村の学び舎
鐘が三度鳴った。
その音に呼ばれるように、村の子どもたちが広場の小屋へ集まっていく。
今日は、年に一度の“学びの日”。
神殿から神官が訪れ、文字と祈り、そして魔法の基礎を教えてくれる日だ。
レオンもその列の中にいた。
膝の上には父が削ってくれた木の板。
表面は滑らかに磨かれ、書きづらいが、それが誇らしかった。
***
小屋の中には、白衣をまとった神官が立っていた。
年の頃は四十前後。
銀の髪を後ろで束ね、胸には青い石のペンダント。
その目には静かな熱が宿っている。
「今日も新しい子たちがいるようだね」
穏やかな声で神官が微笑む。
「わたしの名はメルグ。神殿の書き手だ。
みんなに、神の言葉と、この世界の“形”を教えに来た」
レオンは無意識に背筋を伸ばした。
“神の言葉”――その響きに、心のどこかがざわめく。
まるで、自分がずっと探していた何かを呼ばれたようだった。
***
授業が始まる。
神官は黒い炭を使い、壁の板に不思議な文字を書いた。
くるりと曲がり、鋭く立つ線――それはどこか呪文のようでもあり、
同時に、言葉の「形」そのものでもあった。
「これは、“光”を意味する神聖文字だ」
メルグはそう言い、ゆっくりと詠唱を始める。
「光よ、我が呼びかけに応えよ――ルーメン・フェアラ」
その声は澄んでいて、空気がわずかに震えた。
次の瞬間、文字の描かれた板が淡く光り、室内が明るくなる。
子どもたちが歓声を上げる。
レオンも目を見開いていた。
だが、驚きよりも、疑問の方が先に来た。
(……言葉を呼んでる。けど、“意味”は外にある)
神官の詠唱は、あくまで決められた文。
音をなぞるだけで、光が生まれる。
それは確かに便利で、美しい。
けれど、そこに“対話”はなかった。
(僕が見た光の鳥や、水の精霊は……話してた。
この人の魔法は、命令だ)
レオンの胸に、小さな違和感が生まれた。
***
授業が終わるころ、神官が子どもたちに言った。
「魔法は“正しい言葉”で世界に命じるものだ。
その言葉は、神の定めた形に従わねばならない」
レオンは手を挙げた。
「……じゃあ、神さまは、どうしてその言葉を作ったの?」
神官が少しだけ驚いた顔をした。
「なぜ、かね?」
「うん。神さまが“光”って言ったから光が生まれたなら、
ぼくたちが違う名前で呼んだら、別の光になるのかな」
子どもたちがくすくす笑う。
だが、神官は笑わなかった。
彼はしばらく沈黙したのち、ゆっくりと答えた。
「……言葉には、限りがある。
神々は最初に“形の種”を与え、人はその形を模倣しているだけだ。
だが――もし本当に“意味”を見抜ける者がいるなら、
言葉そのものを作り直すこともできるだろう」
その言葉が、レオンの胸に深く刻まれた。
言葉を作り直す――それは、世界を書き換えることだ。
***
授業が終わり、子どもたちが外へ走り出る。
レオンはひとり残り、壁に残る“光”の文字を見つめた。
もう光は消えている。
だが、線のひとつひとつが生きているように見えた。
(“ルーメン”って言葉は、“光”じゃない。
光は、言葉のあとに生まれてる)
言葉が“定義”を与える。
その定義が、存在を形にする。
――魔法は、世界を説明する行為なのだ。
彼は静かに呟いた。
「光とは、闇をやさしく包むもの」
すると、一瞬だけ、板の上に描かれた文字が淡く光った。
神官の詠唱なしに。
レオンの“定義”に反応するように。
彼の心臓がどくん、と跳ねた。
(……やっぱり。世界は、聞いてる)
***
外に出ると、夕陽が村を赤く染めていた。
風の中に、焼き麦の香ばしい匂いが漂う。
レオンは小さく息を吐いた。
教えられる言葉と、自分が感じ取る言葉。
それらは似ているようでいて、まったく違う。
――教わる言葉は、命じるための音。
――自分の言葉は、世界と生きるための意味。
その違いを理解したとき、
彼の中で“学ぶ”という概念が変わった。
誰かの言葉を覚えるだけではなく、
“世界の声”を自分の言葉で語ること。
それこそが、真の魔法であり、真の学び。
レオンは夕陽に向かって小さく呟いた。
「……ありがとう、ルーメン」
空の向こうで、光がほんの一瞬だけ強く瞬いた。
それはまるで、言葉が届いた証のように見えた。




