第四章 恩師との再会 3
「――私が到着したときには、メレディス医師はすでに着いて、ジェームズの――ハミルトン学寮長の躯の検死を行っていたよ」
ソロー教授は沈んだ声で言い、ふーッと長いため息をついた。
右隣に座ったマチルダが労わるようにその肩を抱く。
「すまないね。彼とは長年の友人だったんだよ」
「友人兼敵対者ね」とマチルダが笑いを含んだ声で囁く。「どちらが〈茶色精霊の指輪〉を獲得するか、若いころから張り合ってきた仲だったのでしょう?」
「そうさ。そして彼は指輪を得て、私はあなたを得た。――どちらも最良の人生の宝物を手に入れたわけさ」と、ソロー教授が笑顔を浮かべ、改めてエレンを見やった。
「私の覚えている限り、そのときハミルトンの手に指輪は嵌まっていなかったと思う。――覚えているわけではないが、彼は通常は指輪を嵌めていなかったからね。嵌めていたなら、逆にそう覚えていると思うんだ」
「教授の記憶力でしたら当然そうでしょうね」と、エレンは心から同意した。
「そうなりますと、指輪はそのときまだ書類机の鍵付きの引出しにあった――と、いうことになるのでしょうか?」と、トリスタンが秀でた記憶力を誇示するように訊ねる。
ソロー教授はフサフサした白い眉をわずかにあげた。
「そのときまだ盗まれていなかったらね」
「教授の亡くなったお部屋と書類机のあるお部屋は別なんですの?」
「ああ。スペリオル学寮の学寮長の私室は三間続きでね。入ってすぐに居間があって、その奥が寝室。左手が書斎になっているんだ」
「書類机はその書斎に?」
「ああ」
「お部屋は何階ですの?」
「二階さ。――実はひとつ気にかかっていることがあるんだ」と、ソロー教授が声を潜める。
エレンは行きを飲んだ。
「何でしょう?」
「ハミルトンが死んでいた朝、居間から書斎に通じるドアが開いたままだったんだ。私がふと気になって、メレディス医師が検死をしているあいだに書斎に入ってみると、右手の、外に面した窓が開いていたんだよ」
「えええ、では、まさか外から侵入者が!?」と、トリスタンが目を剥いて叫び、ゴホゴホと盛大にお茶にむせた。
「あらあら大丈夫?」と、マチルダが慌てて立ち上がって背中をさすりにかかる。
ソロー教授は苦笑した。
「いや、残念ながらそれは難しいよ。上に押し上げて開けるタイプのごく小さな窓でね、出入りできるのはせいぜい小動物だ。外に樺の木が植わっているから、木登りができる小さい生物なら出入りはできる――かもしれないが」
教授がそこで言葉を切り、意味ありげに片眼鏡の位置を直した。
円いレンズがきらりと光る。私が何を言っているのか分かるかね?――と、微笑みながら挑発している。
--来たわ。教授の唐突な口頭試問だ。
エレンは背筋にピリッとした痛みに似た緊張感が走るのを感じた。
「どうだいミス・エレン。君ならどんな可能性を想定する?」
「そうですわね――」
エレンは慎重に考えながら応えた。「ハミルトン教授は猫は飼っておいででした?」
「いや」
「そうなりますと」と、エレンは半信半疑ながら次の可能性を口にしてみた。「――〈スペリオルの茶色精霊〉の体長は、確か大型の猫程度でしたわよね?」
「ああ」と、ソロー教授が満足そうに頷いた。「サイズ2フィートの直立歩行する茶色い生き物だ」
「クマのぬいぐるみみたいで可愛いのよ!」と、マチルダが嬉しそうに言い添える。
「ジェームズはあの子に赤いリボンを結んでいた」と、ソロー教授が重々しく結ぶ。
スペリオルの茶色精霊は思ったよりもずっとペット的な存在だったらしい。
「しかし、そうなりますと教授――」と、ようやく呼吸を整え直したトリスタンが果敢にまた口を開く。「現象が矛盾しておりませんか? だって、ハミルトン教授のお指には契約指輪は嵌まっていなかったのでしょう? それなのに、指輪によって使役できる〈茶色精霊〉が窓から出入りしていたというのは――……」
そこまで口にしたところでトリスタンが目に見えて蒼褪めた。
どうやら嫌な可能性に気付いてしまったらしい。
「ミス・エレン、その矛盾を解消するために、君ならどんな仮説を思いつく?」と、ソロー教授は促す。
エレンはごくりと息を飲んでから続けた。
「――ハミルトン教授が亡くなる前に、何らかの方法で〈契約指輪〉の譲渡がなされて、学寮長以外の何物かが〈スペリオルの茶色精霊〉を使役していた――と、いうことでしょうか?」
「その可能性は無きしもあらず、だ」と、ソロー教授がため息をつく。「〈契約指輪〉は通常、学寮長が引退するとき、茶色精霊を呼び出してその目前でじかに後任者に手渡すという形で譲渡されるんだ」
「立会人は?」
「必要ない。だから、ジェームズが生前に――学寮の誰の同意も得ずに――誰かに指輪を譲渡していた可能性はゼロではない」
「――そうなりますと、今最も困った立場に置かれているのは、指輪の譲渡なしに新学寮長となられたフィールディング教授ということになりますわね?」
「そうなんだよ」と、ソロー教授が再びため息をつく。「ついでに、ジェームズが密かに指輪を譲る相手が仮にいるとしたら、それは私じゃないか――と、この非常に、非常に狭いスペリオル界隈では思われているらしい」
「あなたと彼は魂の恋人同士みたいな一対だと学生時代は思われていたみたいですしねえ?」と、マチルダが皮肉っぽく言い添える。
「マイ・ダーリン、それは誤解だともう半世紀も言っているじゃないか!」と、ソロー教授がエレンの初めて慌て切った声音で言い返す。
エレンは混乱してきた。
非常に、非常に狭いスペリオル界隈の人間関係は、思ったよりもずっと錯綜しているようだ。