第四章 恩師との再会 2
石段を登り切った先の右手に建つヒルトップ邸も、エレンの記憶にある姿と寸分変わっていなかった。手入れの良い柘植の生垣の真ん中に開いた白いペンキ塗りの木戸を抜ければ、土のままの路の向こうに、緑の屋根に白い窓枠の可愛らしい二階家が見える。
路の左右には明るいピンクやイエローや泡立つような白色の金魚草が咲いていた。
前を行くエイキンが左手の花の向こうへと声をかける。
「ミセス・ソロー! お客様をお連れしましたよ!」
途端、花の列の向こうから、ひときわ大きな花のような白とペールピンクの姿がすらりと立ち上がった。
「ありがとうヘンリー、随分早かったのね。――そしてあなたはエレンね? それからトリスタン? まあ愕いた、たった三年のあいだに二人ともなんて立派になってしまったの!」
砂糖を入れたクリームみたいに甘い明るい声で言いながら、花の列のあいだを抜けて路へと現れたのは、鍔の広い大きな白い麦わら帽子を被ってハイウェストのペールピンクのコットンドレスをまとった初老の夫人だった。
まるで二十歳の若い娘みたいな服装だが、華奢な体つきとカメオの浮彫を思わせる繊細な顔立ちと、何より、感情の読みやすいよく動く表情とには、不思議なほどぴったりと似合って見える。
「ありがとうございますミセス・ソロー」と、トリスタンが畏まって挨拶する。
夫人は――ミセス・マチルダ・ソローは笑いながら軽くトリスタンに抱きつくと、今度はエレンに向き直って正面から抱きついてきた。
「元気そうねエレン!」
「お久しぶりですマチルダ。ところで、わたくしたちの再会は四年ぶりですわよ?」
「あらそうだったかしら? それじゃ私の年齢は――いいわ、こんな善き日にそんな哀しいことを考えるのはやめましょう。さ、三人とも入って! もうお茶の支度がしてあるの」
「あ、いやミセス・ソロー、残念ながら私はもう学寮へ戻らなければ」と、エイキンが慌てた様子で口を挟む。
「あらそうなの? 残念ね。ならせめてお茶を一杯だけでも飲んでいきなさいな。さあさあ入って! アンディがお待ちかねよ!」
マチルダが陽気にエレンの腕を引っ張りながら促す。
ディグビー兄妹とエイキンは微苦笑しながら邸の内へと向かった。
マチルダの言葉通り、小ぢんまりとした玄関広間の右手の日当たりのいい居間にはもうすっかりとお茶の支度が調えられていた。
明らかにマチルダの趣味と思われる茶の地にピンクの薔薇模様のソファに、気難しいちっちゃな土矮人みたいな顔をしたアンドリュー・ソロー教授が一人で腰かけ、この邸の蔵書である暗いワインレッドの装丁の分厚い本を膝に広げ、片眼鏡を眩く光らせながら一心に読み耽っている。
その姿を見た瞬間、エレンは涙ぐみたいほどの安堵が湧き上がってくるのを感じた。
――おかしなこと! セルカークの生家に戻ったときは、なんだが見も知らない場所に来てしまったような寂しさを感じたのに。
大人になってからたった一年世話になっただけのこの邸に、どうしてこんなに深い郷愁を感じるのだろう?
エレンがそんな不可思議な感慨に捕らわれていると、
「アンディ! いい加減本はおやめなさいな!」
マチルダが怒りを籠めて怒鳴った。「御覧なさい、エレンとトリスタンよ!」
「お、おおう!」
土矮人みたいな教授はソファの上で文字通り飛び上がると、名残惜しそうに本を――開いたままの状態で――ソファの傍らに安置し、ようやくに顔を向けてくれた。
鼻の大きな、皴深い、キラキラよく光るビーズみたいな黒い眸をした、風変わりだが理知そのものの優しく厳しい顔だ。
エレンは微かな緊張を覚えた。
「――お久しぶりです教授。エレン・ディグビーです」
「そのようだね」と、ソロー教授がほほ笑んだ。「よく来てくれたねミス・エレン。それからミスター・ディグビーも。私があなたをここに呼んだ理由は、ミスター・エイキンからもう聞いているかな?」
「ええ教授。道々説明しました」と、エイキンが横から答える。ソロー教授は一瞬だけ眉をよせてから頷いた。
「そうか。ありがとう。助かったよ。ミス・エレン、彼の説明に加えて、何か私に訊きたいことがあるかな?」
ソロー教授が反応を探るように訊ねてくる。
エレンは一瞬考えてから、笑って首を横に振った。「いいえ教授。もう十分に伺いましたわ。それよりわたくし、少し喉が渇いてしまいましたの。そちらで湯気を立てている素敵なお茶をそろそろいただけません?」
わざと小首を傾げて甘えるように言う。
教授は一瞬意外そうな表情をしてから、すぐに笑って頷いた。「そうだね。ではまずは一服するとしようか。ミスター・エイキン、ご苦労だったね。学寮へ戻るなら、お客人がたが無事着いたと学寮長にお伝えしてくれ」
「フィールディング教授にですね? 承りました」
エイキンが短く応え、お茶を飲んでいけと勧めるマチルダを振り切って部屋の外へと出て行った。
その足音が完全に消え切ったところで、ソロー教授が改めてエレンを見あげて訊ねた。
「さて諮問魔術師どの、改めて、私に何か訊きたいことは?」
教授の口調は真剣だった。
エレンは嬉しくなった。
関係者それぞれに別個に質問したい――というエレンの意図を瞬時に察してくれたらしい。
「では改めて――」
エレンは勧められた椅子にかけながら口を切った。
「八月二日の早朝、ハミルトン教授の御遺体が発見されたときの状況を、教授がご覧になった通り、時系列に沿ってお話しくださいます?」
昔この邸で学んだ犯罪捜査の基本手順に従って質問すると、教授は満足そうに頷き、一口お茶を啜ってから話し始めた。