第三章 大ガラスとフクロウ 2
三人が乗り込むとすぐに馬車が出発した。
「――ところでミスター&ミス・ディグビーは……」と、エイキンが高知能の大学人によくあるように自分で自分の言葉に微かにくすりと笑ってから続ける。「今回の事件についてどれほどご存じで?」
「その前にミスター・エイキン」と、エレンは捜査の専門職として確認する。「わたくしが調査に呼ばれたことは周知の事実なのですか? それとも秘密にするべき?」
「スペリオルの内部では周知の事実ですよ。部外者には秘密にとフィールディング教授が――ああ、いや失礼、新学長には命じられていますが」
「ならこの車内での会話は問題ありませんの? つまり、御者席の耳目という意味で」
家内使用人や御者や運搬人といった〈見えない目撃者〉の重要性は、犯罪捜査の現場で経験を重ねるうちに身に染みて実感している。
専門家としての矜持を胸に告げると、エイキンの顔にもトリスタンの顔にも愕きが走るのが分かった。
「……その点についてはご心配なく」と、エイキンが気を取り直したように続ける。「御者は学寮の従僕です。――そもそもそこのジャックが、八月二日の早朝に、教員宿舎の自室で亡くなっているハミルトン教授を始めに見つけたのです」
「その、急逝なさったハミルトン教授の遺品のなかに、あるべき何かが無かったのですよね?」と、しばらく蚊帳の外に置かれていたトリスタンが息せき切って訊ねる。エイキンが生徒を褒める家庭教師みたいな笑顔を浮かべて頷く。
「ええ、その通りです。無くなっていたのが何かまでは、ソロー教授はお手紙には書かなかったのですね?」
「はい残念ながら」
「そこまでは存じませんわ」
ディグビー兄妹がほぼ同時に答えると、エイキンは二人の顔をかわるがわる見つめながら訊ねてきた。
「遺失物は何だと思います?」
唇の端を持ち上げて挑戦的ににやりと笑う。
熟練の教師の表情だとエレンは思った。
――ミスター・エイキンはきっと学費確保のために頭の悪い貴族の若君の家庭教師を務め馴れている人ね。やる気にさせるのが巧いわ。
先生の質問にはいつも真っ先に答えたがるお利口さんのトリスタンは、故郷の荘園邸で妹と一緒に読み書きを習っていた子供時代に戻ったみたいな真剣さで、濃い睫を伏せてやたらと真剣に考えこんでいた。
エイキンが目を細めてその顔を見ている。
可愛いなあと思っているのだろうなあとエレンは警戒を感じた。
かつて気弱な美少年だったこの次兄は美少年趣味の男によく目をつけられていたのだ。今や立派な既婚の職業人だが、こうして瞼を伏せた顔は昔と変わらず美しい。
――用心しなさいよトリスタン? 一応まだ念のためね?
保護者じみた気分で無防備極まる既婚の兄の横顔を眺めていると、エイキンが眉をあげ、揶揄うような口調で訊ねてきた。
「ミス・エレンはどうです? タメシスで名高い諮問魔術師どのの推理では、遺品からは何が無くなっていたと思いますか?」
完全に上から目線だ。
エレンはぴくりと眉をあげ、美しい女がやろうと思えば必ずできる冷ややかで傲慢な表情で答えた。
「それは当然〈茶色精霊の契約指輪〉でございましょう?」
答えるなりエイキンが愕きに目を見開くのが分かった。
エレンは思わず声を立てて笑った。
「あら、違いましたの?」
「いや、もちろん正解ですよ!」と、エイキンがわざとらしく明るい調子で答える。「〈スペリオルの茶色精霊〉は、〈ペンドラゴンの薔薇色の貴婦人〉、〈モーゴンの庭師の土偶〉と並ぶカトルフォード三不思議のひとつですからね。気鋭の諮問魔術師どのには少しばかり簡単すぎる問題だったかな?」
「ええ本当に」と、エレンは澄まして答えた。
隣のトリスタンが心底悔しそうな顔をしている。