表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/22

旅商人との出会い

乾いた風が村を吹き抜けた。

 夏の名残りを残した土の匂いに、遠くから荷馬車の音が混じる。

 がたがた、がたがたと――車輪の音が道を転がるたび、村の空気が少しずつざわめいていく。


 旅の商人たちがやってくる日だった。


 レオンは家の前の道に立ち、目を輝かせていた。

 去年も来た。けれど今年は違う。

 言葉の意味を、少しだけ理解できるようになった今、

 彼の世界は前よりも広く見える。


「父さん、あれ、なに運んでるの?」


「塩と布、それに薬草だな。王都から来たにしてはずいぶん早い」


 父が目を細めて言う。

 木製の荷台には、革袋や麻の包みがぎっしりと積まれていた。

 その上で、色とりどりの服を着た商人たちが手を振る。


「おお、リドの村か! いい風だ、取引日和だ!」


 その声には不思議な力があった。

 高らかで、明るく、聞く人の心を動かす。

 レオンは思った。


(……言葉の“重さ”が違う)


 この人たちは、言葉で生きている。

 火を灯す神官や、土を耕す父とはまた違う。

 彼らの“魔法”は、きっと別の形で世界を動かすのだ。


***


 広場に簡易の台が設けられ、村人たちが集まる。

 布を広げる者、干し肉を並べる者、香草を量る者。

 商人たちは手際よく計りを使い、銀貨を指で弾くたびに音が響いた。


 ――チリン。


 その音に、レオンは目を奪われた。


「これが“貨幣”ってやつだ」

 父が笑って教える。

「銀の円だ。言葉より小さいが、約束より強い」


「やくそくより?」


「ああ。『この銀貨で、塩をくれ』と言えば、それで取引が成立する。

 信頼の証ってやつだな」


 レオンは小さく首を傾げた。

(言葉じゃなくて、銀で伝わるの……?)


 けれどすぐに気づいた。

 ――銀貨は、形を持った“言葉”なのだ。


 「交換する」「渡す」「受け取る」という約束を、

 言葉の代わりに刻んだ金属の符号。

 つまり、“意味を固定した言葉”。


 その理解が、彼の胸に鮮やかに刻まれた。


***


 日が傾くころ、母が香草を買うために商人と話していた。

 レオンはその横で、男たちの会話をじっと聞く。


「王都の情勢は?」


「北の国境がきな臭い。鉄の値が上がる。だが、南の港では香料が豊作だ」


 どの言葉も、彼にとって初めて聞く響きばかり。

 だが、その中に“空気の変化”を感じ取った。

 値が上がる。取引が動く。国が揺れる。

 それらはすべて、言葉が状況を定義していく行為だ。


 “高い”と言葉にすれば、物の価値は高くなる。

 “足りない”と言えば、 scarcity(不足)という現実が生まれる。

 言葉ひとつで、人の行動も世界も変わる。


(……商人も、魔法を使ってる)


 そう思った。

 ただ、詠唱が違うだけだ。

 彼らは「言葉で価値を変える魔法使い」。

 世界における、もう一つの“術士”たちだ。


***


 商人のひとりがレオンに気づき、微笑んだ。

「坊主、興味ありそうだな。見てみるか?」


 彼は腰の袋から小さな銀貨を取り出し、手の上で転がしてみせる。

「これがな、ただの金属じゃねぇ。

 俺たちが“銀貨”って呼ぶから、銀貨になるんだ。

 言葉で決めた“価値”が、この世界を動かす」


 それは、冗談めかした言葉だった。

 けれど、レオンの目には本当の“魔法”に聞こえた。


(……言葉が、価値を作る)


 胸が熱くなった。

 魔法だけじゃない。

 商人たちは“現実”そのものを言葉で定義している。


 神官は祈りで火を変え、

 父は言葉で種を育て、

 商人は言葉で価値を作る。


 ――世界のあらゆる営みは、言葉から始まる。


***


 日が沈み、商人たちは焚き火を囲んで歌いはじめた。

 村人たちも集まり、子どもたちがその周りで笑い合う。

 レオンは静かに座り、銀貨の輝きを見つめていた。


 その光は、焚き火の炎よりも冷たく、それでいて確かな力を宿していた。


 〈言葉とは、形なき約束〉


 心の中で、そう定義した瞬間、

 銀貨の表面がふっと柔らかく光ったように見えた。

 気のせいではない。

 彼の魔力が、無意識に“定義”に反応していたのだ。


***


 帰り道、父が肩に手を置いた。

「今日の商人は面白かったろう?」


「うん。あの人たち、すごいね。

 言葉で、お金やものを動かしてた」


 父は少し笑って頷いた。

「人はな、手よりも先に言葉で世界を作るんだ」


 レオンはその言葉を胸に刻んだ。

 夜風が頬を撫でる。

 空には、満ちかけた月が光っていた。


 ――言葉は、価値を与える。

 ――価値は、命を動かす。


 その理解は、幼い少年の心の奥でゆっくりと形になっていく。


 このときの光が、

 のちに彼を“言葉を定義する魔導士”へと導く最初の灯だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ