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転生して聖女になったので、モンスターペアレントを撃退します!

作者: 五十鈴 美優
掲載日:2026/02/28

「お前はわからんのか!?うちの娘には魔法の才能があるんだ。何故、用具入れの整理などという雑用をせねばならん!即刻、免除しろ!!」


 放課後、貴族学園の教室棟廊下に野太い怒声が響き渡った。

 五十歳くらいの恰幅のいい男が、胸元の紋章を誇示するように仁王立ちしている。その向かいには、黒縁眼鏡の細身の男が壁に追い詰められるような格好で立っていた。


 魔道具学教師・アイン。温和で実直で、この学園でいちばん生徒思いの教師だ。その彼が今、かすかに唇を震わせながら言葉を絞り出している。


「ですが……協働教育として、貴族学園では生徒全員が、係によってなんらかのそういった雑用を担うことになっています。お嬢様だけ免除というのは、規則上……」


「規則だと?貴族が直接掛け合えば、規則のひとつやふたつ曲げられるのがここの流儀だろうが!私は子爵だぞ!!」


 男が一歩踏み出すと、アインが一歩退く。


「それに……」


 男の声が、突如として低くぬめった質感を帯びた。


「お前、確かうちの子爵領の出身だったよなあ?実家がどうなってもいいのか?そもそも平民風情が私に生意気な口をきくな!!」


 アインの顔から血の気が引いた。右手が、無意識に胃のあたりへと向かっていく。ソフィアは廊下の角でそのやりとりを認めた瞬間、ゆっくりと目を閉じた。


(……ああ。前世でも何回聞いたかな、このセリフ)


 「うちの子には才能があるから特別扱いしろ」「こちらの話が通らないのなら、教育委員会に電話してやる」「お前の親がどうなってもいいのか」。走馬灯のように蘇るのは、夜の職員室、積み上がった書類、そして終わらない電話。自分がなぜ教師になりたかったか、だんだん思い出せなくなっていったあの日々。


「……はあ」


 ソフィアは小さく息を吐いた。それから迷いのない足取りで二人のもとへ歩いていった。


「あーあーあーあーー!!ほんっと、異世界に来てまでこの光景を拝むことになるとは、誰が想像するかしらねえ!!」


 よく通る声に子爵が振り返り、アインが目を丸くする。


 廊下に差し込む西日を背に、ソフィア・ブルームは腰に両手を当てて立っていた。白い聖女服の裾が、ひらりと揺れている。


「なんだ、お前は!どこの家の女だ」


「ソフィア・ブルームです。地位は、聖女」


 ふわりと告げた言葉が、廊下の空気を変えた。子爵の顔には動揺が走る。


 聖女。その二文字が意味するところを、この国に生きる人間なら誰でも知っている。神に選ばれた存在は、どんな階級にも縛られない。公爵家であろうと王族であろうと、聖女を使役したり命令することはできない。


 子爵が口をぱくぱくさせているのを眺めながら、ソフィアは内心でつぶやいた。

(そうそう。そこが前世と違うところなのよね)


 前世の私には、肩書きがなかった。貴族でもなく、社長令嬢などでもない。所詮は学校という組織に仕える一人でしかなかった。だから何を言われても、上司の指示通りに謝るしかなかった。


(でも今は……使えるものは、使わせてもらう)


「いるんですよねー」


 ソフィアはゆったりと歩み寄り、狼狽える子爵と正面から向き合った。


「中途半端な地位の人ほど、自分が選ばれし者だと証明したくて、格下の相手に横暴に振る舞う。それ、傍から見ると『私は自分に自信がありません』って看板背負って歩いてるのと同じですよ? 恥ずかしくないんですか?」


 子爵に笑いかけると、彼は一歩、また一歩と後ろに下がっていく。


「もう一度言うわ。私は聖女。あなたの爵位なんて、私には通用しないわ」


「き、今日のところは引いてやる!!」


 捨て台詞とともに、大きな背中が廊下の奥へと消えていく。その足音が消えて振り返ると、アインがぽかんと口を開けたまま立っている。


「……だ、大丈夫ですか、ソフィア様。子爵家を敵に回して……」

「敵に回したんじゃなくて、対等に話しただけですよ。それより、胃の具合どうですか?今日のポーション、もう使いました?」


 アインがびくりと肩を揺らす。


「……なんで知ってるんですか」

「だって毎回そこ押さえてるじゃないですか」


 呆れたような、しかしどこか温かい目で、ソフィアはため息をついた。

(前世でもいたなあ。こういう人。真面目で不器用で、ぜんぶ自分で抱え込もうとする人。私も、そうだったかもしれないけど)


 異世界転移から三ヶ月。ソフィア・ブルームはようやく悟っていた。

 神様が自分にこの力をくれた理由は、たぶんひとつじゃない。でも少なくともそのひとつは、『前世で飲み込んだぶんを、ここで全部吐き出せ』ということなのかもしれない。



 ソフィアの前世は、中学校の教師・山本智咲だった。

 生徒に学業だけでなく社会で生きていくために必要なことを教え、導く職業。ずっと憧れだった。


 でも現実は、憧れとは程遠かった。保護者の無茶な要求、クレーム、言いがかり、嫌がらせ。このような度重なるモンスターペアレントに加え、授業以外の業務は増えるばかりだった。


 智咲の最後の記憶は、教壇だった。

 五時間目の授業中、黒板に板書しようとチョークを握った瞬間、視界が白く飛んで、そのまま何もわからなくなった。


 気づいたら、石造りの部屋にいた。


「お前の名前は?」


 白いローブを纏った中年男性が、紙とペンを手に事務的な顔でこちらを見ている。


「……山本、智咲です」

「ヤモーチ……?」


 男は眉間に皺を寄せた。紙にペンを走らせようとして、止まっている。どうやら発音からして伝わっていないらしい。

 智咲は数秒考えて、口を開いた。


「……ソフィア。ソフィア・ブルームです」


 智咲。賢くて華やかな人になってほしい、という母の願いが込められた名前だ。意味はそのままに、翻訳することにした。

 こうして山本智咲は、異世界でソフィア・ブルームになった。



 名前を聞いてきた男性は、この世界の神官だという。彼の説明によって、状況を整理するのに、さほど時間はかからなかった。


 この世界は十年に一度、別世界から死んだ人間を召喚する慣習があるらしい。理由は「神の御意志」だそうで、詳細は神官にも不明とのことだった。いっそ清々しいほど説明が雑である。


 そして召喚された者には、何らかの能力が与えられる。ソフィアに与えられたのは、聖女の力だった。


「聖女……」

「治癒、浄化、祝福の儀式等を執り行う、神に選ばれし存在だ」


 神官がすらすらと説明する。ソフィアは頭の中で、前世で読んだ異世界転生小説の数々を高速再生した。


 聖女といえば……ヒロインポジション。調子に乗って主人公に冷遇されるか、もしくは主人公がなる役職。王族や騎士団長の溺愛、バラ色の異世界ライフ……


「ホワイトかも」


 思わず声に出た。神官が怪訝な顔をしたが、ソフィアは構わなかった。


 ただし、聖女はこの世界にそれなりの数が存在するらしく、神官はどこに配属するか少々頭を悩ませていた。そこで「ちなみに前世の職は?」と聞いてきた。


「教師です。中学校の」

「……教師」


 神官の目が光ったような気がした。

 貴族学園。この国で最も格式高い教育機関であり、各地の貴族子女が通う名門校。その敷地の中心に、こじんまりとした教会があるらしい。


「ここが、あなたの職場です」


 案内されたその日、ソフィアは石造りの礼拝堂を眺めながらつぶやいた。


「……思ったよりこぢんまりしてる」

「失礼ね」


 振り返ると、白髪を丁寧に結い上げた老女が立っていた。小柄だが背筋がぴんと伸びており、目には鋭い光がある。


「あなたの先輩にあたる、聖女のベルよ。よろしく」

「ソフィア・ブルームです。よろしくお願いします」


 ベルはソフィアをしげしげと眺め、「ずいぶん元気そうな子ね」と言った。褒めているのか呆れているのか、判断がつかなかった。


 仕事の内容は、拍子抜けするほど地味だった。学園内の生徒や教師、スタッフの悩みや愚痴を聞く。声をかける。必要に応じて聖女の儀式で学園の秩序と平和を祈る。それだけである。


(カウンセラーと巫女を足して二で割ったような仕事ね)


 ソフィアはそう結論づけた。


 前世の激務に比べれば、拍子抜けするほど穏やかな日々だった。最初の一週間は「本当にこれだけでいいのか」と疑い続けたほどだ。


 しかし、教会は学園の中心にある。あらゆる棟からの声がよく通る場所だった。そして一週間も経つうちに、ソフィアは知ることになった。


 異世界の、貴族だらけの学園に“も”大きな問題があることを。



 貴族学園では、教師のほとんどが平民か低位貴族の出身だった。生徒は高位貴族の子女ばかりである。教育上の観点から、教師が生徒を指導・叱責することは認められている。建前の上では。


 だが現実は違った。


 指導に対してクレームをつける親。「暴力だ」「暴言だ」と言いがかりをつける親。高位貴族の子女だからと無茶な要求を突きつける親。それが通らないとなれば嫌がらせに走る親。


 前世の中学校でも、似たような光景は見た。だがこの世界のそれは、スケールが桁違いだった。


 なにせ相手は本物の貴族だ。「うちの子を叱った教師を、王都から追い出してやる」が絵空事ではない世界なのである。


 職員室を覗けば、教師たちの顔色は一様に悪かった。机の引き出しには各自のポーション瓶。ゴミ箱にはその空き瓶が積み上がっている。


 ソフィアは、その光景を見た瞬間、前世の職員室を思い出して胃のあたりが重くなった。もっとも、日本ではポーションではなく缶コーヒーやエナジードリンクだったけれど。


「……異世界でも、変わらないんだ」


 呟いたその日の昼休み。応接室の方角から、怒声が響き渡った。



「公爵家の人間が、魔法発表会で端になるとはどういうことだ!!」

「補佐などという屈辱的な役割を強いた教師は、我が家への宣戦布告と受け取ってよろしいのですね?そちらがその気なら、容赦致しませんわ」


 言葉の節々に棘と圧を感じる声だ。

 ソフィアは教会の窓から廊下の向こうに目を向け、それからベルを見た。


「……なんですか、あれ」

「ああ」


 ベルは手元の刺繍から目を上げることなく答えた。


「筆頭公爵家のザッカード公爵家ね。プライドも天高いのよ。よくあることよ」


 よくあること、と言ってのけたベルに、ソフィアは複雑な気持ちになった。そしてその怒声を聞いているうちに、記憶が蘇ってきた。


 教師になって一年目の秋。体育祭の打ち合わせをしていた職員室に、一本の電話が入った。


『うちの子が体育祭のダンスでセンターじゃないってどういうことですか!?差別ですよね!?』


 担任だった智咲が出た電話だった。一時間以上話し、それでも収まらず、翌日には保護者が直接学校に乗り込んできた。校長と学年主任は「まず謝罪を」と繰り返し、結局ダンスの一部を変更することになった。


(あの時、私は何も言えなかった。ただ頭を下げることしかできなかった)


 怒りが、じわじわと腹の底から込み上げてくる。前世の分まで全部まとめて、ぎゅっと圧縮されたような種類の怒りだった。


 そこでソフィアの脳裏に、転生したその日に聞いた、神官の言葉が浮かんだ。


「聖女は、平民・貴族階級の序列に属しない、特殊な存在だ」


 ソフィアは数秒、沈黙した。


「……これ」

「ん?」

「チートじゃん」


 ベルが何か言う前に、ソフィアは立ち上がっていた。



 応接室の扉を開けた瞬間、室内の空気が変わった。


 部屋の中には三人いた。上等な紋章入りの上着を着た中年男性と、同じく豪奢な装いの女性。二人はおそらく夫婦だろう。そして部屋の隅で、縮こまるように立っている黒縁眼鏡の男性教師。


 アイン先生だ、とソフィアはすぐにわかった。魔道具学の教師で、温和で実直で、生徒思いで、それゆえにこういう場面でいちばん割を食うタイプの人間だと、ソフィアは着任早々に見抜いていた。


 今のアインは、顔が青い。右手が無意識に胃のあたりを押さえている。


「で、ですから……発表会に関しては、各々の能力を総合的に見て決めておりまして」


 アインの声は、かすかに震えていた。


「なんだと!?」


 公爵と思しき男が机をダァン、と叩いた。


「公爵家の息子の能力が劣っていると言うのか!?」

「い、いえ……そういうことではなく」

「聞き捨てなりませんわ!学園評価審査会に報告させていただきます!」


 学園評価審査会。貴族学園の教育委員会のような機関だ、とソフィアは聞き及んでいた。そこから指導が入れば、減給や免職もあり得る。

 アインの顔が、さらに白くなっていった。ソフィアは扉の前で腕を組んだ。


(はあ。どこの世界でも、この手合いはいる。でも……)


「ちょっとよろしいですか」


 全員がこちらを向いた。ソフィアは部屋に踏み込みながら、まず公爵夫妻を、次にアインを見た。


「聖女様、あなたは関係……」


 アインが小声で止めようとするのを、軽く手で制する。


「あのね」


 ソフィアは公爵に向き直り、ごく平静な声で言った。


「公爵様か何だか知りませんけど、ここを戦場と勘違いしてませんか」


 室内が、しんと静まった。


「ここは学園です。教育の場です。……補佐が屈辱?冗談じゃないわ。主役を支える役割の重要性を理解できないような人間が、人の上に立つ資格なんてないんです」

「なっ、何だお前は!」

「私の故郷にもいましたよ。保育園交流でやる劇に『うちの子が桃太郎じゃないのは差別だ!桃を流す川の役なんて屈辱だ!』って怒鳴り込んできた親がね。で、結局どうなったと思います?」


 公爵夫妻が黙る。アインが目を丸くしている。


「全員が桃太郎になったんですよ。川も流れない。鬼もいない。桃太郎だけがずらっと並んだ、シュールにもほどがある舞台の出来上がりです。子どもは全員ドン引きしてましたよ。拍手もまばらで」


「……な、なんの話だ」

「息子さんの話ですよ」


 ソフィアは淡々と続ける。


「補助魔法の適性がある、ということですよね、アイン先生」

「は、はい……補助魔法の素養は、クラスでも上位で」


 ソフィアは公爵夫妻に向き直った。二人は呆気に取られた様子でソフィアを見ている。


「息子さんにはちゃんと、光るものがあるんです。それを親の見栄だけで前衛に立たせて、実力不足で大恥をかかせるのが……公爵家の教育方針なんですか?」


 肩が上下する。我ながら言いすぎたかもしれないと思ったが、後悔はなかった。公爵の顔が、みるみる赤くなった。


「なんなんだお前は!部外者は黙っていろ!どこの家の人間だ!!」

「部外者じゃないですよ」


 ソフィアはすっと背筋を伸ばした。


「私はソフィア・ブルーム。別世界から召喚された、聖女です。この学園の教会に所属しています」

「な……っ。せ、聖女ですって……!?」


「ちなみに。私は教師ではないので、学園評価審査会に報告していただいても、残念ながら何の効力もないんですよね。聖女は貴族でも平民でもない、階級の外にいますので」


 公爵が口をぱくぱくさせている。ソフィアは穏やかに微笑んだ。


「もしお子さんのことを本当に思っているなら、補助魔法の才能を、ちゃんと誇ってあげてください。前衛じゃなきゃ意味がない、なんてことはないんです。舞台は、一人じゃ成り立たないんですから」


 公爵夫妻は、結局何も言わずに部屋を出て行った。扉が閉まる音を聞いてから、ソフィアは深く息を吐いた。


 その日からソフィアは毎日のように、異世界にもいたモンスターペアレントを撃退するようになった。



「おととい来やがれーっ!!」


 学園の正門前。ソフィアは去っていく馬車の背中に向かって盛大に叫んだ。

 今日三件目のモンスターペアレントを追い返したところだった。肩で息をしながら腰に手を当てていると、横からのんびりした声が降ってきた。


「今日も大活躍だなあ」


 振り返ると、長身の青年が石柱に背を預けて立っていた。整った顔に、覇気のない笑みを浮かべている。

 彼はエドウィン・アーシュバルト。公爵家の三男にして、貴族学園の理事長だ。だがそれは肩書きだけの理事長だ。理事長らしい仕事をしているところは見たことがない。


「活躍って言わないで」


 ソフィアはぴしゃりと言った。


「私だって、やりたくてやってるわけじゃないわ」

「でも毎回やってるじゃないか」


「そもそもね。これはあなたがやるべき仕事でしょ。公爵家の息子なんだから、せめて侯爵以下はビシッと言って追い返しなさいよ」


 エドウィンに人差し指を向けると、彼は軽く肩をすくめた。


「俺、三男だもん。実際の立場は弱いもんだよ」

「はーあ……」


 ソフィアは盛大にため息をついた。


「あなたみたいな、顔だけ良くて何もしない男がいかにダメかってこと……本当は教えてあげないといけないのよね。そんなことしたら、不適切指導って言われそうだけど」

「なんで俺まで指導対象になってるんだ」


 エドウィンが苦笑した。ソフィアは「うるさい」と言いながら正門から引き返す。秋の風が、木々の梢をさらさらと鳴らした。


 しばらく並んで歩いてから、エドウィンがふと言った。


「あとさあ」

「なに」

「たまに別世界の言葉を混ぜてるよね。さっきも言ってた。『モンスターペアレント』って。どういう意味?」


 ソフィアは少し考えてから、あっさり答えた。


「文字通りよ。モンスター……この世界で言う魔物のような親、ってこと」


 エドウィンの足が、一瞬止まった。


「……うわあ。それ、最上級の悪口だよ」


 エドウィンは真顔で言った。


「討伐対象に喩えてるってことだろ。それが知れ渡ったら国の存続も危ういんじゃないか」

「大げさね」

「大げさじゃないよ」


 エドウィンはしばらく何か考えるように押し黙った。それから、いつになく真剣な顔になって言った。


「分かった。うん、分かったよ」

「何が」

「好きなだけ、好きなように言ってもらっていい。ただ」


 ソフィアは眉を上げた。


「このままだと、その……年末の、ご申し出がとんでもないことになる」

「保護者アンケートってこと?」


 言ってから、ソフィアは自分の顔が微妙に引きつるのを感じた。

 前世の記憶が、じわりと蘇る。年度末に配られる保護者アンケート。『先生への要望』の欄に、毎年びっしりと書き込まれる文章の数々。真顔で渡してくる管理職。読むたびに胃が重くなった。


「ほご……?うん、多分そう。だから、親御さんに対しては聖女様のお声が聞こえないよう、認識阻害魔法をかける。ソフィアが言ったことは、俺が訳して伝えるよ」

「……訳して」

「貴族的に。それっぽく」


 ソフィアはじっとエドウィンを見た。顔だけ良くて何もしない男だと思っていた。今もそう思っている。


(でも……この人、たまに気が利くな)


「……わかった。よろしく頼むわ」

「任せて」


 エドウィンはにっと笑った。本当に、顔は良かった。



 それから数日後。

 昼休みの、学食に通じる廊下。生徒や教師が行き交う人通りの多い場所で、また声が上がっていた。


「演習中にうちの娘が指に擦り傷を負った!将来、他家へ嫁ぐ際の大事な体に傷をつけた責任を取れ!!」


 担当教師が青い顔で対応している。その後ろにソフィアとエドウィンが控えている。

 エドウィンは教師を下がらせると、穏やかに口を開いた。


「……失礼ながら、その擦り傷はすでに完治なさっているのでは?」

「傷が治ったかどうかは関係ない!」


 貴族の男が声を荒らげる。


「傷をつけられたということが問題なんだ!その事実は一生残り続けるんだぞ!! 担当教師は賠償として全財産を出せ!!」

「全財産!?」


 ソフィアの口から、思わず声が漏れた。


 認識阻害魔法は効いている。貴族にはソフィアの声は届いていない。しかし周囲の教師や生徒たちには普通に聞こえているので、数人がこっそりこちらを振り返った。


「かすり傷一つで全財産!?慰謝料の算定基準がバグりすぎでしょ!」


 ソフィアは腹の底から叫んだ。


「前世でもいたわ!『校庭で転んだのは石が落ちていたせいだ、管理不足で謝罪会見を開け』って怒鳴り込んできた親が!あのねえ、学校は無菌室じゃないの!怪我をして、痛みを覚えて、次はどう避けるか学ぶのが『教育』でしょ!そんなに傷つくのが嫌なら、四六時中結界にでも閉じ込めて、一生展示品として飾っておきなさいよ!!」


 ソフィアが言い切った瞬間、背後から、ぶわっと光が溢れた。


 ソフィアには、感情が高ぶりすぎると聖女のオーラが制御を失って漏れ出す癖があった。廊下が神聖な光に包まれる。


「おお……!」

「聖女様のありがたい光だ……!」


 近くを通りがかっていた生徒や教師たちが、反射的に立ち止まって拝み始めた。エドウィンはその様子に小さくため息をついてから、威厳のある声で貴族に向き直った。


「……聖女様は、かように仰せです」


 すっと居住まいを正して、よどみなく続ける。


「『試練なき成長は魂の軟弱さを招く。小傷を嘆くは武門の末裔としての矜持を捨てるに等しき恥辱。神は乗り越えられぬ壁は与えぬが、親が壁を全て壊しては子は歩む術を失う』と」


 貴族の男が絶句した。

 廊下に集まった生徒たちが、一斉にうなずいている。「深い……」「さすが聖女様……」という声がそこかしこから上がった。


 男は居た堪れなくなったのか、やがて踵を返して去っていった。



 また別の日。今度は学食の厨房だった。昼休み前の、一番忙しい時間に一番忙しい場所だとしても、モンスターペアレントには関係ないらしい。


「我が家の子息は高貴な『火の魔力』を宿している!水属性の野菜を食べさせるとは、魔力の減退を狙った暗殺未遂ではないか!料理長を処刑せよ!!」


 連絡を受けて駆けつけたソフィアは厨房の前で、一秒間だけ沈黙した。


「……暗殺未遂」


 復唱した。私の耳は確かなのか。


「野菜で、暗殺未遂」


 もう一度復唱した。


「バカ言わないで!!」


 厨房の両開きドアを勢いよく開けた。


「いったあ!」


 開いたドアの向こう側にいたエドウィンに衝突したが、今はそれどころじゃない。クマのような巨体の男を真っ直ぐに睨む。


「それただの好き嫌いでしょ!栄養バランスって言葉を辞書で引きなさいよ!故郷にもいましたよ、『給食にうちの子が食べられるものが一つもない、うちの子への虐待だ!』とか言ってくる親!知るか!食べたくないなら残せばいいけど、それを教育環境の不備にすり替えるのは筋違いなの!文句があるなら毎日金の重箱にフルコース詰めて持たせなさいよ!!」


 今日の後光は特に派手だった。聖女のベールは逆立ち、光が厨房の天井まで届いている。調理中だった料理人たちが手を止めて拝み始めた。


 エドウィンは一瞬天を仰いでから、粛々と通訳した。


「……聖女様は、『万物に宿る精霊の調和こそが真の魔力向上に繋がるのであり、特定の食餌を拒むのは自身の器の狭さを露呈するに等しい。個別の献立変更を望むのであれば、相応の寄付金を以て、学園の食の祭壇を建立するのが貴族の責務である』……と」


 男が怯んだ隙に、エドウィンはさらりと続けた。


「食の祭壇の建立費用につきましては、後ほど学園窓口にてご案内いたします」


 ソフィアは半歩下がって、エドウィンを真横から眺めた。


(……今、「寄付金出せ」って言ったわよね、こいつ)


「エドウィン」

「なんですか、聖女様」

「最後の一文、私は言ってないわよね」

「言ってましたよ。栄養バランスって、精霊の調和ってことだろ?」

「そういう意味じゃなくて」


 エドウィンは涼しい顔のまま男に向き直った。彼はすっかり怯んで、使用人に寄付金の手続きをさせようとしている。

 ソフィアは目を細めた。


(……こいつ、ちゃっかりしてる。顔だけじゃなかったわ)



 そしてまた別の日。今度は数学の教師が、太い黒縁メガネの男に廊下の隅に追い詰められていた。


「教師の質が悪いせいで、息子の成績が上がらんのだ!どういう教え方をしているんだ!」


 二、三年目くらいの若い担当教師が、震える声で答えた。


「し、しかし……宿題もやってこない、授業中は上の空となりますと……」

「黙れ!仮にそうだとしても、個別に補習しろ!質が粗悪なら量で補うのが筋だろう!」

「そんな……特別扱いなんて、前例が」

「息子は未来の宰相候補なのだから、凡人と一緒に扱うんじゃない!!」


 ソフィアの中で、何かがぷつりと切れた。


「教え方が悪い?ハア?」


 声は、思いのほか低く出た。もちろん認識阻害魔法で声は届いていないが、周囲の生徒と教師たちはソフィアの方を向いた。

 男もその気配にソフィアを強く睨んだ。


「寝言は寝てから言ってください!宿題もやってこない、授業中は上の空、それで成績が上がらないのを教師のせいにするなんて……ただの責任転嫁です!」


 腹の底から言葉が出てくる。前世から、上司やモンスターペアレントに対して飲み込み続けた言葉があふれ出てくる。


「こういう特定個人への過剰な要求が、現場を疲弊させ、組織を腐らせるんですよ!前世でもいました、『自分は特別だ』と思い込んでルールを壊し続ける特権意識の塊みたいな人が!そういう親に育てられた子は……」


 一瞬、言葉を止めた。隣で、若い担当教師がぎゅっと唇を噛んでいるのが見えた。


「ろくな大人になりませんよ!」


 言い切った。今日の後光は、廊下の石畳まで照らした。エドウィンが静かにため息をついた。


「……聖なる光の無駄使いだ」


 それから居住まいを正して、ソフィアの肩に手を置いた。


「聖女様は、『学問とは己の魂を研鑽する聖域であり、導き手の資質を問う前に、まずは受講者側の不誠実さを恥じるべきである。対価に見合わぬ不当な要求は、教育という名の神事への冒涜である』と、仰せです。要するに、『まずは息子に机に向かわせろ、話はそれからだ』と」


「な、なんだと貴様!!」


 男が拳を振り上げたが、エドウィンはひらりと躱した。動きが、妙に慣れていた。


「聖女様の仰ることですので」


 エドウィンは乱れた髪を直しながら続けた。彼は最近、「聖女の言ったこと」という免罪符を得たことで、本音をぶちまけていた。


「『全能なる神の前では、いかなる爵位も平等である。一人のために秩序を歪めることは、反逆行為に等しい。真の教育とは孤独な修練の中でこそ結実するものであり、親の過保護は子の芽を摘む邪悪な枷である』と。要するに、『エコヒイキとかダサいからやめろ。子供の足を引っ張ってるのはお前だ』ということでございます。それから、ご要望の教師の質を高めるためにも、寄付をですね」



 ソフィアが貴族学園に来て、半年が経った。モンスターペアレントの数は減少傾向にあるものの、新たに湧いて出てくるモンスターもいるため、撃退は気の遠くなる作業だった。


 その日の朝は、嫌な予感がした。


 根拠はない。ただ、教会の窓から正門の方角を眺めていたソフィアの背筋を、冷たい何かがすうっと撫でた気がした。


「ベル先輩、今日なんか来ますよね」

「来るわね」


 刺繍をしていたベルが、顔も上げずに頷いた。


 昼前。学園の正門前に、一台の馬車が停まった。黒塗りで、紋章が金で刻まれている。扉が開くと、がっしりした体格の中年男性と、胸元に宝石をいくつも下げた派手な女性が降り立った。


 ソフィアは彼らを一目見た瞬間に直感した。

(あ。今日のはレベルが違う。中ボス、あるいはラスボスか……?)


 夫妻は学園の玄関ホールに踏み込むなり、大声を上げ始めた。


「おい!我が息子を次期生徒会長に任命し、近衛騎士団・魔導部隊の最優先候補に推薦しろ!なんだ、あの成績表の『魔力操作:可』という評価は!?うちは辺境伯家だぞ!これは我が家への侮辱、いや王弟殿下への反逆と同義だ!今すぐ『優』に書き換えろ!さもなくば教師どもも全員、不敬罪で地下牢行きだ!!」

「おーほっほっほ!」


夫人の方が、扇で口元を隠しながら高らかに笑った。


「私が一言『あの学園の聖女と理事長は不適切な関係』、『教師どもは不特定多数で交際関係になっている』と社交界で囁けば……この学園は一晩で汚物にまみれたゴミ箱扱いになるでしょうね!それでもよろしくって!?」


 玄関ホールの端にある柱の影に、アイン、ソフィア、エドウィンが三人並んで息を潜めて覗いていた。


「よりによって私と理事長が不適切な関係なんて、どうしてそうなるのよ」

「最近噂になっているみたいだよ。まあ俺だし?聖女様が惚れるのも分かるけどさ」

「なに言ってんの。クレーマー対応で一緒にいるからでしょ」

 

 ソフィアはエドウィンの背中を軽く叩いた。


「で、成績がどうとか言ってるけど……あの授業で『可』の生徒って一人だけって、教会の相談室で聞いたけど」

「ええ。『例の騒動』の生徒です。……ところで、王弟殿下ってなんですか。あの人辺境伯ですよね?」


 アインが首を傾げた。


「ああ、夫人が、王弟殿下の義理の従姉妹なんだ」

「威張るにしては、遠いじゃない」


 ソフィアため息をついた。視線の先には、辺境伯夫妻が止まることなく騒ぎ続けている。


「……どうするんですか、これ」


 アインがポーション瓶を握りしめながら小声で言った。


「どうしよっかなあ」


 エドウィンがのんびりとした様子で答えると、ソフィアは彼を鋭い目で見た。


「どうするもこうするも、理事長の出番でしょ」

「そうですよ。たまにはビシッと言ってください」


 アインが珍しく便乗した。最近の彼はクレーマー対応が減ったからか、顔色が良く、堂々と話すようになった。


「えぇ……」

「理事長、その死んだ魚のような目はやめてください」


 ソフィアはぴしゃりと言った。


「あなたがそうやってヘラヘラ流すから、こういうモンスター……魔物が繁殖するんです!故郷の上司もそうでした。『丸く収めて』『穏便に』が口癖の、責任を現場に丸投げする無責任男!そのツケを払わされる現場の身にもなってください!」

「そうだそうだ!」


 アインが小声で乗っかった。普段おとなしいアインが珍しく声を上げている。エドウィンは二人に挟まれて、困ったように頭をかいた。


「……わかった、わかったよ。行く」



 エドウィンを先頭に、三人は玄関ホールへ出た。ソフィアとアインがやや後ろに控える形で並ぶ。今日も認識阻害魔法はエドウィンがかけてくれているはずだ。


 辺境伯がエドウィンを見て、眉を上げた。


「あぁ?誰だ貴様は」

「理事長のエドウィン・アーシュバルトだ。その……」

「文句があるなら王弟殿下に直接言ってみろ!」


 辺境伯が、頭ごなしに遮った。ソフィアは奥歯を噛んだ。

(王弟を盾に使う。前世で言えば『弁護士に連絡する』『知り合いに大物がいる』か)


「さあ、言ってやりなさい」


 小声でエドウィンの背中に向かって囁く。


「『そんな理不尽な要求、私の公爵家の名にかけて却下する!』って!ほら、早く!!」

 

 エドウィンは振り返ることなく、少し間を置いた。


「……貴族学園では、誰であっても成績の改ざんは出来かねます。推薦に関しても、他の生徒との公平性の観点から」

「公爵家ともあろう方が反逆罪とは!?」

「醜悪な聖女に誑かされているのよ!」


 辺境伯が声を張り上げ、夫人は扇子でソフィアを指して甲高く叫んだ。その瞬間、ソフィアの中で何かが、ぶつりと音を立てて切れた。


「ハァァァァァァァ!!?」


 認識阻害魔法は機能している。辺境伯夫妻にはソフィアの声は聞こえていない。だが、玄関ホールの端に立っていた教師数人と、廊下を通りがかった上級生たちは全員、聞こえていた。


「推薦!? 成績の書き換え!?」


 ソフィアは制御を手放した。


「あのねぇ、辺境伯だか何だか知らないけど……お前の息子の魔法、まともに標的にすら当たってないのよ!!的が外れて、用務員さんのカツラを燃やしたのに『可』がつくなんて、うちの教師がどれだけ慈悲深いか、1ミリでも考えたことある!?」


 玄関ホールが静まり返った。

 辺境伯令息の大騒動は三日前に起こった。生徒の間で密かに『ロスト・トップ事変』と呼ばれ、ソフィアの耳にも届いていた。


「それから夫人!噂流し?結構じゃない!あなたが先月の夜会で、隣国の美形騎士と物陰で何をしていたか……神託として王都中の空に投影してあげましょうか!?『特大スキャンダル:辺境伯夫人の密会現場』って空中にデカデカと文字で出して、3日3晩消えないようにしてあげるわ!噂の恐ろしさ、自分で味わってみなさいよ!!いるのよ、故郷にも!夫は怒鳴り、妻はネットでデマを流す、ハラスメントスピーカー夫婦が!!」


 その瞬間、学園の空に、光が走った。


 ソフィアの背後から溢れた聖なる光が天へと昇り、ホールの天井を突き抜けた。そして大空に燦然と文字が浮かんだ。『公開処刑予告』と。


「……ソフィア様。いろいろ飛び越えて、直接空に出ましたよ」


 アインが小声で言うと、ソフィアは咳払いをした。


「わかってるわ」

「……閣下、夫人」


 エドウィンはしばらく青空の文字を眺めてから、静かに辺境伯夫妻に向き直った。


「聖女様の慈悲深きお言葉をお伝え致します。真の武門とは、虚飾の地位ではなく実戦の果実を以て証明されるべきもの。未熟な者を高位に据えるは、国家の盾を腐食させる逆賊の所業。また、虚偽の噂を流布する者は、自らの不浄を天に晒される宿命にある。神は全てを見ておられる。夫人の……その、個人的な夜の嗜みまでも、含めて」


「な、なんだと!?」


 辺境伯は持っていた杖を床に叩きつけた。杖は一度バウンドすると、エドウィンの足元に滑り込んだ。


「分かりやすく言い換えさせていただきますと……ゴミみたいな実力の息子をゴリ押しして、国を滅ぼす気か。奥様が虚偽の噂を流すなら、こちらは奥様と隣国の騎士との不倫を神託として公表する。どっちが先に社会的に死ぬか、チキンレースしようぜ。理事長は大変素敵な方なのでこちらは無傷でごめんあそばせ……と、聖女様が仰せです」


「ちょっと……!適当なことを付け加えないでよ!素敵なのは顔だけよ!」

「良いだろ、俺が素敵じゃないとでも?」

「理事長までモンスターペアレントのこじつけ論法使わないでよ……」


 エドウィンは口元だけ笑みを浮かべると、転がってきた杖を辺境伯へ返した。呆けていた夫婦は我に返り、辺境伯が夫人に向き直った。


「お前!隣国の騎士とはどういうことだ!」

「な……っ、ふ、ふ、不倫だなんて!私はそんなことをしておりませんわ!!」


 辺境伯夫人の顔は扇の下で震えていた。


「……っ、何よ!」


 夫人が扇を閉じて夫に向かって突きつけた。


「夜な夜な酒屋で町の娘を引っかけているあなたが言えたことじゃないでしょう!!」

「ど、どうしてそれを!」

「三ヶ月前の出張も嘘でしょう!?港町で見かけたという話が回ってきているのよ!!」

「お前こそ先週の茶会、時間が長すぎると思っていたんだ!!」

「茶会は長いものよ!」


 ソフィアは目を瞬いた。

(……あれ。これ、完全に夫婦喧嘩になってる)


「ソフィア様」


 アインが小声で隣に寄ってきた。


「不倫って、どういうことですか」

「……ハッタリよ。先月の夜会には私も参加していたんだけど、なーんかピンときたっていうか。そういうカンは冴えてるんだよね、昔から。生徒の三角関係とか、すぐに気づいちゃうの」


 ソフィアは前世のことを思い出した。授業中、こっそり手を振り合ったり、目を合わせてニコニコしている生徒たちの空気は純粋なものだった。

 あの空気が淀んだような気配が、夫人と隣国の騎士の間にあったような気がしていた。


「は?え、ハッタリ……!?」

「そうよ。カマをかけた、とも言うわね。しっかし夫人も、よりによって隣国の騎士ねえ……事と次第によっては、国際問題よ?国際問題!」


 アインが引いた目でソフィアを見た。それからおもむろにポーション瓶をしまい、胸ポケットから手帳とペンを取り出した。


「港町の件……酒屋で娘を……先週の茶会が長い……」


 小声で呟きながら、さらさらとメモしている。


「アイン先生、なにしてるの」

「弱点ゲットです。またあの夫婦が来た時は、このメモを見て、気を強く持とうと思います」

「……そう」


 二人がこそこそしている間も、辺境伯夫妻の口論はエスカレートし続けていた。互いの秘密が次々と暴露され、玄関ホールは完全に夫婦間の裁判所と化している。


 エドウィンはそれらを完全に無視していた。夫妻の喧嘩など初めから聞こえていないかのような顔で、静かに一息ついてから、背筋を伸ばした。


「そのような訳で」


 夫妻はまだ怒鳴り合っている。「そのような訳で!!」と、もう一度少し大きく言うと、彼らはようやくこちらを見る。


「聖女様の加護を大いに受けている私、ひいてはアーシュバルト公爵家としても……ご夫婦のご申し出は、誠に残念ではございますが、引き受けかねるという結論となります」


 辺境伯の顔に、こちらへの怒りが戻ってきた。


「これは王弟殿下への侮辱行為だ!!明日からこの学園への物資搬入路を、我が領地の私兵で封鎖するぞ!!」

「封鎖?」


 ソフィアが一歩前へ出た。声は静かだったが、足は一ミリも退いていなかった。


「やればいいじゃない」


 辺境伯が初めてソフィアを真正面から見た。


「こっちも聖女の特権で、あなたの領地をまるごと『不浄の地』に指定してやるわ。王弟殿下?ああ、あのお腹の出たおじさんね。いいですよ、今すぐ呼び出しなさい。私は聖女よ。一族郎党、聖女の加護の対象外にするわ」


 その瞬間、光が満ちた。ソフィアの背後から溢れる光が今度は形を成し、玄関ホールの天井まで届く女神の幻影がそこに立った。荘厳で、静謐で、見る者の足をすくませるような光だった。


 辺境伯夫妻が、息を飲む。


「えー」


 エドウィンが涼しい顔で通訳した。


「物流の封鎖は国家の血脈を断つ反逆行為であり、相応の報いとして、閣下の一族は永遠に聖なる加護を失うことになる……とのことです。誠に遺憾ですね」

「それ、異世界でもあるんだ……」


 どの世界にも、モンスターペアレント同様、責任の回避からかはっきりしたことを言わない高位の人間はいるらしい。


「ですが。聖女様のお言葉とあっては致し方ないのかもしれません。……ああ。学園に寄付をしていただけましたら、少しは考えて差し上げると仰っています」

「ちょっと!そんなこと言ってないわ!」

「そうだそうだ!教師の数も増やすべし……と、仰せです」


 アインが手帳をしまいながら乗っかった。


「アイン先生まで!?……まあ、教師の数は増やしたいのは本当だけど」


 言ってから、辺境伯夫妻に向き直った。


「こんなモンスターペアレントが闊歩してたら、誰も教師になりたがらない。離職率は高止まり、現場は疲弊するばかり。あなたたちみたいな人間が、この学園を、じわじわと壊しているんです」


 静寂が落ちた。女神の幻影がゆっくりと光の粒に溶けていく。

 辺境伯夫妻はもはや何も言えなかった。それぞれの秘密を暴露し合い、聖女の神託を突きつけられ、気力も体力も尽きたような顔をしていた。


 エドウィンが穏やかに、しかし一ミリも退かない声で言った。


「そういうことですので、今日はお引き取りください」


 夫妻は、最後まで喧嘩しながら馬車へと戻っていった。



「『貴族学園ご意見受付室』を新設する」


 辺境伯夫妻の襲来から一週間。ソフィアは理事長室に呼び出されていた。エドウィンは執務机の前に座り、ソフィアはその向かいの椅子に腰を下ろしていた。


 窓から午後の光が差し込んでいる。外では生徒たちが昼休みを過ごしているらしく、遠く笑い声が聞こえた。


「その室長に、君を任命しようと思う」

「私を?」

「そうだ」


 ソフィアはしばらくエドウィンを見た。冗談を言っている顔ではなかった。


「学園にいらっしゃる意見のある方には、全員そこに来てもらう。聖女が室長ともなれば、いくら高位貴族といえど大きな顔はできない。それでも圧を掛けてきたら……」

「撃退すればいい、と」

「いつものようにやってくれていい」


 ソフィアは腕を組んだ。


「私が言うのもあれだけど……それで良いんですか。理事長の謝罪行脚が大変なことになるんじゃないの」


 エドウィンは少し笑った。


「君がビシバシと言わなければ、そんな事態にもならないんだけどね。その点で言えば、君は俺がいないとダメだ」

「そっ……!」


 ソフィアは一瞬、言葉に詰まった。


「それは……まあ、その点だけならね」

「俺にとっても、君が必要なんだ」

「……えっ!?」


 ソフィアの声が、思いがけず裏返った。エドウィンは動じた様子もなく続けた。


「保護者対応は本来、教師の仕事ではない。長時間に渡る呼び出しで業務が逼迫し、教師がポーション漬けになる。最悪の場合、退職。人員が減れば、さらに業務が逼迫する。終わりのない悪循環だ」

「……そうね。私がいつも言っていることだけど」


 ソフィアは、職員室のゴミ箱に山積みになった空き瓶を思い出した。


「身分の差のせいで、平民の教師はまともに追い払うこともできない。貴族の親に何を言われても、頭を下げるしかない」

「俺も、貴族とはいえ貴族内での関係がある。強く出られない相手もいる」


 エドウィンは静かに言った。


「だからこそ……貴族でも平民でもなく、教師の仕事もよく知っている君こそが、ここの室長に適任なんだ」


 ソフィアは少しの間、黙っていた。なりたかった『先生』って何だろう、と前世で思うことが何度もあった。


「……なら、理事長はどうするんですか」


 ソフィアは口を開いた。


「いつも、理事長が私の言ったことを翻訳……というか超訳しているから成立してきたこと。あなたがいなければ、私の言葉は暴言として外に出るだけよ」


 エドウィンは答えの代わりに、立ち上がって扉の方を向いた。


「アイン先生、入ってください」


 扉が開いた。アインが、両手で何かを抱えて入ってきた。木製の箱に水晶が嵌め込まれた、見慣れない形の魔道具だった。


「……俺とアイン先生で開発した、新しい魔道具だ」


 エドウィンが言った。アインが緊張した顔で頷く。


「ソフィアの言った言葉が、柔らかい言葉として相手に聞こえるようになるものだ。俺がいなくても、これが通訳してくれる」


 ソフィアは魔道具を眺めた。


「……試してみていいですか」

「どうぞ」


 アインが水晶のスイッチを押した。ぽっと淡い光が灯る。ソフィアは一つ息を吸って、思いっきり言った。


「教師に、学問を教える以外の仕事を押し付けてくるんじゃねえよ、このモンスターペアレントが!!」


 魔道具が、柔らかな女声で答えた。


『お子様の成長を第一に考えますと、教師は授業準備や学習指導といった専門領域に全力を注ぐべきだと考えておりますため、それ以外の個別のご要望にすべてお応えするのは、現状の体制では物理的にも致しかねます。ご理解いただけますと幸いです……トセイジョサマガオオセデス』


 ソフィアは三秒ほど沈黙した。


「……なかなかやるじゃない」


 スイッチを切ると、エドウィンを見た。


「わかった。やってみる」



 その十分後だった。


「し、失礼します!!」


 バン、と理事長室の扉が開くと同時に、若い女性教師が飛び込んできた。


「ご、ご意見があるとコレンデル伯爵夫妻がお見えです!!」

「何があったんだ?」


 エドウィンが立ち上がった。


「実は昨日、伯爵令息が授業中に魔法で女子生徒のスカートをめくろうとしたため、注意したのですが……キャッ」


 女性教師の声は、悲鳴に変わった。


 扉を押しのけるようにして、小太りの夫婦が理事長室に乱入してきた。夫は赤ら顔で息を荒くし、妻は口元に薄い笑みを浮かべていた。どちらも、入室の許可を求めるという概念を持ち合わせていないらしい。


 伯爵は女性教師に向かって人差し指を突きつけた。


「この平民教師!我が家の宝である息子を叱るなど、不敬にも程がある!息子は『先生の顔が怖くて夜も眠れない、精神的暴力を受けた』と言っているんだぞ!!」

「あなたのような醜い女に教育されること自体が屈辱だわ」


 伯爵夫人が冷ややかに言った。


「暴言を吐いたこと、今すぐ跪いて謝り、教師を辞めてこの国から出ていきなさい!」


 女教師が青白い顔で壁際に後退する。震えているのが、遠目にもわかった。

(ああ。この顔を、知っている前世で、鏡の中に見た顔だ)


「暴力?暴言?」


 気づいたら、声が出ていた。


「どの口が言ってるんですか!!あなたの息子さんが不適切なことをしたくせに、それを注意されたら『怖い』?いるんですよねえ、自分の子が万引きして捕まったのに、『捕まえ方が乱暴でうちの子が傷ついた!警察を訴える!』って騒ぐ、脳内がお花畑以下の親」


 夫妻が目を剥いた。


「『醜い女に教育されるのが屈辱』ですって?鏡見て喋りな!?その内面のドス黒さが顔に染み出して、シワの間に悪意が詰まってるあなたたちに、子供を導こうとしている教師を笑う資格なんて、1ミクロンもないわよ!」


 前世でクレームをつけていた数多の保護者の幻影が見えたような気がして、口が止まらなかった。


「だいたい、そんなにこの教師が嫌なら、どうぞ自分たちで教えれば?あ、無理よね。自分たちが常識も品性も持ち合わせてないんだから。バカな親に育てられた子は、バカのサラブレッドとして順調に仕上がってますよ。おめでとうございます!!」


 言い切った。肩が上下する。理事長室が、しんと静まり返った。


「……まずい」


 アインが小声で言うと、エドウィンもソフィアの肩をそっと叩いた。


「ソフィア。まだスイッチが押せていない」

「…………え?」


 手元を見る。魔道具のスイッチは、確かに、まだオフのままだった。アインがスイッチに手を伸ばす。遅い。

 顔を上げると、伯爵の顔は茹でたトマトのように真っ赤になっていた。


「き、貴様ァ!!この侮辱は許さんぞ!!伯爵家の名にかけて、お前を国外追放にしてやる!!」

「なんて醜いのかしら。理事長も趣味が悪いのねえ、こんな顔の醜い女を近くに置くなんて。どこの馬の骨かしら」


 ソフィアは夫妻の怒号を正面から受けたが、一歩も退かなかった。


「私は……ソフィア・ブルーム。異世界から来た聖女よ……ていうか私ブスじゃないんだけど!」


 エドウィンが静かに前へ出た。


「ご子息が何をしたかは、この部屋の全員が知っている。そして被害者は別にいる。それを棚に上げて被害者面をするのは、貴族の誇りに関わる恥ずべき行為ですよ」


 伯爵夫妻が、震えながら互いの顔を見た。押しつぶされるような沈黙が落ちた。


「子どもが間違ったことをしたら、きちんと反省させて、同じ過ちを犯さないよう教え導くのが我々大人のすべきことではありませんか。それは貴族も平民も関係ありません」


 ソフィアはそう声を掛けると、やがて伯爵が絞り出すように言った。


「……今日のところは、引き取る」


 二人は足音を乱して理事長室を出ていった。廊下に足音が遠ざかっていく。完全に聞こえなくなってから、ソフィアはゆっくりと息を吐いた。


 目が焼かれんばかりの後光が、じわりと消えていく。

 理事長室には、静けさが戻った。ソフィアは、自分の手元を見た。魔道具のスイッチはオフのままだった。


「まさか、スイッチが入っていなかったなんて」


 天井を仰ぐ。


「前世で、職員室の放送マイクがついたまま会話がダダ漏れになったことはあったけど……まさか異世界でも似たような失敗をするとは思わなかったわ」


 がくり、と項垂れた。アインは気まずそうに魔道具の電源をオフにしており、女性教師はまだ目元を拭っていた。


「やれやれ」


 エドウィンが、口の端に薄ら笑いを浮かべながら言った。


「やっぱり、君は俺がいないとダメか」


 ソフィアはゆっくりと顔を上げて、エドウィンを見た。


「…………次は、ちゃんとやるから」


 言い訳も、反論もしなかった。それだけが、今できる精一杯の返答だった。


「……でも、今日みたいに、スイッチを押せない場面も出てくると思う。その時は、あなたが出てきてくれる?」

「もちろん」

「……ありがとう」


 エドウィンは少し驚いたように目を開けた。


「どうした、急に」

「私が感謝を言ったら変かしら?あなたのおかげで、私はここまでやってこられた。それは、本当のことだから」


 エドウィンはしばらく黙っていたが、「俺こそ」と返した。


「君がいなければ、この学園はもうとっくに終わっていたと思う」


 アインが二人の横で、新しいポーションを開けながら静かに頷いていた。


「……だが、少し寂しくなるな」

「寂しく?」

「君が『今日も魔物を討伐するわよ、理事長!』と、あの恐ろしい顔で俺を焚きつけてくれる機会が少なくなるだろ」


 エドウィンは、正面からソフィアを真っ直ぐに射抜いた。その瞳には、かつての事なかれ主義の退屈そうな気配は微塵も残っていない。


「……少し休みを取った方がいいわ。脳が疲れているんじゃない」


 エドウィンは肩をすくめた。


「失礼だな。……まぁ、冗談はさておき。君はよく『仕事だから』って言うけれどさ、俺はもう、君をただの『便利な聖女様』として使い倒すのは飽きちゃったんだよね」


 エドウィンがひょい、と軽い動作で机を叩き、ソフィアの顔を覗き込む。


「ソフィア。次は学園の予算会議じゃなくて、俺の将来設計のケツを叩いてくれない? もちろん、一生かけて」


 ソフィアは一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに鼻で笑って見せた。


「……それ、公爵領を巻き込んだ特大の残業よね? 随分と人使いが荒いじゃない」

「いいじゃないか、俺らなら最強のホワイト領地を作れる。……どう、乗る?」


 ソフィアは少しだけため息をつき、頷いた。


「それは、これからの行いで決めるわ。どうかこのまま、重い腰を下げないことを祈ってるわ」

「望むところだよ。聖女様」


 アインは魔道具の調整しながら、ソフィアたちを見守っていた。窓の外では、新しい不燃性のカツラを被った用務員が誇らしげに花壇の世話をしている。


 前世で、なりたかった先生って何だろう、と思っていた。あの頃の智咲には、答えが出なかった。

 保護者対応に追われ、授業の準備をする時間もなくなって、教壇に立つたびに「これが自分のやりたかったことだったか」と自問し続けた。そして答えは出ないまま、黒板の前で倒れた。


 答えはここで、少し見えてきた気がする。


 ただ教えるだけじゃない。守ることだったんだ、と。子供が学べる場所を。教師が働ける場所を。理不尽が罷り通らない場所を。声を上げることを、誰かが諦めなくていい場所を。


 モンスターペアレントは、明日もやって来るだろう。私はこの場所で、学園を守ろう。

 ソフィアはそう決意した。





ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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改めて、ここまでお付き合いくださりありがとうございました!

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