第三章 大ガラスとフクロウ 1
青く錆びた〈風の巨人たち〉の列が背後へ移るとすぐ、右手に淡い蜂蜜色の石造りの建物が増え始めた。
すぐ先に鮮やかな赤褐色の大きな円屋根が見える。
大学街カトルフォードの中心に鎮座するモリソニアン大図書館の屋根だ。
後に見える尖塔は〈大学街の王者〉たるペンドラゴン学寮の時計塔。
その周りに、大図書館のドームと合わせた赤系統の屋根を備えた建物が点々と立ち並んでいる。
カトルフォード大学は十六の学寮の複合体だ。
そのなかでも、ペンドラゴン学寮とモーゴン学寮、そして今回エレンを呼び出したソロー教授の所属するスペリオル学寮の三つが「カトルフォードの三大学寮」として知られている。
王族はみなペンドラゴン学寮に所属するし、爵位貴族はモーゴン学寮に多い。スペリオル学寮は首相を多く輩出することで知られている。(ちなみにトリスタンは地味で堅実なマーストンという「残りの十三」学寮の出身である)。
「ソロー教授はお元気かな? 先代のハミルトン学寮長ともうお会いできなくて寂しいよ。ソロー教授のお手紙じゃ、新学寮長にはあのお若いフィールディング教授が選ばれたのだってなあ」
トリスタンが得意そうに腕組をして近づく街並みを睥睨しながら、まるでスペリオル学寮の出身者みたいな態度でやたらと教授陣の名前を連呼している。
エレンが羞恥に耐え切れずに兄の後頭部を後ろからひっぱたきたくなるころ、平底船がようやく市街地の船着き場に碇まってくれた。
「今帰ったぞカトルフォード! いやあ、懐かしいなあ! ――おい運搬人、そのT・ディグビーの荷物はみんな運搬馬車に預けて、川向うの〈丘の上邸〉に運ばせてくれ。スペリオル学寮のアンドリュー・ソロー教授のお邸だ。間違えてスペリオル学寮に運ぶんじゃないぞ? スペリオルの! 教授のお邸だからな」
トリスタンが得意満面に命じ、マナー教本のサンプルみたいな正確さでエレンをエスコートして平底船を降りる。
すると、すぐに声をかけてくる者があった。
「失礼、もしかしてミスター・ディグビーと妹さんですか?」
「え、あ、はい!」
トリスタンがいきなり観客から声をかけられた俳優みたいに狼狽えながら応える。
すると声の主はぱっと顔をほころばせて笑った。
「ああやっぱり! お二人は本当に目立つから船に乗っているときから分かりましたよ! お久しぶりですミスター・ディグビー。それからミス・エレンも」
愛想よく言いながら大股で近寄ってくるのは、砂色の髪をした大柄で不器量な三十前後に見える男だった。
襟の汚れたクシャクシャの白いシャツに黒っぽいベストを重ね、しわだらけの灰色のズボンを履いている。ごつごつとした粗削りな貌の中で明るい灰色の目だけが宝石のように輝いている。
「私のことを覚えていますか? ヘンリー・エイキンです」
「あ、ああ君か」と、トリスタンが気を取り直して横柄に応じる。「覚えているよ。確かソロー教授のところに出入りしていた無給研究員だろ?」
「ええ四年前はね」と、エイキンはにっこり笑って応じた。「今はスペリオル学寮所属の特別研究員です」
そこに至ってエレンはようやく相手のことを思い出した。
「ああミスター・エイキン! 本当にお久しぶりです。今も魔法技術史の御研究を?」
「ええ勿論。それから四年前と変わらずソロー教授の使い走りも承っています。さ、二人ともこちらへ。馬車を手配しておきましたから、川向うまでご案内しますよ。――ああでも、ミスター・ディグビーは御出身の学寮のお部屋を借りるのかな? 失礼ながらどこでしたっけ? ペンドラゴン? モーゴン?」
エイキンが灰色の眸をキラキラさせながら底意地悪く訊ねる。
トリスタンは口のなかで何かもごもご言ってから、
「いいえ、今回は妹の付添ですからね。私も教授のお宅に御厄介になりますよ」
と、大層な小声で答えた。
「そうですか。それはいい。教授もきっと喜びますよ。二人とも荷物はこれだけ?」
エイキンは声を立てて笑うと、エレンとトリスタンの手からそれぞれの小型トランクを奪い取るようにして取り上げ、軽々と両手に携えて大股で車道へと向かっていった。並木の向こうの石畳の道に二頭立ての馬車が待ち受けている。