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25 アイリーン


「やっと見つけた」


頭の遥か上の方から、突然降り落ちて来た声。

アイリーンは不思議そうに空を見上げた。


その時のアイリーンは、小さな白い小鳥だった。


小さく尖った黒い(くちばし)につぶらな黒い瞳。

羽の色は降り積もったばかりの粉雪のような純白。

愛らしいが、森の中では常に死と隣り合わせの脆弱な生き物。


一方、声の主である彼は、黒灰色の鱗を持つ竜だった。


鉱石のような鱗の重なる身体に岩をも握りつぶす鋭い鉤爪(かぎづめ)

蝙蝠(コウモリ)のような皮膜の中に血管が浮き出る大きな翼。

捻じれた黒い角と縦長の瞳孔の翡翠のような瞳。


アイリーンは、彼の爪の一つくらいの大きさでしかない。


こんなにも大きな生き物に出くわしてしまったのだ。

恐怖のあまり足が竦んで動けなくなったり、気絶して木から落ちてしまうのが普通の小鳥の反応だ。


だが、アイリーンは彼を――ヴォーティガンを、少しも怖いとは思わなかった。

それどころか、彼の目を見ると妙に心が浮き立ち、思わず歌い出したいくらいの喜びで胸がいっぱいになっていた。


ヴォーティガンはアイリーンを『運命の番』だと言った。

ずっとずっと探し続けていて、ようやく会えたのだと。


それから二人は、短いが幸せな時を過ごした。

アイリーンが死ぬ、その時まで。






二度目の出会いでは、アイリーンは人間に生まれ変わっていた。


白に近いプラチナブロンドに黒に近い焦げ茶の瞳。

さほど美しいわけでもない平凡な顔立ちの娘。


一方、その時のヴォーティガンは、気まぐれに人間の男の姿で街を歩いていた。

魔力の多い高位の竜は、人型にもなれるのだ。


ヴォーティガンは長い時を生きる竜だ。

なので彼は、アイリーンが生まれ変わって、再び会える時を待っていた。

ずっと。一人きりで。


だからこそ。

雑踏の中で再び愛しい番の姿を見つけたヴォーティガンは、思わず駆け寄りアイリーンを抱き締め、大声で泣き出してしまった。


見ず知らずの男に突然抱きつかれ、挙句の果てに大声で泣かれてしまったアイリーンは、ひどく狼狽(うろた)えはしたが不思議と嫌だとは思わなかった。


それどころか、懐かしさと愛しさが込み上げてきて、苦しいほどに胸がいっぱいになった。



その時のアイリーンは、一人ぼっちだった。

両親を相次いで病で失くし、残されたパン屋を継いでなんとか暮らしていたのだ。

だから、ヴォーティガンと出会えたことは、アイリーンにとってはとても幸運なことだった。


その後、二人は一緒にパン屋を営んだ。

意外にも器用だったヴォーティガンのパンはとても美味しかったし、いつも明るい笑顔で感じの良いアイリーンの接客のせいもあり、二人の店はとても繁盛していた。


人型の時のヴォーティガンは、チャコールグレーの艶のある長い髪に翡翠の瞳の美しい男性だった。

なので、彼を目当てに来る客も少なくなかった。

だが、彼はアイリーン以外の女性にはこれっぽっちも関心が無いのだ。

彼の愛情の全てはアイリーンにだけ注がれていた。

そんな彼の姿を目の当たりにし、彼に思いを寄せる女性達は皆、ため息をつきながら去って行った。



ある日の事。

明るい栗色の髪で、琥珀色の瞳の少女が、店にやってきた。


いつものようにアイリーンが朗らかに話しかけ、少女がそれに丁寧に答えた。

何気ない会話を交わしただけだったが、アイリーンはその少女のことがひどく気になった。



「どうしたの? 何か気になることでも?」



店の奥から出てきたヴォーティガンが、翡翠の瞳を気遣わし気に揺らしつつ、そう尋ねた。

またしても自分に思いを寄せる人間が現れ、アイリーンを困らせるようなことを言ったのではと、ヴォーティガンは心配だったのだ。


チャコールグレーの長い髪を一つに纏め、食べ物を扱うのにふさわしい白い帽子の中に押し込めた彼は、そんな格好でもひどく美しい。



「何でもないわ。……ううん、何でもなくはないかな?」

「やっぱり、何か言われたのかい?」

「ううん、別に何も。……ただね、ちょっとだけ気になったの」



アイリーンは、言った。

あの少女は、もしかしたら一人ぼっちなのではないか、と。


彼女の琥珀色の瞳には、孤独に打ちのめされた人間が持つ諦観と絶望の気配があった。

それは、ヴォーティガンに出会う前にアイリーンが見た、鏡の中の自分のガラス玉のような瞳とそっくりだったのだ。


それから、その少女が店に来るたびに、アイリーンは笑顔で優しい言葉をかけ続けた。

徐々に二人の距離が縮まり、半年もすると、その少女とアイリーンは仲の良い友達になった。


少女の名前はエレインと言った。

エレインは森で採って来た薬草を薬屋に売り、その代金で一人で暮らしているのだと言った。

最初は全く笑顔を見せなかったエレインだが、アイリーンと話すときにはにこやかに笑うようになった。


エレインの笑顔を見た日はアイリーンがとても喜ぶので、ヴォーティガンもエレインが店に来るのを歓迎し、エレインの好きな柔らかな白パンをおまけしたりした。



そんな穏やかで幸福な暮らしの終わりは、突然やってきた。


隣国の軍隊が国境を越え、瞬く間に辺境の村々を飲み込んでいった。

その魔の手は、ついにアイリーン達の街にも及んだ。

平和だった街はあっという間に、黒煙が立ち昇り瓦礫が散乱する地獄へと変わり果てた。


逃げ惑う人々の悲鳴の中、アイリーンの亡骸を抱きしめていたヴォーティガンだったが。

突然、その瞳孔が縦長になったと思うと、あっという間に竜の姿に戻った。

そして、その鋭い鉤爪でそっとアイリーンを持ち上げると、空へと飛び立っていった。


ヴォーティガンが向かった先は、遠く離れた森の中の洞窟だった。

人型に戻ったヴォーティガンは、アイリーンを抱き上げ、薄暗い洞窟の中をゆっくりと進んで行った。

そして、大きな地底湖のほとりに辿り着くと、アイリーンの亡骸をそっと地面に下ろした。


それから。

ヴォーティガンはアイリーンの亡骸の側を離れなかった。

無残にも腐り始めた亡骸を、泣きながら地面に埋めた後も、そこから離れずにいた。


アイリーンと、その腹の中の小さな命を思い、溢れ出る涙は尽きることがなかった。

もう人間の姿でいることがわずらわしくなったヴォーティガンは、竜の姿に戻ってずっとそこに居続けた。


ある時、そんなヴォーティガンの元に、一人の人間が現れた。

それは、彼らの店によく姿を見せた、あのエレインという少女だった。


エレインは言った。

自分は、アイリーンとの約束を果たしにやってきたのだと。



『ねえ、エレイン。私は人間だから、いつかヴォーティガンを置いて死んでしまう。そしたら彼は一人ぼっちになってしまうわ。私は竜の番だから、いつかきっと生まれ変わる。私達はきっとまた会えるわ。それは間違い無いのだけれど』



アイリーンはかつて、エレインにそんなことを言っていたのだという。

ヴォーティガンは、泣くのを止め、エレインの言葉にじっと耳を傾けた。



『ねえ、エレイン。ヴォーティガンは泣き虫なの。私が居なければずっと一人で泣き続けてしまうわ。だからね、エレイン。もし私があなたより先に死んでしまったら……どうか、彼のことを気にかけてあげて。お願いよ、エレイン』


そして、エレインは『わかったわ』と頷いたのだ。

だから、こうしてヴォーティガンの元にやってきた。





突然、何も無い空中から白い光を纏った長杖が現れ、ヴォーティガンは、驚きに目を瞠った。


右手を伸ばし、それを掴んだエレインの髪が、魔力の起こす風でふわりと舞い上がる。

続いてエレインは、目を閉じて詠唱を始めた。


美しい、まるで歌を歌っているかのような響き。

その魂を揺さぶるような詠唱が終わると、エレインはヴォーティガンの方に向き直り静かに話し始めた。


エレインは、ヴォーティガンに魔法をかけたのだと言う。


それによって、ヴォーティガンは、この地底湖のほとりで眠り続けることとなる。

だが、十年に一度、夏の終わりと秋の手前の間の満月の日には、一晩だけ目覚めるらしい。

そしてその時は必ず、エレインが会いに来てくれるのだそうだ。

ヴォーティガンが寂しくないように。



「おやすみなさい、ヴォーティガン。夢の中でアイリーンに会ったら、私がちゃんと約束を果たしたことを伝えて頂戴ね」



優し気なエレインの声を聴きながら、ヴォーティガンは眠りの底にゆっくりと沈んでいく。



「おやすみなさい。また十年後に会いましょう」



エレインの穏やかな声が、暗い洞窟の壁に吸い込まれていった。






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