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7 泉の精霊

「すまない⋯⋯」


井戸の前に立ち、ずぶ濡れで悔しそうに項垂れつつ、エドワードがそう呟いた。

背の高いエドワードがそんな風にしていると、打ちひしがれた様子がなんとも痛々しい。


「まあ!」


ルルは慌てて駆け寄り、右手をさっとエドワードに翳す。

すると、ふわりと温かい風がエドワードを覆い、濡れた髪も衣服もすっかり乾いてしまった。


「ありがとう、ルル」

「どういたしまして。エドワード様が風邪をひいてしまったら大変ですからね。それにしても、一体どうしてこんなことに?」


「井戸の水を汲もうとして⋯⋯誤って桶をひっくり返してしまった」

「まあ! そうだったんですね。それは大変でしたね。でも、どうして井戸の水を汲もうとなさったんですか?」


ルルはまるで祖母が小さな孫に話しかけるように、ゆっくりとエドワードに問いかけた。


「それは⋯⋯その⋯⋯」


エドワードが言い淀むと、ルルはにっこり微笑んだ

ルルはいつもそうだ。

決して答えを急かしたりしない。


「あちらの畑に水を撒こうと思ったからなのだ⋯⋯水撒きくらいなら、私にもできるんじゃないかと思って」

「まあ⋯⋯! お手伝いして下さるつもりだったのですね」


ルルは頬を染め、嬉しそうな顔になる。


「だが、かえって迷惑をかけることになってしまった⋯⋯」

「迷惑だなんてとんでもない。これは、エドワード様に、私の大切なお友達を紹介する良い機会かもしれませんね」

「大切なお友達⋯⋯?」


エドワードが不思議そうにそう言うと、ルルは笑顔で頷いた。


「そうです、私の大切なお友達です。⋯⋯リンファ!」


ルルが庭の小さな泉に向かって声を掛けると、泉の水が勢いよく吹き上がり、空中にだんだんと小さな人型を取り始め、掌くらいの大きさの美しい女性の姿になった。


滝のように真っ直ぐに流れ落ちるその長い髪は、時に波のようにうねり、青や白、銀色、透明というように次々と色が変わっていく。

瞳は深淵な水の底を覗き込むような、吸い込まれるような青。

肌は内側から光り輝くような白さで、真珠のように滑らかだった。


「私の大切なお友達、泉の精霊のリンファです、エドワード様」


ルルがそう言うと、その精霊は嬉しそうな表情になり、弾むような声で言った。


「ふふ。ルルにそう言われると、嬉しくてたまらないわ。こんなご褒美をもらえたのは、貴方のおかげかしら?」


エドワードは元第一王子だ。

精霊に対して人間の自分が取るべき態度は、小さい頃から家庭教師に叩き込まれている。

なので、リンファと呼ばれるその精霊に対して、最上級の礼を執った。


「偉大な精霊よ、お初にお目にかかります。私はエドワードと申します。先日、己の至らなさから姓を失いました。名のみをお伝えすることをお許し下さい」


「ふふ。きちんとわきまえているのね。気に入ったわ。⋯⋯人の子よ、以後、我が名を呼ぶことを許します。リンファと呼んで頂戴」


「⋯⋯ありがたき幸せ」


許しを得ずに精霊の名を呼ぶことは、大変な無礼にあたる。

だが、エドワードはこうして名前を呼ぶことが許された。

これは、今後、泉の精霊から恩恵を受けることができる証となる。


「エドワード様のことを気に入ってもらえて良かった」

「礼儀をわきまえている人の子は好きよ。そういえば、あの生意気な使い魔はどうしたの?」

「ヴィクターなら家の中でお鍋を見張っているわ」

「そうなの? あのフェンリルは生意気で無礼だけど、心の優しい子だから許してあげる」

「ふふっ。リンファは本当に優しいわね」


森の魔女と水の精霊の会話。

滅多に見れない状況だ。


「ねえ、リンファ。エドワード様は庭の薬草たちにお水をあげようとしてくれたのよ」

「まあ、それは優しいこと」

「そうでしょう? それでね、井戸の水を誤って被ってしまったの。可哀想だと思わない?」

「そうね。人の子はか弱いから、水に濡れたら風邪をひいて死んでしまうものね」


エドワードは、井戸の水をかぶったくらいで死ぬことは稀だと言おうとしたが、精霊の言葉を遮るのは無礼なので黙って聞いておくことにする。


「そうなのよ、だからね」


ルルが精霊を両手で包み込むようにする。

そして目を閉じると、ルルの手から金色の光が溢れ出て、精霊をすっかり包みこんでしまった。

ダイヤモンドのように光る粒をはらんだその金色の光の中で、精霊は目を閉じうっとりとした表情を浮かべる。


「ああ、素敵⋯⋯! ルルの魔力は、なんて気持ちが良いのかしら」


金色の光が精霊の中に吸い込まれていき、すっかり無くなると、精霊はさっきよりもよりはっきりと、内側から輝くように見えた。


「エドワード様に、あなたの力を見せてあげたいの」


「お安い御用よ」


そう言うと、精霊は、ルルの手から浮かび上がった。

精霊の長い髪が風に揺れたように広がる。

美しい髪が、青や白、銀色、透明というように次々と色を変えていく。


次に、真珠のような輝く白い腕が、円を描くように大きくゆっくりと振り回された。

その途端、何も無いはずの空中に、虹色の美しい大きなシャボン玉のような球体が現れる。

それが薬草の生えた畑の上にふわりふわりと漂っていく。

精霊はそうやって幾つか虹色の球体を作っては飛ばしていたが、しばらくすると、今度は大きく両手を打ち鳴らした。


すると、透き通ったガラスでできたような美しい小鳥が現れた。

そうやって作り出された小鳥たちは、畑の上の虹色の球体の方に飛んで行くと、その鋭いくちばしの先でつつき始めた。


そうすると、薄いガラスが割れたような繊細なカシャンという音とともに球体がはじけ、中から水がキラキラとした金の粉のような光を宿しながら地面に降り注いだ。

その美しい飛沫を浴びた薬草たちが、生き生きと花や葉を震わせ、なんとも不思議な鈴のような音を奏でていた。


「なんて美しい⋯⋯こんな美しいものは、生まれて初めてみた」


エドワードは思わずそんなことを呟く。

それは泉の精霊リンファを大層喜ばせた。

調子に乗ったリンファは、何度もその虹色の球体と小鳥を生み出し、ルルとエドワードの心からの喝采を浴び続けた。


それは、ヴィクターが、シチューが煮えたのにどうして家の中に入って来ないのだと呼びに来るまで、ずっと続けられた。




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