朝の光と家族の温もり
朝の光が、やわらかく差し込んでいた。
冬の名残をわずかに残す風が、木の壁をすり抜けるたび、藁の香りがふわりと舞う。
その中で、小さな手がゆっくりと動いた。
赤子――レオンは、一歳になっていた。
まだ言葉は出ないが、感情の色は豊かだった。
母の声を聞けば笑い、父の手の音を聞けば首をかしげる。
見慣れた天井の木目を、じっと眺めるのが好きだった。
天井の節の形が、まるで鳥のように見える。
羽を広げ、空を飛んでいる――そんな想像をして、レオンは口の端を上げた。
その微笑みを見つけた母が、布をたたみながら言った。
「また鳥さんを見ているのね。ほんと、あなたは空が好きね」
母の声はあたたかく、日向のようだった。
レオンは意味こそ分からないが、音の調子が好きで、小さく笑った。
***
外から父の声がした。
畑で鍬を打つ乾いた音。
牛の鳴き声と、遠くで村の犬が吠える声が重なる。
「いい天気だな! 今年は麦もよく育つ!」
その声を聞くと、母は微笑んだ。
その笑みには安堵と、日々を生きる人の強さが宿っている。
レオンは母の腕の中で小さく手を伸ばした。
母の髪の先が頬に触れる。
その感触を確かめるように、彼は指先で掴もうとする。
世界はまだ小さい。
けれど、確かにそこに“ぬくもり”があった。
***
昼過ぎ、母が洗濯に出るとき、レオンは藁の上に座らされていた。
家の中には、木製の壺や布の袋が並び、窓から差す光がほこりを照らしていた。
レオンは指を伸ばし、その光を掴もうとする。
――届かない。
けれど、確かにそこに“何か”がある気がする。
光の粒を見つめているうちに、不意に胸の奥がざわめいた。
耳の奥で、低い機械音が鳴る。
金属の響き。
ガラス越しの光。
そして――声。
『黒瀬さん、次の資料確認しました?』
誰だろう。
その声は懐かしく、けれど知らない人のようだった。
頭が痛くなり、光が弾ける。
意識が再び、幼い世界へ引き戻された。
母の足音。
布が風を切る音。
安心する匂い。
全てが現実の重さを取り戻す。
***
夕方、父が戻るころ、レオンはもう一度笑った。
父の服は泥で汚れ、手には木のスプーンが握られていた。
「お前にも少しやるか、レオン」
木の匙の先に、すりつぶした麦粥が乗っていた。
母が苦笑する。
「まだ早いわよ。でも……少しなら」
匙が唇に触れる。
ほんのり甘く、土の匂いがした。
初めて口にする味だった。
レオンは驚いたように瞬きをして、それから――笑った。
父も母も笑い、家の中にあたたかな空気が広がる。
***
夜。
母の腕の中で眠るレオンは、夢を見ていた。
光る窓がずらりと並んだ街。
空を切るように走る車。
風の中で、誰かが叫ぶ。
『危ない――!』
強い衝撃。
白い光。
痛みはなく、ただ光だけがすべてを包む。
そして、沈黙。
目を覚ますと、そこは再びこの家の中。
母の胸の鼓動が近くで響く。
レオンは息を整え、腕を動かした。
母の指を握る。
その温かさが、夢の残り火を静かに溶かしていった。
***
朝になれば、また父が畑へ出て、母がパンを焼く。
村の一日はゆっくりと、穏やかに続いていく。
けれど、レオンの中では、ひそやかに何かが動いていた。
――光の記憶。
それはまだ、意味を持たない。
けれど確かに、彼の魂の奥で眠り続けている。
彼が再び“空”を見る日まで。




