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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
114/199

第十三話 『邂逅のとき』 その1

「私のことを裏切ったら絶対に殺すから」


 赤い隈取り模様が走る白い狐の顔。

 その顔の持ち主は狂気がはっきりと浮かび上がる金色の瞳で、目の前に立つ人間族の少年を凝視すると、耳まで裂けた大きな口をわざと見せ付けるようにして大きく開け閉めしながら言葉を紡ぎだす。


 それは呪の言葉。


 相手の心を縛り、魂を封じ、やがては命を奪い取るであろう恐怖の呪文。

 聞いた者全てを間違いなく恐怖と絶望で凍りつかせる強力無比な呪詛。


 しかし。


「あ、はい。わかりました」


 狐の耳に返ってきたのは、ごくあっさりした了承の返事。

 いつもと変わらぬ調子、いつもと変わらぬ声音、そして、いつもと変わらぬ温かい笑顔。

 狐の全身全霊を持って放たれた凄まじい怨念を、いとも容易く飲み込んだ少年は、狐にもう一度笑顔を向けて、すぐに背を向けた。

 自分の渾身の一撃を、少年に見事受け止められてしまった狐はしばし呆然としていたが、すぐに我に返り、少年の背後へと近付いていく。



 東の果てに眩しいばかりの太陽がすっかり昇り切り、蒼穹の空を照らし出す日曜の午前九時。

 二人が今いるのは城砦都市『嶺斬泊』最西部にある西側ゲートの巨大な外壁のすぐ側。

 連夜の親友ロムの窮地を救う為に連夜があちこちに声を掛けて集めた、頼りになる助っ人達を待っている真っ最中である。

 待ち合わせの時間は九時なので、もうそろそろ姿を現してもいい頃なのだが、未だにロムとその知り合いだというヘテ族の少女しか姿を現してはいない。


 ちなみにその二人であるが、ロムが連れてきたヘテ族の少女セラが突然気分が悪くなったとかで、少しばかり席をはずしている。

 多分、連夜と二人っきりにさせてくれるために、あのバグベア族の少年が気を使ってくれたのだろうと、玉藻は推測している。

 勿論、事実は全然違うわけだが。


 ともかく、まだ連夜の大事な『友達』という助っ人達が姿を現していないため、玉藻は未だ連夜と二人っきり。


 一応、昨日の夜から今日の朝ロムと合流するまでの時間も、二人は水入らずの時間を過ごしている。

 いつもなら深夜になる前に自分の家に帰る連夜であるが、昨日はロムの手助けの準備をするから家に帰らないと彼の家族に念話で連絡してくれたので、一緒にいることができたのだ。

 当然、そんな連夜の心遣いに感動した玉藻は燃えに燃えたわけで、結局二人が眠ったのは夜中の二時。

 普段午後十時までには就寝するという生活習慣である上に、玉藻の相手までしていた連夜にとってはかなり辛い状況であったはず。

 だがそれでも連夜はバッチリ朝の六時には起床して準備を済ませ、玉藻を起こしてロムと合流し、予定時間の十五分前には待ち合わせの場所に辿りついていたのである。

 

 流石と言えば流石。

 どれだけ疲れていても眠たくても、そんな素振りを毛ほども見せずに約束をきっちり守る恋人の姿を見て、あらためて惚れ直す玉藻。

 しかし、それと同時に自分以外の誰かのためにそこまで気を張る連夜の姿を見て、玉藻の心にドス黒い何かも湧き上がってきて、もやもやしてイライラしてうるうるして、なんだかわけもわからず冒頭のセリフを吐きだしてしまったというわけであった。


(もう連夜くんったら、全然オトメ心をわかってないっていうか。もうちょっと何かあるっていうか、いいようってものがあるんじゃないかっていうか、ほんとにわかってくれているのかどうかあやしいっていうか)


 あまりにも素っ気ない反応を返した最愛の恋人の姿を、イライラと睨みつけながら心の中で盛大に喚き散らす玉藻。

 そんな玉藻の心中を知ってか知らずか、連夜は玉藻から視線をあっさり外すと、何やら自分の作業に再び没頭し始める。

 大きなリュックを地面に下ろして、中に入っている荷物を全部外に出して広げた連夜は、それらを一つ一つ手に取って入念なチェックを進めていく。

 実に手際よく作業を進めてはいるものの、その姿は真剣そのもので、誰がどうみても邪魔していい雰囲気でないことだけはわかる。

 勿論、背後から少年に組み付いた大きな狐も、そのことを重々承知していたが、どうしても我慢できずに大きな口を少年のうなじにすりつけるのだった。

 

「ねぇねぇ、連夜くん」


「なんですか、玉藻さん」


「裏切ったら殺すわよ」


「ええ、わかりました」


「本当に殺すわよ」


「はい、胸に刻んでおきますね」


「絶対絶対殺してやるんだから!! ただの脅しだと思ったら大間違いなんだから!!」


「わかってます。本気なんですよね」


「うん、そう本気。あとね、浮気もダメなんだからね」


「ええ、わかりました」


「本当に浮気しちゃダメなんだからね」


「はい、胸に刻んでおきますね」


「絶対絶対浮気しちゃダメなんだからね!! あ~、もう連夜くんったら、私の話をちゃんと聞きなさいよぉっ!!」


「聞いてますってば、浮気なんかしないですって」


「本当に? ま、まあ、確かに連夜くんが自分から他の女に色目を使うような好色漢じゃないってことはわかってるわよ。でもでもでもね、あの変態馬鹿姉ミネルヴァみたいにいいよってくる奴もいるかもしれないし、中には力づくでどうこうってことも。こ、この前だって、ミネルヴァの馬鹿に押し倒されていたし。だ、ダメよ!! そういうのもダメなんだからね!! ちゃんと用心してそういうトラバサミみたいなメスとは付き合わないようにしないとダメなんだから!!」


 自分の想像がだんだん怖くなってきたのか、本気で涙目になってくる玉藻。

 そんな玉藻の様子に苦笑を返した連夜は、自分のことをそんな風に押し倒そうとする物好きが実姉以外にいるわけはないと思いつつも一応思い返してみる。

 

「あっはっは。玉藻さんったら。そんな物好きな女性がみ~ちゃん以外にいるわけが・・」




(れ、連夜が望むなら・・その、連夜は一番の親友だし、どうしてもっていうならその・・)


(し、宿難くんが我慢できないっていうなら・・あの、宿難くんには今まで散々お世話になってきているから、その、私は・・)




「・・」


「・・」


「・・」


「・・」


「・・い、いるわけないじゃないですか」


「何その間!? いま、ものすっごい間があったよね!? ありえないくらい間があったよね!? ってか、なんで眼をそらす!? ちょ、こっち見なさいよ連夜くん!! どういうことなの!?」


 頬に一筋冷や汗を垂らしながら、すす~~っと視線を外す連夜。

 そんな連夜の怪しい素振りを当然のように見過ごさなかった玉藻は、盛大に泣きわめきながら連夜の肩を掴んでゆっさゆっさと揺さぶり続ける。


「お、落ち着いてくださいよ、玉藻さん。僕を信じてくださいってば」


「信じてくださいっていっても、そんな怪しい態度取られたら誰だって疑うでしょうが!!」


「そ、それはそうかもしれませんが、その、でも、ぼ、僕は玉藻さん一筋ですし、なによりも」


「なによりも?」


 力一杯疑いの眼差しを向けてくる玉藻に、連夜はキリッと表情を引き締めてまっすぐに玉藻を見つめ返す。


「なによりも、僕にとって実姉も、元いじめっこも、モモンガも守備範囲外なんで、絶対に浮気はありえません。約束します!!」


 紡ぎだされたのは誠意と真実に満ちた言葉。

 これっぽっちもそこに嘘はないとわかる言葉。


 だがしかし。


「いや、あのね、連夜くん」


 その言葉を聞いて玉藻の中の【怒り】のパラメータはぐ~んと一気にダウンしたものの、かわりに【困惑】というパラメータがぐぐっと急速に上昇を開始。

 玉藻は心底困り果てたというか、理解できないというか、どうリアクションを取ればいいのかわからないというようなカオスな表情で連夜の小さな肩を再びがっしり掴むと、小首を傾げながら問いかける。


「【実姉】っていうのはミネルヴァのことだろうから、これについてはわかるわ。連夜くんにとってミネルヴァは愛すべき姉なんだものね」


「そうですそうです」


「【元いじめっこ】っていうのは、元いじめっこのことなんだよね? 多分その子から好意を向けられているんだろうけど、それに対しては恋愛感情を持つことはできないんだろうなぁっていうのもわかる、うん。いじめていた側にとっては大したことじゃなくても、いじめられていたほうにとっては拭い難い過去であることってよくあるものね。友達にはなれてもってやつよね」


「そうですそうです」


「でもね」


「でもね? はい、でもなんですか?」


「【モモンガ】ってなに?」


「え?」


 物凄い困惑顔を浮かべる玉藻に対し、連夜もまた物凄い困惑顔を返す。

 しばし流れる沈黙の時間。

 しかし、苛立った玉藻はその空気をすぐに打ちこわして更なる質問を投げかける。


「『えっ?』じゃなくて!!」


「は、はい」


「はいでもなくて、だ~か~ら~!! 【モモンガ】ってなによ?」


「いや、ほら、あれですよ、ムササビの小さい奴。皮膜をびろ~んと伸ばして木から木に滑空して移動したりするリスみたいな動物ですけど。ドキュメンタリー番組とかでみたことないですか?」


「いや、それくらい知ってるつ~の!! じゃなくて、なんでいきなり【モモンガ】が出てくるの? 【実姉】とか【元いじめっこ】とかは理解できるけど、なんで【モモンガ】? 【モモンガ】みたいな女の子ってこと? まさか【モモンガ】そのものに迫られているなんてことはないだろうし」


「・・」


「・・」


「・・」


「・・え、何この沈黙?」


 微妙な表情。

 あまりにも微妙な表情でしばらくの間、沈黙を続ける連夜。

 その連夜の態度をどう思ったのか、再び不信感と怒気を募らせていく玉藻。

 またもや流れる沈黙の時間。

 しかし、今度は連夜の手によってその空気は打ち壊される。

 苦笑寸前ながらも、かろうじていつもの笑顔の形になった表情を浮かべた連夜は、焦ったように玉藻のほうに視線を向け直して言葉を紡ぎ出す。


「と、ともかく!! 裏切っちゃだめだし、浮気してもダメってことですよね」


「そう、裏切っちゃだめだし、浮気してもダメなの」


「裏切りも浮気もいけませんよねぇ」


「うんうん、ダメなのよ。って、連夜くん、自分の命がかかっているんだから、もうちょっと真剣に考えて答えてよ!!」


「真剣に考えて答えてますよぉ~。僕だってできれば死にたくないですから」


 どれだけ脅しても全く調子が変わらず、穏やかなまま答え続ける連夜の姿に苛立ちを募らせる玉藻。

 あまりにも手応えがないことに、我慢できなくなった玉藻は、結構本気の殺意を膨らませて目の前の恋人にぶつけてみる。

 だが。

 それでも恋人は動揺する様子を見せない。

 相変わらず淡々とした調子で、地面に広げた荷物のチェックを続けている。

 玉藻が本気で発する闘気、あるいは殺意の波動は、そんじょそこらの戦士や傭兵には決して出せない強烈無比な代物。

 町のチンピラ程度ならその殺意にあてられただけで失禁して意識を失ってしまうし、腕に覚えのある戦士やベテランの傭兵でも震えを完全に止めることはできない。

 ところが連夜は震えていない。

 その手は勿論、その手にわずかの震えも見えない。

 確かに完全な本気で殺意の波動を放ったわけではなかった。

 だが、それでも武術の心得がない連夜に、抵抗できるような威力ではなかったはずなのである。

 にも関わらず恋人はひたすらに穏やかに作業を続けていく。

 どうにも納得できない。

 自分の恋人は実は自分以上の武術の達人なのだろうか?

 いや、それはない。

 いくら最近武術の修行をサボリ気味だったとしても、半同棲状態にあって相手の体の隅から隅までほぼ把握している相手のことを間違えたりするわけがない。

 目の前の恋人は間違いなく武術の達人ではない。

 精神的に実にタフな『人』ではあるが、肉体的にはそこら辺をぶらぶら歩いている一般人とたいして変わりはないのだ。

 だというのに、彼は玉藻の殺意の波動を全身で浴びていながら、動じてもいなければ怯えてもおらず、慌てもしなければ恐れもしていない。

 それどころか、彼の横顔を見てみると、うっすらと笑みすら浮かべて見せているではないか。


「何よニヤニヤしちゃって。さっきからなんなのよ。人が真剣に話しかけているっていうのにさ。全く馬鹿にしちゃってさ!!」


「ああ、いえ、すいません。そういうつもりじゃなかったんですが」

 

「じゃあ、どういうつもりなのよ!?」


 不貞腐れたような顔で詰め寄ってくる玉藻に、連夜はなんともいえない困ったような、それでいてどこか悲しそうな笑みを浮かべて見せる。


「いや、おかしくておかしくて」


「何がおかしいのよ!?」


「浮気はともかくとして、裏切られてばかりの僕が、まさか裏切られる心配を誰かにされるようになるなんて、思いもしなかったものですから」


 ポツリとこぼれ出た連夜の言葉。

 嫌味ではない。毒だって含まれてはいない。ましてや、玉藻を傷つけようなんてこれっぽっちも思っていない。

 だが、そのうっかり聞き逃しそうになるほど小さな言葉は、玉藻の心に深く深く突き刺さった。


「連夜くん、あの」


「絶対に玉藻さんを裏切ったりしませんよ。親しい人に裏切られることがどれだけ辛くて悲しいことか。ごくわずかでもその痛みを知っているならば、そんなことできるはずないんですから」


 いつもと変わらぬ穏やかな口調、穏やかな言葉。

 だが、その言葉の中にどれだけの想いが込められているのか、わからない玉藻ではない。

 だからこそ、連夜の言葉に対し咄嗟に返すことができなかった。

 何を言っても上っ面だけで、何の心意も伝えられそうになかったから。

 それに、何を言っていいかもわからなかったから。

 だから、玉藻は言葉で返すことを諦めた。

 言葉ではなく、態度で自分の気持ちを返すことにする。

 そう決意した玉藻は一瞬にして大『狐』の姿から『人』へと姿を変えると、白くたおやかな両手で連夜の顔を挟んで自分のほうへと向けさせる。

 そして、呆気に取られてきょとんとしている連夜の唇に自分のそれを重ねた。

 突然のことにびっくりして玉藻の目を見返してくる連夜。

 しかし、すぐに玉藻の目を見て何かを悟った連夜は、おずおずと玉藻の体に手を回す。

 玉藻は玉藻で、連夜に自分の気持ちが伝わったことを感じてますます唇を深く重ね、連夜の小さな体を引き寄せてぎゅっと抱きしめる。

 大勢の旅行者や、傭兵達が行き来しごった返している場所だけに、通りすがりの人々が、びっくりしたように突然始まったラブシーンを興味深そうに見つめながら通り過ぎていくが、玉藻はそんなことお構いなしに連夜にキスの雨を降らし続け、結局、十分近くも連夜を拘束し続けた。


「ごめんね、連夜くん。いつもいつも困らしちゃってごめんね」


「ううん、いいんですよ。それだけ玉藻さんが僕に気持を向けてくれているってことだから、嬉しいです」


「うん。いつだって私の気持ちは連夜くんに向いているよ。そして、私も連夜くんを絶対に裏切らないからね」


 真っ赤な顔で恥ずかしそうにしながらも、潤んだ瞳で見つめてくる連夜の姿が愛おしくてかわいくて仕方ない玉藻。

 その後も『人』の姿でキスの雨を降らし、『狐』の姿で連夜の顔を舐めまくる。

 連夜の抱える孤独と、傷ついた心を少しでも癒そうとするかのように、連夜の体をぎゅぎゅっと抱きしめて離さない。

 そんな感じで思う存分周囲に見せつけるように『らぶらぶオーラ』を発散しまくっていたわけだが。

 

「おいおい。みろよ、やけにきれ~な姉ちゃんがいると思って見に来てみればよう、なんて趣味の悪いペット連れているんだよ」


「なんだぁ? 『人間』族か? 珍しい生き物連れているなぁ、御嬢ちゃん」


 下卑た笑い声、心ない言葉、悪意に満ちたオーラ。

 これから『外区』に出撃する傭兵達だろうか。

 傷だらけのレザーアーマーや、ハーフプレートメイルで武装した傭兵と思われる男性の集団が、いつの間にか玉藻達のことを取り囲んでいた。

 種族はバラバラで、年齢も二十代前半から四十代前半とさまざま。

 しかし、玉藻のことをねめつけてくるように見つめるそのいやらしい視線は一様に同じ。

 何を思ってこちらに寄って来たのかは、問わずとも誰の目にも明らかであった。

 これから巻き起こるであろう厄介事に巻き込まれることを恐れたのか、先程まですぐ側を往来していた多くの一般人達の姿は一人として既にない。

 いまここにいるのは、玉藻達と、傭兵達だけだ。

 何が起こってもすぐには誰も助けに来ない。

 そのことを確信したのか、傭兵達は自らが発する汚らしい悪意の波動を更に強めて玉藻達へとぶつけようとする。


「ようよう、狐のねぇちゃん。そんな汚いペットどこかに捨ててきなよ」


「うんうん、人間族なんてろくなもんじゃねぇ。そんなやつよりさ、俺達と遊ぼうぜ」


「というかさ、俺達と一緒に来いよ。俺達これから『不死の森』に一週間出稼ぎなのよ。なのに女っ気全くないからさ」


「心配しなくても、ねえちゃんのことは俺達が守ってやるよ。その代わり、ねえちゃんは俺達の世話してくれりゃいいのさ。な?」


 くちぐちに勝手なことを言いながら徐々に包囲の輪を縮めていく男達。

 断られるなんて思っていないし、逃がすつもりもない。

 危険な『害獣』や『原生生物』と戦ってきた自分達に、ただの一般人が歯向かうはずもない。

 そう、思ってのことだった。


 だが、生憎そこにいたのはただの一般人ではなかった。


「なぁ、いい加減こっちを向けよ、ねぇちゃん。すかしているんじゃねぇぞ、コラッ!!」


 苛立った一人が玉藻の肩に手をかけようとした。

 そのとき。


『ボキッ』


 何かがへし折れる音が響いた。


「へ?」


 玉藻に手を伸ばそうとしていた男も当然その音を聞いていた。

 だが、すぐにその音源についてまでは理解することができなかったのだ。

 いったいどこで鳴った音だったのか?

 やけに近くで聞こえたなと小首を傾げようとした次の瞬間、男の右手に激痛が走る。

 あまりの痛さに声を出すことすらできなかった男。

 いったい何があったのかと自分の右手を見た男は、そこにありえないものをみつけて絶句する。


 右手が絶対に曲がらない方向へと折れ曲がっているのが見えた。


 人体の理屈からして曲がるはずのない方向へと奇妙な形に曲がり、肘からは白い何かが飛び出て赤い液体が吹き出している。


「ほ、ほれ、おれ、おほ、おれのみりて、み、みり、みぎてが、骨が、血が、ぎゃ、ぎゃああああああっ!!」


 無惨に壊れた血塗れの片手をしばし呆然と見つめていた男であったが、やがて痛みがはっきりしてくるに従いそれに耐え切れなくなったのか、がっくりとその場に蹲ってしまう。

 そして、無事な片手で壊れた片手を掴みながら獣の様な呻き声をあげて悶え続ける。


「こ、このアマァッ!?」


「なんてことしやがる!!」


 仲間の男の異常事態をようやく認識した男達。

 彼らはいまだ自分達に背を向けて立ったままの玉藻と連夜に汚らしい罵声を浴びせながら一斉に騒ぎだし、殺意に満ちた視線を二人へと向ける。

 急速に深い負の色がその場の空気を染め上げて、満たしていく。


「こんなことしてタダで帰れると思うなよ」


「そっちの人間はミンチだな」


「そっちのねぇちゃんには、俺達のモノを下からも上からも存分に咥えてもらおうか」


 周囲から巻き起こるいくつもの余裕に満ちた下卑た笑い声。

 圧倒的人数、圧倒的武力。

 自分達の優位を信じて疑いもしなかったからこそ出すことができた愚声。

 だが。

 空気の色を変えるほどの殺意は実は。

 

 彼らとは別の場所から発せられていたのだ。


「殺ス」


 地獄の底から聞こえてきた。

 誰かにそう言われれば、思わず無条件で信じてしまいそうになるほどドス黒い何かを含んだ声。

 その声を聞いた男達は、ぎょっとした表情となって固まると、声の発生源へと一斉に視線を向ける。

 だが、そこには。


「連夜くん、ちょっとだけ離れるね。裏切ってどこか行くわけじゃないからね? 私一人で逃げたりするんじゃないからね」


「わかってますよ。それよりもあまりやりすぎないでくださいね。あと、怪我とかしないようにしてくださいね。それにそれに」


「んもう。連夜くんはほんと心配性なんだから。大丈夫だから。すぐ終わるから。ねっ、ねっ」


 先程と変わらぬイチャイチャぶりを発揮し続けるバカップルの姿。

 特に狐型獣人族の美女の、平凡極まりない容姿の人間族の少年に対する愛情表現は見ているほうが思わず照れくさくなるほどあけすけなもので、周りを取り囲んでいる男達の気持ちを非常に微妙なものにさせるのに十分な威力を発揮していた。


 しかし。


 その微妙だったものは、すぐに激烈なものへと変化を遂げる。

 最愛の少年から身を離し、くるりと男達のほうへと向きなおった霊狐族の美女。

 一瞬前まで見ているだけで胸やけがしそうなほど極甘な雰囲気を醸し出していたそこは、一瞬にして別のオーラへと取って変わった。


「覚悟はできたか?」


 新雪のような真っ白な美貌の顔を、鮮血の色をした隈どりが浮かんで覆う。

 それとともに金色の瞳が燃えるような真紅の色へと変化し、取り囲む男達を射抜いて釘づけにする。


 圧倒的な威圧感。


 歴戦の傭兵、強者でもここまでのオーラを持つ者は数えるほどしかいない。

 そんな強大なオーラを、二十歳を越えているかどうかという歳若い女性が放っている。

 目の前で起こっていることだというのに、その事実が信じられず男達は眼を白黒させるばかりで、声もろくに出てこない。

 それどころか、得体の知れない何かが、ゆっくりと男達の体を侵し始め、体を動かすこともままならぬ状態になりつつあった。


 一応ファイティングポーズはとってはいるものの、出来そこないのゴーレムのようにぎこちない動きで震え続ける男達。

 そんな傭兵達を面白くもなさそうに見つめた玉藻であったが、やがて、ゆっくりと彼らに向かって歩き始めた。


「ほんのわずかの時間。本当にほんのわずかな時間だ」


「は? おまえ何言って?」


「『友達』というお邪魔虫がやってくるまでの、ほんのわずかな時間。二人だけになれる、二人っきりの大切な時間」


「だから何を言って? 誰か、こいつの言ってることわかる奴いる?」


「いや、わかんねぇ」


「なに、この女。イタイ系?」


 ぶつぶつと何かを玉藻は呟き続けているが、その内容が全く理解できない男達は互いの顔を見合わせ小首を傾げる。

 やがて男達の中の一人が、焦れたように自ら玉藻に近づいてその顔を覗き込んだ。 


「おい、ねぇちゃん。いい加減にしろや」


「今日この日、唯一取れる大事な二人の時間を。思い切り甘えて甘えて甘え倒そうと思っていたのに。これを逃すと来週まで我慢しなくちゃいけないのに。それなのに。それなのに」


「聞いているのか? おい、俺のはなしぶびゃっ!?」


 調子よく玉藻に恫喝を続けていた男の体が、突如真横に吹っ飛んだ。

 男達が呆然と見守る中、まるで、放たれた矢のような勢いでまっすぐ真横に飛んでいった男の体は、やがて途中にあった強化レンガでできたビルの壁に盛大に激突して停止する。


「あが、あががが」


 踏みつぶされた蛙のようになって、意味不明の呻き声をあげる男の姿。


 ありえない。

 男達の常識から言って絶対にありえない現象。

 そのことを目にしたことで、完全に空気の流れが変わった。


「う、うそだろ。あいつ、山巨人族だぜ?」


「俺達の中で一番でかいのに。三メトル近い身長なのに」


「あ、あのねぇちゃんがやったのか?」


 口から零れ出る驚愕と、そして・・


 恐怖に満ちた言葉。


 自分達が狩る側だと信じて疑わなかった男達は、ことここにきてようやく自分達の本当の立場を知る。


 自分達が狩られる側の存在であるということを。


「泣いて許してくれと叫んでももう遅い」


 物質化した金色の恐怖が男達にゆっくりと迫って行く。

 男達の本能はすぐに逃げろと盛大に警告を発し、そして、男達のわずかに残ったプライドはこんな小娘に舐められてたまるかとその場にとどまることを主張する。

 己の中で激突しあう二つの意志。

 そして、結局、誰一人、その決断を間に合わせることはできなかった。


「人の恋路を邪魔する奴は、(わたし)に蹴られて地獄に落ちろ!!」 1

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