祈りの日
季節は秋へと移り変わっていた。
朝露の冷たさが増し、畑の端では金色の麦が頭を垂れている。
村の中心には、木造の小さな祠があった。
今日は収穫を祝う「感謝の祭り」の日。
人々は手に果実や花を持ち寄り、神へ祈りを捧げる。
レオンも両親とともに、祠の前に立っていた。
風が静かに吹き抜け、乾いた葉が舞う。
神官メルグの声が響いた。
「我らは願う。
大地を潤す水に感謝を。
火に糧を。
風に息を。
そして、言葉に命を」
最後の一節を聞いた瞬間、レオンの心が震えた。
――“言葉に命を”。
それはまるで、自分に向けられた言葉のようだった。
***
神官が祈りを続ける間、レオンは目を閉じた。
周囲の声が遠ざかり、風と土と音だけが残る。
耳を澄ませば、祠の奥からかすかな“鼓動”が聞こえる気がした。
それは、人の心臓の音に似ていた。
だが、もっと深く、静かで、古い。
――神の声。
そう直感した。
それは言葉ではない。
意味を超えた、存在そのものの響きだった。
(……聞こえる)
その瞬間、レオンの胸の奥に“問い”が浮かんだ。
神さまは、どうして世界を作ったの?
答えはすぐに返ってこなかった。
けれど、風が頬を撫で、水の流れが音を変えた。
まるで、世界そのものが彼に答えようとしているようだった。
――わたしは、言葉になりたかった。
心の奥に、そんな“意味”が流れ込んだ。
レオンは目を見開いた。
(……神は、言葉そのもの?)
それは衝撃だった。
人が神に祈るのではない。
神はすでに、世界のすべての言葉として存在している。
祈りとは、神を呼ぶことではなく、神の言葉を思い出すことなのだ。
***
儀式が終わり、人々が帰り始めた。
レオンはひとり祠の前に残った。
手の中の木の葉が、風に震えている。
その葉を見つめながら、彼はそっと呟いた。
「あなたは、風の言葉を持っているの?」
答えはない。
だが、葉が小さく揺れ、光が差した。
その輝きの中で、レオンは確信した。
“存在”にはすべて、“言葉”が宿っている。
風も、火も、水も、人も。
それぞれが神の一部。
祈りとは、神と心を交わす“会話”なのだ。
***
夕暮れ。
村の丘の上で、レオンは両手を広げて立っていた。
空は朱に染まり、雲がゆっくりと流れていく。
その姿がまるで“神の呼吸”のように見えた。
「……ありがとう」
レオンの声は風に溶け、空へと流れる。
その瞬間、雲の隙間から一筋の光が差した。
それはまるで、彼の祈りに応えるようだった。
(やっぱり、言葉は届くんだ)
胸が熱くなった。
言葉を発するたび、世界がわずかに変わる。
祈りは願いではない。
**世界への返歌**だ。
神に“お願い”するのではなく、
神に“ありがとう”を伝えること。
それが、世界と共に生きるということ。
彼の中で、“魔法”と“信仰”がひとつに重なった。
***
夜。
家の外で、レオンは月を見上げた。
月の光は白く、静かに彼の瞳を照らす。
その光に手を伸ばし、そっと言った。
「……ルーメン。あなたの名を、もう一度呼ぶよ」
光がわずかに揺れた。
声に出したわけでもない。
けれど、月が微かに明るさを増した。
それは確かに、“答え”だった。
レオンは微笑み、静かに目を閉じた。
――言葉は、祈りの形。
――祈りは、世界を呼び覚ます心。
この夜、少年の中にひとつの信念が生まれた。
「神の言葉とは、世界が自分を語る音である。」
その理解が、やがて“言葉の理”を支配する者へと彼を導いていく。




