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15 ジョン

ジョンは風に穂を靡かせる黄金色の麦畑を眺めながら思った。


――ああ、なんて綺麗なんだろう。




そういえば、いつだったか、ヴィクターが感心したように言っていた。


『綺麗だ。まるで金色のさざ波みたいに麦の穂が揺れている』


ジョンはまだ人生で一度も海というものを見たことがなかったので、ヴィクターの言葉を興味深く聞いた。

海の表面では、こんな風に水が揺れているらしい。



ジョンは16歳になるこの年まで、この村から出たことがない。

この村のほとんどの人間がそうだったので、そのことを特に窮屈に思ったことはなかった。


だが、1年前にこの村にやってきて住み着いた姉弟―――グレイスとヴィクターと言葉を交わすうちに、自分が知らない外の世界のことを知るようになり、いつか自分の目でそれらを見てみたいと思うようになった。


正確な年齢はわからないが、多分、自分と同じくらいだろうグレイスという娘は、弟のヴィクターとは全く似ておらず、明るい栗色の髪と琥珀色の瞳だった。

赤みの無い白い頬と薄い色の唇のせいで、彼女はいつも暗く陰気に見え、ほんの少し近寄りがたい雰囲気だった。

だが、口を開けば、綺麗な声と落ち着いた喋り方のせいで、彼女はとても優しい人だと知れた。




ジョンが最初に仲良くなったのはヴィクターの方だった。

柔らかそうな灰色の髪に白い肌と赤い瞳。

この辺では見かけない色合いだった。

何しろ、この村の人々は皆、茶色い髪に茶色い瞳なのだ。

一番下の妹のメアリーと同じくらいに見えるから、多分年は8歳くらいだろうか。


彼らは村の外れの、今は使われていない小屋に住み始めた。

最初のうちは皆、『子供二人で旅をしているなんて、多分訳ありに違いない。関わらないようにした方よいだろう』と言っていた。

だが、しばらくすると、二人に色々と手を差し伸べるようになってしまった。

親の無い子供達を放っておけるような者は、この村にはいなかったらしい。


グレイスは賢い娘で、読み書きができた。

なので、村長はグレイスに色々と仕事を手伝ってもらっていた。


この村のほとんどの者は、麦を作って暮らしている。

国に治める分と、自分達が食べる分を除いた残りは、買取にくる商人に売って銀貨を得る。

その銀貨で、日常の様々な物を、村を訪れる行商人から買うのだ。


ある時、グレイスは麦の買取商人が、不当な値段で麦を買い取っていることに気付いた。

この村から出たことがない人々は、自分たちの麦が、他所の半分の値段で買い取られていることを知り激怒した。

村長はその買取商人との付き合いを止め、隣村の村長の紹介で知り合った買取商人に麦を売ることに決めたのだった。


突然、買取を断られた商人は、村長と村人を憎んだ。

その恨みは、村人達の想像以上に深かったらしい。


強欲な買取商人は、炎の魔獣と契約し、ある願いを叶えてもらうことにした。

それは、村を魔獣の炎で焼き払い、憎い村人達を追い払うことだった。

そのために必要な対価として、商人は妻と子供一人の命を差し出した。






そして。

ジョンは今、麦畑の前に立っている。

重く垂れさがった穂は先が茶色くなっていて、刈り取りの時期が近いことを告げている。


――止めてくれ!


ジョンは叫んだ。


――お願いだ、お願いだからそっちには行かないでくれ!!



夥しい数の魔獣たちが、その身に炎を纏いながら少し離れた麦畑の前に立っていた。

魔獣たちの足元の草はじりじりと焦げ、白い煙が上がっている。


魔獣たちの進む先には、ジョンや村人たちが丹精込めて育てた収穫前の麦畑が広がっていた。

このままだと、麦畑は全て焼き払われてしまう。

いや、それだけでは済まないだろう。

この辺り一帯が炎に包まれることとなるに違いない。


それはもう、人間の手には負えない、厄災のようなものだった。


ジョンは、とめどなく溢れ出す涙を手の甲で拭いながら、どうすることもできずにその光景を見つめていた。


そして。

ついに、魔獣たちが歩き始めた。



その時。

突然、魔獣たちの前に一人の少女が現れた。

傍らには銀色の毛皮の赤い瞳の狼を従えている。


麦畑を背に庇う様に、魔獣の瘴気の風に髪を靡かせながら立っている少女。

その手には、白い光を纏った長杖が握られている。


「…………グレイス!?」


見知った少女のはずだったが、それは初めて見る姿だった。


長い髪が熱された空気によって起こる風に巻き上がる。

いつもは血の気の無い真っ白な頬は、魔物の炎の光が反射し、まるで上気したように染まっている。


不思議なことだが。

ジョンのいる場所からはかなり距離があるにもかかわらず、グレイスの瞳が怒りに燃えているのがはっきりとわかった。


そして。

グレイスが長杖を両手で掴み、詠唱を始めた。


グレイスの詠唱は美しく、まるで歌を歌っているかのようだった。

ジョンはその透き通るような声を耳にした瞬間から激しく心を揺さぶられ、喉元にこみ上がってくる嗚咽を必死になって抑えた。


見届けなければならない。この光景を、最後まで。

ジョンは何故だか強くそう思った。



そして、詠唱が終わると、グレイスの前に全身に炎を纏った、真っ赤な竜が現れた。



「久しいな、我が愛し子、エレイン・ルルーシュ・グレイスよ」


「久しぶりね、サラマンダー。また会えて嬉しいわ。今の私は身に持つ魔力をほとんど失ってしまったの。髪も目もこんな色になってしまったわ。それでも私だと気付いてくれたのね」


「当たり前だ。我々には魂の色が見える。其方の魂を私が見間違うことなどあり得ない」


「ふふっ、嬉しいわサラマンダー。ところで。あなたの後ろに沢山いる、その子達をどうにかしてくれないかしら。このままだと、麦畑が駄目になってしまうの」


そう言いながら、グレイスは魔獣たちを指差した。

サラマンダーと呼ばれた真っ赤な竜は、その魔獣たちを一瞥し、低い怒りのこもった声を出した。


「失せよ。汚い心を持った人間のくだらない企みを叶えるなど、我が眷属としてふさわしくない」


すると、さっきまでその身に纏った炎を赤々と燃え上がらせていた魔獣たちが、たちどころに消え失せてしまった。

ジョンはほうっと安堵のため息をもらし、その場によろよろと座り込んだ。



「ありがとう、サラマンダー」


「…………我が愛し子よ。いつでも私を呼べ。困ったことがあっても無くても。お前にはその資格があるのだから」


「私がこんな姿になっても、まだそう言ってくれるのね。嬉しいわ、サラマンダー」


グレイスがそう微笑むと、炎の竜はふっと姿を消した。


辺りに急に静けさが落ちてきて、ざっと吹いた風にグレイスの髪が巻き上がる。

隣に座っていた狼はいなくなり、いつの間にか、ヴィクターがそこに立っていた。



「ジョン。私達はもう行かなければならないわ」

「…………グレイス、どうして、そんな」

「村長や村の人達に、ありがとうと伝えてちょうだいね。皆には沢山良くしてもらったわ」

「グレイス、行かないでくれ!」

「ごめんなさいね、ジョン」


グレイスにはもう何を言っても無駄なようだった。

なのでと、隣に立つヴィクターの方を見るが、彼もまたゆっくりと首を振るだけだった。


「さようなら、ジョン。どうかお元気で。あなたとこの村の人達がいつも健やかでありますように」


その言葉を聞くやいなや、ジョンは意識を手放した。







目が覚めた後。

ジョンは村外れの小屋に走った。

だが、そこにはもう、何も残されていなかった。







あれから数年が経った。


ジョンは風に穂を靡かせる麦畑を眺めながら思う。


――これは、さざ波というものに似ているらしい。


ジョンはいつか必ず、海を見に行くと心に決めている。




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