森の小川の小さな秘密
春の風が森を撫でていた。
村の裏手を抜けると、小さな小川が流れている。
雪解け水が石を撫で、きらきらと陽の光を返していた。
レオンはその岸に腰を下ろし、膝を抱えた。
風が草を揺らし、水音がゆるやかに重なる。
彼は、いつもこの場所が好きだった。
ここに座っていると、世界が静かに呼吸しているのを感じられた。
「水って、どうして流れるんだろう」
独り言のように呟く。
答える者はいない。
けれど、耳を澄ませば、たしかに音が返ってくる。
――さらさら。
水の音はただの音ではない。
節があり、抑揚があり、まるで言葉のようだった。
レオンは目を閉じ、心の中で言葉を組み立てる。
水とは、形を持たず、しかし道を選ぶもの。
その定義を思い浮かべた瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
風が止み、水面が一瞬だけ静まる。
そして、そこに光が浮かんだ。
***
小さな光の粒が、水の上に漂っている。
青く、透きとおり、まるで呼吸をしているかのように膨らんだり縮んだりしていた。
(……見える)
それは、世界の“気配”だった。
水が持つ命の理が、彼の意識に反応して形になったのだ。
目に見えないはずの魔力が、“意味を得た”瞬間に姿を持つ。
定義することで、存在が現れる。
彼は両手を伸ばし、そっと光を包み込むようにした。
指の間から、ひんやりとした感触が伝わる。
光は逃げず、まるで彼の手の中で安らいでいるようだった。
「……こんにちは」
小さな声で呟くと、光がわずかに揺れた。
その動きが、まるで“挨拶を返した”ように見えた。
***
レオンは思った。
言葉は人と人を繋ぐだけじゃない。
きっと、世界とも話せるのだ。
火には火の言葉があり、
水には水の言葉があり、
風には風の数がある。
それぞれの理を理解し、その“意味”を定義できれば――
世界は応えてくれる。
(だから、魔法って……)
それは呪文ではなく、祈りに似ていた。
正しく定義された“言葉”が、世界の中の理を震わせる。
それが魔法。
それが、この世界の“文法”。
***
水面に手をかざすと、光の粒が彼の動きに合わせて流れた。
まるで子どものようにじゃれつく。
レオンは笑い、そっと口にした。
「ありがとう。……きれいだね」
光がひときわ明るく輝き、やがて小川の流れに溶けていった。
水はもとの静けさを取り戻し、鳥の声が戻る。
そのあとに残ったのは、指先に残る冷たい感覚と、
心の奥に宿った確かな温もりだった。
***
夕暮れ。
帰り道、レオンは村を見下ろす丘の上で立ち止まった。
風が髪を撫で、遠くで誰かが薪を割る音がする。
その音も、言葉のように感じた。
(この世界のすべては、きっと話している)
火も、水も、風も、人も。
ただ、聞こうとする耳がなければ、
その声は音のままで消えてしまう。
だからこそ、言葉を大切にしなければならない。
言葉は、世界を“聞くための形”なのだ。
彼は空を見上げ、心の中で静かに言った。
――ありがとう、この世界。
その祈りのような思念に、
そよ風が応えるように吹いた。
木々がざわめき、鳥がひと声さえずる。
レオンは小さく笑った。
森が、自分の言葉に答えてくれた気がした。




