第十二話 『友者達』 その2
「放して連夜くん!! もうだめ、絶対だめ、完璧にだめ!! 死んでやる、絶対死んでやるんだからぁぁぁぁぁぁ!!」
「ちょっとだめです、玉藻さん!! ここ二階ですから、ここから飛び降りても死ねません、怪我するだけですって!!」
マンションの自室から飛び出して、廊下を乗り越えて飛び降りようとするジャージ女を後ろから羽交い締めした連夜は、物凄い力でジタバタするのを必死で押しとどめる。
「こんな、こんな姿を見られて。しかも、あんな恥ずかしいところまで見られちゃって。私、死ぬ!! 絶対死んでやるんだから、う、うわぁあぁぁぁぁぁぁあん!!」
「玉藻さん、落ち着いてください!!」
「落ち着いていられるわけないでしょ!? こんな、だっさいジャージ姿に、びんぞこ眼鏡に、おばさんくくりの髪に、しかもしかも、すっぴん全開なのよぉぉぉぉぉ!!」
「どんな姿でも玉藻さんは綺麗ですよ!! そもそも自分のお家にいるわけですから、どんな姿でくつろいでいても別に構わないじゃないですか」
「そ、それはそうかもしれないけど。でもでも、それ以上に、あんな姿を見られて平気でいられるわけないじゃない」
「『あんな姿』って『どんな姿』です? え? そのジャージ姿のことじゃないんですか?」
「とぼけないでよ!! わかってるくせに!!」
一瞬にして大狐の姿になった玉藻は、自分を羽交い絞めにしている連夜のほうに振り返ると、牙を剥きだしにして威嚇してみせる。
しかし、玉藻の激怒の原因が本気でわからない連夜は、小首を傾げて玉藻を見詰め返すばかり。
しばし続く睨み合い。
だが、流石の玉藻も、自分が睨みつけている相手が本当に事態を把握していないことを悟ると、今度は顔を赤らめてぼそぼそした口調で連夜に尋ねかける。
「だ、だからね」
「はい」
「み、見てたんでしょ、ミネルヴァと一緒に」
「えっと、何をでしょう? すいません、ほんとにわからないんですよ」
本気で困惑しきった表情。
その様子はどうみても誤魔化そうとしているわけでもなく、冷やかしてやろうとしているわけでもない。
本当に玉藻の言っていることがわからないという表情の連夜に、玉藻はますます顔を赤らめ身体を縮こませる。
玉藻の気にしていることがわからない、わかっていないというのなら、このまま放置するのも一つの手だ。
しかし、そうではなかった場合、この恋人がどこで口を滑らせるかわかったものじゃないし、何よりも、もしあれを見ていたのなら、どう思ったかも聞いておかねばならない。
胸の内に湧き上がる巨大な羞恥心で死にそうであったが、玉藻は覚悟を決めると、勇気を振り絞って自分が一番問題にしている部分を自ら明らかにする。
「あ、あのね、連夜くん」
「はい」
「わ、私が、その、歌っていたり、その踊っていたり」
「はいはいはい、あれですか。見てました見てました」
今まで見たことがないくらいのとびっきりの笑顔で、目を輝かせて何度も頷きを返す連夜。
それどころか玉藻の問いかけに対し、やたら大興奮といった様子になった連夜は、まだ聞いてもいないのに玉藻の歌と踊りの感想を情熱的に語り始める。
それはもうありえないくらいの褒めっぷりでだ。
「っていうか、めちゃくちゃ歌うまいし踊りも凄いからガンミしてました」
「ちょっ、ガンミて!?」
「もう、すっごい玉藻さん、かわいくて綺麗でかわいくて綺麗でかわいくて綺麗で最高でした!!」
「あうあう」
「絶対、玉藻さん、【Pochet】のアホどもよりも歌も踊りも上手いです。テレビに出たら一躍スターですね」
「あうあうあう」
「でも、そんなことしないでくださいね。僕だけの玉藻さんでいてくださいね。アイドルとか女優とかならないでくださいね」
「あうあうあうあう」
「あ、だけど、歌うときは呼んでほしいです。今度、カラオケに一緒に行きましょう。そして、僕の前で歌って踊って見せてください」
「あうあうあうあうあうあう」
「歌っているときの玉藻さん、かわいいんだよなぁ。特にカメラ目線意識してやたら振りまくアイドルスマイルがたまらないというか」
「!!」
「【Pochet】のアホどもがやるとあざといだけだけど、玉藻さんがかわいい感じにぶりぶりしながら踊るのもまたイカスというか」
「!!!!!!!!!!」
褒めて褒めて褒めたおす連夜。
普段、年上であることを強調したいのか、落ち着いた雰囲気をやたら出そうとする玉藻。
そんな玉藻であるから、連夜にエロイことを強要するとき以外は、ハジケタことをほとんどしない。
それだけに今回のカラオケ熱唱姿は、連夜にとって相当インパクトがあったらしく、それはもう普段の十倍以上の熱心さで褒めて褒めて褒めちぎる。
しかし、褒めちぎり過ぎて暴走した連夜の言葉は、玉藻が触れて欲しくないところまで直撃。
せっかくの連夜の超絶褒め言葉であったが、それを聞いた玉藻の胸の内では、『嬉しい』よりも『恥ずかしい』が完全に上回ってしまっていた。
今すぐ湯が沸かせそうなほど真っ赤、というよりもすでに赤を通り越して黒に近い色になってしまった玉藻の顔。
心の阻止限界点をあっさりと超えてしまった凄まじい羞恥心によって、玉藻の目と鼻からは大量の涙と鼻水が大噴出。
「あれ? 玉藻さん? もしもし」
「・・ぬ」
「え? なんていいました?」
「もう・・死ぬ」
「はっ!?」
「もう、いやっ!! 絶対死んでやる、死んでやるんだから、連夜くんの、ばかああああああああっ!!」
かわいそうなくらい取り乱す恋人の姿を見て、唖然とする連夜。
いったい自分の何が悪かったのかわからず、思わず腕の力を緩めそうになる。
しかし、手遅れになる前に自分を取り戻した連夜は、なんとか玉藻が抜け出すよりも早く腕に力を込める事に成功。
再び玉藻の身体をがっちりと押さえ込む。
それでもまだジタバタとあがき続ける玉藻。
羞恥心の濁流で心のダムが決壊してしまった玉藻の顔からは、とめどなく涙と鼻水が流れ続けている。
もうまともに前は見えていないはずだし、鼻水は口の中に流れこんで相当いやな感じになっているはずなのだが、一向に暴れるのをやめようとはしない。
何が原因かはわからないが、自分の無神経な言葉が玉藻を傷つけてしまったことだけはわかる。
本当に心の底から謝罪した気持ちで一杯の連夜だったが、だからといって今手を放すわけにはいかない。
また、奈落の底まで落ち込んだ状態にあることもなんとかしないといけないので、連夜は最終手段に訴えることを即座に決断する。
連夜は玉藻の暴れる呼吸に合わせてタイミングよく羽交い締めを解き放ち、力あまってバランスを崩す玉藻をくるっと一回転させる。
そして、自分の正面を向いた玉藻の顔を両手で挟むと、顔を近づけて自分の唇を相手のそれに重ねるのだった。
『ちゅ〜〜〜〜〜〜っ!!』
いつになく塩辛い味が連夜の口の中に広がる。
味の原因ははっきりわかっていたが、しかし、汚いとは全然思わない。
愛する恋人の唇は、いつだって連夜にとって最高なのである。
しばらくの間、結構なディープなキスをしたあと、そっと顔を離す。
そして、ゆっくりと目を開けると、そこにはさっきとは違う意味で顔を真っ赤に紅潮させてぼ〜〜っとする玉藻の姿。
ちょっと放心状態に入っていることを確認し、また鬱状態に入る前にたたみかけることにする。
「玉藻さん、前に僕に言いましたよね? 僕のどんな小さなことでも知りたいって。でも、それを知ったからって自分の気持ちを変えたりしないし、僕のことを非難したり軽蔑したりもしないって。僕だって同じです。玉藻さんのどんな小さなことだって知りたいと思うし、でもそれを知ったからってこの気持ちを変えたりはしません。確かにちょっと調子に乗りすぎたかもしれないですけど、玉藻さんを辱めようとしていったわけじゃないんです。玉藻さんが歌って踊っている姿がとても綺麗で美しくて感動して、その気持ちは嘘じゃないんです。信じてもらえませんか?」
黒い瞳が真っ直ぐに玉藻の金色の瞳へと向けられる。
相変わらず夜の星空のような連夜の瞳。
その瞳をしばしうっとりしながら眺めていた玉藻であったが、はっと我に返ると、またもや顔を赤らめる。
「あ、う、その、信じていないわけじゃないわよ。ほんとにこういうとき連夜くんが嘘を言ったり馬鹿にしたりするようなことを言わないのはわかってるけど、でも、その、だから余計に恥ずかしいというかいたたまれないというか、なんというか」
「全然恥ずかしいことじゃないじゃないですか。そりゃあ、歌が音痴で、踊りもちぐはぐだっていうのならそうでしょうけど、玉藻さんは違います。誰が見たって本当に上手なのがわかるはずです。もう立派な特技じゃないですか。僕はそんな玉藻さんを恋人にもって凄く誇らしいです。むしろ、堂々と玉藻さんには胸を張って自慢してほしいくらいです。そう思うことはいけないことなのでしょうか?」
できるだけ、悲しそうに見えるようにわざと表情を暗くして玉藻をじっと見つめると、眼に見えて玉藻は激しく狼狽える。
「い、いけないことはないような気がするけど、でも、その、あまり大っぴらにするのは」
「大っぴらはダメでも、僕はいいんですよね? 玉藻さんが歌も踊りも上手いってこと覚えてていいですよね? そういう目で見ていいですよね?」
「ちょ、ちょっとだけなら、いいかな」
やっぱり顔を赤らめ、しきりに身体をもじもじさせながらの返事。
しかし、その声に先程のような悲しげな様子はない。
真摯な連夜の説得に心動かされているのか、恥ずかしげな様子の中に嬉しさがにじみ出ているのがわかる。
今がトドメとばかりに連夜は最後の攻撃に出るのだった。
「二人だけならカラオケで歌ってもらってもいいですよね?」
「ちょ、ちょっとだけならね」
「そのときに玉藻さんの踊りも見せてもらってもいいですよね?」
「ちょ、ちょっとだけならね」
「じゃあ、その約束としてもう一回キスしてもいいですか?」
「ちょ、ちょっとだけならね」
顔がまだ赤い玉藻の顔を両手で掴んでそっとあげさせた連夜は、そっとびんぞこ眼鏡を外して玉藻の素顔が見えるようにする。
そして、連夜はもう一度唇を重ねた。
今度は、玉藻もしっかり連夜を抱きしめ返してくる。
マンションの廊下のど真ん中。
今、人が来たらかなり恥ずかしい思いをすることになるのはわかっていたが、それでも二人は構うことなく唇を重ね続ける。
そうして、しばらくの間二人はお互いの絆を確認しあい、そのことに満足した後、ゆっくりと唇を離す。
玉藻は嬉しいようなすねたような照れたような表情を浮かべて連夜を見つめた。
「もう、なんか連夜くんがどんどん女たらしになっていくような気がするなぁ」
「玉藻さん、限定ですから。他の女の人には恥ずかしくて、こんなこと言えません」
「ほんとかなぁ? なんか上手い具合に騙されている気がするんだけどなぁ。まあ、いいわ、今日のところは信じてあげる」
と、言ってもう一度嬉しそうに連夜に抱きつく玉藻。
その玉藻の背中を抱きしめ返しながら、苦笑してぽんぽんと軽く叩く連夜。
「ほら、玉藻さん、そろそろ部屋に帰りましょう。み〜ちゃんは、さっきの玉藻さんの至近距離からの絶叫のせいで気絶してましたけど、もうそろそろ目を覚ましてもおかしくないですし」
「ったく、朝まで気絶してればいいのに。そうすれば連夜くんと二人っきりなのに」
「いや、流石にみ~ちゃんがすぐ側で寝ている状態では、落ち着けないですよ」
「あら。私は全然平気。あいつがどこにいようと気にしないし関係ないわ。あいつが横でぐ~たら寝ている横で連夜くんと、激しく愛しあってもいいわよ。なんなら、今から一戦試してみる?」
と、妖しい光を宿しながら連夜を見つめる玉藻を、連夜は嬉しそうだがどこか真剣な光で帯びた視線で見つめ返す。
「玉藻さんがどうしてもと望むなら、僕も否やはありませんよ。でも、そんなこといいながら、本当は玉藻さん、み~ちゃんのことかなり気にしていらっしゃるでしょ? なんやかんや言って、どうしたらみ~ちゃんを傷つけないように僕らの関係を伝えることができるのかって、相当悩んでくださってますよね。今全部ばらしてしまうと確実にみ~ちゃんが傷つくから。だから、今はまだ僕らのことを言わずに秘密を守ってくださってる。そうなんでしょ?」
と、にっこり笑う年下とは思えないしっかりした恋人の笑顔がカウンター気味に玉藻の心に突き刺さり、ノックアウト寸前の玉藻。
「もう、ほんとに生意気なんだから。何、その『全部わかってるんですよ』的な余裕の笑み。べ、別にミネルヴァのことなんかどうでもいいのよ。今、ばらしたら私達の邪魔をしてめちゃくちゃかき回しそうだから黙ってるだけよ。ほんとよ。ほんとにそれだけなんだからね」
真っ赤になってしまった顔を背けてすねたように呟く玉藻。
そんな玉藻の顔をくすくす笑いながら、連夜は覗き込む。
「え~、そうなんですかぁ?」
「そうなの!!」
「ほんと~に?」
「本当に!!」
「へぇ~、そうなんだ~。じゃあ、そういうことにしておきます」
「あ~、もう、うっさいうっさい!! 連夜くん、しつこいの!! だいたい私のほうが年上なんだよ!? もっと私のこと年上の頼れる存在として敬いなさいよ」
「わかりました。じゃあ、これからは年上で目上の方として玉藻さんと接しさせていただきます」
「うんうん。それでよろしい」
「さしあたって、年上の方に対して『よしよし』とかするのは失礼なので、今後は控えさせていただきます」
「うんうん。って、それはダメッ!! 『よしよし』はしないとダメなのっ!! してくれないと泣くからね。ほんとに泣くからね!!」
「はいはい」
ようやくいつもと同じ感じを取り戻した二人は、賑やかに、でも幸せそうに微笑みあいながら玉藻のマンションの中でもどっていった。