第十二話 『友者達』 その9
『高香姫の榴蓮』
南方にある熱帯雨林が原産地である、果物の貴婦人とも、超姫とも言われる高級食材。
木は、高さが二十から三十メトル ほどになり、常緑樹でピラミッド状の樹冠を作る。枝は細かく、葉は互生する。葉の表面は緑暗色で光沢があり、長楕円形。
花は、黄白色で六つの花弁を持ち、果梗に数個から数十個ほど群生させる。
そして、果実は、大きさは平均二十から三十ゼンチメトルほどで、稀に五十ゼンチメトルにもなるものもある。重さはだいたい一から五ギロブラムほどになる。植樹後、五年程で収穫できるようになり、一本の木から一年で百から二百個が収穫される。
灰緑色をしており、外皮は革質で全体が硬い棘に覆われていて、いかにも食べられそうにない外観をしているが、中に入っている果肉は全くの別物。
その果肉は歯のない乳児でも噛み切れるほど柔らかく、果肉から零れ落ちる果汁はどこまでも優しく上品な甘さに満ちている。
食感や味ばかりではない。
果肉、果汁に含まれている栄養は非常に高い上に、胃に非常に優しい。
そんな果物であるから、東西南北の諸都市のいずれの食材品評会においても、三位以下の評価を受けたことはないというまさに果物の中の果物。
それが『高香姫の榴蓮』だ。
その『高香姫の榴蓮』ことで頭を悩ませている一人の少女の姿がここにある。
「あ~、もう、私ったら、なんでいつもこうなんだろう?」
悩ましげな溜息を吐きだしながら、力なくとぼとぼと歩みを進めて行くのは深紅の髪の一人の少女。
その歩みを進める行先は城砦都市『嶺斬泊』の西側外壁。
『外区』西側ゲート。
彼女の名は『漢 世良』
御稜高校二ーDのクラス委員長をつとめているヘテ族(麒麟種の派生種族の一つ)の少女。
ショートカットにした紅色の髪に、頭からは真っすぐに伸びた美しい一本角、きつい切れ長の瞳は黒に近い深い赤で、すっと通った鼻に小さな口、恐ろしく太い熱血眉毛、そして、全体的に小さい顔。
飛び出ているというほど大きくはないが、出ていることははっきりわかる胸。
アスリートのような固い感じではないが、ある程度小さく、しかし、女性らしさは感じさせる丸いお尻。
勿論お腹はしっかりひっこんでいて、実に健康的なスタイルの持ち主。
美少女とまではいかないが、それなりに整った容姿をしている。
熱血漢にして、世話好きな性格がクラスメイトの大きな支持へと繋がり、委員長へと抜擢された彼女。
その期待に応えて、彼女はこれまで実に優秀に委員長の仕事をこなしてきた。
だが。
「ほんっと、私って、騙されやすいお間抜けさんだよなぁ。なんでこうなんだろ? これだけ騙されてきているんだからちょっとは学習してもいいはずなのに」
自分のやってしまったことに苦悩するセラ。
両手で頭を抱え、しかめっつらで獣のようにうんうん唸りながらふらふらと歩いていく少女の姿に、道行く人たちは奇異の目を向ける。
しかし、本人はそれどころではないのだ。
事の発端は六日前の月曜日。
いつものように高校に登校し、いつも通りに午前、午後の授業をこなしながら、いつも通りにクラスの揉め事を処理したり、いつも通りに友達と仲良く遊んだり勉強したり。
ともかくいつもとほとんど変わらぬ一日を過ごしていたセラ。
だが、その日の放課後、いつも通りとはいかない出来事が起こった。
その日の放課後、セラは月一の生徒役員総会へと出席した。
『生徒役員総会』
その名が示すとおり、高校に在籍している生徒達の中で重要な役員となっている者達が集まり、いろいろな行事、あるいはそのときにもちあがっている看過できない問題などについて話し合う会合。
高校の生徒達の頂点に立つ生徒会長や、生徒会の重職達は当然のこと、各部活の主将、副主将、風紀委員長、そして、学年のクラス単位の委員長、副委員長達も勢ぞろいする。
そこで議題となる内容は様々。
体育大会、文化祭といった学校全体の行事に関わる事案の説明や、それについての意見交換。
クラス間同士、あるいは部活間同士で発生している揉め事の調停、あるいは処理。
保護者会、教諭達から生徒会、風紀委員会に寄せられている苦情、要望などの報告業務などなど。
実に多岐にわたる内容について話し合われる。
そのいずれの場合もが、重要な生徒達全員に関わるような議題であることが多いことから、総会に出席する義務のある役員達は病欠などやむを得ない場合を除いて欠席することが許されないし、参加者達は真剣に、そして積極的に会議に参加する。
勿論、セラも毎回真剣に、そして、積極的に参加している。
と、いうのもこの生徒役員総会におけるクラス委員長の役割がかなり重要だからだ。
普通、クラスの代表でしかない委員長、副委員長の会議での役回りといえば単なる聞き役が相場。
会議で生徒会や風紀委員長が説明した内容を、自分のクラスに持ち帰って報告するだけ。
名前だけのリーダー、クラスの雑用係、担任教師の使い走り。
一般的な高校では、大概そんな役回りだ。
だがしかし、この学校ではそうではない。
何度も言うが、委員長、副委員長の役割は重要なのである。
いや、委員長、副委員長ばかりではない、各部活の主将、副主将の役割もまた委員長、副委員長と同等に重要なのだ。
特に彼らの手腕が重要視されるのは、学校全体の行事に関わる場合。
勿論、クラスや部活での生徒達の不和を調停することや、保護者や教諭達から受けた指導鞭撻をちゃんと聞くということは確かに重要である。
それもまた真剣に話し合い解決しなくてはならない重要事項であることに間違いはない。
だが、それ以上の熱意と戦意をぶつけあって毎回白熱することになるのが全体行事が議題にあがったときである。
なぜ、それほどまでにこの学校に在籍している生徒達が、目の色を変えるのか?
それというのも、この学校。
全体に関わる行事のほとんどが、ただのオリエンテーションではないからである。
体育大会しかり、文化祭しかり、そして、中間、期末の試験しかり。
理由は至極簡単だ。
ほとんどの生徒達にとって無視できない、極上のエサがぶら下げられるからである。
各行事で優秀な成績を収めた生徒、あるいはクラス、部活には・・。
少なくない懸賞金が出るのである。
就職活動に有利な様々な資格が取れるのである。
そして、普通では手に入らない高額な賞品が貰えるのである。
なので、これらのエサをゲットする為に、委員長や副委員長、主将や副主将達は、並々ならぬ気合をもって会議にのぞむ。
そして、少しでも自分達のクラス、あるいは部活が有利になるような条件を勝ち取るべく、決死の覚悟で熱弁をふるうのだ。
そういうわけで、自分達のクラスのため、最終的には自分の利益のため、セラは今回も凄まじい気合を入れて会議場に乗り込んだ。
今回の生徒総会の議題は期末テスト。
その期末テストの実技部門の内容を決定する大事な会議なのだ。
中間、期末どちらのテストの場合も、テスト方式は三つ存在する。
一つ目は教師があらかじめ用意した問題の書かれたテスト用紙に、生徒それぞれが解答を書くという従来の筆記部門。
勿論、これは個人試験。
優秀な成績を収めて恩恵を受けられるのは生徒各個人であるため、今回の会議には関係ない。
二つ目は『戦闘』『術式』『工作』の各部門で名を轟かすエキスパートを学校に招待し、その試験官の手で特別に組まれたテストを各部活所属者達に挑戦してもらう特務部門。
いうまでもなく部活に所属する者達に関わるテストで、各部活の主将、副主将達にとっては重要な問題であるが、セラ自身にはあまり関係ない。
そして、三つ目。
これがクラス委員長であるセラにとって重要なテストである。
あるテーマに沿っていくつかの問題が出題される。
そのテーマは毎回完全なランダムで、あるときは『戦闘』に関わる問題であったり、またあるときは『術式』に関わる問題であったり、またまたあるときは筆記部門で出題される問題と大差ない一般常識の問題であったりと様々。
その中から一つを委員長、あるいは副委員長が会議で選択し、クラスメイトと協力してこれをクリアするというのが実技部門のテストである。
ここで試されるのはクラスメイト同士のチームワーク。
クラスの仲間達が互いに協力し、もてる技術や知識をうまく結集しなければ出題された問題をクリアすることはできない。
そして、なによりも大事なことは、そのクラスメイト達の指揮官である委員長が、彼らの能力を存分に活かすことができる問題を選択して持ち帰らなくてはいけないということ。
どれだけチームワークのいいクラスであったとしても、肝心の問題内容が彼らの技術、知識にないものであったのならクリアするのはかなり難しくなるからだ。
出題されるリストに書かれた問題は一つとして同じ内容のものはなく、二つ以上のクラスが同じ問題を選択することはできない。
どれだけ有利な内容の問題を見つけたとしても、選択できるクラスはたった一つだけ。
もしも、二つ以上のクラスが一つの問題に対して解答権を主張した場合、なんらかの方法で勝負がなされ勝者となった委員長のクラスのみがその問題を解答する権利を得ることができるのだ。
もちろん、一つのクラスの委員長しか権利を主張しなかった場合は、なんの問題もなくその問題の解答権はそのクラスのものになるのであるが。
セラの経験上、すんなり決まったケースは非常に少ない。
毎回荒れる。
景品がグレードアップする三学期の期末テストほど大荒れになることはないが、それでも毎回多かれ少なかれ荒れることがほとんどだ。
(でもだからって引く気はさらさらないんだけどね)
太い眉毛をひくひくと動かしながら、セラは大きな黒板に張り出された出題リストをギラギラ光る肉食獣の鋭い目で凝視する。
(さて、ちょっとでも私らのクラスに有利な問題を探し出さないとね。うちのクラスメイト達の得意な能力の傾向といえば)
セラのクラス『二-D』のクラスには職人系の種族の者が多く、逆に術式を得意としている種族の者は少ない。
戦闘関係が得意なものは多くもなく少なくもなくといったところか。
幸い、今回の出題テーマは『薬品』の作成。
職人系の多い彼女のクラスにはかなり有利な内容。
セラは内心ガッツポーズ
(よっしゃあ、今回も商品ゲットだぜぇっ!!)
こみ上げてくる笑みを隠すのに苦労しながら肝心の詳しい問題内容を確認するセラ。
それを見たセラは、とうとうニヤニヤ笑いを抑えられなくなった。
(うっはぁ。今回、完全にボーナス問題じゃね? どれ選んでも絶対クリア確実だよね、これ)
選択できる出題問題のどれを見ても、十分自分のクラスメイト達の力で突破できる内容のものばかり。
すでにこの時点で間違いなくクリアすることは確定。
あとは、どこまで高得点を狙えるかということが問題となってくるが。
(合格するだけなら無理をする必要はないよね。一番、固いのは『回復薬』系の出題を選ぶことだけど)
黒板に張り出されている出題リストの中で『回復薬』系の薬品は全部で五つ。
どれもスーパーや薬局などで販売されている素材で作成できるものばかり。
技術的にもそれほど高くないので、職人系の多いセラのクラスメイト達なら、目をつぶっていてもできるような内容だ。
これなら、楽勝でクリアできる。
が、しかし。
セラはちらりと自分の横に立つ男子生徒に視線を向ける。
そこに立つのは一人の大柄な少年の姿。
横にも縦にも大きな全身毛むくじゃらの開明獣族。
セラのクラスの副委員長にして、彼女の頼れる相棒。
『許 大牙』
セラに意味ありげな視線を向けられたダーヤーは、ゆっくりと首を横に振ってみせる。
「『回復薬』系は確かに安全パイだべ。けんど高い評価を得るのは難しいべよ。なんせ、素人でも無理すればなんとか作れるような内容だべな」
「だよね。あれはうちらのクラスみたいに職人系の人材が充実していないクラス用の救済問題だもんね」
セラとは幼稚園の時代から付き合いのある幼馴染のダーヤー。
セラの無言の問い掛けを敏感に察して答えを返し、セラはその答えに得たりとばかりに頷きを返す。
「と、なると残るは『強化薬』系、『弱体薬』系、『治療薬』系のいずれかなんだけど」
「『強化薬』系と『弱体薬』系はやめておいたほうがいいべ。あれは『回復薬』系と同様に市販の素材でなんとかなるけんど、『術式』が得意なものがいないと作成するのが難しくなるし」
「作れないことはないんだけどねぇ、リスクはできるだけ小さいほうがいいよね。ってことはあとは『治療薬』か」
「んだ。その中でも技術的にそこそこ難易度が高くて高得点を狙えそうなもので」
「尚且つ、素材の入手がそれほど難しくないものはただ一つ」
二人は不敵な笑みを浮かべて頷きあい、自分達の作戦が決まったことを確認しあう。
そして、いざ二人は戦場へ。
並み居る同学年のライバル委員長、副委員長を相手取り、激しい舌戦を繰り広げる二人。
自分達が好条件を選び取ることに必死であるのと同様に、ライバル達もまた、己のクラスに有利な条件を勝ち取ろうと死に物狂い。
それもそのはず。
今回、この期末テストの優秀賞は大部分の生徒達にとって絶対無視することのできない商品なのだ。
その商品の名は。
『都市内公共交通機関全線無料パス券』である。
「念車もバスも地下鉄もどこまで行っても乗り放題」
「それだけじゃないわ。中央庁が運営している遊園地の乗り物だって全部タダになるんだって!!」
『絶対ほっすいいいいいいい!!』
勿論、このパスは最優秀賞を獲得したクラスの生徒全員に授与されるもの。
それだけにクラスの代表者だけではなく、各部活の代表者達も完全に目の色を変えているのだ。
とはいえ。
セラとダーヤーが狙いを定めた問題を指定したクラスは、彼女達の予想をはるかに下回って少なかった。
少なかったどころか。
結局、たった一クラスしか競合しなかったのである。
まあ、ある程度予想はしていた。
なんせ、セラのクラスくらい『職工』系志望者が多いクラスはないからだ。
ほとんどのクラスの構成内容は、『戦闘』系か『術式』系を志望している生徒ばかり。
恐らく今回の教師陣の目論見としては、生徒達の大部分が苦手としている『職工』系の問題を出題することによって、嫌でもクラス内で協力しなくてはいけないという状況にもっていきたかったのであろう。
二年生になり新しいクラスになってまだ二ヶ月ほど。
クラスになじめないでいる生徒達もたくさんいるであろうから、それを見越してのこととセラは推察する。
まあ先生達の思惑はともかくとして、ほとんどのクラスは安全パイである『回復薬』系の問題を選択。
とりあえず、今回は合格を優先し確実な状態にしておいて、あわよくば優秀賞を狙うといったところだろうか。
どちらにせよ、それはセラにとって願ったりかなったり。
(そんな消極的な作戦で私達に敵うと思ったら大間違いよ!!)
次々と比較的安全な問題を選択して退出していく他クラスの委員長達を尻目に見ながら、セラは不敵な笑みを浮かべてみせる。
そして、最終的に残った問題は二つ。
残ったクラスも二つ。
もうセラ達が狙う問題はゲットしたも同然の状態。
・・のはずだったのだが
残ったクラスの代表を見て、セラは苦虫を噛み潰したような表情となる。
セラの横に立つ残ったたった一人の代表を、セラは敵愾心むき出しで睨みつける。
そこには美少女と見まがうばかりに整った顔立ちの、一人の上級聖魔族の少年の姿が。
ニーA副委員長ヘイゼル・カミオ。
セラにとっては一年生の頃から続く因縁の宿敵である。
優しげな表情、柔らかな物腰とは裏腹に、めちゃくちゃ腹黒く差別意識の強い最悪な性格の持ち主であるカミオ。
いかにも親切から言っているような口ぶりで、下級種族の生徒達を平然と傷つける言葉を吐き出すこの人物が、セラは心の底から大嫌いであった。
なんでこんな奴が毎回委員長や副委員長に抜擢されてしまうのか、心の底から不思議で仕方ないセラであったが、どんな汚い手を使っているにしろ、毎回彼はセラの前に姿を現すのである。
(ほんと、嫌な奴なんだよなあ、こいつ。よりによって残ったのがこいつだなんて。いつもなら委員長の龍乃宮さんがいてくれるからもうちょっとやりやすいんだけど、今日に限って休みなんだもんなぁ。龍乃宮さん、なんかここ一ヶ月ばかりずっと休んでいるって聞いたけど。早くもどってきてほしいものだわ。こいつほんと最悪だし)
心の中で盛大に毒を吐き散らすセラ。
決して口には出さないでいたが、その思いは表情に出ていたらしく、それを見たカミオが嫌味なくらい爽やかな笑顔をセラへと向ける。
「いつも険しい表情をしていらっしゃいますね、漢委員長。せっかくの美貌が台無しですよ」
「大きなお世話よ。放って置いてくれない? それよりも出題問題さっさと選びなさいよ」
吐き捨てるように呟いて、出題リストが張り出された黒板を指差したセラ。
ほとんどの問題が既に選択されていることを示すバツ印が書かれている中、二つだけそうでないものが存在していた。
達筆な東方文字で、『抗病薬』と『吭病薬』と書かれている。
そのリストをしばし黙って見詰め続けるカミオ。
ライバルがどちらを選ぶか、その選択によってはすぐに自分もそうであると立候補しないといけない。
セラはカミオの一挙手一投足をじっと観察し続ける。
ほんのわずかの動作も見逃さない。
そんな風にライバルを監視し続けたセラ。
だが。
セラは肝心な一瞬を見逃してしまったのだ。
カミオが一瞬、ほんの一瞬だけセラのほうを邪悪な瞳で見詰めていたことを。
カミオは、すぐに瞳に現れていた邪心を見事に消し去ると、人畜無害な風を装ってセラに声をかける。
「レディファーストといいたいところですが、折角の漢委員長のお勧めでもありますし、先に選択させていただきますね」
「早くしなさいよ」
「ふむ、じゃあ、僕は病気全体を防止する『吭病薬』を選択させていただきますね」
そうセラにだけ聞こえるような小声で囁いたカミオはリストの『吭病薬』の欄にニーAとボールペンで書き記す。
その様子をじっと見ていたセラは、思わず快哉を叫びそうになったが、なんとかそれを自制して無表情を装う。
「よろしいですか? 漢委員長」
「ええ、いいわよ。じゃあ、私は残った『抗病薬』を選択するわね」
「えっ!?」
非常ににこやかな表情で念を押してくるカミオに対し、負けないくらいの余裕の表情で残った『抗病薬』の欄に二ーDと書き記したセラ。
あまりの嬉しさに我が事成れりと心の中で絶叫し、見えないところで小さくガッツポーズまでしてしまう。
だがしかし、それはあまりにも大きな間違いであった。
もうちょっとカミオのことを注意して見ていれば、彼がにやりと口を歪めている事に気がついたはずなのに。
あるいは、喜び浮かれるセラの背後で、側近のダーヤーが驚愕の声を発していることに気がついたはずなのに。
恐ろしい事実にセラが気がついたのは、総会の後、クラスにもどってからだった。
黒板に張り出された出題リストの中から自分達が選択する問題を書き記したあと、大喜びでまっしぐらに教室へと戻ってきたセラ。
後ろから何度も何度もダーヤーがセラを呼び止めるべく、大声を張り上げていたのだったが、それにも全く気がつかないほどの有頂天ぶり。
教室にたどり着いたところで、セラは、ダーヤーの声に気がついた。
「ちょ、ちょっと待てというだよ、セラ!?」
大喜びでクラスメイト達に自分達の戦果を報告しようとしていたのに、待ったをかけられてセラは少なからず気分を害した表情で振り返る。
すると、そこには真っ青になった幼馴染の表情。
「どうしたのダーヤー。そんなに血相変えて? っていうか、すんごく顔色悪いけど、体調悪いの?」
心底不可解だといわんばかりに怪訝な表情で問い掛けるセラに、ダーヤーは怒りとも困惑ともつかない表情で詰め寄っていく。
「どうしたのじゃないだよ、セラ。これはいったいどういうことだで?」
「どういうことって、何が?」
「なんで、よりによって『抗病薬』なんて選択しただよ!?」
「なんで? 予定通りでしょ? 材料的には『エリザベス女王の水飴』がちょっと高価だけど、実家が西方菓子の老舗のロジャーくんに頼めばなんとかなるし、作成するための技術もうちのクラスメイト達なら問題ない。のどを治療する高級薬品『サザンスカイ・キャンディ』。そのつもりだったでしょ?」
事前に打ち合わせしたにも関わらず、今になって血相を変えて抗議してくる幼馴染に、セラは口を尖らせながら問い返す。
勝利の喜びで絶頂にあるというのに、何を水を差すようなことをいうのか。
そうありありと表情に出しながら不満一杯の様子で言葉を紡ぐ。
しかし。
それに対する幼馴染の返答により、彼女は一気に奈落の底に突き落とされるのだった
「そうだよ、だからそうしようと決めただよ。なのに、なんで難しい『抗病薬』をわざわざ選ぶの!?」
「へ?」
「だ~か~ら~。『吭』の治療専門の『吭病薬』を何故選ばずに、なんで、わざわざ病気全体に効果がある、病気に『抗』う力を高める『抗病薬』にしたの? ねぇなんでだ!?」
セラの顔から血の気が音を立てて引いていく。
ここに至ってようやくセラは自分の失敗を悟ったのだ。
そして同時に、自分がまんまと嵌められたことも。
あのときライバルの副委員長は自分にこう囁いた。
『じゃあ、僕は病気全体を防止する『吭病薬』を選択させていただきますね』
その直前までセラは間違いなく『吭病薬』を選択しようとしていたのだ。
だが、それがこの一言で大きく狂った。
実は、セラ、東方文字の読解が大の苦手なのである。
一応、自分が選択するつもりだった『吭病薬という文字はおぼろげながら覚えていたつもりだったのだが、カミオがわざわざ『病気全体を防止する』と呟きながら選択したものだから、自分が覚えていたほうが間違っていたのかと思いこんでしまった。
そして、ライバルが自分の思っているものを選択しなかったと思い込んだゆえに、心変わりをされる前にと焦ってもう一つの問題を選択。
痛恨のミス。
冷静に側近のダーヤーに確認しておけば、こんなことにはならなかったはずなのに。
勝利の絶頂から一転、奈落のどん底に突き落とされたセラは、がっくりと膝をついてしばらくの間立ち直ることができなかった。
それでも委員長としての最低限の務めは果たさなくてはと、青ざめた顔のまま立ち上がったセラは、側近のダーヤーやクラスメイト達に事情を説明。
勿論、自分のミスであることも包み隠さずに報告。
そして、その結果、待っていたのはクラスメイト達の非難の嵐。
問題の選択さえミスらなければ、余裕で優秀賞をゲットできるはずだったのに、それが一転非常に難しいことになったのだ。
彼女が選んできた『抗病薬』は、優秀賞さえ狙わなければ、余裕で合格点はもらえる問題である。
だが、優秀賞を狙うとなると途端にそれが難しくなる。
『抗病薬』という薬は、基本的にどんな病気に対しても効き目を発揮する万能薬の一種。
その効き目は、作成する際に使用する素材によって様々であるが、効き目が高いものほど当然その材料の価値や稀少性は一気に跳ね上がり、作成するのに必要な技術もとんでもなく高いものとなる。
それも他の薬品とは比べ物にならないくらいの跳ね上がり方なのだ。
優秀賞を狙うとなるとそれなりのものを作らないといけないが、学生レベルで作れるものとなると非常に数が限られてくる。
そして、手に入る材料のことも考えると、もう候補はたった一つしかない。
『小公子』
これなら技術的には問題ない。
技術的には高いことは高いのだが、いまこのクラスに在籍しているメンバーでどうにかなるレベルである。
問題は材料だ。
どれもこれも高校生が手に入れるには高価であったり、希少価値が高くて手に入れるのは困難だったりするが、それでもほとんどはなんとかなりそうだった。
ある材料はみんなの小遣いを集めることでどうにかできそうだったし、またある材料は親のコネでなんとかできたり、さらにまたある材料は農家の知り合いにわけてもらえたり。
ともかくある一つを除いてなんとかなった。
これでなんとかできそうと思えたのであるが。
最後の一つだけがどうにもできなかったのだ。
最後の一つ、それこそが『高香姫の榴蓮』であった。
普通なら大手百貨店やスーパーなどで売られている果物。
高価ではあるが、それほど珍しいというほどのものではない。
だが、この『嶺斬泊』においてはそうではなかった。
いや、『嶺斬泊』だけではない。
いまや『高香姫の榴蓮』は北方の諸都市全てで手に入らない幻の果物になってしまっている。
原産地である南方との交易が、完全にストップしてしまっているからだ。
それもいつ再開するかわからない状態で。
それ故にまたもやセラはクラスメイト達から責められる事になった。
どうしてくれるだの、委員長のせいだの、それでもクラスの代表者かだのさんざんである。
あまりにもあんまりな言いようであったが、自分のミスでこうなってしまっていることを誰よりも理解し、責任を感じていたセラは一言も言い返すことができなかった。
誰も彼女を弁護するものはいない
責めるものは大勢いても彼女を庇うものは一人としていなかった。
ほとんどの者が彼女のつるし上げに参加し、参加していないものは自分が巻き込まれてはたまらないと遠くから見守るばかり。
幼馴染のダーヤーは折り悪く職員室に呼ばれている。
暴力こそ振るわれていないが、間違いなくこれはリンチであった。
これまでクラスの為にいろいろと尽くしてきた彼女の功績は完全に棚上げされ、たった一つのミスをよってたかって責め立てる。
あまりにもあんまりな光景。
リンチに参加していない者達や、クラスの様子を廊下から見ている他のクラスの者達が、痛ましそうな視線をセラのほうに向けるが。
結局それだけ。
後難を恐れて誰も助けようとはしない。
このままではいずれ手を出すものも出てくるやもしれないほど、教室の空気は険悪なものに変わっていく。
本当の意味で袋叩きにされ、公開リンチされてしまうのか。
誰もがそう思った。
だが。
そのとき一人の少年がセラとクラスメイト達の間に割ってはいる。
『材料については俺がなんとかするからこれ以上委員長を責めるのはやめろ』