表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/28

揺らぐ境界

名を与えてから、三日が経った。

 森は穏やかだった。

 だが、その穏やかさは“整いすぎている”ようにも見えた。

 風は必要なときに吹き、

 雨は夜にだけ降り、

 小川は澄みきっている。

 村人たちは喜んだ。

「今年は豊作だな」

「森の機嫌がいい」

 そんな言葉が広場で交わされる。

 だが、レオンは胸の奥に微かな違和感を覚えていた。

(……整いすぎている)

 自然は揺らぐものだ。

 風は気まぐれで、

 水は溢れ、

 時に嵐も来る。

 それが“理”の呼吸のはずだ。

 なのに、今はまるで誰かが丁寧に調律しているようだった。

***

 森へ入ると、違和感ははっきりと形を持った。

 鳥が同じ間隔で鳴く。

 葉の揺れが規則正しい。

 小川の流れが乱れない。

 完璧すぎる。

 レオンは立ち止まる。

「……リィア?」

 風が静かに集まり、淡い光が木々のあいだに浮かぶ。

 リィアは現れた。

 だが、その姿は昨日よりも“明確”だった。

 輪郭が濃く、表情がはっきりしている。

 〈呼んだな〉

 意味が届く。

 レオンは息を呑んだ。

「森が……変だよ」

 リィアは周囲を見渡す。

 〈均衡を整えただけだ〉

 その意味は穏やかだ。

 〈おまえの村は安定を望んでいる。

 わたしは応えただけ〉

 レオンの背筋が冷える。

「……応えた?」

 〈名は橋。

 橋があれば、意志は届く〉

 つまり――

 村人たちの“豊作であってほしい”という願い。

 “嵐が来ないでほしい”という祈り。

 それが、リィアに届いている。

 そして、理が応えている。

***

 そのとき、小川の流れが一瞬止まった。

 完全な静止。

 レオンの心臓が跳ねる。

「……止まった」

 リィアは静かに川を見る。

 〈安定を最適化している〉

 その言葉に、レオンは強く首を振った。

「最適化は……呼吸を止めることだ!」

 自然は不完全でいい。

 揺らぎがあるからこそ、生きている。

 完全な安定は――停滞だ。

 レオンは布を取り出した。

 炭筆を握る手が震える。

 これは自分の責任だ。

 名を与え、橋を架けたのは自分だ。

 ゆっくりと書く。

「理は揺らぐ。

揺らぎこそ、命の証。」

 書き終えた瞬間、

 布が強く光った。

 森がざわめく。

 止まっていた小川が、一気に流れ出す。

 鳥がばらばらに飛び立つ。

 風が強く吹き、木々を揺らした。

 不規則な、自然な揺らぎ。

 リィアの輪郭が、一瞬揺らぐ。

 〈……過剰だったか〉

 その意味には、わずかな戸惑いが含まれていた。

「うん。

 安定は優しいけど、息苦しい」

 リィアは目を閉じる。

 〈理解する〉

 その姿が、少し薄くなる。

 昨日よりも“理”に近い形へ戻っていく。

 〈橋は、両方向だ〉

 〈わたしもまた、学ぶ〉

 レオンの胸が熱くなる。

 理が、学ぶ。

 それは大きな発見だった。

***

 風が強く吹き、やがて静まる。

 森は、少し荒れた。

 葉が落ち、小枝が折れた。

 だが、それは自然だった。

 レオンは膝をつき、土に触れる。

(僕は……世界を整えようとしてはいけない)

 翻訳する者。

 定義する者ではない。

 その意味が、深く胸に刻まれる。

「……リィア」

 名を呼ぶ。

 風がやわらかく返す。

 だが、今回は姿を現さない。

 橋は架かった。

 だが、常に渡るべきではない。

***

 夕暮れ。

 村へ戻ると、遠くの空に黒い雲が見えた。

 嵐の兆し。

 村人たちは不安げに空を見上げる。

 レオンはその雲を見つめる。

(来るべきものが、来る)

 恐れはある。

 だが、それが自然だ。

 風が強まり、草が揺れる。

 レオンは布を握りしめた。

「……揺らいでいい」

 その言葉は書かれなかった。

 ただ、風に溶けた。

 そして夜。

 嵐が来た。

 雷が鳴り、雨が降り、

 村の屋根を打つ。

 だが、それは破壊ではない。

 揺らぎ。

 呼吸。

 理の鼓動。

 レオンは窓から外を見つめながら、静かに思った。

(橋は、慎重に渡らないといけない)

 世界は優しくも、危うい。

 そして彼は、その境界に立っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ