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24 洞窟の竜と薔薇のつぼみ

「この先に、竜がいる……」



きらきらと目を輝かせ、期待に頬を染めながら、エドワードは洞窟の入口でそう呟いた。

その様子をニコニコと嬉しそうに眺めるルルの手には、林檎が沢山詰まった籠がある。



「エドワード様は、竜に会うのは初めてですか?」

「ああ、生まれて初めてだ。まさか自分が竜に会えるなんて…………」


感極まったようにそう言うエドワードに、ヴィクターが呆れたようにため息をつく。



「全くもう、竜なんかを有難がったりして。……エドワードはそんなに竜が好きなわけ?」



ちょっと拗ねたような口調でそう言うヴィクターの両手には、カーター商会の出張販売で購入した極上のワインの瓶が一本ずつ握られている。


竜は酒が大好物なのだと言う。

特に、長く熟成させた葡萄酒が。



「幼い頃、乳母に読んでもらった絵本に出てきた竜にずっと憧れていたんだ。『大きな翼をはためかせ、竜は漆黒の闇夜を切り裂いていきました』…………今でも覚えている」


「その絵本がとてもお好きだったのですね。それと、読み聞かせてくれた方のこともでしょうか」


ルルの言葉にエドワードは少しだけ驚いたように目を見張り――それから、真面目な顔で頷いた。


「そうだね。そうだと思う」


そんな風に、どこか昔を懐かしむように答えるエドワードのことを、ルルは慈しむような優しい笑顔で見つめる。



「地上を走るなら、フェンリルの方がずっとずっと速いけどね」


ヴィクターがつんと澄ました顔で言う。



「そうね。私の可愛いヴィクターは、誰よりも速く走る偉大なフェンリルだわ」

「確かに。ヴィクターは飛ぶように速く走るよね。背中に乗せてもらうと、まるで自分が風になったような気持ちになるんだ」


ルルが嬉しそうに笑い、エドワードが夢見心地にそう言うと、ヴィクターは満足そうに頷いた。



夕陽に照らされる道を歩きながら、そんなたわいもない会話をしているうちに、三人は竜の棲む洞窟の入口に辿り着いた。


洞窟の入口は少し狭くなっていて、背の高いエドワードは頭をぶつけないように(かが)まなければならなかった。

だが、しばらく進むうちに、天井はエドワードが背を伸ばしても大丈夫なくらいな高さになった。


エドワードは木をくり抜いて作った大きな(さかずき)をその手に抱えていた。

厚みのある丈夫な盃だ。

中身は空だが、結構な重さがある。

林檎や葡萄酒の瓶は落としたら割れてしまうけれど、この盃ならそうそう壊れることも無い。

うっかり者の自分が持つには丁度良いとエドワードは思った。



『私の古くからの友人が、今度の満月の夜に久しぶりに目を覚ますのです。もしよろしければ、エドワード様も一緒に彼に会いに行きませんか?』


三日前、ルルから突然そんな提案をされたエドワードは、もちろん一緒に行かせて欲しいと興奮しながら答えた。


それ以来エドワードは何をしていても上の空で、幾つかの皿やコップを落として割ってしまい、ヴィクターに散々嫌味を言われてきた。


この先に、竜がいる。その竜はルルの古い友人だと言う。

エドワードは、期待のあまり胸が苦しくなってきた。



三人は、薄暗い洞窟の奥へゆっくりと進んで行く。

不思議なことに、洞窟の壁はほんのりと青白く光っている。

その為、灯りを持たずとも足元が見えた。


時折、頭上から滴り落ちる水の音が洞窟内に響き渡り、奥の方から吹いて来る水の香りを含んだ風の音がそれに重なる。


そうやってどれだけ歩いたかはわからないが。

突然開けた視界の先には、想像もしていなかった光景が広がっていた。


突然現れた水面。

その果てはここからだとわからないくらい続いている。

それは最早、地底湖といっていいくらいの大きさだった。


僅かな光も入らない洞窟の中だと言うのに、周囲の壁と同じように、水面が何故かほんのりと青く光っている。

何かに照らされて光っているというよりは、水そのものが発光しているかのような不思議な光り方だった。

吸い込まれそうなほど美しいその湖は、底知れぬ深さを感じさせつつも淀んだ気配は全くない。

ただただ澄んだ水が、まるで奇跡のように淡い光を纏っているその光景に、エドワードは息を吞んだ。


この薄暗い洞窟の中に、こんなにも大きな湖が隠されていたなんて。




「あそこですよ、エドワード様」


ルルからそう声を掛けられ、エドワードは夢から覚めたかのように我に返り、ルルの指先が示す方を慌てて目で追う。



「これが……竜……」


ルルの指差す先。

湖の畔の大きな石の上に、その竜はいた。


丸くなって眠っている姿はどこか可愛らしくも見える。

ルルとヴィクターの後に続いて近くまで歩いていくと、見上げるほどに大きな竜だった。


竜の周りには無数の透明な水晶が地面から生えるように広がっていた。

湖からの淡い光に照らされた水晶は、所々で虹のような光を放っている。

そしてそれは、チャコールグレーの竜の鱗を暗闇の中にぼんやりと浮かび上がらせていた。


よく見ると、ただ丸くなっていたように見えた竜は、一輪の薔薇のつぼみを抱き抱えるようにしていた。

まるで、誰にも触らせないよう、守るかのように。



「ヴォーティガン、お久しぶり。貴方の好物を持って来たの。そろそろ目を覚めしてちょうだい」

「相変わらず寝起きの悪い竜だな。ほら、起きろよ。いいものを持って来たんだから」



ルルとヴィクターの親し気な問いかけに、竜の目がゆっくりと開かれていく。

翡翠のような瞳。その瞳孔は縦長だった。



「もう10年経ったのか…………おや、懐かしい顔の後ろに、初めましての人の子がいるようだね」


完全に目覚めているわけではないのだろう。

薄目を開けたままとろりとした表情でそう呟いた竜は、意外にも優し気な声でそう呟いた。


「お初にお目にかかります。私はエドワードと申します。先日、己の至らなさから姓を失いました。名のみをお伝えすることをお許し下さい」


エドワードが、人外の者に会った時にいつもする口上を述べると、竜は眠そうな目を細め、優し気な笑みを浮かべた。



「これはこれは。丁寧な挨拶をありがとう。僕の名はヴォーティガン。どうかよろしくね」

「は、はい。こちらこそ、どうかよろしくお願いします」


エドワードは慌ててそう返した。

初めて会った竜が思いがけず好意的だったのが嬉しくて、子供のように飛び跳ねてしまいそうだった。



ヴォーティガンと名乗るその竜は、エドワードの想像とは遥かにかけ離れていた。


老人のような嗄れた声か、もしくは地の底から響くような低く恐ろしい声で、高飛車な物言いをされるのではと警戒していたのに。

予想外に若々しい青年のような声だし、とても感じが良い。



「エドワード様、ヴォーティガンはまだ若い竜なんですよ」


ルルにはエドワードの考えなどお見通しのようだった。


「そうだったんだね。私はてっきり、長く生きた竜だとばかり思っていた」

「あら、ヴォーティガンは若い竜ですが、人間の尺度で言うと長く生きている竜ですからね。エドワード様は間違ってはいませんよ」

「ああ、僕はまだ千年くらいしか生きていないんだ……多分」

「千年……!?」


驚いて目を丸くするエドワードに、ルルとヴィクターが顔を見合わせて笑った。


ルルは、竜という生き物は信じられないくらい長生きなのだと言った。

ヴォーティガン本人にも、自分がこの先どれくらいの時を生きるのかわからないそうだ。



ヴォーティガンは、普段はこの地底湖のほとりで眠り続けている。

だが、10年に一度、夏の終わりと秋の手前の間の満月の日には、こうしてしばし目覚めるらしい。


ルルとヴィクターは、友人であるこの竜が目覚めた時に寂しくならないように、必ずこの洞窟の竜に会いに来ているのだそうだ。



「貴方の好きな林檎を持って来たわよ」

「ああ、良い香りだ。早速頂いてもいいかい?」

「もちろんよ」

「では、遠慮なく」


そう言うと、ヴォーティガンは大きな手の鋭い爪の先を使って器用に林檎を掴み、ひょいっと口の中に放り込んだ。


「これは美味しい林檎だね」

「喜んでもらえて良かったわ」

「ねえ、ヴォーティガン。葡萄酒もあるんだよ」

「それは楽しみだ」


ヴィクターは手に持っていた2本の葡萄酒のうち、1本の栓を開けた。

きゅぽんというちょっと間抜けで可愛らしい音と共にコルクが抜ける。


エドワードが抱えてきた大きな木の盃の中に、ヴィクターはまるまる1本分の葡萄酒を注いだ。

竜はまたしても器用に爪の先でその盃を大事そうに持ち上げ、少しずつ味わうように葡萄酒を飲んだ。



「……美味しい! 体に染み渡るようだよ」

「でしょう? ヴォーティガンが好きそうな葡萄酒を選んだんだよ」

「そうなのかい? だからこんなにも美味しいんだね」


得意そうなヴィクターに、ヴォーティガンが微笑みかける。

そうしてゆっくりと林檎と葡萄酒を味わう竜に、ルルが静かな目をして問いかける。


「ヴォーティガン。貴方の(つがい)はもう()()()()()のかしら」

「いや、まだだよ。でも、もうすぐだと思うんだ」


そう言いながら、ヴォーティガンは愛し気に、抱え込んでいる薔薇のつぼみを見る。

まるで、最愛の人を見つめるかのようなその視線。


「この薔薇が、貴方の(つがい)なのですか?」


エドワードの問いかけに、ヴォーティガンは夢見るように目を細めて答えた。


「そうだよ。とても美しいだろう?」


確かに、その薔薇のつぼみは美しかった。

生き生きとした緑の葉、内側から発光するかのように輝く白い花びら。

少しふくらみかけたそのつぼみからは、大輪の花を咲かせる日が近いことが感じられた。


「もうすぐだ」

「良かったですね、ヴォーティガン」

「ありがとう、エレイン。……ああ、君も、願いが叶ったんだね。良かった」


ヴォーティガンはルルをエレインと呼び、何故だかエドワードの方を見てそう言った。


全てがわからないことだらけだったが。

何故か、不思議と今は、全てがどうでもいいような気がした。


だからエドワードは、その後、憧れの竜が美味しそうに林檎を食べ、葡萄酒を飲む姿を眺め、時々ほんのりと輝きを増す薔薇のつぼみを眺め続けた。




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