9 森の妖精と使い魔の弟分
「面目ない……」
広大なリドフォードの森の中の、少し木々が途切れて開けた場所で、エドワードは項垂れつつそう呟いた。
美しい金髪の長い前髪は無造作に下ろされていて、その隙間から見える睫毛がふるふると揺れている。
今日はピクニックがてら、森の木の実の収穫に来ていた。
ヴィクターがブルーベリーが群生している場所を見つけ、ルルとエドワードと三人で籠いっぱいに摘んだ。
一番体の大きいエドワードが、それを運んでいたのだが。
突然飛び出してきて足元を走り去っていったリスに驚いたエドワードは、木の根っこに躓いて、籠の中身を盛大にぶちまけてしまったのだ。
「まあ……!」
ルルが慌てて駆け寄り、エドワードの足元にしゃがみ込む。
汚れたつま先に向けて右手を翳すと、金色の美しい光が溢れ出る。
それはエドワードの足の上でしゅわっとはじけるとキラキラとした光の粒になりやがて消えた。
痛みが無くなったことにエドワードが驚いていると、ルルが優しく微笑みながら言った。
「痛みはなくなりましたか?」
「ああ、でも、籠の中身がこんな風になってしまった……」
「全く、何をやらせても愚図なんだから」
ヴィクターがため息をつきつき、半分になってしまったブルーベリーの入った籠を拾いあげる。
「まあ、ヴィクター。そんなことを言わないで」
ルルが困ったように眉を下げる。
そして、そこいらじゅうに散らばったブルーベリーを眺めると、不意に何かをひらめいたかのように両手を合わせて楽しげに言った。
「そうだわ、せっかくだから、森の妖精たちにお裾分けしましょう!」
ルルはそう言うと、両手を広げ、地面に向けて翳した。
すると。
散らばっていたブルーベリーが、一斉に空中に浮かび上がった。
幸いにも、エドワードが籠から撒いたブルーベリーは、コロコロと転がっただけでほとんど潰れてはいなかった。
空中に浮かび上がったブルーベリーに向かってルルが右手を振る。
すると、それらは一ヶ所に集まって黒い大きな球のようになった。
「森の妖精達。お裾分けよ。受け取ってちょうだい」
ルルがそう言いながら再び右手を振ると、黒い球体がパーンと空中に弾け飛んだ。
すると、驚いたことに。
どこから現れたのか、キラキラと光る羽根を持った小さな生き物達が、空中でそのブルーベリーを掴んだ。
キャーッと歓声を上げながら、掴んだブルーベリーを何個か両手に抱えている彼らが、ルルの言う森の妖精らしい。
手のひらに乗るくらいの可愛らしい大きさで、数えきれないほど沢山いる。
「美味しい?」
ルルがそう尋ねると、まるで「美味しい」と返事をするように、キラキラ輝く羽を閃かせる。
蝶のような羽を持つものや、トンボのように透ける羽を持つもの、小鳥のような羽毛の生えた羽のものもいる。
そのいずれもが、美しい羽を持つ美貌の妖精なのだった。
エドワードが見惚れていると、肩のところに透き通った羽を持つ妖精が何人か近寄ってきた。
そして、口々に言う。
「森の入口で倒れていた人の子だ」
「元気になったんだね」
「良かった」
「本当に良かった」
彼らは皆笑顔で、歌うように囁きながら、エドワードの周りを飛び回る。
「もしかして、彼らが私のことをルルに知らせてくれた妖精なのかな?」
「そうですよ。彼らが倒れているエドワード様のことを知らせに来てくれたんです」
ルルが優しい微笑みを浮かべながら妖精達の方を見る。
すると妖精達は、大きな輪を作るようにルルの周りを飛び回る。
「お礼が遅くなり申し訳ありません。私はエドワードと申します。あなた方のおかげで命を救われました。本当にありがとうございます」
エドワードが膝をつき、頭を下げると、妖精達は嬉しげに歓声をあげながらエドワードの前に並んだ。
「どういたしまして」
「この人の子は礼儀正しいわ」
「良いことだわ」
「本当に良いことだわ」
妖精達は再び輪になると、リチャードの周りをくるくると回りだした。
そこに、鳥のような羽の妖精達がやってくる。
「これが森の魔女のところにいる人の子」
「金の髪に青い瞳、美しいわね」
「欲しいわ」
「ええ、連れて帰りましょうか」
なんだか不穏なことを言い出した妖精達に向かって、ヴィクターが大声で叫ぶ。
「駄目だよ! エドワードは渡さない!」
「まあ、乱暴者が現れたわ」
「フェンリルだわ」
「怖い怖い」
「惜しいけど、人の子を連れ帰るのは無理ね」
ルルは、妖精達とヴィクターのやり取りを笑顔で見守っていたが、エドワードの背後から近寄ってきた蝶の羽を持つ妖精に気づくと、そちらに向かって話しかけた。
「エドワード様は、森の魔女ルルと使い魔ヴィクターの家に住む者。この意味がわかるわね」
笑顔は消えていた。
そうするとルルは、いつもより年上に見える。
「もちろん」
「偉大な森の魔女ルルのものに手を出すなど」
「そんな愚かな妖精などいない」
「偉大な森の魔女ルル」
先程まで、思い思いに飛び回っていた妖精達が、ブルーベリーの実を抱えながらルルの周りを飛び回る。
どの妖精の羽も真珠のような柔らかい光を纏っている。
そして、飛び回ったあとには、虹色の煌めく光の帯のような軌跡が出来上がる。
その沢山の美しい光のリボンを目で追いつつ、エドワードは飛び去っていく妖精達に向かって、名残惜しそうに手を伸ばした。
「連れ去られるのは困るけれど」
エドワードはちょっと困ったような顔をした後、仕切り直すように朗らかな声を出し、妖精が去った木々の方に向けて呼びかけた。
「また、姿を見せてくれると嬉しい」
森のあちこちから、弾けるような光が瞬き、喜びに溢れた歓声が起こった。
「あいつらに気に入られたみたいだね」
ヴィクターが、声に笑いが含まれたような調子で言った。
「気をつけないと、連れて行かれちゃうよ」
「まあ、ヴィクターったら。ふふっ、その時はヴィクターが助けてくれるんでしょう?」
ルルがからかうような声でヴィクターに言った。
そして、エドワードはひどく真面目な顔になる。
「頼もしいな。その時はよろしく」
「全く、しかたがないな」
ヴィクターはやれやれと言った調子でそう言いながら、ブルーベリーの入った籠を抱え直す。
中身が減って軽くなったことだし、これはこのまま自分が持って帰ることにした。
(エドワードは身体だけは大きいけど、生まれてからまだ18年しか経っていない。まだまだ頼りない赤ん坊のようなものだ)
ヴィクターは心の中でそう考えながら、エドワードの後ろを歩く。
(弟分にしてやってもいい、と言ったら、エドワードはなんて応えるだろう)
そう思うと、なんだか愉快な気持ちになって、この姿の時は無いはずの尻尾を大きく振りたくなった。