイド達と共に脚立を持って帰ってきたこうめが、連夜と抱き合っているさくらの姿を見て騒ぎ出し、みつかってしまったさくらは慌てて連夜から体を離して何事もなかったかのようにふるまおうとする。
「自分ばっかりズルイニャンズルイニャン!!」
「だ、だから『姫』ではありません!! 私は『メイド長』ですと何度言えば・・」
「ごまかしてるニャン!!」
「ゴ、ゴマカシテマセンにゃん!!」
「声が裏返ってるニャン」
「ウ、ウルサイデスにゃん。は、早く脚立を貸しなさい!!」
猫メイド達が大騒ぎしている様子があまりにも可愛らしくて、連夜はしばらくその様子を楽しげに見つめていたがふと腕時計を見て今の時間を確認すると慌てたように家の中へと戻って行く。
「じゃあ、あと任せるけど、みんな、ちゃんと学校に行く用意して遅れないように家を出るんだよ? ちゃんとみんなの朝食用意しておくからね!!」
『はい、若様』
ちょっと振り返ってメイド達の元気な返事を確認した連夜は、満足気に頷いて今度こそ家の中へと入って行った。