12 百合の花の剣と子守歌
「お久しぶりです! 皆様お待ちかねの、カーター商会の出張販売でございます!」
今日は月に一度のカーター商会の出張販売の日だ。
ルルとヴィクターは歓声と拍手でもってアイルを迎え入れている。
優雅なお辞儀を返した後、アイルはにっこりと微笑んだ。
彼の今日の装いは、深緑色のフロックコートに、ゆったりした同色のズボン。
襟と上着の裾には金の糸で、唐草模様の刺繍が控えめに施されていた。
何故か今日は真っ白な手袋をはめていて、エドワードはその白さについつい視線を向けてしまう。
夜会帰りの貴族のような服装のアイルは、部屋の中に運び込んだ大きな木箱から、てきぱきとテーブルの上に商品を並べていく。
「本日は薔薇の香りの砂糖と、オレンジの香りの紅茶、金木製の香りのお茶などをお持ちしました。他にもルル様がお好きであろう商品を沢山お持ちしましたので、ぜひ手に取ってご覧ください! それから、ヴィクター様にはいつものアルジェンと、蜂蜜と檸檬の味のするキャンディーを。サクサクした軽い食感の焼き菓子なども何種類かご用意しておりますので、是非味見をしてみて下さい」
ルルとヴィクターは、キラキラと期待に満ちた視線を送っている。
「このキャンディー、とても美味しい!」
「ふふっ、ヴィクターがそんなに気に入ったのなら、それは絶対に買わないと。あら、このお茶の缶、とても素敵ね。青地にピンクの花の絵が描いてあるわ」
「牡丹という花だそうですよ」
「素敵ね。これ、全部頂くわ」
なごやかに、明るい雰囲気の中、ルルとヴィクターの楽しい買い物が続けられていく。
珍しい品物が取り出され、ルルが驚き、そんなルルをヴィクターが茶化す。
そんなのんびりとしたひと時だったからこそ、エドワードは油断していた。
だから、アイルが何てことない世間話のように始めたその話に、ひどく動揺してしまった。
「ああ、そうそう。レガリアが、現在行方知らずになっているそうですよ」
アルグランド王国には、代々伝わる剣がある。
「レガリア」と呼ばれるその剣は、王家の血を引く者のみが鞘から引き抜くことができる。
アイルは、まるでここにいる全員が「レガリア」のことを知っているかのように話した。
特に説明もなく、ただ、それが行方知らずになっていると告げる。
それだけで話が通じると信じているように。
やはりアイルは自分の正体を知っているようだ。
もし、彼が自分に対して害を成すようならば。
つまり、エドワードの居場所を他人に話してしまうならば。
エドワードは彼に対して警戒心を持ったが――すぐにそれを手放した。
何故なら、ルルが。
穏やかな表情でエドワードを見つめていたからだ。
彼女の瞳は、「大丈夫」と言っているようだった。
ルルがそう思うなら、きっとそうなんだろう。
アイルは信じて良い相手なのだ。
「近いうちに戴冠式で使用するため、侍従長が宝物庫に探しに行って、紛失していることに気付いたそうですよ」
「へえ、そうなんだ。とんだ茶番だね。随分とわかりやすいことをする」
ヴィクターが、意地悪そうににやりと笑う。
そんな風にしても、この少年姿の使い魔はたいそう愛らしい。
「第二王子が戴冠式でそれを抜くのは困るってことだよね? 『王の子ではない』ということを国中に示すことになるものね」
「これはこれは、使い魔様はとんでもないことを仰る」
アイルがにこやかに微笑む。
自分はそんなことは全く思いもしませんでした、と言わんばかりに。
「それはさておき。本日の目玉商品はこちらでございます!」
アイルが大きな木箱の中から、一振りの長剣を取り出し、テーブルの上に静かに置いた。
少しくすんで見える鞘には、百合の花の装飾が施されている。
「百合の花……」
エドワードが、長剣の鞘を指でなぞりながら呟いた。
「おや、エドワード様はこの剣がお気に召しましたか?」
アイルの問いかけに、エドワードは軽く頭を振りながら答える。
「いや。美しい装飾だと思っただけだよ」
その声はいつもと同じだったし、表情にも特別に変わったところはなかった。
だが、ルルは少し気遣う様にエドワードの方を見た。
「美しい物は見る者の心を動かしますからね。…………アイル、これ、頂くわね」
ルルが言うと、アイルは人当たりの良い商人の顔で「お買い上げありがとうございます」と頭を下げた。
「いつもありがとう、アイル。これは私にとって必要な物だわ。手に入って本当に嬉しいわ」
「恐れ入ります」
ルルは森の魔女だ。
素晴らしい効き目の薬を作る、偉大な森の魔女。
妖精や精霊と親しく付き合いながら、惑いの森リドフォードに使い魔と暮らしている。
その彼女にこの剣が――王家の物であることを示す、百合の紋章が刻まれたこの長剣が、何故必要だというのだろう。
エドワードはそう考えながら、テーブルの上の長剣をじっと見つめた。
「エドワード様」
ルルが、透き通った緑の瞳をエドワードに向けて言った。
「アイルは他にも沢山商品を持ってきてくれたようです。いつも履いている靴など、そろそろ新しいものに買い替えたほうがよろしいのでは?」
そう言われて足元を見下ろすと、確かに、ボロボロになった靴が目に入った。
あの日。
エドワードが王宮を追われた時。
彼は部屋の中で、突然何者かに襲われたのだった。
その時彼は、室内履きのような靴を履いていた。
その靴は、柔らかな絨毯が敷き詰められた部屋の中で履くべきもので、こんな森の中では不似合いなものだった。
「では、これなどいかがですか?」
そう言ってアイルが持ち出してきたのは、柔らかい革でできているが、とても丈夫で履き心地の良さそうなブーツだった。
靴底が厚くしっかりとした作りだが、手に持つと驚くほど軽い。
「あら、素敵ね」
「これなら、いくらでも踊れるね。明日は満月だから、ちょうど良かった」
「どうして満月だとちょうど良いのかな」
エドワードの問いかけに、ヴィクターが呆れたように答える。
「リドフォードの森では、満月の日には皆、外に出て踊るんだよ。そんなことも知らなかったの?」
「そうだったんだね」
「雪柳が満開だから、妖精達はとくにご機嫌で踊るはずだよ」
雪柳。あの小さくて白い花がいくつも集まって咲く花。
何故だろう、その花を思い浮かべた時、誰かが歌う声が聞こえたような気がした。
雪柳の咲き誇る庭。
優しい誰かの歌声。
夢の中で聞いたようなその歌は、多分、子守歌だったような気がする。