第十三話 『邂逅のとき』 その3
「えええっ!? じゃ、じゃあ、やっぱり私の勘違いだったの?」
大騒ぎすること三十分あまり。
なんとかかんとか落ち着いて、やっと連夜の話をまともに聞く気になった玉藻。
そこで玉藻は、連夜の口から事情をすっかり説明されて、裏切りでも浮気でもなかったことを知り顔を赤くしたり青くしたり。
「やだやだもうっ!! あれが男同士の再会の挨拶だったなんて。物凄い美少女と抱き合ってるからてっきり連夜くんが浮気したんじゃないかって」
「そんなことあるわけないじゃないですか。クリスは、間違いなく男なんですってば」
「う~~、そう言われてもどう見たって女の子にしか見えないんですってば」
「でも、霊狐族の玉藻さんなら匂いでわかりますよね?」
「う、ううう、確かにあれは『オス』の匂い。でもでも、見た目のインパクトが大きすぎてそんなの咄嗟に判断できなかったんだもん!! だ、だいたい、あんな紛らわしいことやってる連夜くんが悪いもん!! 絶対悪いもん!!」
「まぁ、確かに紛らわしいことした僕らも悪いですけど、そもそも玉藻さん、霊狐族の『呪にして祝いなるもの』を僕にかけているんだから、浮気しているかどうかわかるはずですよね?」
「は? 『呪にして祝いなるもの』? って、あああっ!?」
「玉藻さん、ひょっとして忘れていらっしゃったんですか?」
「え、え~~~~っとえと、それはその」
物凄い白い目で連夜に見つめられた玉藻は、冷や汗を盛大に流しながら慌てて視線を反らす。
『呪にして祝いなるもの』
それは霊狐族に代々伝わる秘術中の秘術。
生涯伴侶を変えることがないというほど、一度決めたパートナーを信頼し大事にする霊狐族。
そのため、パートナーを決めるときは幾重にも慎重を期して相手を選び、大概の場合恋愛結婚となることが普通。
だが、時には家同士の仕来たりなどにより、見合いや親同士が勝手に縁談を進めるなどで仕方なく結婚することになってしまい、いまいち互いを信用できないということが発生する場合もある。
そんなときに使われるのがこの秘術である。
伴侶となる相手の全身に自分の【念】を抉り込むことにより、自分の分身を相手の体内に作りだす術。
分身は、普段はパートナーの体内で待機状態となっているが、ひとたびパートナーに好意を持つ自分以外の異性、あるいは同性が不埒な行為に及ぼうとすると、一瞬にして起動状態となって活動を開始、敵対者の存在を本体である術者にただちに伝えると同時に、分身自らもパートナーの体内から湧き出て迎撃行動に移るのだ。
分身が持つその力は本体とほぼ同じで、決して侮れる存在ではない。
なんせ術者が己の命と魂そのものを削って作りだす必殺の浮気防止秘術なのである。
並大抵の相手に討ち砕ける術ではない。
いや、そもそもこの術、かける術者だけに負担があるわけではない。
かけられるほうも相当な苦痛を伴うのである。
前述を読み返してもらえればわかってもらえると思うが、ただ【念】をかけるわけではない、文字通り、無理矢理【念】を体内に抉り込むのである。
全身の穴という穴、上は鼻や耳の穴は勿論、口や毛穴、そして、下のほうになると恥ずかしくて人には絶対言えないところからも無理矢理侵入されてしまうのだ。
はっきりいって強姦と同じである。
いや、下手をするとそれ以上の恥辱と苦痛を味わうことになる。
なので、この術を施されるものはほとんどいない。
当たり前である、霊狐族であればこれがどれほどひどい術なのかよくわかっているのだから。
術をかけられるほうにしてみればたまったものではなく、相当なドMでもなければこんな術を受けたいとは決して思わないだろう。
また、術をかけるほうにしてみれば相手を全く信用していませんと広言しているようなものなので、ちょっとでも相手に好意があるならこんなこと口にすら出さない。
そういうわけで、現在この秘術は霊狐族の中でほとんど使われなくなってしまった術であったのだが。
「ちょっとでも玉藻さんの気が晴れるならと思って、僕、受けたのに」
「あ、あうあう」
羞恥と悲しみで顔を真っ赤にし、唇を噛みしめて睨みつけてくる連夜の瞳には大粒の光るものが。
それに対して玉藻は返す言葉もない。
そう、連夜はその術を受けてくれたのだ。
それもしっかりこの秘術がどういうものであるかわかっていてそれでも尚、受けてくれたのである。
当たり前であるが、連夜の体内にかけられている術は全く起動していないし、起動した気配すらない。
つまり全然浮気でもなんでもなかったわけで、玉藻が落ち着いて術の起動云々を先に確認しておけば、こんな大騒動は起こらなかったわけだ。
しかし、あまりにも美少女然としたクリスとの抱擁が衝撃的で、その考えに行きつかなかった玉藻。
連夜に言われてようやくそのことを思い出したわけだが。
「もう、いいです。結局、玉藻さんは僕のこと信用してないってことですね。いいです、もうほんといいです」
「ああああああああっ!! 連夜くん、ごめんなさい!! ほんとにごめんなさい!!」
悔し涙をぼろぼろ流しながらその場を立ち去ろうとする連夜に、慌ててすがりついて止める。
「ち、違うの違うの!! あまりのショックで術のこと忘れていたの!! 決して、決して連夜くんのことを信用していないわけじゃないのぉぉぉぉっ!!」
「どうせ僕なんて、玉藻さんからしたらたくさんいる遊び相手の中の一人に過ぎないんでしょ。いいです、もう、それでいいです」
「ちょっ、そ、そんなこと思ってないよおっ!! 怒っちゃやだっ!! いや、怒らせるようなことした私が悪いんだけど、そんな、大泣きしないでよ!!」
「泣いて・・ないです・・ぐすっ」
「あわわわわっ!! いや、ほんとにごめんなさい。土下座するから!! 心の底から謝るから!! ねっ、ねっ!! 機嫌直してお願い!!」
珍しく感情的になって涙をぼろぼろ流す連夜の姿に、玉藻はどうしていいやらわからず右往左往するばかり。
必死になってなだめすかして、土下座して謝って、これから疑ったりしないといろいろと天に誓って、そんな風にありとあらゆることをすること十分近く。
玉藻はなんとか愛する恋人の機嫌を直すことに成功した。
「・・ぐすっ・・えぐっ・・今回は許しますけど、次はちゃんと術で先に確認してくださいね」
「わかってます、反省してますぅっ!!」
「疑うなとは言わないです。僕は全種族の中でも最も『嘘』を得意とする種族人間族ですから。疑われてもしょうがないです。でも、その為にあ、あ、あんな恥ずかしい術を受け入れたんですから、使っていただけないと僕、何の為にそのあの術を受けたのかわからなくなっちゃいます」
涙は引っ込んだものの相変わらず真っ赤な顔の連夜。
隠すように顔を下に向け、大狐の姿に変異して覗き込んでくる玉藻にちらちらと抗議の視線を向ける。
「ごめんってば。でもでも、連夜くんにちょっかい出してくる馬鹿も多いし、心配なのは心配なのよ、そこはわかってくれるでしょ? いろいろひどいことしてるけど、連夜くんを大事に想ってる気持ちに嘘はないのよ。本当よ」
大きな体で小柄な連夜の体を包み込むようにして抱きしめた大狐は、連夜の顔の涙の痕を優しく舐めとる。
そんな玉藻の気持ちに応えるように、連夜は体の力を抜いてふさふさの金の獣毛の中によりかかり、白面の獣の口先をぺろりと舐め返す。
「わかってます。それは疑ってません。だって、玉藻さんのことが大好きだから、愛していますから」
「私も。私も連夜くんのことだい、だい、だ~いすき。あいしてるぅっ!!」
大きな体でぎゅむ~~っと連夜の体を抱きしめた玉藻。
金の獣毛ですっぽりと連夜の体を覆い隠し、毛皮の内側の見えないところで連夜の唇を舐めたり、その口の中に舌を入れてみたり。
先程傭兵達に邪魔された分まで取り返そうとするかのように、一心不乱、全身全霊で連夜に纏わりつく玉藻。
騒動の元であった恐ろしい傭兵達がいなくなったことで、再び活気づいてきた早朝の西ゲート前。
たくさんの人達が往来する中、恥ずかしげもなく堂々といちゃつく自分達のリーダーの姿に、集まった友人達の表情は実にさまざま。
その様子を大別すると大体以下の通りとなる。
リビュエー達のように、連夜と玉藻のバカップルぶりを事前に知っていた者達は、呆れとも苦笑ともとれるような生温かい表情。
スカサハやクリス達のように、連夜と玉藻のことをまだ詳しく説明してもらっていない者達は、今まで見たこともないような連夜の姿にあんぐりと口をあけてただただ呆然とするばかりという大驚愕の表情。
どちらにせよ、集まったメンバーのほとんどは、二人のイチャイチャぶりを止めようとはせずに見守るばかり。
面白半分、あるいはあまりのショックで止めるに止められないという違いはあったが、ともかくみな自然に終わるのを待つというスタンスであったのだが。
やがて、彼らの中から一人の人物が前に出てきた。
「おい、狐女。おまえいい加減にしろよ」
それほど大きな声ではない。
むしろかなり抑えていてなんとか二人に聞こえる程度の声量しかない。
だが、玉藻はその声の中に無視できないある感情が入り混じっていることを敏感に察知し、首をそちらへと向ける。
そこには、金髪金眼の一人の美青年の姿。
恐らく玉藻と同年代の二十歳前後と思われる青年であるが、ともかく美しい。
中性的、どちらかといえばやや女性的な顔立ち。
だが、その鋭い眼差しに固く真一文字に結ばれた口から伝わってくる強い意志のオーラが、全く女性っぽさを感じさせない。
日焼けして褐色に近い健康的な肌、玉藻と同じくらいと思われる百八十ゼンチメトル前後の身長。
純白の戦闘用ボディスーツに身を包み、両手には左右で形の違う赤と青の籠手を装着。
(できる。こいつかなり強い)
自分の体に纏わりついてくるビリビリするような闘志。
全身から感じるそんなひりつくような感覚に、玉藻は抱えていた連夜をかばうようにそっと後ろへとまわし、目の前に立つ麗人を睨み返す。
「私になんかようなの?」
「ようなのじゃないだろ。イチャつくのは結構だが、その前にやることがあるんじゃないのか?」
吐き捨てるように呟いた後、自分と同じ金色の瞳が強烈な怒気を孕んで輝き、玉藻を射抜くように見つめる。
先程玉藻が戦ったチンピラもどきの傭兵達とは違う本物の戦士の眼。
その眼を真っ向から受けて、玉藻は見つめ返す。
「やることって?」
目の前の麗人の言っている言葉の意味がさっぱりわからなかったが故に純粋に問い返してみたのだが、目の前の麗人にとってそれは挑発以外の何物でもなかった。
秀麗な顔を怒りで歪め、麗人は咆哮する。
「おい貴様、本当にいい加減にしておけよ。このままなんの謝罪もなく流すつもりか」
「謝罪?」
一瞬、玉藻の脳裏に先程フルボッコにしたチンピラ達の姿がよぎる。
(ここにいるのは連夜くんの関係者ばかりと思っていたけど、ひょっとしてこいつやつらの仲間か? お礼参りに来たのかしら)
そう思った玉藻は『狐』から『人』の姿に再び戻りいつでも戦闘態勢を取れるように全身に闘気を張り巡らしていく。
だが。
「そうだ、謝罪だ。連夜とのやり取りは聞かせてもらった。だから、貴様が連夜に対し謝罪したことについては認めてやる」
「あ、ああそうなの、ありがと、って、あれ? 連夜くんに対する謝罪にはって、この人、連夜くんの関係者の方?」
自分の予想と違う反応に、慌てて連夜のほうに振りかえった玉藻。
取り返しのつかないことになる前に、念のために確認を行っておこうと声をかけると、最愛の人はそんな玉藻ににっこりとほほ笑んだ。
「そうです。血は繋がってませんが、兄です。フェリペ・S・ファルネーゼ、通り名は『F』。僕らはみんな『F』って呼んでます。ってか、『F』なに怒ってるの?」
今度は連夜が前に出て玉藻をそっと自分の後ろへとかばい、Fへと視線を向ける。
険しいFの表情と対照的に非常ににこやかな笑顔の連夜。
しかし、その眼が全然笑っていないことをFも含めた全ての関係者がよくわかっていた。
「おまえは黙ってろ、連夜」
「そうはいかないよ。玉藻さんに何か言いたいことがあるっていうならまず僕が聞くから言ってみてよ、ほら」
「む、むうっ」
両手を大きく広げ物凄くフレンドリーな様子をにこやかにアピールする連夜。
しかし、それが見た目通りのアピールではないことを、長年の付き合いでよくわかっているFは冷や汗を流しながら一歩後ずさる。
一見小動物のように無害な生物に見える連夜であるが、その実どんな生物よりも恐ろしい悪辣で凶暴な生物であることをFはよくわかっていた。
それだけにいつもなら、これで喧嘩や諍いは御終いとなるはずだった。
だが、何を思ったのかFは表情を引き締め直してその場に立ち止まると一瞬反らした視線を再び連夜のほうへと向け直す。
「あれ? 何か今日は頑張るね、F」
「当たり前だ!! 俺自身のことだけならともかく今日だけは折れるわけにはいかないぞ、連夜!! そもそも、このことについてはおまえがそこの狐女にきっちり言うべきことではないのか?」
「いや、誰に謝れっていうのさ? そもそも、この件についてはさっき謝ってもらったことで終わったんだけど。もう引きずるつもりないし」
「謝ってない!!」
「いや、だから誰にさ」
「ここにいる、クリスにだ!!」
「へ?」
三人の前に突然連れてこられたのは美少女然とした妖精族の少年クリス。
恋人のアルテミスと一緒に完全に傍観者の立場でニヤニヤしながら事の成り行きを生温かく見守っていたのだが、突如として修羅場に引きずり込まれて呆然自失。
「え? え! 何なに、何なのさ、いったい」
「おい、狐女。おまえさっき、連夜とこのクリスが浮気しているんじゃないかと疑いをかけて大騒ぎしていたよな。連夜には謝っていたが、何故、クリスには謝らないのだ!?」
混乱しきりのクリスの体を連夜達の前へとずいずいと押し出したFは、憤懣やるかたなしといった表情で怒声をあげる。
「あ、あ~、そういうこと。だからFは怒っていたのか。普段冷静なFが珍しく激昂しているから妙だな~って思っていたんだよねぇ」
「謝れ!! クリスにちゃんと謝れ!! おまえがどれほど連夜と親密な関係にあるのかは知らんが、それとこれとは別問題だ!! クリスはおまえに『女』と間違われたうえに、浮気相手だとまで間違われたんだぞ。こんなひどいことがあるか!?」
どこか呆れ果てた様子で肩をすくめる連夜をよそに、クリスと同じくらい混乱している玉藻に詰め寄っていくF。
そのFの言葉をぼんやりしつつも聞いていた玉藻は、はっと我に返ると慌てて目の前の妖精族の少年に頭を下げる。
「あ、あの、ほんと私の勘違いで大騒ぎになっちゃってごめんなさい。クリスくんって男の子なんだよね。女の子に間違えちゃって気分悪かったでしょ。ほんとにごめんなさい」
「あああ、いやいや、気にしないでくれよ。こんな姿だから女に間違われるのなんてしょっちゅうだし、気にしてないって」
ぺこぺこと頭を下げようとする玉藻を慌てて止めたクリスは、屈託のない笑顔を浮かべてもう気にしてないと告げる。
「それに連夜の浮気相手って間違われるのも初めてじゃないしな」
意味深な笑顔で振りかえった先にはFの姿。
慌ててクリスから顔を背けるFであったが、尚も言い足りないのか、あるいは照れ隠しなのか、玉藻に更に文句を言い始める。
「だ、だいたい、クリスと連夜が浮気してるなんてそんなバカな話があるわけないんだよ。こんなにかわいくてかっこよくてかわいくてかわいくてかわいくて仕方ないのに、どうしてクリスが浮気なんかしなきゃならないんだよ、まったく」
「『かっこよくて』はいいが、『かわいくて』は余計だ。そもそもこんな格好してる奴のどこがかわいいっていうんだ?」
呆れたように肩をすくめたクリスは自分の姿を指さして見せる。
濃緑色のボディスーツにレザーアーマー、そして、青と黒と灰色から構成された夜間迷彩色の防刃コート。
何をどう見ても街中を軽く散策するような格好ではないし、年頃の女の子が好んで着るような格好でもない。
ただ、コートの裾が太もものあたりまでしかない短いタイプであることと、下に着用しているボディスーツがズボンタイプではなくタイツタイプであることがあいまって、一見ミニスカートを身につけているようにも見えないこともない。
クリスの外見が外見だけに、結局見る人によってはどちらとも取れる格好。
「いや、ミニスカート型戦闘服は十分かわいいと思うぞ」
完全に戦闘用ではない方でその姿を認識したFが、うっとりデレデレした表情でクリスの姿を見つめ、やたらわかったようにうんうんと頷き続ける。
「ミニスカートじゃねぇよ。おまえ、どういう目してるんだ。ってか、おまえが既に俺を女の子と勘違いしてるじゃないか」
「違う!! 絶対勘違いしていない!! 間違いなく俺はクリスを男の『娘』だと認識してるとも!!」
「そうかそうか、ならよかった。って、あれ? なんか今、ニュアンス違うところがなかったか? 男の『子』って言ったんだよな?」
「勿論、男の『娘』って言ったとも!!」
「だよな。なら、いいんだけど。あれ? あれ? やっぱなんか違うような」
Fが力強く断言するたびに、何故か背中に悪寒が走るクリス。
その理由がわからずしきりに小首を傾げて見せる。
そんなクリスのかわいらしい姿にますますFは相好を崩すが、視線の端に玉藻が入ったことでまたもや怒りのスイッチが入ってしまったのか再び表情を険しくして玉藻に指を突き付ける。
「クリスが女の子に見えるか男の子に見えるかはともかくとして、とりあえず、狐女、もっとちゃんと謝れ!! というか土下座しろっ!!」
「な、なんですってぇっ!?」
「もういい加減にしろよ、F。なんなんだよ、おまえ、ちょっとしつこいぞ」
「し、しつこいって。クリスは腹が立たないのか!? こんな侮辱受けて、平気なのか?」
「別にいつものことだし、なんとも思ってねぇよ。だいたい出会った当初は、おまえだって連夜と俺がそういう関係だって勘違いして大騒ぎしただろうが。そもそも、あのときは連夜にも文句言っていたし」
「あ、あのときはクリスのことを女の子と勘違いしたわけじゃなくて、同性に対して、その、なんというか。と、ともかく、クリスがそんな格好しているからいけないんだ。もっとちゃんとした恰好をすれば誤解を減らせるはずなんだ!!」
「ちゃんとした恰好ってどんな恰好だよ」
「男の『娘』らしい服装だ!! それにはこれだ、これしかない、クリス!! これこそが君にふさわしい服装だ!!」
そう言ってどこからともなく取り出したのは一着の衣装。
それをクリスのほうに自信満々といった表情でこれ見よがしに突き出してみせるFであったが、そんなFとは相反し、見せつけられているクリスの額にはいくつもの青筋が立ち、その体はぶるぶると怒りで震えている。
そんな二人の姿をしばし交互に見つめていた玉藻であったが、やがて、クリスのほうに視線を固定させると、両手を組みながら何とも言えない表情でポツリとつぶやいた。
「連夜くん。あれってどう見てもメイド服だよね」
不可解極まりないという表情で小首を傾げながら問いかけてくる玉藻に対し、妙に冷静な表情になった連夜はこっくりと頷きを返す。
「メイド服ですね」
「メイド服って女性が着る服だよね」
「ですね、男性の場合はボーイ服ですね」
Fのあまりにも突飛な行動の結果が予想外過ぎて、逆に冷静になってしまった連夜と玉藻。
全体にわたってこれでもかとばかりに装飾されたフリフリのフリルに、ゴシック調の黒いメイド服、そして、そのメイド服の上には真っ白なエプロン。
何をどうツッコンでいいのやらといった風に同じように小首を傾げる。
「うんうん。ってか、ズボンじゃなくてスカートだから、ボーイ服じゃないのは確かだよね」
「ですね。間違いなくメイド服ですね。とりあえず、あれはメイド服で、女性用ですね」
「って、そこまで解説してもらわんでも、見ただけで女性用ってわかるわいっ!! こんなの絶対に着れるわけねぇだろうがっ!!」
冷静に解説を続ける連夜と玉藻に対し、顔を真っ赤にしてツッコミを入れたあと、返す刀でFに食ってかかるクリス。
そんなクリスの物凄い剣幕に一瞬怯む様子を見せたF。
しかし、何故か諦める様子を見せず、必死に説得を開始する。
「女性用じゃない、男の『娘』用だっ!!」
「どこがだ!?」
「いろいろと男の『娘』が着やすいようにいろいろなところに気を使っているんだ。たとえばおちん・・」
「待て~い!! 今、何、言おうとしてたの、おまえっ!? ってか、それ公衆の面前で言っていい単語じゃないよね!?」
「だって、クリスが言わせようとするから」
「言わせてねぇしっ!! ってか、そんな説明いらんし!!」
「じゃあ、説明はこれくらいにして、そろそろ試着してもらおうか」
「うん、わかった。・・って、いうわけねぇだろっ!? 大体、こ、こんなところでそんな恥ずかしい服に着替えられるわけがないだろうが」
「とりあえずコート脱いで、その上からでいいから着てみてくれ、はいはい、脱いで脱いで」
「ちょっ、人の話を聞けっ!! コートを脱がすなっ、やんっ!! ど、どこ触ってるんだっ、お、俺はメイド服なんて絶対に着ないぞ!!」
半ば強引に戦闘用コートをはぎ取られたクリスであったが、なんとかFの側から離脱。
ほっそりした体のラインが丸わかりの薄手のボディスーツ姿を両手で隠すようにして立ち、涙目になってFを睨みつける。
しばし、睨みあう両者。
だが、その拮抗は片方の思わぬ行動によってあっさりと崩される。
「頼む!! 頼む、クリス、この通りだ!!」
「って、えええええ、土下座ぁっ!?」
人通りの激しい駐車場のど真ん中、なんの迷いも躊躇いもなく素晴らしい勢いでその場に土下座を敢行する雷獣族の青年の姿に、流石のクリスもびっくり仰天。
「いや、待て、F。何もそこまでして謝らなくていいってば」
「違う、これは謝罪の土下座じゃない」
「はっ?」
「『メイド服を着てください、お願いしますクリス様』の土下座だぁあぁぁぁっ!!」
「あ、あほかあああああああっ!!」
恐ろしいまでの気迫と共に、とんでもないアホ発言を絶叫するFに、クリスのハリセンチョップ(ハリセンは連夜が横から差し出した)が炸裂する。
「いたたたたた、き、きさ~ん(あなた)、な、なんばすっとやぁっ(なんてことするんですか)!?」
「うっさいわっ!! ってか、そんなしょうもないことで、土下座してるんじゃないよ、馬鹿ですかおまえは」
「しょうもなくないっ!! な、なぁ、クリス。お願いだから。一回でいいから。ちょっと上から羽織ってみるだけでいいから。そのあと頭にカチューシャつけてくれるだけでいいから。メイド服の上に白いエプロンつけてくれるだけでいいから」
「そっか、それくらいなら、じゃあ。って、結局フル装備させようとしてるじゃねぇかっ!! いい加減に・・」
土下座したままクリスの小柄な体にしがみついてきたFは、そのままぐりぐりとメイド服を押し付けてくる。
そんなあまりにも強引な態度に流石のクリスも堪忍袋の緒が切れて、盛大に喚き散らそうとしたのであるが、ふと、自分の真下にあるFの目を見てしまう。
金色の美しい瞳。
そこには、何故か深い悲しみと苦悩の色が。
そのことをわかってしまったクリスは、喉まで出かかっていた怒りの言葉を飲み込むと、何かを諦めた深い溜息を吐きだしてがっくりと肩を落とす。
そして、絞り出すような低い低い声でポツリと呟くのだった。
「一回だけだぞ」
「え?」
「あと、試着しても一分間だけですぐに脱ぐからな」
「き、着てくれるのか!?」
クリスの言葉を耳にして、土下座の状態で呆けたような表情を浮かべながら頭をあげたF。
だが、すぐにその言葉の意味を理解し、みるみるその表情は満面の笑みへと変化する。
そんなFの姿を苦虫を噛み潰したような表情でしばし見つめていたクリスであったが、もう一度溜息を吐きだした後、ひったくるようにしてその手からメイド服を取りあげる。
「一族の仇である、あの『貴族』クラスのはぐれ『害獣』を探す旅で、おまえにはずいぶんと世話になった。その借り分を返済する意味で着てやるよ。だけどいいか、こんなアホなことするのはこれっきりだからな。って、泣くな、懐くな、しがみついてくるな!!」
「くぅ~りぃ~すぅ~、ありがとぉ~~」
「いいから、どけっ!! いつまでたっても着れないだろうが。もう着なくていいのか?」
「着てください。着てください。お願いだから着てください。よかったら一分間といわず、一生着ていただいても結構ですが」
「一分間で十分だっつ~の」
むしゃぶりついてくるFの体を、ていっと蹴っ飛ばして突き放したクリスは、しぶしぶといった表情でメイド服を着始める。
「完全に道化だよなぁ。俺、男なのにさぁ、なんでこんな服着ないといけないんだろ」
当たり前だが、女性用の服なんて着たことがないうえに、女性でも着用するのに苦労しそうなほど凝った作りになっているメイド服。
ぶつぶつと不平をもらし、悪戦苦闘しながらもメイド服を身につけていくクリス。
本心を言えば、今すぐこんな服破り捨ててしまいたい、『女』の格好なんて絶対したくないというのがクリスの本音である。
だがしかし。
だがしかしなのである。
それが、かけがえのない戦友の頼みとあってはそういうわけにもいかなかった。
今、目の前で子供のように目をキラキラさせてクリスの着替えを見つめているこのFは、クリスの一番最初にできた戦友なのである。
クリスは以前、仇討ちの旅に出ていたことがある。
仇の相手は、かつて、親兄弟を含めた一族全ての者を蹂躙し葬り去った憎んでも飽き足らぬ怨敵、『貴族』クラスのはぐれ『害獣』。
その仇に一族の全てを殺しつくされ、生まれ故郷も完膚なきまでに破壊しつくされた。
偶然か奇跡か、その凄まじい破壊の嵐をかいくぐり一人生き残ることに成功したクリスは、復讐を誓う。
自分を拾い育ててくれた狼型獣人族の夫婦の元で、戦いの牙を研ぎ続けたクリスは、十二のときに養父母の元を旅立ち復讐相手を探して広い世界へと飛び出した。
さまざまな場所で得られる『害獣』の情報を元に各地を転々とし、仇を求めて彷徨い旅を続けたクリスであったが、やがて、ある場所で三人の放浪の戦士達と出会う。
傭兵達の武器防具や、さまざまな道具を作るために必要となる素材を、依頼を受けて収集しに行く『素材狩り』を生業としているという彼ら。
三人ともクリスとほとんど変わらないような歳の、若い戦士ばかりであったが、三人ともに一人ひとりがベテランの傭兵に勝るとも劣らぬ腕の持ち主ばかり。
その三人の参謀格となっていたのが、クリスよりも三つ年上の戦士Fであった。
Fは、何故かクリスのことを非常に気に入り、仇討ちの話を聞くと、是非とも手伝うと言い出し、兄弟だという残りの二人と別れてわざわざ旅に同行を申し出てくれた。
一年。
ある事情があって別れるまでの一年、クリスはFと一緒に旅をした。
何度も死にそうになった厳しく辛い道中であったが、それでも助けあい励まし合い、二人で幾多の困難を乗り越えたFとの旅は楽しかった。
一年後、本当にやむを得ぬ事情により別れることになった二人であるが、決して喧嘩別れの別れではない。
その証拠に、それからさらに二年後、クリスが仇のはぐれ『害獣』を見つけ出したとき、Fはすぐに応援に駆けつけてくれたのである。
ともかくいろいろとFには借りがある。
女装をするのは心底恥ずかしいが、それでもFの気持ちを少しでも晴らすことができるなら、これくらいどうってことはないと思える。
まあ、それでも恥ずかしいことは、やっぱり恥ずかしいのであるが。
「どうだ、これで満足かF?」
四苦八苦しながらも、なんとかかんとかメイド服一式を全て身につけることができたクリス。
羞恥心で顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに白いエプロンを両手で握りしめてかわいらしくぷるぷる震えながら前を向いたクリス。
少しでも戦友が喜んで満足してくれているかなと、恐る恐る視線を向けた先で、クリスはありえないものをその眼にする。
「なんとか感想を言えよ・・って、えっ?」
恥ずかしげに身をよじりながら物凄くかわいらしく振り向いたクリス。
だがそこには、大きな血の海の中で倒れ伏す友人の姿が。
「Fが死にかかってるんですけどぉぉぉぉっ!?」
メイド服が汚れるのも気にすることなく慌てて倒れ伏すFに近寄ったクリスは、横向きに倒れてびくんびくんと痙攣し続けるその体を両手で抱き上げる。
「しっかりしろ、F? 俺が着替えている間にいったい何があったんだ!?」
「は、はぁはぁ、く、くりふたん、か、かわい、はぁはぁ、かわいすぎる、はぁはぁ、くりふたん、かわいいよぉ・・」
だくだくと盛大に滝のように鼻血を流し続けるF。
呼吸は荒く、体はびくんびくんと激しい痙攣をし続けて今にも死にそうな感じであるが、その眼は血走って爛爛と光り、口からは涎と意味不明の不気味な言葉が流れ続けている。
かなり大変な状況なのに、何故か幸せそうに見えてしまう。
「う、うわあああっ、F、しっかりしろぉっ!! って、なんでスカートの中に顔を突っ込もうとするんだ!?」
「はぁはぁ、くりふたんの、はぁはぁ、くりふたんの匂いが、くんかくんか」
「みゃあああああっ、バカバカバカッ、やめんかバカッ!!」
「痛いイタイッ!! 殴られたら死ぬ!!」
「あ、ごめん」
「でも、くりふたんのスカートの中で死ぬならそれもいいかも」
「いいわけあるかっ!! って、もう、誰か助けてぇぇっ!!」