表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
109/199

第十二話 『友者達』 その8

 とりあえず一人分ミルクが出来たので、Jはシェリルからチャーミンを受け取りミルクを口にふくませる。すると、チャーミンは相当お腹が空いていたのか物凄い勢いでミルクを飲み始めるのだった。


「ごめんな、チャーミン。遅くなっちゃってさ。チャッピーはもう少し待ってくれよな。あのバカが戻ってきたら大急ぎで作らせるから・・」


「もどってきたぞ。すぐ作るからな」


 弟妹達にJが話しかけていると、洗面所のほうから大急ぎで戻ってきたFが早速ミルクを作ろうとする。

 Jのさっきの言葉をちゃんと覚えていて消毒液から引き揚げるためのペンチを使って哺乳瓶を取り出すF。

 やれやれ、なんとかまともにできそうだなと気を抜きかけたJだったが、すぐにそれは間違いであることを思い知らされることになる。


「待て待て待て、F!!」


「え、なんだ? J?」

 

 慌てふためいて止めにかかるJの声に、きょとんとした顔で見返してくるF。


「お、おまえ、今、哺乳瓶にいったい何杯粉を入れた? ってか、当たり前だけどちゃんと測って入れてるよな?」


「え? 適当じゃ駄目なのか?」


「てっ、適当だとおっ!? 馬鹿たれっ、いいわけあるか!! それにおまえ今、明らかに山盛りで七杯以上入れていただろ、チャッピーを糖尿病にする気か!?」


「え~、だって、こんなのどうやって測ればいいんだ?」


「粉ミルクの缶の側面にちゃんと書いてある!! 生後何か月は大匙で何杯ですって、哺乳瓶に入れるときはこうしてくださいって懇切丁寧に説明してくれているだろうが、なんで読まないんだ、おまえは!?」


「全然気がつかなかった」


「いや、気がつかなかったとかいう以前にだな、おまえ、実は一回もミルク作ったことないだろ? さては、おまえ(のぞみ)達赤ん坊組の世話を今まで全部リリー姉さんに押し付けてきたんだろ、そうだろ?」


「え、いや、その、え~~っと」


 鋭いJのツッコミに思わず目を泳がせるF。

 

(こいつも部活に逃げた連中達と同類なのかぁ!?)

 

 あまりにも役立たずな乳兄弟の醜態ぶりにがっくりと肩を落とすJ。


 現在この家の守備隊隊長であり、子供達の世話係筆頭である彼らの三つ年上の姉、リリー・S・マルセイユは、本当によくできた女性である。

 基本的にどの兄弟姉妹に対しも優しく世話をなにくれとなくやいてくれる彼女なのであるが、Fに対しては特にそれが激しかったりする。恐らく弟妹達の面倒を見るのが苦手なFの様子を見かねて、ついつい代わってやったりしているに違いない。  


(そりゃさ、幼い弟妹達の面倒みるのは大変なことだよ。自分は素材狩り旅団で副団長なんて重職について、本当に大変な状況で働いていて疲れているのはわかるよ。わかるけれどだな、だからって全部が全部弟妹達の世話を姉さんに押し付けちゃいかんだろ。休みのときくらい、少しくらいその手伝いしたって罰は当たらないと思うんだけどなぁ)


 口からだけではなく、心の中でも盛大に溜息を吐きだすJ。

 しばしの間、疲れたように虚空をみつめていたが、何とも言えない表情で心の中に浮かんだいろいろなことを諦めてもう一度ため息を吐きだしてがっくりと肩を落とす。

 そんな兄の姿を小さな弟妹達が心配そうに覗き込んでくる。


「エテ吉にいちゃん大丈夫?」


「大丈夫だ。それよりもシェリル。チャーミンにミルクやってほしいんだけど、頼めるかな?」


「え? う、うん、大丈夫だお!! あたしやってみるお!!」


 満面の笑みを浮かべて力強く頷くシェリルの姿を、優しい笑顔で見つめたJは、その腕の中に小さな赤ん坊をそっと置いて抱かせてやる。

 少々あぶなかっしい手つきながらもなんとかしっかり抱きとめたシェリル。

 その後ゆっくりと落ち着いて縁側に座りミルクを飲ませる態勢を整えることに成功した妹のその小さな手に、Jはそっと哺乳瓶を持たせる。


「シェリル、チャーミンをちょっと斜めにして抱いてやってくれ、そして、哺乳瓶をそのままにして、そうそう、上手い上手い。お兄ちゃん、チャッピーのミルクを作ってやるから、そのままミルクをやっててくれるかな?」


「うん、わかった~。ちゃーちゃんにミルクあげるね~」


「えらいなあ、シェリルは」


「だって、わたし、お姉ちゃんだし」


「もうなんてよい子なんだろう、うちの年少組はみんな本当に素直でいい子ばっかりだ。お兄ちゃん、感動で泣いちゃうよ、ほんとに。それに比べて・・」


「え、な、何さ?」


 Jの冷たい視線を浴びて後ずさるFから哺乳瓶を無言で奪い取ったJは、一度中の粉ミルクを外に全部排出してから、もう一度ミルクを作り直す。

 そして、その後ちゃんとした手順でミルクを作り直し、ミルクを求めて泣いているチャッピーにふくませるのだった。


「やれやれ、やっと落ち着いたかな」


 彼は居間の真ん中にどっかりと座りこみ、妹のシェリル、弟のロックと一緒に二人の赤ん坊達にミルクを飲ませてやる。

 ぼんやりと待つこと十五分くらい、哺乳瓶の中のミルクを全て飲み終わったことを確認した後、二人を肩に乗せるようにして抱きあげ、背中を軽く叩いてげっぷを出させる。そして、チャーミンを右手に、チャッピーを左手に抱えるようにして抱いてゆっくりと揺らし続ける。

 すると、ほどなくして二人の赤ん坊は夢の世界へと旅立っていった。


「ちゃ~ちゃんとちゃ~ぽん、寝ちゃったね」


「寝顔がかわいいね。ほんとかわいいね」


「うんうん、そうだな。って、おいおい、おまえら乗っかってくるなって」


 二人の赤ん坊の寝顔を見ていたJの背中に、二人の弟妹達が乗っかって来て背中越しに赤ん坊達を見つめる。


(まあ、いいか。年上の者達が、年下の者達を気にかけ大切に想う。なによりも大事なことだ。うちのちびどもはそこのところをちゃんとわかってくれているようで、なによりなにより。って、なんだ? なんか背中が、うおっ、妙に重いような・・って、ようなじゃなくて間違いなく重いぞ!?)


「シェリルとロックばっかりずる~い!!」


「あちしらもえてきち(にぃ)におんぶしてもら~う」


「僕も~!!」


「おいらも~!!」


「あ、あたしも~!!」


「コラコラコラッ、おまえらちょっと待て、うおおっ!!」


 いつの間にやってきたのか、家に残っていたらしい年少組の弟妹達が一斉に巨漢の兄の背中に群がりのしかかってくる。一人一人は実に軽いもんだが、流石にこれだけまとまってのしかかられるといくら幼き頃から鍛え上げてきた肉体であろうともきついものがある。

 しかし、ここで潰れるわけにはいかない。今、彼が潰れたら腕の中の大事な妹達がただでは済まない。

 そう思って必死に耐え続けるJ。

 だが、意外なところから救いの主が現れる。

 彼の目の前に二つの影が現れて、今にも潰れそうなJの腕の中からチャーミンとチャッピーを素早く抜き取った。


「はいはい、チャーミンとチャッピーは私らが引き受けるね」


「その代り、あとのことはよろしくね、J(にぃ)


 二人の赤ん坊を引き取ってくれた『人』影達がにっこりと笑いかけてくる。 

 年少組のリーダー格である今年小学六年生になる二人の妹達。豹型獣人(グインヘッダー)族のヴァリスと、月光森妖精(ムーンエルフ)族のマリス。

 二人が危なげなく赤ん坊達を抱いてくれているのを確認したJは、二人にニヤリと笑みを返す。

 そして。


「おう、ありがとよ、ヴァリス、マリス。さてと、おまえらそんなに兄ちゃんと遊んでほしいなら、力いっぱい遊んでやる。覚悟しろよ!!」


『きゃあああああっ』


 自由になった両腕を背中に廻したJは、背中に乗っている弟妹たちをそのまま持ち上げるとぐるぐると何度か回して叩きつけない程度に畳の上に放り投げる。

 何も知らない人がこの光景をみたならば、強盗が幼児たちを襲っていると勘違いしたかもしれない。

 だが、決してそうではない。

 このうちに引き取られてきた子供達は一人の例外もなく武術を教えられる。勿論、無理矢理というわけではない。ちゃんと適性を見て、その子にあった鍛え方をするのだ。JやFのように身体の丈夫な者はそれなりに厳しい修行。身体の弱い奴は少しでも丈夫になるように、そして、少しでも自分の身を守れるようにゆるめの内容で。

 みな、それぞれ修行内容は違うが、そうして日々鍛えているものだから同年代の子供達に比べれば間違いなく元気で丈夫である。

 その証拠に、今投げられた彼の弟妹達はみんな一人の例外もなくちゃんと受け身を取って着地してる。それどころか、すぐに立ち上がって嬌声をあげながら巨漢の兄に向かって突進してくるのだった。


「きゃははは、兄ちゃんもっとやって~~!!」


「兄ちゃんに飛びつけ~~!!」


「負けるもんか~~!!」


「あ、あたしも~~」


「僕も~~」


「おいらも~~」


「よっしゃああ、まとめてかかってこいやあああ!!」


 みんな元気一杯であった。

 Jはいつものように小さなモンスター達を相手に大立ち回りを開始する。彼が心の底から愛している小さなモンスター達。彼と同じようになんらかの事情で親から捨てられ、あるいは親を失くし、この家に引き取られてきた子供達。そして、彼の大事な家族となった小さな弟妹達。


(やっぱ、大事なんだよなあ。オレにはこいつら一人一人が大事で大切なんだよなあ。こいつらの相手をしていると、本当にそう思う。この小さな弟達、妹達が笑っている姿を見ていると本当に心が安らぐんだ。でもなあ、今度の仕事を引き受けた以上、こいつらと離れなきゃいけなくなっちゃうんだよなぁ)


 そんなことを考えながら、子供達の相手をしていたJであったが、気がつくといつの間にか外はすっかり茜色。


「もう夕方かぁ」


 まとわりついてきていた年少組達はみんな遊び疲れて寝てしまい、彼は全員にタオルケットをかけてやってようやく一息つけた。 


「あ~、疲れた」


 やれやれと肩を叩きながら台所に向かい、愛用の湯呑に梅こぶ茶を注ぎ込み一息つく。


(下の連中の相手をするのは楽しいけれど、疲れるんだよなあ。ほんとあのちっこい身体のどこにあれだけのエネルギーが詰まっているんだか)


 そう思って苦笑を浮かべるJ。


(でもまあ、かわいい弟や妹達の為だもんな。ちょっと疲れるくらいなんてことないさ)


 そんなことを考えながら手にした湯呑の中の梅こぶ茶をもう一口すする。


(あ~、ひと仕事したあとの梅こぶ茶はうまいね。あれ? オレなんか忘れている気がするんだが、なんだっけ?)


 首を捻りながら忘れてしまった何かを思い出そうとするJ。

 しばらくうんうん唸りながら居間に戻り、寝ぞうの悪い何人かの弟妹達のタオルケットを掛け直してやりながら、ふと、そのうちの一人の顔を見て、Jは忘れていた何かを思い出した。

 他の弟妹達に交じって、タオルケットを子供のようにくしゃくしゃにして抱きしめて眠るその一人。

 『ムニャムニャ』と定番の寝言をほざきながら、涎をだらしなく流しているその姿に、彼の心に怒りの業火が燃え上がる。

 苦々しくそいつを睨みつけたJは、怒りに任せてその頭を思い切り蹴っとばす。


「おい、コラッ!!」


「いたっ!! な、なにをするんだ、J!?」


 Jに頭を蹴飛ばされ、一瞬にして飛びあがった同い年の乳兄弟『(エフェ)』は、頭を押さえて涙目になりながら抗議の声をあげてくる。


「なにするのじゃないわ!! 何、一緒になって昼寝しとるんじゃ、貴様!?」


「ええええっ、いやだって、することないし、暇だし寝るしかなかったから」


「寝るしかなかったじゃねぇわっ!! おまえ、オレがみんなの相手している間、ずっと縁側でぼ~~っとしてやがっただろ!?」


「暇だったし」


「暇だったしじゃねぇだろ、ちゃんと弟や妹達の相手してやれよ!! オレに全部任せているんじゃねぇよ!!」


「いや、俺ってJほどみんなから慕われてないからさ」


「慕われてないからじゃなくて、おまえがちゃんと相手しないから、懐かれないんだろうが。そういうことは少しでも努力してからいいやがれ」


「だって、どうしたらいいのかわからないんだ。ちっちゃい子達の相手しろって言われても・・ハヤテやショーン達の相手ならできるんだけど」


「ドアホ!! あいつらは全然手がかからないだろうが。ってか、あいつら自身にも年少組の相手してほしいっていうのに、何言っているんだ、おまえ」


「そうは言ってもな~」


「そう言ってもじゃない!! まったくもう!!」


 全然反省する色のないFの様子に、がっくりと肩を落としてしまうJ。

 武術の腕は抜群で、経営に明るく、事務仕事に強い。旅団の中では、年下からも年上から慕われ、男女関係なく人気があり、間違いなく旅団の中心的人物であるF。

 ああ、それなのに。

 炊事洗濯掃除などの家事一切が全部ダメ、年少組の面倒も全然見れない。救いなのは、年長組の勉強を見てやったり、武術を教えてやったり、あるいは学校での悩み事などの相談に乗ってやることはできているようだ。

 しかし、年長組は基本的にみんな手がかからない。

 一番手がかかって、目をかけてやらなくちゃいけない年少組の面倒を見れないというのは本当に致命的である。


(どうっすかなあ、オレがいなくてやっていけるのかなあ)

  

 そう、実はJ、家を出ようと考えているのだった。

 いや、騒がしい家が嫌になってとかそういうわけではない。小さな弟妹達は本当にかわいいし、できればずっと家にいて面倒みてやりたいと思っている。だがそういうわけにもいかないある事情ができた。


 思わぬところから仕事が舞い込んできたのだった。


『ある方のボディガードを引き受けてもらえないでしょうか?』


 この都市の中央庁に勤めている彼の姉、美咲からそう相談を持ちかけられた。

 一応、Jは自分の武力にそれなりに自信がある。

 父親やF、あるいは、彼が最強と認めている三つ年下の弟相手だとそうじゃないが、それ以外の相手なら、大抵負ける気がしない。

 実質、これまで彼は怖いと思った相手に出会ったことがないし、その周辺の不良、ゴロツキ相手でも屁とも思わなかった。

 『害獣』達は流石に手が出せないが、あれは自然災害みたいなもの。

 なので、戦うこと自体が間違っていると思うので除外。

 それ以外の変異動物達と何度かやりあったことがあるが、倒せないと思ったものは一匹たりともなかった。

 ともかく、今のところ一対一で後れを取るなんてことはないと彼は自負している。


 がしかし。


 ボディガードなんていう仕事となると話は全く別だ。

 誰かの側に四六時中張り付いて警護するなんて、一度たりともやったことがない。

 しかも、自分から攻撃するのは得意なJだが、誰かの攻撃を待ち受けて、捌いたり避けたりはじいたりなんて防御は大の苦手。

 彼の大好きな言葉が『先手必勝』や『攻撃こそ最大の防御なり』であることからも、その性格がよくわかるというものである。

 そんな彼がボディガードなんて防御戦の代名詞な仕事をやれるわけがないのだ。

 いくら大恩ある姉の頼みといえどもそれはできない相談だと、すぐに断ろうと思ったのだが。


 警護する相手の名前を聞いて彼は『ノー』の言葉を即座に飲み込んだ。


 警護する相手は、彼の大事な兄弟の一人だったからだ。


 その名前は宿難(すくな) 連夜(れんや)


 Jだけでなく、Jの家族そのものがいろいろと世話になった大恩人。

 いや。

 今も世話になっているというべきか。


 元々連夜は彼らと共に一緒に暮らしていたのだが、今は、本当の家族のところにもどっている。

 それでも時折、彼らを訪ねてきてくれて、何くれとなく世話をしてくれたり力を貸してくれたり。

 ともかく、Jには連夜に返さなくてはならない恩が山ほどあるのだ。


 彼らの両親はJ達にいつも口を酸っぱくして言っていることがある。


『大きな恩を受けたら、自分の命をかけて返せ。大きな仇を受けたら、相手の命で返してもらえ』と


 断るわけにはいかなかった。

 仕事の代金は詳しく聞かなかったし、警護の内容そのものもそのときは詳しく聞かなかった。

 だが、彼は即座に頷いて、仕事を引き受けた。

 警護する兄弟は、味方よりも圧倒的に敵のほうが多い人物。

 連夜が何か悪いことをしたからではない。

 世界中の種族から差別される人間族に生まれてしまった、たったそれだけのことで、連夜は敵視され、憎悪されて毎日を過ごしているのだ。

 誰よりも優しくて、誰よりも気高い心を持っているというのに。


 閑話休題

 大家族が暮らすこの家に、少しでもまとまった金を入れる為に素材狩り武装旅団に就職して働いていたJ。

 ボディガードの仕事を引き受ければ、その仕事を辞めなくてはならない。

 それどころか、この家からもしばらく離れなくてはいけなくなる。

 いや、仕事を引き受けたことを撤回する気は毛頭なかった。

 恐らくこのことを聞いたら彼の両親も二つ返事で『行きなさい』といってくれるであろう。

 しかし、仕事を辞めてしまって、金のことと家のことをどうすればいいのか。


 悩むJであったが、一つはすぐに解決した。


 連夜の警護の仕事は、彼の予想をはるかに上回る高収入な仕事だったからだ。 

 いや、美味しい話には必ず裏がある。そのことは社会に出てから身をもっていやというほど体験したJ。しかし、今回の仕事は公共機関が認めている仕事。

 この話をもってきたのは中央庁に勤めている長姉美咲である。

 ボディガードの仕事はその姉の上司から直々に依頼されたものであり、この仕事を引き受けたJは、正式に姉の直属の部下となる。

 つまり公務員になるわけだ。

 家族手当やら交通費やら住宅手当やら保険やらがついてくる上に、退職金も万全、至れり尽くせり。

 金のことでは全然問題なし。

 となると残りは家のこと。

 

 姉の話によると護衛対象である連夜の家に住み込みで働くことになるというが、その仕事場となる連夜の家がちょうどJ達の住んでいる場所の真反対に位置する場所。

 同じ都市内とはいえ、ちょっとどころかかなり遠い。 

(でもまあ、家の柱であるリリー姉さんがいるし、天然のFや馬鹿の男連中はともかく、年長組の女性陣はそれなりにしっかりしているからいいかな)


 まあ、そういうわけで、結構あっさりと旅立つ決意をしたJは、すぐにでも家を出るはずだった。


 が・・


 一応仕事の開始は九月から。

 警護対象である連夜が通っている高校の二学期の開始と同時に仕事も開始するってことになっている。


 今はまだ六月。

 夏休みも入れれば、二カ月以上も先の話。

 そうなると結構時間はまだあるように思えるのだが、引っ越しとか、向こうの中央庁で警護の打ち合わせとかいろいろとあるから、あんまりのんびりもしていられない。


 結局すぐにでも出かけられる用意だけはして、もう少しだけこの家にとどまることにした。

 本当に短期間ではあるが、育児や家事に始終追われる姉を少しでも手伝って、ちょっとでもいいから楽をさせてやりたいという気持ちがあったからだ。

 そして、それと同じくらい強い気持ちで、旅立つ前にFとどうしても手合わせだけはしておきたいと思ったからだった。

 Jはこれから、今まで経験したことのない全く違う戦場へと赴くことになる。

 その戦場でどれだけ強くなれるのか、あるいはどれだけ弱くなってしまうかはわからない。

 だが、それを後で己自身できちんと判断するためにも、今の自分の強さを知りたかった。

 その為の、絶好の物差しがFなのだ。

 

 Jの新しい仕事先には、とんでもない化けもの達が群れ集っている。


 人の手では倒すことは不可能とされてきた『貴族』クラスの害獣を倒した獣人族のサムライ。

 そのサムライを育て上げたという、伝説の傭兵集団『暁の咆哮』を束ねるドワーフ族のソードマスター。

 『害獣』に復讐するために、己の手足を失っても戦い続けた恐るべき妖精族のレンジャー

 そして、表の歴史には決してでない二人の最強不敗の英雄達。

 他にも数多くの英雄好漢達がひしめきあって存在しているのだ。


 彼らを知り、彼らと交わることでJは自分が今よりも必ず強くなれると確信している。

 だが、後になって自分がどれだけ強くなったかを知るためにも、今を知っておきたかった。

 

 その為の仕合だった。 

 

 しかし・・


(改めてこの兄弟のダメっぷりを見てしまうと、物凄い不安が・・オレが出て行って本当に大丈夫なのか、この家?)


 本当なら今から行く先での仕事はFのほうが向いている、そうJは思っている。

 仕事内容が荒事だけでなくデリケートな部分もあるため、なんでも器用にこなすFのほうがうってつけなのだと。

 だが、美咲はFではなくJにだけこの話を持ってきた。

 ある理由があったからだ。


『否です。あの子には任せられません。だって、あの子ったら、ほら。あれがあるでしょ? あれが』


 なんとも言えない苦笑をもらし、やたらいいにくそうに言葉を濁して美しくもかわいい長姉はJに呟いた。

 勿論、Jはすぐにその意味を悟り、それゆえに自分の代わりにFを推挙することを諦めたのだった。


『あれかぁ。あれはもう、本当に病気だからなぁ』


『是。あれさえなければ本当に優秀な子なんですけどねえ』


 そのとき美咲とJは、顔を見合わせ盛大に溜息を吐きだしたものだった。

 そういうわけで、今回のボディガードのことについてはFに一切言っていない。

 今の仕事を辞める理由については、長姉の手伝いをする為ということのみを伝えている。

 幼き頃からの相棒が、自分の側を離れることに対し、Fはいろいろと言いたいことがあったようであるが、長姉美咲がうまいこと説明してくれたおかげで、Jはそれ以上追及されずにすんでいた。

 まあ、それはそれでいいのではあるが。

 仕事以外は全然全くのダメ人間である、この兄弟を置いていって果たしていいのかどうか。

 手合わせの件はともかくとして、いまだ、そのことについては悩み続けているJであった。 


「なんだ、J。何か言いたいことでもあるのか? さっきから俺の顔を見て溜息ばっか吐き出して。なんかわからないが、すっごい失礼なこと考えていないか?」


 さっきからうんうん唸って思い悩むJの様子を不審そうに見ながら問いかけてくるF。

 Jは一瞬『なんでもない』と言いかけたが、なんともいえない澄ました表情のFをみていると、物凄いムカついてきたので思いきり頷いてやることにした。 

 

「なんでもな・・いや、考えてる。思いっきり考えてる」


「えええええっ!! 肯定なのか!? しかも全力で!?」


「あ~、もういちいちうっさいな、おまえは。とりあえず、勝負だ勝負。さっき途中だったからやり直しでもう一回やるぞ。その内容でどうするか決めるわ」


 考えることが面倒臭くなってきたJは、Fを促して縁側から東方庭園へと降り立つ。一人でボディガードの仕事に旅立つか、それとも全てを打ち明けてFを連れて行くか。

 まだ決めかねているが、一度頭を真っ白にしてから結論を出そうと思いたつ。


(ただでさえ頭が悪いオレが考えてもどうせ、大した答えなんかでないしな。それなら直感に任せたほうがいい)


 両手の拳をバキバキと鳴らし、深く長い呼吸を繰り返して体内の力を整え戦闘態勢を作りだすJ。

 そんなJのほうを怪訝な表情で見つめながらも庭に降りてきたFは、先程と同じ位置へと向かい対峙して構える。


「いや、勝負するのはいいけど、いったい何を決めるつもりなんだよ、J」


「そりゃ、ボディ・・いやいや、まあ、これまでの総決算ってとこかな」


「総決算?」


「九歳だったっけ、それとも十歳のときかな? オレとおまえが父さんから武術を習い始めたのは。あれから十年、事あるごとにおまえと拳を交えてきたが、いつの頃からかおまえは徐々にオレの前を走るようになって、今じゃ背中しか見えん。このまま行けば、その背中すら見えなくなるだろうよ」


「そんなことは」


「あるんだよ。後ろを走ってるからオレにはそれがよくわかるんだよ。だけど、だからってはいそうですかと笑って見送ってやれるほどオレは大人じゃない。あがきもがいて必ずおまえを越えて見せる。が、しかし。それはそれとしてだ。今日までの修練の成果を見ておきたいんだ。この時点でオレとおまえの間にどれほどの差があるのか。ちゃんとこの二つの眼で確認しておきたいのさ」


 Jの言葉を聞いたFは、しばらく小首を傾げていたが何か思うところがあったのか、いつにない険しい表情を浮かべてみせる。


「Jがどう感じているのか知らないが、俺はそれほど差を感じてはいないよ。むしろ、部分的には俺のほうが突き放されているところもあると思うがな」


「んなわけねぇだろ。今年になってからの対戦成績覚えてねぇのか? 十三戦二勝九敗二引き分け。自分でも嫌になるくらいひでぇ成績だ。どうやったらこれが突き放しているように見えるってんだ? 仮に部分的に勝っているところがあるにしたって、総合してみりゃ間違いなくおまえのほうが上だ。それは今までの対戦結果が物語っている。って、言えば言うほどへこんでいくわ。やめやめ、問答はここまでだ」


 Jは首を二つほど振って、落ち込みそうになる気分を慌てて切り替えると、再び闘志の炎を燃やして目の前の強敵に視線を向け直す。

  

「まあ、いいさ。本当にJが思っているほど俺には余裕がないんだけどな。それでも今回も俺が勝つ」


「かもな。でも、そう簡単に思うようにはいかせないぜ」


 真っ赤な夕日が照らし出す東方庭園のど真ん中で対峙する『(ジェイ)』や『(エフェ)』。

 日が落ちるまでの時間はもうそれほど長くはないし、決着にそれほど時間をかけるつもりもない。

 この勝負にかける想いは当たり前だがそれぞれ違う。覚悟も違えば、理由も違う。

 それでも彼らは胸に秘めている譲れない大事な何かを賭けて全力で拳を振るうのだ。

 そこに大きな違いはない。

 ゆっくりと腰を落として構えを取った彼らは、じりじりと距離を詰めていく。

 夏らしい乾いた熱波が二人の間を吹き抜けていくのを感じる。日差しの強い真昼間と違い、だいぶ気温は下がってきている。しかし、体感的には昼間とそれほど変わっているようには思えない。現に拳を交えていないにも関わらず彼らの体中から汗が噴出して滝のように流れ落ちていく。

 Jにしてみれば、弟妹達と遊んでいたときに十分汗を出しつくしていたと思ったのだが、まだ打ち止めにはならないらしいとわかって苦笑を浮かべる。

 目の前にいるFの顔を見ると、Jとは違い、汗一つかいてはいないので、余計にその苦笑も深くなる。


(やれやれ、オレの鍛え方がまだまだ足りないということだろうか)


 自分の体調を常にコントロールし、いついかなる場合でもできるだけベストの状態にしておく。

 武術家なら当たり前のこと。

 幼き頃から毎日毎日修行をし、ほとんど休むことそれを続けて十数年。

 

(なのに、未だにそれができておらず、身についていないオレはやはり、武術家には向いていないのかもしれない)


 そして、逆に言えばそれがしっかり身についているFは既に一人前の武術家なのかもしれない。

 いや、間違いなくそうなのだろう。

 Jはそう確信する。

 戦う前から既に勝敗が決しているような気がしてならないが、それでもJはこの勝負を投げる気にはなれない。

 自分でも非常に馬鹿馬鹿しい意地とかプライドとかいうつまらんものなのだとわかっているが、どうしてもやらずにはいられないのだ。

 頭ではなく、この拳と体で納得するために、JはJの全力をぶつける。

 たとえ砕け散ることがわかっていても。

 汗まみれの顔を無理矢理ニヤリと歪めてみせたJは、あと一歩で奴の攻撃範囲に届くというところまでその歩みを進めて立ち止まる。

 そして、今まで自分が積み重ねてきたもの全てを右の拳へと流し込んでいく。

 

(渾身の一撃、今オレが放つことができる最高の攻撃を解き放つ!!)


 あと一歩の間合い。

 踏み込む、そして、決着(ケリ)をつける。

 彼は、一瞬にして覚悟を決めると、最後の一歩を踏み込むべく片足をあげた。

 前をみると、全く同じ瞬間に前のめりに前へと進み出てくるFの姿。

 雄叫びと共に攻撃を繰り出そうとしているのがはっきりとJの碧い瞳に映る。


 二匹の獣の咆哮が、茜色の空に響き渡る。


 今、決着の時。




 それから、数十分後。


 すっかり陽が落ちて真っ暗になった東方庭園に、携帯念話の着信音が鳴り響く。


「えてきちにいた~ん。えてきちにいた~ん。けいたいねんわがなってるお~~」


 南方屋敷妖精(キジムナー)族の少女ゆかりが、ごつい迷彩仕様の携帯念話を持って東方庭園に駆け下りてくる。

 軽やかな足取りでぴょんと縁側から下に飛び降りた少女は、裸足のまま庭園にぐったりとのびている巨漢の大猿の側に。


「だから~、その呼び方はよしなさいといってるだろう、ゆかり。あとちゃんと履物をはきなさい。足が汚れる」


「だってぇ~」


「まったく・・まあいい。とりあえず、それをこっちへ」


「は~い」


 毛細血管が破裂して血だらけになった拳で、かわいらしい小さな手から携帯を受け取ったJは、鳴り続ける携帯の通話ボタンを押す。


「もしもし。ああ、連夜か。オレだ。ん? 明日? ああ、もう仕事は辞めているからいつでも暇だが。ふむ・・ほう。なるほど。おもしろそうだな」


 風船のように異様に腫れあがった右瞼を重そうに持ち上げながら、にやりと笑みを作るJ。

 その後もしばらく、念話と会話を続けていたが、やがて、話がまとまると、通話を切ってむっくりと体を起こした。


「なんだ? 明日どこかに出かけるのか?」


 Jの横に同じように伸びていたFが、先に起き上った兄弟に声をかける。

 大儀そうに痛む体を横にねじり、Fのほうに視線を向けるJ。

 そこには、Jほど傷だらけではないが、あちこちあざだらけになった麗人の姿が。

 Jは、猿の顔に不敵な笑みを浮かべてみせる。


「俺達の弟が、手伝ってほしいことがあるんだとよ。ちょっと、明日手伝ってくるぜ」

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ