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真・こことは違うどこかの日常  作者: カブト
過去(高校二年生編)
107/199

第十二話 『友者達』 その6

 真の闇というほどでもない薄暗い暗闇の中、携帯念話の通話中を示す緑色のランプに照らし出され、一人の少年の顔が闇の中に浮かび上がっている。


 抜けるような白い肌が、周囲の闇の中にあって一層引き立てられ、幻想的な美しさを醸し出している、そんな一人のエルフ族の少年。

 だが、それは死者や意志を持たぬ人形のそれではない。

 眩しいばかりの生のエネルギーに溢れた笑顔は、ここにはいない念話の向こう側の誰かへと惜しみなく注がれている。

 携帯の通話口の向こうにいるのは少年にとって数少ない掛け替えのない戦友。

 その戦友と、少年は真剣な表情で会話を続ける。


 女の子のようなさらさらの金髪に、エルフ族の特徴ともいえるとがった長い耳、その性格を表すかのような少しばかりきつい切れ長の目。

 一見すると美少女にも見間違いかねない美少年。

 だが、その見て目通りのかわいらしい生き物でないことを、彼の周囲に漂う雰囲気が示している。

 歴戦の猛者そのものといった静かだが圧倒的強者の雰囲気。


 華奢な美少女然とした外見に全くそぐわない、しかし、全身から放たれる強者の雰囲気にはよく似合う、荒っぽい口調。

 なんとも奇妙奇天烈な組み合わせ。

 だが、当の本人はそのアンバランスさを全く気に様子も気がつく素振りもなく。

 ただ、ただ、念話の向こう側の『友達』と楽しげに会話を続けるのだった。


「ようするにだ、自然に群生している『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』を収穫に行こうってことだろ? ここのところアルカディアとの交易路が塞がったままで、南方の特産品は全然入ってこねぇしな。それがあるってことなら、俺も是非ともほしいしよ。あ? ああ、俺は作れねぇけどさ、お袋がほしがってるんだよ。うん、そう。ほら、お袋が勤めている、狼型獣人族の大神神社って、獣人族用の病院もやってるじゃん。どうも小児用の薬作るのにほしいみたいなんだよな。このまえぽろっと口にしてるの耳にしちまったからさ、なんとかしてやりてぇなあって、思ってたんだよ。いや~、渡りに船とはこのことだぜ。まあ、そういうことだから、作業専門でうちの従業員何人か連れて行くわ。うんうん、『足』な。大型一両あったら足りるべ? うん、大牙犬狼(ダイアウルフ)に引かせる。そんな遠出しないんだろ? はあ? 『落陽紅』? あんなところに生えているのか。またえらい寒いところに・・え? 溶岩が噴出してる? おいおい、んなところがあるのかよ、あそこって休火山じゃ・・ああ、わかった。ガスマスク用意しとくわ。え? へへへ、逆だって、面白くなってきたじゃねぇか。とりあえず、明日楽しみにしてるからよ。そうそう、明日はおまえの自慢の『真友』も来るんだろ? 話には聞いていたけど、やっと会えるってわけだ。フェイもかなり面白いけど、そいつもそうなんだろ? つまらねぇと思っていた高校生活だったけどよ、だんだん楽しくなってきたじゃねぇかよ。じゃ、そういうことでよ。俺達はフェイ拾ってから『馬車』で行くからさ、西ゲート前の都市営駐車場で合流ってことで。じゃあな。ん? なんだよ? はぁっ? う、うっせえ、子作り子作りいうな!! ったく、またな、兄弟(ブロウ)


 ベッドの上でうつぶせの状態で話をしていた少年であったが、話の終了とともに通話を切って携帯念話の端末を枕元に置く。

 その後、しばらく上気した表情で枕元に置いた携帯念話を見つめていたが、やがて、ふ~~っとため息を一つ吐き出してごろりと仰向けに寝転がった。


「明日は楽しくなりそうだなぁ。久々に、腕がなるぜ」


 にしししと、いたずら小僧、あるいは小悪魔娘といった表情で心底楽しそうにかわいらしい笑い声をあげる少年。

 そんな感じで一人悦に入りながら、明日のことをいろいろと考えていた少年であったが、それを邪魔するように何者かが少年の上に覆いかぶさってくる。


「話長いぞ、クリス」


 拗ねたような口調で寝転がるクリスの上に身体を重ね、その顔を覗きこんでくるのは、銀色の美しい獣毛を持つ狼獣人族の少女。


「連夜からだ。ちっと荒事を頼まれてさ」


「荒事?」


「ほら、南方の特産品の『高香姫(プリンセス)の榴蓮(アン・ドリー)』ってあるじゃん」


「ああ、病人のお見舞いとかでよく持っていくあれか?」


「そうそう、あれあれ。あれってさ、今、アルカディアとの交易路が封鎖されているから、北方の市場には出てないんだけど。どうやら、連夜の奴、この辺りでとれる場所を知ってるみたいなんだよな」


「そうなのか? しかし、あれは熱帯雨林があるような場所でないと育たないと聞いたことがあるが」


「俺もそう思ってた。ところがそうじゃなかったらしい。具体的な場所についてはまだ詳しく聞いちゃいねぇけど、とんでもねぇ場所にあるみたいだ。そこで、俺様に声がかかったってわけだぁ。危険な場所を歩くとなると、野戦のプロである俺は外せないよなあ。くぅ~~、なんかほんとにわくわくするなぁ」


 上から覗きこんでくる狼そのものを顔をした少女に、ニヤリと笑ってみせるエルフ族の少年クリス。

 そんなクリスをしばらく心配そうな表情を浮かべて見つめていた狼獣人族の少女アルテミスだったが、長年の付き合いでどうせ止めても聞かないだろうと悟って、怒ったような口調で宣言しておく。


「私も付いて行くからな」


 どうせ、来るなとかなんとか言って自分のことを止めようとすることもわかっていたが、聞くつもりは端からなかったので、その反論を叩き潰してやろうといろいろと反撃の答えを頭の中で用意するアルテミス。


 しかし・・


「うん、頼む。最初から、おまえにはついて来てもらうつもりだったから、そう言ってもらえると助かるよ」


 少年の言葉はアルテミスの予想を完全に裏切ったものだった。

 アルテミスの身体の真下のクリスはそう言って照れくさそうにほほ笑み、あっさりとアルテミスの宣言を受け入れたのだった。

 予想外の展開にしばし呆然としクリスの顔を穴があくほど見つめるアルテミス。

 そんなアルテミスの視線を感じてますます照れくさそうに顔を赤らめたクリスはちょっと顔を背けてぽりぽりとその頬をかく。


「ずっとさ、いつかお前が一族の巫女になってどこかにいっちまうと思っていたからさ、なるたけ距離を開けておこうと思っていたけど。もう、その話もなくなっちまったし。そう思ったら俺も一人で頑張るのは疲れちゃったんだよな」


 そんなクリスの寂しそうな横顔をじ~っとみつめていたアルテミスは不意に身体を起こしてクリスの身体の上に馬乗りになった状態になると、真下に見えるクリスの全身を見渡す。


「私が巫女になる? 本当にそう思ったの? あなたの身体をこんなにした私が? しかもあなたを置いて?」


 暗闇の中でもはっきりと見えるクリスの全身を、アルテミスは愛おしそうに見つめて呟く。

 一糸纏わぬ裸体をベッドの上に横たわらせているクリス。

 少女と見紛うばかりのその白く美しい肢体のあちこちには、大きさこそ違うものの、同じ獣に噛みつかれたと思われる歯形がいくつも付けられている。

 首にも、胸にも、腹にも、太ももにも、腕にも、そして、見えていないが背中にも実はその歯形が刻み込まれていた。

 その一つ一つをアルテミスは愛おしそうに指でなぞり、そして、再びクリスの上に覆いかぶさるとその舌を歯型の一つ一つに丁寧に這わせていく。


 狼獣人族の愛情表現の一つに、お互いの相手の身体の一部分に噛みついて自分の歯形を残すというものがある。


 幼き頃にこれを両親から教えられて知ったアルテミスは、ある日風呂場で嫌がるクリスを押さえつけて思いきり噛みつき己の歯形をクリスの白く華奢な体に深く深く刻み込んだ。


 だがそれは中途半端に得た知識で行ったもの。

 噛みつかれるほうは事前に痛み止めを飲まないといけないとか、『回復薬』を用意しないといけないとかいった重要なことは一切していない。

 それら全てをすっとばし噛みつくという行為だけを行った。


 そんなことを体力でも腕力でも勝る狼型獣人族のものが、あまたの種族のなかでも特に身体能力に劣るエルフ族に行ったらどうなるか。

 噛みつかれたクリスは、大量に失血しとんでもない重傷を負った。 


 だが・・


 だが、クリスは血をだらだら流しながらも悲鳴をあげもせず、被害者であるはずの彼が全ての証拠を隠滅し、薬草を森で拾ってきてそれで自力で治してしまったのだった。

 あまたの『人』の種族の中でも、特に脆弱な体を持つエルフ族とは思えない恐るべき忍耐力と精神力だった。

 このとき既に、己の一族を滅ぼした『害獣』に復讐すると固く誓い、養親であるアルテミスの両親に隠れて必死に体を鍛えていたクリス。

 そのことが幸いしたのだ。


 そのおかげで、アルテミスは最愛の者を噛み殺すという最悪な業を背負わずに済んだ。

 しかし、残念なことに、そのことをアルテミスは自覚してはいなかった。

 自覚することができなかったアルテミスの行為は、更にエスカレートする。

 歯形を残せば残すほど自分の好意が伝わると勝手に思いこみ、噛みつかれる側のクリスの痛みになどまるで気がつくことなく、ことあるごとに噛みつき続けたのだ。


 憎悪や悪意でもって行われる所業であったなら流石のクリスも抵抗し、アルテミスを許したりはしなかっただろう。

 だが、アルテミスの瞳に宿るのは純然たる好意、激しいまでの愛しかない。

 自分のことを傷つけ続けるアルテミスの瞳の中をどれだけ探しても、暗い感情は微塵も感じられず、だからこそクリスは噛まれても噛まれても必死に耐え忍び、自力で傷を癒してそれを隠し続けた。


 いつ果てるとも知れぬ恐るべき蛮行。

 とはいえ、その蛮行に耐え続ける日々にもついに終わりの時がやってくる。


 アルテミスの両親が、クリスの体の異変に気がついたのだ。

 事あるごとに森に姿を消し、場合によっては何日も里へ帰ってこない息子の様子を見た二人はただごとではないと判断。

 また、息子を覆う血の尋常ではない匂い。

 最初は、森で狩りの練習をしている故についた血の匂いかと思って放置していた。

 しかし、その匂いが森に住むウサギや鹿のものでもなく、また、狼型獣人族のものでもないことに母親が気がついた。

 それは紛れもなく息子自身の血の匂いであると。


 そのことを妻から聞いて、動いたのはアルテミスの実父ロボ。

 さりげなく義理の息子に久しぶりに一緒に風呂に入ろうと誘う。


 クリスはアルテミスを庇おうと、なんとかそれを断ろうとした。

 森に生える優れた薬草の数々で、アルテミスによってつけられた傷はほとんど完治している。

 だが、その歯型そのものは消えてはいない。

 あたりまえだ、アルテミスが消えないようにつけたのだから。

 それも一個所や二箇所のかわいらしいものではない。

 全身隈なくつけらえていて、ちょっと隠したくらいで隠せる代物ではない。

 いくらアルテミスに甘い両親といえど、これを目にしたらただでは済まないだろう。

 それだけにクリスは己の身体に刻み込まれたアルテミスの歯形を知られまいと必死に抵抗。

 だが、結局、抵抗は空しく事は発覚することとなった。


 父親も母親も娘の乱行についてはある程度予想はしていた。

 愛娘がクリスに対して並々ならぬ好意を示していることはよくわかっていたから。

 だが、二人は自分達の考えがいかに甘いものであったのか、嫌というほど思い知らされることになった。


 全裸になった息子の姿。


 その白い体に刻み込まれた無数の噛み痕を目にしたとき、父親はあまりのショックで言葉を失い、母親は気絶して三日間寝込むことになった。

 あまりにも無惨。

 あまりにも残虐。


 悪意や害意がないとはいえ。

 いや悪意や害意がないからこそできた悪魔の所業。


 事の次第の全てを知ることになったアルテミスの両親は大激怒した。

 いや激怒なんていう生易しいものではない。

 二人とも娘の成したことは最早説教だけで済ますことのできるような代物ではない。

 見逃すことのできない重犯罪以外の何物でもないと判断し、部族会議で娘を裁くべきだと狼型獣人族内の裁判を司る長老会に引き渡そうとした。

 そして、アルテミスもまたその判断に対し言い訳も逆らうこともしなかった。


 ようやく両親から歯形を残す本当の意味と方法の説明を受け、自分がしてきたことがただクリスを苦しめていただけであったことを知ったからである。


 アルテミスは壮絶に落ち込み、そして後悔した。


 クリスに会わせる顔がない、これからどうやって接していけばいいのか、自分がしたことを償えばいいのか、何もかもわからない、わからなかった。


 だが、結局、アルテミスは長老会に引き渡されることはなかった。

 

 クリスが両親を説得し、そして、アルテミスを許したからだ。


『誰だって間違いをすることがある。誰だって失敗することもある。でも、それを家族が許さないっていっちまったら、一体誰が許してやるんだよ。ましてや今回のことは完全に家族の問題だろ? それとももらわれてきた俺は家族じゃないのか? だからアルテミスを長老会に突き出すってのか? やめてくれ。頼むからそんなことはやめてくれ。俺は大丈夫だ、アルテミスは何も悪いことはしていない』


『クリス・・あれだけひどいことをした私を許してくれるの?』


『あたりまえだ!! 俺達は兄弟だろ!?』


 あのときのクリスの笑顔にどれだけ救われたことだろう。

 そして、そのときのクリスの笑顔に固く誓ったのだ

 自分のしたことを忘れはしないし、その償いは一生かけて行うと。


 それから二人の間にいろいろなことがあった。

 本当にいろいろなことが。

 別々の道を歩みそうになったこともある。

 別々の場所で暮らしていたこともある。

 愛を、その気持ちを疑ったこともある。


 諦めかけたこともある。


 でも、二人は今一緒に暮らしている。

 再び元の場所で、二人は幸せに暮らしている。

 アルテミスはこの小さくも気高く美しい生き物を一生守って生きて行くのだと。

 過去に犯した罪を償う意味でも、この優しい恋人の為にこの命をかけるのをためらわないと。


 そう心に強く誓って。


 そんなことを考えながら、自分の大きな体の下で小さな腕をまわして抱きついてくる愛しい恋人の姿を見つめていたアルテミスは、ふと、昔気にかかっていて、怖くてどうしてもそれを口にすることができなかったことを思い出す。

 今ならそれを聞くことができる。

 はっきりと恋人の心が自分のすぐ側にあると実感できている今なら。


 いい機会だからそれを今口にしてみることにした。


「クリス・・なんで、私には噛みつかなかったの? なんで、自分の歯形をつけなかったの?」


 本気で不思議に思い口にしてみたのだが、クリスはどこか悲しそうな笑みを浮かべてアルテミスを見返す。


「巫女になるアルテミスの身体に、エルフ族のみっともない歯型なんかつけられるわけないだろ」


 その言葉を聞いたアルテミスの表情が一変する。

 唸り声を上げて怒りの表情を浮かべたアルテミスはクリスの細く白い首をその大きな掌で捕まえて押さえつける。


「そんなものにはならないし、みっともなくもない!!」


 激昂するアルテミス。

 アルテミスは知っている。

 自分の恋人が、狼型獣人族の誰よりも気高い精神の持ち主であることを。

 一族の誰に相対しても堂々と自分の恋人であると断言できるような立派な人物であることを。

 だからこそ、クリスには自分自身を卑下するような言葉を口にしてほしくはないのだ。

 絶対に口にしてほしくはないのだ。

 そんな風に怒り心頭のアルテミスを、宥めるように優しい笑みを浮かべて見せるクリス。

 首にかかっているアルテミスの手に自分の手をそっと重ねる。


「落ち着けよアルテミス。当時はそうは思わなかったってことなんだよ。勿論今はそう思ってない、アルテミスが俺の側にとどまってくれるって信じているさ」


「あなたは!! あなたは私のことで怒らなさすぎる!! なんで? 本当は私よりも強いのに? 華奢な体をしているように見せているけど本当は私よりも腕力も体力も上だってわかっているのよ!?」


「いや、単純に力が強くてもしょうがないだろ。それでどうするっていうんだよ?」


「力で跳ね返してもいいし、殴り倒すことだってできるでしょ?」


「できねえよ。俺にそんなことできるわけないだろ。俺の力はそういうことするために鍛えたものじゃねえもん」


 結局最後まで自分の手を首から引き剥がそうとしないクリスに嘆息して見せたアルテミス。

 自らクリスの首から手を放すと再びクリスの身体に顔をうずめる。

 そして、再び自分が残した歯型を舌でなぞるように優しく舐めはじめた。


「優しすぎるよ、クリスは。ほんと馬鹿なんだから。でも、大好き。ほんとに愛してるの。あなただけを愛してる。これまでもそうだったし、これからもそう。我らの大神に私は誓う。絶対にその心を違えたりしないって」


 アルテミスは初めてクリスに出会ったときからずっとずっと好きだった。

 自分達とは違い身体のほとんどに体毛がなく、真っ白でつるつるの肌。

 美しいこの生き物を一目見てアルテミスは恋に落ちた。

 口が悪くて乱暴でいたずら好きで態度も悪い、だけど、心の中は驚くほどに澄んでいて、いつも真っすぐに自分を見つめてくれるこの少年が好きで好きでたまらなかった。


 その彼と想いが通じあったのは、彼がようやく長年の悲願を成し遂げ宿敵である『貴族』クラスの『害獣』を倒したあの日。

 アルテミスは森の奥深くにクリスを連れ出してその想いを遂げた。


 これまで本当にいろいろなことがあったが、その日は二人のとって人生で一番幸せな日であった。


 それ以降、二人はいつも行動を共にしている。

 どんなときも。

 どんなときもいつも一緒だ。

 それゆえに二人の距離はほとんどないに等しい。


 だけどアルテミスは過去に自分がしてしまった過ちを忘れてはいない。

 今も覚えている。

 ずっとずっと覚えている。


「こんなに歯型だらけの身体にしちゃってごめんね。クリスだって私の身体に噛みついてもいいのよ。少なくともあなたは私の身体に同じだけ刻み込む権利があるんだから」


 息を荒げながら情熱的に愛を自分の身体に刻み込もうとしている恋人の為すがままにされていたクリスだったが、なんともいえない複雑な表情を浮かべて溜息交じりに口を開く。


「もう、わかったってば、アルテミス。それよりも俺のこと強く抱きしめてくれ」


「うん」


「離さないでくれ、どこにも行かないでくれ」


「うん」


「みんないなくなった。父さんも母さんも、妹も、友達もみんないなくなった。だから、復讐だけを糧に生きてきた。でも、それすらももうなくなった。俺の生きる目的はもう何もない。でも、おまえがいてくれるから」


「うん」


「おまえだけは縛りつけたくなかったのに、結局俺はおまえを縛りつけちまったなぁ。ごめんな、アルテミス」


 腕に力を込めて強くしがみついてくるクリスの小さな体を、アルテミスは包み込むようにして抱きしめる。


「そんなことないわ。むしろ私があなたを縛りつけたいの。誰にも渡したくない。渡さない。あの日、あなたの宿願が果たされたあの日。ようやくあなたは私のモノになった。やっと手に入った。あなたの心も体も、全て。だからもう誰にも渡さないのよ」


 そう言ってちょっとだけ体を離したアルテミスは、クリスの鼻先を優しく舐めていたずらっぽく笑う。


「ま、連夜にはあなたのことで借りがあるし、私自身もいくつか返さないといけない恩があるからね、貸し出すことに異存はないんだけど。でも、私はぴったりあなたについて離れないからね。いいわね」


「ああ、わかってるって」


「そう? ならいいんだけど」


 目を合わせた二人は、どちらともなく笑みを浮かべて見せる。

 『獣人』族の『アルテミスと『妖精』族のクリス。

 同じ『人』とはいえ、かなり違う種族同士の二人。

 本来、外見も性質も大きく異なる二つの種族が情を交わし合うことは異例である。

 だが、二人は間違いなくお互いを必要とし、心と体を通じ合わせていた。


 二人の間には確かに強い『絆』があり、そして『愛』があった。


 のだが。


「ところでアルテミス様。ちょっとご相談があるんですけど」


「なに?」


 自分の身体をぺろぺろと舐めながらも、視線だけ動かしてギロリと見つめてくるアルテミスに、若干引きそうになるクリスだったが、それでもくじけることなく言葉を続ける。


「女性と違って男性は回数に限りがあるんでございますよ。いくらその、がんばろうと思ったとしてでもですね、身体が言うことを聞いてくれないというか、その、大変申しあげにくいことではございますが、そろそろ閉店時間というか」


「ええええええっ!! 何それっ!? 私全然満足してないよ!! そもそもまだ二十二時にもなってないのよ!?」


 就寝時間を匂わせるクリスの控え目な提案の言葉を聞いたアルテミスは、がばっと身体を起こすと不満いっぱいという表情を浮かべてクリスのほうを睨みつける。


 アルテミスとクリス。


 既に男女の関係にある二人。

 未成年である二人がこういう関係にあるというのは城砦都市『嶺斬泊』の法令上、あるいは社会的風潮としては、本来あまり褒められたことではない。

 ないのであるが、二人が所属している狼型獣人族の部族間の掟では十五歳で成人であることや、二人の仲は両親公認で、間もなく結婚することも決まっているなどの理由から、彼らの知人達はみな、見て見ぬふりをしているのであった。

 ちなみに、その公認している両親に至っては、『孫の顔を早く見たい』とけしかけているくらいで、自室に二人がこもっているときは邪魔をしないように妙な気までつかっている始末。


 なので、今日も二人は十八歳未満の方には決して言えないようなあんなことやこんなことをさんざんしちゃっていたりなんかしたのであるが。

 やる気満々の状態で自分の小さな体の上にのしかかって鼻息を荒くしている最愛の恋人に、クリスは疲れ切った表情を向ける。


「いや、そのいくらそういう行為が好きと言ってもですね、流石に一日七回はちょっと体力の限界というか。明日はそのいろいろと身体を張らないといけないようなこともあることですし、ここは一つ御休みになったほうがいいかな~なんてね」


「やだ」


「や、やだって、お、俺今日は結構がんばったと思うのですけど、アルテミス様。できればそのあたりを評価していただいて、今日のところはこのあたりでご勘弁していただけないかと」


 半分泣きそうになりながらアルテミスに懇願するクリス。

 それを見て、ちょっとかわいそうかな〜と思わないでもないアルテミス。

 しかし、一度燃え上がってしまった身体をそのままにして眠りたくない、あと一回は愛し合いたいという気持ちが勝ってクリスのお願いを却下することを決定する。


「確かにそれについて評価しないでもないし、念話終わったら寝ようかななんて思っていたけど、クリスの身体の歯型を見ていたら昔を思い出して燃え上がっちゃったというか、この想いを消化しないと眠れないというか・・だから、やだ」


「・・」


 と、ぷいっと可愛らしく頬を膨らませて顔を背けてみせるアルテミス。

 表情は怒ったような表情を作って見せているが、心の中ではごめんねごめんねと謝りつつ、再びクリスに覆いかぶさろうとするアルテミスであったが、ふと肝心のクリスの反応がないな〜と思ってその顔に視線を向けてみると。


「ちょっ!! クリス、何、先に寝てるのよ!!」


 アルテミスが顔を背けていたわずかの間に、最愛の婚約者は一足先に夢の世界へ旅立とうとしていた。

 すぴ〜すぴ〜と規則正しい寝息をたてて可愛らしい寝顔を見せる婚約者の姿をしばらく呆然と見つめるアルテミス。

 しかし、おもむろに我に返ると、その小さな肩を掴んでゆっさゆっさとゆすぶりクリスを夢の世界から引き戻そうとする。


「起きなさい!! 起きなさいってば、クリス!! もどってきなさい、卑怯者!!」


「あう・・あう・・アルテミス、お願い・・もう無理っす。寝かせてください・・」


「バカバカ!! こんないい女が求めているのにその期待に応えない気なの!? あ、ちょっと、寝るな!! 起きろ、起きなさい!!」


「・・おやすみ~」


「ああああああっ!! くぅりぃすぅ~~!!」


 アルテミスの必死の呼びかけも空しく、目の前で完全に意識を手放してしまったクリスは今度こそ深い眠りの世界へと入っていってしまった。

 そんなクリスの寝顔を心から悔しそうな顔で見つめていたアルテミスだったが、仕方ないという顔を浮かべて嘆息すると、その小さな体をそっとベッドの上に下す。

 そして、足下に畳んで置いてあったベッドの掛け布団を広げてくると、クリスの身体にかけておいて自分もその中に潜り込み、その後、自分よりも小さなクリスの身体を抱きよせてしっかりしがみつくようにして丸まる。

 アルテミスはクリスの寝顔をじっと見つめ、その顔を愛おしそうにぺろぺろと優しく舐めてから目を閉じ、自分自身も眠りの世界に入っていった。


「無理ばっかり言ってごめんね・・でも、ずっと側にいるからね・・愛してるわ、クリス・・おやすみなさい」


「うん、俺も愛してる、おやすみ、アルテミス」


 申し訳なさそうに、しかし、心から愛情のこもった声で呟くアルテミスに、クリスがしっかりと想いを乗せて答えを返し、その答えを聞いたアルテミスは満足そうな表情を浮かべながら眠りの世界に入って行こうとした。


 ・・が


「って、寝てないじゃないの、クリス!! 狸寝入りしてるんじゃないわよ!! コラッ!!」


「し、しまった、つい。ぐ、ぐ~~」


「もう騙されないんだから、こうなったら絶対寝かさない!! とことん相手してもらうんだからぁっ!! 」


「ひ~~!! 本当に勘弁してくりぇええええええ!!」



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